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  • 十代の子供が親に期待するもの
    ものみの塔 1979 | 7月15日
    • 乗り越えるのに役立つ十分な励ましになる場合もあります。

      必要とされていると感じること

      恐らく子供が一番望んでいるのは,自分が必要とされているということでしょう。そのため,若い人たちは,自分が養子かどうか,親が自分を産む計画だったのか,また自分を望んでいたのかなどと親に尋ねることがあります。子供は,親の愛を確かめたいのです。わたしたちはだれしも,自分が家族の一員であることを知って安心感を得たいと切に願います。親が十代の子供のこうした必要を認め,理解のある仕方でそれを満たしてあげるなら,家族内の幸福はいや増すでしょう。

  • 若い皆さん,あなたは真の成功への道を歩んでいますか
    ものみの塔 1979 | 7月15日
    • 若い皆さん,あなたは真の成功への道を歩んでいますか

      一世紀あまり前の米国の作家エマソンは,若者が成功を収めるための処世訓を与えています。彼はこう勧めました,「馬車を星に掛けよ」。エマソンが意味したのは,若者は大志を抱いてその達成に努めるべきであるという事です。しかし若者が成功するには,規律正しい鍛練を重ねながら,このような目標を目ざして励んでゆかなければなりません。

      若い皆さん,あなたは将来のために適切な計画をいま立てていますか。高尚な目標を定め,その達成を決意するのは賢明なことです。

      青春は生命の萌出る時です。煩わしい責任のない,比較的に自由な時期であり,いっそう大きな喜びや幸福を前途に望み見ている時です。青年男女は精力と健康に満ち,幸福な期待を抱いています。

      残念なことに,今日の若者の多くは人生における高い目標に打ち込むことができないでいます。そうする代わりに,責任の無い自由や独立を手に入れようとしてむなしい結果に終わった多くの人は,麻薬,相手を選ばぬ性行為や他の愚行にはけ口を求めます。しかし次の助言を心に留めることが大切です。「神は侮られるようなかたではありません。なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」― ガラテア 6:7。

      目標の中に常に神を置きなさい

      聖書には次のことが書かれています。「若者よ,あなたの若い時を歓べ。あなたの心が青春の日々にわたりあなたに善を行なうように。あなたの心の道に,あなたの目で見られる物事のうちを歩きなさい」。(伝道 11:9前半,新)それで創造者エホバは,若い人々が人生を楽しむことを望んでおられます。そして若い人々の関心事や,その心と目の欲望に訴えるものに否定的な見方をされてはいません。一方若い人は,自分の行動に対して神の前に責任があることを覚えておかねばなりません。

      聖書の句は次のように続いています。「しかし,これらすべてのことのゆえに真の神があなたを裁かれることを知れ。ゆえに,あなたの心からいらだちを除き,あなたの体から災難を払いのけなさい」。(伝道 11:9後半,10前半,新)若い人々に選択の自由を与えているとはいえ,至高者は,間違った道を追い求めることの苦い結果から若い人々をかばうことはされません。

      同じ聖書の筆者は次の言葉を加えています。「若い時も人生の盛りも空しいことだからである」。(伝道 11:10後半,新)なぜそう言えるのですか。ひとつには,人がいつまでも若さを保てる訳でないことは明白だからです。血気盛りの時に病にかかって死ぬ人さえいます。この事を無視する若者は,自分の持つものを賢明に使うことをせず,大人になってからの人生をいっそう難しいものにするような生活の仕方をして,体の精力や,伸びる素質を浪費するかもしれません。

      この事に照らして,若い人々は何をすべきですか。聖書にはこう書かれています,「では,あなたの若い日に,あなたの偉大な創造者を覚えよ」。(伝道 12:1,新)このように絶えず神を覚えていることは善行を促し,若い時代を通してエホバとの関係を強固なものにすることでしょう。

      キリストの弟子であることの「くびき」

      聖書は,生涯の賢明な目的を目ざして若者が精力をその方に向ける必要を示しています。さもなければなんの有意義な目標を達成することもなしに,このような力を浪費してしまうことになるでしょう。

      イエスはしいたげられた人々を元気づけてこう言われました,「わたしのくびきを負ってわたしの弟子になりなさい。わたしは柔和で,心のへりくだった者だからであり,あなたがたは自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきはここちよく,わたしの荷は軽いのです」。(マタイ 11:29,30)イエス・キリストの弟子であることは,この上もない特権ではありませんか。若い時代を過ごすのに,これにまさる方法があるでしょうか。しかしこれにはクリスチャンのバプテスマという真剣な段階を踏むことが必要です。その事をして初めて人はイエスの「弟子」の一人として自分を見ることができます。

      必要な訓練を受ける

      若い時のイエスは養父ヨセフの下で大工の職を身につけました。(マルコ 6:3)そのように今日でも若いクリスチャンは一定期間,基礎教育を受けて益を得ます。これは大人になってから自活する備えを身につけるための世俗の教育を受け入れるということです。

      クリスチャンは多くの場合,自分の住む土地で受けられる標準的な世俗の教育を利用するのが賢明なことを経験してきました。米国では高校の教育がたいていの場合,実際的な価値を有しています。

      数学,歴史,国語などの基礎的な科目のほかに,多くの学校では工具と機械の使用法,大工,電気,自動車修理,印刷などの課程を設けています。女子ならば家政,タイプその他,秘書に必要な技能,医療従事者の助手あるいは現在,婦人に開かれている興味深くて実用的な分野の仕事を修得できます。

      将来について考える

      たいていの若い人は高校時代の終わりごろに転換期を迎えます。それは様々な選択の機会が開かれている時です。

      このような転換期にあたって,若い人が,エホバに仕える点で自分の行なおうとする事柄を決めるのは良いことです。このような教育の終わりの年月は,技能を習得する良い機会です。そのような技能があればイエスの行なわれた業,つまり宣べ伝え,弟子を作る業に十分の時間を用いられる仕事に就くことができるでしょう。―マタイ 24:14; 28:19,20。

      『霊のためにまく』

      若い皆さん,あなたが築いているのは神の王国を中心にした将来ですか。それとも世の事柄を中心にした将来ですか。これら正反対の目標は正反対の結果をもたらします。(ヨハネ第一 2:15-17)人間が二人の主人に仕えられないことは,イエスの言葉に明白に示されています。(マタイ 6:24)賢明な若者はエホバ神に心を向けています。彼らは神と自分との個人的な関係を絶えず強めます。クリスチャンの若者は「王国のこの良いたより」を定期的に宣べ伝えるにとどまらず,聖書の次の勧めに従います。「善を行なうこと,そして,他の人と分かち合うことを忘れてはなりません。神はそのような犠牲を大いに喜ばれるのです」― ヘブライ 13:16。ヤコブ 1:26,27と比べてください。

      すべての人間は罪深い性向のゆえに利己主義と物質的な欲望に傾いています。若い人々は,聖書の言う「若さに伴いがちな欲望」と絶えず戦うことが必要です。(テモテ第二 2:22)何年も後まで悔いを残す「若き時の罪」を愚かにも犯した人が大ぜいいます。―詩 25:7,新。

      若い皆さん,あなたの将来を台なしにするような悪行を決してしないことを決意してください。相手を選ばぬ性行為,麻薬の乱用そして他のタイプの放縦な生活をして“若気の放とう”を好む人々は,後になって悲劇的な結果を刈り取ることが決して少なくありません。霊感の言葉が明白にしている次の事の真実を,彼らは自らの苦い経験によって思い知らされるのです。「自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取…ることになる」― ガラテア 6:8前半。

      神およびクリスチャン会衆との良い関係を求めるほうが勝っていませんか。そのようにして,あなたは,「霊のためにまいている者(が)霊から永遠の命を刈り取る」ことを喜びのうちに体験するのです。―ガラテア 6:8後半。

      このような聖書の真理を信ずる若者は,汚れあるいは淫行につながるおそれのある状況をすべて避けることでしょう。(コリント第一 6:18)神を喜ばせたいと願う若者は,敬虔な行ないをする点で励みとなるような人々と交わることを求めなければなりません。「命の叱責を聴く耳は賢い人々の間にこそ宿る」。(箴 15:31,新)あなたは敬虔な知恵を表わし示す人々との交わりを捜し出すことに努めていますか。(ヤコブ 3:17,18を見てください。)神の言葉は明白に述べています,「愚鈍な者たちと関係する者は悪い事態に陥る」。(箴 13:20,新)あなたはそれを信じていることを自分の生活の仕方によって示していますか。

      神を恐れる若者は聖書の命ずる次の言葉に従います。「すべての魂は上にある権威に服しなさい」。(ローマ 13:1)「あなたがたのだれも,殺人者,盗人,悪行者,あるいは他人の事に干渉する者として苦しみに遭ってはなりません」。(ペテロ第一 4:15)「上にある権威」である政府に従うことは,交通法規の遵守をも含め,すべての面で法律を守るという意味です。

      あなたの生活は神の言葉のこのような指針と調和していますか。真の意味での成功に至る道を歩んでいる若者は,霊感の次の助言を常に心に留めています。「あなたがたは,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい」― コリント第一 10:31。

  • 自分たちの創造者を覚える若い人たち
    ものみの塔 1979 | 7月15日
    • 自分たちの創造者を覚える若い人たち

      1978年に,百を超えるエホバの証人の「勝利の信仰」国際大会が開かれましたが,金曜日午後のプログラムには. 「若い人たち,信仰の点で手本でありなさい」という主題が付されていました。「自分たちの創造者を覚える若い人たち」と題するプログラムの中で,献身した若い男女がエホバのしもべとして生きることについて語りました。下に記すのは,それらの若い男女が語った経験の一部です。

      皆さんは,インタビューに出た若い人たちの多くが,「王国のこの良いたより」を宣べ伝えるために全時間をささげる決意をしたことに気付かれるでしょう。(マタイ 24:14)この活動に毎月少なくとも140時間を費やす“特別開拓者”として奉仕している人々もいます。“正規開拓者”となって,「良いたより」を宣明するのに一年間に最低1,000時間をささげている人々も少なくありません。それらクリスチャンの若者たちが語った事柄の幾らかを考慮してみましょう。

      ニューヨーク市の大会で,一人の若い女性は次のように語りました。『中にはエホバ神に義務を負うことにためらいを感じている若い人たちのいることを私は知っています。バプテスマを受けている人の中にさえ,霊的関心事を第一にしない人々がいます。私はこれを経験から話しています。というのは,私もそのように感じていたからです。しかし,私たちが負っているものをエホバに返すよう述べられているマラキ 3章10節のような聖書の原則は,私が心を変化させる上で助けとなりました。私は,聴衆の中にいる若い方すべてに,霊的関心事を第一にするようお勧めしたいと思います。パーティーに行ったり,不道徳な行ないや麻薬に走ったりする年齢に達している人ならだれでも,エホバに献身する年齢に達していると言えます』。

      野外奉仕を楽しむ

      「畑は世界です」とイエスは言われました。(マタイ 13:38)その理由で,エホバの証人は,宣べ伝える活動を“野外奉仕”と呼んでいます。ニューヨーク大会で,十代の一少女は自分にとって野外奉仕は何を意味するかについて語りました。

      『私は,聖書の真理を他の人々に分かち合う活動をごく幼い時から始めました。私は両親と共に家から家へ行き,明るい笑顔で家の人にあいさつをし,音信を載せた小さな印刷物を手渡しました。やがて聖書の主題について人々に話せるようになりました。私が話し掛けた人々の多くが,聖書を理解する助けを求めていることを知って私はうれしく思いました。私はそのような人々を定期的に訪ねました。そして,それらの人々が神の知識の点で進歩し,新たに見いだした,聖書に基づく信仰を他の人々と分かち合いたいとの願いを示すと共に,汚れた習慣をやめるのを見て,私は胸のおどるのを覚えました。野外奉仕にひんぱんに携わることによって,全地に楽園を復興する来たるべき神の新秩序に対する私の信仰は強められました。(啓示 21:1-5)その希望に関して他の人々を納得させようとする場合,それはまず自分自身の中で強固なものでなくてはなりません』。

      カナダのモントリオール大会の英語のプログラムの中で話した若いエホバの証人は次のように語りました。『私は幼い子供のころに野外奉仕を始めました。両親が野外奉仕へ出かけるときにいつもついて行きました。五歳ごろには,簡単な紹介の言葉を一軒一軒話すようになっていました。

      『そうした幼いころ,野外奉仕はとても面白いものでした。しかし,やがて,私は学校において他の人々の中で目立つ存在になっていることが分かりました。それから,仲間の生徒に真理について語ることをきまり悪く感じるようになりました。家から家に伝道している間も,学校での知り合いに会うのではないかと恐れるようになりました。そのころのことを振り返ってみると,私の場合問題は,人間に対する恐れだったようです。そのような恐れは「わなを仕掛ける」と聖書は述べています。―箴 29:25,新。

      『学校を出てから,私はしばらく開拓奉仕をしてみることにしました。その結果,宣べ伝える業に,今まで感じたことのないような魅力を感じました。もはや私はその活動を面白いものとも重荷ともみなしませんでした。自分の聖書研究生が真理の面で進歩するのを見て,エホバ神が私の努力を支えてくださっている証拠だと思い,深い満足感を覚えました。今まで,二年半以上の間私は開拓奉仕を行なってきました。他の職業を選ぶ機会もありましたが,私の気持ちは,次のように書いた使徒パウロの気持ちと同じです。「わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,いっさいのことを損とさえ考えています。彼のゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのあくたのように考えています。それは,自分がキリストをかち得るためです」』。―フィリピ 3:8。

      会衆に対する認識

      若い人たちは,クリスチャン会衆と交わることをうれしく思っているでしょうか。ケベックで開拓者として奉仕しているダンは自分自身の経験を次のように述べています。『私は1975年にバプテスマを受けましたが,聖書の真理を知るようになる前の生活は,非常にだらしのない,クリスチャンらしくないものでした。刺激を求めて,私はよく酔っぱらったものです。それも楽しくなくなると,マリファナをすったり,他の麻薬を試してみたりするようになりました。17歳のときには,毎日のようにマリファナをすっていました。

      『しかし,当時私が手にしていると思っていた幸福は,エホバの民と交わるようになってから得ている喜びと比べれば無に等しいものでした。王国会館での初めての集会は忘れることができません。私が一番感銘を受けたのは,集会後,いろいろな人が私に近付いてきて自己紹介をし,私をくつろがせようとしてくれたことです。その時以来,私は定期的に,王国会館で開かれる集会に出席しています。真理を学ぶ前には,年配の人々と交わりたいという気持ちは全くありませんでした。共通の事柄など何もなかったからです。しかし,仲間のクリスチャンの間では,あらゆる年齢層の良い友を大勢見いだしました』。

      ニューヨークから来たもう一人の若いエホバの証人は,会衆との交わりを楽しんでいる別の理由を述べました。『私は,他の人々に仕えることができるので,会衆の一員となれることをうれしく思っています。年配の兄弟姉妹が部屋を掃除するのに助けを必要としている場合,喜んでそれらの兄弟姉妹の手伝いをします。時折,仲間のクリスチャンの引っ越しを手伝うのも特権です。若者である私には,体力とエネルギーがあります。会衆内で他の人々に仕えてエホバに栄光をもたらすこと以上に優れた体力の用い方があるでしょうか』。

      十歳の子供が助けを求める

      ドイツのミュンヘンで開かれた大会において,一人の若者は,その大会のギリシャ語のプログラムの中で次のような経験を話しました。『私が小学生の時,私の両親はクリスチャン会衆と交わるのをやめました。私はまだ子供でしたが,うれしいことに,会衆と幾らか接触を保つことができました。

      『十歳のとき,私はエホバに助けを祈り求めるようになりました。両親は,私がエホバの証人と公然と交わるのを許してくれなかったため,宣べ伝える業を支持する唯一の方法はお金を寄付することのように私には思えました。それで,私は両親からもらう小遣いを貯金し始めました。二年間に500ドラクマたまったので,私はそれを喜んで会衆に寄付しました。兄弟たちは私のために祈り,私と同い年の子供が私を訪問する計画をたててくださいました。その子と遊ぶ時間に聖書研究が行なわれ,それによって私の信仰は強められました。数年後,私は学校の勉強のために外国へ行きました。しかし,私の本当の動機は,会衆の集会に自由に出席することにありました。

      『両親はそのことを聞いて,良い影響を受けたようです。二人は再び王国会館での集会に出席するようになり,父は今では,会衆内の責任ある立場で奉仕しています。私自身は,現在,正規開拓者として奉仕する喜びにあずかっていますが,若い人たちみんながその喜びにあずかれるようにと願っています』。

      エホバの崇拝を自分の生活の中で最も重要な事柄としている多くの若い人たちのことを聞くのは,本当に喜ばしいことです。私たちは,これらの経験により,他の人々もまた,次のような聖書の戒めに聴き従うよう鼓舞されることを願っています。「では,あなたの若い日にあなたの偉大な創造者を覚えなさい」― 伝道 12:1,新。

  • 示唆に富む,本の感想文
    ものみの塔 1979 | 7月15日
    • 示唆に富む,本の感想文

      エホバの証人である学生は,しばしば,学校で他の人々に「良いたより」を分かち合えることに気付きます。例えば,スペインで,あるクラスの生徒たちは,冬休みに本を一冊読み,後でそれに関する発表を教室で行なうよう割り当てられました。

      十二歳のあるエホバの証人は,ものみの塔協会の出版物である「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」と題する本を基にして感想文を書くことにしました。少女がその本の要約をすると,多くの仲間の生徒は関心を示しました。結果として,この若いエホバの証人は「若い時代」の本を48冊他の人々に配布し,少なくとも一つの進歩的なすばらしい聖書研究が始まりました。

      もう一人の若者は,クリスチャンの集会で話されたこの経験を聞きました。今度はその少年が,自分の学校で,聖書に基づくその同じ出版物を他の人々に提供し,すばらしい結果を得ました。

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