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  • ケベックにおける自由の新時代
    目ざめよ! 1975 | 6月22日
    • であること,そして未来の命に対する希望はすべて,キリストに対する信仰のいかんにかかっている,と説く。そして非常に近い将来に,われわれの世代に,現在の悪い体制は神の王国によって滅ぼされる,と彼らは信じている」。

      ケベックでエホバの証人の活動が成功しているということ,また能率的に行なわれているということ自体,ケベックの人々の尊敬と信頼を得る一因となっています。モントリオールで発行されている,1974年7月28日付のル・プティ・ジュルナル紙は,一方の側の宗教的衰退と他方の側の発展とを公然と指摘し,次のように述べました。「伝統的な宗教は,教会出席者が減少の一途をたどって衰えつつあるのに対し,エホバの証人はメンバーの増加を見ている。その新しいメンバーを集めるために,以前の教会の建物や他の施設を購入することさえしている。

      「1945年には[ケベックにおける]彼らのメンバーは356人にすぎなかったが,1974年には州全体に7,000人ほどいて120の会衆に分かれており,それらの会衆は125の町で伝道している。

      「1973年にはエホバの証人のメンバーは22%増加した。ケベックで証人がこのように大幅に増加したために,数個のホールと教会が購入され,集会所に当てられた。モントリオール地区内で購入された最も重要な建物は,サン・リュにある定員1,800人のドレミー・ダンス・ホールである」。ケベック州,サン・リュにあるこの建物はエホバの証人の大会ホールになっています。

      ジョリエットの町(ケベック)は,かつてはカトリックにとって特別の中心地でした。町の中でいちばん高い建物の一つは大きな神学校でした。1949年のこと,エホバの証人の宣教者たちは,カトリック教徒の暴徒によりこの町から追い出されました。―「目ざめよ!」の1950年4月8日号(英文)をご覧ください。

      しかし今ジョリエットにはエホバの証人の活発な会衆があり,大通りの一つに面したところに立派な王国会館が立っています。神学校はそのうちに政府に買い取られ,地域大学に変身しました。エホバの証人は,年に二回開かれる巡回大会の会場として,この元神学校を二回使用しました。

      ローラン・グラグノンは,1949年に暴徒が騒動を起こした時にそれに加わって,エホバの証人を町から追い出した実業家でした。現在の彼は,エホバの証人のジョリエット会衆の一員です。

      今では人々はエホバの証人を以前よりもよく知っていて,生来人なつっこくて陽気なフランス系カナダ人の多くは,提供される,人を励ます聖書の知識に答え応ずることにより,信頼と尊敬を示しています。

      ところで,この教えは,受け入れる人々の生活にどんな影響を及ぼしているでしょうか。

      人々は助けられている

      この不安定な世界には多くの圧力があります。問題は人類すべてに関係していますが,特に援助を必要としているのは若い人々です。エホバの証人はその援助を差し伸べています。1974年7月28日のラ・パトリー紙に掲げられた,「エホバの証人に救われた麻薬中毒の若いヒッピーたち」という見出しは,ある良い成果に注意を向けています。

      その記事は,以前麻薬常用者だった四人の若者 ― 三人は男で一人は女 ― が,身を清くし,道徳上の行ないを改めてエホバの証人になったいきさつを説明しています。エホバの証人になる前とあとの姿を示す写真も載せられていて,「前の」写真には長髪でだらしないかっこうの若者たちが写っており,「あとの」写真には,きちんとした服装のしっかりした若者たちが写っています。

      アンドレ・ル・ブル記者はその記事の中で次のように述べています。「全精力を投入できる人生の目的をついに発見した,と彼らは言っているから,彼らの生き方は大きく変化したのである。……聖書の原則を日常生活の中で実行するなら,道徳行為や生活の質が向上するということを,すべてのエホバの証人が認める」。

      モントリオール生まれでカトリック教徒だった別の若者は,ギャンブルに熱中していました。彼は次のように書いています。「ある晩わたしが競馬を見に行っていた間に,義理の兄夫婦がわたしの家にやってきて,『とこしえの命に導く真理』という本を二冊妻に渡していきました。家に帰ると妻は,この体制の終わりが近いこと,エホバの側に立たない者は滅ぼされることなど,学んだ事柄をわたしに説明しました。妻はその青色の小さな本の94ページを開いて,わたしに読むように勧めました。妻はそれを読まねばならないことをわたしに納得させました。というのは,わたしは自分のゆき方にほとほと困惑し,改めなければならないことを知っていたからでした。わたしは夜も寝れないほど良心に責められていました。

      「翌日わたしはその本を読み,その日の晩に,聖書の勉強の援助を義兄に頼みました。現在では,妻と共にエホバの証人に加わったことをうれしく思っています」。

      こうした経験は,エホバの証人の伝道や教えるわざによって助けられた人々の経験のほんの一部にすぎません。このような喜ばしい例はまだいくらでもあります。

      多くの人々の心を動かすのは,エホバの証人のどのような訴えでしょうか。それは,エホバ神とみ子キリスト・イエスの政府が,誤りの多い現体制から地の支配をまさに引き継ごうとしているという,簡明な音信です。この政府は,その新秩序に住む資格のある人すべてが幸福になりまた命を得る結果をもたらす変革を行ないます。

      ケベックではすでに喜ばしい変化が見られましたが,最も大きな変化は神の王国を通してこれから訪れます。エホバの証人はすべての人に,彼らに加わって,愛の神エホバ,そして人類に対する神の偉大な目的に関しさらに多くのことを学ぶよう勧めています。聖書は次のように述べています。『悪しきものの謀略にあゆま……ぬ者はさいわいなり……かかる人はエホバの法をよろこ(ぶ)……そのなすところ皆さかえん』― 詩 1:1-3。

  • あらゆる機会に良いたよりを宣べ伝える
    目ざめよ! 1975 | 6月22日
    • あらゆる機会に良いたよりを宣べ伝える

      ● 「私は以前の不動産業をタクシーの運転手に切り替えて,よりよい奉仕ができるよう調整できましたので,このように奉仕に励むことができました。しかし今でこそ一緒にバプテスマを受けた妻と共に毎月欠かさず一時開拓奉仕を楽しみ,更に共に正規開拓奉仕者としてエホバに用いていただきたいと日々祈れるより恵まれた立場に立つことができるようになりましたが,これまでには時として奉仕が続けられるだろうかと思ったこともあり,一度は開拓奉仕をやめようと思ったこともありました。なぜかと言うと,私は家族との生活を支えるため,一か月250時間以上働かなければならない事情のもとにあったからです。ですから,そうした中での聖書の個人研究と二人の子供との研究,そして外の人との研究,更に週二回の午前中の公の伝道があると,眠る時間がとても不足となりました。

      「そうした奉仕を通し,この正月の活動で得たすばらしい経験は私自身に大きな励みとなっています。私の奉仕の方法について説明しますと,私の伝道報告の時間の半分以上は非公式の証言によるものです。それはほとんどタクシーの営業中車内でなされます。『どうぞ』と言ってドアを閉めて,互いに良い関係さえ保てれば,好きな話題を取り上げて話し合える状況ができあがります。これは王国伝道にはとても都合のよいものです。短い時は5分,長い時は1時間以上の証言となることもあります。このようにして初めのうちは月に小冊子20冊位,そして12月には小冊子を60冊も配布できました。

      「そして更に,巡回監督の訪問の正月活動において巡回監督から訓練を受け,同じ立場に立って誠実に相手の問題を考えて伝道するということを学び大いに励まされました。午後から世俗の仕事のタクシーに乗り,おりからの神社への初もうで客を早朝1時過ぎまで乗せ,連続してほとんどの乗客に証言し,『見よ!』の小冊子25冊を手渡すことができました。しかもうれしいことに,そのようにして聞いてくれた人の中に,公開講演への出席を申し出た二人の青年と,『ものみの塔』を読んで良いと決めてから自分で協会に手紙を書きもっと深く調べたいと申し出た女性もあり,大いに励まされました。

      「私はこの経験から多くの人々は,正月には一年中で一番,神ということに注目していることに気付きました。それで正月はとても伝道のしやすい時であることを学びました。エホバ神は私たちにはとても難しいと思えることでも思い煩わずに励むならたやすいことにしてくださることを知りました」。―エホバの証人の巡回大会で語られた経験。

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