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  • 結婚生活における宗教的一致 ― なぜ大切ですか
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目ざめよ! 1999
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聖書の見方

結婚生活における宗教的一致 ― なぜ大切ですか

ある家族が夕食の席に着きます。父親が祈りをささげているとき,母親は無言で他の神に祈ります。別の家族の場合,妻は教会の礼拝に出席しますが,夫はユダヤ教の会堂に行きます。一方の親は子どもにサンタクロースのことを教え,もう一方はハヌッカについて話すという家族もあります。

最近の調査によると,こうした光景は珍しくなくなってきているようです。自分の宗教とは違う宗教を持つ相手と結婚する人が増えているからです。米国ではカトリック教徒の21%がカトリック以外の宗教の人と結婚しています。モルモン教徒の場合その割合は30%,イスラム教徒で40%,ユダヤ教徒では50%以上に上ることをある調査は示しています。何世紀にもわたって宗教が反目し合って来たことを考えて,信仰の違う人同士が結婚することを不寛容への勝利とみなす人もいます。ある新聞のコラムニストは,「どんな組み合わせの結婚であっても,そのほとんどは祝すべきものだ」と書きました。それは聖書的な見方でしょうか。

聖書は人種的あるいは民族的な偏見を支持してはいないということを心にとめておくのは大切なことです。神の言葉は人種に対する公平な見方を奨励しています。使徒ペテロはその点を明確にし,「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」と言いました。(使徒 10:34,35)しかし同時に聖書は,エホバの真の崇拝者は「主にある者とだけ」結婚すべきだとも教えています。(コリント第一 7:39)なぜでしょうか。

結婚の目的

神は結婚がとりわけ親密なきずなとなるよう意図しておられました。(創世記 2:24)神は結婚の取り決めを創始するにあたり,単なる親密な交わり以上のものを念頭に置いておられました。エホバは最初の夫婦に,子どもの養育と彼らの住みかである地球を管理するという務めを割り当てた際に,二人が力を合わせて共に働き,そのご意志を果たすべきであることをお示しになりました。(創世記 1:28)男も女もこの点で協力して神に仕えることにより,単なる親しい交わりではなく,親密で永続的な協力関係を楽しむことになっていたのです。―マラキ 2:14と比較してください。

イエスはその協力関係を示唆して,次の有名な言葉を語られました。「彼らはもはや二つではなく,一体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。(マタイ 19:6)イエスは比喩的な言葉を用いて結婚関係をくびきに例えておられます。つまり一緒に並んで同じ荷物を引いたり動かしたりする2頭の荷役動物をつなぐくびきです。くびきでつながれた2頭の動物がそれぞれ反対の方向に荷を引こうとする時に生じる苦痛を想像してください。同様に,真の信仰を持たない人と結婚する人たちは,配偶者に反対されながら聖書の原則に従った生活をするとき苦闘することになるかもしれません。聖書は適切にも,「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません」と述べています。―コリント第二 6:14。

より良い結婚

真の崇拝において一致していれば,結婚関係は大いに強まります。ある文筆家は,「共に崇拝を行なうことは,健全で幸福な家族の主要な特徴の一つである」と述べました。伝道の書 4章9,10節には,「二人は一人に勝る。彼らはその骨折りに対して良い報いを得るからである。もしもそのうちの一人が倒れるなら,他方の者がその仲間を起き上がらせることができるからである」とあります。

崇拝を生活の中心に置くとき,クリスチャンの夫婦は肉体的に結ばれるだけでなく霊的にも結ばれます。共に祈り,共にみ言葉を研究し,仲間のクリスチャンたちと共に集まり,そして自分の信仰を他の人たちに伝えるときに霊的なきずなで結ばれ,結婚関係はますます親密なものとなります。あるクリスチャンの女性は,「真の崇拝は一つの生き方です。今ある私と共通の基盤を持たない人を結婚相手に選ぶことなど考えられません」と言いました。―マルコ 3:35と比較してください。

「主にある者」と結婚する人は,配偶者が振る舞いの面でイエスに見倣うことを期待できます。クリスチャンの夫は,イエスが会衆に愛をもって接したように妻に接することが求められています。クリスチャンの妻も,敬意を込めて夫に接するよう求められています。(コリント第一 11:3。エフェソス 5:25,29,33)クリスチャンがそうするのは,配偶者を喜ばせたいというだけではなく,神を喜ばせたいからでもあります。神は,夫婦が互いをどう扱うかについて夫婦に言い開きをお求めになります。―マラキ 2:13,14。ペテロ第一 3:1-7。

共通の信条に忠実であることは,クリスチャンの夫婦が意見の相違を平和裏に解決する助けにもなります。聖書はクリスチャンに,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも」注意を向けるようにと助言しています。(フィリピ 2:4)信仰において一致している夫婦は,どんな意見の相違を解決するにも,個人的な好みにこだわることなく,共通の権威として神の言葉に目を向けます。(テモテ第二 3:16,17)そのようにして,「同じ思い」でいなさいというクリスチャンに対する聖書の諭しに従います。―コリント第一 1:10。コリント第二 13:11。フィリピ 4:2。

魅力と共通の価値観

確かに,二人の関係には,同じ信仰を持つということ以外のことも含まれます。互いに相手に引かれるということもその要素の一つです。(ソロモンの歌 3:5; 4:7,9; 5:10)とはいえ,結婚関係を永続させるためには,共通の価値観を持つことが極めて重要です。「あなたはわたしと合う人ですか」(英語)という本は,「同じような価値観を持つ夫婦のほうが,幸福な,仲むつまじい,永続的な関係を築く可能性はずっと高い」と述べています。

都合の悪いことに,互いに引き付けられた人たちは結婚するまで重大な違いについては話さないかもしれません。例えで考えてみましょう。まず,ある家の外観がとても気に入ったのでその家を買うことにしたとしましょう。ところが,引っ越して初めて,その家の基礎が不安定なことが分かります。基礎がぐらついていては,その家の魅力的な部分もすべて意味がなくなってしまいます。同じように,信仰の異なるだれかに魅力を感じ,その人となら気が合うと思えたとしても,結婚後,その関係に深刻な亀裂が生じることになるかもしれません。

違う宗教の人と結婚した後に表面化するかもしれない幾つかの難しい問題について考えてみてください。家族はどこで崇拝を行なうでしょうか。子どもにはどんな宗教教育を施しますか。家族はどちらの信仰を経済的に支援するでしょうか。一方の配偶者は,他方の配偶者が異教のものと考えるある種の宗教的な慣行や祝日を一緒に行なうよう強く求めるでしょうか。(イザヤ 52:11)結婚したら必ず夫婦双方が道理にかなった調整を行なう必要が出てきますが,聖書の原則を曲げることは,たとえ結婚生活を続けるためであっても,神に受け入れられることではありません。―申命記 7:3,4; ネヘミヤ 13:26,27と比較してください。

別々の宗教を持つ夫婦の中には,夫婦の平和を保つために一人で自分の信仰を実践している人たちがいます。しかし,悲しいことに,一人で崇拝を行なっていると,結婚生活には霊的な空白が生じます。自分とは違う信仰を持つ男性と結婚したあるクリスチャンの女性は,「結婚して40年になりますが,夫は本当の私を知りませんでした」と述べています。それとは対照的に,夫婦が共に「霊と真理をもって」崇拝している結婚生活では,神が中心になっています。聖書が詩的な言葉で,「三つよりの綱は素早く断ち切ることはできない」と述べているとおりです。―ヨハネ 4:23,24。伝道の書 4:12。

子どもたちはどうか

別の信仰を持つ人との結婚を考えている人の中には,子どもには両方の信仰に触れさせて,自分で選ばせるようにすればよいと考えている人もいるかもしれません。確かに,子どもに宗教教育を施す法的・倫理的な権利は両方の親にありますが,最終的に決定を下すのは子どもたちです。a

聖書は子どもたちに,「主と結ばれた」親のどちらにも従うよう命じています。(エフェソス 6:1)箴言 6章20節はその点について,「我が子よ,あなたの父のおきてを守り行ない,あなたの母の律法を捨て去ってはならない」と述べています。共通の信条を持つ両親によって育てられた子どもたちは,異なる教理にさらされることなく,聖書が「主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つ」と呼ぶところのものにおいて結ばれることになります。―エフェソス 4:5。申命記 11:19。

本当の意味で「主にある者」

共通の価値観を持つことが結婚を成功させるかぎであるというのであれば,クリスチャンと主張する人ならだれとでも結婚する,というのは賢明なことでしょうか。聖書はこう答えています。「[イエス]とずっと結ばれていると言う者には,この方が歩まれたとおりに自らも歩んでゆく務めがあります」。(ヨハネ第一 2:6)ですから,結婚を考えているクリスチャンは,イエスに従うことに心から努めている仲間のクリスチャンを探すはずです。そのような未来の配偶者は,神に献身し,バプテスマを受け,イエスの愛情深い人格に見倣い,熱心に神の王国を宣べ伝えていることでしょう。イエスがそうであったように,神のご意志を行なうことを自分の生活の中心に置いているに違いありません。―マタイ 6:33; 16:24。ルカ 8:1。ヨハネ 18:37。

結婚を考えている人たちは,神の崇拝者の家族の中でふさわしい配偶者が見つかるまで辛抱強く待つことにより,神のご意志を生活の中で第一にする点で模範を示すことができます。そうした模範は最終的には,より幸福で満ち足りた結婚生活に寄与するものとなるでしょう。―伝道の書 7:8。イザヤ 48:17,18。

[脚注]

a 「目ざめよ!」誌,1997年3月8日号,26,27ページ,「聖書の見方: 宗教は子供が自分で選ぶべきものですか」という記事をご覧ください。また,ものみの塔聖書冊子協会が1995年に発行した,「エホバの証人と教育」,24,25ページをご覧ください。

[20ページの囲み記事]

宗教面で分かれている家族を助ける

今日,多くの夫婦は,様々な理由で別々の宗教を持っています。違う宗教に属する人を配偶者に選んだ人もいるかもしれません。しかし,多くの夫婦の場合,初めは同じ信仰を持っていたものの,後に一方の配偶者が別の形の崇拝を取り入れたため,宗教面で分かれるようになりました。家族が宗教面で別々になった状況はほかにもあるかもしれません。しかし,理由はともあれ,単に配偶者の選択した宗教に賛成できないというだけの理由で結婚の誓約を破棄したり,軽視したりすべきではありません。聖書は,配偶者同士が崇拝の面で一致していなくても,結婚の神聖さや永続性を尊重しています。(ペテロ第一 3:1,2)使徒パウロはこう書いています。「ある兄弟に信者でない妻がいて,彼女が夫と共に住むことを快く思っているなら,その人は妻を去ってはなりません」。(コリント第一 7:12)聖書にある原則は,それが適用されるなら,夫婦が愛情と敬意に満ちた関係を保って,平穏な生活を楽しむ助けになります。―エフェソス 5:28-33。コロサイ 3:12-14。テトス 2:4,5。ペテロ第一 3:7-9。

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