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支部の手紙王国宣教 1977 | 10月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
ここベテルで働いているわたしたちの多くが好きな聖句のひとつは詩篇 27篇4節(新)です。次のように述べています。「一つの事をエホバに求めました ― それをわたしは待ち望みます。わたしの命の日の限り,エホバの家に住むことを。エホバの喜ばしさをながめ(るために)」。
ベテルというのは「神の家」という意味があり,今日ベテルと呼ばれる神権的な大きな家族が地上に沢山あります。ブルックリンのベテルには1,813名,ものみの塔農場には588名がおります。日本の東京ベテルには15名,沼津ベテルには83名が生活しています。全員が献身した全時間の奉仕者であり,ある人々は35年以上その立場を保っています。日本のベテル奉仕者の全時間奉仕の年月は平均9.7年になっています。22名は食事を準備したり,75の部屋を毎日掃除して働きます。毎日250食余の食事をおいしく調えています。62名は工場で印刷,製本及び発送の仕事に忙しく働きます。沼津工場で今までに8,800万冊以上の雑誌が生産されました。そしてこれからの拡大のためにしなければならない事柄を喜んで果たしてゆこうと考えています。特に来年から計画されている書籍の印刷と製本という新しい仕事を心から楽しみにしています。
毎日の生活は,15分間の日々の聖句の築き上げる討議により始められます。約8時間の割当てをホームや工場で果たした後,月曜日の晩には家族の「ものみの塔」研究を楽しみます。他の晩はベテルの周辺の21の会衆の集会に出席したり,野外の奉仕に参加したり,または個人の事柄に時間を用いています。ベテルの長老たちは毎月一回ベテルの講演者として約320キロメートル以内の他の会衆に,その求めに応じて出かけることもあります。
みなさんの会衆あるいは家族からベテル奉仕のために出た兄弟たちが会衆からいなくなったことをさびしく思うことがありますか。ベテルに来た兄弟たちもきっと同様に感じているでしょう。しかしそれらの兄弟たちが行なっている重要な務め,つまり他の多く
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話す能力を培う王国宣教 1977 | 10月
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話す能力を培う
1 宣べ伝えて教え,さらにその人々を弟子としバプテスマを施すようにというイエスの命令を遂行するために,明らかに初期クリスチャンたちは神の言葉について他の人々に話さねばなりませんでした。彼らは真理に対していわばおくすることのない話し方を学んだのです。ペテロとヨハネが話すのを聞いたユダヤ人のことが聖書に記されていますが,以前漁夫であったこれら普通の人が,公の話をするのに,どうしてそれほど力強く,大胆であったか彼らは驚かずにはいられませんでした。―使徒 4:13。
2 ペテロとヨハネとは聖書を研究してきたのです。いわば聖書の研究者でした。彼らは自分たちの師,イエスから学び,そして話す能力も培っていたのです。イエスの命令を遂行するためにはさらにそれらが必要であることを認識していたのです。それで,神の聖霊の援助をさらに受け彼らは初期クリスチャン会衆が行なった公の話や伝道活動の先頭に立つよう用いられました。―使徒 2–5章。
あなたはそれを祈り求めますか
3 今日のクリスチャンも同様に,真理の音信を広めるのに大胆でおくすることのない話し方をしなければなりません。初期のクリスチャンが行なったようにあなたはおくすることのない話し方ができるよう祈り求めますか。(使徒 4:29)記録はエホバが彼らの祈りに答えられたことを示しています。―使徒 4:31。
4 使徒パウロは話す能力を培った人の際立った模範です。第三回目の宣教旅行の際,パウロはエフェソスにおいて,「三か月のあいだ大胆に語り,神の王国について話し,また説得に努め」ました。(使徒 19:8)パウロがただ生来のどんな能力にも頼っていたのでないことに留意すべきです。というのは,彼は後にエフェソスの会衆に次の様に書き送っているからです。「祈ってください。……わたしが……話す能力を与えられるようにです」。(エフェソス 6:18-20)パウロや他の初期クリスチャンがしたように,あなたも自分や仲間のクリスチャンのために,話す能力を祈り求めますか。
そのために努力しますか
5 老若男女を問わず,わたしたちすべては真理を十分に話す能力を培う必要があります。これには努力が要ります。あなたは話す能力を培うために努力していますか。パウロはテモテ第二 2章15節でそのことについて助言しています。わたしたちも話す能力を培うために力をつくして励み,恥ずべきところのないようにしなければなりません。反論にあうと,それで話をやめてしまうでしょうか。あるいは,それを跳び板のように用いて討議を進め,わたしたちのいだく聖書の希望をさらに詳しく述べることができますか。
6 話す能力を身に着けるためにどのように努力を払ったらよいでしょうか。一つの方法は神権学校で自分のうけるすべての割当てを十分によく準備することです。わたしたちすべては与えられる助言を適用し自分のする毎回の話で話す能力を改善するよう努力すべきです。同じことは奉仕会の割当てを持つ人,公開の聖書の話をする人,そして「ものみの塔」研究で朗読する人々にも当てはまります。より多くの話をすればするほど,よりよくそれができるようになります。家から家に行く時,わたしたちすべては上手に,そして大胆に話すよう努力してみるべきです。もしわたしたちが前もって準備して,用いようとしている会話するための話題を十分に知るなら,さらに大きな成功を見ることでしょう。
7 例えば10月中,「将来を予告することは可能ですか」と題する会話するための話題を用いて,予約活動に一生懸命努力してごらんになりませんか。ある伝道者は予約の提供を苦手に感じたり,ある会話するための話題が何か自分にぴったり来ないように感じるかもしれません。まさにこの時こそ,話す能力を与えてくださるよう神に祈り,奉仕の友と一緒に話し方を改善するよう努力すべきなのです。9月25日の週,および10月9日の週の奉仕会のプログラムを熱心に研究すれば,予約活動においてよく話せるでしょう。奉仕の際に用いる雑誌の内容によく通じていることも効果的に話をするのに大きな助けとなります。このような努力を払うことにより,みなさんが予約活動を楽しまれるよう希望しています。
8 大胆な話し方とは粗雑に話すことではないということを覚えておくのは良いことです。巧みさと識別力とを働かせるのは賢明です。これら二つのものは話す能力を培うことの一部です。(コロサイ 4:6)確かにエホバはわたしたちの努力を祝福してくださり祈りに答えてくださるので,大胆にみ言葉を話す能力を培うことができるでしょう。
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神に奉仕するあなたの喜びを増し加える王国宣教 1977 | 10月
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神に奉仕するあなたの喜びを増し加える
1 喜びは神の聖霊の実の一つです。それゆえ,わたしたちが持つ必要のあるものです。神の霊に満ちていたイエスは「苦痛に,また病気を知ることに定められた人であった」にもかかわらず,喜びの人でした。(イザヤ 53:3,新)それでも,「自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右にすわられたのです」― ヘブライ 12:2。
2 イエスはご自分のために神が取っておかれた王また大祭司としての奉仕を待ち望まれました。イエスはご自分と共に王国にあずかる者たちを教えたり訓練したりすることに大きな喜びを経験されました。イエスはまたみ父のみ名を擁護すること,そしてご自分の弟子たちが同じ喜びにあずかるよう強めることにこの上ない喜びを見いだされました。このような喜びはすべての妨害や侮辱を取るに足りないこととして消し去らせてしまいました。わたしたちもイエスに見倣うことにより,良いたよりを伝える際に困難な状況に立ち向かうことができると同時に,楽しい経験をすることができます。エホバの奉仕に用いることができるある程度の健康と体力を現在持っていることを認識する時,新しい事物の体制,そしてエホバがわたしたちのために用意しておられる事に対する期待の喜びはわたしたちを常に支えるでしょう。
いま味わえる喜び
3 いま味わえる際立った喜びの一つは,病気,貧困,苦難,不幸そして孤独などに面している兄弟たちを助けることです。(ガラテア 6:10。ヤコブ 1:27)そして,他の人に良いたよりを分かつ喜び,わけても彼らと聖書を研究する喜びに代わるものがあるでしょうか。その人々が真理をは握し,真の崇拝の要求に調和して生活を変化させるのを見る以上にわたしたちを励ますものはありません。この喜びは実際に経験して初めて,本当に認識することができます。
4 わたしたちは証言を行なっている時には,最良のたよりを分かち合っているということを知ってはいますが,それでも時として喜びを失いそうになることがあるのはなぜでしょうか。それは,自分が良いたよりをふれ告げている理由を忘れる傾向があるからです。
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