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  • 「全能の神の大いなる日の戦争」中の安全
    ものみの塔 1961 | 1月1日
    • 使徒ヨハネの書いた黙示録は,そのことを示しています。キリスト教国内の国々も,キリスト教国外の国々も,第一次世界大戦以来エホバの証者が伝道している神の設立された御国の良いたよりに従おうとしません。それで,彼らは平和な態度で神の御国に従っていません。むしろ,ヨハネのまぼろしが前もって見たごとく,彼らは悪鬼共の支配者サタンに従う「悪鬼に霊感された表現」によって,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦争」に集められています。(黙示 12:1-12; 16:14-16)それは,諸国民にとって何を意味しますか。神は告げておられます。

      41 イザヤ書 13章1,5-9節によると,諸国民には何が来ますか。

      41 神の軍勢により,むかしのバビロンにのぞんだと同様の滅びがのぞむでしょう。神の預言者イザヤは,こう述べています,「かれらはとほき国より天の極よりきたる,これヱホバとそのいきどほりをもらす器とともに全国をほろぼさんとて来るなりなんぢらなきさけぶべしヱホバの日ちかづき全能者よりいづるほろびきたるべければなり………視よヱホバの日苛くしていきどほりとはげしき怒とをもて来りこの国をあらしその中より罪人を絶ち滅ぼさん」。―イザヤ 13:1,5-9。

      42 ゼパニヤ書 1章2,3,14-18節によると,諸国民の上には何がのぞみますか。

      42 バビロンの王が不忠実なエルサレムにもたらした滅びと同様な滅びが来るでしょう。ゼパニヤの述べた預言の中に,こう書かれています,「ヱホバ言たまふわれ地の面よりすべての物をはらひのぞかん」「われ人と獣畜をほろぼし空の鳥海の魚およびつまづきになる者と悪人とを滅さん我かならず地のおもてより人をほろぼしたたんヱホバこれを言ふ」「ヱホバの大なる日近づけり近づきて速かに来るきけよこれヱホバの日なるぞかしこにますらをのいたく叫ぶありその日はいかりの日なやみおよび痛苦の日荒かつ亡ぶるの日黒暗またをぐらき日 あつき雲および黒雲の日………われ人々になやみをかうむらせ………かれらの銀も金もヱホバのはげしき怒の日には彼らを救ふことあたはず全地そのねたみの火に呑るべし即ちヱホバ地の民をことごとく滅したまはんそのことまことに速なるべし」。―ゼパニヤ 1:2,3,14-18。

      安全な場所

      43 危険な戦争の故に,私たちはぜひとも何を必要としますか。だれがそれを備えることができ,また備えていますか。

      43 危険な「全能の神の大いなる日の戦争」に直面しているゆえ,かくれ所,避難所,安全な所がぜったいに必要です。それは,この世的に賢明な人々が,生ずるかも知れぬ第三次世界核戦争に生き残るために提唱しているものとことなるものです。人間は,将来の世界戦争中の人間の安全をはかることを提唱しています。しかし,それは人間とサタンおよび悪鬼共に対する来るべき神の戦争中に安全ではありません。どのような安全な処置が適当なものかは,神が告げ得るものです。いまから4300年のむかし,悪いこの世の制度を滅ぼした大洪水に生き残らせるため,神はどのような安全な処置を取るべきかを,敬虔なノアに告げました。キリストの支配する神の御国の敵共をことごとく一掃するその戦争中,全能の神だけが安全と生存のところを備えることができます。全能の神は安全なところを備えておられ,その場所へのはいり方を私たちに告げています。

      44 全能の神は,セパニヤをとおしてどんな正しい行ないをせよとすすめていますか。どんなことがあり得ますか。

      44 罪を持っているにもかかわらず,また全能の神に反対しているにもかかわらず,すこしもはじない諸国民の男,女,子供たちにむかって,神は以前に引用した預言者ゼパニヤをとおして次のように言われています,(ゼパニヤ 2:2,3)「かのひはもみがらのごとく過ぎさるされば詔言のいまだ行はれざる先ヱホバのはげしき怒のいまだ汝らにのぞまざる先ヱホバのいかりの日のいまだなんじらに来らざるさきに自ら省みるべしすべてヱホバの律法を行ふこの地のへりくだるものよ汝らヱホバを求め公義を求め謙遊を求めよさすれば汝らヱホバのいかりの日にあるひはかくさるゝことあらん」。正しい行いをすればかくされるであろう,ということは,きわめて適切なものです。なぜなら,ゼパニヤの名前は「エホバはかくされた」という意味だからです。

      45 ゼパニヤは,そのような助言のすぐ後に,何を告げていますか。

      45 絶滅を避けてかくれることのできる唯一の場所をぜひとも求めねばならぬ,とゼパニヤは告げています。そして,その直後において,ゼパニヤはペリシテ人,モアブ人,アンモン人の現代版の者たちに来る破滅について告げています。むかし,それらの者たちはみな,エルサレムなるシオンにあったエホバの御国に憎しみを示しました。―ゼパニヤ 2:4-15。

      46 そのような助言を考慮するとき,私たちは何をすることを止めるべきですか。私たちは,全能の神との間の何を求めるべきですか。

      46 これは安全にみちびく信頼すべき助言です。なぜなら,それは神から与えられた助言だからです。それでは,これら将来の出来事に恐れおののく理由がありますか。そしてイエス・キリストの預言したことがらに苦しむ理由がありますか。イエス・キリストは,「地上では,諸国民が悩み,海と大波とのとどろきにおじ惑い,人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」と預言しました。(ルカ 21:25,26,新口)これ以上,「悪鬼共によって霊感された表現」に負けてはなりません。また,諸国民と共になって,全能の神およびキリストによる神の御国に敵対するよう導かれてはなりません。御国の敵共に終りが来る前のいま,エホバの証者があらゆる場所で伝道している御国の良いたよりに耳を傾けなさい。(マタイ 24:14)全能者であるエホバ神と平和な関係を求めなさい。なぜなら,その大いなる日の戦争中,私たちの安全はことごとくエホバの恵みに依存しているからです。

      47 ゼパニヤをとおして与えられた助言の中で述べられている者たちはだれですか。私たちは,そのようなものであると,どう証明すべきですか。

      47 エホバから与えられる安全の指示は,「ヱホバの律法を行うこの地のへりくだるもの」にあてて告げられています。エホバの御前にあって柔和なる者,謙遜なる者と示しなさい。そして,エホバの律法を行なうことによって,そのことを示しなさい。それはエホバの書き給うた聖書の中に記されています。今日,エホバの証者はエホバの律法を行なっています。エホバが決定し給うたものは,この最も危険な時において私たちのなすべき神の御こころです。エホバの証者はそのことを知っています。主の祈りの中で『あなたの御心が天で行なわれるように地でも行なわれるように』と天の御父に祈るなら,いまエホバの御心が何であるかを知るために正直な努力をいたしましょう。そして,愛の心をこめて,信仰の気持と従順な態度を示しつつエホバの御心を行ないましょう。

      48 (イ)なぜ今日エホバを求めることは,ゼパニヤの日のときよりも多くの意味を持ちますか。(ロ)いま正義を求めることは,何を意味しますか。

      48 今日エホバを求めるとは,政治的なシオン主義に改宗するとか,人間の言伝えを持つユダヤ教に改宗する,という意味ではありません。ゼパニヤの時代では,ユダヤ教はまだ始められていませんでした。いまエホバを求めるとは,ゼパニヤの時代のときになされたこと以上を意味します。なぜなら,その預言者がいた時にはダビデの家系から出た王たちが地的なエルサレムあるいはシオンにあった「ヱホバの座位」につき,模型的な国が運営されていたからです。(ゼパニヤ 1:1)今日エホバを求めるとは神の御子と一致の状態にはいるという意味です。神の御子は,この地よりはるかに高い天でエホバの右におられ,エホバの座位に王として坐しておられます。イエスは,その足跡に従う弟子たちに,「あなたの御国が来ますように」と祈る主の祈りを教えました。その後で彼は弟子たちにこう言われています,「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう」。(マタイ 6:9-13,33)ユダヤ人の弟子たちはみなユダヤ教を捨てて,エホバのキリストによる御国を求めました。(ガラテヤ 1:13-17)彼らは御子イエス・キリストを通してエホバ神から来る正義を求めました。イエス・キリストは,信ずる男女を罪と刑罰なる死から救うため完全な人間の犠牲として死なれたのです。

      49 (イ)なぜ今日の私たちは,なおさら一層イエスの弟子たちが行なったようなことをするべきですか。(ロ)なぜ私たちは,彼の御国によってのみエホバを求めることができますか。

      49 今日の私たちは,なおいっそう彼らと同様のことをしなければなりません。なぜなら,キリストの天の御国は今日設立されているからです。それは1914年に異邦人の七つの時が終って以来運営されています。いまエホバは,キリストの敵を,あたかも足台のように,全部彼の足下に置こうとしています。私たちは,キリストの敵のように,その足下にふみつけられて殺されたいとは望みません。「全能の神の大いなる日の戦争」の際のキリストの戦闘行為については,次のように書かれています,「〔彼は〕全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも,そのももにも,『王の王,主の主』という名がしるされていた」。(黙示 19:15,16,新口)彼の御国は,エホバ神の主権が宇宙最高のものであることを立証する手段です。それはまた地上の全家族を祝福する手段です。それは,アブラハムの祝福のすえの御国です。私たちは祝福をのぞみます。なぜなら,それは御国の支配下にある新しい組織制度内での永遠の生命を意味するからです。私たちは,神と人間との仲保者なる御子の御国によらないでは,今日エホバを求めることができません。

      50 それでは,安全な場所は,どこにありますか。使徒ペテロは,五旬節の日に,その事実に一致するどんな預言を引用しましたか。

      50 ここに安全な場所があります。すなわち全能の神と,そのキリストの側に立ち,その保護をうけることです。神がキリストを死人の中から復活させてから御自分の右に高めたとき,神はいくらかの聖霊を彼に与えて地上にいる弟子たちに注がせました。このように御霊を注ぐことは,西暦33年5月の五旬節<ペンテコスト>の日に始まりました。その日に御霊を得た使徒ペテロは,目撃者たちの群れに話をして,これこそ末の日に関するヨエルの預言の成就であると告げました。それからペテロは,ヨエルの預言の次の言葉を引用しています,「天と地にしるしをあらはさん即ち血あり火あり煙の柱あるべしヱホバの大なるおそるべき日の来らん前に日はくらく月は血に変らんすべてヱホバの名をよぶ者は救はるべしそはヱホバののたまひしごとくシオンの山とヱルサレムとに救はれし者あるべければなりそののこれる者の中にヱホバの召し給へるものあらん」。―ヨエル 2:28-32。使行 2:1-36。

      51 ペテロは,シオンとエルサレムという言葉を引用しましたが,彼は何に言及しましたか。それで,生き残る者は何の側に立ちますか。

      51 もちろん,使徒ペテロは地上にある実際のエルサレムあるいはシオンを意味しませんでした。なぜなら,イエスの死を叫び求め,その後イエスの忠実な弟子たちを迫害したエルサレムはローマの軍隊により悲惨な滅びをこうむったからです。それは五旬節<ペンテコスト>のときペテロとその仲間の弟子たちに聖霊が注がれてから,ちょうど37年後のことでした。ペテロおよび彼が言葉を引用したヨエルは,天的なエルサレム,天的なシオンを指したのです。それはキリストによる神の御国を象徴します。それで,私たちはいま,全能の神とそのキリストの設立された御国を求めねばなりません。その側に立って,その下にいることによってのみ,私たちは生き残る者の中に入ることができます。

      52 ヨエルによると,どんな御心を行なっている者は救われますか。今日このことを行なうことは,何を意味しますか。

      52 ペテロが引用した預言者ヨエルは,「ヱホバの大なる畏るべき日の来」る前に「すべてヱホバの名をよぶ者は救はるべし」と語りました。私たちは「ヱホバを求めよ」という預言者ゼパニヤの言葉に従うとき,また『ヱホバの御名を呼び求めよ』と語ったヨエルの言葉にも従わねばなりません。そのとき,私たちはその大いなる日の宇宙戦争中に救われるでしょう。このためには,いま私たちは支配している王イエス・キリストを通してエホバを呼ばねばなりません。それはまたエホバの御名を公に呼び求めることを意味します。エホバの証者は,すべての国でそのことをしています。彼らは,口で話したり,印刷した頁を用いて,町から町に,家から家に出かけています。エホバの御名は,その御国によって栄光をうけるでしょう。そして,エホバの御国は,今日いちばん重要な論争になっています。それで今日エホバを求める人々は,「全能の神の大いなる日の戦争」によってこれらの国々が終る以前に,全国民への最終的なあかしとしてこの御国の良いたよりを全地に伝道しなければなりません。エホバの王イエス・キリストは,いまこの証言がなされねばならぬと命じました。

      53 正しい道をとるなら,おそらくどんなことがあなたに生ずる,とゼパニヤは述べていますか。何を楽しむことができると,詩篇 90篇1,2節は言っていますか。

      53 もしこの世の「終りの時」に,私たちが明白に述べられたこの道に従うとき,「さすればなんじらヱホバのいかりの日に或はかくさるることあらん」と霊感をうけた預言者ゼパニヤは述べています。(ゼパニヤ 2:2,3)私たちをかくし給うエホバのところにいて,私たちはなんとすばらしい安全を楽しむのでしょう! なんという休息,なんという平和,そしてこの世の敵国に対して神が怒りを示す日に生き残れるとは,なんと心わき立つ期待なのでしょう! 霊感をうけた詩篇記者は,そこで楽しむ奇跡的な安全について,次のように美しく描写しています。「至上者のもとなる隠れたるところにすまふその人は全能者のかげにやどらん われヱホバのことを宣べてヱホバはわが避所わが城わがよりたのむ神なりといはん」。

      54,55 (イ)かくされていながら,何を見,何を目撃しますか。(ロ)なぜ「長寿」のむくいは,満足をもたらしますか。なぜエホバによる救いは,永遠のものですか。

      54 全能の神の戦争が悪い敵共を絶滅するとき,私たちは神の翼のかげにかくされそして,次の言葉を経験するのです。そのことを考えてごらんなさい「千人はなんぢの左にたふれ万人はなんぢの右にたふる,されどその災害はなんぢに近づくことなからん なんぢの眼はただこの事をみるのみ,なんぢ悪者のむくいを見ん」。それで,私たちは賢明にこの残っている時を活用し,エホバを求めてその御名を求めることができますように! なぜなら,全能の神は次のように言われていますから,「かれ我をよばゞ我こたへん我その苦難のときにともにをりてこれをたすけこれをあがめん われ長寿をもてかれを足らはしめかつわが救をしめさん」。―詩 91:1,2,7,8,15,16。

      55 「全能の神の大いなる日の戦争」の後の新しい組織制度内で「長寿」― なんとすばらしい報いでしょう! それは満足をもたらします。なぜならその新しい組織制度を支配する御国は,善意者にとって祝福となるからです。神は,神を求める者たちに永遠の救いを得させます。なぜなら,救をもたらす神の御国は永遠にわたって存続するからです。それで,ごく間近い将来および永久にわたる私たちの安全は,神の御国にあるのです。私たちがいまそれを探すなら,私たちの行いは生命の報いをもたらします。

      56 なぜ私たちは,「全能の神の大いなる日」をたたえることができますか。いま私たち全部は,何を見出すために加わるべきですか。

      56 それで,すべてのものは「全能の神の大いなる日」をたたえましょう! その日がはやく来るようにしましょう。なぜなら,それは真の神エホバとそのキリストによる正義の政治にとって栄光にかがやく勝利をもたらし,かつ生きている者も死んでいる者も,すべての善意者には永遠の救いをもたらすからです。いまエホバの御国の幸福な証者に加わり,安全なかくれ所を見つけて下さい。そして「『全能の神の大いなる日の戦争』中の安全」を得てください。

  • ペナンからの報告
    ものみの塔 1961 | 1月1日
    • ペナンからの報告

      仕立屋で働いていたある青年は,配布された小冊子を読んで強く心を動かされました。彼は,その小冊子の裏に出ていた広告を見て中国語の「神を真とすべし」という本を取りよせるため香港に手紙を送りました。協会は会衆に再訪問用紙を送って,この人を再訪問させました。魂,地獄,三位一体に関してなされた彼の質問は満足のいく解答が与えられ,研究が始まりました。3週間後彼は,他の伝道者たちについて伝道に出かけました。そして2ヵ月後には巡回大会で洗礼を受け献身を象徴しました。

      店で長時間働かねばならないので,伝道に出かけられるのは日曜日だけでした。しかし日曜日には野外奉仕を8時間行ない,1ヵ月には平均48時間を奉仕にささげました。中国語だけしか話せないので,中国語で行なわれる聖書研究のグループをつくるのを援助しました。それには,8人から10人の中国語を話す人々が定期的に出席します。彼の熱意は急速に高まり,研究を始めてから1年もたたないのに,いまはすでに開拓奉仕の申し込みをしています。羊は,店の中にもいるのです!

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