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『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 9月15日
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ます。しかし,地球の他の所と同じく,この国においても,エホバがイザヤを通して預言されたとおりに行動する人は,本当に大ぜいいます。―イザヤ書 6章9,10節を見てください。
昨年,家庭聖書研究の司会はとても進歩し,平均して24万7957の研究が毎週司会されました。一昨年におけるその数は,23万3588でした。それで喜ぶ理由があるのです。では,野外奉仕で実際に起こった経験をいくつかお知らせしましょう。
すでにたびたび証明されているとおり,1枚のパンフレットでさえ,エホバの証人になりたいとの願いを燃え立たたせることができます。ある兄弟が小さな村で証言していたところ,一人の男の人がそれに気づき,兄弟の所に来て,『あなたはここで,どんなことをしているのですか』と尋ねました。兄弟が説明し終わると,その人は,以前は長老教会の活発な教会員であったが,「教会は聖書を神の言葉として認めないので」,ちょうどその教会をやめたところです,と語ったのです。彼が勤務中だったので,兄弟は簡単に話をして,「エホバの証人は何を信じているか」の小冊子をプレゼントとして渡し,御国会館に来ることをすすめました。御国会館に来たこの人は,暖かく迎えられ,あとでそのことをこう説明しています。「長老教会に丸1年いたときより,御国会館で午後のわずか1時間を過ごしたときの方がより深い友情を感じました」。そして,家に帰ると,自分はエホバの証人になる,と家族に告げ,次の火曜日の集会のとき,兄弟たちにこう尋ねました。「長老教会を脱会した証拠の手紙が必要ですか」。現在,家庭聖書研究が司会されています。そして,彼は一度も集会を休んだことがありません。
次の経験は,会衆の集会への出席者数が本当に増加したことを,証明するものです。事実,「ものみの塔」研究の出席者数は,御国伝道者の79.8パーセントから,84.7パーセントに増加しました。合衆国のすべての会衆において,およそ75.4パーセントが奉仕会に,76.1パーセントが神権宣教学校に出席しています。会衆の書籍研究の出席率はとてもよく,兄弟姉妹の約82.8パーセントが出席します。しかし,他の国々の数字を見ると,さらに高い出席率の国もあることに気づくでしょう。といっても,合衆国において,集会への出席は,一昨年に比べて,約5パーセントも増加したのです。それで,私たちの願いは,1968奉仕年度中も,すべての人がこの良い習慣を保ち続け,そのような集会で与えられる霊的な食物にあずかることです。
ある人は次のような手紙を寄せてきました。「『もし聖書の質問に答えてほしいなら,向こうにいる男のところに行って聞けばよい。彼はエホバの証人だ』。オハイオ州デートン市にある大きな工場で耳にすることを要約するとこのようなことばになります。実は,その工場では,53人の兄弟たちが働いているのです。53人のうちのほとんどが,工場での偶然の証言によって真理を知るようになったことが,そのようなことを言われる理由です。毎日,1時間の昼休み中,数人の兄弟が集まって,真理について話し合います。すると今度は,そこで働いている他の人が関心を示すわけです。そして,関心が大きくなったとき,工場内で『昼休み』家庭聖書研究が司会されているのです」。
他の人も次のような手紙を寄せています。「活発なエホバの証人の一家族に,年老いた母親がいましたが,その母親はほとんど目が見えず,大抵の時は寝ているので,その世話がなかなか大変でした。だれかが長い時間のあいだ,母親に付添う必要があったのです。奉仕への参加や集会への出席をやめるべきでしょうか,それとも,だれかを家に雇うべきでしょうか。彼らの決定は,家政婦を雇うことでした。しかし,エホバの証人を雇うなら,その人が集会に行けなくなるので,証人でない一人の婦人が雇われましたが,年老いた姉妹に喜んで本を読んであげ,しかもその能力を持つ人,という条件が付いていました。その読み物はと言えば,聖書で,そのうえ,婦人が驚いたことに,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌なども含まれていたのです。彼女はそれに同意し,自分の仕事をやり始め,朗読を始めました。しかし,しばらくすると,たくさんの疑問が起こって読むのを中断してしまい,1週間経たないうちに,こう言ったのです。『いつか御国会館に行きたいわ』。2週間過ぎないうちに,彼女は御国会館に行き,まもなくして,自分と自分の母親のために新世界訳聖書を求めました。そして,仕事がひけると,人間には地上で永遠に生きる機会がある,と友人に説明しています。しかし,今やその家族に別の問題が生じました。つまり,その付添い人を御国会館に連れていっている間に,年老いた母親に付添う別の人を探さねばならなくなったのです」。
「たとえ,音信を人々に伝えるのを足が妨げていても,手がしてくれますという内容の手紙が,病弱でありながら,5か月間休暇開拓奉仕をした姉妹から寄せられました。この精神でもって,彼女は700通にも上る手紙を書き,お礼と感謝の返事を300通以上も受けとったのです。いろいろの州の障害者施設に手紙を送り,郵便物を出してもさしつかえない人の名前を知らせてくれるように頼んだところ,すぐに,応じてくれました。関心を持つ人が見つかったでしょうか,一人の婦人が,自分は74歳にもなるが聖書を持ったことがない,という返事を書いてきました。姉妹は聖書と「見よ!」の小冊子を送り,他の人とどのようにして学ぶのかを教えました。この姉妹はほかに5人と研究を始めましたが,車いすに座っているため,他の人たちが彼女の所に来て研究しました。やがて硬化症に悩む,19歳の少年が姉妹に手紙を書き,自分の学校のことやその他について知らせてきました。そして,「目ざめよ!」誌を紹介されると,彼はすぐに手紙を書いて,手に入れられるすべての特別号を頼んだのです。後になってこの少年は,以前は神に祈るほどの信仰を持っていなかったと姉妹に語りました。現在では,エホバ神に祈りをしています。そして時間をさいて病人や気落ちしている本人に手紙を書く姉妹のお陰で,体も少しずつ回復し,新しい人生観を持つことができた,とも言いました。手紙での証言の結果,すばらしい経験をしましたが,それを全部話すなら時間がかかるでしょう,とこの姉妹は言っています。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 9月15日
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読者からの質問
● 昨年,私はかなりの財政困難に陥りましたが,協会の出版物を読んで以来,破産手続を取ってよいかどうか迷っています。この事に関して聖書は何か述べていますか。―アメリカの一読者より。
もちろん,聖書は破産に関する現代の法律について書いていません。負債を返さなかった人が牢獄に入れられたことがしるされているだけです。(マタイ 18:23-34)しかし聖書のことばから,クリスチャンがこの問題をどう見るべきかに関する手がかりが得られます。それでまず,現行法によって,「破産」とは何かを調べましょう。そうすれば,この事について聖書が述べることを検討でき,聖書の示す助言を知ることができます。
今日,多くの国で破産法が施行されています。国によって異なるかもしれませんが,普通この法律には二重の目的があります。その一つは,債務者の負債が多くなり,約束した通りに返済しないときに,債権者を保護することです。その場合,債権者は債務者に破産宣告させることができ,その財産を売らせ分配して返済に当てさせることができます。他方,この法律は正直な債務者を守るためにも適用されます。不本意ながら債権者の返済要求に絶対応じられない事態に追い込まれたとき,債務者が自発的に破産宣告することが認められるでしょう。この場合,彼の財産は債権者への返済の一部として扱われますが,ある物品,例えば家はおそらく保有することができるでしょう。こうして,負債者は以前の債権者からそれ以上圧迫されたり財産を取られたりする恐れなく,再び生活を始めることが許されます。
そのわけでこの法律は,商取り引き,つまり金銭取り引きにおける当事者双方を保護することを意図しています。何らかの保護が必要であることは,「破産(英語でbankruptcy)」という単語の語源からも説明できます。このことばは,「こわされたベンチ」を意味するイタリア語から生じ,中世時代,負債を支払えなかった商人のベンチや勘定台をこわした習慣に由来しています。ローマ十二表法の下ではさらに過酷で,債権者たちは最後の手段として,債務者のからだをばらばらに切り,それぞれ持ち分に応じてからだの一部を取ることができました。
エホバがイスラエルに与えた法律は,これらと全く対照的で,あわれみ深いものでした。貧乏になった仲間のヘブル人に金を貸すとき,利子を課してはなりませんでした。(レビ 25:35-38)貸し主は貸した金の抵当を徴収する場合,借り主の家に押し入って,望むものを何でも没収できませんでした。かえって,借り主が抵当を用意していたのです。貸し主は借り主のひきうすや丸といしを取れませんでした。それらは生活を続けるのに必要な物であったからです。たとえ衣服を抵当として取っても,それにくるまって寝てからだを暖かくできるように,夜にはそれを返さねばなりませんでした。(申命 24:6,10-13。エゼキエル 18:5-9)確かに,全く支払不能になったイスラエル人は,先祖伝来の土地を一時的に失い,自らを奴隷として売りました。しかし,ヨベルの年になると,その土地は持ち主に返されたのです。自らを奴隷として売った者でも奴隷のように酷使してはならず,尊敬すべき雇い人として待遇せねばなりませんでした。奴隷として働いてから7年目が来たとき,あるいは先にヨベルの年が来たとき,彼は自由の身となり,新しい生活を始めるための物資を与えられました。―レビ 25:39-41。申命 15:12-15。
借り主は,貸し主のこのような親切な扱いに心を動かされ,全力を尽くして借金を払い,その親切に答えようと決心したでしょう。約束や誓約に関し,
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