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世界平和を願う祈?ものみの塔 1955 | 7月1日
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亡びは印せられたものであつた故に,エレミヤが自国民のために祈ることは無益なものでありました。同じことは,今日にもあてはまります。キリスト教国は聖書の中でバビロンと述べられており,神により亡びに印せられているものです。それで,ヱホバの目的を理解する人々は,1月18日より25日までなされた世界平和のための祈を捧げず,またアイゼンハワー大統領や世界教会会議に参加しなかつたのです。それらの人々は,次のヱホバの警告を述べました『私の民よ,もし彼女の罪にあずからず,その災にまきこまれたくないならば,彼女から離れ出よ。』― エレミヤ 7:16。黙示 18:4,新世。
祈の週の翌日にあたる1月26日のニューヨーク・タイムズ紙の見出しに,『議会は409 ― 3票で,アイゼンハワーの台湾政策を支持す』と書かれていました。最初の節は,こうでした『1月25日,ワシントン ― 下院議会は今日409対3票をもつて,アイゼンハワー大統領を支持し,共産主義者より台湾を守るためにいかなる軍事行動を取る事をもゆるした。』自分たちの祈が役立たないことをはつきり表示しています。
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その1 初期の声(1870~1878年)ものみの塔 1955 | 7月1日
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ヱホバの證者の近代歴史
その1 初期の声(1870~1878年)
『こういうわけで,私たちは,このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから,いつさいの重荷と,からみつく罪とをかなぐり捨てて,私たちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり,またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走ろうではないか。』(ヘブル 12:1,2)この助言を録した方は,クリスチャンとして走つていた彼自身の競走を目のあたりに見ていた証人を指しては居りませんでした。そうではなくて,その前の章で彼が名前を列挙している証人,即ちイエスが地上での宣教を終える前に住んでいた忠実な男女を指していたのです。それらの或る者は遙かアベルの時にまで遡ぼつて居り,『これらの人々はみな,信仰によつて証しをし,』ヱホバ神を喜ばしたのです。(ヘブル 11:1-40)彼らは,イエスが地上に居られたときなさつたように,ヱホバの証者でした。(黙示 1:5; 3:14)聖書にはこれら昔の証者についての権威ある歴史がのせられてありますが,それはヱホバの証者自身の手によつて書れたのです。そしてこれらの筆者は聖書全巻を通じて,神の御名ヱホバを6823回又はそれ以上用いて居ります。
キリスト教徒ギリシヤ語聖書のマタイ伝から黙示録までは,イエスとその使徒時代に於けるヱホバの証者,即ちクリスチャンの歴史が録されています。それらは,イエスの弟子が霊感によつて書いたものです。それから18世紀の月日が流れた近年に,ヱホバのクリスチャン証者が再び登場し,激しい論争の的となりました。沢山の人々は,ヱホバの証者は果してどのように存在してきたのかと不思議がつて居ます。多くの群衆は,この最高至上の神の近代証者について偏見のない,歪曲されていない情報を得たものと思い違いをし,それら証者を非難し,攻撃するものと化したのです。信頼できうる知らせをここに発表し,一般の啓発のために供し,また攻撃的な自称の情報屋によつて誤導されてきた沢山の人々の考えを改めるため,私たちはここに『ヱホバ証者の近代歴史』について一連の記事を掲げましよう。
初期の出来事(1870年-1878年)
除々に「暗やみから驚くべき御光に招き入れて下さつた。」この言葉はヱホバの証者の近代歴史を短かく叙述しているものです。このように彼らは,バビロンの汚れた宗教の思想から,増し加わる聖書の新しい真理の復興へと前進していきました。(ペテロ前 2:9)これらクリスチャン証者の脱出してきた霊的暗やみの長い夜は,キリストの使徒が死亡してから始まつた2世紀の初期から19世紀の後半期にまでずうつと続いたのです。正しい教義の輝きと神権制度の清浄さを持つていた初期キリスト教に,バビロンの汚れた宗教の教え,ギリシヤ及びローマの異教の哲学,それに生ひしげつた背教からの霊的暗やみが入り込んで,その光輝が曇り始めました。サタン悪魔はヱホバ神の真の崇拝を打ち負かそうと躍起になつて活動し,背教の偽羊飼,即ち『羊の衣をきた狼』を作り出し,一度は霊的に繁栄していたクリスチャン会衆に荒廃をもたらそうとたくらみました。16世紀に於ける新教の宗教改革にも拘らず,それは真の崇拝に何らの実際効果をあげることが出来ず,暗やみの帳はいぜんとして誤まつて教えられたクリスチャンの心の上にかけられたままに続いていました。やがて時が到来し,ヱホバ神は解放者,大いなるクロス,イエス・キリストをつかわし,真のクリスチャン証者をバビロンの束縛から救助させました。
バビロンの囚れからの完全な脱出は,西暦1919年になつて始めて為されましたが,それ以前の約50年の期間は,新しい世の民として解放されるときに備えて,除々と目覚めを経験して居りました。これは生来のユダヤ人が古代のバビロンの囚れにいたときと同様でした。そのときダニエルとかその他のヱホバの忠実な証者は,エルサレムに於ける真の崇拝に備えるため,何年もの前に,覚醒させられて居りました。古代の真の崇拝は,キリスト前537年に遂に回復されましたが,近代でのヱホバの証者の場合に,霊的目ざめは1870年以降明白になつてきています。
古い世の背景とか世界の舞台にヱホバの証者が再登場した頃の世界の情勢について少し述べると,1870年から1900年までの期間は,この20世紀の『原子力時代』の運命を形づくつたときと云えましよう。政治界,宗教界,商業界の各勢力は,来たりつつある科学時代を牛耳る位置を狙つて躍起となつて居たのです。人々及び制度は,未来に近づいている容易ならぬ快速時代についての予報で充たされ,先見あるものは社会の大改革がくることを見通して居りました。1869年から70年までのバチカン会議で,ローマカトリック派は,その首なる法王の絶対無過誤なることを宣言して,すぐ目前の未来に備え,制度を強化しようとしました。指導の地位にあつた新教の宗教制度は霊的にもはやその進歩性を失つてきました。牧師たちは平信徒に対する権力を固めていましたが,信者たちの上に牧師たちがより強い権威を持つことは,とりもなおさず,クリスチャンと唱える大衆がクリスチャン思想と崇拝の自由を失い始めることを意味していたのです。不貞節,高等批評,進化論,霊媒術,無神論,共産主義が進入し始め,大きな世界宗教制度のあるものを滅亡させていきました。沢山の教会は彼らの教会を近代化し始めましたが,それは復興された聖書の真理によつてではなく,高等批評とか進化論によつて為されたものです。異教化された神学の近代方式は教会にむかつて洪水のように押寄せました。
政治的にも大きな力が胎動していました。アメリカ合衆国もその南北戦争(1861年-1865年)から丁度立ち直つて,偉大な世界勢力へと厖大な拡張のため,その勢を取戻しているときでした。ドイツも1870年のフランコープロシヤの戦に勝利を得て,力ある欧洲の巨頭へと更に力をたくわえていました。イギリスは勝利時代の華やかな時代が過ぎ行くときにあつて,まだ世界の列強の仲間入りしようとしていました。工業の面でも,アメリカ合衆国,イギリス,フランス及び欧洲の大部分は,蒸汽機関の発明に伴つて,大革命を味つていたのです。時が経過するにつれて,電気の発見,電話,自動車の発明,その外に自動化へと向つた文明時代の『奇蹟』が相次いでなされ,産業革命は拍車を加えられました。先進国家の工業化と新しい『金鉱』企業の着手によつて,商業も新しい段階へと入りました。資本主義が力を得るにつれて,それに反抗して,労働組合主義も登場しました。これらのもの凡ては,唯物主義,金もうけ,快楽追求の波を意味しているのです。この古い世の目に見えぬ悪魔の勢力は,新しい欲望のきらめくような罠を設け,再興されるクリスチャン真理と云う,より高い,より素晴らしい価値あるものに人々を盲目にさせていました。
これらの工業,商業,社会,宗教の変化のとどろきのうちにあつて,小さな宗教団体の初期の声を聴くことができました。それは時の徴をよみ,ヱホバのキリスト・イエスの再臨が間近にきていることを予言して居たのです。いろいろのキリスト再降論者がアメリカ合衆国にも欧洲にも居て,1873年又は1874年にはキリストが目に見える形で再来すると忙しく宣言していました。それら運動を始めたアメリカ人のウイリヤム・ミラーは1843年と1844年にその年月を定めていましたが,遂にその誤りと失望とを自らも認めました。以前にドイツ・ルーテル派の神学者ベンゲル(1687-1751)は1836年が黙示録 20章6節の千年統治の開始のときであると定めて居たのです。スコットランド及びイギリスその他で,『アーヴィング教派』と一般に知られていたものは,1835,1838,1864年遂には1866年がキリストの再来のときであると声をはり上げ発表していました。エリオットとかカミングなどのクリスチャン筆者は1866年に終りを期待し,ブルアーとかデッカーは1867年と予言し,セイスは1870年と主張しました。ロシヤでは,メイネナイト新教徒の指導
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