ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 幸福であるための最も肝要な要素
    目ざめよ! 1977 | 10月22日
    • の幸福の唯一の源である,創造者エホバ神を信頼し,エホバ神に仕えることを学ばねばなりません。そうすれば,神の預言的な言葉の中に予告されている,深い満足と喜びをもたらす時代を楽しみにして待つことができます。神の預言的な言葉はこう約束しているのです。「温和な者たちは自ら地を所有し,平和の豊かさに必ずや無上の喜びを見いだすであろう」― 詩 37:11,新。

  • ボリビアにおける信仰の奇妙な混合
    目ざめよ! 1977 | 10月22日
    • ボリビアにおける信仰の奇妙な混合

      ボリビアの「目ざめよ!」通信員

      ボリビアに住む約500万の人々のうち,200万人ほどはアイマラ族とケチュア族のインディアンです。彼らはカトリックを信仰していると言いますが,先祖の崇拝した神々と“聖人”とを混同しています。およそ四世紀間もカトリック教会が存在しているボリビアに,そうした状態が見られるのはなぜでしょうか。

      カトリックの宣教師の働きに関して,ロバート・バートンは「ボリビア小史」と題する著書の中で次のように述べています。「彼らは,原住民にキリスト教を理解させようと努めるかわりに,改宗者を大勢得ることを目的として仕事を開始した。実際多くの宣教師は,キリスト教の教義と未開人の迷信的な考えとが類似しているかのように見せかけた。今日まで二つの宗教の混合が続いているのはこのためである」。

      こうした「二つの宗教の混合」が顕著に表われるのは,トドス・ロス・サントス,つまり万聖節です。キップ・レスターとジェーン・マッキールは「ディスカバー・ボリビア」と題する著書の中でこう述べています。「カンペシーノ[土着の農夫]にとってトドス・サントスの祭りは,こうした聖日を守るクリスチャンのしきたりとチュルパスにささげられる崇拝とが結合したものである」。

      チュルパスとは,チチカカ湖周辺に見られる,成形していない石で造られた円形の塔のことです。それらは本来,インディアンのしゅう長の墓であったとされています。

      カトリック教会が他の多くの異教の風習に手を加え,それらをキリスト教の風習として存続させてきたのは興味深いことです。“万霊節”も真のキリスト教に由来するものではありません。「ファンクとワグナルの民間伝承・神話・伝説標準辞典」は,“万霊節”の起源について次のように述べています。「一年のある時期(大抵年末に近いころ)に死者のための日を設ける習慣はほとんど世界中で見られるが,万霊[節]とは本来そうした習慣を真似たものである。バビロニア人は万霊祭を毎月行ない,その都度祭司によって犠牲がささげられていた」。

      初期クリスチャンたちが,死者の“魂”のための祭りをしなかったことは理解できます。霊感による聖書が,「罪を犯した魂は必ず死ぬ」と教えているのを彼らは知っていたのです。(エゼキエル 18:4,口)そうです,死者は本当に死んでおり,復活を待っているのだということを,初期クリスチャンたちは理解していたのです。―使徒 24:15。

      宗教の奇妙な混合が見られる別の例はディアブラダ(悪魔踊り)です。「太陽の門,ボリビアの将来」と題する本には,この悪魔踊りについて次のように述べられています。「それは,異教とキリスト教神話の結合に由来するもので,今なおボリビアの日常生活に広く見られる二元性の興味深い例である」。

      ボリビアの非キリスト教徒の伝承によると,悪魔は鉱山に住み,鉱物と金属の所有者とされています。炭坑労働者たちは落盤から身を守られるようにと毎日悪魔に祈願します。また,種々の伝統舞踊団(鉱山都市オルロのあらゆる階層を代表する)は,非常に派手な仮面や衣装を付け,踊りの中で悪魔の役を演じます。彼らは自分たちのために,ビルヘン・デル・ソカボン,つまり鉱山の聖母に祈願します。カトリック教徒の考える聖母とは,もちろんマリアのことです。

      カトリック教会が悪魔踊りに関係している点を指摘して,前述の「ディスカバー・ボリビア」はこう述べています。「悪魔踊りを踊る者たちは,舞踊だけでなく,多くの宗教的な儀式を仰々しく行なう。サン・フェリペ丘陵のふもとにある有名なソカボン教会では,カーニバルの間やカーニバルの後の定まったときに,まずマリアに対して敬意が払われ,それからミサが行なわれる」。

      “悪魔”の衣装を付けた人々が教会に入り,カトリックの司祭の行なう聖ざん式にあずかるのを見掛けることがあります。悪魔踊りを踊る人々は教会の中に入る際,ソカボンの聖母に次のように話しかけます。「あなたの悪魔の子供,坑道を守るいとしい母の子供である私たちは,あなたの恵みを請うために地獄からやってきました」。そして教会に来るのは,今年はこれで最後というときには,その年のためにこのような別れの祈りをささげます。「スズの山におけるように,太陽の光を注いでください。私たちの心にあなたの恵みを注いでください。いとしい母,天にいます神の母よ,来年まで私たちを保護してください。では来年まで,ごきげんよう」。

      ディアブラダが持つ二重の性格に関して,作家のマーガレット・ジョアン・アンスティーはさらにこう説明しています。「カーニバルの際に炭鉱労働者が,一年中彼らのあがめる悪魔の役に親近感を示すことによって聖母への献身を再び肯定するとき,ディアブラダの二重性に新たなゆがみが生じる。こうした二重傾向が同時に作用するのは例外的なものではなく,宗教を融合的[異なる形態の信仰や風習の結合]に受け入れる,アンデス山脈インディアンの特色がとりわけ顕著に表われた例である。新しい信仰が以前から存在する信仰を押しのけることはない。退けられるものは何もなく,新しい教義は従来の信仰の骨組みに吸収され,両者はもはや解きほぐすことができないほどに絡み合う」。

      多くの人は信仰のこうした奇妙な混合に特別動揺を感じないかもしれません。しかし重要な問題

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする