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    王国宣教 1976 | 9月
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      王国伝道者のみなさん:

      「神聖な奉仕」地域大会は何とすばらしい霊の宴だったでしょう。わたしたち一人一人はエホバに対する神聖な奉仕を行なう特権を与えられており,それに対して平衡の取れた見方を持つよう助けられました。それは単に野外や集会で「賛美の犠牲」として神の「み名を公に宣明するくちびるの実」をささげることたけでなく,「善を行なうこと,そして他の人と分かち合うこと」という『神に大いに喜ばれる犠牲』をささげることをも含んでいるのです。(ヘブライ 13:15,16)それであるからこそ,この神聖な奉仕は夜昼,神にささげることのできるものであり,わたしたちの日常生活のあらゆる分野を包含するものです。(コリント第一 10:31。ローマ 12:1,2。啓示 7:15)わたしたちの決意は家族として,会衆としてこの神聖な奉仕を忍耐強く平衡を保ちながら,夜昼行なって,神に賛美をもたらすことです。

      新しい日本語の書籍,「世の苦難からの人間の救いは近い!」が発表されたのは何という祝福だったのでしょう。同時に発表された英語の出版物のうちの何冊かは将来日本語でも入手できるようになるとの発表にわたしたちの胸はおどりました。

      宣教者,特別開拓者,正規開拓者たちに親切な取決めが設けられたことをみなさんは喜んでおられることでしょう。これは奉仕の手をゆるめることを意図したものですか。そうではありません。むしろ協会は長年の間このような立場で働いてこられた方々がこれからもこの優れた奉仕の特権にしっかりとどまれるよう,またこれからも新しい方々が更に大勢この奉仕の特権に参加なさるよう調整を加えたのです。補助開拓者の取決めはさらに多くの方々が開拓者の隊伍に加わるよう道を開きました。この終わりが近づいた今,わたしたち一人一人は最善を尽して王国を宣べ伝え弟子を作る業にあずかりたいと願っています。開拓者すべてに対してなされた調整の助けを得て,あなたも開拓奉仕のいずれかの分野に参加してごらんになりませんか。

      6月の野外奉仕のすばらしい報告をみなさん

  • あらゆる人に対してあらゆるものとなる
    王国宣教 1976 | 9月
    • あらゆる人に対してあらゆるものとなる

      1 奉仕において有用な者となるためにわたしたちは他の人と話すことができなければなりません。これは適応できる人になるということです。なぜならわたしたちはあらゆる種類の人に会うからです。ある人は,宗教を持っていると言って断わりますし,忙しいまたは関心がないと述べて断わります。その人たちは他の人がわたしたちの業について悪く言うのを聞いているので音信を実際に聞く前に心を閉ざしているのかもしれません。彼らを助けるために何ができるでしょうか。

      2 パウロも反対に直面したので異なった人に話すのに様々の近づき方をしました。彼は次のように述べています。「わたしは,ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。……律法のない者たちに対しては律法のない者のようになりました。……弱い者たちに対しては弱い者となりました。……わたしはあらゆる人に対してあらゆるものとなってきました。なんとかして幾人かでも救うためです。わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを他の人びとと分かち合う者となるためです」。(コリント第一 9:20-23)わたしたちも人と会って話す際,適応できる人となるよう努めますか。

      “とても忙しい”人々に対して

      3 しばしば人は「忙しいです」と言ってわたしたちの紹介のことばをさえぎります。もし本当に忙しいなら,わたしたちの示す思いやりは感謝されることでしょう。このような場合次のように言うことができます。「ご都合の悪い時に伺って失礼しました。聖書に示されている事柄をお分かちしたいと思いましたが,時間がないようですのであるいはこれ(小冊子,雑誌または招待ビラ)をお渡しできるかと思います。後でもっと都合の良い時に聖書に示されている事柄をご一緒に話し合えるなら幸いです」。時々人はこうしたことが友好的な仕方でなされる時何かを受け取ります。そして忙しいということに示されたわたしたちの配慮に感謝します。

      4 時には,それがわずかの時間であるということでその人を安心させることができるかもしれません。ある兄弟たちは時計を見ながら,「二分でわたしの目的をご説明できます」と言って約束を守ります。その人を会話に引き入れるよう努めるかわりに訪問の目的をすぐに知らせます。また聖句を討議して講演に招く(そして招待ビラの証言を読むように勧める)か,または後で何かを読めるように文書を示すこともできます。すべては家の人の態度や状態に依存しています。もしわたしたちの訪問する時が都合良くないとしても,すべてが自分のしていることをやめて聞いてくれると期待することはできません。ある場合にしばらくして後に再び訪問する方がもっと都合良いかどうか誠実に尋ねることができるでしょう。あるいはわたしたちはもっと都合の良い別の時に話すことができる旨その希望を言い表わすことができます。

      ‘自分の宗教を持っている’人々に対して

      5 「わたしには自分の宗教があります」という別のことばも聞きます。わたしたちはそのことを知ってうれしく思いますと答えられます。そしてこの国には非常に多くの異なった宗教があるので,いろいろな人々が持っている見解やその人か信じている事柄を知るのは良いことであると思われませんかと尋ねることができます。または神を信じていることを知ってうれしく思いますと述べることができるでしょう。加えて人々は自分が宗教に属していても,聖書の知識は自分の信仰に大いに寄与するので聖書の知識を増し加えたいと考えている,ということを話せます。

      6 自分の宗教を持っていますと言う人々に答えて一人の兄弟は愛想よく次のように述べます。「それでもわたしたちはそのことで争っているわけではありませんね。つまりどの宗教に所属するかは個人的な事柄だと思われませんか。わたしたちの目的は聖書の研究をただ勧めることであって会員を集めているのではありません。ただもし人が聖書の教えていることを学ぶなら男性でも女性でも良い隣人になるということを確信しています。あなたもそう思われませんか。人が聖書の知識に基づいて行動するならその人を高めることになります。わたしたちは多くの人々が楽しんでいる家庭聖書研究の方法を手短に喜んで示したいと思います」。

      7 もしこの“宗教的な”反対がひんぱんに生じているなら,紹介のことばでわたしたち自身がそれを持ち出すのが良いかもしれません。次のように言えます。「わたしは人々を訪問していますが,ほとんどの方はご自分の宗教を持っています。あなたも宗教をお持ちのことと思いますがわたしがお寄りした理由はこの話題に関するあなたのお考えを伺うためです……」。

      8 あなたは別の受け答え方で成功しておられるかもしれません。あるいは,適切とお考えになるこうした提案をためしたいと望んでおられるかもしれません。音信は重要なので都合の良い時はいつでも人々にそれを紹介したいと願っています。それで反対に答える方法を学ぶことはわたしたちすべてにとって良いことです。彼らを“打ち負かす”ことが必要なのではなくパウロがしたように適応するよう努めることが大切なのです。わたしたちは人と論争することを望んでおらず,むしろパウロが説明したようにありたいと思います。「わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを他の人びとと分かち合う者となるためです」。わたしたちの目的も,これであるべきです。

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