ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • ケベックは向きを変えて前進する ― 静かな革命
    目ざめよ! 1975 | 6月22日
    • また1274年3月の「リレーションズ」は次のように伝えています。「新しく補充される司祭の数は,1968年から急激に減少し始めた。……多数の牧師が聖職を去りつつある。補充される聖職者の数も同時に最低に達した。今年の神学校新入生は三人だけである」。これは,州内の教会員の三分の一以上に相当する170万人のカトリック教徒を擁する司教管区,モントリオールでの話です。

      カトリック諸団体の会員も急速に減少しています。聖心連盟の会員は10年前は2万8,000人でしたが,現在ではわずか3,000人しかいません。

      霊的な問題や人事の問題のほかに,ケベックでは教会の維持も困難になっていて,破産寸前の状態にある教会が少なくありません。

      モントリオール市内でも幾つかの有名な教会が取りこわされ,その地所は他の目的のために使われています。その一つは,アンエルス通りにあるノートル・ダム・アレクサンドリエ教会です。この教会の場合,司祭のバンジャマン・トレンブラは,自分の教会が解体屋の手で取りこわされてゆくのを見て喜びました。しかし,なぜ喜んだのでしょうか。

      人々のうわさによると彼は,今後教会はこの地区で社会的,経済的生活を営んでいかなければならないが,新しいセンターは,それが立っている,経済的に貧しい地区を助けるものとなるだろう,と言ったということです。それ以前にも同司祭は,「白象」のような教会は売ったほうがよい,と言っていました。モントリオールでは,1967年以来11の大きなカトリック教会が閉鎖され,他にもたくさんの教会が売却されるか解体されることになっています。

      カトリック衰退の原因

      いったいどうしたのでしょうか。カトリックの勢力のこの劇的な衰退はどんな原因によるのでしょうか。

      カトリックの指導力に対する不信は,人々の心を非常に不安定な状態にしましたが,これはケベックだけに限られたことではありません。U・S・カトリックの位階制のイエズス会士であり評論家であるアンドリユー・M・グリーレーは,次のような意見を述べています。「正直なところ,教会の指導力は現在,道徳的,知的,宗教的な面で破産状態にある,とわたしは信じている。われわれには方向感覚を与えうる指導者がいない」。

      「カナダ70」の社会学者たちは,ケベックの教会内部に「大きな断絶感」があることを発見しました。「この断絶感が非常に大きくなったために,平信徒は,教会の位階制内部のほとんどすべての動きを疑惑の目で見るようになった」。

      前出のレオ・ブレ司教も,僧職者たちをやり玉に挙げました。同司教によると,モントリオールの教会内で混乱を引き起こしているのは,一部の司祭たちです。「彼らの心を混乱させ,多数のカトリック教徒に道を誤らせたのは,われわれが規律に欠け,また不従順であるためである」と,ブレ司教は述べています。

      「教会は死んでいるか」

      モントリオールのフランス語の新聞ラ・パトリーは,「教会は死んでいるか」という質問を見出しに掲げました。

      これに対し,司祭のユベール・フラルドーは次のように答えました。法王たちや司教たちは,「教会が世俗的なものではなくて霊的なものであるということを忘れていた。彼らは質の良い教会員よりも教会員の数が多くなることを望んだ。人々を教会にとどめておくには種々の規則が必要であった。人々はあまり教育を受けていなかったので,彼らは人々の頭に規則を詰め込んだ。こうした事柄,つまりいろいろな祝日,大がかりな儀式などはみな,大ぜいの人々を引きつけるために利用された」。

      彼は説明を続けます。「真のキリスト教化が行なわれなかったので,あるのは反キリスト教化である。教会が発足した当初は,人々は成人してからバプテスマを受けた。その後,すべての人はクリスチャンである,とあらかじめ仮定されるようになり,彼らは人々が生まれた時に洗礼を施した」。

      このカトリック司祭は今,真のキリスト教化,成人のバプテスマ,そして人々の間に入り込んでの宣教活動の必要を説いています。そうしたことは,エホバの証人が忠実に実行してきた事柄で,証人たちの活動が成功している大きな原因の一つです。エホバの証人は死んでいるか,と尋ねる必要はだれにもありません。彼らの行動,彼らが全世界で行なっている献身的な宣教活動こそ,ことばではなくて行ないが示している答えです。

      エホバの証人は,戸別訪問による基礎的な宣教活動をケベックの人々の間で行なっています。ケベック州,ジョリエットに住むエホバの証人,エヴェレット・カルソンは,カトリック教徒の間に,彼らが教会に対する見方を変えたことを示す証拠が何か見られるかと尋ねられたとき,こう答えました。「1970年以来,人々の態度は大きく変化しました。エホバの証人に話しかけることや,質問をしたり,教会内の変化について自分の考えを話したりすることを,余り恐れなくなりました。地獄の火や,金曜日に肉を食べることその他多くの事柄についての教えが変わって,自分たちの信仰がゆさぶられたことを,人々は少しも隠そうとはしません」。

      ケベックにおける主権同然の権力の多くを失ったとはいえ,ローマ教会が舞台から完全に姿を消したかのような印象を与えるのは間違いであることを忘れてはなりません。若い人々のほとんどは教会を支持しなくなりましたが,僧職者にせよ平信徒にせよ,古い年齢層は依然として教会に少なからぬ支持を与えています。儀式や慣習は容易にはなくなりません。

      しかしながら,1960年から1974年までの間に,ケベックは急速な変化を遂げました。「静かな革命」は,多くの有益な事柄を発展させました。

  • ケベックにおける自由の新時代
    目ざめよ! 1975 | 6月22日
    • ケベックにおける自由の新時代

      今日ケベックを訪れるとしたら,あなたはそこに何を見るでしょうか。

      あなたの目に映るのは,北アメリカの他の場所とあまり変わらない社会でしょう。カトリックが全面的に支配していた期間,人々の頭上をとばりのように覆っていた恐怖や抑圧はもはやありません。教育,仕事,家族計画,宗教などについて,人々は自分で決定を下し,司祭がそれを是認するかどうか,というようなことはもう気にしなくなりました。

      1964年以降,教育行政は政府によって引き継がれ改善されました。教育の重点は,神学や哲学ではなく,商業と技術訓練に置かれています。フランス系カナダ人の若人が商工業界に進出する機会はますます多くなっています。

      新聞その他のマスコミの媒体は,今日の諸問題を自由に研究し,研究結果を公表します。今日のケベック人は,かつてないほど多くの知識を有し,事情によく通じています。教育を受けた民衆の世論は,より良い政府を要求しています。

      最近のケベックでは,エホバの証人のような少数者も,ほかの所と同じように自由です。「静かな革命」以前には知られていなかった,知性の自由,という全く新しいふんい気があります。

      ケベックは,後進性という暗やみの中から現代社会へ大きく一歩踏み出しました。生活上の一般的な事柄に関するこうした変化により,多くの事態が改善されました。しかしもう一つ,人間が必要とする考慮すべき重要なものがあります。

      宗教的空白 ― それを埋めうるのはだれか

      社会の中核となっているものが急に取り除かれると,そのあとは必ず空白になるものです。ではケベックの場合,カトリック教会の権力の急速な衰微に続いてどんなことが生じたでしょうか。

      モントリオール・スター紙の記者ラルフ・シュレット

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする