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  • 豊富に存在するエネルギー供給源
    目ざめよ! 1975 | 12月8日
    • それほど豊富なエネルギー資源が地球にあるのに,資源不足がこれほど叫ばれているのはなぜですか。それはおもに,化石燃料(石炭,石油,および天燃ガス)が入手困難になっているからです。

      化石燃料に伴う問題 ― なぜか

      化石燃料が不足するようになった原因は何ですか。

      ジョン・ノーブル・ウイルフォードは,1973年4月22日付のニューヨーク・タイムズ紙の中で,今日のエネルギー不足の根本的な原因を指摘し,次のように述べています。

      「エネルギー危機は予知し得るものであり,回避しうるものであったかもしれないが,実際にはそうならなかった。アメリカ人は,高エネルギー技術社会を選んだ。そして,より多くのまたより大型の自動車を乗り回し,それを動かすための燃料を得ようとして,沖合にまで進出し石油を掘った。アメリカ人は,洗たく機や冷暖房装置およびあらゆる種類の便利な機械を備え付け,それらを動かす電気を発電するために石炭を掘って,山腹を削り取ってしまった……

      「速い自動車,ジェット機,冷暖房装置などによる便利な生活をあきらめたいと思う人はいない……経済成長が鈍化することを真剣に望んでいる人はほとんどいない。そうなると,現段階において,失業問題,購買力,そして政治力などに考えられないほどの影響を及ぼすからである」。

      ゆえに,化石燃料に伴う今日のエネルギー危機を招来したのは,人をとりこにする政治および経済体制,人間の貪欲さと見通しの悪さなどです。そうしたものが,他のエネルギー資源の開発を妨げてきた場合も少なくありません。創造者としては人間に豊富なエネルギー資源を与えてくださったのです。

  • 真の神に仕えることを選んだ女家長制社会出身の一少女
    目ざめよ! 1975 | 12月8日
    • 真の神に仕えることを選んだ女家長制社会出身の一少女

      私は,スリナムのはるか奥地の,タパナホニ川の流域の一番奥の村で育ちました。その村まで行くには,数日,ことによると数週間かかります。船体の外にモーターを取り付けたボートで,岩の多い危険な急流を幾個所も通り,耳を聾するばかりの音をたてて落ちる滝を幾つも通過して行くのです。わたしたちミス・ジャン族の村は20以上あります。

      わたしたちの村は,女家長制社会です。これは家系が,父方からではなく,母方から調べられるという意味です。従って,父方よりも母方のほうがずっと大きな権力を持っています。その結果,私の養育については,私の父よりも,私の母の兄弟たちのほうがよく発言しました。事実,私は母の家族の所有物または財産と考えられていました。

      わたしたちの村の宗教

      どの村にもたくさんの神があります。その多くは死んだ先祖であると信じられています。私が生まれた村では,偶像崇拝が生活のあらゆる面に特に強い影響を及ぼしています。主神がそこに住んでいるのです。

      村人は,病気は,いや死さえも,神々によって引き起こされるもの,そしてまたそれらの神々は病気をいやしたり死を防いだりする力を持つもの,と信じています。下位の神々の助けが得られないと,村人は最後に主神のところへ来て,病気をなおしてもらおうとします。病弱だった母も,私が生まれる前にそのようにしました。

      病がいえたあとも,母は自分の村に帰ることができませんでした。そんなことをすれば死んでしまう,と言われたからです。それは,祭司によって代表されるグラン・ガドと呼ばれる主神の厳然たる命令でした。この神は人々に対して本当に強い影響力を持っていて,人々は毎朝この神を拝んでいます。私はこうした偶像崇拝のただ中で成長しました。

      真の神の崇拝

      私は10歳のとき,天地を造った真の神について初めて聞きました。一人のエホバの証人が私たちの村に来て,人類の祝福となる,新しい事物の体制を確立するという神の目的について話しました。この青年は,私の父と同じ部族の出身でした。彼は,パラマリボの町に住んでいたときに,この聖書の真理を学んだのです。

      大多数の人は彼をあざけり嘲笑しました。しかし,その音信には,私の心に強く訴えるものがありました。私は幾冊かの本を彼から求めました。でも学校というものがないので,私たちの村には字の読める人が一人もいませんでした。それでも,本の中のさし絵が,その証人の教えてくれたことを思い出すのに役立ちました。

      残念なことに,その証人はたった一週間しか滞在できませんでした。しかし私は,聖書から学んだ事柄に従って生活する決意をしました。例えば,人間が血を食べるのを真の神はきらわれるということを,私ははっきり理解することができました。(創世 9:4。レビ 17:12。使徒 15:28,29)ですから,きちんと血を抜いてない野生動物は食べませんでした。母はこのことで私に反対しました。

      三年後,すなわち1962年に,私は,この川の流域を伝道するよう任命されたエホバの証人の夫婦に会いました。当時私は,下流の村に住むおじの家にいました。私はその証人から「失楽園から復楽園まで」という本を求めました。おじは,私がこの夫妻と聖書を勉強していることを知ると,私をさっそく母のところへ戻しました。

      私はひとりで,「楽園」の本の中の意味深いさし絵をみて勉強をつづけ,そうすることによって信仰を保ちました。母は,この信仰について私に言い聞かせてもらうつもりで,私を村長のところへ連れて行きました。それでも私は断念しませんでした。そこで母は私を部族のおさのところへ連れていきました。彼はおどしたり,体罰を加えたりしましたが,やはり私に創造者の崇拝をやめさせることはできませんでした。最後に彼らは,私を彼らの神のところへ連れていって,拝め,と言いました。私はその神が無力であることを知っていたので,少しも恐ろしいとは思いませんでした。

      それからというものは,村中の人が私に圧力をかけてきました。私は,これに耐えられるよう助けてください,と心を尽してエホバに祈りました。エホバは確かに助けてくださいました。

      結婚

      私は15歳になりました。しかし私の部族の習慣では,男と一緒に暮らすにはまだ若すぎる,とされていました。ところが,ある人が,私を息子の嫁にくれるよう,母の承諾を求めに来ました。母は同意しました。

      私は,当時パラマリボの町で働いていた未来の夫に会いました。そして,自分が真の神エホバについて学んでいること,またたとえ彼の妻になってもエホバへの奉仕はやめない,ということを彼に告げました。彼が,自分も町でエホバの証人と聖書を勉強していて,集会にさえ出席していると言ったとき,私はどんなにうれしかったでしょう。

      二年後,私はこの男に妻として与えられました。夫と私は神々の前に連れてこられ,ビールと種々の木の葉を体にかけられました。私たちのための祈りもささげられました。私たちに保護と支持を与え,

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