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出発当初の人類に対する神の支配権ものみの塔 1973 | 2月1日
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の恩恵によります。であれば,創造者である神を無視して,われわれ人類が意のままに地を治める権利がある,などと考えるわたしたちはいったい何者だというのでしょうか。ところが,人類の歴史は,人間が実にそうした態度をもって,幾千年にわたり地を治めてきたことを示しています。人類は,人が最初に創造された当時,神の支配を享受していました。今日,人類は,神を無視し,神の支配権を侮る人間の支配の下で苦しんでいます。不完全な人間の支配者は,あらゆる国民が,自分たち,すなわち人間の支配者と同様に人間の支配のみを頼りとし,神の支配権を侮ることを望んでいます。過去のどの時にもまして,わたしたちが決定を迫られている問題は,神の支配権 ― わたしたちはそれを支持するか,それともそれに反対するか,というものです。それを支持することは何を意味しますか。わたしたちがそれに反対するなら,わたしたち自身とわたしたちに依存している人たちにどんな結果が及びますか。この点を調べてみることにしたいと思います。なぜなら,わたしたちは自分と自分に関係ある者たちとに幸福となる道を選びたいと思うからです。
神の支配権に反対する人びとのたどる道
8 (イ)神の支配権に反対する人びとには,どんな仲間のあることが考えられますか。(ロ)彼らは神の支配権に対する敵意が常に存在していたかどうかに関し,何を認めねばなりませんか。
8 今日,神の支配権,すなわち,地に対する神の支配権に反対する者には大勢の仲間がいます。おそらく自分で知っているよりも,あるいは気づいているよりもはるかに多くの仲間がいるでしょう。その中には,彼らが,自分たちの側にいて自分たちと関係をもっているということを認めたくない者もはいっていることでしょう。これはどういう意味ですか。彼らは唯物論的な考えを抱いているために,霊的なものの存在をいっさい認めず,霊者である神の存在さえも否定します。少なくとも,神や,知性を持つ他の霊者の実在について真剣に考えません。彼らがそうした意見や態度を持つ,理にかなった根拠は実際には何もありません。それにもかかわらず,明白な事実に目をつぶったまま,自分の考えを固執しているのです。しかしながら,彼らは神の支配権へのこの敵対には始めがあったことを認めざるをえないでしょう。それが6,000年前に始まったことを証明する歴史の記録があります。それは人間から始まったのではありません。人間はそれに巻きこまれたのです。
9 (イ)神の支配権に対する反抗はだれから始まりましたか。だれの苦しい経験は,その者が実在することを証明しましたか。(ロ)ヨブはだれの支配権を支持しましたか。それでサタンはヨブの何を試みることを望みましたか。
9 では神の支配権に対する敵対はだれから始まったのですか。それは,へびのような,人類より下等な生き物からではなく,神が族長ヨブに『神の子たち』として語った者たちのひとり,人類より優れた被造物から始まりました。(ヨブ 38:7)ヨブは,この神の支配権への敵対を始めた者のために,苦しい経験をしました。彼は,その者の名がサタンであることを教えられました。ヨブの話したことばでは,サタンという名は,「反抗者」ということと同じでした。しかし,だれに反抗する「反抗者」なのですか。いうまでもなく,神に反抗する反抗者です。ヨブは神の支配権を支持していました。サタンは,神の支配権を擁護するヨブを滅ぼそうとすることにより,自分が神に反抗していることを証明しました。サタンは,神ご自身にとって想像上の者でないのと同様に,ヨブにとっても想像上の存在ではありませんでした。ヨブの厳しい経験が終わったのち,彼の苦難と試練に対してだれに責任があるかを神はヨブに明らかにされました。それはこのサタンでした。サタンは天における「神の子たち」の集会に出たことがありましたが,彼はその場で神に,ヨブから保護を取り去り,神の支配権に対するヨブの忠誠を自分に試みさせてほしいと頼みました。
10 行動の自由が与えられるなら,ヨブに何をさせることができるとサタンは主張しましたか。ヤコブ書 5章11節は,ヨブがそれに屈服したかどうかについて何を示していますか。
10 自分に行動の自由が与えられるなら,神をあからさまにのろうようにヨブを仕向けることができる,とサタンは主張しました。これは西暦前17世紀という昔のことでした。ヨブの忍耐と忠実の試みは聖書のヨブ記に記録されており,わたしたちはそれを読むことができます。サタンは,神に反抗する者たちの,神の支配権に反対する陣営に,ヨブを強制的に加わらせることに成功したでしょうか。その時から16世紀以上たってから,イエス・キリストの異父兄弟でクリスチャンの弟子であったヤコブはこのことについて次のように書きました。『視よ,我らは忍ぶ者を幸福なりと思う。なんじらヨブの忍耐を聞けり,〔エホバ〕の彼に成し給いし果てを見たり,すなわち〔エホバ〕は慈悲ふかく,かつあわれみあるものなり』― ヤコブ 5:11〔新〕。
11 ヨブが神に向かってのろうことをしなかったために,神がサタンに勝を得たことを記録はどのように示していますか。
11 ヨブの場合,エホバ神はサタンに対して勝ちを制しました。サタンは偽り者であることが実証されました。どうしてですか。サタンがヨブに試練をもたらしたときのことを,記録はこう述べています。『この事においてヨブは全く罪を犯さず神にむかいて愚かなることを言わざりき』。彼の妻は,ヨブの状態が絶望的となり,彼に対する望みを断念したとき,『汝はなおも己を全うして自ら堅くするや 神をのろいて死ぬるにしからず』と言いました。しかし,ヨブは彼女にこう言いました。『汝の言うところは愚かなる女の言うところに似たり 我ら神より福祉を受くるなれば災禍をもまた受けざるを得んや』。故に,『このことにおいてはヨブまったく そのくちびるをして罪を犯さざりき』と記録されているのです。最後に,ヨブのために事態を逆転させる前に,エホバはヨブの3人の偽善的な批評家に次のように言われました。『我なんじと汝の二人の友を怒る そはなんじらが我につきて言い述べたるところは わがしもべヨブの言いたることのごとく正しからざればなり』。(ヨブ 1:1-22; 2:9,10; 42:7,8)これは実際にはサタンに対する叱責となり,彼は中傷者,すなわち悪魔であることを暴露されました。
12 ヨブの時代からどのくらい前に,そしてどこで,神の支配権に対する論争は提起されましたか。結果として,神の創造の七日目すなわち安息日はどうなりましたか。
12 こうして,この歴史上の人物,ウヅの地のヨブは,全能の神であるエホバへの忠実を守り通しました。ヨブは神の支配権を支持しました。しかし,サタン悪魔が神の支配権に関する論争を提起したのは,ヨブの試練よりも2,400年以上前のことです。つまり,エホバが,ウヅの地から北東数百キロの所にエデンの園を設けてまもなくのことです。エホバはその喜びの楽園の中に,神の支配権に服して生活し,仕えるよう最初の男と女を置かれました。それはエホバの創造の第七日目の初め,つまり西暦前4,026年ごろで,今から約6,000年前に当たります。(創世 1:28から2:3)この創造の第七日目,すなわち,地的な創造に関するエホバの大安息日は,天と地のすべての創造物が神の支配権に忠節に服し,平和にすぎて行ったでしょうか。今日の人類の経験に照らしても,また過去6,000年にわたる地上の歴史を振り返ってみても,答えは否です。エホバのこの大安息日の平穏な状態は,ほとんどその当初から乱されはじめました。
13 ひとりの天の「神の子」は,どのように自らを誘惑する原因をつくりましたか。それは彼を何に引き入れましたか。
13 その重大な時に,エホバがエデンの園で男と女を創造するのを目撃した天の『神の子たち』のひとりは,自分の心に利己的な欲望を取り入れ,その欲望に引きずられ,唆かされるままに神の支配権から離れてゆきました。彼は,この人間夫婦に対する神の正当な支配権をそねみはじめました。神はふたりに,幸福な大家族を育てあげて全地を満たし,エデンの楽園を地の果てにまで広げるよう命令したのです。(創世 1:26-28)この天的な「神の子」は,今や自分の生んだ誘惑のとりことなり,その最初の人間夫婦と,地を満たすその家族とに対する支配権を得ることを望むようになりました。彼はその利己的な欲望を培い,その欲望は熟して罪を生むに至りました。その罪は,すべてのものの神聖なる支配者である至高者,全能の神エホバに対する反抗の道を彼が取りはじめたことでした。このようにして,この天的な「神の子」は自らをサタンに,つまり反抗者に変えてしまいました。この点に関し,神が天の,あるいは地のだれかを悪へ,よこしまな道へ誘惑したかのように,神を非難することは決してできません。―ヤコブ 13:1-15。
14 エデンでのサタンは,エホバのみまえにおける「神の子たち」の集会の時よりもどのようにちがった方法で事を始めましたか。どのようにエバに耳を傾けさせましたか。
14 その時エデンの園において,エホバ神の前に神の天の子たちが集まったとは記録されていません。また,サタンが自分の心を明らかにし,ヨブの時のように,エデンの園にいるアダムとエバの周辺から保護を除き去るよう至上の支配者エホバに願ったわけでもありません。その時,生活の全領域にわたって,悪はなかったのですから,最初の人間夫婦が保護を必要とするものは何もありませんでした。したがってサタンは,アダムとエバに攻撃をかけてふたりを試み,神の支配権に服するそれら地上の臣民が神に対して罪を犯すようにさせるため道を作ってくださいと,エホバに願う必要はなかったのです。自らの誘惑に屈した彼は,アダムとエバの前に誘惑をしかけることにより,自ら大誘惑者となりました。自分の利己的な意図を神の天の子の他の者たちにはだれにも知らせず,卑劣にも偽装を用い,こうかつにもエデンの園にいたヘビを見かけは無害の手先として操ってわなをしかけました。女エバは,人間として完全であったにもかかわらず,自分を誘惑するため,目に見えない霊者であるサタンがへびを通して腹話術を使っていることに気づきませんでした。そのため,聴くのを拒む代わりに,聴いてしまいました。
15 サタンはどのようにして自分を悪魔に変えましたか。また,どんな道を歩むようエバを感化しましたか。
15 神の反逆的な子となったサタンはへびを使って,善悪の知識の木に関する神の律法を攻撃し,神がご自分の神聖な支配権を悪用しているかのように見せかけました。こうしてサタンは,禁じられた木の実を食べることに関するご自分の律法を破る行為に対して,神は罰を執行することはできない,つまり,神を偽り者であるとすることにより,自らを中傷者を意味する悪魔に変えました。エバは神の支配権を侮り,人間の自治を行なうことにより死ぬでしょうか。死ぬことはない! と,サタン悪魔はへびを通して言いました。『なんじら必らず 死ぬる事あらじ神なんじらがこれを食らう日にはなんじらの目開けなんじら神のごとくなりて善悪を知るに至るを知りたもうなり』。今日わたしたちが肉眼で悪魔サタンを見ることができないのと同様,エバも彼を見ることはできませんでした。禁じられたものに対する新たに形づくられた利己的な欲望に引きずられ,唆かされるままに,彼女は神の支配権に疑いを抱き,神の律法を破ることにより人間の罪を生む者となりました。サタン悪魔は,エバが次に自分のかしらである夫アダムに,禁じられた実を自分とともに食べるよう説得を試みるであろうことを知っていました。―創世 3:1-6。
16 アダムはどのようにして,禁じられた実を手にするようになりましたか。どんな基本的な問題にかんして決定をしましたか。その決定はだれに影響を及ぼしますか。
16 エバは自分とともに違犯に加わる者を求めていました。自分の夫が自分の側に加わるよう望みました。彼はエバの勧めで禁じられた木から実を取ったのではありません。妻が彼に実を差し出したのです。彼女の声はこのうえなく哀願の響きを帯びたものとなり,禁じられた実を自分といっしょに食べるよう彼を誘惑します。彼女は惑わされていたため,それが彼を殺すことになるとは考えませんでした。こうして,アダムは全人間家族に影響を及ぼす決定を迫られました。彼は,自分自身のためのみならず,自分の腰にあるこれから生まれてくる子孫のためにも決定をしなければならなかったのです。彼は,神の支配権 ― 自分はそれを支持するか,それとも反対するか,という重大な問題に直面しました。禁じられた実を食べると死を招くことになるという,み父の警告の声に聞き従う代わりに,アダムは妻のことば巧みな声に聞き従いました。彼は,「へび」は偽り者,神は真実なかたと証明する道を選びませんでした。反対に,自分の妻を喜ばせる道を選び,彼女の手から,禁じられた実を受け取りました。―創世 3:6,12,17。
人類は悪魔の支配下に入れられた
17,18 (イ)アダムはだれの支配を支持することを決定しましたか。そしてだれの側につきましたか。(ロ)使徒ヨハネはアダムの長子がだれの支配下にいたかをどのように分析していますか。
17 ここにおいて,神の支配権に対する地上の反抗が始まったのです。人間家族の地的なかしらアダムは,人間の自治を支持する決定をしました。同時に,自分ではその時気づいていなかったのかもしれませんが,別のあるものを支持する決定を彼は下していたのです。妻エバと同じく,口をきく「へび」を動かす背後の力であるサタン悪魔を,彼は肉眼で見ることはできませんでした。しかしそれにしても,彼が神の支配権に敵対するサタンの支配権を支持する決定をしていたことに変わりはありません。アダムとエバはその時から,神の支配権,神権支配に敵する,サタン悪魔の側につくことになりました。そのために,アダムとエバは喜びの楽園から追い出され,神ののろいの宿る外の地で家族を生み出すことになりました。彼らの長子カインは,神を恐れる弟アベルを殺害し,自分がだれの支配下にいるかを明らかにしました。(創世 3:17から4:16)この点を指摘しながら,使徒ヨハネは次のように書いています。
18 『われら互いに相愛すべきは汝らが初めより聞きし音信なり。カインにならうな,彼は悪しき者よりいでて己が兄弟を殺せり。何ゆえころしたるか,己が行ないは悪しく,その兄弟の行ないは正しかりしによる』― ヨハネ第一 3:11,12。
19 カインの場合と同じく,今日の人類は神の支配に服していないことをどのように示していますか。
19 これは神の支配権に逆らうことによりどんな重大な結果が生じるかを例証するものです。今日,兄弟が互いに殺し合う兄弟殺しが見られますか。それが非常な規模で見られること,特に世界戦争が起きるときには顕著に見られることをだれひとり否定できません。現代のこの世の知恵を身につけた知識人は,サタン悪魔はそのこととなんら関係がないと言うかもしれません。しかしわたしたちは,それら自説を頑固に主張する人たちよりも権威のある源から,より確かな知識を得ています。今日,兄弟を憎む者また兄弟を殺す者は,カインやアベルの時代と変わりなく,やはり同じ邪悪な者から出ています。ただ,地上の人間家族の第一世紀当時よりも,今日のほうがその数が多いというだけのことです。そうです,使徒ヨハネが兄弟に対する愛と憎しみについて先程のことばを記した,キリスト教史の一世紀当時より多くなっています。したがって今日人類は単に人間の支配下にいるだけでなく,自分にはわからなくても,同時にサタンの支配下にいるということを示す圧倒的な証拠があります。兄弟愛の欠如の増大は,人類が神の支配に服していないことを証明するものです。ヨハネ第一の書 4章8,16節には,『神は愛なり』と述べられています。
20 だれの時代に人類に対するサタンの支配はとぎれましたか。その時までどのような人たちが神の支配権を支持しましたか。
20 アダムとエバが神の支配権に敵する立場を取った日から今に至るまで,人類に対するサタンの支配のとぎれた時が,短期間ではありましたがただ一度だけあります。それは,アダムの家系の10代目の族長ノアの時代のことです。ノア以前には,忠実な殉教者アベルが,彼の崇拝した神の支配権を支持しました。アダムから7代目の預言者エノクも神の支配権を支持しました。エホバ神は明らかに,エノクが不敬虔な反対者によって殺されることがないようにと,奇跡的に彼を地上から取り去られました。それは彼がちょうど365歳のときのことでした。(創世 5:18-24。ヘブル 11:4,5。ユダ 14,15)ノアがだれの支配権を支持したかは,創世記 6章9節の記録から明らかです。こう書かれてあります。『ノアの伝はこれなり ノアは正しき人にてその世の完全き者なりきノア神とともに歩めり』。
21 (イ)イエスのどの預言に照らしてノアの時代に存在した状況を調べてみるのはよいことですか。(ロ)創世記の記録は,ノアの洪水前の時代に神の支配権が認められていなかったことをどのように示していますか。
21 ノアの時代の世界情勢が,彼が600歳になるまでにどのように展開していったかを今日調べてみるのは有益なことです。なぜですか。なぜなら,「事物の体制の終結」における世界情勢についての預言の中で,イエス・キリストは次のような意義深い説明をされたからです。『ノアの時のごとく人の子の来たるもしかあるべし。かつて洪水の前…人々は…洪水の来たりてことごとく滅ぼすまでは知らざりき,人の子の来たるもしかあるべし』。(マタイ 24:3,37-39)洪水以前の当時行なわれていた食べたり,飲んだり,結婚したりすることのほかにも,神が全地を襲う洪水をもたらさなければならない事態が存在していました。それは創世記 6章11,13節に述べられている事柄で,そこにはこう記されています。『時に世神のまえに乱れて暴虐世にみちたりき 神ノアに言いたまいけるはすべての人の終りわが前に近づけり そは彼らのために暴虐世にみつればなり 視よ我彼らを世とともにほろぼさん』。このことから,神の支配権が認められていなかったことは明りょうです。
22,23 (イ)洪水前の時代に,サタンの支配は女を『とつがせなど』したことと関連してどのようにその力を増し加えましたか。(ロ)天使と人間の結婚から生まれたネピリムが,人類にとって道徳的に助けとならなかったことは何から明らかですか。
22 洪水前の時代に,人間家族に対するサタンの支配は力を増し加えることになりました。どのようにしてですか。イエスは,ノアの時代に触れたさい,『とつがせなどし』と述べておられます。(マタイ 24:38)当時とついだ女の中には,創世記 6章4節で『神の子たち』と呼ばれている者たちの妻になったものが多くいました。その者たちは,かつてサタン悪魔がそうであったように,天的な「神の子」でしたが,結婚の相手になる,人のむすめの『美しさ』のゆえに,地上に下ってそこに住むよう誘惑されました。
23 そこで,それら天的な『神の子たち』は,化肉して人間の姿を取り,『その好む所の者を取って妻としました』。おのおの二人以上の妻をめとったことでしょう。そうした天使と人間の結婚から生まれた子孫の中には,聖書がネピリムと呼ぶ者たちがいました。それは,「打ち倒すもの」,すなわち,だれかを,または何かを,力ずくで倒す者という意味を持ちます。彼らは『勇士にして古昔の名声ある』者でした。(創世 6:1-4)それら混種のネピリム,あるいは打ち倒すものが,純粋な人種にとって少しも道徳的な助けとならなかったのは明らかです。なぜなら,聖書はその後の状態について,地は乱れ,暴虐が満ちたと告げているからです。これは明らかに,『神の子たち』である天使が,性的な満足を得るために「人の女子」と結婚することにより,罪深い行動をしていたことを証明するものです。
24 (イ)それらの結婚した『神の子たち』は罪を犯しましたか。だれの側につきましたか。(ロ)洪水の時,ネピリムはどうなりましたか。結婚した『神の子たち』はどうすることを余儀なくされましたか。
24 それら神の天の子たちが,目に見えない霊的な身分,また天界の神の奉仕における自分たち固有の住みかを去ることにより罪を犯したことは,聖書に明確に述べられています。(ペテロ前 3:19,20。ペテロ後 2:4,5。ユダ 6)そういうことをした彼らは疑いなく,天においても地においても,神の支配権に反対するものでありました。つまり,サタンの支配の側に,その下にいたのです。彼らの混種の子孫ネピリムは,世界的な洪水のさい生き残りませんでした。そのうちのひとりとして,ノアと彼の三人の息子の作った大きな箱舟には入れられませんでした。母親が人間であったために自らも人間であった彼らは,地の親族とともに洪水でおぼれ死にました。彼らの父である天使たちは自らを非物質化し,不承不承,やむなく天の領域に消えて行きました。そこで彼らはサタン悪魔を自分たちの支配者として,彼に加わることを余儀なくされたのです。
25 サタンの支配はどのように中断しましたか。人類は何のもとで新たに出発しましたか。
25 この世界的な洪水は,人間家族に対するサタンの支配を中断しました。大洪水の間箱舟の中にいた,ノアとその妻,彼の三人の息子と三人の義理の娘は,みな神の支配権を支持しました。彼らは全地をおおった大洪水を生き残りましたが,神の支配権に反対した人たちはことごとく洪水ででき死しました。その結果,ノアと,彼とともに生き残った者たちが箱舟を出て,清められた地を踏んだとき,人間家族は再び神の支配権の下にあったことになります。その証拠に,エホバ神は神聖なる支配者としてノアとその家族に,エデンでアダムとエバに告げたこと,すなわち,明示された神の特定の律法に従って地を自分たちの子孫で満たすよう命令しました。(創世 6:13から9:7)こうして人類は,神の支配権の下に二度目の出発をしたのです。
26 神が今日の地の状態に,より大きな関心を当然示すべきであるのはなぜですか。神がこれに対して,ノアの時代と同様に,何かをなさるかどうか,わたしたちはどのように知ることができますか。
26 地が乱れ,暴虐の満ちた,洪水前のノアの時代の状態が聖書に記されなければならなかったのであれば,この20世紀におけるより大規模な地の乱れ,より広範に及ぶ暴虐は当然言及されなければならないはずです。創造者なる神は,ノアの時代よりはるかに深刻な現代の世界情勢に対し,ノアの時代ほどには関心を示されないでしょうか。一貫性という規準に照らしていうならば,神は現代の情勢に対しはるかに深い関心を示すべきであり,天と地の創造者として何かの手段を講じなければなりません。神の忠実なみ子イエス・キリストは,神がそうすることを預言しました。
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神の支配権 ― わたしたちはそれを支持しますか,それとも反対しますかものみの塔 1973 | 2月1日
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神の支配権 ― わたしたちはそれを支持しますか,それとも反対しますか
1 (イ)洪水後,人間の支配はどのように組織しはじめられましたか。(ロ)人類を支配するサタンの力はどのように強化されましたか。それ以降の歴史に,悪霊の存在を示すどんな証拠がありますか。
今日の諸事実は,人類が神の支配権を支持していないことを証明するものです。なぜなら,洪水後2世紀も経過しないうちに,人間の支配が,エホバ神に反対する人間の支配者たちによって組織されはじめたからです。この点で顕著な人物は,バビロンとバベルの塔の建設者ニムロデです。(創世 10:8-12; 11:1-9)彼らはそうすることにより,大多数の人類を,圧制的で不完全な支配権の下に置いただけでなく,サタンの支配下にも置いていたのです。サタン悪魔の力は,神の主権に逆らい,人の娘と雑婚した他の『神の子たち』によって強大なものとなっていました。彼らはサタン悪魔と同じく自らを悪霊としました。サタン悪魔とその悪霊は神話中の人物で,想像上の存在であるとして嘲笑する,今日の唯物論的な考えの人は,すべての古代の歴史の記録を消し去ることはできません。文書の形で,あるいは神殿や宗教に関係のある他の廃虚に残っている古代の記録はすべて,古代の諸国民が悪霊を崇拝し,悪霊から影響を受けたことを証明しています。悪霊は実在するのであり,現に存在しているのです。
2,3 (イ)そのような歴史的証拠よりも,どの筋からの情報のほうがもっと重要ですか。そしてそれは悪霊についてどのように述べていますか。(ロ)パウロは悪霊を警戒するよう,エペソびとにどんな助言を与えていますか。
2 しかしそれより重要なことに,神聖な真理の本,霊感を受けた聖書は,それら悪霊と彼らの指導者サタン悪魔について,明確な情報を与えています。その本は,それら悪意に満ちた,目に見えない,血肉を備えていない霊者の術,そのこうかつな企てと陰険なもくろみについて,わたしたちに警告を与えています。今日の人々は,キリスト教世界の人たちをも含めて,クリスチャン使徒パウロがエペソの会衆に書き送った手紙の中で,すべてのクリスチャンのために与えた次の忠告を真剣に考慮しようとはしません。
3 『悪魔の術に向かいて立ち得んために,神の武具をもてよろうべし。我らは血肉と戦うにあらず,政治・権威,この世の暗きをつかさどるもの,天の所にある悪の霊と戦うなり』― エペソ 6:11,12。
4 (イ)このことばは,サタンの組織する活動について何を示していますか。それでイエスとパウロはサタンを何と呼んでいますか。(ロ)そういう者の部類に入れられると人間の支配者たちはどんな反応を示しますか。しかし,だれがそう言うのですか。
4 わたしたちはこの真意を理解しているでしょうか。これは,サタン悪魔が目に見えない,超人的な組織を擁していることを意味しています。サタンが,天の所にある悪の霊を組織し,彼らを「政治」,「権威」,『この世の暗きをつかさどるもの』としていることを意味しています。見ることのできないこの組織された勢力は,巨大な軍事力を有する共産圏の諸国家よりも強大であり,富んだ民主主義陣営の諸国家がそのすべての軍事力をもってしても及ばない勢力です。真実を知っておられるはずのイエス・キリストは,悪魔であるサタンを,『この世の支配者』と呼びました。クリスチャン使徒パウロは,サタンを『この事物の体制の神』と呼びました。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11。コリント後 4:4,新)地上の諸政府は,そんなことを言われては自分たちの威信が傷つくとして,わたしたちの口を封じることを願うかもしれません。しかし,わたしたちは,イエス・キリストと彼の使徒パウロが聖書の中で述べていることを引用しているにすぎません。彼らは,自分たちがそうした者の仲間であることを聖書から指摘されることを好みません。しかし,わたしたちがその関係を定めたのではありません。いずれにせよ,諸政府がエホバ神による神聖な支配権を支持していないのであれば,彼らはほかにどこに立場を取れるというのでしょうか。
神の支配権は現在どのように表わされているか
5 (イ)神の支配は今日だれを通して表わされていますか。(ロ)イエスの時代に地上で人々はどんな問題に直面しましたか。彼らはどんな問題を解決しなければなりませんでしたか。
5 わたしたちは,自分が神の支配権を支持しているか,あるいはそれに反対しているかを知りたいと思いますが,その支配権は今日どのように表わされているのでしょうか。現在,神の支配権は,神の忠実な天のみ子,イエス・キリストの王国を通して行使されています。イエス・キリストは血肉を備えた地上の完全な人間として,ウヅの地に住んでいた古代のヨブと同様,サタン悪魔と地上で彼のために行動する人間との手にかかり,最も厳しい試練に耐えました。それによって彼は,神聖な支配者としてのエホバ神に,絶対に破れることのない忠誠を実証しました。ヨブはサタン悪魔の手にかかって死んだのではありませんが,イエス・キリストは,地上にいるサタンの仲間たちの手による残虐な死にあいました。それはエルサレムの城壁の外で生じ,エルサレム,およびローマ領のユダヤとガリラヤの住民が関係していました。それら信心深い人々が当時直面していた問題は,エホバ神のメシヤを通しての神の支配権に関するものでした。エホバのメシヤを待ち望んでいた彼らが解決しなければならなかった大きな問題は,ダビデ王の子孫であるイエスは待望のメシヤかどうか,というものでした。
6 (イ)イエスが言ったことやしたことは,人々が真のメシヤに期待していたこととどのようにちがっていましたか。(ロ)人々はメシヤにかんする問題をだれに解決してもらおうとしましたか。どんな罪で彼らはイエスを異邦人の総督に渡しましたか。
6 ヨルダン川でバプテスマのヨハネによってバプテスマを受けてから死に至るまでの三年半の間,イエスが語った事柄や,行なった奇跡は,メシヤに希望を抱いていた人々が,メシヤすなわちキリストに対して全く予期していなかったことでした。彼らは,メシヤが自分たちを異邦人,つまり非ユダヤ人から解放し,自分たちの国に繁栄をもたらし,自分たちの国家を異邦諸国民の集い来る地上の指導的な国にすることを期待しているにすぎません。それは政治的な問題であるばかりでなく,多分に宗教的な問題でした。人々は問題の解決を宗教指導者に仰ぎました。それら指導者は,大多数の人々を支持する決定を下し,イエスを神を冒とくする者,偽キリストとみなしました。しかも,彼を殺すのを阻まれないよう,イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトに引き渡しました。どんな罪を理由に渡しましたか。ローマ帝国の王ではなく,彼らの王,つまりユダヤ国民の王であると主張する扇動者という罪です。こうして彼らは,異邦の国であるローマ帝国の味方であり,その権益を保護する者であるかのようなふうを装いました。
7 (イ)人々はポンテオ・ピラトの前でだれの友のようにふるまい,ピラトを不面目な立場に立たせましたか。(ロ)ヤコブ書 4章4節によると,人々はそうすることにより神の支配権にかんしどんな立場を取っていましたか。
7 総督ピラトが,イエスには死に定める罪がないから釈放したいという意志を示したとき,祭司長に率いられた民衆は,彼らはテベリオ・カイサルの友だが,総督ピラトはそうではないというような態度を取りました。聖書の記録はこう述べています。『ピラト,イエスを赦さんことをつとむ。されどユダヤ人さけびて言う「なんじもしこの人を赦さば,カイザルの〔友〕にあらず,おおよそおのれを王となす者はカイザルにそむくなり」』。その結果,問題は政治問題と化してゆきましたが,この民衆はだれの友として発言し,行動していたのでしょうか。神の友としてですか,それとも異邦人のカイザルの友としてですか。神聖な支配者の友としてですか,それとも人間の支配者の友としてですか。彼らが,イエスは偽のメシヤつまりキリストだと主張しても,神とカイザルの両方の友になることはできませんでした。わたしたちは,それから何年かのちにエルサレムで記された,霊感の判断基準をよりどころとしなければなりません。『世の友となるは,神に敵するなるを知らぬか,誰にても世の友とならんと欲する者は,おのれを神の敵とするなり』。(ヤコブ 4:4)では,メシヤつまりキリストに関する問題で異邦人カイザルの友となろうとしたそれら信心深い人々は,自分が神の支配権の友であることを示していたでしょうか。
8 そのとき人々は,異邦の人間の支配を支持し,神の支配権に反対していることをどのように示しましたか。
8 遂に人々はこの問題に決着をつけました。彼らはイエスを刑柱にかけるよう叫び,ピラトはそれに反対して『われなんじらの王を〔刑柱〕につくべけんや』と言いました。ここで彼らは,イエスがメシヤなる王であることをきっぱりと拒絶したのです。その時の記録は,『祭司長ら答う「カイザルのほかわれらに王なし」』と述べています。(ヨハネ 19:12-15〔新〕)ここで彼らが異邦人の支配権を選んだことは,だれも否定できません。それは必然的に,彼らを神の支配権に敵する側に置きます。
9 (イ)イエスがメシヤであったことの証明として,神は三日目に何をされましたか。(ロ)現在,適した時に,だれがメシヤなる王として全世界に紹介されていますか。彼の支配権はどのような支配権ですか。
9 記録されたすべての事実は,イエスが約束されたメシヤまたキリストに関する預言を成就したことを示しています。それゆえにこそ,全能の神は彼を三日目によみがえらせ,天においてご自分の右に高められたのです。今や彼は天的なメシヤ,あるいはキリストです。(使行 1:1から2:36; 13:26-39。ペテロ前 3:18-22)19世紀後の今日,総督ピラトが西暦33年,過ぎ越しを祝うためエルサレムに集まっていた者たちにメシヤを紹介したのと同じく,至高の神エホバは,人類の世全体にご自分のメシヤつまりキリストを紹介しておられます。今はそのための時です。「異邦人の時」あるいは『諸国民の定められた時』として述べられている長い期間は,この20世紀の14年目,第一次世界大戦のぼっ発した年に終わりました。(ルカ 21:24。ダニエル 4:16,23,25)西暦前607年,異邦バビロンの軍隊によってくつがえされた,ダビデ王家の王国は今や再び樹立されました。地において,人間の支配権をもってではなく,天において,主なる神全能のエホバの真のメシヤ,キリストの管理の下にです。
10 (イ)1914年以来,わたしたちは信仰により,世界の政府について天からどんなことばがひびきわたるのを聞いていますか。(ロ)キリスト教世界は,世界戦争により,また国際連合に加盟することにより,人間の支配を支持していることをどのように示していますか。
10 わたしたちは西暦1914年以来,天であまたの大いなる声が,聖書の最後の編に記録されていることばを述べているのを耳にします。『この世の〔王国〕は我らの主およびそのキリストの〔王国〕となれり。彼は世々限りなく王たらん」。(黙示 11:15〔新〕)『我らの主およびそのキリストの王国』は,絶対にキリスト教世界を意味するものではありません。それは,エホバにかわって地のあらゆる国民を支配するために,主なる神エホバによって油そそがれたメシヤ,つまりキリストの,天的な王の政府を意味します。キリスト教世界は,その宗教的な名称からすれば,神のメシヤによる王国を当然支持していなければなりません。しかし,はたして支持しているでしょうか。1914年における異邦人の時の終了後,キリスト教世界は天のメシヤによる王国のために戦争をしたのですか。それとも,その戦いは人間の支配による世界征覇のためでしたか。国際連盟,そして現代の国際連合に注目してください。その両方ともキリスト教世界によって提唱され,推進され,今日なお存続しているものですが,これらの組織は,天のメシヤの王国による神の支配権を支持していますか,それとも人間の支配をあくまでも支持していますか。国際連合の成員国の半数以上を占める,キリスト教を奉じていない諸国家はどんな答えをするでしょうか。彼らは次のように言います。『国際連合の組織は,天のメシヤの王国による神の支配権を支持したりなどしない。全地にわたる人間の支配を支持する。我々人間が,自分たちみずから選んだ政治形態によって地を支配するのだ』と。すると,キリスト教世界は国際連合に属しているのですから,当然(神の支配権でなく)人間の支配を支持していることになります。
神の支配権を支持するとはどういう意味か
11 1918年の第一次大戦終結以来のキリスト教世界の歩みは,知らなかったということを理由に許されるものではありません。なぜですか。人々は,支配権の選択にかんし,キリスト教世界に導きを求めることができますか。
11 キリスト教世界は自分の名に背いてきました。それには弁解の余地がありません。重大な年であった1914年以来,特に1918年の第一次世界大戦の終了以来,天に制定された政府としての神のメシヤの王国は宣明されてきました。これは,『事物の体制の終結』を見分けるしるしについてイエスの話されたことばを成就するものとなりました。すなわち,『〔王国のこの良いたより〕は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣べ伝えられん,しかして後,終わりは至るべし』というものです。(マタイ 24:14〔新〕)キリスト教世界が,そうした『良いたより』の宣べ伝えられていることに気づいている証拠は,彼らがそれに反対し,しかもその『良いたより』の伝道者たちを迫害したり追放したりさえするという事実に見られます。したがって,キリスト教世界が,キリスト教を奉じない地上の諸国家とともに人間の支配を選んだのは,無知のために,あるいは聖書を持っていないがためにそうしたのではありません。以上のことを考えると,正しい選択をしようとして人類がキリスト教世界に導きを求めるのは,安全なこととはいえません。それは,19世紀前,ユダヤ人が祭司やラビたちに導きを期待できなかったのと同じです。
12 今日の最も重要な問題は何ですか。今日わたしたちがその選択をすることは急を要します。なぜですか。
12 今日最も重要な問題は,共産主義または資本主義的民主政治 ― そのどちらが支配するか,というものではありません。なぜなら,それは両者とも人間支配の一形態にすぎないからです。むしろ,エホバ神と一致の関係にない,不完全で,罪のある死にゆく人々による人間の支配権か,それとも,全人類のために犠牲の死を遂げた神の子羊,すなわち復活させられたイエスのメシヤの王国による神の支配権か ― これこそ今日最も重要な問題です。どちらを選ぶかは,イエス・キリストが総督ピラトによって,エルサレムに過ぎ越しを祝うために集まった群衆に紹介された1900年前よりも今日のほうがさらに緊急を要する問題です。今わたしたちは,『事物の体制の終結』の終わりを非常に間近に控えています。不完全で,罪深い,死にゆく人類による人間の支配は,聖書預言に予告されている,人類にとって最大の『かん難』において地の面から取り除かれようとしています。
13 これ以上神の支配権に反対することは益になりません。なぜそう言えますか。現在,どんなことが反対者のために問題をいっそう深刻なものにしていますか。
13 わたしたちが神の支配権に反対し,逆らっても,少しも益にはなりませんし,成功するはずがありません。地球がほんの一点を占めるにすぎないこの巨大な「体系」を管理される全能者による支配は必ずや到来し,そして全地に及びます。これが非常に重要な問題であるのは,今日,神の支配権を支持する代わりに引き続きそれに反対する人は,この事物の体制が終わりを見るかん難のさい,敵として滅ぼされるからです。―マタイ 24:21,22。ダニエル 2:44。
14 (イ)人間の支配を選ぶことは他のどんな支配を選ぶことにもなりますか。後者の支配はどうなりますか。(ロ)神の永遠の支配権を選ぶことは,現存する人間の政府や制度に対してどんな態度を取ることを意味しませんか。
14 不快に聞こえるかもしれませんが,この事実を見過ごさないことにしましょう。人間の支配を選ぶことは,とりもなおさず,サタンの支配を,すなわち『この事物の体制の神』による人類の支配の存続を選ぶことです。この人間の事物の体制の滅亡後,エホバ神はご自分のメシヤによって,サタン悪魔とその悪霊の軍勢を地上の人類を治める目に見えない領域から追い出されます。(黙示 20:1-3)それなのに,あとわずかのうちに滅ぼされるものをわたしたちは選ぼうとしているでしょうか。この重大な時に,とこしえに存続するもの ― 神の支配権を選ぶほうがはるかに賢明な道ではありませんか。『大かん難』の到来する前の今,わたしたちが神の支配権を支持するからといって,それは革命家になって暴力をふるうとか,現在の政府や人間の立てた他の制度の転覆を図るという意味ではありません。エホバ神は,地上のご自分のクリスチャン証人がそのような行動を取ることを固く禁じておられます。(ロマ 12:17から13:7)神が今日まで存続を許してこられた人間の諸政府に手向かう代わりに,エホバのクリスチャン証人は謙虚な態度を示し,人間の政治支配者の手によってもたらされる激しい迫害に引き続き耐えてゆきます。
15 (イ)憤りをいだかずにそのような不当な苦しみを忍ぶことによって,彼らはヨブやイエスのように何を保ちますか。(ロ)彼らは第一に何を求めますか。彼らは何を伝道しなければなりませんか。そしていつまでそれを伝道しますか。
15 そうした不当な苦しみを,それを許される全能の神を悪く思うことなく耐え忍ぶことにより,証人たちは忍耐強いヨブや主イエス・キリストと同じく神に忠誠を保ち,そうして常に神と人間に対して清い良心を維持するのです。(使行 23:1。ペテロ前 2:19,20)自分の取っている立場,また選んだ側を明らかにするため,証人たちは政治に干渉したり,ある党派についたりする代わりに,天の父の王国とその義を第一に求めます。支配者なる神は,至る所で宣べ伝えるべき『王国の良いたより』を彼らに与えました。彼らは,神ご自身がメシヤなるイエスによって神の政府に,全地に対する議論の余地のない完全な権限と支配の力を付与される時まで,この宣べ伝えるわざを従順に行ないます。―マタイ 6:33; 24:14。
16,17 (イ)忠節の道を歩む者たちのためにエホバは何をされますか。(ロ)エホバは何を知るために今わたしたちの心を調べておられますか。エホバのメシヤによる秩序の中での命を選ぶ人々は,ダビデのどんなことばに答え応じますか。
16 この道を取る人たちを,宇宙主権者である主エホバは,間近に迫った『大かん難』のときに保護し,楽園の地をそなえ持つご自分の義の新秩序に導き入れられます。今,人間の心を調べておられるエホバは,わたしたちが支配権に関してどんな選択を行なったかを,ことばと偽善のない行動とによって明らかにするよう期待しておられます。わたしたちは,全地を,また天を治める神の支配権を支持しますか。それとも反対しますか。支配者なる神は,ご自分のメシヤによる新秩序で命を受ける者として,エルサレムにある『エホバの王座』に座したダビデの霊感のことばに答え応じる人たちを選ばれます。
17 『エホバはそのみ座をもろもろの天にかたく置たまえり その政権はよろずのもののうえにあり エホバにつかうる使者よ エホバのみことばの声をききそのみことばを行なう勇士よ エホバをほめまつれ その万軍よその聖旨をおこなうしもべらよ エホバをほめまつれ その造りたまえるよろずのものよエホバの政権の下なるすべての所にてエホバをほめよ わがたましいよエホバをほめまつれ』― 詩 103:19-22。
18 詩篇作者のことばに照らして,わたしたちは支配権の問題にかんし,どのように答えますか。
18 エホバ神による,イエス・キリストを通しての神の支配権 ― わたしたちはそれを支持していますか,それとも反対しますか。エホバの勇士たるすべてのみ使いとともに,エホバのみ旨を行なうすべての天の軍勢とともに,すべてのしもべらとともに,わたしたちは,今からとこしえまで神の支配権を支持します,と断固として答えるものです。
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真実の希望を指し示す司祭たちものみの塔 1973 | 2月1日
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真実の希望を指し示す司祭たち
● 二人のカトリック教会の司祭は,エホバの証人たちがすばらしいわざを行なっていると感じ,証人たちと聖書を研究するよう,自分の教会の教会員に別々の時に勧めました。あなたはそうした区域で奉仕したいと思われますか。ニカラグアのある村のこと,一婦人は夫をなくして間もなく,心を取乱しながら,司祭から慰めと希望を乞い求めました。そしてその司祭はまちがいなく彼女に希望を与えました。司祭はその婦人に,ものみの塔聖書冊子協会発行の「失楽園から復楽園まで」と題する書籍と「新世界訳聖書」を手渡し,これらの本には彼女が必要としている真実の希望が書かれていると言いました。―「1972年のエホバの証人の年鑑」(英文)から。
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