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苦境に立つ草原の農夫目ざめよ! 1970 | 6月22日
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ことができるだろうか。他国も同じ問題をかかえ,彼らもまた血まなこでそのはけ口を求めているのである。即時解決する方法はないようだ。なんという矛盾だろう! 穀物の豊富な国は,穀物が多すぎるために特定の品物に不足しており,食料不足で飢えている国は,至るところに食料のあり余るのを見るが,自分たちの食卓には何もない。ソロモン以上の知者でなければ,この問題を解決することは不可能である。
どうすべきか
政府がどんな解決策を試みようと,ひとつのことは確かなようだ。それは,これまでの,農民-政府関係の概念を根本から再検討し,大幅に変える必要があるということである。農民はもはや一種類の作物を作るだけではやっていけなくなった。多角農業が,従来とは完全に異なった状況下で再現するかもしれない。しかし,現在ほとんどの国に見られる,“ごちそうか,ききんか”の状態を終わらすには,なんらかの国際的統制が必要だろう。
競争方式は,とくに農産物にかんするかぎり,その有用性を失った,と見る向きが多い。国際諮問機関,すなわちまったく信頼でき,公平かつ公正で,しかもだれが,どこに,何を植えるかを世界的な規模で注意深く調節しうる機関の必要を多くの人は力説する。しかし残念ながら現在のところは,そのような機関を,政界や経済界に求めることができないのが実状である。
このこじれた問題を解決する人はたしかに賢明な為政者といえよう。草原農夫の窮境が人間の努力で早急に解決される希望は期待できそうにもない。
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ヒンズー教の国インドで目ざめよ! 1970 | 6月22日
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ヒンズー教の国インドで
◆ ヒンズー教徒の多くは自分たちの哲学を大いに誇り,また,あまりにも迷信にとらわれているため,聖書を学んで,あらかじめしるされていたエホバ神のお目的を知るという有意義な勉強にはなかなか応じません。しかし,こうした人々のあいだにも進歩は見られます。インドのエホバの証人全体の6%はかつてヒンズー教徒でした。キリスト教世界の奉ずるまちがった教理や,そのよこしまな慣行は,誠実なヒンズー教徒に偏見をいだかせる大きな原因となってきました。かつてキリスト教世界の教会は,「網」の役割をなし,「魚」で表わされる多くの信者を集めたようです。キリスト教世界の教会によって集められたそれら信者の中から,神のみことば聖書と神のお目的をよりよく理解したいと願う多くの人が見いだされているのです。それらの人は,「きたれ,……価なくして生命の水を受けよ」という招きに答え応じています。そして,真理を見いだして理解し,『神を知り,主イエスの福音に服う』ことにより幸いを得ました。事実,インドのエホバの証人のうち,93%はかつてキリスト教世界のさまざまの教会と交わっていました。25%はカトリック教会に属していました。最近,ものみの塔協会インド支部に寄せられたつぎのような経験はこのことをよく物語っています。「わたしはかつてカトリックの司祭でした。……神学校当時,アラミア語を学んだところ,三位一体・キリストの神性・地獄・練獄その他カトリックの教理にどうしても納得できませんでした。わたしは聖書に合致する真理を求めてカトリック教会を去りました。現在わたしは,エホバの証人の開拓奉仕者の訪問をしばしば受けており,真理の道を歩みたいとの気持ちがいよいよ強められています。そして過去10年間,つたないながらも自分で聖書を研究して得たわたしの考えが,エホバの証人のこうした基本的な教理にたいへん近いものであることがわかりました。そして現在わたしは,このたいへん整ったエホバの証人の組織の詳細およびその原則についても学んでいます。『とこしえの命に導く真理』『聖書はすべて神の霊感によるものにして益あり』『新世界訳聖書』『大いなるバビロンは倒れた』などの多くの書物を求め,『ものみの塔』および『目ざめよ!』誌を購読しています。また,日曜日には30キロの道を通って,集会や聖書研究に参加しています」。
― エホバの証人の1970年度年鑑より
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