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ブドウ酒を買うさい,人は何を得ているか目ざめよ! 1971 | 11月22日
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「アルコール飲料の製造と消費が,西欧社会の経済および社会生活の中で大きな役割を果たしているからといって,アルコール中毒が,あらゆる形の麻薬乱用問題をいっしょにしたよりもさらに大きいという事実を軽視すべきではない。500万のアメリカ人が,アルコール中毒であることをなんらかの形で表わしている。そして彼らの約5%は最後には社会の落伍者になり,『下層社会のどんぞこ』に落ちて行くのである。推測によると,アメリカでは,支払われる賃金,犯罪,事故,医療,保護などの面で合計7億5,000万ドルが失われる。破壊された家庭,むだに終わる人生,社会の損失,人間の悲惨などの代価ははかり知れないものがある」。
ブドウ酒にせよ,ほかのアルコール飲料にせよ,そのとりこになることがよくないことは言うまでもない。とくにクリスチャンはそれを避けねばならない十分の理由がある。もし彼らが無分別にアルコール飲料を飲むならば,神のお名前と,彼らが交わる会衆に非難がもたらされるだろう。それどころか,彼らは神の恵みを完全に失うかもしれない。コリント前書 6章9,10節には,泥酔する者は神の王国をつぐことがない,と書かれているからである。
適度にアルコール飲料をたしなむクリスチャンについて言うならば,彼らは,仲間のクリスチャンのなかにさえ,かつて飲酒の問題をもっていた人,あるいは現在もまだ問題になっている人がいるかもしれないことをいつもおぼえていなければならない。であれば,彼らが辞退するときに勧めないようにするのは親切ではなかろうか。また,かなり大酒家であること,あるいは過去において自制の問題をかかえていた人であることがわかっている場合は,アルコール飲料を勧めないようにするか,その人たちのいるところで飲まないようにするのが適当ではないだろうか。
そういうわけで,人がブドウ酒を買うときに何を得るかは,その人の選択のみならず,その人がブドウ酒をどのように使うかにかかっている。適度にそれをたしなむ人にとってはその買物は,生活にわずかな余分のよろこびをそえることになろう。詩篇 104篇15節は,「人のこころをよろこばしむる葡萄酒」と述べている。反面,節制のない人,無分別に人にブドウ酒をすすめる人は,非常に危険性の高いものを手に入れていることになる。
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正しく励ました司祭目ざめよ! 1971 | 11月22日
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正しく励ました司祭
● 以前にもまして,「羊」のような人々は大いなるバビロンを離れ,神の民に加わっています。フランスのエホバの証人の一婦人は次のような経験を寄せました。「わたしは15歳のとき,『悔い改めの家』と呼ばれる修道院にはいりました。ところが,わたしは先輩の修道女たちにひどく欺かれ,恐怖心を植えつけられました。不幸な6年間を過ごしたのちそこを去り,その後,結婚して3人の子どもの母親になりました。ある日,エホバの証人のひとりの婦人の訪問を受けました。極端な偏見を持っていたわたしは,その婦人の述べたことを全然問題にしませんでした。それから別の土地へ移り,そこでふたたび証人の訪問を受けました。こんどは「とこしえの命に導く真理」と題する本を用いる家庭聖書研究の勧めに応じましたが,家族と知人からさっそく反対されたため,その研究を後日に延期しました。わたしは疑いを持っていたので司祭に手紙を書いて助言を求めました。そしてその返事にたいへん驚きました。司祭は,わたしがエホバの証人と研究することを認めたばかりか,エホバの証人は真理のうちに歩んでいると述べて,証人との研究を続けるようわたしを励ましてくれたのです。ある日曜日,わたしは子どもたちといっしょにエホバに祈って,聖書研究がしたいのでエホバの証人を遣わしていただきたいと願いました。わたしの祈りは答えられました。というのは,まさにその朝,ひとりの証人がわたしの家の戸をたたいたからです。次いで,家族全員との家庭聖書研究が取り決められました。「真理」の本はわたしたちのいだいていた疑問のすべてに答えてくれましたし,わたしは神がご自分のしもべたちに求めておられることをすぐに理解しました。わたしの家族は全員エホバの証人の会衆の集会に出席しており,集会はわたしたちにとって慰めの源となっています。わたしは真の神に仕え,その民と一致し,そして今では『姉妹』― 真理にある姉妹になったことをうれしく思っています」
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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