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    ものみの塔 1961 | 7月1日
    • 両親よ,自分の子供たちを訓練しますか

      「子をその行くべき道に従って教えよ。そうすれば年老いても,それを離れることがない」。―箴言 22:6,新口。

      1 (イ)両親はいつ子供の将来を考えるべきですか。彼らはどのくらい徹底的な訓練計画を準備するべきですか。(ロ)両親は,子供の心のなかにどんな目標をしっかりきざみこむべきですか。両親は箴言 22章6節にあるエホバの命令に従うなら,なにが保証されますか。

      両親よ,あなたの子供が生まれる前に,子供の将来について,子供の前にあなたが置かれる目標について,またあなたの援助を受けつつ子供がその目標に達する仕方についてよく考えてみてください。このときに,できるだけ徹底した教訓,できるだけ完全な教訓をつくり始めてください。生活の各段階において,どのように振舞うべきかを子供に教える用意を整えておきなさい。子供が理解しはじめるとき ― まったく,子供の幼少期に ― 子供の前に置かれている将来を説明しなさい。子供の義務と責任を子供に示しなさい。義務の果たし方,危険のさけ方,祝福を得る仕方について子供に教訓と指示を与えなさい。それらはみな子供の前にあるのです。毎日じゅんじゅんと教え込むことにより,子供の心に永遠の生命の目標をしっかりきざみつけなさい。それから,模範を示すことにより,子供の前に示した生命の道に,子供が一歩一歩あるくよう徐々に導きなさい。そして,それぞれのあゆみが,つよい習慣になるようにしなさい。このすべての教えと訓練の上にエホバの祝福があるように絶えず祈りなさい。そのときあなたはエホバの次の命令に従ったことになります,「子をその行くべき道に従って教えよ。そうすれば年老いても,それを離れることがない」。(箴言 22:6,新口)子供が幼少で影響をうけやすいとき,子供にそのような訓練を施すなら,その訓練は決して消えることがなく,そのような良い習慣はなくならないでしょう。神の御言葉は,そのことを保証しています。

      2 ヘブル語のハナクは何を意味しますか。両親は自分の子供の訓練についてどんな態度をとるべきですか。

      2 「教えよ」あるいは「手ほどきせよ」と訳されているヘブル語,ハナクは献身するという意味もあります。この言葉は,人,家あるいはものを神の奉仕にささげることと関連してしばしば用いられています。それで,両親よ,あなたの子供を神にささげなさい。それから,神の子供としてあなたの子供を教え,訓練し,こらしめなさい。あなたの子供は,あなたの世話にゆだねられたのです。「みよ子らはヱホバのあたへたまふゆづりにして,胎の実はその報のたまものなり」。(詩 127:3)もし両親がこの言葉を守って,その行いによってその言葉を例示するなら,その息子と娘は自分たちの前に置かれている生命の道をはっきり知るようになり,その道から子供がはなれる正当な原因はないはずです。

      3 両親は,動物界から学ぶことのできるどんな教訓を子供たちに銘記させねばなりませんか。

      3 動物界の両親は自分の子供たちを訓練して,その生存をはかるために大骨折をします。例えば,母親の鹿と子鹿を考えてごらんなさい。この子鹿は山のライオンの恐ろしさをどのくらい知っていますか。また,この強力な獣の餌食になるのを避ける仕方を知っていますか。子鹿は何も知りません。しかし,エホバは母親の鹿のなかに生存の技術についての知恵を備えました。本能に従う母親の鹿は,子鹿たちに危険の避け方と生き方を訓練します。その最初の規則は,指示に対する絶対の従順です。危険が近づくと,母親の鹿は子鹿にすこしも動かず,じっとして横たわるように命じます。子鹿の擬装<カモフラージ>はすばらしいものです。そしてすこしも動かずにじっとしているので,敵から身をかくすことができます。ライオンは吼え声を立てて,子鹿を脅かして動き出させようとします。そうすれば,子鹿の居場所が分かるでしょう。子鹿がはね出して一目散に逃げのび生命の安全をはかる方が賢明のように見えます。しかし,この空腹なライオンに捕えられる前にどのくらい逃げることができると思いますか。遠くまで逃げられないでしょう。子鹿は,危険が過ぎ去るまで母親に従います。危険が過ぎ去ってから母親は戻ってきて,もう自由に動けますよと子鹿に示します。子鹿は命びろいしたことに大よろこびでぴょんぴょん跳び出してきます。母親は,命じたことを守ったこれらの子供たちの鹿を愛情こめてなめます。ほんとうに,従順は生命を意味します。不従順は死を意味します。人間の両親は,このきわめて大切な教訓を子供たちの心に銘記させねばなりません。

      4 両親が聖書の原則を教えることができる前に,彼らは何を知らねばなりませんか。そしてどんな聖書的な助言は子供たちに提供されていますか。

      4 両親が神の御言葉聖書の中に記されている生存の技術を教えこむ前に,両親自身はそれを知り,それに導かれねばなりません。モーセはイスラエル人の両親に次の言葉を述べました,「今日,私があなたがたに命ずるこれらの言葉は,あなたがたの心になければならない」。それから後モーセは次のように述べました,「あなたがたは,自分の息子にじゅんじゅんと教え,家にすわるときも,道をあるくときも,寝る時も,起きる時も,それを語らねばならない」。(申命 6:4-9,新世)子供たちは,神権的に訓練されたそのような両親の言葉に耳を傾けるようエホバに命ぜられています。「わが子よ,あなたの父の戒めを守り,あなたの母の教を捨てるな。つねに,これをあなたの心に結び,あなたの首のまわりにつけよ。これは,あなたが歩くとき,あなたを導き,あなたが寝るとき,あなたを守り,あなたが目ざめるとき,あなたと語る。戒めはともしびである。教は光である。教訓の懲らしめは命の道である」。両親の教えに耳を傾けることは子供についてのエホバの御心であると子供たちに知らさねばなりません。なぜなら,それは生命の道だからです。―箴言 6:20-23; 4:10-13,20-24,新口。

      家庭は訓練の中心の場所

      5 子供を訓練する中心の場所はどこですか。だれがそのかしらですか。なぜこの指導は肝要ですか。

      5 家庭は神権的な訓練の中心です。家庭内で生ずることは,子供のその後の生涯に影響します。この訓練中心地のかしらは,父親です。彼は自分の子供たちの訓練を率先指導して,責任をになわなければなりません。聖書は,子供たちの教育において父親のはたす大切な役割を強調して次のように述べています,「あなたがた父たちよ,自分の子供をいらいらさせてはならない。エホバのこらしめと権威ある助言に従って子供をそだてなさい」。(エペソ 6:4,新世)ベンジャミン・スポック博士は,次のように言っています,「ある父親は,赤ん坊と子供の世話は全部母親の仕事だと考えるように育てられた。これはまちがった考えである」。子供たちが成長するため,父親は自分の子供たちと一緒にいなければならないと聖書は示しています。もし父親が子供たちといっしょにいないなら,気にかけてもかけなくても,それは子供たちの発育に影響します。子供は自分の父親が大好きです。「お父さんは,お話していることを知っているんだ」と子供は言います。しかし,父親が教えることに失敗するか,指導するのに失敗するなら,あるいは過度に批判的になり,厳格すぎてあらあらしくなるなら,子供の心は傷つけられます。子供は自分の父親に多くのことを期待しますが,それは当然であります。

      6 ある試験は家庭の訓練を強調したどんな五つの要素を示しましたか。

      6 最近,ひとつの試験が行なわれましたがそれは非行をした多数の子供たちと,非行をしなかった多数の子供たちのあいだを区別した五つの要素を示しました。10年の歳月を要したこの試験は,区別をつける要素が次のものであると示しました,(1)父親によるこらしめ,(2)母親による監督,(3)父親の愛情,(4)母親の愛情,そして(5)家族の結合です。子供たちが父親の指導,愛情,そしてこらしめに強調を置いていたというおどろくべき事実が発見されました。過度に厳格できびしく,かつ理性を持たぬ父親は得点がすくなく,毅然とした,親切な父親の得点は多いでした。子供を道にうろつき回らせた不注意な母親の評価は悪いものでした。次の事実を見のがすことはできません。すなわち,子供たちが良くなるか悪くなるかは,家庭で父母からうける訓練に主として依存しているのです。

      7 なぜ日曜学校は,奉仕の中心地である家庭の地位を取りませんか。

      7 両親は,子供たちを日曜学校や他の宗教的な集会に行かせているから子供を訓練せよという神の命令を成し行なっているなどと考えて自分自身をあざむいてはなりません。基礎的な宗教の教えは,家庭で与えられるべきです。両親はこの責任を軽々しく他の者に渡すことができません。報告の示すところによると,神の祝福は日曜学校に注がれていません。アメリカ合衆国では3600万人以上の子供たちは約30万の日曜学校に出席していますが,「キリストの精神にみちた真実の弟子のような生活をする者はほとんどいない」と著名な一牧師は語りました。私たちの子供たちが貧血的な信仰の食物で発育することは私たちののぞむことではありません。私たちは子供たちがつよい霊的な食物を食べて成長してもらいたいとのぞみます。その強い霊的な食物によって子供たちは円熟したクリスチャンになり,その人格は改善されたものになります。そのような教訓を与える場所は,両親が指導的な地位についている家庭内にあります。

      特定な毎日の計画

      8 両親は子供たちのためにどんな特定なプログラムを持つべきですか。なぜ毎日特定な時間を設けることは大切ですか。

      8 もし両親が子供たちのために特定な毎日のプログラムを設けて,子供たちに行なわせるなら,家庭訓練の成功する率はずっと良くなります。毎日のきまった時間には,聖書を読むべきです。その後,短い復習が行なわれて果たして子供たちが読んだ部分を理解したかどうかをしらべなさい。日々の聖句を討議して,「エホバの証者の年鑑」(英文)からの注解を読むときにも,同じことが行なわれるべきです。また,毎週1回の家庭聖書研究が子供たちといっしょに行なわれ,毎週1度の家族の「ものみの塔」研究も行なわなければなりません。注意すべきことは,これらの研究をする日と時間をはっきり定めておかねばならないということです。そうすれば,子供たちはその日に,その時間に何を期待すべきかを知ります。ひとたび研究の習慣ができると,その習慣を破ることはむずかしくなるでしょう。そうして,子供が家からはなれているときはいつでも,その特定な時に母親と父親のしていることに子供の心は向けられます。このことは子供と家族のむすびつきをつよくします。そして,子供は家庭で学んだ良いことがらを思いおこすでしょう。

      9 両親が子供たちに教えねばならぬいろいろなものを述べなさい。そして,その理由を述べなさい。

      9 子供たちは物事をすぐにおぼえます。子供たちを訓練して,たいせつな聖書の言葉を記憶するようにあたまを使わせなさい。聖書の各本の名前,他の聖書の名前および言葉を正確に発音するよう子供たちを教えなさい。子供たちに聖書の教理を教えなさい。決定をくだす能力,善悪を見分ける能力を彼らの中に入れなさい。彼らに意志力を持たせるよう訓練しなさい。そうすれば,子供たちは大きくなるとき,誘惑に反抗することができます。他の人と物を分け合うように子供たちを教えなさい。こうするなら,子供たちの中に寛大な精神が生ずるでしょう。批判することはおそく,同情することは早くしなさい。神聖なものに対して尊敬を示し,年老いた兄弟や姉妹に思いやりを持ち,病気の人には同情を示し,すべての人に親切であるよう子供たちを教えなさい。(レビ 19:32)子供たちに謙遜,謙譲,そして道徳を教えねばなりません。子供が10歳になると,かなりの道徳心を持ちます。うけいれやすい子供の心の中に,道徳についての聖書の原則を注ぎこみなさい。異性の者との交際に関して善と悪を子供に教えなさい。また社交的な集まりでの振舞とか,その他を子供たちに教えなさい。印象をうけやすいこの年月中には,大きなことも,小さなこともきわめて大きな意味を持ちます。それで,両親よ,あなたの子供を訓練しなさい。自分の家にいるときでも,公共の前にいるときでも,こざっぱりした身だしなみ,上品な話し方の習慣,またその他のことがらできちんとした者であるように訓練しなさい。自分の部屋,靴…衣服その他を自分で処理するように子供たちを訓練しなさい。金銭のことについては,むだ使いと賢明な使い方,けちと寛大のあいだの相違を子供たちに教えなさい。子供たちのおこずかいのなかから,御国会館の維持費のための寄付をさせなさい。子供たちに,使用する文書のお金を払わせなさい。このようにして金銭の価値を子供たちに教えなさい。子供たちに,考えぶかい祈り,意味ぶかい祈りをするように教えなさい。子供たちに最善の行儀をじゅんじゅんと教えなさい。そうすれば,その訓練に対して子供たちはあなたに深い感謝の念をいだくでしょう。こんどは,あなたはその忍耐と熱心な働きに対して大きなよろこびを刈り取るでしょう,「正しい人の父は大いによろこび,知恵ある子を生む者は子のために楽しむ。あなたの父母を楽しませ,あなたの産んだ母を喜ばせよ」。しかし,「愚かな子はその父の憂いである,またこれを産んだ母の痛みである」。「愚かな子を生む者は嘆きを得る,愚か者の父は喜びを得ない」。(箴言 23:24,25; 17:25,21,新口)子供のときの訓練は相違を生ぜしめます。

      こらしめと訓練

      10 なぜマノアが祈りをささげて行なった道は,今日の両親にとって良い模範ですか。

      10 両親よ,あなたの子供の訓練とこらしめの仕方についてはエホバの指示を求めなさい。サムソンの父親マノアは,息子が正しく成長することをのぞみました。それで彼は子供の訓練についてエホバのみちびきがあるようにと祈りました。彼は次のように祈ったのです,「ああエホバよ。どうぞ,あなたがさきにつかわされた神の人をもう一度わたしたちにのぞませて,わたしたちがその生まれる子になすべきことを教えさせてください」。「神がマノアの願いを聞かれたので,神の使は来て」彼らを教えました。彼らの息子は成長してエホバの忠実な僕になりました。(士師記 13:8-14,新世)この良い模範に従いなさい。エホバの導きを祈り求めなさい。それから,御言葉中にあるエホバの指示に従いなさい。

      11 なぜ良い子供たちは監督と指示を必要としますか。子供たちをこらしめることについていろいろな権威者は何と言いますか。

      11 子供の意向がどんなに良いものであっても,彼はやはり子供です。それで子供として取りあつかわねばなりません。たえず監督することは必要です。なぜなら,「愚かなことが子供の心の中につながれている」と箴言は述べています。「こらしめのむちは,これを遠く追い出す」。両親は,理性をもって扱いその教訓に首尾一貫していなければなりません。子供が行儀正しく振舞うようにさせるため,両親は感じたり,話したり,あるいは行なわなければなりません。そして,子供に行儀正しい振舞をさせなさい。家族の平和と尊敬を保つために実際のむちを使用することが必要になる時もあります。聖書は,次のようにさとしています,「子を懲らすことを,さし控えてはならない。むちで彼を打っても死ぬことはない。もし,むちで彼を打つならば,その命を陰府から救うことができる」。(箴言 22:15; 23:13,14,新口)スポック博士は,次のように言っています,「献身の気持から生ずる毅然とした指導は,子供たちにとって良いものであるだけでなく,子供たちはそれを愛する」。父親と母親は,子供に善悪を教えるだけの十分の注意を払うべきです。アメリカ連邦検察局局長ジェイ・エドガー・フーバーは次のように語りました,「公正に,しかもむらなく施されるこらしめは,誇りと尊敬を生ぜしめる。そして,子供たちは,こらしめをうけることを ― 非常につよく ― のぞんでいる。おもてむきには子供たちは反抗するかも知れない。しかし,深いところ,性格のつくられるところでは,子供はして良いこと,してはならないことを告げてもらいたいとのぞんでいる。彼は世間の人と一致するために道しるべを必要とする。そして両親を道しるべとして頼りにする。もし両親がなまけているか,無関心か,あるいは甘やかし過ぎるなら,子供が両親に対して愛と尊敬の念を失うのも当然である。いつでも子供に妥協して,子供の言うなりにする両親を,子供はどうして尊敬しつづけることができようか」。コロラド州デンバー市の少年裁判所の判事ヒリップ・ビー・ギリアムは,それと同様な言葉を述べています。彼の言葉は,良心的な両親にとって興味深い直接的な助言と援助を与えました,「青少年たちは,その生活中に両親の愛をたくさん必要とする。それは,子供たちに必要なもので,子供たちが無意識のうちに切望するつよいこらしめを与えることを意味する。それはあなた自身,あなたの経験,およびあなたの判断を賢明に与えることを意味する」。それで,少年にこらしめを与えることをひかえてはなりません。子供のおしりをうんと叩いても,子供を殺すことになりません。おしりを叩けば,子供はあなたの愛をうけていると感じます。次の聖句は,こらしめを使用することの賢明なることを強調します。―箴言 3:11,12; 4:1; 13:1,24; 19:18; 22:15; 23:13,14。

      12 明白に分かるように思える命令も,子供を混乱させるのはどうしてであるかを示しなさい。教訓を子供にはっきり知らせるために,両親は何をしなければなりませんか。

      12 あなたの子供が言うことを守らないとき,たたくだけが必ずしも解決をもたらすわけではありません。両親であるあなたが巧みに,落ちついて,知恵とすこしの良識を働かせることは有益でしょう。暖かい微笑は,気持を和らげるのに大きな力があります。子供でさえも微笑につりこまれてしまいます。しかし,自分の子供を叱る前に,欠点はあなたの子供にあるのであって,あなたにないようにしなさい。例えば,あなたは「ジョニー,協会の本に落書きしてはいけません。そんなことすると,ぶちますよ」と言うかも知れません。それはあなたにとってはっきり分かる言葉ですが,ジョニーにとってはどうですか。ジョニーが他の本にしるしをつけることはゆるされています。ジョニーは,あなたが御自分の聖書に線を引いているのを見ます。それで,小さなあたまの中で「なぜこの本はいけないんだろう」というような考えが浮かんでいます。それで,子供の訓練のときには,子供でも理解できるような仕方で知らせなさい。「この本はお父さんのものです。それに書いてはいけません」。または「この本は奉仕に使う本です。その中にしるしがあってはなりません ― 分かる?」 あなたの命ずることを納得させなさい。叩くだけが,必ずしも目的を達成するものではありません。

      13,14 (イ)両親は,どんな目標を自分の子供の前に置くことをのぞみますか。そして,どのように?(ロ)両親は,どのように家から家の奉仕で子供を訓練することができますか。(ハ)どんな特質は,子供を援助して宣教が追い求めるにのぞましい生涯であることを知らせますか。(ニ)両親はどのように子供を訓練して仕事を行なわせ,責任を取らせますか。

      13 神権的な両親は,エホバの奉仕者になりたいという気持を自分の子供たちに徐々にもたせることをのぞみます。幼い時から子供の心にこの目標を置きなさい。あなた自身が良い模範を示すことによってこのことをいちばん良くすることができます。家から家の奉仕,再訪問奉仕,および家庭聖書研究に,自分の子供を連れて行きなさい。なぜあなたがこれらのことをするか自分の子供に説明しなさい。子供が自分のすることについての仕方と理由を理解するようにしなさい。なぜあなたがその特定な聖書の話を戸口でしたか,なぜ雑誌の代りに本を提供したかを子供に知らせなさい。子供が注解するようにすすめなさい。理性をともなう敬意をじゅんじゅんと教えこみなさい。いつでも命令ばかりするのは良くありません。―出エジプト 12:26,27。

      14 親切,暖かさ,そして理解は,子供のなかにエホバの証者のひとりになりたいという気持を起こさせるのにきわめて効果的なものです。あなたの息子または娘に「エホバの奉仕者になってもらいたいと」言うだけでは十分でありません。子供は,エホバの奉仕者になる良い理由をあなたの中に見なければなりません。あなたの語る言葉,あなたの生活の仕方,あなたの振舞は,子供の心の中で十分に判断され,奉仕は良いものか,悪いものかが決定されます。それで,あなたの訓練にやさしい愛と思いやりをまぜるなら,子供は奉仕の生涯がのぞましいものと知るでしょう。御国会館に子供がいっしょに来てどんなに幸いに思っているか,また子供の注解を聞いたり,子供がノートを取っているのを見てどんなにうれしく思っているか,ためらわずに子供に告げなさい。いつでも誠実な態度で子供を励ましなさい。善をもたらす効果はひじょうにすばらしいものです。子供のする小さなわざに対しても感謝の言葉を述べなさい。子供はおそく,能率はひくいかも知れません。しかし,まだ子供であるということをおぼえていましょう。子供が物事を見たり行なったりするには,長い時間を必要とします。あらゆることを大問題にする,つまり子供たちの言うような「ばかでかい問題」にしてはいけません。子供たちを訓練するとき,物事が自然に,やさしく,そして正しく見えるようにしなさい。迷夢から目をさましたひとりの父親は,次のように言っています,「仕事が愉快で楽しいときは,子供たちは夢中になってその仕事をする。ところが,仕事がきまり切ったもの,余計な努力を必要とするものになると,子供たちはやめて行ってしまう」。それでは,お皿を洗うこと,芝生を刈ること,自動車をみがくこと,御国会館を清掃すること,奉仕中心地の活動,そして野外奉仕を快いもの ―「愉快なもの」にしなさい。しかし,子供たちには忍耐しなさい。良い仕事の習慣や態度をつちかうには時間がかかります。しかし,大人が良い模範を示し,大人と子供のあいだに良い協力がなされるなら,奉仕の目標は達成できます。カリフォルニア州サンタ・バーバラ学校の指導補助教育の部長シャーロッテ・ディ・エルモット博士は,次のように語りました,「青少年が仕事の経験を積むと,ほんとうに成長しはじめる」。最初,小さな仕事をするよう子供を訓練しなさい。次に,重い仕事と責任を持たせるように訓練しなさい。程なくして,子供たちは奉仕のときに指導する立場につき,僕の義務をはたすことができるようになるでしょう。子供たちにこの特権を持たせるようにしなさい。また,あなたの子供にひとつの職業を身につけさせ,そして多分ひとつの趣味を持たせなさい。これは年老いたときにも平衡を保つ助けになるでしょう。

      小さなことは多くを意味する

      15 両親は,自分の子供たちを訓練するとき,どのように巧みさを用いることができますか。

      15 子供は感受性に富んでいます。小さなことも,子供たちには多くの意味を持ちます。「母親と父親がもうすこし物分かりが良いならいいのだがなあ」と子供たちは言います。物分かり良くありなさい。子供をほめることのできるときは,いつでもほめなさい。同情心を持ち,理解ある態度を示しなさい。「あの復習はちょっとむずかしいと思ったが良い成績だね」と言いなさい。批判のするどさを取るために,いつでも何か良いことを言うようにしなさい。「神権宣教学校で良い話をしたとお父さんは思うよ。でも学校の僕の指摘した点について,これからも改善をはかるようやってみてごらん」。絶対に必要なときだけ,しかりなさい。そのときでも,愛と思いやりと理解のある口調でもって,そのようなしかりを和らげなさい。「一度の戒めがさとき人に徹する」ということに留意してください。また,私たちは「すべての者に対してたくみである」ように告げられています。すべての者の中には私たちの子供たちも含まれているのです。―箴言 17:10,新口。テモテ後 2:24,25,新世。ガラテヤ 6:1。

      16 子供たちの訓練のなかで最も肝要な要素は何ですか。両親が子供たちの話に耳を傾けるため,時間をとるのはなぜ重要ですか。

      16 子供を訓練することにおいて,あらゆるもののうちで最も肝要な要素は,両親が子供を愛するということです。つまり,両親は子供に専念し,子供が良くなることをねがい,子供の持つ良い性質をみな楽しむという意味です。スポック博士は,次のように言っています,子供は「両親のようになろうとすることによって,両親に対する深い愛を表わす。両親の技術,仕事,話し方をまねるという意味だけでなく,両親のように洗練された者,責任感を持つ者にならおうと真面目につとめる。少年は,自分の父親のように,大人の男たちと協力し,危険に面しても勇敢で,婦人に対しては礼儀正しく,そして仕事を忠実にやってのけようという気持をいだくのだ。まだ少女は,自分の母親のように,家庭内で役立つ仕事をし,赤ん坊(実際の赤ん坊と人形の赤ん坊)を愛し,そして家族の他の者にやさしい振舞をする気持を抱くのである」。同じく,あなたの子供はあなたにならって,神の奉仕者になりたいとのぞむでしょう。それで,子供の前に良い模範を示しなさい。子供たちに愛と同情を示しなさい。子供たちの問題や経験に耳を傾けなさい。子供たちのはなしに耳を傾けてやると,子供たちは自分の考えが両親にとって重要であると感じます。そして,また,あなたは子供の考えが何であるかを知ります。あなたは子供に気をくばり,子供の持つ諸問題の解決を助けることができます。もしあなたが子供の言葉に耳を傾けないなら,だれか別の人が耳をかたむけるでしょう。子供たちは悪い助言を受けるかも知れません。

      17 (イ)どの子供も何を必要としますか。これはどのように取りきめられますか。(ロ)両親はどのように宣教者の精神を子供に植えつけることができますか。両親が子供に与えることのできる最大の祝福は何ですか。

      17 あなた御自身が訓練をうけたいとのぞむ仕方であなたの子供たちを訓練しなさい。子供たちについて気をくばりなさい。両親よ,いまあなた方の子供たちはどこにいますか。子供たちは何をしていますか。子供たちと心から打ちとけて話し合ったのはいつでしたか。どの子供も,両親が自分だけにかまってくれる機会を必要とします。子供といっしょに散歩することによって,この機会を与えなさい。こうすれば,子供はあなたを良く知るようになります。奉仕のとき,ピクニックのとき,自動車に乗るとき,子供を連れて行きなさい。子供といっしょに遊びなさい。洗礼式,会衆の集会全部,エホバの証者の全国大会および国際大会にあなたの子供を連れて行きなさい。できるなら,子供の側で働きなさい。休暇開拓者になって伝道し,教えるよう子供をはげましなさい。御国証言の必要の大きなところで子供もあなたといっしょに奉仕するようにしなさい。年鑑(英文)の経験を読んだり,宣教者や開拓者をあなたの家に招待したりして,子供の心に宣教者の精神を吹きこみなさい。兄弟たち,神の御言葉の真理,新しい世の社会を愛するように子供たちを教えなさい。なぜなら,これは生命の道だからです。両親が子供を御国奉仕に上手にみちびくなら,それにまさる大きな祝福を子供に与えることはないでしょう。なぜなら,それは永遠の生命にみちびく道だからです。

      18 (イ)たいていの場合どんな教訓をうける子供たちは,初期の訓練をしっかり守りますか。(ロ)正しい子供の訓練は,何について立証しますか。

      18 子供たちが勤勉であるように訓練されるとき,毅然とした態度と愛情を程々にまぜて子供たちが制御され,矯正されるとき,つらいことにも耐えしのび,自分たちの立場を守って従うようにこらしめられるとき,そして彼らの前に良い模範を示し,彼らのため,および彼らといっしょにたえず祈りがささげられて訓練が強化されるなら,子供たちはたいていこの道からはなれません。子供たちがどこへ行こうと,生きているかぎり,その訓練の良い結果は見られます。そのように良く訓練された子供たちは,両親にとって深いよろこびの源になります。たしかに,両親よ,エホバの御言葉は次のように述べています,「正しい人の父は大いによろこび……」。(箴言 23:24,新口)それで,両親よ,あなたの子供をその行くべき道に従って訓練しなさい。もしそうするなら,あなたの子供はあなたのよろこびとなり,神権制度にとって祝福となり,そして子供たちの訓練のためにエホバが始められた取りきめ,すなわち父親と母親が重要な地位についている家庭という取りきめを立証します。

  • 両親よ,正確な知識によってあなたの子供の生命を守りなさい
    ものみの塔 1961 | 7月1日
    • 両親よ,正確な知識によってあなたの子供の生命を守りなさい

      1 この時において両親と子供たちは,どんなことを自問すべきですか。そしてなぜ?

      いま新しい世の社会の両親は,その子供たちと共々に神の約束した新しい世にはいる間ぎわにいます。しかし,まだはいったわけではありません。サタンと悪鬼共およびひどく腐敗している悪い世は,できるなら彼らが新しい世にはいるのをさまたげようとしています。両親は,自分自身と子供たちを守って,この世の堕落と滅びに落ちこまないようにするために,何をすることができますか。子供たちは,この古い世の汚れから身を避けて,ハルマゲドンにおけるこの古い世の滅びから身を守るために何をすることができますか。両親と子供たちの両方がしなければならぬことは,生命をのぞむすべての者にとって興味ぶかいものでなければなりません。

      2 この世の終りに生き残るため,両親と子供たちは何をしなければなりませんか。

      2 エホバ神は,その霊感したもうた御言葉を通して,この世の終りに生き残るためになすべきことを私たちに告げています。「知恵を得よ,悟りを得よ」と賢明な助言を述べています。「それを忘れることなく,またわが口の言葉にそむいてはならない。知恵を捨てるな,それはあなたを守る。それを愛せよ,それはあなたを保つ」。「知恵が身を守るのは,金銭が身を守るようである。しかし,知恵はこれを持つ者に生命を保たせる」。それで,もし両親が子供と共々にこの苦難の時を生きのこり,約束された新しい世にはいりたいなら,彼らはエホバの知恵をさがし求め,エホバの道を教えられ,そしてそれに従って生活しなければなりません。この誘惑の時代,危険な時代にあって,エホバの御言葉の正確な知識は,彼らを守るたてになるでしょう。―箴言 4:5,6。伝道の書 7:12,新口。

      3 (イ)いつ子供たちに教え始めるべきですか。そしてどのように?(ロ)子供たちとその生涯の目標については,どんな責任が両親に課せられていますか。(ハ)子供たちが邪道に行くのをふせぐため,子供たちにはそれ以外の何を教えるべきですか。これはどんな仕方でなされるときいちばん良くなされますか。

      3 幼少のときから子供たちにはエホバの知恵,クリスチャン生活の原則を教えねばなりません。子供が生命についての質問をするほどの年齢に達するならもう明白な答えを与えるべきであります。詳細なことを子供に説明する必要はありません。しかし,その質問に対して簡潔に,明白に,また楽しく答えなさい。私たちがそれをかくさねばならぬ理由はありません。エホバは聖書の中で明白に語っておられます。それで,両親も同じく子供たちに明白に語らなければなりません。子供に生活の目標を与えることは両親の責任であります。クリスチャンの両親は,祝福と生命のともなう新しい世を,子供のための目標にすることをのぞみます。その目的のために,両親はいま新しい世の生活の原則を子供の心の中にじゅんじゅんと教えこみます。このなかには,生命についての事実,子供の生物学的な体の構造,基礎的な感情や欲望についての教育もふくまれるべきです。両親は生命のはじまりを説明するとき,「こうのとりが赤ちゃんを運ぶ」というようなおとぎばなしを織りこむべきだなどと感ずべきではありません。出生の奇跡は,恥ずかしく感ずる事柄ではありません。生命についての「なぜ」とか「どうして」ということを説明して,子供の好奇心を満足させなさい。もし,あなたが説明しないなら,だれか別の人が説明するかも知れません。しかし,子供たちが他の者から学ぶことは,必ずしも真実ではないでしょう。子供たちには,また自制する必要をも教えねばなりません。そして,体内に感ずる生殖の衝動力は,異性をひきつける力があるが,もし悪用するなら幸福な関係をさまたげ,分裂させ,こわしてしまうということをも教えねばなりません。善と悪のあることを,子供たちに教えねばならず,彼らはその両者間の区別を学ばねばなりません。(ヘブル 5:14)悪事がどんなにたくさん行なわれても善にならないこと,人々のあいだに不道徳がひろまっていても不道徳が正当化されるわけでないこと,そして,生命を得たいなら,エホバの律法を他のすべてのもの以上に尊重する必要を子供たちに十分認識させるように育てるべきです。「人が心に思い図ることは,幼い時から悪い」そして「愚かなことが子供の心の中につながれている」ゆえに,子供が邪道にそれないようにするため子供を制御し,こらしめ,罰することは必要です。(創世 8:21。箴言 22:15,新口)子供は,愛にみちる両親の手本からいちばん良く学ぶことができます。正しく訓練された子供は,詩篇記者の語ったとおりの言葉を言うことができます,「わたしはみ言葉を守るために,わが足をとどめて,すべての悪い道に行かせません」。確かに,エホバの御言葉は,足もとのあやふやな世界にあって守りとなります。―詩 119:101-105。

      4 (イ)性の危険についてどんな聖書の警告がありますか。(ロ)世界の不健全な道徳の状態はどんな具合ですか。それは,青少年にどんな結果をおよぼしますか。

      4 おそらく,青少年を堕落させるもの全部のうちでいちばん危険なものは,性に対する現代人の態度です。約束の地にはいる直前のイスラエルの子供たちの場合がそうでした。40年のあいだイスラエルの多くの人は耐え忍びました。しかし,彼らの夢が実現するちょっと前,モアブの平野で幾千人というイスラエル人はモアブの娘たちと不道徳な行いをしました。1日に2万4000人のイスラエル人は滅びました!(民数紀 25:1-9)今日,私たちも類似の立場にいます。私たちの前には約束された新しい世があります。しかし,私たちのまわりの世界は「性にうつつを抜かした」世界です。ハーバード大学の一教授も次のように語りました,私たちは「あらゆるところに存在する性の刺激という大軍の圧迫をつねに」うけているのです。暗示的な本や映画はいちばん人気があります。強姦,女性同性愛,私通,そして性病は多く行なわれています。有名なハリウッド人の放縦な生活は,新聞をにぎわす記事になっています。しかし,正しい生活,道徳的な生活をしている人々の話は,まず新聞に載せられません。それらの人々は,社会の益のために健全な子供たちをそだてたのです。このような道徳の頽廃は,「末の日に」起こると預言されていました。(テモテ後 3:1-7)それはその実をむすんでいます。「人は自分のまいたものを,刈り取ることになる」。(ガラテヤ 6:7,新口)あらゆる場所において,道徳と慣例に対する公然とした反抗が見られ,これは青少年にひじょうに悪い結果をおよぼしています。いくつかの大学で行なわれた投票調査によると,学生の79パーセントは結婚前の性関係を是認しました。質問をうけた青年の約36パーセントは,女の子といっしよに3回出かけるだけで,自分の思いをとげてしまう決意だと答えました。愛らしい少年少女が,道徳的な制御を十分にすることができなかったため,ついには困わくした状態,おびえた状態,失意の状態に落ちこみ,自殺寸前という状態にはいることが知られています。新しい世の社会の両親よ,自分の子供がこれらの状態に面すると知りなさい。彼らは,この世の子供たちと交渉を持たねばならぬ環境にいるのです。それで,あなたの子供たちに注意を払いなさい。なぜなら,彼らの生命が関係しているからです。

      5 古い世の堕落から子供たちを守るために,子供たちはどんな訓練を受けるべきですか。

      5 私たちは子供たちが成長して,神を恐れる清い男や女になって欲しいと思います。そして,生涯における自分の役割を理解し認識してもらいたいと思います。しかし,これはのぞむだけでは実現しません。正義の原則を彼らにじゅんじゅんと教えこむべきであります。その原則によって,のぞましい人間がつくりあげられます。エホバが,両性間の正しい行いを要求しておられることを青少年につよく強調すべきであります。また清い状態を保つことがのぞましいこと,および忠実を守ることの報いについて青少年につよく強調すべきです。子供の良心を訓練して,独身にはその占めるべき立場があり,結婚している人々に属する特権を侵害してはいけないと知らさねばなりません。また,訓練された良心を軽々しく取りあつかったり,濫用することは,信仰を難破させるということを知らせねばなりません。それは新しい世における生命を失うことを意味します。(テモテ前 1:19)最善の結果を得るためには,そのような訓練を幼少のときから始めるべきです。―テモテ後 3:15-17。

      6 生命の事実および結婚とその責任について,両親はどんな指示を子供たちに与えることができますか。このことは子供たちをどのように援助しますか。

      6 子供が母親か父親にむかって,「赤ん坊はどこから来るの」あるいは「男の子と女の子はなぜちがうの」とたずねるとき,生命におけるその役割について教え始める時です。女の子は赤ちゃんをつくるために神によってつくられたから男の子とちがうのですと子供に説明しなさい。どうして子供が生まれるか,また赤ちゃんが自分の力で食べはじめ,呼吸をするときまで,どのようにお母さんの体内で養われ,暖かくされているかを告げなさい。そして,これらはエホバの道であり,それを尊敬しなければならぬと告げなさい。そうすれば子供はエホバを愛するようになり,その生活をエホバの原則と一致調和させるのを望むでしょう。誘惑をうける時でも,訓練をうけた良心は善に従う力となり,子供に悪行をさせないでしょう。後年になって,子供は性関係を「恐ろしいもの」あるいは「汚いもの」と見なさず,むしろその正しい立場,すなわち結婚において正しいもの,清いものと見なすでしょう。両親はまた,結婚に伴ういろいろの責任,たとえば家事,育児,結婚とその責任に対する正しい見方を持たせるよう子供たちを準備するため多くのことをすることができます。そのとき,夫婦間の調節は,ずっとやさしくなり,幸福になるでしょう。―創世 1:28

      青少年の危険

      7 保護者なしの求愛にともなう危険のいくらかは何ですか。研究はこのことをどのように証明しますか。

      7 キリスト教国内でも,キリスト教国外でも,今日のある国々で少年と少女がふたりだけでいっしょに出かけるのは社会で認められた習慣になっています。まちがいにもこれは,大人の男女関係に達する第一歩と見なされています。しかし,互に知己を深めるその期間には,たくさんの危険が伴います。子供が14歳の誕生日を迎えない前から異性の者と二人だけで出かけるのを許す両親は多くいます。その事実は次のことを示します,すなわちそのような両親は,早い時から異性の者と交際することに伴う心理的な面,および道徳的な面を認識していないということです。この行いをゆるされる子供たちは,明らかに道徳的な危険と社会的な危険に身をさらしています。そのような危険は,初期の性衝動から生ずるのです。その衝動は,幾年もつづく正しい結婚関係に表現されるものではありません。517名の大学生を研究したところ,小学校時代のとき,あるいは中学校時代のときから異性の者とふたりだけで行き始めた者は,感情的な調節の悪いことが判明しました。身を焼きこがす性の衝動は,多くの者を引き返すことのできぬ点 ― すなわち罪に追いやりました。その結果,過去15年間の10歳代の女の子に生まれた私生児の数は2倍以上に増加しました。年少者の結婚の数は急増しましたが,同時にこの群れの中の離婚数も急増しました。たくさんの高等学校の報告によると,20人の独身の生徒のうちのひとりは結婚しているとのことです。宗教社会内では,数多くの少年少女たちは,重大な不道徳な行いをしたために試験にかけられたり,またクリスチャン会衆から排斥されました。それで,彼らの記録には汚点がつけられ,長年のあいだ誉ある宗教奉仕の特権を持つ資格をなくしました。このことの原因の多くは,思春期に達する前か,その直後に,年少の少年少女を二人だけで行かせたことによるのです。

      8 異性の者とふたりだけの約束をつくる危険から子供たちを守るために両親は何をすることができますか。

      8 保護者をともなわずに早くから異性の者に求愛することには危険があります。両親は子供たちにその危険を知らせるために何をすることができますか。子供が大きくなって,異性の若人とふたりだけで出かけたいという性衝動を感ずるほどになったなら,その父親と母親は,その子と長く話をして,情欲の力について,愛情の危険について,少年少女のふたりだけがいるときの正しい振舞が何であるかについて話すべきです。使徒パウロは若いテモテに「若い時の情欲を避けなさい」とすすめました。(テモテ後 2:22,新口)そのような危険な欲望を避けるとはこのような欲望をかき立てる人や場所を避けるという意味です。それでクリスチャンの娘は,人影の見えない淋しい道とか,人里はなれたところへ,少年に連れて行かれるのをゆるさないでしょう。そのような人の見ていないところでは欲情は自由奔放にはけ口を求めるでしょう。保護者なしに異性の者との交際を子供に許す両親は,帰宅すべき時間をきめることによって自分の子供を守るべきです。夕方から幾時間か後には,体は早く疲労し,抵抗力は弱くなり,道徳的な面で正しい決定をする能力は激減します。防壁はひくくなります。欲情はすぐにかき立てられ,求愛中の青年は帰宅するのが正しいこと,賢明なことと容易に信じないでしょう。女の子,あるいは娘は,少年が性の誘惑にかかりやすいことを認識すべきです。そして,少年は少女も同じく性の誘惑にかかりやすいことを知るべきです。したがって,少女や少年が不適当な衣服,行為,あるいは露出によって互を刺激するのはきわめて不行儀な行いです。両親は,生命についての事実,人の生活中において性の果たす役割を息子や娘に告げることによって,子供の福祉に興味を持っていると示します。両親は愛撫の危険を子供たちに告げるべきです。両親にとって良い規則は,子供の結婚相手にのぞましくない者をして,自分たちの息子や娘に求愛させないことです。なぜなら,そのような求愛の多くはしばしば心痛の種となる結婚に終わるからです。クリスチャンの両親は子供の益のために,子供がだれにもつき添われないで二人だけで出かけて遊んだり,快楽を求めるために自分の家族以外の若い異性の者とひそかな約束をするのを禁ずるべきです。実際のところ,クリスチャン会衆の監督であるか,奉仕の僕である父親は,自分の子供たちが不適当にも,年少の時から,性衝動に駆られるようなことをするのを禁ぜねばなりません。―テモテ前 3:4,12,13。テトス 1:5-9。

      9,10 (イ)なぜ強度の愛撫は,良くありませんか。(ロ)なぜ酒と求愛は,両立しませんか。

      9 地上の多くの場所では,この世の未婚の人々が強度の愛撫をするのは普通一般のことになっています。そのような強度の愛撫をする目的は,愛情を示すことではなく,性欲をみたすことです。そのような愛撫をしても,結婚を目的とするのではありません。強度の愛撫に身をゆだねる二人は,その性的な感情を野ばなしにしていると示します。彼らは自己矯正が必要であることを示し,また,うけいれられている社会の行いや,愛撫の結果に対して無知であることを示します。159人の婦人に愛撫のことをたずねたところ,そのうちの約25パーセントの人は愛撫されて神経過敏になったと告白しました。強度に愛撫されたある人々は,就寝する前に泣き,制御することができませんでした。またその理由も知りませんでした。相談をうけた医者は,男友だちとの親密な関係をすくなくするようにと助言しました。男子の愛撫者との親密さがすくなくなるとともに,彼女らが泣くこともとまりました。愛撫をしないことは,結婚後の良い調節に関係があると判明しました。二人の者は,群れといっしょなら愛撫し合っても安全だと考えます。大ぜいいるから安全だと,彼らは言います。しかし,愛撫者たちがこっそりふたりだけになると,どういうことになりますか。あるいは,群れ全部が愛撫にふけり,その程度を越したところまで進むならどういうことになりますか。まず不道徳が行なわれるでしょう。それで使徒パウロの次の警告をおぼえて下さい,「悪い交わりは,良いならわしをそこなう」。―コリント前 15:33,新口。

      10 異性の者とふたりだけで出かけるときの振舞は,共同の責任です。少年も少女も,状況を自分の思うとおりに利用して,性の衝動をひきおこす権利を持つ者はひとりもいません。さらに,人を酔わせる飲物を飲むことと,求愛とはうまく両立しません。女の子は特にこのことを知るべきです。なぜなら,ある男は故意に酒を飲ませて女の子の警戒心をゆるめさせ,その抵抗力を弱めて,ついには性行為に合意させるからです。酒は欲情を刺激します。酒は意志力を弱めます。それで,酒は被害者を災にさらします。神の御言葉は次のように警告しています,「酒は人をあざける者とし,濃い酒は人をあばれ者とする。これに迷わされる者は無知である」。―箴言 20:1,新口。

      11 なぜ求愛している者を自分の両親に紹介することは賢明ですか。いつ求愛を破るべきですか。

      11 クリスチャンの子供たちに求愛がゆるされるとき,男友達あるいは女友達を両親に紹介することは賢明なことです。興味を持つ若者は,両親の見地をとおして異性の友を判断することができます。両親の目はロマンスで曇らされていません。たとえば,アブラハムの僕が井戸にいたリベカを見つけたとき,リベカは何をしましたか。創世記の記録は,次のように述べています,「娘は走って行って,母の家のものにこれらの事を告げた」。それで,僕は家の中に招じ入れられ,彼の主人アブラハムが息子イサクの結婚を申し出ていることを家族に告げました。リベカの両親と兄は,その話を注意深く聞いてから,リベカに,行ってイサクと結婚したいかとたずねました。リベカは「私は行きます」と答えました。イサクに会うまでの旅行中,侍女たちがリベカを保護しました。彼女がイサクとついに会ったとき,イサクは彼女を自分の妻となし,彼女を愛しました。それで,この両人は両親の是認のもとに結婚しました。それで,クリスチャンの子供たちが性のことについての必要な指示と訓練を与えられて,安全な求愛を許されるなら,両親は子供がいっしょに出かける者に会うのは賢明です。(両親はぜひそうすべきです)。もし何度かいっしょに行って後,互の興味が合わない,あるいは宗教的な同意が存在しないと若いふたりが知るなら,そのような友情を発展させて求愛にまで行かせない方が最善です。そのような関係をつづけさせることは,どちら方の者にとっても最善の益ではありません。―創世 24:15-67。

      求愛の諸問題

      12 求愛中にどんな問題が生じますか。正しい伴侶を持ったということを,どのようにほぼ確信することができますか。

      12 求愛の許されている国々では,求愛とは若い者たちがいつか結婚したいとのぞむ人を選ぶことを助ける手段と一般に見なされています。たいていの場合,求愛は結婚に達します。求愛は多くの問題をひきおこします。そして道徳的な危険に面します。ふたりだけでしげしげ会うので,両人間の魅力は深まり,道徳的な危険は大きくなります。性格がいつまでも合うかどうかを決めるために,求愛中の両人は互を良く判断すべきです。もし両人が結婚のことを考えているなら,あらゆる種類の状況と状態下で互を見るべきです。娘は仕事着をつけているときとか,いろいろの気分や反応を示すときの男友達を見るべきです。男は家で普段着を着ている娘を見るべきです。そして,彼女の好き嫌いとか,気質を良く知らねばなりません。もし時間がたっても両人が二人しずかに近くいることを楽しむことができるなら,いっしょに,そして互のために物事をするのを好むなら,たがいに慕い合い,互の健康を気づかい,互の成功と問題の解決を祈り,片方の言う言葉が心の中によろこびをもたらし,その声が身にしみて快く感ぜられるなら,その語る言葉が建ておこすもの,尊敬をまさせるものなら,まず両人の愛は永続するものであって,両人は結婚後の幾年ものあいだ互によろこび合うことはほぼ確実でしょう。―コリント前 13:4-8。

      13,14 (イ)求愛中,なぜ性の目ざめに対する意識的な合意は,遠ざけるべきですか。(ロ)求愛はどのくらいつづくべきですか。神の御霊のないところでは,求愛が長びくときの危険は何ですか。

      13 保護者なしの求愛が許されるなら,両人は性の目ざめを意識的に同意する危険をいつでも遠ざける,つまり近よらせないようにするべきです。もし求愛が不道徳で汚されないなら,幸福は保証されるでしょう。汚れた求愛は,たいていの場合にひとつの結果しかありません,すなわちその二人は不和になり,けいべつし合うでしょう。求愛中の者は,エホバの前でその関係を清いものにしなさい。―レビ 19:2。

      14 求愛が習慣になっているところでは,それはどのくらいの期間つづくべきですか。もしそのことに真剣であって,正しく行なうなら,証人たちの前で「これは私の一生の伴侶です」と厳粛に言えるまでつづくべきです。それからその後の結婚生活にはいるまで求愛はつづくべきです。多数の婦人についての広範囲な投票によると,その85パーセントは次のように考えていました。すなわち娘は「前途有望な配偶者と6ヵ月間から2年間いっしょに行かないなら」結婚すべきではないということです。しかし,これらのこの世的な婦人も,人は1年も経てば,互に十分良く知り合えるということに同意しました。彼らの言葉によると,求愛が長くつづけばつづくほど両性間の肉体的な誘引力は大きくなり,不道徳の危険も大きくなるということです。それは,この世の男女についての話です。婚約中の576組についてのある研究によると,次のことが分かります,「8ヵ月間かそれ以内婚約している者の40パーセント弱は,肉体の交接をしたが,28ヵ月かそれ以上の期間婚約している者の約半分(48.4パーセント)は肉体的な交接をした。全くのところ,この同じ研究の示すところによると,6ヵ月たたない中に約3分の2には強い肉体的な誘引力が感じられた」。この世的な資料にもとづくこの知識は次のことを証明します,すなわち神に献身しておらず,神の御霊を持っていない男女の場合には,正当な理由なしに不当に長びく求愛は,無意味なものであるばかりか,危険なものであります。もし求愛中に人が不幸で満足を感じないなら,結婚の約束をしない方が良いでしょう。人は不安定という移動する砂の上に結婚をきずきあげてはなりません。聖書時代中には,両親はたいてい1年の婚約期間を子供のためにもうけました。それは結婚の責任について子供たちを訓練するための最少限の時間を設けるためでした。多くの場合,この1年の婚約期間中,婚約中の二人はすこしも求愛行動しなかったのです。結婚が好ましいかどうかは,結婚を希望していた二人の両親か保護者によって決定されました。

      婚約と結婚

      15 婚約期間中には,どんな事柄を論ずべきですか。婚約はどのくらい長いものであるべきですか。

      15 キリスト教国内では,婚約は結婚を厳粛に約束することです。この期間中に,二人は結婚後に生ずる大切な問題,たとえば子供たち,経済,宗教,親族その他のことについて語り合いなさい。両人はそれぞれの健康の状態を知らせ,配偶者の健康を害するような病気があるかどうかを知らせます。また,負債があるなら,このことも知らせます。これらのことを知り出すには時間がかかります。婚約期間がかなり長い人たちは,その結婚生活も幸福になります。しかし,婚約の期間はどのくらいであるべきですか。厳格な規則というものはありません。多くは両人に依存しています。両人がどのくらいのあいだ知り合っていたか,また求愛の期間がどのくらいの長さであったかに左右されます。1日は短か過ぎるものであり,10年は長過ぎます。しかし,婚約がどんなに長いものであっても,それはまだ結婚ではありません。それで,両人には性関係をむすぶ権利がありません。ふたりが結婚を決定するなら,友だちの出席する結婚式をするようにすすめます。駈落ちは,まったく災にみちたものであると判明しました。イエスがカナでの結婚式に出席されていたことは,そのような取り極めをイエスが是認されていることを証明します。―ヨハネ 2:1-11。

      16 研究は,若人が結婚を考えるとき,現実に面することが必要であるとどのように示しますか。結婚配偶者を求めるとき,若人は何を探し求めるべきですか。

      16 結婚は,成長した人々,成熟した人々のするべきものです。結婚は子供のするものではあり

  • 子どもも真理を認識する
    ものみの塔 1961 | 7月1日
    • 子どもも真理を認識する

      セント・マーチン

      伝道者たちは,自分の子どもたちと聖書を研究すべき重要性に気づきはじめています。ひとりの兄弟はこれに気づいて,妻は真理にはいってはいないが,子どもたちと聖書の勉強をしました。聖書研究という援助がなかったなら,真理など決っして知るようにならなかったであろうこのふたりの子どもは,いまでは活発な伝道者です。父親は,子どもたちが,不信者の母親と真理について議論しているのを耳にはさんだといっています。楽園のことを母親に話したあと,ひとりの子どもが言いました,「お母さん,そこのところ理解できない? ずいぶんはっきりしているからだれにでも分かるはずなんだがなあ」。

      子どもたちが,短時間に真理についてどれだけのことを習うかは驚くほどです。13歳の伝道者は,どのように真理を学んだかを話しています。ある伝道者が母親と聖書の勉強をしている時に聞いていたのです。彼女は「御国のこのよいたより」という小冊子の助けによって真理を学びました。そして,いまでは,クラスメートと一緒に聖書の勉強をしています。また,訓練計画にしたがって,年上の円熟した姉妹と一緒に定期的に野外奉仕をしています。ことしは,8人の新しい伝道者が奉仕をはじめましたが,彼女はそのうちのひとりです。―1961年のエホバの証者の年鑑より

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