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高地での生活目ざめよ! 1971 | 8月22日
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次にある建物で,別棟になっている。そこにはフランシスカがいて,小さなアドービれんがのかまどの前にすわっている。燃料は,ラマ,牛,羊などの乾燥させた糞である。食事どきになると,家族全員が,少々けむいが暖かくて気持ちのよい台所に集まる。献立? フランシスカ得意のおいしいラマの肉とごはんかもしれない。あとからスープも出る。しかし客人のために彼女は特別のごちそう ― 羊の頭 ― を料理するだろう。まず岩に強くたたきつけて角を取り去り,頭の皮をはいで煮るわけだが,その結果はいま皿の上にのっかってこちらに向いている。眼球,歯,鼻,耳などみんなそのままついている。これにもっとおなじみの食物,ジャガイモがつくかもしれない。この高原では112種以上のはっきり違った種類のジャガイモが作られる。またジャガイモをチュニヨにすることも多い。それは,夜の冷たい空気と暖かい太陽に交互にさらして凍らせたり乾燥させたりして,最後に残りの水分をしぼりとったものである。「保存料は添加されていない」― また,その必要は少しもない。そのままの状態でいつまでももつからだ。
知る価値のある人々
この家の夫婦は普通の人ではないということがやがてわかってくる。デシデリオはなぜ5時起きするのかを説明する。彼とその家族はエホバの証人で,この地方にある小さな会衆に属している。聖書教育の活動に携わるさい,彼らはたいてい,関心のある人々がその日の仕事に全部の時間を費やしてしまわない朝早いうちに,それらの人たちとの聖書研究を司会するのである。デシデリオの11歳になる娘ジュリアは,いつも自分の家の羊とラマを牧場まで連れて行くが,彼女まで自分と同じ年頃の子ども4人との聖書研究を司会している。こうして,別の種類の「羊」(または「小羊たち」)を牧しているのである。
違う衣装に違う習慣,そぼくな様式にそぼくな趣味,しかし人々は世界中どこに行っても変わらない。ここでも,神のことばの,徳を高める影響力が生活に作用するとき,健全で幸福な家族が生まれる。台所のママにいつもくっついている4歳の小さなアドリアンでさえ,家族が使う歌の本の中の,聖書を主題にした歌をいくつか暗記していて,喜んで歌ってくれる ― 最初少しばかりきげんをとれば。
高原にすむチョロスの中には,無表情で活気のない顔をした者がたくさん目につくのは事実である。これは,麻酔性のコカインを含むコカの葉をかむ習慣が多くの者にあるためかもしれない。彼らはこの植物に魔力があると信じている。これは寒さや空腹に対する感覚を鈍らせる。しかしここのエホバの証人も,他のすべての場所の証人たちと同様,そういうものにではなく,聖書の明るい約束に希望を見いだしている。また彼らは,聖書教育の仕事に携わって隣人に愛を示す特権が自分たちの生活の中でたいへん大きな励みをもたらし,心を豊かにするものであることを知っている。彼らは,神の正しい政府である王国にかんする良いたよりを携えて,徒歩で,または自転車で広い区域を熱心に回る。単なる地理的な高度だけでなく,このゆえにこそ,高原における彼らの生活はほんとうに「高潔な生活」となるのである。
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わたしたちの神に賛美の歌をささげる目ざめよ! 1971 | 8月22日
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わたしたちの神に賛美の歌をささげる
● 学校でわたしたちの神エホバに賛美の歌をささげるのに,キリスト教世界の賛美歌を用いるべきではありません。ジャマイカのあるエホバの証人の若い伝道者は女の校長先生からエホバの証人が神を崇拝する際にうたう歌について尋ねられました。その女生徒は,「心に音楽をかなで歌いつつ」と題するエホバの証人の歌の本をその先生への贈物として持って行き,112番の歌の題名の上に自分で書いておいたコリント前書 8章5節,出エジプト記 6章3節,詩篇 83篇18節を説明しました。校長先生は秘書にその歌のどれかを知っているかどうか尋ねましたが,もとより彼女は知りませんでした。その生徒は,歌の本から歌を一つうたってほしいと言われたので「我らはたれに属する者か」という題の112番の歌を選びました。それを聞いた校長先生と秘書は歌詞とメロディーの美しさにたいへん喜び,その贈物に対し生徒に感謝しました。その後,秘書が仕事をしながら,そのしらべをハミングしているのが聞かれました。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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