ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 子どもをどのように助けることができるか
    目ざめよ! 1974 | 5月8日
    • しばらく前,ひとりのエホバの証人は,娘の学校の先生から次のような手紙を受け取りました。「教師がこのような手紙を書けるというのはそれほどしばしばあることではないのですが,お宅のお嬢さんは,わたしが当地や他の場所でこれまでに会った中でいちばん行儀がよく,礼儀の正しいお子さんです」。また,エホバの証人である十代の青少年や親たちについて,ニューメキシコ州(米国)アルバカーキのトリビューン紙はこう伝えました。「警察は,けんか騒ぎ,蛮行,盗みなどについてエホバの証人の十代青少年に問題を持つことはない。エホバの証人の子どもたちはよく親に従う。エホバの証人は親としての自分の立場を放棄したりはしない。彼らは愛と毅然とした態度とをもって子どもをしっかりと導いており,教師や警察に自分の子どもの世話をしてもらおうなどとは考えていない」。

      あなたは,ご自身とお子さんたちのためにそうした交わりを求めますか。では,お近くの,エホバの証人の王国会館を見つけ,そこでの集会に行ってごらんください。あなたは暖かく歓迎されるはずです。

      今日ほど,若者が多くの不健全な影響にさらされている時代はありません。親には,そうした影響に抵抗できるよう自分の子どもを助ける責任があります。それをする最善の方法は,神のことばの次の忠告に従うことです。「あなたがたの子どもを……エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。そのために,親自身が聖書を注意深く勉強し,自分がそれをほんとうに信じていることを,行動によって示さなければなりません。あなたは,そうした助けを自分の子どもに与える責任をしっかり果たしますか。―エフェソス 6:4。

  • ある若い奉仕者からの手紙
    目ざめよ! 1974 | 5月8日
    • ある若い奉仕者からの手紙

      「私は16歳のエホバの証人です。学校での柔道に関する一つの経験をしたのでお知らせしたいと思います。

      「1973年4月に東京のある高等学校のデザイン科に入学しました。それは私立ですが,毎週木曜日の一時間目に柔道の授業があるのです。担当の体育科の先生に理由 ― クリスチャンとしてなぜ柔道ができないか ― を話し,1回目は見学させてもらいました。その日の放課後にクラスの担任の先生に呼ばれ,やはり理由を話しました。それら2度の話ではいずれも手短にクリスチャンの良心に従うゆえにできないと告げました。そしてそれから少したってから,土曜日でしたが,教頭先生に呼ばれました。教頭先生は同じ格技である剣道を長年し,また日蓮宗の信者でもある人です。そして2,3時間にわたり話しました。なかなか手厳しいことも言われましたが,その日は遅くなったので一応家に帰りました。

      「それから今度は母が教頭先生の所に呼ばれ長々と話したそうです。学校側としては,特定の授業をしない生徒はやめてもらいたいとのことでしたが入学の時に十分調べなかった責任はあると言い,考えてみるとの返事が母により私に伝えられました。それを中心とし前後3回にわたる職員会議がひらかれたということを担任の先生が言っていました。その会議では,『学校,特に高校における教育はその生徒の人としての土台をかためる所だ。したがって中学を卒業して入ってきたばかりの生徒の中にすでにその土台 ― 一つの主義,主張をもってきた生徒がいることは,教育者として喜ぶべきことであり,その者をやめさせるべきではない』と先生たちの多くが私を弁護してくれたそうです」。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする