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  • 神には名前があります!
    目ざめよ! 2004 | 1月22日
    • 神には名前があります!

      神の名は何でしょうか。人にはみな自分の名前があります。多くの人はペットにさえ名前を付けます。神も名前を持たれるのではないでしょうか。人にはそれぞれ名前があり,それを用いることは,人間関係や相互の交流に欠かせません。その点は明らかです。神との関係については異なるのでしょうか。意外なことに,聖書の神を信じていると言う多くの人が神の固有の名を用いていません。とはいえ,神の名はこれまで幾千年ものあいだ知られてきました。この一連の記事をお読みになれば,神の名が広く用いられた時代について知ることができます。さらに重要な点として,神を名前で知ることについて聖書が何と述べているかも知ってください。

      ヨーロッパの幾つかの国では17世紀に,神の名を刻んだ硬貨が造られていました。1634年に造られたドイツの硬貨には,エホバ(IEHOVA)という名がはっきりと刻まれていました。そのような硬貨は,“エホバ・ターレル”つまりエホバ硬貨として広く知られるようになり,何十年ものあいだ流通しました。

      エホバ(Jehovah)a は,神の名の表わし方の一つとして幾世紀ものあいだ認められてきた形です。ヘブライ語は右から左に読み,神の名はיהוהという四つの子音字で記されます。ヘブライ語のこの四文字は,ローマ字ではYHWHと翻字され,テトラグラマトンとして知られています。この形の神の名も何十年もの間,ヨーロッパの幾つかの硬貨に刻まれていました。

      神の名前は,建物,記念碑,芸術作品にも見られ,また多くの賛美歌にも見られます。ドイツのブロックハウス百科事典によると,プロテスタントの君主たちはある時期に,様式化された太陽とテトラグラマトンとを組み合わせた記章を付けるのが習慣となっていました。旗や硬貨にも用いられたその種のシンボルは,「エホバと太陽」の紋章として知られました。明らかに,17,18世紀の信仰心の厚いヨーロッパ人は,全能の神にお名前のあることを知っていました。さらに意味深いこととして,その人々は神の名を用いることを恐れたりはしませんでした。

      植民地時代のアメリカでも,神の名になぞめいたものはありませんでした。アメリカ独立革命時の軍人イーサン・アレンはその一例です。本人の記憶によれば,1775年にアレンは敵軍に対し,「偉大なるエホバの名において」降伏するよう要求しました。後年,アブラハム・リンカーンの大統領在任中,幾人かの顧問はリンカーン宛ての手紙の中でたびたびエホバの名に言及しています。アメリカの他の歴史文書にもこの神の名は載せられており,そうした文書は多くの図書館で一般の人も閲覧できます。これらは,神の名が幾世紀もの間はっきり表示されてきたことを示す幾つかの例です。

      今日ではどうでしょうか。神のお名前は忘れられてしまったでしょうか。そのようなことはありません。多くの言語の様々な聖書翻訳は幾つもの箇所に神の固有の名をとどめています。だれでも図書館に少し立ち寄るか,手近な辞書類を少し調べるだけで,エホバという名がテトラグラマトンを表わす一つの形として一般に受け入れられていることが分かるでしょう。一例として,インターナショナル百科事典(英語)はエホバ(Jehovah)という名を,「ヘブライ語による神の神聖な名の,現代の形」と定義しています。新ブリタニカ百科事典(英語)の最近の版は,エホバが「ユダヤ教とキリスト教の神の名」であると説明しています。b

      『でも,今日,人々は神の名前を気に留めているだろうか』と思われるかもしれません。神のお名前は今でも公共の場所にいろいろな形で見られます。例えば,エホバの名は,ニューヨーク市のある建物の隅石に刻まれています。同市の混雑する地下鉄のある駅を飾る色彩豊かなモザイクにも,神の名がヘブライ語で記されています。とはいえ,そばを通る大勢の人で,そのように書き込まれた文字に大切な意味があると考える人はほとんどいない,と言えるでしょう。

      お住まいの地域で,神のこの名前は人々にとって重要な意味を持っているでしょうか。それとも,たいていの人は創造者をただ「神」と呼び,この称号が実際の名前であるかのように見ているでしょうか。神に名前があるかどうかなど全く考えない人が多い,と感じておられるかもしれません。あなたご自身はいかがでしょうか。エホバという固有の名を用いてためらいなく神に語りかけるでしょうか。

      [脚注]

      a この一連の記事ではエホバの名を,95余りの言語で用いられている39の形で載せています。

      b 学者たちは一般に,「ヤハウェ」が最も妥当な発音ではないかと考えています。しかし,確かな発音は現在では分からないのですから,広く知られた「エホバ」という形を捨てるべき理由はありません。もしそのように変えるとすれば,首尾一貫した扱い方としては,「エレミヤ」,「イザヤ」,「イエス」など,聖書中の他の多くの名前についても,そのつづりや発音を同様に変更しなければならないことになるでしょう。詳しくは,エホバの証人の発行した「神のみ名は永久に存続する」という冊子をご覧ください。

      [4ページの囲み記事/図版]

      エホバの名を知らせた王

      1852年,宣教師の一団がハワイからミクロネシアの島々に向けて出発しました。彼らは当時ハワイ諸島を支配していた王カメハメハ3世の公印付きの紹介状を携えていました。この手紙は初めハワイ語で記され,太平洋の島々のいろいろな支配者に宛てられたものでした。その一部は以下のようになっていました。「至高の神エホバの教師たちが,とこしえの救いのための神の言葉を知らせるべく,貴公の島々に向かう予定である。……この優れた教師たちに敬意と友情を示していただきたい。また,その教えに耳を傾けるようお勧めする。……偶像を捨て,主エホバを神とし,崇拝し,愛するようお勧めしたい。神は貴公を祝福し,救ってくださるであろう」。

      [図版]

      王カメハメハ3世

      [クレジット]

      Hawaii State Archives

      [3ページの図版]

      「四文字」という意味のテトラグラマトンは,神の固有の名をヘブライ語で記したもの

  • 神の名に対する戦い
    目ざめよ! 2004 | 1月22日
    • 神の名に対する戦い

      その人の名はハナニヤ・ベン・テラディオン。西暦2世紀のユダヤ人の学者で,公開の集まりを開いて,聖書の最初の五つの書を収めた巻き物セーフェル・トーラーから教えることで知られていました。ベン・テラディオンは,神の固有の名を用い,それを人々に教えることでも知られていました。聖書の最初の五つの書に神の名が1,800回余り出てくることを考えると,神の名について教えずにトーラーを教えることなど,どうしてできたでしょうか。

      しかし,ベン・テラディオンが生きたのは,ユダヤ人の学者たちにとって危険な時代でした。ユダヤ人の歴史家によると,ローマ皇帝はユダヤ教の布教やそれを固く守ることを死罪に値する違法行為と定めていました。結局,ベン・テラディオンはローマ人に捕らえられました。そのとき彼はセーフェル・トーラーを所持していました。ベン・テラディオンは自分を訴えた人々に対して,自分は聖書を教えることにより神の命令に従っているにすぎないとありのままに認めましたが,死刑を宣告されました。

      処刑の当日,ベン・テラディオンは捕縛されたときに所持していた聖書の巻き物を体に巻きつけられ,火あぶりにされました。ユダヤ大百科事典(英語)によると,「苦しみを長引かせるため,水を含ませた羊毛の房が彼の心臓の上に置かれ,すぐに息を引き取らないようにされ」ました。刑罰の一環として妻も処刑され,娘は売春宿に売られました。

      ベン・テラディオンに対するこの残忍な処刑の責任はローマ人にあったとはいえ,「彼が火刑に処されたのは,み名をすべてつづりどおりに発音したためだ」とタルムードaは述べています。神の固有の名を口にすることは,ユダヤ人にとってまさに重大な違犯とされたのです。

      第三のおきて

      神の名の使用に関する迷信は,ユダヤ人の間で西暦一,二世紀に確立されたようです。ミシュナ(ラビの注解を集大成したもので,タルムードの基礎になった)では,「神名をつづりどおりに発音する者」は神の約束された将来の地上のパラダイスに何の分も持たない,とされました。

      そのような禁制はどこから出たのでしょうか。一説によると,ユダヤ人は神の名前はあまりに神聖であるため不完全な人間は発音してはならないと考えました。やがて,この名を書くことさえ,ためらうようになりました。ある資料によると,そうした恐れは,神の名の書かれた文書がついにはごみとして捨てられ,神の名が冒とくされる結果にならないかという心配から生じました。

      ユダヤ大百科事典はこう述べています。「YHWHという名を口にするのを避けた……理由は,第三のおきて……を誤解し(た)ことにある」。神がイスラエル人に与えた十のおきての三番目は次のようなものです。「あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない。その名をいたずらに取り上げる者をエホバは処罰せずにはおかないからである」。(出エジプト記 20:7)神の名のふさわしくない用い方を禁じるこの命令が曲解され,迷信的な考えが生まれました。

      今日,神がご自分の名を口にする人を火あぶりにするなどと言う人はいません。しかし,神の固有の名に関するユダヤ人の迷信は依然として残っています。テトラグラマトンについて,「口にするのもおそれ多い名」とか,「口にすべからざる名」などと言う人は今でも少なくありません。ある社会では,その伝統を破らないよう,神について述べるときはいつも故意に誤った発音をしています。例えば,神の固有名の省略形であるヤーもしくはヤハはカーと発音され,ハレルヤはハレルカと発音されます。「神」の語を書くことさえしないように,その語を構成する文字をダッシュで置き換える人もいます。例えば,英語で“God”と書くとき,実際には“G-d”とつづるのです。

      み名を隠す企ては続く

      神の名を用いようとしないのは,ユダヤ教だけではありません。カトリックの僧職者で,教皇ダマスス1世の秘書だったヒエロニムスについて考えてみましょう。ヒエロニムスは西暦405年に聖書全巻のラテン語への翻訳を終え,その聖書はラテン語「ウルガタ訳」として知られるようになりました。ヒエロニムスはその訳に神の名を載せませんでした。当時の慣習に倣って,神の名の代わりに「主」や「神」といった語を用いました。ラテン語「ウルガタ訳」はカトリックの最初の公認翻訳聖書となり,この訳を基にして,他の幾つもの言語への翻訳がなされました。

      例えば,1610年のカトリックの翻訳である「ドウェー訳」は,いわばラテン語「ウルガタ訳」の英訳版でした。ですから,この聖書に神の固有の名が全く出ていないのも驚くには当たりません。もっとも「ドウェー訳」は,単に数ある翻訳の一つではありませんでした。1940年代まで,英語圏のカトリック教徒にとって唯一の公認聖書だったのです。神のお名前は何百年もの間,非常に多くの敬虔なカトリック教徒から隠されてしまいました。

      「ジェームズ王欽定訳」についても考えましょう。1604年に英国国王ジェームズ1世は学者の一団に,英訳聖書の作成を命じました。7年ほど後,「欽定訳聖書」としても知られる「ジェームズ王欽定訳」が発行されました。

      この訳の翻訳者たちも神の名を避け,幾つかの節でしか用いませんでした。神の名はほとんどの箇所で,テトラグラマトンを表わす“LORD”(主)や“GOD”(神)という語に置き換えられました。この訳は非常に多くの人にとって標準聖書となりました。ワールドブック百科事典(英語)はこう述べています。「『ジェームズ王欽定訳』の出版から200年余りのあいだ重要な英訳聖書は現われなかった。その間,『ジェームズ王欽定訳』は英語圏で最も広く用いられる訳であった」。

      神の名を削除または軽視する翻訳聖書は過去何世紀もの間に数多く出版されており,先に挙げたのはそのうちの三つの例にすぎません。今日,クリスチャンと公言する人の大多数が,神の名を用いるのをためらったり全く知らなかったりするのも,意外なことではありません。もちろん,長年,一部の聖書翻訳者は神の固有の名を訳本に載せてきました。しかし,その多くは比較的近代に出版されたもので,神の名に対する一般の人々の見方に大きく影響するものとはなっていません。

      神のご意志に反する習わし

      神の名を用いようとしない,この広く見られる傾向は,人間の伝統に固く基づいたもので,聖書の教えに基づくものではありません。「神名を発音することを禁じる言葉はトーラーにはない。事実,神名がごく日常的に発音されたことは聖句から明らかである」と,ユダヤ人の研究者で,Judaism<ジュダイズム> 101というインターネットサイトの作成者であるトレーシー・R・リッチは述べています。そうです,聖書時代に神の崇拝者たちはみ名を用いました。

      確かに,神の名を知ってそれを用いるなら,是認された崇拝の方法に,つまり聖書時代に神を崇拝した方法に近づくことになります。これは神との個人的な関係を築く最初のステップとなります。その関係を築くことは,単に神の名前は何かを知ることよりはるかに大切です。実際のところ,エホバ神はご自分とのそのような関係を持つようにと招いておられます。霊感による次の温かな招きを差し伸べておられるのです。「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」。(ヤコブ 4:8)しかし,『どうすれば死すべき人間が全能の神とのそのような親密さを享受できるのだろうか』と思われるかもしれません。次の記事では,エホバとの関係をどのように培えるかを説明します。

      [脚注]

      a タルムードは古代ユダヤ人の伝承を編さんしたものです。きわめて神聖で影響力のある,ユダヤ教の書物とされています。

      [6ページの囲み記事]

      ハレルヤ

      「ハレルヤ」という言葉を聞くと何が思い出されるでしょうか。おそらく,ヘンデルの「メサイア」でしょう。これは1700年代の音楽の傑作で,迫力あるハレルヤ・コーラスが特徴です。あるいは,「グローリー,ハレルヤ」としても知られる,アメリカの有名な愛国的唱歌「リパブリック賛歌」について考えるかもしれません。いずれにしても,きっとどこかで「ハレルヤ」という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。それを口にすることもおありかもしれません。では,その意味をご存じでしょうか。

      ハレルヤ ―「ヤハを賛美せよ」,または「あなた方はヤハを賛美せよ」という意味のヘブライ語「ハレルー・ヤーハ」を英語に音訳したもの。

      ヤハ ― 神の名エホバの詩的短縮形。聖書に50回以上見られ,多くの場合,「ハレルヤ」という表現の一部として出てきます。

      [7ページの囲み記事]

      人名の一部を成す神の名

      聖書中の多くの人物のヘブライ語名には,神の固有の名が含まれています。そのような名前と意味を幾つか挙げましょう。

      ヨハンナ ―「エホバは慈しみに富んでおられた」

      ヨエル ―「エホバは神」

      ヨハネ ―「エホバは恵みを示してくださった」

      ヨナタン ―「エホバは与えてくださった」

      ヨセフ ―「ヤハが加えてくださるように」b

      ヨシュア ―「エホバは救い」

      [脚注]

      b 「ヤハ」は「エホバ」の省略形。

      [8ページの囲み記事]

      神を指す聖書中の語

      聖書のヘブライ語本文は,全能者,創造者,父,主など,神を指す非常に多くの語を用いています。しかし,神について固有名で述べた箇所は,他の語を用いた箇所すべてよりはるかに多くあります。明らかに,み名を用いることは神のご意志です。ヘブライ語聖書に出てくる語を挙げた次のリストをご覧ください。c

      エホバ ― 6,973回

      神 ― 2,605回

      全能者 ― 48回

      主 ― 40回

      造り主 ― 25回

      創造者 ― 7回

      父 ― 7回

      日を経た方 ― 3回

      偉大な教訓者 ― 2回

      [脚注]

      c エホバの証人の発行した「新世界訳聖書」に出てくるおおよその回数。

      [9ページの囲み記事]

      物事を生じさせる神

      神の名エホバの意味に関して学者たちの意見は全く一致しているわけではありません。しかし,この点に関する広範な調査により,そのみ名はヘブライ語動詞ハーワー(なる)の一語形で,「彼はならせる」という意味であると考えている人が多くいます。

      ですから,モーセが神にお名前を尋ねたことについて述べる出エジプト記 3章14節は,「新世界訳聖書」d でこう訳されています。「すると神はモーセに言われた,『わたしは自分がなるところのものとなる』。そしてさらに言われた,『あなたはイスラエルの子らにこう言うように。「わたしはなるという方がわたしをあなた方のもとに遣わされた」』」。

      これは適切な訳と言えます。神はなる必要のあるどんな者にでもご自身をならせることができるからです。神はご意志を成し遂げるのに必要な役割を何であれ果たされ,それを妨げ得るものはありません。神の目的や約束は常に現実のものとなります。何よりも,神は創造者,つまり物事を生じさせる無限の能力を持つ方となられました。神は物質宇宙を誕生させ,幾万もの霊の被造物も創造されました。確かに,エホバは物事を生じさせる神です。

      [脚注]

      d 発行: エホバの証人

      [5ページの図版]

      ハナニヤ・ベン・テラディオンの処刑を描いたレリーフ

      [8,9ページの図版]

      神の名はいろいろな所にはっきり示されている

      1. 教会,デンマークのロンボー,17世紀

      2. ステンドグラスの窓,ベルンの大聖堂,スイス

      3. 初期のヘブライ語文字で記されている死海文書,イスラエル,西暦30年ごろから50年

      [クレジット]

      Shrine of the Book, Israel Museum, Jerusalem

      4. スウェーデンの硬貨,1600年

      [クレジット]

      Kungl. Myntkabinettet, Sveriges Ekonomiska Museum

      5. ドイツ語の祈とう書,1770年

      [クレジット]

      From the book Die Lust der Heiligen an Jehova. Oder: Gebaet-Buch, 1770

      6. 石碑,ドイツのバイエルン州

      7. モアブ碑石,フランスのパリ,西暦前830年

      [クレジット]

      Musée du Louvre, Paris

      8. 教会の丸天井の絵,スイスのオルテン

  • どうすれば神を名前で知ることができますか
    目ざめよ! 2004 | 1月22日
    • どうすれば神を名前で知ることができますか

      新聞のあるコラムニストは読者から次のような手紙を受け取りました。「私は生涯ずっとこの疑問について懸命に考えてきました。お答えいただけるように願っています。神のお名前は何でしょうか。ユダヤ教徒は,本当の名前は時代とともに失われてしまったと言います。クリスチャンは神をイエスと呼び,イスラム教徒はアラーと呼びます。……本当のところはどうなのでしょうか」。その新聞は,質問とともに次のような答えを掲載しました。「古代ヘブライ人の教えによると,神は全能者であるため,何か一つの名前に収めることはできません。しかし,恭しい気持ちで思いつくどんな名前を用いるとしても,必ず答えてくださるでしょう」。

      神のお名前に対するそのような無頓着な態度は今日珍しくありません。聖書を信じていて宗教心があっても,神のお名前のことをほとんど考えない人が多くいます。では,神はその名についてどう感じておられるでしょうか。それをどうでもよいことと見ておられるでしょうか。

      どうでもよいことではない

      聖書が神の固有の名エホバについて何千回も述べていることについて考えてください。「新世界訳聖書」には,神の名が7,210回出てきます。a 聖書筆者に霊感を与え,み名をそれほどはっきりした形で用いるようにさせたのは,神ご自身でした。そのような聖書筆者の一人,詩編作者アサフはこう書きました。「その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者で(す)」。(詩編 83:18)ダビデも詩編の中で,「わたしたちの神エホバの名について語り告げます」と述べました。―詩編 20:7。

      聖書によると,エホバ神はわたしたちの心を調べ,神の名についてどう感じているかを見極めようとされます。詩編作者はこう述べました。「もしわたしたちがわたしたちの神の名を忘れたのなら,……神ご自身がそれを探り出されないでしょうか。神は心の秘密を知っておられるからです」。(詩編 44:20,21)預言者イザヤはこう書きました。「あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ名を呼び求めよ。もろもろの民の中にその行ないを知らせよ。そのみ名の高く上げられることを語り告げよ」。―イザヤ 12:4。

      神ご自身,「彼らはわたしの名がエホバであることを知らなければならなくなる」と言われました。(エレミヤ 16:21)別の機会にこのようにも宣言されました。「わたしは,諸国民の中で汚され……たわたしの大いなる名を必ず神聖なものとするであろう。そして諸国民はわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」。(エゼキエル 36:23)こうした陳述のあるものは,エホバがみ名に不敬な態度を取る者に怒りをもって行動される時の来ることを示しています。神の固有の名にかかわる事柄は,決してどうでもよいことではありません。

      エホバ神は遠い存在ではない

      どうすれば神を名前で知ることができるでしょうか。神を名前で知るとはどういう意味でしょうか。聖書は,「あなたのみ名を知る者たちはあなたに依り頼みます」と答えています。(詩編 9:10)明らかに,神を名前で知っているとは,神の名が何かを知っている以上のことが関係しています。神に信頼を置いていなければなりません。それには,神がどのような方かを知り,神の特質やお考えについて学ぶ必要があります。そうするなら,神への信頼が生まれてくるでしょう。

      聖書を注意深く読み,研究して初めて,エホバがどのような神であるかを洞察できます。エホバはご自分とみ名に愛情を示す人々を保護すると約束しておられます。そのようにする人について神はこう述べておられます。「彼がわたしに愛情を傾けたので,わたしも彼を逃れさせる。彼がわたしの名を知るようになったので,わたしは彼を保護する。彼はわたしを呼び求め,わたしは彼に答える。わたしは苦難のときに彼と共にいるであろう。わたしは彼を助け出し,彼に栄光を授ける。わたしは長い日々をもって彼を満ち足らせ,わたしによる救いを彼に見させるであろう」。―詩編 91:14-16。

      エホバ神はご自分を名前で知っている人たちとの間になんと素晴らしい関係を持たれるのでしょう。あなたもそのような関係を持つことができます。神に心からの祈りをささげるとき,み名を用いて語りかけることをためらわないでください。神は答えてくださるでしょう。聖書が述べるように,「神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけでは(ない)」からです。―使徒 17:27。

      [脚注]

      a エホバの証人の発行した「新世界訳聖書」は,古い翻訳の古風な言い回しの代わりに今日の普通の話し言葉を用いた聖書翻訳です。この翻訳の最大の特色は,聖句の正当な箇所に神の名を復元していることです。その全巻または一部が,これまでに45の言語で1億2,200万冊以上印刷されました。

      [11ページの囲み記事/図版]

      神はあなたを名をもって知っておられる

      神はモーセに,『わたしは確かにあなたを名をもって知っている』と言われました。(出エジプト記 33:12)燃える茂みについてのよく知られた記述は,この点を証明しています。聖書によると,神は「そのいばらの茂みの中から彼に呼びかけて,『モーセ,モーセよ』と言われ」ました。(出エジプト記 3:4)これは,神が人々に個人の名で呼びかけられた数多くの例の一つです。確かに,宇宙の創造者はわたしたち一人ひとりに関心を持っておられます。

      聖書には,神が膨大な数の星一つ一つを名前で知っておられるとあります。(イザヤ 40:26)神はご自分を崇拝する人間をなおのこと気にかけておられるに違いありません。使徒パウロは,「エホバはご自分に属する者たちを知っておられる」と書きました。(テモテ第二 2:19)これは,ただ名前を覚えている以上のことを意味しています。神はご自分の崇拝者について詳しく知っておられます。であれば,わたしたちも神を名前で知り,神の特質についての詳しい知識を得る必要があります。

      聖書の最後の書は,歴史を通じて神を崇拝してきたすべての人一人ひとりの名を神が記される象徴的な書について述べています。この書は「命の巻き物」と呼ばれています。その書に名が書かれている人々にエホバ神は永遠の命をお与えになるからです。(啓示 17:8)これは神を名前で知っている人々にとって明るい希望です。

      [12ページの囲み記事/図版]

      神の名をふれ告げた人々

      ● イスラエルが約束の地に入る直前のモーセの歌: 「わたしがエホバの名をふれ告げる」。―申命記 32:3。

      ● 巨人ゴリアテに対するダビデの言葉: 「わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く」。―サムエル第一 17:45。

      ● 財産すべてを失い,子どもたちすべてに突然先立たれた後でヨブが述べた言葉: 「エホバのみ名が引き続きほめたたえられるように」。―ヨブ 1:21。

      ● 使徒ペテロは話の中でヘブライ語聖書を引用した: 「エホバの名を呼び求める者はみな救われるであろう」。―使徒 2:21。

      ● 預言者イザヤ: 「あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ名を呼び求めよ。……そのみ名の高く上げられることを語り告げよ」。―イザヤ 12:4。

      ● イエス・キリストは弟子たちに祈りを教えた: 「あなた方はこのように祈らなければなりません。『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように』」。―マタイ 6:9,10。

      ● イエス・キリストは神に祈った: 「わたしは……み名を明らかにしました」。―ヨハネ 17:6。

      ● 神はご自分の民に語られた: 「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与え……ない」。―イザヤ 42:8。

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