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  • 十戒の原則は永遠に有効
    ものみの塔 1961 | 8月1日
    • 心を守るなら,隣人のものをむさぼるということもなく,またイエスがここで述べているような不道徳な行いをしないでしょう。それどころか,他の者の「福利に」興味を持ち,彼らの益をはかります。そしてまた,他の人のうける誉をむさぼるようなことをせず,私たちはむしろ「進んで互いに尊敬し合い」ます。―出エジプト 20:17。申命 5:21。箴言 4:23。マタイ 15:19。コリント前 10:24。ピリピ 2:4。ロマ 12:10,新口。

      たしかにクリスチャンである私たちは,「律法の下にあるのではなく,恵みの下にある」。しかし,十戒は私たちを教えるために以前に書かれたものの一部です。十戒の中に含まれる原則は永遠に有効です。「もしこれらのことがわかっていて,それを行うならあなたがたはさいわいである」。―ヨハネ 14:17,新口。

  • 熱心な若い奉仕者
    ものみの塔 1961 | 8月1日
    • 熱心な若い奉仕者

      英領ギアナ

      あるいなかの会衆の12歳になる若い兄弟は,三つの家庭聖書研究を司会しています。聖書研究においては彼は,あるふるい伝道者と同じほどの成果をおさめています。彼と研究している人のうちのひとりは最近伝道をはじめました。巡回大会でインタビューされた時,聖書研究活動における成功の理由として,協会の提案通り最初の訪問で勉強をはじめることと,勉強の前後に10分の復習をすることをあげています。―1961年のエホバの証者の年鑑より

  • 神の目的とエホバの証者(その23)
    ものみの塔 1961 | 8月1日
    • 神の目的とエホバの証者(その23)

      「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳

      第17章 拡大した施設を用いて人々に自由を知らせる

      ジョン: たしかに1927年は奉仕の年でした。大会のときでも,最初から終りまで奉仕が強調されました。そしてまたその年の初めには,文書を用いる日曜「運動」が,アメリカの各会衆によって始められました。それは文書を配布するときにその寄付をうける運動でした。それについては,たぶん来週,もうすこしお話しします。

      その年,聖書文書の印刷は急速に進歩しました。その年に,ベテルから徒歩で約10分の117番アダムス街に特別に建てられた工場で印刷が始められたからです。2月に工場に移転し始め,3月1日までには完了しました。1928年の「年鑑」(英文)に出版された協会長の年次報告は,この拡大を示しています。私はいまその詳細な報告を読みたいと思います。それには制度とともに進歩していたこれらの兄弟たちの献身した精神が示されているからです。

      ついでですが,1926年の年間報告を載せた1927年版の年鑑は,協会が装ていした最初の本です。これ以前には,協会会長の年間報告は,毎年の終りに「ものみの塔」誌に出されました。冊子の形式で出版された1922年後でもそのようになされていたのです。1926年の報告からは,それは装ていされた「年鑑」(英文)として発行され,しかもきわめて詳細な報告がなされたのです。また1年の毎日のためと,週1度の祈りの集会のための聖句と注解も載せられました。聖書研究の資料出版についての次の報告は,その進歩を示すものであり,私たちをはげまします。いま,その報告に耳を傾けてみましょう。これは1928年の「年鑑」(英文)から取られています。

      1926年の年次報告の中で,協会は土地を買って,新しい工場の建築を始めたことが述べられていた。a この建物は,完成して2月には使用を始めることができた。印刷機や製本の機械類が運びこまれて,仕事が始まった。この工場は,約30メートル平方の土地に建てられて8階建である。荷物を運ぶエレベーターと人を運ぶエレーベーターもあり,明るくまた換気も良い。本や冊子の製造と発送にはもってこいの工場と言える。また,この工場内にある事務所の仕事をするにもたいへん具合が良い。過去6年間,本部で働いていた人々にとって,この建物と設備は実によろこばしいものであった。

      過去数年間の兄弟たちの本の印刷術と製本術の進歩は目ざましいものである。始めたときには,兄弟たちは機械の使用について何ひとつ知っていなかった。彼らは学ばねばならなかった。始めたばかりのときといまとを比較してみると,次のような例がある。協会のために大きな印刷機がドイツでつくられ,ブルックリンに送られてきたが,bその機械をすえつけるためにドイツから専門技師を招くことが必要であった。この専門家と数人の他の助手たちは,2ヵ月かかってこの機械をすえつけて,機械の使用を始めた。それから2年たたぬ中に,協会はそれと全く同じ型の印刷機をドイツで買い,アメリカにもってきた。工場内の一兄弟と数人の助手は,その機械を組立てたが,その仕事は3週間で行なわれた。多数の人々は,兄弟たちの為し得ることに驚嘆している。この世の人々は理解できない。しかし,主に献身している者たちにとっては,それは明白である……。

      本と冊子をつくるための機械の組み立てと操作に奉仕した兄弟たちは,主に献身した清い心をもってよろこび進んで行なった。この世の人には,そのようなことがとうてい理解できない。その結果は,主の奉仕を行なうすべての者を大いに励ますものである。ふつうには,そのような機械を取りあつかう者たちは,そのことを知る者の徒弟になってすこしづつ学ばねばならぬ。それでも最善の仕事をしようという正しい精神が彼らの動機ではない。主に全く献身して,学ぶ気持に燃え,主に頼って最善の努力をつくす者は,主の援助に依存する。このことの証明は,本や文書の発行のための協会の工場が拡大したことに見られる。

      マーチン兄弟は,ニューヨーク,ブルックリン,アダムス街117番にある工場と事務所の監督である。彼は,印刷の仕事の進歩には,その最初から深い興味を持っていて,参加した。この年の終りに協会の会長に送った報告の中で彼は次のように述べている。

      親愛なるルサフォード兄弟,主の工場の中で,主の援助の下に「黄金時代」(英文)27号をたくさん印刷することができたのは,実にすばらしい時でした。しかし,いまとなっては,それはずっと昔のように思えます。事態は急速に進歩しています。しかし,それでもわずか7年しかたっていません。しかし,この7年間に,主のわざについてはなんとすばらしいことが行なわれたのでしょう。

      特別号400万部を何台の自動車で発送したか,私は忘れました。しかし,ともかく,それは莫大な量でした。それはみな1台の大きな輪転機,いまでも「古い戦鑑」となつかしく呼ぶ機械でつくり出されたものです。あの古い戦鑑は,私たち全部にとって,良い友でありました。

      あなたは戦後すぐに大きな輪転機を求めようとされましたが,そのような機械はアメリカに数台しかなく,しかもその全部は仕事に忙しく使われていたので,幾ヵ月ものあいだとうてい買えそうに思えなかったことを御記憶でしょう。そのときには,待つ方が良いように見えました。

      しかし,適切な時に主は戸を開かれました。大きな輪転機が,私たちの手にはいりました。しかし,私たちはこの機械の組立てや,操作については何も知っていませんでした。しかし,主は彼にすべてをゆだねている者を援助して早く悟りにいたらせて下さいました。そして,ほとんど数日と言いたいぐらい,まったくのところ数週間という短時間のうちに,私たちは印刷機の操作を始めることができました。いまでも,その印機は使用されており,その製作者たちは,とうていできないと思える仕事をしています。

      あの戦艦を最初に据えて使用したところは,ほんとうに小さな印刷工場でした。現在のきぼや環境と比較するとき,全く小さなものです。工場の床面積は,わずか3000平方フィートで,しかも3階に分けられていました。そして,印刷物の生産のために働いた人の数は,わずか27人の兄弟でした。主の援助があったからこそ,わざをすることができたのです。その号以前では,私たちの印刷は外部の商社によって行なわれ,いつでも彼らに依存せねばなりませんでした。

      冊子の日

      「戦艦」印刷機を使用して,冊子が印刷できないかとあなたがたずねられたとき,それは主のわざにとって大なる日でありました。最初,それはとても不可能のように思えました。たとえば,その機械を製造した者たちもそんなことはできないと言いました。いままでに一度もされたことはないし,験してみるのは無益だと彼らは言いました。しかし,私たちは験してみて,その結果はあなたの御存じの通りです。

      昔の1920年,あの「戦艦」印刷機を冊子印刷に使用し始めたころ,1日の冊子印刷数は平均して1000冊だけでした。しかし,翌年には1日平均は3000冊で,1923年までには6000冊となり,1926年までには1日平均約1万冊以上となり,いまでは毎日の平均は1万5000冊です。この冊子はみな同じ機械でつくられるのです。経験を積みかさね,主の祝福をうけることによって,このような結果を得ることができました。

      御存じのように私たちの冊子はみな針金で綴じられています。私たちの最初の綴じ機では,ふたりが働いて1日に2000冊くらいを綴じることができました。しかし,改良された綴じ機は,別々に綴じるかわりに一度に二つを綴じるので,上手な者なら2人で,めいめい1日に2万5000冊の冊子を綴じることができます。

      冊子の折りたたみについても類似の進歩が見られます。御存じのように,折りたたみの機械は私たちが発明したもので,非常に態率の良いものです。この機械ではふたりの兄弟が働くことによって,手で折りたたんでいた12の兄弟たちは別の仕事をすることができるようになりました。最初,この機械を用いて上手な兄弟は1日1万冊の冊子を折りたたむことができました。今日では,手と目と筋肉を上手に使う兄弟は,同じ機械を使って1日に3万部を折りたたみます。すばらしい進歩です。

      本の日

      私たちが本を印刷して製本することはできないだろうかとあなたがたずねられたとき,それは,最も重大な意味を持つ日でございました。それは息の根もとまるほどの考えでした。なぜなら,植字,電気鍍金,印刷と製本全部の仕事を意味したからです。また使用を知らない機械を20台以上も使わねばなりません。大部分の機械は,私たちの知らないものですし,私たちは12以上の新しい仕事を学ばねばなりません。しかし,戦後は本製造の値段があがっているので,それは最善の方法に見えました。

      あなたはコンコード通り18番にある6階建の建物を借りました。(二つの階には借家人が住んでいました)そして,1922年の3月1日に私たちはそこに移りました。あなたは私たちのために,植字,電気鍍金,印刷,製本の機械一式を購入してくれました。その中のあるものは中古品でしたが,大部分は新品で私たちは仕事を始めました。

      それ以前に私たちの仕事をたくさん引きうけていた大印刷会社は,私たちのしていることを聞いて,その社長が見に来ました。彼は新しい設備を見て,賢明そうにもこう言いました「あなたがたは第一級の印刷設備を持っておられるが,その使い方を知っている人はひとりもいないようですな。6ヵ月もたたぬ中に,この全部は屑同然になってしまうでしょう。そして,あなた方のために印刷をしていた人々が,やはり仕事に

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