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生活費を保障する必要目ざめよ! 1976 | 5月22日
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生活費を保障する必要
年齢にかかわりなく,だれでも財政面の保障を望みます。しかし,年を取ると,そのような保障の必要性はいよいよ差し迫った問題になります。そうした人々は,仕事を減らしたり,退職したりすべき年齢に達してはいるものの,人並みの安楽と尊厳をもって暮らしたいと願っています。
高齢者や他の人々を助けるため,世界の多くの国々には,“社会保障”制度が設けられています。大抵の場合それは,年老いた人々に年金を,身体障害者や失業者に収入を,そして支払い能力のない人に医療費などを給付することを目的とした計画です。
世界でも社会保障制度が最も普及している国の一つは米国です。同国は欧米世界の経済上の礎となっているので,同国の社会および財政問題に生ずる事柄は他の国々にとっても大きな関心の的となっています。
米国の富や財力をもってすれば,貧困者を世話するのに十分な制度が整っているはずである,と世界中の人々は考えることでしょう。そうした制度には,終生汗水を流して働いて退職した高齢者のために,ほどよい保障をすることが含まれます。
しかし,実際にそうなっていますか。そうなってはいない,と答える権威者は今や少なくありません。米国の社会保障制度は,増加の一途をたどる重大な問題を抱え,大きな不安が持たれている,と彼らは主張するのです。
根本的な問題
社会保障と関連した問題の中でも,根本的なものは次の二つです。(1)受給資格を持つ人が増えるに従って増大する出費をどう賄ってゆくか。(2)給付そのものは,多くの人,特に高齢者に,十分の保障を与えないという事実。
問題は,深刻なものではないと言う経済学者もいます。しかし他の人々は,増大する財政的困難を深く「憂慮」している,と述べています。米国デトロイトの一新聞の見出しは,まさにその問題を取り上げ,こう尋ねています。「社会保障は今やまやかしか」。その記事は,社会保障がまやかしであることを暗示していました。
第一の主要な問題,すなわちその計画の資金をどのように調達するかという問題は,今やいっそう注目を浴びつつあります。給付のための現行の資金調達方法が,不適当なものとなっていることは明白です。ゆえに,USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は次のように述べています。
「老人,およびその扶養家族や遺族,そして身体障害者のための巨大な社会保障制度は,深刻な問題に直面している……
「簡単に言えば,その問題とは,収入が給付のための支出に追い付いてゆかないということである」。
同誌はまた,1980年代の初頭までに,「この制度の主要な部分である,老齢および遺族年金は破たんをきたすであろう」と述べました。同様に,米国経済研究所はこう言明しています。「社会保障法は,間近に迫った財政破たんに向けて時を刻む時限爆弾も同然である」。
もう一つの主要な問題,つまり給付が適切な“保障”を与えているかどうかに関して,与えていないとの感を強くする人は少なくありません。特に,お年寄りはそう感じています。そして,同様の計画を持つ他の多くの国々の例にもれず,米国でも,貧困生活者の大半が高齢者であるということは悲しい現実です。
援助
とはいえ,政府のそうした計画に良い面がないという訳ではありません。お年寄り,病人,失業者,そして身体障害者に対する援助はどんなものであれ,確かに有益であり,感謝されます。
実際,政府の援助が全くなかったのも,それほど昔のことではありません。高齢者や他の困窮者への給付が大抵の国々で普及したのは,今世紀に入ってからのことであり,それもここ数十年来のことです。しかし,昔は,農耕社会が大半を占めていて,老人の面倒は,大抵身内の者が見,友人たちがそれを助けたものです。
しかし,工業時代の到来と共に,幾百幾千万もの労働者は農地を離れ,工場のある都市へ殺到しました。そうした事態は特に欧米で見られました。都市では,家族や親族の絆が以前ほど緊密ではなくなる傾向があり,友情を培うのも一層困難になりました。ですから,親族や友人は,田舎で皆がより密接な関係を保って生活していた時ほど老人の面倒を見なくなっており,またそれができない場合もあるのです。
しかし工業労働者は,勢力を増すにつれより多くの恩典を求めて交渉するようになり,やがて政府は援助せざるを得なくなりました。
初めてある種の社会保障の取決めを設けた工業国の一つはドイツです。同国では,1883年に労災保険が取り入れられ,翌年には健康保険が導入されました。義務的な社会保障援助は1891年に実現しました。
1930年代の世界大恐慌の時以来,政府による援助の必要性は一層明確になってきました。当時,あらゆる工業国で,幾百幾千万もの人々が職を失いました。例えば,「カナダの社会保障」と題する本は,カナダについて次のように述べています。「1930年代の不況の際広範に及んだ失業問題によって,種々の,失業者救済手段が発達した」。
米国では,フランクリン・D・ルーズベルト大統領が,1935年に社会保障法に署名し,同法を成立させました。最初は老齢年金だけが給付されましたが,後に遺族年金も付け加えられました。その後,同計画のわくは広げられ,身体障害者や失業者のための給付も実施されるようになりました。
1975年には,3,000万人以上の米国人が,老齢者,身体障害者,および遺族のための同法の規定に従って,政府から毎月現金の給付を受けました。最近の景気後退で1,000万人以上が失業保険の給付を受け,他の幾百万もの人は,医療費や扶養家族のために,またその他の理由で,援助を受けました。
しかし,大抵の国において社会保障費の中で最も大きな比率を占めているのは,老齢退職者に支払われる給付です。普通,定年退職の時期は平均65歳ですが,その前から,例えば米国の場合62歳から,給付を受けたいと思うなら,その額は減少します。
社会保障によるそうした支払い資金はどのように調達されるのでしょうか。給付とは何ですか。その給付は人並みの生活をするのに足るほどのものですか。そして,米国の社会保障制度は本当に問題を抱えていますか。
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「社会保障」の費用はだれが支払うか目ざめよ! 1976 | 5月22日
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「社会保障」の費用はだれが支払うか
生活困窮者に支給される給付金はだれが支払うのでしょうか。これは,それを支払わねばならない人々にどれほどの負担となっていますか。
国によっては,老齢年金のような給付金は,直接に国庫から支払われます。ソ連や中国では,人が働いてきた事業所が全額を支給するか,または政府が一部を補足します。
しかし一般には,「社会保障」とは,従業員と事業主の双方が保障制度に払い込む計画に付される語です。例えばアメリカにおいては,従業員の給料の一部を,各給料支払い小切手から差し引く制度になっています。1975年度中のこの税率は,医療給付を含む社会保障だけで5.85%でした。事業主も5.85%の支払いを要求されました。
したがって,収入が5,000ドル(約150万円)で,この5.85%の税金を支払った従業員は,給料支払い小切手から292.50ドル(約8万7,750円)差し引かれたわけです。またその従業員の雇用者は,会社の資金からさらに292.50ドルを拠出しなければなりませんでした。
と言っても,収入全体に社会保障税が課せられるわけではありません。1975年には,従業員一人の年間所得のうち1万4,100ドル(約423万円)までこの特別税が支払われ,それ以上の所得にはこの特定の目的の税金は課されませんでした。
負担が増大している?
ここ幾十年かを通じ,こうした支払いがしだいに重い負担になってきている,と考えている人々もいます。特に低所得の家庭がこの税金で本当に苦しみ始めていると見ています。
社会保障制度が初めてアメリカにできたときには,従業員は給料のわずか1%をそのための税金として支払えばよかったわけです。事業主はさらに1%をそれに加えました。しかし,1975年にはその率は6倍近くになっていました。
税率が6倍近くにはね上がっただけでなく,課税額も大幅に上がりました。初めのうち,社会保障税を課し得る収入の最高額は,1年に3,000ドル(約90万円)でした。しかし,その額は上昇を続け,1975年には年間1万4,100ドルとなりました。そして1975年の下半期に政府は,1976年度中に社会保障のための課税対象額は1万5,300ドルに上がるであろう,との発表を行ないました。
このように,所得に対する税率の上昇と,課税対象額の上昇と,二重の上昇を見ました。この種の増税がどれほど大きな額になるかは,比較してみるとよく分かります。最初は3,000ドルの1%で,わずか30ドルでした。それが1975年には1万4,100ドルの5.85%で824.85ドルとなり,1976年には895.05ドルとすることが予定されています。これは給料支払い小切手から差し引かれる最高額が大幅に ― この計画の発足当時の約30倍に増えたことを意味します。またこれは,インフレに起因する同期間中のどの生活費高騰をもはるかにしのいでいます。
このことを税の負担の増大とある人々が考えている主な理由は,他の種々の税に加えてこの税を支払わねばならないからです。そして他の税も幾年かにわたり増えてきています。以前にはなかった,都市における売上げ税は,現在,所によっては6%から8%と非常な上がりかたです。幾年か前まで州の所得税を課せられていなかったものが,今日では課税の対象となっています。財産税も高くなりました。その上に連邦所得税があります。現在,アメリカの勤労者に課せられている税は非常に重く,収入の三分の一以上を,そうした種々の税金の支払いに当てている人が少なくありません。
他の国々でも同様に社会保障税の上昇が見られます。西ドイツでは,1975年中の毎月の平均支払い額は,年間最高額3万3,600ドイツ・マルク(約407万円)に対し,従業員,事業主ともにそれぞれ9%でした。もしある従業員の月給が280マルク(約3万4,000円)以下であるなら,事業主は18%全部を支払うことが要求されました。ドイツのこの制度について,USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は,次のように述べています。
「西ドイツの社会保障制度はすでに非常に高価なものとなっており,そのために投資計画が邪魔されると一部の経営者は言っているが,来年度はさらに高価なものとなるだろう。
「政府は,ボンの失業保険資金に対する事業主と被雇用者の支払金額の50%引き上げを発表した。……
「ドイツの平均的産業労働者にとり,これは毎月130ドル(約3万9,000円)近くを個人的に負担することを意味する。事業主も同額の130ドルを渡し,また社会保障に似た他の事柄の費用を負担する。
……「社会保障にかかる費用は最近高騰し,年間1億2,800万ドル支払っていたドイツの一つの会社グループは,三年後に2億4,000万ドル支払っている。
「そういうわけで経営幹部は,投資戦略の余地などなくなってしまう,と言うのである」。
貯蓄に食い込む
最近,税金と生活費の高騰は,人々の実収入の増加よりも速くなってきました。ですから,多くの人は老後のための貯蓄を行なうことが非常にむずかしくなっています。
アメリカ人の場合は,平均して,彼らが30年前に行なっていたよりもずっと多くを貯蓄することはできません。そしてもちろん,蓄えたお金は今ではインフレのために価値がはるかに少なくなっており,昔の何分の一にしかすぎません。このことを考えると,増加する社会保障税は貯蓄に大きく食い込んでいます。デトロイト・ニュースは次のように述べています。
「1942年にはアメリカの平均的な家庭は,全部の税金を差し引き生活費を支払ったあと,767ドルを預金することができた。同年度中,退職基金のための社会保障管理局は,アメリカの給料支払簿から,アメリカ人が貯蓄し得た額100ドルにつき3.70ドルを持ち去った。……
「1950年までには,給料支払簿へのその食い込みは100ドルにつき20.40ドルとなり,そして……1900年には……100ドルにつき63.90ドルとなった。……
「昨年は史上最悪であった。アメリカの平均的家庭の貯蓄額は1945年度をやや上回ったが,社会保障管理局は,われわれが貯蓄した金100ドルにつき84ドルを持ち去った」。
そのような理由で,経済学者のミルトン・フリードマンは,社会保障の過去20年を,「平均的賃金労働者にとってはぐうの音も出ないほどの敗北」と呼びました。乏しい貯蓄にしだいに大きく食い込んできたからです。そして低所得労働者にとってはこの税は,連邦が課す所得税よりも多いので,もっと深刻な負担となっています。
しかしまだ次のことも考慮しなければなりません。今日のような産業社会において,もし勤労者たちが,彼ら自身の家族の中の高齢者が現在得ている年金とか医療費のようなものを,困窮者たちのために直接に支払わねばならないとしたら,彼らはそうすることができるでしょうか。それのできる人はほとんどいないでしょう。ですから,社会保障制度が確かに勤労者の負う困窮者扶助の重荷を大幅に軽減していることは疑問の余地がありません。
しかし,この増大を続ける税の負担は,真の安全をどれほど買い取っているでしょうか。適度に品位のある快適な生活を送ることを願う高齢の退職者のような,困窮している人々はどうなっているのでしょうか。
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どれほどの“保障”がありますか目ざめよ! 1976 | 5月22日
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どれほどの“保障”がありますか
社会保障計画の下で与えられる給付は,もちろん国によって様々です。かなり良い生活ができる程度に給付が与えられる国もあります。
例えばスウェーデンのある観察者は,同国の多額の給付金についてこう述べました。「年金を受けている人々の多くは,金銭面でこれほどのゆとりができたことはこれまでにないと言っている」。
しかし,そのような国は例外です。裕福な西欧諸国においてさえ,社会保障手当を主な収入として生活しようとする人々は,大きな困難を抱えているというのが一般的な状態です。
生活水準の低下
退職した高齢者で,社会保障以外にほとんど収入のない人は,大抵,生活水準の著しい低下を経験します。
1975年中カナダにおいて,政府の一つの基本的な老齢年金計画に従い,インフレに合わせて,独り暮らしで所得のない人に対し月約210㌦(約6万円),退職した夫婦には月約400㌦(約11万6,000円)が支給されました。しかしこうした手当では,職に就いていた当時その数倍の収入を得ていた人々が,退職後に社会保障以外の確実な収入源がない限り,生活水準を急に下げねばならないのは明らかです。
そうした事態は大抵の西欧工業国でしばしば起きています。退職者に月々支給される手当は,働いていた当時の給料よりはるかに少ないのが普通です。例えば,オーストラリアでは1975年中,週給の平均は150㌦(約5万8,500円)余りでしたが,独り暮らしの退職者に対する基本支給額は週36㌦(約1万4,000円),退職した夫婦の場合は週60㌦(約2万3,400円)でした。米国では,平均的な熟練労働者の週給が,社会保障の下に支給される退職者の一か月分の手当を上回りました。
高齢者は苦痛を感じている
これら西欧工業国において貧しい暮らしをしているのは,大抵の場合年取った人々です。しかも,ひどいインフレのために事態は近年ますます悪化しています。
カナダのトロント・スター紙は,政府の調査によると,「カナダの老人のほぼ50%は貧しい暮らしをしている」と伝えました。彼らには,「尊厳をもって,また欠乏を味わわずに生きる」だけの収入がありませんでした。同紙は,「老人の貧困者は,他の年齢層に比べて二倍から三倍も多い」と伝えており,さらにこう述べました。「大半の老齢者が公的扶助とは別に社内年金の給付を受けていない点に問題がある」。
老人が自分の子供や家族と一緒に暮らせない場合や,家の負債の支払いが済んでいない場合には,問題は深刻です。オーストラリア人の一観察者はそのような年金受給者についてこう述べています。「高い家賃を払わねばならない人々は,経済的に極めて困難な状態に置かれている」。昨今の高い家賃を支払わねばならない人,また家屋のための負債の返済がまだ実質上続いている人にとって,その費用は大変な重荷となります。
長年一生懸命働いた挙げ句,社会のごみために捨てられたと感じる「老齢者」が少なくないのは,そのためです。カナダのある公の調査団の団長はこう述べました。「かろうじて足りていた収入も,退職と同時になくなり,人並みの生活ができなくなって退職以前より生活の質が低下するという事実をわたしは再三見てきた」。同団長はこう付け加えました。「彼らはカナダ社会で忘れられた存在となっている」。
同国の一市長はこう述べています。「一人の昔なじみが140人の年金受給者を代表して,わたしに会いに来た。彼は泣きくずれて援助を請い求めるのだ。一生地道に働いてきた人が,家賃を払えなくなるのではないかとおびえているのを見るのは,つらいことである」。他の都市のある役人は,訪ねて来た一人の年配の婦人が彼の事務所で「泣きじゃくり」,お金が足りないため,「その婦人はペット用のえさを食べねばならなかった」ことを告白したと述べています。
「問題は尽きない」
こうした状態にある一人の老人は,次のように述べました。「わたしは戦うことにうんざりしており,ざせつ感や当惑を感じている。わたしたち夫婦はお金を使わないよういつも家におり,安い物を食べている。妻はよく泣くが,彼女は理解しようと努めているのだ。年寄りには何の悩みもないと思っていたが,今こうして年を取ってみると,問題は尽きない」。
トロント・スター紙はカナダの老人についてこう報じました。「部屋の中で独りで死ぬ老人は少なくない。その部屋の多くは,薄汚く散らかっている。裏通りで死んでいるのを発見されたという例も珍しくない」。
米国の場合に関して特別欄寄稿家ジャック・アンダーソンはこう書いています。「社会は,自らにとって好ましくない老人たちをすみに追いやり,独りで死ぬ日を待たせ,顧みようともしない。アメリカは全く関心を持っていないようだ。そして現在,新しい不気味な現象が起きている。老人たちがぞろぞろとすみから出て来て,不潔な“老人スラム街”に押し寄せている。簡易宿泊所や古いアパートは,老人用の無免許の精神病院に早変りしつつある」。同氏はまたこう述べました。「極く少なく見積もっても,600万人の老人が貧困生活を送っている。彼らは十分な食べ物を得られず,高価な処方薬のためにお金を搾り取られ,貧弱な住居の中で人から愛されることなく暮らしている」。
ニューヨーク・ポスト紙の一記事でハリエット・バン・ホーンは,貧困生活を送る老人の数をさらに高く見積もっています。彼女はこう述べました。「実際,老人の30%は貧困境界線以下の生活を送っている。その数字は少なくとも800万人である」。それに加え,かろうじて貧困境界線を超えている人々が数百万人もいるのです。同寄稿家はさらにこう述べました。
「エスキモー人はもっと親切だった。彼らの場合,年老いた親族は生産活動に従事できなくなると氷原に出され,そこで一晩のうちに凍え死ぬことを余儀なくされる。
「それに比べ,我々はひどいことをする。年老いた者たちは養護施設に入れられ,そのうち27%は入寮後一か月以内に死ぬ。施設に入ったときは正常でも,たちまち老衰や錯乱状態に陥る。
「生き残った老人たちはしばしば空腹に悩み,虐待され,退屈させられ,ないがしろにされ,震えのとまらないやせこけた人となってゆく」。
このような訳で,「なぜ生きてゆくのか」と題する本の著者ロバート・N・バトラー博士はこう述べています。金のかかる社会で安い年金をもらって「生活する老人の問題より,実際,死という問題のほうが扱いやすい」。同博士はまたこう記しています。「老人の住居のうち,屋内の水洗便所のないものが約30%,湯の出る風呂やシャワー設備のないものが約40%,また冬の間最低の暖房しかないものが約54%あった」。
こうしてみると,大半の老人にとって“社会保障”が真の保障とはなっていないことは明らかです。外に収入がなく,また家族の世話を受けられないなら,比較的富んだ国に住んでいても老人は絶望的な状態に置かれているのです。
しかし,いつまでもこうなのでしょうか。こうした状態がまもなく終わるという希望がありますか。
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諸問題は解決されますか目ざめよ! 1976 | 5月22日
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諸問題は解決されますか
社会保障の財政上の問題や,大勢の老人に負わされている様々な悪条件はいつか解決されるでしょうか。そうです,解決されます。それは全く確かな見込みです。
ではどのように実現しますか。社会保障の取決めに関する何か新しい考えによってですか。いいえ,そうしたことは西欧世界には起きそうもありません。同世界の財政事情は近年,悪化の一途をたどっているからです。
社会保障の将来
今のままの制度であれば,社会保障の問題はほどなくして急増するものと予想されています。昨年米国では,社会保障の支出が,社会保障のために徴集された税金をおよそ30億ドル(約9,000億円)も上回りました。
こうした傾向は退職する老人が増加するにつれて,ますます著しくなっています。社会保障に現在貢献している労働者に対して,将来支給されねばならない年金の総額は,気の遠くなるような数字になります。中には,そうした年金が支払われることはないだろうと考えている経済学者もいます。
ウォールストリート・ジャーナル紙の述べるところによると,現在すでに契約済みのこうした債務は,インフレによる年金の増加額を考慮に入れずに,少なくとも「2兆5,000億ドル(約750兆円)」に上り,これは「社会保障制度における計画的な赤字」です。同紙はさらにこう付け加えています。「自由主義者は,この負債は国家が自ら負うべきものであり,将来税金を引き上げることによって支払われる,と言いたいのであろう。もちろんこれは無意味なことである。将来税金をこれほど大幅に引き上げるなら租税基盤を崩壊させるだけである」。
何が間違っているのですか。まず第一に,社会保障計画を提唱した人々は,人口が増えてゆけば,税金を払い,退職した老人の面倒を見る若い労働者の数も常に増加するだろうと考えました。しかし実際にはそのようになりませんでした。米国の家庭では子供の数が少なくなっているため,人口は増加するどころか減少する傾向にあります。
従って,税金を払う新しい労働者が急増するという期待は実現しませんでした。その代わりに退職した老人は増え続け,比較的少数の労働者がそうした老人を養わねばなりません。
ある社団法人の職員で,この問題の調査のため政府より任命を受けたグループの一員であるウィリアム・コターは「現代の重要演説集」の中でこう述べました。
「現在退職している人は現在働いている人から年金を支給されることになるので,退職者一人に対する労働者の数は重要である。
「社会保障制度の発足当時,年金を受け取る退職者一人につき税金を納める労働者は7人であった。現在では,退職者一人当たりわずか三人の労働者しかおらず,しかもその割合は下降線をたどっている。
「我々の対策委員会は国勢調査局の推定に基づいて,今世紀末までに退職者二人につき労働者が三人しかいなくなると見積もっている」。
そうなれば負担できないような税金が課せられることになるのは明らかです。こうした理由からある専門家は,同計画が破たん,あるいは極く控え目に言っても根本的な改革を免れることはないと考えています。社会保障制度は今でも独力で年金を支払えないのだから,将来はるかに大きな負担が課せられたら,年金の支給は不可能であるとそれら専門家は述べています。それで,米国経済研究所からの投資に関する特別報告は次のように記しています。
「社会保障法および多くの民間の年金計画の下で受給資格を持つ人々にとって,年金の支給が危ぶまれていることは明らかである。
「社会保障による老齢年金は,今後幾年もの間社会保障税を支払わねばならない人々をしだいに貧しくさせ,資格のある人々が年金を受けられなくなるという危険を大きくしているため,自然崩壊に向かう制度になってきた」。
政府の援助?
政府は援助の手を差し伸べることができますか。ある人々はそれを期待していますが,ウォールストリート・ジャーナル紙はこう指摘しています。「信じようが信じまいが,連邦政府も同じ運命にある」。
他の多くの国と同様,米国政府は支出が収入より急速に増えるという同じ難問を抱えています。1975会計年度の政府予算は,約430億ドル(約12兆9,000億円)の赤字でした。1976年度の赤字額はおよそ700億ドル(約21兆円)に上ると予想されており,これらは平時の赤字としては,史上最大のものです。また,国債の発行総額は6,000億ドル(約180兆円)に近づきつつあります。
政府の負債がすでにばく大な額に達しているため,将来,政府資金によって巨額の社会保障年金が支払われるという望みは非現実的であると考える経済学者は少なくありません。
歴史も,政府,指導者,社会制度および経済上の取決めが非常に不安定であることを示しています。従って,失敗しつつある人間の諸制度に保障を求めるのは分別のあることではありません。
将来には何があるか
人々が必要としているのは,これまで人間が考え出したどんなものよりはるかに優れた安全を保障する制度です。人間は不安感が永遠に無くなることを切望してやみません。
そうした安全が得られるという,真実で現実的な希望がありますか。あります。そして今日の不安定な情勢も,その希望の現実性を確証するものにほかなりません。
聖書預言は,人間の諸制度すべてが大きな苦悩と失敗を経験する時に,この事物の体制は「終わりの時」あるいは「終わりの日」と呼ばれる期間に入ることを,はっきりと予告しています。(ダニエル 11:40。テモテ第二 3:1-5。マタイ 24:3-14)今日世界中に見られる様々な状態は,わたしたちがまさにこの期間にいることを示しています。
これは,人類の創造者エホバ神がこの地球上の問題を正すため,人間の事柄に介入される時が実際に近いということを意味しています。イエス・キリストは神の政府,すなわちその天の王国が定めの時に地上を支配することについて語ったとき,この点を期待するよう追随者たちに述べました。(マタイ 6:9,10)従って,現在の不十分な事物の体制が打ち滅ぼされ,神の指導による新秩序のために道が開けられる日は,わたしたちの目前に迫っています。―ペテロ第二 3:13。
聖書の預言は,神の新秩序において地上の住民の幸福を妨げる不安がもはや何も無いことを予告しています。戦争,飢餓,貪欲,経済的競争,圧政はすべて過ぎ去ります。その代わりに人々は,真実で「とこしへのやすき」と共に「平和の豊かさに必ずや無上の喜びを見いだ」します。今日の増し加わる不安を考えるとき,それは何と喜ばしい希望なのでしょう。―詩 37:11,新。イザヤ 32:17。
「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その日のゆえに天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」― ペテロ第二 3:11-13。
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