-
『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 12月1日
-
-
恐れるべきではないことを示しました。老人は注意深く耳を傾けていましたが,最後には目に涙を浮かべ「私はいつバプテスマを受けられるでしょうか」尋ねました。老人は3年間もバプテスマを延ばして弱くなりましたが,今やバプテスマの時が来たこと,また命ぜられたこの段階をふんでのちに強くなるということを悟ったのです。老人は決意したことを実行しました。伝道者の愛ある積極的な訪問は実を結びました。
-
-
おぼえていますかものみの塔 1968 | 12月1日
-
-
おぼえていますか
あなたは最近の「ものみの塔」を注意深くお読みになりましたか。そうであるならば,次の重要な点がおわかりになるでしょう。
● 復活する何十億の人々すべてが,地球に住めるのはなぜですか。
地球上には1億5000万平方キロの陸地がある。科学者は,おそらく500億人の人々が地球に住めると推定しており,この数はこれまで地球上に生活した人々の総計よりはるかに多い。a ―452,453頁。
● イエスが受けられた水のバプテスマは何を象徴しましたか。
イエスは神に献身した国民の一員だったので,献身の象徴ではなかった。その時におけるエホバのみこころを行なうために,エホバのみまえにご自身をささげられたことの象徴であった。それにはイエスの人間の生命を犠牲としてささげることも含まれる。―458頁。
● 西暦36年以後,水のバプテスマはユダヤ人と非ユダヤ人のそれぞれにとって何の象徴となりましたか。
イエスをとおして神に献身することの象徴。―458,459頁。
● 最近アラブ連合共和国のエホバの証人がこうむった迫害は,だれの扇動したものですか。
キリスト教国の諸教会,ことにコプト派の人々。―517頁。
● イスラエル国民を代表する祭司として奉仕したのは,どの部族のどの家系の者ですか。
レビ族のアロンとアロンの家系の者。―531,532頁。
● 強盗に呼びとめられ,お金を要求される場合,エホバの証人はどうしますか。
強盗と穏やかに話し合い,クリスチャンの奉仕者であることを説明できるかもしれない。たとえそれに失敗しても,お金を手ばなせば,生命を危険にさらすことを避けて,貴重な生命を大切にできる。―538頁。
● なぜクリスチャンの婦人は,計画的な強姦に対して命をかけても抵抗すべきですか。
婦人の貞操が狙われているから。同意することは淫行に同意するに等しい。エホバの律法に対する忠実の問題である。―539頁。
● ヨナダブは自分が真実の心をいだき,またエヒウと心が一つであったことをどのように証明しましたか。
ヨナダブはエヒウの戦車に乗り,エホバに油そそがれた者を積極的に支持していることを公然と示した。―550頁。
● 崇拝のためのイスラエルの幕屋の中にあった至聖所と,聖所をへだてる幕はそれぞれ何を予表しましたか。
至聖所は,神の臨在される天の住まいを表わし,幕はキリストの完全な肉体を予表した。―555頁。
● むさぼりはなぜ偶像崇拝ですか。
自らを偶像とするから。自分の利己的な欲求が生活の中で第一となる。―580頁。
● キリストとキリストの従属の祭司の祭司職をエホバ神が,是認されたことを示すどんな証拠がありますか。
エホバは霊的な備えについて祭司職を通して驚くほど豊かに啓示された。世界的な反対と憎しみのさなかでも,エホバは地上の油がそそがれた者を祝福し保護された。―598頁。
● 聖書はどんな恐れを勧めていますか。
エホバの不興を買うまいとする正しい有益な恐れ。―627頁。
● 1000年のさばきの日の期間中,一般の人類は何に基づいてさばかれますか。
心の状態によってさばかれる。その時の神のみこころに対する従順さに基づくことは明白。神のみこころをかつて学んで行なったかどうかによるのではない。―645頁。
● 熱心とはなんですか。
ある事柄に対する熱情,ある目的を達成しようとする激しい情熱。また真剣さ,熱誠,専心,熱情とも関連している。―650頁。
● どうすればエホバのために熱心になれますか。
神のみことばを定期的に学び,エホバの日の迫っていることをしっかり心にとどめ,また交わりに注意する。―661,662頁。
● 不品行はどんな三つの点で有害ですか。
創造者との関係をそこなう。隣人との間に不和をもたらす。肉体的な害はないとしても,感情的また霊的に自分自身を傷つける結果となる。―667頁。
[脚注]
a すべての引照は1968年の「ものみの塔」の頁数です。
-
-
読者からの質問ものみの塔 1968 | 12月1日
-
-
読者からの質問
● 出エジプト記 4章24-26節の正しい理解を教えてください。また,出エジプト記 4章20節にはモーセがエジプトに帰ってしまっているかのように書かれていますが,次の節はその帰還をまだ未来のこととしています。なぜですか。
出エジプト記 4章20節には,「モーセ……その妻と子等をとりてこれを驢馬に乗てエジプトの地にかへる」と述べられています。続けて,21節は「エホバ,モーセにいひたまひけるは汝エジプトにかへりける時」となっていて,かれがすでに帰ってしまっていることと矛盾します。問題は20節の翻訳にあります。そこには帰還が終わったかのように書かれていますが,実際はそのヘブル語動詞の語形からわかるように,帰還は進行中であって終わってはいません。他の翻訳をみれば,この見方の正しいことがわかります。「モーセは己が妻および己が息子らをとり,驢馬に乗せ,エジプトの地にかえる」(ヤング訳)「そこでモーセは自分の妻と息子たちをとり,エジプトの地に帰るために,かれらを驢馬に乗せた」。(アメリカ訳)したがって,21節が帰還を未来のこととして語っているのは全く理にかなっています。それはまだ完結していなかったからです。
出エジプト記 4章24-26節(アメリカ標準訳)は,その帰りの道中に起きた出来事を記録しています。「その途中,宿所でエホバは彼に会い,彼を殺そうとされた。そこでチッポラは火打ち石をとり,自分の息子の包皮を切り,彼の足下に投げた。そして彼女は言った。まことに汝は我にとって血の花婿なり。そこで,神は彼をそのままにされた。彼女はまた言った。汝は血の花婿なり。それ割礼のゆえなり」。モーセはある点で義務を怠っていたようです。一つの例は,自分の息子に割礼を施していなかったことで,かれの先祖アブラハムに神が結ばれた割礼の契約を守っていませんでした。(創世 17:9-14)エホバは,ご自分の代表者である天使を通して,旅の途中のモーセに会い,無割礼の子供を処刑しようとなさいました。モーセの妻,チッポラは事態を正すのに何が必要かを知っていました。彼女は当時の一般的な道具だった鋭い石を手にとり,息子の包皮を切り取り,モーセの足下ではなく,エホバを代表する天使の足下に投げました。この要求が満たされたため,エホバの怒りは和らげられ,その子供の命は救われました。
その際チッポラは,エホバを代表する天使を通して,「まことに汝は我にとりて血の花婿なり」とエホバに語りました。割礼の契約に関する要求を守ることにより,チッポラはエホバとの契約関係を認め,またエホバと契約関係を結びました。その結果,エホバは彼女の夫となり,彼女はエホバの妻となりました。このようなエホバとの契約関係によって,エホバが契約の他方の当事者と結婚した夫となることは,イスラエルと結ばれた律法契約に明示されています。この契約のゆえにエホバはイスラエル国民について,「我汝らの夫たり」と言われています。(エレミヤ 31:32,〔欽定訳〕)同様にこの割礼を施したので,チッポラはエホバを代表する天使に,「汝は血の花婿なり」と語ったのです。また,欽定訳聖書によると,「まことに汝は我の血の夫なり」,「汝は血の夫なり」となっています。こうして,チッポラの敏速な行動により,「神は彼をそのままにされた」のです。(アメリカ標準訳)すなわちエホバの天使は,彼女の敏速な行動がなければ殺していたであろう子供を殺さないで,そのままにしました。(創世 17:14)しかし,ユダヤの伝統によれば,命を危険にさらされたのは怠慢だったモーセということになります。モーセは自分のむすこの取り扱いに責任を持っていました。―「ものみの塔」誌(英文)1944年11月15日号,347頁,38節。
● ヨハネ伝 18章31節に述べられているように,イエスの時代のユダヤ人に律法違犯者を処刑する権威がなかったのなら,どうしてかれらはステパノを石で殺すことができたのですか。
当時のユダヤ人が,死刑に関してどの程度の権威を持っていたのかは十分に明確ではありません。多く
-