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世界展望目ざめよ! 1980 | 1月8日
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体温を上回る熱が体内に蓄積されると,皮膚の中の毛細血管が拡張して発汗を促し,体温の調節が図られる。ところが,体が湯につかっていると,汗をかいても,その汗は蒸発して体を冷やすことができないため,熱を追い出そうとしてさらに多くの血液が皮膚に送られる。そのため,心臓に余分の負担をかけることがあり,脳や肝臓や腎臓が損なわれることさえある。アルコール飲料を飲んで湯に入ることはいっそう危険である。
地球の目方を注視する
◆ 体重を気にしている世界中の人にとって,我々の住む地球は今やせん望の的と言えるであろう。カリフォルニア州のパサデナにあるジェット推進研究所によると,地球は,種々の測量値を収めた本に載っている従来の目方から3京7,500兆㌧も『減量した』。宇宙船とレーザーを使ったより正確な測定法で量ったところ,59垓7,500京㌧という新しい数値が得られた。1垓とは100,000,000,000,000,000,000のことである。
「休日」に稼ぐ
◆ ドイツ連邦共和国は1977年に「刑務所休日法」を制定した。これは,服役者に年3週間の出所を許すものである。最近,ハンブルグ警察は,この「再社会復帰」計画の効果を調べた。その結果,同市で発生した強盗事件の四件に一件が,昔の仕事で稼ぐ機会を利用した「休暇中」の服役者の犯したものであることが判明した。この事実を前にしても,「法務省は,休日制度が将来多くの更生者を生み出して,割りに合うものになると確信している」と,トゥー・ザ・ポイント誌は述べている。
入り混じる死海の水層
◆ 死海の塩分は普通の海より九倍も濃い。しかし底のほうの水は,上層の水より長い間さらに塩分が濃かった。その結果,上層の水と下層の水は,水と油のように,分離した状態にあった。しかし,ワイツマン科学研究所の報告によると,死海の上層と下層の水はついに入り混じったとのことである。何が水の層のこうした「混合」をもたらしたのだろうか。報告によると,今日死海に流れ込む真水の量は相対的にみると極めて少なく,それもすぐに蒸発してしまう。そのため,上層の水の塩分の濃度が下層の水の濃度にしだいに近付いていったのである。昨年の2月に両層の濃度が等しくなり,二つの層の水がついに入り混じった,と報告は述べている。それに伴い,玉子の腐ったような硫化水素のにおいが消えた。しかし,死海の水が再び分離して層を形成する可能性がある。それは,イスラエルが,地球上で最も低い死海と地中海を運河で結ぶ計画を立てているためである。死海に流れ下る水は大水力発電源になるであろう。もしこの計画が実現すると,死海の上層の水の塩分は再び薄くなっていく。
落下物体
◆ 米国の人工衛星スカイラブの落下騒ぎで,ほとんど毎日のように落下する他の多くの物体の影は薄くなってしまった。北米防衛司令部によると,ここ何年もの間,一日に約一個の割合で宇宙船の破片が落下しているとのことである。同司令部の話では,様々な国が打ち上げたおよそ1万1,000個の物体のうち,約4,600個が宇宙空間に残っている。最高70㌔もある破片がいろいろな国の陸地に落下している。1970年には,それぞれ70㌔近いソ連の宇宙船の破片五個が米国のカンザス州,オクラホマ州,テキサス州に落下したが,ほとんど注目されなかった。
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聖書理解の助け ― アッシリア(その一)目ざめよ! 1980 | 1月8日
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聖書理解の助け ― アッシリア(その一)
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
アッシリア(その一)。この名称は,メソポタミヤ平野の北端,つまり現今のイラクの国の北辺部を占めていた古代の国家に当てはまります。基本的には,この国はチグリス川と小ザブ川とで形成される三角形の地域に横たわっており,大体においてこれらの川が西方と南方の境界となり,一方古代アルメニアの山々が北方の境界,それにザグロス山脈とメディアの地が東方の境界となっていました。しかし,注意すべきこととして,これらの境界はかなり流動的で,バビロンが衰退したときには,アッシリアは小ザブ川の南に広がりました。ところが,アッシリアの政治的運命が低迷し,バビロンのそれが優勢になったとき,アッシリアは後退しました。このような変動は他の境界にも当てはまり,特にチグリス川の境界がそうでした。初めのころ,アッシリアはその川の西方に勢力を伸ばしていたからです。もちろん,アッシリア帝国はそれよりもはるかに広大な地域を擁しました。
アッシリアとバビロンの間にはその歴史を通じて密接な関係が続きました。この両者は,それぞれの領土の国境となる実際の分界線などの何もない地域を共同で占有する隣接国家でした。とはいえ,アッシリア本土の地域はほとんどが高地で,概して地勢がけわしく,気候はバビロニアよりもさわやかなところでした。人々はバビロニア人よりも精力的で攻撃的な性格を持っていたようです。浮き彫りには,顔色は黒く,濃いまゆ毛と堂々たるあごひげを生やし,よく目立つ鼻のある,屈強な体格の持ち主として描かれています。
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