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金曜日に肉を食べてもかまいませんか目ざめよ! 1970 | 7月22日
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肉食を禁じられたとすることばは一つもないからです。それは神のご要求ではありません。事実,カトリック・バルバロ訳聖書は,「感謝をもって受けさせようとして,神が創られた食物を断てと」命ずるのは,信仰からの逸脱の証拠であると述べています。―テモテ前 4:1-4。
したがって,多くの真理探究者の目は開かれ,カトリック教会が神のみことばを堅持してきたのではないことを思い知らされました。それで,そのような教会は,はたして信頼し,支持するにふさわしいかどうかが疑われているのです。
しかしほかにも人々を動揺させているいろいろな変化があります。
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人々を混乱させる落ちた聖人目ざめよ! 1970 | 7月22日
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人々を混乱させる落ちた聖人
昨年5月,カトリック教会の典礼用公式カレンダーから多数の聖人が“落とされた”ことを報じた新聞の第一面の記事は,アメリカその他の国のカトリック教徒に大きな衝撃を与えました。“落とされた”という表現が,聖人の廃止を意味することは,多くのカトリック教徒にはっきりと理解されました。そのために広まった混乱と不満はいまだに跡を断っていません。
アルゼンチンのある前校長は言いました。「何百年来,聖人を崇拝してきたにもかかわらず,つい最近になって,そうしてはならないと教会が言うのは,理解に苦しむことです」。
オランダの一青年は,「われわれの先祖が絶えずだまされてきたのか,今度はわれわれがだまされているかのどちらかである」と評しました。
なかでも,格下げされた聖ヤヌアリスが崇拝されているイタリアの,ある地区のカトリック教徒の動揺には著しいものがあります。問題のニュースに接した一婦人は叫びました。「まあ! なんということでしょう! もう何もかもわからなくなってしまいました。わたしは聖ヤヌアリスを信じていますから,あの聖人をこれからも守りますわ」。
こうした変化は何を意味しますか。カトリック教会は今や聖人の崇拝を禁ずるのですか。宗教的なメダル類は廃棄されるのですか。
行なわれている事柄に見られる矛盾
何が行なわれているかは場所によって違います。なかには,教会堂から聖人の像が取り払われているところもあります。たとえばカナダのカトリックの一婦人は嘆きました。「何もかも変わりました。いろいろな像が取り去られ,私たちの教会では聖母マリアさまさえ運び出されてしまいました」。
ところが,公式には,“落ちた”つまり格下げされたにもかかわらず,人気のある聖人が依然として崇拝されているなど,ほとんど変わりのないところもあります。南米のあるカトリック教徒は述べました。「教会の言明はあいまいです。なぜなら,教会は,町の守護聖人を崇拝するのは今後ともなんら悪いことではない,としているからです」。
多くの人は首をかしげざるをえません。教会が,ある場所では像の使用としてそれを廃棄
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