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脳腫瘍にどう対処したか目ざめよ! 1976 | 6月22日
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と,脳とその働きに関する人間の現段階における理解はだいたいその程度のものです。
脳腫瘍
さて,何物かがこのすばらしい機構の中に侵入したとしましょう。その機能はどうなりますか。侵入して来るものの一つは,わたしの脳にできたような脳腫瘍です。腫瘍の中には,ガン性の腫瘍,つまり悪性腫瘍もあり,非常に早く進行してわずか数か月の間に命を奪うものもあります。また,進行が遅く,悪性でない,つまり良性腫瘍の場合もあります。しかし良性腫瘍も,治療しないなら,命取りになりかねません。
脳腫瘍はどのようにして根を下ろすのでしょうか。その原因ははっきりしていませんが,転移性腫瘍と呼ばれるものは,体の別の部分にあって幾らかの細胞を放出するガンに端を発しています。血液はその細胞を脳に運び,ガン細胞はそこに新たな病巣を作ります。
どちらの種類の腫瘍も,脳を潤す血液をむさぼり食う異常組織の集まりです。事実,脳腫瘍の血液消費量は,脳そのものの消費量を上回ることが知られています。腫瘍は大きくなるにつれて,広がる場所を求め,周囲のノイロンを破壊したり,押しやったりして損ないます。その結果,組織が損なわれたり,圧力が増したりするので,脳の機能に異常をきたします。
頭痛,吐き気やおう吐,めまい,精神の異常,けいれんなどのすべては脳腫瘍の症状といえますが,こうした症状が必ずしも脳腫瘍であるとは限りません。例えば,はっきりした理由もなく,一生に一度だけけいれん発作に襲われる場合もあります。
そのような発作,つまりてんかん発作は,脳に“電気あらし”とでもいうべき状態が発生すると起こります。腫瘍や他の病気のために,数多くの脳細胞が一斉に繰り返して放電し,平時よりもずっと強い電気刺激を作り出す場合があります。患部の位置によっては,それが筋肉の急激な収縮を引き起こし,その結果,患者が突然意識を失い,体が引きつり,呼吸が止まってしまうこともあります。脳の放電が止まらず,てんかん継発状態と呼ばれる,発作の状態が続かない限り,そのために傷を負ったり死んだりするのはまれなことです。
手術をするかどうか
わたしは一つの決定を下さねばなりませんでした。それは,この侵入物を除去すべきかどうか,ということです。現代における最初の脳腫瘍切除手術は,1884年に行なわれました。患者は初め快方に向かいましたが,脳を覆う保護膜の炎症である髄膜炎にかかり,約一か月後に死亡しました。その後しばらくの間に,行なわれた数少ない手術のうち半数以上は患者にとって致命的で,完治した患者は全体の約十分の一にすぎませんでした。
脳に関する外科医の知識が増し,手術の新たな技法が開発された結果,脳外科手術のひん度が増えて成功率が高くなったのは第一次世界大戦後のことです。もちろん,どんな腫瘍でも容易に手術ができるというわけではありません。場合によっては,腫瘍の一部分しか安全に切除できないこともあります。また,悪性腫瘍が脳の奥深くに達している場合には,大抵放射線療法の方が好まれます。
しかし担当医は,わたしの頭にできた腫瘍が悪性でないことはほとんど確実で,患部は首尾よく切除できる位置にあり,完全に回復する可能性は高い,と断言しました。医師は腫瘍を切除することを強く勧めましたが,最終的な決定をわたしにゆだねました。脳腫瘍であることが分かっていながら,恐怖心から,手術を受けようとしなかった人々のことを知っていましたが,わたしは覚悟を決めていました。手術を受ける決心をしていたのです。わたしは,徐々に健康状態が悪化して,早死にするような経験をするよりも,有益で正常な生活に戻るために,あらゆる手を尽くしたいと考えました。
二日後,外科医と医局員,合計十人がわたしのところへやって来ました。計画されている手術について話し合った際,わたしは,聖書に基づく自分の信仰ゆえに,輸血をしないで手術を行なってほしいと申し出ました。数日後,外科医は,輸血の代わりとなるものを用いて手術を行なうことに同意しました。
手術とその後の経過
外科医は手術に際して,腫瘍のできている部位に達するために,頭がい骨に縦10㌢横6㌢ほどの穴をあけました。脳の硬い保護膜,つまり脳脊髄硬膜の一部を切り取ると,その下から脳が現われ,腫瘍は簡単に切除されました。それから脳脊髄硬膜は縫い合わされ,頭がい骨の切片は元の位置に据えられました。手術後わたしが集中医療を受けたのは二日間だけで,五日目には自分で歩けるようになりました。九日目には,自分で服を着替えて,妻の運転する車で帰宅する喜びを味わいました。
しかし,それでわたしの経験すべてが終わったわけではありません。外科医のメスの侵入に,脳が拒否反応を示すのは当然のことです。また,外科医が腫瘍を切除する際,幾らかのノイロンを破壊したり,傷付けたりすることは避けられません。損なわれたノイロンが回復するまでには時間がかかります。傷付いた組織はそのまま残されます。脳細胞は他の細胞と異なり,破壊されても再生されません。しかし脳細胞は,説明のつかない,すばらしい方法によって,腫瘍の切除された部位の回路を再生し得るのです。それには時間がかかります。
わたしは順調に快方へ向かっているように見えましたが,手術の六か月後,さらに三度のけいれんに襲われました。完全に回復するまでには三年間かかることもあると聞かされましたが,少なくとも回復するのです。わたしの思考力は少しも損なわれず,記憶力も今までと変わっていません。
わたしは,立派な腕を持つ外科医に深く感謝しています。また,入院中見舞いに来てくれた,誠実な友人たちにも感謝しています。そして,わたしたちの体に,こうしたすばらしい回復力を授けてくださった創造者に対する感謝の念を引き続き示してゆけることをも有り難く思っています。確かに,命そのものに対するわたしの認識は深まりました。生きていられるというのは本当にすばらしいことです。―寄稿。
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巧みな振る舞いは良い結果をもたらす目ざめよ! 1976 | 6月22日
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巧みな振る舞いは良い結果をもたらす
聖書の教えを学ぼうとする人に,しばしば問題となるのはその家族の者からの反対です。しかし賢明な努力を払うことによって,そうした反対を受けずに聖書を学び続けることができた人は大勢います。ひとりの人は巧みに振る舞い良い結果を得ました。
京都のひとりの主婦は家事に良くいそしんで,きちんと仕事を行ない非難のないようにすることに加えて聖書が幸福な家庭生活にとても良い助言を与えていること,今直面している諸問題についての解決策を示していることを主人に知らせたいと思いました。どんな方法でしましたか。家庭用の黒板に,良い妻は夫によく仕え,従うことや賢き女は夫の冠であること,子供は両親に従順であるべきであるといった聖書の言葉を毎日書きました。夫はある日,「この言葉は良いなあ」と言ったので,その主婦は,聖書には良い教訓が述べられており,自分もその様な良い妻になりたいと思っていると答えました。夫は自分についても何か書かれているかと尋ねたのです。妻は自分の方が改善しなければならないことが多いので努力しなければ申し訳ありませんと言うと,夫は,その様に努力しているのなら出来るだけ協力するから子供も学ぶように,と勧めたのです。この様に聖書の音信を巧みに勧めることにより家族の全員が反対もなく学び続けることができます。
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