ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔97 9/15 21–24ページ
  • どうしたら全時間奉仕の喜びを保てますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • どうしたら全時間奉仕の喜びを保てますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 失意に対処する
  • 他の人と仲良くやっていく
  • 健康を害しているとき
  • 一般の人々の無関心さに直面しても喜びを保つ
  • 他の人からの励まし
  • エホバの喜び ― わたしたちのとりで
  • 全時間奉仕者たちのことを忘れてはなりません
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2014
  • この宝はあなたのもの?
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
  • 開拓宣教の祝福
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
  • 神の全時間のしもべ
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
塔97 9/15 21–24ページ

どうしたら全時間奉仕の喜びを保てますか

聖書預言の成就を見ると,わたしたちが,神を認めない今の体制の終わりの日に住んでいることは明らかです。このことを知っているエホバ神の僕たちは,神の王国の良いたよりを広めることに道理にかなった範囲でできる限り多くの時間を費やします。全時間奉仕に携わるために自分の生活を調整したエホバの証人は60万人余りに上ります。その中には開拓者と呼ばれる全時間の王国宣明者がいます。また,ものみの塔協会の本部やその支部事務所でベテル奉仕者として働いている人もいます。さらには,宣教者や旅行する監督として奉仕している人もいます。

聖書は,終わりの日には「対処しにくい危機の時代」が来ることを示しています。(テモテ第二 3:1-5)ギリシャ語聖書の本文では,「猛烈な定められた時」と訳すこともできる表現が使われています。ですから,現在,問題のない生活を送ることをだれも期待すべきではありません。クリスチャンの奉仕者の中には,問題があまりにも深刻に思えて,「全時間奉仕を続けられるだろうか。それとも,やめなければならないだろうか」と自問する人がいるかもしれません。

開拓者,ベテル奉仕者,旅行する監督,あるいは宣教者という自分の立場を再考せざるを得ない状況としては,どんな状況が考えられるでしょうか。深刻な健康の問題が存在することもあるでしょう。高齢や病弱の親族が付きっきりの世話を必要としている場合もあります。夫婦に子供が生まれてくるという状況もあります。こうした理由や,聖書的な責務のために全時間奉仕を離れる人は,そのような調整をすることを恥じる必要はありません。

しかし,喜びが感じられないため全時間奉仕を離れることを考えている人についてはどうでしょうか。開拓者であれば,奉仕をしている時に人々がほとんど応じてくれないので,「耳を傾ける人がごくわずかなのに,なぜ自己犠牲的な生活を送らなければならないのだろう」と考えることが,もしかしたらあるかもしれません。ベテル奉仕者であれば,自分の割り当てにあまり満足できないということがあるかもしれません。あるいは,開拓奉仕を断念するほどではないものの,ずっと健康が優れず,ついにはそれが原因で喜びを失ってしまうということもあります。そのような人たちはどうしたら喜びを保てるでしょうか。幾人かの経験豊かな奉仕者が語ることを考えてみましょう。

失意に対処する

スイス出身のアニは,1950年にものみの塔ギレアデ聖書学校へ行きました。アニは宣教者として海外で奉仕する割り当てを受けることを楽しみにしていました。ところが,再びヨーロッパでベテル奉仕を行なうよう任命され,がっかりしてしまいました。それでも,アニは翻訳部門の割り当てを受け入れ,今でもその仕事を行なっています。アニはどのようにして失意を克服したでしょうか。「昔も今もなすべき仕事はたくさんあります。その仕事に比べると,自分の感情や好みはそれほど重要ではありません」と,アニは説明します。

自分の割り当てに失望しているなら,アニのような態度を培うことができるかもしれません。個人的な好みは最重要事ではありません。一番大切なのは,王国の音信を広めることに関連した種々の責任がきちんと果たされることです。箴言 14章23節は,「あらゆる労苦によって利益がもたらされる」とわたしたちに告げています。どんな仕事を割り当てられたとしても,それを忠実に果たすなら王国の業の遂行に貢献できるでしょう。そして,神が与えてくださるそのような仕事に大きな満足感 ― そうです,喜び ― を味わうことができます。―コリント第一 12:18,27,28と比較してください。

他の人と仲良くやっていく

全時間奉仕はあらゆる種類の人と親しく接触する奉仕です。野外宣教でも,ベテルや宣教者の家でも,また旅行する監督として各会衆を訪問する時でもそうです。ですから,喜びは,他の人と仲良くやっていくことに大きく依存しています。しかし,この終わりの日に予告されていた『猛烈な時』は,人間関係に大きな緊張をもたらしています。だれかが腹の立つようなことをしたとしても喜びを保つには,奉仕者はどうすればよいでしょうか。ウィルヘルムの経験から何か学べるかもしれません。

ウィルヘルムは1947年に,ヨーロッパのベテル家族の成員になりました。その後,開拓奉仕や旅行する監督として奉仕しました。ウィルヘルムは,「妻と私は,正しくないと感じることや,個人的に心配なことが見受けられるなら,自分たちの気持ちをエホバにお伝えし,事の解決をエホバにゆだねます」と述べています。―詩編 37:5。

あなたも,敬意の欠けた話し方や無思慮な話し方をする仲間のクリスチャンの振る舞いに悩まされたことがあるかもしれません。わたしたちは皆,言葉の点で何度もつまずくことを覚えておいてください。(ヤコブ 3:2)ですから,そのような状況を利用して,「祈りを聞かれる方」に近づくのはいかがでしょうか。(詩編 65:2)その問題についてエホバに話しかけ,それをエホバのみ手にゆだねてください。神が事を正そうと思われるのであれば,そうなさるでしょう。宣教者の家に住む人たちがその種のことでストレスを感じるなら,この点を思いに留めておく必要があるかもしれません。それはエホバへの奉仕で喜びを保つための助けとなるでしょう。

健康を害しているとき

いつも健康に恵まれている人はまれです。いわゆる人生の盛りにある人でさえ,気がめいったり病気になったりすることがあります。中には,健康を害して全時間奉仕を離れなければならなくなったものの,その後,王国伝道者として立派な働きをする人たちがいます。しかし,健康を害していても全時間奉仕を続けることのできる人もいます。例えば,ハルトムートとギースリンドの例を考えてみましょう。

ハルトムートとギースリンドは夫婦で,30年のあいだ開拓奉仕や宣教者奉仕,また旅行する奉仕に携わってきました。二人とも重い病気に何度もかかり,時には身体的にも精神的にも参ってしまうことがありました。それでも,この二人はこれまですばらしい働きをし,同じような試練に直面している人を励ますことができています。彼らはどんなアドバイスをしているでしょうか。「過去ではなく将来に目を向けてください。どんな状況におかれても,いつも最善を尽くしてください。1日のうちに,たった1回しかエホバを賛美する機会がないかもしれません。その機会をとらえて,そこから喜びを得てください」。

ハンネローレの場合も考えてみましょう。彼女は30年間,開拓奉仕や宣教者奉仕を行なったり,旅行する奉仕を行なう夫に同行したり,ベテル奉仕を行なったりしてきましたが,その期間中,繰り返しかかる病気にずっと悩まされてきました。ハンネローレは,「私はもっぱらサタンの提起した論争のことを考えます。その論争とは,人間は楽なときにしかエホバに仕えないというものです。試練に耐えるなら,サタンが間違っていることを証明することに自分もあずかれます」と述べています。これは強い動機づけになり得ます。試練においてあなた個人が示すエホバへの忠節は,エホバにとって重要であることを忘れないでください。―ヨブ 1:8-12。箴言 27:11。

健康に関して平衡の取れた決定を下そうとする時は,事物の体制の終結に関するイエス・キリストの預言の二つの特色を考慮してください。イエスはそこからここへと疫病があると予告されました。また,「王国のこの良いたよりは……人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」とも述べられました。(マタイ 24:3,14。ルカ 21:11)イエスは,ご自分の追随者たちが終わりの日に病気と闘うことをご存じでした。しかし,宣べ伝える業が健康な人たちだけでなく,重い病気を抱えている人たちによっても成し遂げられるということも知っておられました。わたしたちが病弱でありながら全時間奉仕を続けることができるなら,エホバは,ご自分のみ名に対してわたしたちが示す愛を忘れたりはされません。―ヘブライ 6:10。

一般の人々の無関心さに直面しても喜びを保つ

わたしたちの態度は,王国を宣べ伝える業に対する人々の反応に影響されることがあります。経験豊かな一奉仕者は,「開拓者でさえ,家の人と会話を始めることを難しく感じています」と述べ,「私たちは皆,喜びを保つために努力しなければなりません」と語りました。一般の人々の無関心さのために野外奉仕における喜びが減少するということは確かにあります。では,絶えず無関心さに直面している開拓者は,どのようにしてその喜びを保てるでしょうか。経験豊かな奉仕者たちは,試されてその有効性が実証された次のような事柄を提案しています。

無関心さに対処するのは難しい問題ですが,敗北を意味するとは限りません。無関心さが広く見られるということ自体は,全時間奉仕を離れる理由にはなりません。勤勉に聖書研究を行なう時間を十分に取り分けるなら,無関心さに直面しても喜びを保つことができます。聖書研究は『あらゆる良い業に対してわたしたちを整え』ますが,その良い業の中には,良いたよりに耳を貸そうとしない人に話しかけることも含まれます。(テモテ第二 3:16,17)人々は預言者エレミヤが話すことを聴きたがりませんでしたが,エレミヤはそのために話すのをやめたりしませんでした。(エレミヤ 7:27)キリスト教の出版物の助けを得て聖書を研究するとき,信仰を強めるような点,また無関心さに対処するための助けとなる点に留意するなら,多大の益が得られるでしょう。

無関心さは取り組まなければならない課題であるとした上で,伝道する相手の人に対するわたしたちの態度について考えてみましょう。人々はなぜ無関心なのでしょうか。例えば,ヨーロッパの一部で無関心さが広まっている一つの理由として,偽りの宗教が嘆かわしい記録を残してきたことがあります。人々は自分たちの生活の中に宗教の占める位置があるとはもはや考えておらず,宗教と何らかのかかわりを持つことを望んでもいません。わたしたちは融通を利かせて,失業,健康,犯罪,不寛容,環境,戦争の脅威など人々に影響を与えている事柄について話す必要があります。

家の人への紹介の言葉の中で,地元で話題になっている事柄に触れることができるかもしれません。ディートマルは,成果がほとんど得られていなかった村で奉仕していたとき,そうしてみました。一人の家の人が,昨日,村で悲しい出来事があったと述べました。ディートマルは,その後に訪問したどの家でも,悲劇が起きたことを心から残念に思うと言いました。「すると,人々は急に話してくれるようになりました。みんなはその悲劇のことが頭から離れないでいたのです。その日はよい話し合いがたくさんできました。人々の生活に関心を示したからです」と,ディートマルは述べています。

わたしたちは,どこで人に会うとしても王国について証言する必要があります。非公式の証言は好結果を生むことがあるので,聖書に基づく出版物の中で勧められている提案を用いることにより,この活動に備えることができます。親しみのこもった言葉を少しかけたり,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌を家の人に配布するだけで喜ばしい結果を得ることがあります。関心のある人を再訪問して聖書研究を始めたなら,「ほかにだれか聖書を研究したいと思っている人を知りませんか」と尋ねて,そのような人を紹介してもらえるかもしれません。そうすることによって,家庭聖書研究をもう一件始めることができるかもしれません。いずれにせよ,積極的であるように努め,祈りのうちにエホバに依り頼み,無関心さに気をくじかれないようにしましょう。

他の人からの励まし

ユルゲンとクリスティアンは30年余り開拓奉仕や旅行する奉仕を行なってきました。彼らはある時,無関心で頑固な人が大半を占める区域で奉仕するよう割り当てられました。ユルゲンとその妻は励ましを切望していました。ところが,どういうわけか,会衆の他の人たちは二人の必要にこたえてくれませんでした。

それでユルゲンは,「開拓者の中にも大変な思いをしている人たちがおり,そのような開拓者は,長老や他の伝道者たちの励ましをさらに必要としている」ことを経験を通して知っています。神は,ヨシュアを励まして強めるようにとモーセに言われました。(申命記 3:26-28)それでクリスチャンも,互いに対して励ましの源とならなければなりません。(ローマ 1:11,12)王国伝道者は全時間奉仕に携わっている人を励ますため,築き上げる言葉をかけたり,時には宣教に一緒に参加することができます。

エホバの喜び ― わたしたちのとりで

人生の大半を宣教者奉仕やベテル奉仕に,あるいは旅行して諸会衆を訪問する業に費やしてきたクリスチャンは,ほとんどの問題は短期間のものであるとはいえ,長引く問題もあることに気づいています。いつまでたっても無くなりそうにない問題が幾らかあったとしても,それによって喜びを奪われてはなりません。45年余り海外での割り当てを果たしてきたラモンは,種々の問題のために憂うつになる時には,「自分たちが享受している数多くの祝福について,また自分たちよりももっと苦しい目に遭っている大勢の人のことについて考えるべきです」とアドバイスしています。確かに,世界各地にいるわたしたちの仲間の信者は様々な苦しみを経験していますが,エホバはわたしたち全員のことを本当に気遣ってくださっています。―ペテロ第一 5:6-9。

ですから,わたしたちの個人的な事情が全時間奉仕を行ない,かつそれにとどまれるようなものであれば,わたしたちの天の父に依り頼んで喜びを保つよう努力しましょう。神はご自分の僕たちを強めてくださいます。それでわたしたちは皆,『エホバの喜びがわたしたちのとりで』であることを忘れないようにしましょう。―ネヘミヤ 8:10。

[21ページの拡大文]

「その仕事に比べると,自分の感情や好みはそれほど重要ではありません」

[22ページの拡大文]

「自分たちの気持ちをエホバにお伝えし,事の解決をエホバにゆだねます」

[23ページの拡大文]

「どんな状況におかれても,いつも最善を尽くしてください。1日のうちに,たった1回しかエホバを賛美する機会がないかもしれません」

[23ページの拡大文]

「試練に耐えるなら,サタンが間違っていることを証明することに自分もあずかれます」

[24ページの拡大文]

『開拓者の中にも大変な思いをしている人たちがおり,そのような開拓者は,長老や他の伝道者たちの励ましをさらに必要としています』

[24ページの拡大文]

『自分たちが享受している数多くの祝福について考えるべきです』

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする