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ガリレオと教会との衝突目ざめよ! 2003 | 4月22日
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宗教と科学の対立?
ガリレオの例は,科学と宗教がどうしても相いれないことを証明している,と結論する人は少なくありません。実際,過去数世紀の間に,ガリレオ裁判がもとで人々は宗教から遠ざかってきました。また,宗教は本質的に科学の進歩を脅かすと決め込むようになった人も大勢います。しかし,宗教とは本当にそういうものなのでしょうか。
教皇ウルバヌス8世とローマの異端審問所の神学者たちは確かに,聖書に反しているとしてコペルニクス説を糾弾しました。ガリレオの反対者たちは,ヨシュアの述べた「日よ とどまれ」という言葉を引き合いに出しました。(ヨシュア 10:12,「新共同訳」)この言葉は文字どおりに理解すべきであるというのが彼らの見解です。しかし,聖書は本当にコペルニクス説と矛盾するのでしょうか。そのようなことは全くありません。
実際には,科学と,聖書の明らかに間違った解釈とが矛盾していたのです。ガリレオはそうみなし,弟子の一人にこう書いています。「聖書が間違うことはないが,聖書を解釈する人や説明する人は様々な点で間違うことがある。その一例は,非常に重大で,なおかつ非常に頻繁に生じることだが,常に全く文字どおりの意味にとどめようとすることであろう」。聖書を真剣に研究している人なら,だれでもこの言葉に同意せざるを得ないでしょう。a
ガリレオはさらに続け,聖書および自然という書物は2冊とも同じ筆者によって書かれたので,互いに矛盾することなどないと主張しました。しかし,「解釈者すべてが神の霊感のもとに語っているとは断言」できないとも述べています。
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ガリレオと教会との衝突目ざめよ! 2003 | 4月22日
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a 公正な見方をする読者であれば,太陽が空中でとどまることに関する記述が,科学的な分析を意図したものではなく,目撃者である人間の見地からどう見えたかという単純な観察にすぎないことを,すぐに認めるでしょう。天文学者たちも,太陽,惑星,星などが昇ったり沈んだりすると述べることがよくあります。それは,そうした天体が文字どおり地球の周りを回るという意味ではなく,空を横切るように見えるという意味です。
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