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「野獣の像」『その時,神の秘義は終了する』
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は今日次のように語った。国際情勢は『重大な危険をはらんでおり』,合衆国とソ連二国間だけで世界の諸問題を解決することは不可能である。問題解決は国際連合にゆだねられるべきである。……『すべての国際問題がこの二つの強大国によって解決されると信ずるのは誤りである。すべての国によって解決が図られねばならない。我々が世界の諸問題に関する二大強国間の合意を信用しないのは,そのためである。我々は,大国も小国もすべての国が代表される国際連合に信頼を置いている。現在の国際情勢は重大な危険をはらんでいるのである」。
野獣の印,名そして数字
18 「像」を崇拝する人は実際には「野獣」そのものを崇拝しています。どのように。
18 古代バビロン帝国(第三の「頭」)の王ネブカデネザルは,自国のあらゆる場所にいる役人が一つの像にひれ伏し,こぞってその像を崇拝するよう命じました。帝国の統一がそのねらいでした。それと同じく今日でも,1920年以来,政治的「野獣」それ自体の解体を防ぎ,それを永続させるため,「野獣の像」を崇拝させようとする圧力が全人類にのしかかっています。「野獣の像」を崇拝することは,実際には「野獣」そのものを崇拝することであり,実物の「像」は主要な崇拝ではなく,「相対的な崇拝」を受けるにすぎません。使徒ヨハネは,現代になされるある努力を預言的に見ました。それは,地の住民すべてに,自分たちが政治的「野獣」の崇拝者であることを認めさせようとする努力であり,ヨハネは次のように記しています。
19 現代,地の全住民に彼らが政治的「野獣」の崇拝者であることを認めさせようとする努力がなされています。使徒ヨハネはそれをどのように描写していますか。
19 「またそれは,すべての人,すなわち,小なる者と大なる者,富んだ者と貧しい者,自由な者と奴隷を強制して,その右手や額に印を受けさせ,また,その印,つまり野獣の名もしくはその名の数字を持つ者以外にはだれも売り買いできないようにする。ここが知恵の関係してくるところである。そう明な者は野獣の数字を計算しなさい。それは人間の数字なのである。そして,その数字は六百六十六[χξς']である」― 啓示 13:16-18。
20 この「印」は何ですか。
20 「すべての人」すなわち,「小なる者と大なる者,富んだ者と貧しい者,自由な者と奴隷」が関係しているのですから,今日わたしたち各自は,自分の身分を証明するものとなる「印」を持っているかどうかを確かめることが肝要です。「印」(ギリシャ語でカラグマ)とは,何かが真正なことを証明するために押された印影,または,奴隷や動物の皮膚に押された焼き印のことです。つまりそれは,人がだれにまたは何に属するか,あるいは,どの神に宗教上の献身と奉仕をささげているかを示す,身分証明の「印」なのです。
21,22 (イ)「野獣の像」の崇拝者たちはどんな印を受けますか。(ロ)額に印を受けるとはどんな意味ですか。(ハ)人は「右手」に印を受けることにより,自分に関して何を明らかにしますか。
21 偶像礼拝に関係する「野獣の像」は,その崇拝者たちの「右手や額」にこの印を受けさせます。彼らは,「野獣の像」の「印」ではなく,「野獣」そのものの「印」を受けます。つまり,「野獣の像」を崇拝すると,自動的に「野獣」の「印」を得るのです。焼き印を押された奴隷の場合と同じく,政治的「野獣」の崇拝者としての印,また「野獣」に所有された者としての印を押されます。額は一般に,会う人すべての目に留まるところですから,額の印はその人の所有者つまり主人がだれであるかを明示します。
22 左利きの人の場合は別として,普通一般に使われるのは「右手」です。目に見える,サタンの世界的な政治組織の象徴である「野獣」を崇拝する人は,必然的に,その政治組織に援助と協力の手を差し伸べることになります。当人はその政治論争,政治運動,選挙さらに国家主義的な計画や企画に積極的に加わります。そうすることにより,「右手」に象徴的な印を受けるのです。また,その行動により,自分の政治上の人格がどんなものであるかを,まるで額に政治的な印を押されているかのように公然と示します。こうしてその人は,自分が神のメシアによる王国の支持者ではなく,「野獣」の「七つの頭」によって表わされる,様々な局面におけるサタンの世界的な政治組織の支持者であることを露呈するのです。キリストの真の追随者とは極めて対照的に,「世のもの」であることを公に示します。しかしキリストの真の追随者は,イエス・キリストご自身が「世のものでない」のと同じく,やはり『世のものではありません』。(ヨハネ 17:14,16; 15:19)彼らは,「額と手に印を受けなかった」のです。―啓示 20:4。
23 (イ)「野獣の像」を崇拝しなければ臨む『殺される』事態とは何を意味していましたか。(ロ)印を受けている者以外は,どのようにだれも売り買いできなくなりますか。
23 「野獣の像」を崇拝しない者は,『殺される』ことになっていました。この『殺される』とは,脅しであって,世界の平和と安全のための国際機構がなければ襲うであろう,世界の破滅における避けることのできない死を意味したものと考えられます。「像」を崇拝することは,「野獣」を崇拝することをも意味しました。とはいえ,「像」が建てられる以前に存在していた国々の場合のように,「野獣の像」を崇拝しなくても,「野獣」を崇拝することは可能でした。つまり,地上の全住民を強制し,直接間接を問わず,「野獣の像」を通して「野獣」に崇拝をささげさせようとのもくろみが立てられたのです。崇拝をしなければ,とても生活できなくなるような手段が講じられます。それはボイコットの形でもたらされ,「その印,つまり野獣の名もしくはその名の数字を持つ者以外にはだれも売り買いできないように」なります。―啓示 13:15,17。
24 国家に限らず,個人をも「像」の崇拝に加わらせようとする試みがなされます。どのように。
24 加盟国(個人ではない)についていえば,規約の条令を犯す加盟国は法益をはく奪され,他の加盟国はその違犯国との経済および政治関係を断絶する,と国連憲章に規定されています。しかし個々の市民に関してはどうですか。全体主義あるいは官憲主義の政治国家では,単独政党の支配分子に荷担することや,それを支援することを拒んだ市民はボイコットされ,自由に売り買いする当然の権利を否定されます。それにより,生計を立てることは不可能になります。ですから,もう生きて行けないと感じる人は,そうした強制に屈し,政治的「野獣」の「印」を受けざるを得なくなるのです。
25 (イ)この強制手段の基本原理は何ですか。(ロ)忠実なまことのクリスチャンは,そうした強制にどう応じますか。
25 この強制手段の基本原理は次のとおりです。政治的「野獣」との商売を望み,それによりこの世における繁栄と出世を願うなら,自分の方から「野獣」と商売しなければならない。「野獣」を援助し,擁護すべく最善を尽くして手を貸さねばならない。また,所有者かつ主人としての「野獣」に属していることを示すため,自分の素顔を見せねばならない。つまり,その所属が人格からはっきり読み取れるようでなければならない。国民としての矜持を抱いて政治国家に属さねばならない,というものです。政治国家にのみ信頼を置く者が,こうした強制に屈し,「右手」と自己を表現する「額」とに印を受けます。忠実なまことのクリスチャンは,そうした強制に公然と抵抗し,この世的な偶像礼拝を否み,偶像礼拝者として印を受けることを拒みます。そして,西暦1914年に秘義としては「終了した」,エホバのメシアによる王国に信頼を置くのです。王国に奉仕し,支持を与えるために手を貸し,この世の政治には干渉しません。とはいえ,法律に従う立場を保ち続けます。―ローマ 13:1-7。
26,27 (イ)野獣の「印」に関するエホバ神の見解と,愛国心の強い人びとの見解とを比較対照しなさい。(ロ)ヨハネへの幻の中で,エホバ神はどのように偶像礼拝者たちの愛国的感情に衝撃を与えていますか。
26 「その名をエホバという」まことの神の観点から見れば,野獣の「印」を右手と額に帯びるのは恥ずべきこと,また,クリスチャンにふさわしくないことです。愛国心の強い人びとは反対を唱えるかも知れませんが,壮麗,高貴,立派で,価値があるもの,人心を鼓舞するものとして彼らが崇拝しているそのものが,エホバ神にとっては,海から出て来たいとも醜い,冒とく的な「野獣」のごとくに映るのです。(啓示 13:1)そうした偶像礼拝者たちは,自分たちの愛国心や国民意識をあおるその敬慕の対象が,777という数つまり第三段階もの完全さ(7+70+700)を象徴する,象徴的な価値を有する名に値すると考えたかったことでしょう。もしそうであったなら,「野獣の名もしくはその名の数字」を印として受けることは,偶像礼拝者たちにとって一種の栄誉として映ります。しかし,偶像礼拝者たちの愛国的感情は衝撃を受けるかも知れませんが,エホバ神は「野獣」にそれより劣った等級の数を付与されました。この点を識別するには知恵が必要です。といっても,それは,「龍」すなわち悪魔サタンの影響下にある人間の持つ,この世の知恵ではなく,神からもたらされる天的な知恵です。啓示 13章18節はこう述べています。
27 「ここが知恵の関係してくるところである。そう明な者は野獣の数字を計算しなさい。それは人間の数字なのである。そして,その数字は六百六十六である[χξς']」。
28 ここで使われている6という数が何を表わしているか説明しなさい。
28 この名の数値は,第三段階もの6という数字,すなわち6+60+600です。それは「人間の数字」つまり人間的な数字です。しかし人類は過去六千年にわたり,不完全さの印を身に帯びてきました。それは,六が七に不足の数であるのと同じです。七という数字は完全さの象徴であり,啓示の書に度々出てきます。また,六という数字は,エホバ神に侮べつの態度を取った人びとに結び付けられています。例えば,エホバをあざけり,イスラエル人の羊飼いであった,ベツレヘムのダビデを大いに憤らせたペリシテ人の巨人ゴリアテは,手と足にそれぞれ六本の指を持っていたものと思われます。(歴代上 20:5-7)バビロンの王ネブカデネザルは,高さ六十キュビト,幅六キュビトの背の高い黄金の国家像を建てました。そして,預言者ダニエルの三人の友を,エホバの律法を破ることを拒み,その黄金の像を崇拝しなかったという理由で火の燃える炉に投げ込みました。(ダニエル 3:1-23)こうした関連を考えると,六という数は,人間製のもの,神に反抗する人間のように不完全で罪あるもの,エホバ神を侮り,敵対する可能性を持つもの,つまり神に非とされるものを表わしています。
29 「野獣の名」あるいは「野獣の数字」において,その数が三回繰り返されています。このことから獣がどんなものであると分かりますか。
29 しかも,あることが三回繰り返されると,それは強調されるので,六という数字の三段階に及ぶ複合つまり六+六の十倍+六の百倍は,格別不完全で悪いもの,神によって非とされるもの,完全さから程遠いものを意味します。霊感を受けた神のみことばが与える天的知恵によって,「野獣の名」あるいは「野獣の数字」を計算すると,以上のような結果が得られます。古代バビロンの創設者,強力な狩人ニムロデの時代このかた,人類史が示すとおり,人間の不完全さと無能さを表わすこの数字は,野獣によって象徴される,サタンの見える,世界的な政治組織を特徴づけています。このような特色ある数を帯びる人間製のものを,神の律法を無視してまで崇拝する価値があるでしょうか。それは,各自が神のみ前で答えなければならない問題です。
30 (イ)すべての人は神が「野獣」にどんな数を付与されたかに注意を払うべきです。なぜですか。(ロ)14万4,000人の忠実な者たちは何を「その額に書かれて」いますか。
30 666という数字は,特に現代,すべての人に対する警告となっています。今日,身分証明となる焼き印つまり「野獣の名もしくはその名の数字」を,すべての人間の「右手や額」に押すため非常な努力がなされているからです。唯一の生けるまことの神エホバを忠実に崇拝する者たちは,たとえどんなことがあろうと,野獣の数字を押されることを拒絶します。666という数を啓示している啓示 13章18節のすぐ次の節によると,子羊イエス・キリストの油そそがれた,勝利を収める14万4,000人の追随者たちは,何か別のものを「その額に書かれて」いると描かれています。それは何ですか。子羊の名と天のみ父の名です。(啓示 13:18; 14:1)さらに,啓示 7章2-8節には,それら14万4,000人の霊的イスラエル人が,神の奴隷として「額に」「生ける神の証印」を押されているとも述べられています。
31 「野獣」の印に関し,「大群衆」はどんな立場を取りますか。
31 その幻の直後に,国際的な「大群衆」が手にやしの枝を持ち,「野獣」ではなく,「神殿」におられるエホバ神を崇拝している場景が現われます。(啓示 7:9-15)それは何という栄光の「大群衆」なのでしょう! しかも今日,その一員であれるのはこのうえない特権ではありませんか。エホバ神と子羊イエス・キリストのみ前における,彼らの恵まれた立場を享受するためには,「神の秘義」に対する獣のような敵,その政治的「野獣」の印,数字を絶対に受けないようにしなければなりません。
注: ヨハネへの啓示の残りの部分,すなわち啓示 14章1節から22章21節にかけての各節の説明は,704ページの本「『大いなるバビロンは倒れた』神の王国は支配す」(英文)の21章(454ページ)から結びの31章までをごらんください。この本は,ニューヨーク市ブルックリン,コロンビア・ハイツ124番地,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会(郵便番号11201)により1963年に出版されました。
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終了した「神の秘義」とあなたとの関係『その時,神の秘義は終了する』
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第24章
終了した「神の秘義」とあなたとの関係
1 「神の秘義」とは何ですか。それはいつ告げ知らされ,いつ終了しましたか。
終了した「神の秘義」は,今日すでに啓示されました。六千年近くも前にこの秘義を設定された,すべてのことを御存じの神が,今やわたしたちのためにそれを解いてくださったのです。全人類に対する唯一の希望を表明する言語に託されたその秘義は,神の「女」の王統の「胤」がつかさどる,統治権を付与された神の王国すなわち,メシアまたはキリストつまり油そそがれた者による神の王国です。(創世 3:15。啓示 12:1,2,5-10)人類の歴史に最初の危機が訪れた時,神はご自分の意志と目的に従ってその秘義を告げ知らせました。それから六千年近くの後,常に生きておられるその同じ神が,世界をゆるがす年となった西暦1914年に,その秘義を終了させたのです。
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