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支部の手紙王国宣教 1980 | 2月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
冷たい風を突いて戸外での奉仕が行なわれる季節となりました。寒い2月は世の様々な活動が低調になる月であると言われています。しかし,王国伝道者たちがそれと著しい対照をなしているのは何という励ましでしょう! わたしたちは,『寒さを経験』しながらも精力的な奉仕の手をゆるめなかった使徒パウロと同じ決意を抱いているのです。(コリント第二 11:27)むしろ,人々は家にいることが多くなるので,寒さはより多くの人々に接するというわたしたちの目標にとって好都合な面をもっています。加えて,寒気の中でも熱心に働くことにより,わたしたちは自分の崇拝が気まぐれなものではなく,エホバと隣人に対する純粋の愛に根ざしたものであることを証明できるのです。
2月中,わたしたちは「愛はどうなってしまったのですか」と題するパンフレットを用いて,人々と会話し,できれば研究を取り決めるように努めます。世の人々は2月の特定の一日を愛を示す日として祝うかもしれませんが,だからといってこの体制が灰色の空以上に冷え切った,愛のない世界であることに相違が生じるわけではありません。では,このパンフレットを十分に活用して,真に暖かい愛がゆきわたる神の民のもとに来るよう人々を援助いたしましょう。
2ページの報告が示す通り,11月も活発な業が行なわれました。10月に次ぐ補助開拓奉仕の支持と,正規開拓者の数も新最高数に達したことにより,開拓者の数は1万5,912名となり,再び全伝道者数の31%に達しました。また,7万3,000件以上の家庭聖書研究も新最高数でした。成し遂げられていくぼう大な良い業をみなさんと共に喜びたいと思います。
支部委員は12月中,日本の八つの宣教者の家を訪問し,その周辺の会衆に対して話をしました。また,1月から2月にかけては,日本中の80の都市を訪問し,その周辺の会衆の長老たちと会い,特別集会で話をする計画が進められています。
暖かいクリスチャン愛をお送りします。
日本支部の兄弟
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「愛はどうなってしまったのですか」王国宣教 1980 | 2月
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「愛はどうなってしまったのですか」
1 『私は独りでいるのが好きで,予告もなく入って来るよう訪問者に勧めることは決してありません』。成功を収めているある職業婦人はこのように書き,次のように続けました。『ある晩,7時30分ごろ,ドアをノックする音がしました。それは同じ階に住むやもめの婦人でした。彼女は寂しく感じており,少しの間お邪魔できないでしょうか,と尋ねました。私は丁重に,しかしそっけなく,自分は忙しいと告げました。彼女はわびを述べ,立ち去りました。私はそんなつまらない事に巻き込まれないでいる自分を誇りに感じていました。次の晩,友達が電話をかけてきて,私の建物に住んでいた婦人が昨晩自殺したことを知っているかと尋ねました。ご推察のように,それは私の家のドアをノックしたあの婦人だったのです!』
2 何という悲劇でしょう! この婦人の手紙は多数の新聞に載せられましたが,彼女の態度は愛が氷のように冷えてしまった世に住む人々に見られる典型的なものです。わざわざ手を差し伸べ,愛を示そうとする人はごくわずかしかいません。しかし,わたしたちはこの状態と何と際立った対照をなしているのでしょう! わたしたちは他の人々を助けたいと願っているのです。人々に対するわたしたちの愛が冷えてはいないことを示すとても優れた機会がわたしたちに開かれています。それは,「愛はどうなってしまったのですか」と題するパンフレットを配布することです。今なお真実の愛を持つ人たちがいることを人々は知る必要があります。
3 幾百万という人々が,途方に暮れ,不安を感じ,惨めな気持ちを抱いています。若者たちも苦々しい気持ちになり,のけ者にされていると感じており,命を何に用いるべきかを知りません。挫折を感じ,幸福でない既婚者たちは離婚に救いを見いだそうとします。孤独が多くの人を捕えています。このすべては悲しむべき事であり,わたしたちの心は幸福を見いだすすべを知らないこの大勢の人々に対して同情を感じます。(マタイ 9:36)しかし,幸いなことに,わたしたちはそれらの人々の生活に欠けているものを示すことにより助けになる事を行なえます。それはすなわち,エホバへの愛と,隣人への愛です。
4 2月中,家から家に行く際,パンフレットの3ページに参照されている聖句を話し合うなどして,聖書から人々と会話するよう努めてください。最初の訪問で聖書研究を始めるよう努めてください。その場で研究が決まりそうにない状況であれば,提供物を勧めます。しかし,良い判断を働かせてください。わたしたちは,ただ文書を配布するために来ているのではなく,家の人を愛し,助けようと望んでいるゆえに来たのだということを知ってもらいたいからです。家にだれもいないなら,パンフレットを見えないところにおいてきます。パンフレットを用いて区域を網らしたなら,網らの終わった区域として扱えます。
5 パンフレットを家から家に配布することに十分にあずかると共に,わたしたちはめいめい自分に特に割り当てられた区域を活用する,つまり自分の既に知っている人々に証言することができます。わたしたちの学友,職場の同僚,隣人,友人,親戚は自宅の戸口でパンフレットを受け取る機会がないかもしれないことを忘れないでください。ですから,彼らにも一部手渡すことができます。成果を得ようと思うなら,準備をし,様々な機会に目ざめていることが必要なのは明らかです。自分の言いたいことを頭に置き,パンフレットを効果的に用いてください。
6 若い人も年配の人も,新しい人も経験を積んだ人も,そうです,わたしたちすべては他の人々を助けるために努める者であることを示したいと思います。また,この業に参加するよう能力の限られた人々を援助するためにできるだけのことをするでしょう。(「王国奉仕」1979年11月号)世はその愛の点でますます冷えるばかりですが,わたしたちは自分の愛を一層暖かく,熱烈なものにしてまいりましょう。互いに助け合おうとの願いを果たしてゆくにつれ,エホバに仕えるよう他の人々を鼓舞し,幸福と満足を得ることでしょう。この業にエホバの豊かな祝福がありますように。―啓示 22:17。
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若い人たち ― あなたは参加していますか王国宣教 1980 | 2月
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若い人たち ― あなたは参加していますか
1 何か良いことがあるとします。あなたは傍観者であるのと参加者であるのとどちらが好きですか。健全で胸のわくわくするような活動に参加するほうが,わきで眺めているよりもずっと良いことはあなたも知っておられるでしょう。色々なゲームの仕方を覚えた時,本当に楽しく,良い運動になったことを思い起こしてください。あなたの技術と能力が増すにつれて満足と喜びも大きくなりました。会衆の様々な活動に参加すれば,さらに大きな喜びや益がもたらされることをあなたは認識しておられますか。
2 若いみなさん,もしあなたが参加すれば,会衆はあなたから助けを得ることができ,あなたも会衆から助けを得られるのです。十代になる前から会衆の活動に参加していたある兄弟は一人の若者から,どのようにして地域監督になったのかと尋ねられました。家で訓練を受けたことと会衆の活動に参加したことを述べてから,その兄弟はこう言いました。「12歳の時に,わたしは初めての責任を割り当てられました。それ以来,わたしは『エホバの業においてなすべき事を常にいっぱいに持って』きました」。―コリント第一 15:58。
なぜ参加するのか
3 エホバ神は若者たちが真の崇拝に熱心に参加することを望んでおられます。そして,奉仕における若い人々のための場所を意図されました。(詩 110:3。マタイ 19:14; 21:16)若いみなさん,会衆の活動に熱心に参加する時,みなさんはエホバのみ名を神聖なものとすることにあずかり,また,みなさんの真剣な信仰の模範はエホバに栄光を帰すよう他の人々を鼓舞するものとなるのです。人生において若者たちが熱中する活動は数多くありますが,宇宙主権者エホバに仕えることはそのすべてにはるかに勝っています。『それゆえあなたの心からいらだちを取り除き,あなたの肉体から災難を払いのけなさい。あなたの若い日にあなたの偉大な創造者を覚えなさい』― 伝道 11:9-11; 12:1,新。テモテ第一 4:8。
4 ゲームの仕方を学んだばかりの初心者はチームのキャプテンになることを期待できないということを覚えておきましょう。同じように,あなたがた若いみなさんも,より大きな責任が与えられるのを正当に期待できるよう
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