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確信をもつて教えるための資格を備えるものみの塔 1958 | 2月15日
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に対して,パウロは極めてはつきりとこう告げました,『あなたがたは,久しい以前からすでに教師となつているはずなのに,もう一度神の言の初歩を,人から手ほどきしてもらわねばならない始末である』(ヘブル 5:12,新口)この事について,あなたはどれほど長い間,ヱホバの証者の一人,すなわちクリスチャンであると主張してきましたか。クリスチャンであると公けに言う人で,円熟の域に達してクリスチャンの教えに成長しているなら,今では教える者となつているべきです。「牧師が私の代りに聖書を研究してくれます」と言つて,クリスチャンが自分の責任を避けることはできません。キリスト教国の牧師は会衆の監督であると主張していますが,パウロはこのような監督に対して語つているのではありません。パウロは,クリスチャンであると公けに言うすべての人に話しているのです。あなたは神の言葉を他の人に教えていますか。『あなたがたは,久しい以前からすでに教師となつているはず』であると,パウロは述べています。あなたは既に長い間,神の会衆に行つていますから,真理とは何かを知つているはずです。では,なぜ他の人に真理を教えていないのですか。それで,ヱホバの証者にあてはまることは,キリスト教国のすべての人にも適用されます。彼らは神の御国のこの良いたよりを伝道して教えるべきだからです。さて,あなたは神の会衆と一緒に学ぶことによつて円熟に進んでいますか。そして,あなたの会衆の外にいる他の人のところに毎週行き,あなたの学んだ事をその人々と共に研究していますか。
神の命に従つて教えること
19 議会の宗教家たちは,なぜ使徒たちの伝道に反対しましたか。これは使徒たちにどんな影響を与えましたか。
19 ヱホバの証者は良いたよりを伝道しているゆえに,世界の多くの場所でヱホバの証者を圧迫する迫害が起つています。しかし,迫害のために彼らが不活溌になることはありません。ペテロも彼の時代において,非常に熱心に神の御国の良いたよりをひろめました。病気の人々をいやし,また伝道したために,ベテロは投獄されたのです。当時の宗教家,すなわち議会<サンヘドリン>は,使徒たちがキリスト・イエスについて人々に教えることに強く反対しました。使徒たちが人々に聖書の教育を与えて建設的な業を行つたゆえに,宗教家たちは『彼らを呼び一切イエスの名によつて語り,また教えざらんことを命じたり』(使行 4:18)しかし,使徒たちは人に指図されたからといつて,伝道を止めませんでした。支配者が使徒たちを投獄したとき,使徒行伝 5章20節の記録が示すように,ヱホバの天使は牢獄の扉を開いてこう告げました。『さあ行きなさい。そして,宮の庭に立ち,この命の言葉を漏れなく,人々に語りなさい。』初期の使徒たちに対するヱホバの天使の言葉は,今なお神の言葉の一部であつて,今日のクリスチャンにも等しく適用されます。この生命と来るべき生命に関する言葉は,今なお地の極にまで宣べ伝えられねばなりません。当時の宗教家はその言葉が宣べ伝えられることを望みませんでした。それは彼らの仕事の妨げとなつたからです。朽ちつつある既成の宗教から離れて,キリスト・イエスの新しい真実の宗教に従う人々は余りに多かつたのです。
20-22 (イ)使徒行伝 5章29節において,ペテロと使徒たちは従順に関するどんな原則を述べましたか。また詩篇 26篇11節においてダビデは?(ロ)ヱホバの証者は,今日どのようにこの原則に従いますか。彼らは確信をもつて伝道する資格があることをどのように示しますか。
20 使徒たちが牢獄にいないことが分つて後,彼らは『宮の庭に立つて,民衆を教えていることが報告され,彼らは直ちに急いで議会<サンヘドリン>に連れてこられました。聖書の記録はこう述べています,『彼らを連れてきて,議会の中に立たせた。すると,大祭司が問うて,言つた,「あの名を使つて教えてはならないと,きびしく命じておいたではないか。それだのに,なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を,はんらんさせている。あなたがたは確かに,あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと,たくらんでいるのだ」。これに対して,ペテロをはじめ使徒たちは言つた,「人間に従うよりは,神に従うべきである」(使行 5:27-29,新口)使徒たちは支配者を恐れなかつたのです。彼らが神から受けた命令は,教え,伝道することでした。彼らはダビデが予影したイエスのようでした。ダビデは言いました,『されどわれはわが完全によりてあゆまん』(詩 26:11)彼らは言葉と手本によつて誠実さを教えた立派な人々でした。キリスト・イエスを手本として,彼らはひるむことなく,人々の心と思いを固定した偽善の古い宗教から,真理と生命の言葉,神の御国が人類の唯一の希望であることを彼らに教えた宗教へと立ち返らせたのです。
21 使徒の時代と同じことが今日でも起つています。ドミニカ共和国の支配者は,カトリックの牧師の手引きによつてヱホバの証者を殴打した上に投獄しました。それはヱホバの証者が御国の良いたよりを伝道しているからです。ポーランドをはじめ鉄のカーテンの背後の国々の支配者は,共産主義の教義と牴触するというので真理を宣明してはならぬと言います。それでもヱホバの証者は使徒たちが当時に伝道したと同じ方法で伝道することを止めません。必要ならばヱホバの証者は地下に入つて伝道と教える業を続けます。彼らは人間よりも神に従うのです! ヱホバの証者が自由に伝道する機会のある国々においてさえ,その業は宗教指導者の手によつてしばしば反対に遭います。これらの悪しき者がヱホバの真理の宣明を妨げようと欲するなら,彼らはヱホバの裁きをも受けるべきです。
22 しかし,真のクリスチャンは神の言葉に従います。それで口をつぐむことをせず,かえつて教える資格があることを自ら証明します。彼は神の会衆の群の集りに行きつづけ,そこで熱心に学んで研究します。それは確信をもつて他の人に真理を伝えるより良い資格を備えるためです。彼はキリスト・イエスの足跡に従つて歩み,伝道し,教えねばならないと知つています。彼は神の言葉に忠実でなければならず,また,ヱホバの御命令を最後まで成し遂げねばなりません。そして,すべてのよい業に備えをなし,教える資格を持たねばなりません。また,初期の弟子たちと同じく御国の宣明に熱心であつて,自分自身の忠実を証明しなければならないのです。
23 人が真のクリスチャンになるのを助けるものは何ですか。その目的のため,ヱホバの証者はどのように援助しますか。
23 使徒たちが当時に御国を伝道した方法と,今日ヱホバの証者がその業を行う方法とは何ら相異していません。信仰復興運動,巨大な教会の建設,政治家を動かす宗教家たち,異なつた宗派を一つに合わせることなどによって,国がクリスチャン国家になる訳ではありません。これは人々がヱホバの御目的を理解する上に助けとはならないのです。そうではなく,家から家に行き,憎むべきことのために歎き悲しむ人々を探し出して真理を教えるとき,人々は宗教についての考えを変えます。真のクリスチャンが知らない人の家に行き神の言葉からの慰めを与えることによつて,クリスチャンは効果を収め,その人は生活の仕方を変えるでしよう。力を合わせることによるのではなく,真理がそのことをします。この事を心に留めて下さい,『主の僕たる者は争つてはならない。だれに対しても親切であつて,よく教え,よく忍び,反対する者を柔和な心で教え導くべきである』― テモテ後 2:24,25,新口。
24 他の人を教えるという点で,偽りの宗教家の用いる方法はクリスチャンの用いる方法とどのように比較できますか。
24 過ぎ去つた昔には,一つの国が興つて他の国に戦いを挑み,宗教戦争によつて人々の宗教を変えようと図つた事が時にありました。権力者と同じことを人々に信仰させようとして,世界の各地で宗教家は異端審問所を開きました。宗教家たちはインド人また異なる信仰を持つ他の人々に,迫害者の信仰を強制しようとしてきました。パウロは決してそれらの方法を用いず,キリスト・イエスもその事を意図されませんでした。初期クリスチャンは,人々と一緒に坐り,巧みに,我慢強く,静かにまた謙遜に神の言葉を人々に話して真理を教えるという簡単な方法を用いました。柔和に教え導くなら,悪く導かれている人にも真理を教えることができます。聖書に反対している人々でさえも,巧みに近づくなら神の奉仕者に聞くでしよう。
25 ヱホバの証者はひきつづき何をしますか。真理を求める人々は何をするように励まされていますか。
25 ゆえに,今日ヱホバの証者は終りが来るまでこの良いたよりを証しのため全世界に伝道しつづけようと努めます。そして,このすべての期間を通して,彼らも次のことを言えるでしよう,『ヱホバよ,ねがわくはわれを裁きたまえ,われわが完全によりてあゆみたり。』神の言葉を彼らと共に学び,聖書から得る知識を実際に用いて下さい。そして賢い人々と共にいて,あなた自身が賢くなって下さい。その場合,あなたは次のことを確かに知るでしよう。すなわち,愚かな者の友となる者は悪くなりますが,知恵はそれを見出す者にとつて生命の木となるという事です。あなたは生命を愛し,天の御国の下にある神の新しい義の世界に住みたいですか。それでは,『平坦なるところに立ち,もろもろの会のなかにて』ヱホバを讃めなさい。そのとき,あなたは何時も次のように言うことを決意するでしよう。『されどわれはわが完全によりてあゆまん』。
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異端者の取扱いものみの塔 1958 | 2月15日
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異端者の取扱い
トーマス・アクイナスは,13世紀の人でローマ・カトリック教会の有名な哲学者です。彼の著「サマ・セオロジー」は興味あることに今日でもローマ・カトリックの標準の権威書として不動の地位をしめていますが,異端者の取扱いに関して,質問12の3条,2a,2aeで次のように論じています。『魂に生命を与えるところの信仰を腐敗させることは,一時的な生命を支えるところの貨幣を偽造するよりも遙かに由々しいことである。ゆえに,貨幣偽造その他の悪人が世の支配者によつて直ちに,正当な死に渡されるとすれば,異端者はその異端の罪が証明され次第,破門に留まらず,殺されるのは全く当然であろう。』
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