-
支部の手紙王国宣教 1979 | 11月
-
-
支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
この「王国奉仕」には1979奉仕年度の日本の奉仕報告が載せられております。本当にエホバは熱心に働いたみなさんの努力を豊かに祝福してくださいました。奉仕年度中示された特にすばらしい努力は開拓奉仕の支持で,大勢の方々が正規開拓奉仕に加わり,また補助開拓奉仕を幾度も楽しまれました。その結果,より多くの時間が証言活動に充てられ,さらに多くの再訪問や研究がなされました。みなさん本当によく努力なさいました。
奉仕に費やされた全時間を人口で割ってみますと,それは国中のすべての人に対し1年間で9分少々の証言がなされたことになります。わたしたちはこのような良い努力が示されたことをうれしく思うと共に,これからもひき続き奉仕の拡大を図りたいと思っています。
さらに全日本の伝道者数はどうなったでしょうか。うれしいことに8月に伝道者数は,5万473人に達しました。10年毎の伝道者の増加を比較してみますと,戦後の活動が開始されて間もない1949年12人,1959年1,390人,1969年7,637人,そしてこの8月に初めて,5万473人に達しました。こうした増加に伴って,9月から日本の巡回区の数は六つ増えて,68となりました。本当に『それをずっと成長させてくださったのはエホバ』なのです。―コリント第一 3:6-9。イザヤ 9:7; 40:10,11; 60:8-10,22。啓示 7:9,10。
わたしたちはエホバの後ろだてを確信し,エホバに全幅の信頼を寄せ,一生懸命そのご意志を行なっていきたいと思います。
ところで8月中に,9月から新しく正規開拓奉仕を希望した方々の申込書が洪水のように支部に送られてまいりました。全部で777人の方々が9月から正規開拓を新たに始めるよう申し込み,任命されたのです。何と大勢の方々が王国の業により十分あずかるべく努力しておられるのでしょう。新しい奉仕年度もわたしたち各人はそれぞれ目標を持って,奉仕に励みましょう。わたしたちの心からの愛とあいさつを送ります。
共に働く,日本支部のみなさんの兄弟
-
-
特に必要を抱えた人たちを助ける王国宣教 1979 | 11月
-
-
特に必要を抱えた人たちを助ける
1 みなさんは,何らかの障害のため,または限られた能力しかないために,エホバとその善良さについて話す機会が大幅に限られている人たちと一緒に働こうとされますか。何らかの能力が欠けているために限られたことしかできない人たちが,どこの会衆にも大抵一人や二人はいるものです。肢体の不自由な人,盲人,耳の聴こえない人,老齢の人など,身体的能力の限られた人は少なくありません。それらの人たちの限られた奉仕をエホバは確かに喜んでおられるのですから,十分に参加したいという彼らの願いはわたしたちの願いより幾分でも劣っているなどと考えるべきでしょうか。
2 事実,身体上の弱さゆえにエホバの愛や善良さをなお一層感じ,もっと多くを行ないたいと願うようになる人たちもいます。そのような人はエホバに仕えるさらに多くの機会を求めるかもしれません。そして,他の人々からの何らかの援助を得られれば,そのことが可能になり,結果としてすべての人の喜びは大きなものとなります。そのような人たちをわたしたちの奉仕の計画に含め,目ざとく機会を捕えて彼らを連れて行ってあげたり,参加できるよう援助することは,愛ある関心の立派な表わし方ではありませんか。これは,互いに助け合うというわたしたちの立てた目標と一致します。
わたしたちにできる事柄
3 このように考えを働かせることは,クリスチャン会衆に行き渡っている神の霊の働きと確かに調和しています。パウロは,「それは多くの肢体であり,それでもなお一つの体をなすのです」と説明し,身体的な性質のものもある様々な制限のために「ほかより弱く見える肢体」があると述べています。その結果はどうですか。『一つの肢体が苦しめば,ほかのすべての肢体がともに苦しむのです』。「助けになる奉仕」によってそのような人たちを援助しようとする努力は,会衆を愛のうちに一つに引き寄せ,王国の音信を宣明する業を強化するものとなります。―コリント第一 12:19-31。
4 そのことを行なう方法を何か考えられますか。ある会衆に一人の目の見えない兄弟がいましたが,その兄弟はエホバへの奉仕において自分が行なっていることに満足しきっていたわけではありませんでした。もっと多くの事をしたいと思ったのです。必要を感じ取った別の兄弟が,自分に援助できることはないかと尋ねました。事がうまく進み,やがてその目の見えない兄弟は,自分で定期的な聖書研究を司会するようになっていました。どのようにしてそれができるようになったのですか。助けを与えた兄弟は毎週時間を割いて,その兄弟に資料全体を声を出して読んであげたのです。また,目の見えない兄弟の聖書研究について行き,質問を読みました。資料全体に精通した目の見えない兄弟は,とてもよい研究を司会することができ,それは彼にとって大きな喜びとなりました。
5 別の会衆では,数人の耳の聴こえない人たちが交わるようになりました。通訳をしてこれらの人たちを援助する人がいなかったので,数人の若い兄弟姉妹がこの必要を目ざとく認め,指話を勉強しました。集会の益がそのような人たちに伝わるよう手助けすることによって,彼らは立派な仕方で兄弟愛を表わしました。彼らはまた,その人たちを奉仕にも一緒に連れて行くよう取り決め,色々な家を訪問する際,これら耳の聴こえない人たちが自らの希望を他の人々に言い表わす機会を作ってあげました。言うまでもなく,関係したすべての人が互いに励まされました。
6 重度の肢体障害者である一姉妹は,集会に行ったり,群れの奉仕の取決めに参加するのはほとんど不可能であることを知りました。思慮深い数人の伝道者は,この姉妹が家にいたきりでも益を得られるよう,交代で会衆の集会を録音する取決めを設けました。励ましを与えるための定期的な訪問に加えて,彼らはその姉妹が野外奉仕に参加すべく物事を整えるのも援助しました。関心を持つ人々の住所氏名を知らせてあげたのです。姉妹はそれらの人々に手紙を書くことができ,そのうちの幾人かは聖書研究をするところまで進みました。関心を持つ人が病弱な人のところに連れて来られ,そこで定期的に研究が司会されたという似たような例はほかにもあります。別の経験では,親切な伝道者は街路での業を行なう時に病弱の人を車いすに乗せて連れて行ってあげたり,そのような人が戸口から戸口に容易に動けるような団地を奉仕する時に伴って行ったりしました。それには時間と努力が余分にかかりますが,こうして共に働くことの広範囲に及ぶ益を考えてみてください。
7 みなさんもきっと,ほかでもないご自分の会衆の中で,同様の種々様々な必要を見いだすことができるでしょう。言語の障壁にぶつかっている外国語を話す伝道者がいますか。手助けの必要な老齢の兄弟姉妹がいますか。慢性の病気のために,限られた特定の状況下でしか奉仕活動を行なえない人たちについてはいかがですか。この事柄に少し考慮を払うなら,みなさんは仲間の兄弟を,本人にもみなさんご自身にも大きな喜びをもたらすような仕方で援助するのに貢献できるでしょう。
8 共に働くという見方をもってわたしたちの活動を計画する時,障害を持つ人たちは,「もしもその一人が倒れるなら,他方の者がその仲間を起き上がらせる」ことを確信できます。それはまた,次の箴言の意味を現実のものとします。「友は常にその愛を示す。もし悩みを共にしないなら,何のための兄弟だろうか」。―伝道 4:10。箴 17:17,今日の英語聖書。
-
-
定期的に奉仕するよう互いに助け合う王国宣教 1979 | 11月
-
-
定期的に奉仕するよう互いに助け合う
1 野外の活動に定期的にあずかることは霊的な強さのしるしです。しかし,人が病気になると,計画はざ折し,物事はなされなくなり,助けが必要になります。
2 エホバは,すべての活動において定期的であるという見事な模範です。エホバはわたしたちの霊的,身体的必要物を定期的に備えておられます。(啓示 22:2。マタイ 6:11)わたしたちの存在そのものが神の創造に見られる定期性に依存しており,しかも,わたしたちが値しない者であるのにエホバはわたしたちをお忘れになることはなく,わたしたちに絶えず愛を示しておられます。―ヤコブ 1:17。
3 エホバからのそのような定期的な奉仕の益をわたしたちは確かに感謝するのではありませんか。そのような感謝に動かされる時,わたしたちは同じような仕方で答え応じ,忙しい生活の中でエホバに定期的に仕えるための余地を設け,良いたよりを宣べ伝えることも,それを報告することもなくひと月が過ぎてしまうことのないよう努めることでしょう。
4 また,奉仕において定期的になるよう互いに助け合う必要もあります。というのは,1979奉仕年度中,日本においておよそ4,000人,つまり平均して一つの会衆で4人が,野外奉仕において不定期か不活発になったことが報告されているからです。もしみなさんの会衆にもそのような人がいるなら,それがだれであるかご存じですか。もっと大切なこととして,彼らを助けるために何ができるでしょうか。第一に,長老たちは率先して彼らを訪問することができます。たぶん,奉仕のしもべのだれかを伴って行くことができるでしょう。そうすれば,その人があとを効果的に受け,愛ある援助を続けられます。しかし,わたしたち個人も「信仰において結ばれている」そのような人たちに対して責任があります。(ガラテア 6:10)ですから,長老たちに確認した上で,そうした人のだれかを進んで訪問するようみなさんにお勧めしたいと思います。
5 個人的な関心を示し,わたしたちの再訪問や家庭聖書研究に一緒について行くなど,野外奉仕に一緒に行くことを申し出るだけで十分な場合が少なくありません。このこと自体,彼らがかつて抱いていた野外奉仕への喜びや愛を再び燃え立たせるのに役立つかもしれません。ある人の場合は,霊的な物事への認識を強めることが助けになるかもしれません。これは,出版物の中の特に心を打つ記事や,巡回大会,地域大会で学んだ聖書の興味深い点,王国会館や他の場所で聞いた励みとなる経験などを共に分かち合うことによって行なえます。こうすれば定期的に集会に出席
-