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  • 「野獣」崇拝 ― 真のクリスチャンがそれを拒否する理由
    ものみの塔 1977 | 2月1日
    • 「密告者によって名を挙げられた他の者たちは,いったんは自らがクリスチャンであることを認めましたが,後ほど,以前は確かにクリスチャンであったが,ある者は三年前,他の者はそれよりももっと前,中には20年も前にそうした信仰を捨てた,と宣言してその主張を覆しました。それらの者たちすべては,閣下の像と神々の彫像とを崇拝し,同時にキリストをのろいました。犯罪あるいは罪過を形成するかどうかは疑問ですが,以前自分たちが信仰を告白していた宗教の性質について,彼らの語った事柄は以下のとおりです。すなわち,彼らは定められた日に集まることを習慣にしており……厳粛な誓いでもしたかのように,いかなる邪悪な行為も犯さず,盗みや強奪や姦淫に携わらず,決して約束を破ったり,援助を求められたときに出し惜しみしたりしないなどという規定で自らを束縛しているのです」。

      実際のところ,ローマ帝国は,法を遵守するそのような人々を少しも恐れる必要はありませんでした。ところが当時,クリスチャンであるということを告白するだけで,死に当たる罪とされたのです。クリスチャン関係の事件を扱うことに関するプリニウスの手紙に答え,トラヤヌス帝は次のように書き送りました。

      「密告者によってこれらの者たちを狩り出してはならない。しかし,告発されて有罪が宣告される場合には,処刑せよ。ただし,次の制限を加えるものとする。その者がキリスト教の信仰告白を捨て,そのあかしとして我々の神々に祈願をするなら,彼らの以前の行動がいかに疑わしいものであれ,その悔い改めのゆえに放免される」。

      そうです,わずか一回のちょっとした動作が,処刑されるか否かの分かれ目となり得るのです。多くの場合クリスチャンは,在位中の皇帝の像の前にある香壇で,一つまみの香をたけば,自分の命を救うことができました。しかし,真のクリスチャンは妥協しなかったのです。彼らは,「野獣」の六番目の頭の願いに屈しませんでした。

      今日の多くの人々にとって,真のクリスチャンの立場は意味をなさないかもしれません。「キリスト教の始まり」と題する本には次のように書かれています。

      「皇帝崇拝の行為は,皇帝の像の前に置かれた香壇にわずかばかりの香か数滴のぶどう酒をふりかけることにあった。当時からずっと離れてしまった現代の見地からすれば,その行為は……礼節,尊敬,そして愛国心などの表われとして,国旗や国の著名な政治家などに挙手の礼をすることと少しも変わらないように見えるかもしれない。一世紀のかなり大勢の人々もそれと同じように考えていたとも思われるが,クリスチャンはそうではなかった。彼らは,そうした事柄すべては宗教上の礼拝の一部であるとみなし,皇帝を神として認めることになるゆえ,神とキリストに対する不忠節な行為になるとして,そうした行為を拒んだ」。

      しかし,「野獣」の第六番目の頭はなぜクリスチャンの良心を尊重しなかったのですか。クリスチャンを恐れる必要は少しもありませんでした。彼らは,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」という主の命令を守っていました。(マタイ 22:21)ところが,「野獣」の第六番目の頭は,自分が当然受けるべきものを受けるだけでは満足せず,神に属するものまで手に入れようとしたのです。前述の本は次のように続けています。

      「彼らが拒んだゆえに,[クリスチャン]は政治的に不忠節な民とみなされた。クリスチャンが迫害された理由は,皇帝崇拝に加わらないため,国家の敵であるとみなされたことにほかならない。そうした崇拝こそ,ローマ帝国を構成する多岐多様な分子を結び付けて,真の一致をもたらしていたものだったのである」。

      結局のところ,問題となっているのは国家に対する政治的忠節,すなわち国家を神よりも高め,国家を最高の権威とする忠節である,という点に注目してください。「野獣」の第六番目の頭は,臣民がカエサルを崇拝する限り,その信仰告白に異議を唱えませんでした。しかし,人が天地の創造者に対して専心の献身をささげることは許しませんでした。ゆえに第六番目の頭は,自らを神の地位に据え,神として認めるよう求めました。真のクリスチャンは,そうした横柄な態度にとてもついて行くことはできませんでした。彼らは,国家よりも高い権威,すなわち神とキリストに申し開きをしなければならないと考えていました。

      今日の「野獣」崇拝

      現代でも,エホバの証人として世界的に知られるクリスチャンの団体は,一世紀のクリスチャンが「野獣」から受けたと同じような事柄を経験しています。例えば,アフリカの国マラウィについて考えてみましょう。そこでは,国民すべてが同国の唯一の政党である“マラウィ会議党”の党員になるよう求められています。わずか75円相当の党員カードは,携行者が『支配政党の原則』,中でも終身大統領H・カムズ・バンダ博士に『黙従』することを示しています。マラウィの国民は,“党員カード”の購入をどのようにみなすべきですか。1975年8月27日付の公式回状にはこう書かれています。「これは,この国の国民である我々が,終身指導者ヌグワジ[バンダ博士]に対して,このマラウィの国を発展させてくれたことに対して感謝の意を表わす一つの方法である」。したがって,“党員カード”を買わないことは,感謝の念の欠如,ひいては終身大統領バンダ博士に対する不忠節な行為とみなされます。“党員カード”の購入を拒む人が,同胞を本当に愛し,法を守る市民であるという事実は全く顧みられません。マラウィ政府の見地からすれば,そうした人は犯罪者であり,法の保護を受けるに値しません。

      その結果,良心のゆえに“党員カード”の購入を拒む男女は,恐るべき迫害の的となっています。家を焼かれ,財産を没収された人は少なくありません。彼らは,しばしば意識不明になるまで容赦なく殴打され,性的暴行を含むショッキングな侮辱行為を受けました。殺された人もいます。幾千人もの人々は強制収容所に追い集められました。幼子は母親から引き離され,中には十分な世話が行き届かなかったために後になって死んだ子もいました。

      多くの人は,“党員カード”を買って問題を避けたほうがはるかによい,と言うかもしれません。もちろん,エホバのクリスチャン証人は,自分たちの立場をすべての人が理解してくれるとは期待していませんし,他の人々に自分たちと同じ良心的な異議申し立てを行なわせることに関心を抱いているのでもありません。その点に関して彼らの望んでいるのは,道徳的に清く生活し,言行両面で同胞に対する関心の深さを示し,神に専心の献身をささげる自由を得ることだけです。

      エホバの証人である彼らは,他のいかなる関係よりも勝って,自分と神およびキリストとの関係を大切にします。いかなる政治制度に対してであれ無条件に支持を与えていることを示すなら,その人は聖書の教えに反して行動していることになります。聖書の教えによると,人間の政治機構すべては,イエス・キリストの手中にある王国がそれに取って代わるときまで,神の寛大さによって存在することが許されているにすぎないのです。(ダニエル 2:44; 7:13,14)エホバの証人は,神とキリストに対してのみ,絶対的な忠誠を尽くすことを約束しました。ゆえに,いかなるものであれ,彼らがそれとは別の行動を取るとすれば,それは不忠節な行為ということになります。そうした行為は,神とキリストに当然与えるべきものを取り去ることになり,それゆえ「野獣」に対する崇拝を行なう結果になるでしょう。

      その上,命のための備えは,政治国家からのものではなく,神からのものです。クリスチャン使徒パウロは,ルステラの人々にこう語りました。「過去の世代において,神は諸国民すべてが自分の道を進むのを許されました。とはいえ,ご自分は善を行なって,あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなたがたの心を存分に満たされるのですから,決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」― 使徒 14:16,17。

      ゆえに,神の備えを享受することが,政府当局に対する定められた忠節の表明(例えば,支配政党へ強制的に入党させること)にかかってくるとすれば,国家は自らがすべての良いものの源であると偽って唱え,自らを神としていることになります。自発的にであれ,強制されてであれ,こうした点で国家の政策を支持する人々は,「野獣」の崇拝者になっています。そうした人々は,野獣が真の神を無視すること,また神に専心の献身をささげる人々に対して野獣が加える残虐行為に賛意を表していることになります。

      ゆえに,なぜ真のクリスチャンが「野獣」を崇拝できないか,また,崇拝しないか,という質問に対する答えは簡単です。野獣にはそのような崇拝を受ける資格がないからです。求められている行為がいかにささいなことに見えても,クリスチャンがそのような崇拝とかかわり合いを持つなら,それは神とキリストに対して不忠節になっていることを意味します。真のクリスチャンはむしろ,命の与え主,およびそのみ子の王国に対して破ることのできない専念を示します。

  • 愛されたヨハネは愛について書く
    ものみの塔 1977 | 2月1日
    • 愛されたヨハネは愛について書く

      イエスご自身は,一個人として,『自分の畑にりっぱな種をまきました』。しかし,時がたつにつれて,そのキリスト教の小麦畑は雑草の畑のように見えてきました。(マタイ 13:24-43)圧制的なおおかみが群れの中に入ってきて,混乱を引き起こしていたのです。このことは使徒たちの活動 20章29,30節のパウロの言葉を思い起こさせます。そうです,使徒ヨハネは,西暦一世紀の終わりごろ,自分の周囲にすでに多くの反キリストが現われているのを見たのです。それは,地上の純粋なキリスト教の組織に関して言えば,当時が確かに「終わりの時」であったことを証明していました。―ヨハネ第一 2:18。

      それは,聖書を書くよう聖霊がキリストの弟子の一人に初めて霊感を与えた時から50年以上後のことでした。ヨハネは元々筆の立つ人ではなかったかもしれません。そして使徒たちの活動 4章13節に述べられている,無学な普通の人の一人であったヨハネが,マタイやマルコやルカがしたように,イエスの生涯に関する福音書を書くなど思いもよらなかったかもしれません。

      ところがイエス・キリストのための囚人としてパトモス島にいた際,ヨハネは啓示を書くよう特別な指示を受けました。こうして書くことを直接命じれたヨハネは大いに力付けられ,福音書と三通の手紙をも書くように促されたものと思われます。

      ヨハネがこれら三通の手紙の最初の手紙を書いた(手紙自体はそのように述べていないが)ことに疑問の余地はありません。ヨハネが筆者であることはごく初期の時代から認められてきました。そして内面的証拠は一層強力なものです。聞き慣れた声を電話で聞くとき,「どなたですか」と尋ねる必要はありません。それと同じことがヨハネの第一の手紙に関しても言えます。わたしたちはヨハネの福音書に精通していればそれだけ,この手紙の中でもヨハネが筆者であることを感じ取れます。そしてこのことは,構文や語いなどヨハネが用いた文体と,その主題の両方についても言えることです。例えば,イエスを指して「ことば」という語を用いているのは,ヨハネの記述だけです。―ヨハネ 1:1。ヨハネ第一 1:1。啓示 19:13。

      ヨハネはその最初の手紙をいつ書いたのでしょうか。ヨハネは多くの反対者や反キリストが起こったことについて述べていますから,その時期はかなり後期のことであったに違いありません。この手紙を啓示と比較してみることは,手紙が書かれた時期を知る上で助けとなります。ヨハネが啓示の書を西暦96年ごろに書いたとするかなりの

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