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狼の中にあつて蛇のように用心深くせよものみの塔 1956 | 5月15日
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のように用心深く,鳩のように罪無きものであれ』と言う王の助言に従います。私たちは神の目的に一致すると共に,その目的を宣明し,そしてその目的に一致した働きをいたします。私たちは神の御言葉に背かずその清い御言葉を伝道し,そしてヱホバの御名にあつて偽りを一つも伝道しません。私たちはヱホバの霊に背かず,制度内にあつて偽りと偽善の行でヱホバの霊を試すようなことをしないで,さらにヱホバの霊の助けにより,すべての羊級の人の前で忠実な行をするようになすべきです。羊級の人に対しては,私たちは真実を語つてその信仰を深めるとともに,その安全を守り,どんなことがあろうと羊を狼共の手中に渡してはなりません。遂に狼は1匹残らず亡ぼされ,羊はみな新しい世の安全な緑の野原と平和な川を楽しむ時が来るでしよう。狼共の中にいる羊のような私たちは羊飼の保護の下に,その時まで伝道しつづけます。
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共産主義の指導者は聖書の真理を恐れるものみの塔 1956 | 5月15日
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共産主義の指導者は聖書の真理を恐れる
さらにロシヤの内部を探る
ロシヤの中にいるヱホバの証者たちは,ユダヤ人やローマ人の中で伝道した初期クリスチャンたちと同じように伝道しなければなりません。『私のために人々があなたがたをののしり,また迫害し,あなたがたに対し偽つて様々の悪口を言う時には,あなたがたはさいわいである。喜び,よろこべ,天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の予言者たちも,同じように迫害されたのである。』(マタイ 5:11,12,新口)迫害されても,ヱホバ神とヱホバの御国に強い信仰を持つているならば,その信仰をすてません。彼らはどんな事があつても,決してこの世に妥協しません。
1948年の当時,ロシヤにいる数人のヱホバの証者は『ものみの塔』を手刷りしたり,聖書の教えに関する事柄を印刷したりしていました。そして,最善を尽くして,これらのものをロシヤ国内に配布しました。しかし,共産主義の指導者たちは,聖書の真理を恐れており,ロシヤの秘密警察はヱホバの証者を追跡しました。証者の所有していた印刷機械,紙,インキそして他の物資は押収されてしまい,働いていた人々は逮捕されて奴隷収容所に連れて行かれました。
秘密警察は,『どうしたらヱホバの証者を抹殺できるか?』という大問題にいつも頭を悩ましています。ヱホバの証者は,ひとりとして悪い人間ではありません。警察もそのことを良く知つています。ヱホバの証者は,世界で一番ひろく読まれている本,聖書を読みかつ聖書について語りたいと思つているだけです。ソヴェットの官憲は,ヱホバの証者を少しの期間だけ解除して,解散させることができます。しかし,ロシヤにいるヱホバの証者は程無くして再び組織化し,新しい出版中心地を設立します。そして,入手する真理を手刷りしたり送り出したりします。共産主義の指導者は,なんとかして巡回の僕や会衆の僕をみな逮捕しようと思つています。そして,一度逮捕すると,25年の投獄刑を宣告して,収容所に入れてしまいます。
第二次世界大戦直後では,ものみの塔とか,協会の出版物,そして聖書を隠すことは,実際に言つて不可能な事柄でした。秘密警察は,キリスト教に関するものを躍起になつて探したからです。ひとりの人がヱホバの証者である,またはヱホバの証者らしいという嫌疑がかけられると,秘密警察は,その人の家宅を捜査します。暖炉を取りはずし,屋根を引きはぎ,家全部を壊してまでも聖書や文書の隠し場所を探し出そうとします。つまり,キリスト教宣伝という証拠を握ることにより,その人を奴隷収容所に送るためだつたのです。当時では,兄弟たちが昼間集会することは不可能でした。たいてい,穴倉か,森か,または人の近づき難い場所で家族の聖書研究を司会していました。兄弟たちは,自分の家で他の人々と共に研究するなどということが先ず無かつたのです。『ものみの塔』の群の研究は不可能なことでした。しかし,家族が一緒になれる家庭では,全部の窓や戸に鍵をかけて定期的な研究が行われました。それは,なんと幸福な家庭なのでしよう! ロシアのような独裁主義の国にいても,彼らは真理である神の言葉について語り,宇宙の至上支配者であるヱホバを崇拝することができました。たとえ圧制の国に住んでいようとも,真理はこれらの人々を自由にしました。『自分の霊的な必要物に気づいている人々はさいわいである。天の御国は彼らのものである。』― マタイ 5:3,新世。
多くの人々は真理を愛したために,1948年から1951年にかけて,ヱホバの証者はロシア全地で増加し,共産主義の指導者たちは,この事実に周章狼狽しました。最近ロシアから入手した報告によると,1951年の4月1日,7日,そして8日に,共産主義者は大きな粛清運動をいたしました。ロシアにいるヱホバの証者にとつて,この日は忘れることのできない日です。この3日間に,西ウクライナ,ホワイト,ロシア,ベサラビア,モルダビア,ラトビア,リスアニアそしてエストニアにいたヱホバの証者はみな ― 7000人以上の男女 ― は逮捕されて,連れ去られました。衣服や食物の携行は許可されなかつたのです。家族全部は車につめこまれて汽車の停車場に運ばれ,それから家畜車に入れられて遠いところに送られました。この逮捕は夜行われたのです。もし,ヱホバの証者の逮捕が午前7時までに終らなかつた時には,警察はその日の暗くなるまで待ちました。それから出発が始まりました。幾千人というヱホバの証者は,ロシアの国内を運ばれて行つたのです。そして,幾十万という偽りの自由ロシア人たちは,ヱホバの証者をのせた汽車が通るときに,証者がヱホバ讃美の歌を歌い,真理を語り合つているのを聞きました。ヱホバの証者のこの大群は土地開墾のために森林のところに運ばれました。最初の冬には,彼らの食物は木の根と木の実だけだつたのです。警備兵の配置されている広い森林内に分散させられて,次のような命令をうけました。『森林を開墾しろ,家を建てろ。永久にここにおれ,生きたいならば働け。』ヱホバの証者は,こんなことで気落ちしませんでした。彼らは働きました。それで,現在でも生きています。彼らの信仰は強く,彼らはヱホバの設立した御国の良いたよりを伝道し続けています。
今日の大国ロシアの中では,どの隣人もまつたく敵であります。どの人も隣人に注意せよ,と教えられており,特にヱホバの証者に敵対せよ,と教えられているからです。どんな人でもみな監視されており,そして郵便物は郵便局が検閲しているのです。自分が直接出かけて伝道することにより慰めと真理を与えるヱホバの音信は人々にひろめられています。捕えられたヱホバの証者は,裁判をうけます。法廷に行つて裁判官の前に立ちますが,弁護士を傭つても良い結果は得られません。多くの場合に,政府は弁護士を指命して,被告の弁護に当らせます。でも,ヱホバの証者の弁護に指命された弁護士は,弁護士というよりは,検事の役割を果しています。もし,ヱホバの証者を弁護して被告に有利な弁護をすれば,弁護士自身も奴隷収容所に送られてしまうからです。全くソヴェットの制度は公正なものではありません。
ある場所にヱホバの証者がいると,その証者のことは,あまねく知れ渡つてしまいます。人々は表に立たないように話し合うからです。すべての人は官憲に密告しようとはしません。なぜなら人民自身も,何時か将来には,この残忍な支配から自由になることを希望しているからです。ロシアの国家教会であるロシア正統派教会は,人民の期待を裏切つているため,人々は真理愛好者たちを求めています。『悲しんでいる人たちは,さいわいである。彼らは慰められるであろう。』― マタイ 5:4,新口。
共産主義を止めてクリスチャンに
いまロシアに一人の婦人がいます。その方はヱホバの証者ですが,多くの苦しみを受けた後でも,ヱホバの御国の良いたよりを伝道しています。1942年から始まるその姉妹の物語は,幾百人という他の姉妹たちの物語と同じようなものです。1942年に,その姉妹は活潑な共産主義者でした。そして,ナチスは他のロシア市民と一緒に,その姉妹をドイツに移送しました。ドイツにいるあいだ,労働者と共に農園や工場で働き,共産主義思想をひろめました。間もなくして,ヒトラーの国家秘密警察は,そのことを嗅ぎつけ,この姉妹はナチの収容所に送られました。収容所の中にいて,この姉妹は仲間の共産主義者たちと連絡がとれず,またひとりぼつちでいたため,共産主義者の制度に不信を抱くようになりました。失望を感じたからです。この姉妹は,神のことを考え始め,他の人々に話をして,遂にヱホバの証者に合いました。ナチの収容所内で,この姉妹はバプテスマをうけ,聖書を熱心に研究しました。真理を学んでからこんどは他のロシア婦人たちに語り始めました。ある日,収容所の所長は,これらロシアの婦人たちのところに来て,そしてこの姉妹に『お前は誰か?』と聞きました。姉妹は『私はヱホバの証者のひとりです』と答えました。収容所の所長は,『お前はロシア人である』から,そんなことは決してあり得ないと言い張りました。それで姉妹は力をこめて,はつきりと次のように言いました『神はドイツ人だけの神でなく,すべての民の神です。』この時,なんの罰も受けなかつたため,この姉妹は元気が出ました。そして,ロシアの婦人たちの中でますます熱心に伝道しました。遂にこの婦人たちもロシア語で真理を学びました。
1945年に戦争が終つて,ヒトラーの収容所が解消した後,この姉妹や他の多くのロシアの婦人たちはロシアに戻りました。彼らがナチの収容所にいるあいだ,彼らと真理を語り合つた一人のドイツの姉妹が捧げた神への祈りは,いまや自由の身になつたこれらロシアの婦人たち,ヱホバの証者各人の祈りになりました。『父ヱホバよ,ロシア人に真理を話す,という私の望みを叶えて下さつて感謝します。』
自由に解放されてロシアに戻つた彼らは非常によろこびました。しかし,間もなくして共産主義の秘密警察はこの姉妹たちを嗅ぎつけて逮捕しました。姉妹たちは神の御国を伝道して,他の人々に聖書からの慰めの言葉を教えたため,25年間の奴隷収容所に入所するよう宣告されました。しかし,現在でも,ドイツの収容所内で真理を学んだこれらの姉妹たちは,ロシアの収容所内で伝道をつづけています。そしてみな,ヱホバの御名に誉と栄えを捧げているのです。かつては共産主義者で,今はヱホバの証者になつている,この姉妹は,現在でも定期的な御国伝道者です。彼女は以前自分の仕えていたソヴェット政府の奴隷収容所にいまでもいます。だが,なぜ? なぜなら,神の御言葉は聖書に書かれている言葉である,と信じているからです。そして,ロシアにいても聖書の良いたよりを敢然と伝道しました。そのため,現在では奴隷待遇をうけ,森林の中で建設の仕事をさせられています。姉妹は森林を伐り開く仕事を手伝つていますが,その開墾された場所は,後日,共産主義者のものになるのです。その仕事が終ると,姉妹は別の場所に転送されて重労働をさせられます。
ロシア全国には多くの収容所があり,ヱホバの証者が入所しています。その収容所の中の一つの場所では真理が多く伝道されたため,警備兵さえも真理をうけ入れた程になりました。収容所の事務をしている人々も,真理の知識を得るにいたりました。彼らは真理を聞いてから,いまでは良いたよりを伝道しています。時経つ中に,警備兵や事務員たちも刑務所に入れられてしまい,15年と10年の刑を宣告されています。なぜ? なぜなら,彼らは聖書を研究し,真理を語り,そして自分はヱホバの証者である,と言つたからです。これらの囚人たちは,みな別々の収容所に入れられて,ロシアの違つた場所に送られています。そうすることによつて,ヱホバの証者の強い群の形成を阻止している
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