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神の目的とエホバの証者(その25)ものみの塔 1961 | 9月1日
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ものみの塔放送網
トム: しかし,WBBRを運営する前に,あなた方はラジオを使用しませんでしたか。
ジョン: そうです。1924年にはラジオはまだ幼籃期でした。しかし,ジャッジ・ルサフォードはWBBRの運営が始められる2年前に初めてラジオを使用しました。1922年4月16日,彼はペンシルバニア州フィラデルフィアのメトロポリタン・オペラ・ハウスから公開講演を放送しました。翌日,フィラデルフィアの「レコード」(英文)には,詳細な報告が掲載されました。その一部には次のように述べていました。
世界の千年統治が来るとラジオは発表。ジャッジルサフォードの講演はメトロポリタン・オペラ・ハウスから放送された。この話は送信所に送られた。音信はベル電話会社の電線によって幾マイルも遠くにはこばれ……北ブロード・ストリートのWGLラジオ電話放送局に伝えられた。j
御国の音信のラジオ放送は,少きぼな始まりでしたが,それから北アメリカと南アメリカ,欧州,アフリカ,そしてオーストラリアにひろまりました。1927年以後の10年間に幾百という放送局は利用されました。最初は,すでにお話したように,1927年カナダ,オンタリオ州トロント市での国際大会のための特別なN.B.C.商業網でした。ものみの塔放送網,あるいは「ホワイト」放送網は,ミシガン州デトロイト市大会のために特に組織されました。それは非常な成功を収めたので,協会はカナダとアメリカ合衆国に毎週30の放送局の使用を決定しました。ニューヨーク市のスタテン島にあるものみの塔放送局WBBRのスタジオから1時間の番組が取りきめられました。毎日曜日の「ものみの塔」時間にはジヤッジ・ルサフォードの講演があり,協会専属のオーケストラは初まりと終りに音楽を奏しました。このような生の放送は,1928年11月18日に始めて行なわれ,1930年までつづけられました。k
この放送は御国を良く宣伝しました。そしてアメリカ合衆国内やカナダ国内の兄弟たちは一般の人々に1週1度の「ものみの塔時間」を聴くよう励ましました。しかし,この放送のためにルサフォード兄弟の多くの時間は取られてしまい,彼が各地を訪問し,大会を組織することは不可能になりました。ついに1931年協会は録音のプログラムを放送することに決定し,250の放送局はルサフォード兄弟の録音された講演を放送しました。これらはルサフォード兄弟の都合のよい時につくられ,ラジオ放送局の便利な時に放送されました。かくしてさらに多くの放送局が御国のわざのために利用されました。l
これら15分の講演は,非常な成功を収めました。便利であったというだけでなく,それらはずっと安いものでした。協会は,多数の放送局を同時にむすびつけるための電話料金を払わなくても済んだからです。1932年「録音チェーン」と呼ばれたこのラジオ放送は,340局にひろまり,1933年には408の放送局が協会によって使用されて,六つの大陸全部に良いたよりは伝えられました。a
この1933年は,ラジオ放送の絶頂に達し,2万3783の聖書講演が放送されました。たいていの場合,これらは15分間の電気録音の話でしたが,bそれから難問題がおきたのです。
トム: それらの講演が1922年から1928年までの七つの大会のときの講演のようでしたら,問題にぶつかるのは当然かも知れませんな。
ジョン: もちろん,善意者はこれらの講演に真実の慰めを見出しました。しかし,ジヤッジ・ルサフォードはいまこそ背教の宗教を徹底的にばくろしなければならぬと確信していました。かくして,ハルマゲドンがこれらの偽りの制度を終わらせるまえに,神を真実に愛する者たちは出て来て,その立場を取るでしょう。
ロイス: 私の母は,いつでもその講演に反対していました。しかし,父がそのことで母と議論すると,母はいつでも歩いて出て行ってしまうだけでした。父は教会に行ったことは一度もないのですが,聖書の言葉をたいへん良く引用することができました。母は父の議論に言い返すことができなかったので,いつでも怒っていました。
定期的な日曜証言は新しい問題を提出
ジョン: ラジオ運動については多くのことが言えます。しかし,2,3の他の大切なことについても知っていただきたいと思います。アメリカでは1927年の初期に家から家に書籍や冊子を寄付で配布する毎日曜日のわざが始められました。c この新しいわざにはすぐに応答がありました。d それを示す手紙が1通あります。
親愛なるルサフォード兄弟: 〔1927年〕6月12日,私はニュージャージー州プレインフィールドの友たちに奉仕する特権にあずかりました。公開集会を開く代りに1時間の伝道運動する方が良いと思われました。
朝の話のすぐ後に35人の友たちが野外のわざに参加して,240冊の本が売れました。それはほんとうに1時間の「公開集会」でした。
友たちはよろこびでみちあふれ,みな公開証言に参加したことを感じていました。証言は良いものでした。友たちはみな愛を伝えています。またエホバが神であるという真実のあかしを地上で与えたいという望みを言い表わしました。キリストにあって,あなたの兄弟,エヌ・エッチ・ノア。e
この手紙を書いた人は,1942年に協会の3番目の会長になりました。この日曜日の伝道ということについて,良いたよりに反対する者たちは猛烈な反対をはじめました。
1928年,ニュージャージー州サウス・アムボイで,日曜日に良いたよりを伝道した幾人かのエホバの証者は逮捕されました。エホバの証者に対して反対の銃砲が発射されてから,10年間にわたってその戦いはつづけられました。証者たちはこの戦いを「ニュージャージー州の戦い」としばしば言いました。しかし程なくして反対の前線はあちこちに拡大し,ついにはほとんど地上の全地にまでひろまりました。
ロイス: いちばん反対したのは以前と同じく新教徒の群れでしたか。
ジョン: 新教徒の群れも反対しました。しかし,いちばん強い反対は,あるカトリック行動の群れから来ました。これらの群れの大部分は1920年の初期に始まり,半宗教的な組織運動であって,ローマ・カトリック教職制度の社会的理想,政治的理想を各地でひろめるために推進しました。1921年までにはそのいくつかがアメリカ合衆国で活動し治めました。これらの逮捕が1928年に始まり,1929年にまで続いたとき,エホバの証者たちは,神のいましめに反対する人間政府への従順ということについて強い立場を取りました。
トム: 実はその点をおたずねしたいとかねがね思っていました。サタンの世に属する政府に関して,エホバの証者の取る強い立場について,いまお話しになりましたね。あなた方は,政府に対する関係をどのように説明しましたか。先日ひとりの人と話をしたのですが,その人はエホバの証者を批判していました。エホバの証者は投票しないのに,裁判沙汰になると法廷を利用するということですね。それはどういうわけですか。
ジョン: 法廷の裁判をしてもらうのに投票しなければならない,ということはありません。市民でなくても法廷で裁判してもらうことができます。法廷は主として税金で支えられており,エホバの証者は税金を払います。エホバの証者は政府の備える合法の保護の益をみな受ける資格を持ちます。税金で維持される火災や警察の保護をうける資格もあるのです。
昔の使徒たちは,個人の権利を守るためにローマ政府の設けたすべての保護手段を利用しました。パウロにはローマは最高法廷であるカイザル自身に訴え出ました。パウロは,自分は天の国籍を持つ者と認めていましたが,ローマ市民としての権利をも利用しました。それは個人的な利益をはかるためでなく,神のわざを拡大するためでした。それでエホバの証者は同じ立場を取りました。パウロはローマで刑務所の縄目をうけていたこと,および彼と共に苦しみにあずかった兄弟たちについて語りました。それは,「良いたよりを擁護し,合法的に確立すること」でありました。f
ロイス: この期間中,エホバの証者はどんな教理的な立場を取りましたか。
ジョン: それはロマ書 13章1節にもとづいていました。神のいましめに反対の行動をして人間政府の権威に人々を従わせようとした者たちは,しばしばこの聖句を悪用し,悪い意味に解釈しました。
ロイス: その聖句をおぼえています。それは上なる権威に従うことですね。読んで見ましょう,「すべての人は,上に立つ権威に従うべきである。なぜなら,神によらない権威はなく,おおよそ存在している権威は,すべて神によって立てられたものだからである」。
トム: それを聞くと人はこの世の政府に従わなければならないようですね。
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読者よりの質問ものみの塔 1961 | 9月1日
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読者よりの質問
● 結婚記念日を祝うことはさしつかえありませんか。―アメリカの一読者より
古代において誕生日を祝うことは,占星術と関係がありました。疑いなくその理由で,聖書には異教徒だけが誕生日を祝ったとしるされています。しかし結婚記念日を祝うことをすすめる言葉は聖書になく,従って祝わねばならぬということはありません。結婚した二人はその義務を毎日思い起こすべきです。もちろん結婚の日は喜びの時です。イエスもカナにおける結婚式に出席して,この事実を認められました。幸福な結婚をしている夫婦が,この喜びの日を毎年思い出すのは当然のことです。事実それは結婚関係を強めるのに役立つでしょう。―ヨハネ 2:1-11。
結婚の日を記念するために,何をするか,またどの程度の規模のものにするかは当事者の決めるべきことです。しかしここでも次の規則が適用されることを心に留めておくのは良いことです。「飲むにも食べるにも,また何事をするにも,すべて神の栄光のためにすべきである。」― コリント前 10:31,新口。
● 生きた人に移植するために眼球を与える(死んだ後に)ことを聖書は反対しますか。―アメリカの一読者より
死体を,またその一部を,科学的実験とか,他の人に移植するために,科学者たちに自由にさせることをきらう宗教団体もあります。しかし,これは聖書のどの原則も律法も関係していないように思われます。ですからこれは個人で決定しなければならない事がらです。自分の心と良心が,そうすることに満足をおぼえるならば,そうすることができます。だれもそのことを批判すべきではありません。反対に,そういうことをするのを拒絶したからといって,だれもその人を批判すべきではありません。
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