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    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第1章

      「わたしはわたしの言葉をあなたの口に入れた」

      1,2 聖書に書かれている事柄に信頼を置けるのはなぜですか。

      「兄弟より固く付く友人もいる」。(箴 18:24)霊感によるこの言葉が真実であることを,あなたも経験しておられるでしょう。真の友が述べる事柄は信頼できます。良い事柄を教えてくれたり,これからしようと思っていることを話してくれたりすると,あなたはそれを信じます。改めるべき点を指摘してくれるなら,それを受け入れて自分に当てはめるでしょう。その友は,あなたの益を心にかけていることをこれまでずっと実証してきました。助言を与える場合もそうです。あなたの成功を願ってくれています。あなたも相手に対して同じ気持ちを抱いており,友情は永続します。

      2 神に用いられて聖書を書いた人たちの中にも,そのような友を見いだせます。その人たちから聞く事柄は信頼に値します。その人たちの述べている事柄はわたしたちの益になる,と確信できます。「聖霊に導かれつつ,神によって語った」人々について,古代イスラエル人もそう感じたことでしょう。(ペテ二 1:20,21)神に用いられて最も長い預言書を書いたのはエレミヤです。彼は,「哀歌」および他の二つの書も記しました。

      3,4 エレミヤ書と哀歌についてどんな見方をする人もいますか。そのような見方が間違っているのはなぜですか。例えで説明してください。

      3 とはいえ,エレミヤの記した書は『自分とは関係がない』と思う人もいます。エレミヤ書と哀歌には不吉な警告と陰鬱な予言しか記されていない,と考えるのです。a 本当にそうなのでしょうか。

      4 確かに,エレミヤの書は物事を率直に述べています。とはいえ,友はそうすることがあるのではないでしょうか。イエスも,友である使徒たちが良くない態度を示した時,はっきりと指摘しました。(マル 9:33-37)しかし,イエスが述べた事柄は基本的には積極的なものであり,神の是認と将来の幸福につながる道を示すものでした。(マタ 5:3-10,43-45)エレミヤの記した書も同様です。『物事を正す』のに有益な「聖書全体」の一部だからです。(テモ二 3:16)エレミヤは,エホバに仕えていると唱えながら悪の道を歩んで苦い実を刈り取る人々に関して,神の見方を明確に述べました。とはいえ,エレミヤ書と哀歌には希望の音信も収められており,将来の祝福を得るにはどうすればよいかが示されています。エレミヤは,神が何を行なわれるかに関する預言も述べています。その預言の成就は今日のわたしたちと直接関係があります。さらに,この二つの書には,積極的で励みの多い言葉も含まれています。―エレミヤ 31:13,33; 33:10,11; 哀歌 3:22,23を読む。

      5 エレミヤの書からどんな益を得ることができますか。

      5 エレミヤが記した事柄は,神の民の現在の幸福や将来の見込みと密接なつながりがあります。一致した兄弟関係はその一つです。その兄弟関係を強化し,使徒パウロの次のような助言を適用するうえで,エレミヤの書は役に立ちます。「兄弟たち,引き続き歓び,さらに調整を加えられ,慰めを受け,同じ考えを持ち,平和に生活してゆきなさい。そうすれば,愛と平和の神があなた方と共にいてくださるでしょう」。(コリ二 13:11)エレミヤの書は,わたしたちが宣べ伝える音信とも直接関係があります。わたしたちは終わりの日について語り,迫り来るこの体制の終わりについて警告していますが,それと同時に,積極的な音信を伝え,希望の根拠を提示しています。また,エレミヤが記した事柄は,日常生活においても非常に有用です。エレミヤとわたしたちには,生活の面でも音信の面でも多くの類似点があります。では,この模範的な預言者の背景と割り当てを考えてみましょう。神は彼に,「さあ,わたしはわたしの言葉をあなたの口に入れた」とお告げになりました。―エレ 1:9。

      6ページの図版

      6,7 神がエレミヤに関心を抱いておられた,と言えるのはなぜですか。エレミヤが生まれた時,ユダはどんな状況にありましたか。

      6 子どもの誕生を待つ夫婦は,生まれてくる子について考えます。その子はどんな人になり,どんな人生を送るでしょうか。何に関心を持ち,どんな仕事を行ない,何を成し遂げるでしょうか。あなたのご両親もきっとそう考えたことでしょう。エレミヤの両親も,そうだったに違いありません。とはいえ,エレミヤの場合は特別でした。なぜでしょうか。宇宙の創造者がエレミヤの人生と活動に深い関心を抱いておられたからです。―エレミヤ 1:5を読む。

      7 エレミヤが生まれる前に,神は予知力をお用いになりました。エルサレム北方の祭司の家庭に生まれるこの男の子に,特別な関心を抱いておられたのです。それは西暦前7世紀半ばのことです。マナセ王の悪政のため,ユダの国民にとって幸福な時代ではありませんでした。(19ページを参照。)マナセは,55年間の治世の大半にわたって,エホバの目に悪いことを行ないました。息子のアモンも同じような歩みをしました。(王二 21:1-9,19-26)大きな変化が生じたのは,次の王ヨシヤの時です。ヨシヤはエホバを求め,治世の第18年までにユダの地から偶像礼拝を一掃しました。エレミヤの両親はそれを喜んだに違いありません。そのヨシヤの治世中に,神はエレミヤに任務をお与えになりました。―代二 34:3-8。

      あなたがエレミヤ書と哀歌に関心を持つのはなぜですか。

      神は代弁者を選ばれる

      8 エレミヤは何になるよう任命されましたか。どう反応しましたか。

      8 神はエレミヤに,「わたしはあなたを諸国民への預言者とした」と言われます。その時にエレミヤが何歳だったかは分かりません。祭司の奉仕の最初の段階を開始できる25歳に近かったかもしれません。(民 8:24)いずれにせよ,エレミヤはこう答えました。「ああ,主権者なる主エホバよ! わたしは一体どのように話したらよいのか,それさえ分かりません。わたしは少年にすぎないからです」。(エレ 1:6)エレミヤはためらいました。この重い責任を果たして人前で預言者として話すには自分は若すぎる,あるいは資格がない,と感じたのでしょう。

      9,10 エレミヤはどんな状況の下で任命を受けましたか。しかしその割り当てが,やがて非常に困難なものになったのはなぜですか。

      9 エレミヤが任命を受けたのは,ヨシヤ王が忌むべき偽りの崇拝の撲滅と真の崇拝の促進に取り組んでいる時代でした。エレミヤとヨシヤの間にどれほどの交流があったにせよ,真の預言者にとって恵まれた環境であったことは明らかです。ゼパニヤとナホムも,ヨシヤの治世の初期にユダで奉仕しました。b 女預言者フルダも奉仕していました。とはいえ,フルダは悪い時代が来ることを予告し,エレミヤは後にその時代を経験しました。(王二 22:14)そして,エベド・メレクやバルクといった友に絶体絶命の窮地から救い出してもらったり,復讐心に燃える敵から保護してもらったりする必要がありました。

      10 あなたは,強烈な音信を伝える預言者として特別に任命したと神から言われたら,どう感じますか。(エレミヤ 1:10を読む。)エレミヤが告げなければならなかった事柄を一つだけ考えてみましょう。西暦前609年,バビロニア軍がエルサレムに向かっていました。ゼデキヤ王は,エレミヤを通して神からの良い音信を聞きたいと思います。しかし,神がお与えになった音信は良いものではありませんでした。―エレミヤ 21:4-7,10を読む。

      わたしたちと同じ人間

      11 エレミヤは割り当てを果たすうえで難しさとともに心強さも感じていた,と言えるのはなぜですか。

      11 自分が,邪悪な王や腐敗した祭司や偽預言者に対する痛烈な糾弾と裁きの音信を伝えなければならないとしたらどうだろう,と考えてみてください。エレミヤは,そのような音信を伝えなければなりませんでした。とはいえ,わたしたちと同様,神の後ろ盾がありました。(エレ 1:7-9)神は若いエレミヤに信頼を置いていることを示し,次のような言葉で勇気づけます。「わたしは,……今日あなたを全地に向かって,ユダの王たちと,その君たちと,その祭司たちと,この地の民とに対して,防備の施された都市,鉄の柱,銅の城壁とした。そして彼らは必ずあなたと戦うことになるが,あなたに打ち勝つことはない。『わたしがあなたと共にいて,あなたを救い出すからである』と,エホバはお告げになる」。―エレ 1:18,19。

      12 わたしたちとエレミヤは似ている,と言えるどんな理由がありますか。

      12 エレミヤは並外れて強い人だったわけではないようです。わたしたちと同じ人間でした。さらに,時代が違うとはいえ,わたしたちと似た状況に直面した,という点も忘れてはなりません。わたしたちが日常生活や会衆の活動で様々なタイプの人と接するのと同じように,エレミヤも周囲の人々との接触がありました。ですから,わたしたちはエレミヤから学ぶことができます。彼は預言者エリヤのように,「わたしたちと同様の感情を持つ人」でした。(ヤコ 5:17)では,エレミヤから学べる点を考えてみましょう。

      13,14 クリスチャンは,エレミヤがパシュフルから受けた仕打ちに似たどんな経験をすることがありますか。(10ページの挿絵を参照。)

      13 あなたはこれまでに,いろいろな浮き沈みを経験してこられたでしょう。エレミヤもそうでした。ある時は,著名な祭司パシュフルから暴行を受け,足かせ台につながれました。おそらく足と手と首を木の枠で固定された苦しい姿勢で,何時間も過ごさなければなりませんでした。体の痛みだけではありません。反対者たちから浴びせられるあざけりにも耐えなければなりませんでした。あなたは,悪意に満ちたあざけりや身体的な虐待に耐えることができるでしょうか。―エレ 20:1-4。

      10ページの図版

      14 そうした状況を考えると,エレミヤの口から次のような言葉が出たのも不思議ではありません。「わたしの生まれた日はのろわれよ!……わたしはどうしてその胎から出て,骨折りと悲嘆を見ることになり,わたしの日はただ恥のうちに終わりを迎えなければならないのか」。(エレ 20:14-18)エレミヤは絶望と無縁の人ではありませんでした。あなたはいかがですか。落胆のあまり,自分自身や自分の成し遂げようとしている事柄に価値がないように感じたり,もうやめてしまったほうがよいのではないかと考えたりしたことがありますか。そのように感じたことがあるなら,エレミヤの経験した事柄と結末について理解を深めると,益を得ることができるでしょう。

      エホバがエレミヤを任命なさったことに関して,何が印象的でしたか。どんな点で自分とエレミヤは似ていると思いますか。

      15 エレミヤの感情面での変化に注目すると益が得られるのはなぜですか。

      15 エレミヤ 20章14-18節にある絶望の言葉の直前で,この預言者は,エホバに向かって歌うこととエホバを賛美することについて述べています。(エレミヤ 20:12,13を読む。)あなたも,短時間のうちに感情が変化することがあるでしょう。とても明るい気持ちだったのに急に気落ちしてしまうかもしれません。エレミヤの経験を考察すると有益な点を学べます。彼はわたしたちと同様,人間としての普通の感情を持っていました。ですから,創造者の代弁者として力強く用いられたこの人の行動や反応を調べると,大きな益が得られるでしょう。―代二 36:12,21,22。エズ 1:1。

      16 結婚に関するエレミヤの立場について考えることは,どんな人にとって価値がありますか。

      16 結婚に関連して自分とエレミヤは似ている,と感じる人もいます。なぜでしょうか。神はエレミヤに,異例の,そしておそらく容易ではない指示をお与えになりました。結婚してはならない,とお命じになったのです。(エレミヤ 16:2を読む。)エホバはなぜそう命令なさったのでしょうか。エレミヤはどう感じましたか。この記述には,自らの意志で,あるいは状況のゆえに結婚していない兄弟姉妹が共感できる,どんな点が含まれているでしょうか。結婚している証人たちがじっくり考えるべき点もありますか。「息子や娘」のいない夫婦はどうでしょうか。エレミヤに関する記述から,あなたは何を学べますか。

      17 エレミヤ 38章20節に記されているエレミヤの言葉から,どんな点を考えることができますか。

      17 興味深いことに,ある時エレミヤはユダの王にこう勧告しました。「わたしがあなたに話していることについて,どうか,エホバの声に従ってください。そうすれば,あなたにとって物事は順調に行き,あなたの魂は生きつづけるでしょう」。(エレ 38:20)この記述は,わたしたちと他の人との関係において優れた導きとなります。エホバの道を歩んではいないものの援助できるかもしれない人にどう接したらよいか,という点を学べます。また,神に従っている人に対するエレミヤの行動は,今日のわたしたちにとって実際的な型となっています。このように,エレミヤから多くの事柄を学べます。

      この本の視点

      18,19 エレミヤ書と哀歌を考察するどんな方法がありますか。

      18 この本は,エレミヤ書と哀歌を調べて教訓を得るのに役立ちます。使徒パウロは霊感のもとにこう書きました。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です」。(テモ二 3:16)聖書全体にはエレミヤ書と哀歌も含まれます。

      19 エレミヤ書と哀歌から益を得るための方法はいろいろあります。例えば,節を追って研究し,各節の背景や意味を理解しようとする方法があります。また,類似点に注意を向け,この二つの書に登場する人物や出来事を現代のそれと比較対照する方法もあります。(エレミヤ 24:6,7; コリント第一 3:6と比較。)さらに,この二つの書が光を当てている時代背景や出来事を調べることもできます。(エレ 39:1-9)エレミヤ書と哀歌の実りある研究のために,そうした情報はある程度必要です。それで,第2章,「『末の日』に奉仕する」では,エレミヤが生きたのはどんな時代だったか,神は物事をどのように導かれたか,といった点を概観します。

      20 この本では,エレミヤ書と哀歌をどんな視点で調べますか。

      20 とはいえ,この本の主眼は別のところにあります。この本ではエレミヤ書と哀歌を,クリスチャンとして生活している現代のわたしたちに有用な神からの贈り物,という視点で調べます。(テト 2:12)そうするとき,『教えるのに有益』な情報がこの二つの書に豊富に収められていることが一層よく分かるでしょう。二つの書に載せられている実際的なアドバイスや実例は,わたしたちが人生の諸問題に対処する面で能力を備えた者,整えられた者となるのに役立ちます。独身者であれ既婚者であれ,長老,開拓者,一家の稼ぎ手,主婦,学生であれ,どんな人にも役立ちます。わたしたち各人は,霊感によるこれら二つの書を通して,『あらゆる良い業に対して整えられた者』となるための神からの助けを得ることができるのです。―テモ二 3:17。

      12ページの図版

      21 エレミヤ書と哀歌の研究を始めるにあたり,あなたはどんな期待を抱いていますか。

      21 この本の各章で,自分に適用できる点を探してください。そのようにしてエレミヤ書と哀歌を調べてゆくとき,パウロの次の言葉の正しさを実感できるでしょう。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。―ロマ 15:4。

      日常生活に関して,エレミヤ書と哀歌から何を学べると思いますか。

  • 「末の日」に奉仕する
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第2章

      「末の日」に奉仕する

      1,2 (イ)エレミヤは,自分が伝える預言的な宣告のテーマを示すどんな幻を見ましたか。(ロ)エレミヤの音信にわたしたちが関心を持つべきなのはなぜですか。

      「あなたには何が見えるか」。任命されたばかりの預言者に,神はそうお尋ねになります。「吹きあおられている広口の料理なべが見えます。その口は北とは別の方を向いています」と若いエレミヤは答えます。その幻は,エレミヤがどんな種類の宣告を行なうかを示すものでした。(エレミヤ 1:13-16を読む。)比喩的な料理なべが吹きあおられています。冷ますためではなく,なべ底の火を燃え立たせるためです。災難が,煮えたぎる液体のようにこのなべからユダの地に注ぎ出されることを,エホバは予告しておられるのです。不忠実が広まっていたからです。なべの口が南に傾いていたのはなぜでしょうか。災難が北から来ること,つまりバビロンが北方から攻め込んでくることを意味していました。そして実際にそのとおりになりました。エレミヤは預言者としての奉仕期間中に,この煮え立つ料理なべの中身が幾度も注ぎ出されて,ついにはエルサレムが滅びるのを目撃しました。

      2 バビロンはもはや存在していません。しかし,あなたもエレミヤの預言的な音信に関心を持つべきです。なぜでしょうか。今は「末の日」だからです。多くの人がクリスチャンを自称していますが,彼らもその教会も神の恵みを受けていません。(エレ 23:20)それとは対照的に,あなたと仲間の証人たちはエレミヤのように,裁きの音信だけでなく希望の音信も宣べ伝えています。

      14ページの図版

      3 (イ)エレミヤ書の記述はどんな配列になっていますか。(ロ)この章の目的は何ですか。

      3 エレミヤは,物事が生じた時にそれを記録したのではなく,預言者としての奉仕期間の後半になってから書記官に口述して筆記させたようです。(エレ 25:1-3; 36:1,4,32)エレミヤ書は年代順に記されてはいません。エレミヤはこの書の多くの部分を論題別に配列したからです。それで,エレミヤ書と哀歌の歴史的背景と出来事の順番を概観するのは有益です。19ページの年表をご覧ください。どの王がいつユダを治めていたか,ユダとその周辺で何が生じていたかを知ると,エレミヤの言葉や行動をよりよく理解できます。また,神の民にエレミヤがふれ告げた神の音信から,いっそう益を得ることができるでしょう。

      エレミヤが生きた時代

      4-6 エレミヤの預言者としての奉仕期間に先立つ数十年間,神の古代の民はどんな状況にありましたか。

      4 エレミヤは激動の時代に預言しました。アッシリア,バビロン,エジプトが競い合っていた時代です。エレミヤが預言者としての奉仕を始めるより93年ほど前に,アッシリアは北のイスラエル十部族王国を打ち破り,住民の多くを強制移住させました。その同じ時代に,エホバはエルサレムと忠実なヒゼキヤ王をアッシリアの攻撃から守られました。敵兵18万5,000人を神が奇跡的に滅ぼされたことを,あなたもご存じでしょう。(王二 19:32-36)そのヒゼキヤの息子の一人がマナセで,マナセの55年間の治世中にエレミヤは生まれたようです。その時代にユダはアッシリアの支配下に置かれます。―代二 33:10,11。

      5 エレミヤは列王記第一と第二も書きました。その記録によると,マナセは父親が打ち壊した高き所を再び築きました。バアルや天軍のための祭壇を立て,そのような祭壇をエホバの神殿の中にも築きました。さらに,罪のない大勢の人の血を流し,自分の息子を偽りの神への焼燔の犠牲としてささげました。『エホバの目に悪いことを大規模に行なった』のです。そうした多くの邪悪な行ないのゆえに,神は,サマリアとイスラエルのようにエルサレムとユダにも災いが臨む,と宣言なさいました。(王二 21:1-6,12-16)マナセの死後,息子のアモンは父親の偶像礼拝の歩みに倣います。しかし,変化が訪れようとしていました。2年後にアモンは殺され,8歳の息子ヨシヤが西暦前659年に即位します。

      6 ヨシヤの31年間の治世中に,バビロンはアッシリアをしのぐようになります。ヨシヤはそれを,ユダが外国の支配から独立するための好機と見ます。父や祖父とは違い,ヨシヤはエホバに忠実に仕え,大々的な宗教改革を行ないました。(王二 21:19–22:2)統治の第12年にユダの各地で高き所や聖木,偽りの宗教の像を打ち壊した後,エホバの神殿の修理を命じます。(歴代第二 34:1-8を読む。)興味深いことに,エレミヤが神の預言者として任命されたのは,ヨシヤの治世の第13年(西暦前647年)のことでした。

      あなたがエレミヤの時代に預言者だったなら,どう感じたと思いますか。

      7,8 (イ)ヨシヤ王の治世は,それ以前のマナセやアモンの治世とはどのように異なっていましたか。(ロ)ヨシヤはどんな人でしたか。(20ページの囲みを参照。)

      7 良い王ヨシヤの治世の第18年,神殿の修復中に大祭司が「律法の書」を見つけました。ヨシヤはその書を書記官に朗読させます。王は民のとがに気づき,女預言者フルダを通してエホバの導きを求めます。そして臣民に,神のおきてを守るようにと強く勧めました。フルダはヨシヤに,エホバが不忠実なユダの人々に「災い」をもたらすことを告げます。しかし,清い崇拝に対するヨシヤの良い態度のゆえに,その災いは彼の生涯中には生じないでしょう。―王二 22:8,14-20。

      19ページの図表

      8 ヨシヤ王は,偶像礼拝に関係した物品を一掃する運動を再開しました。かつて北のイスラエル王国が支配していた地域にまで赴き,高き所とベテルの祭壇を取り壊します。さらに,大きな過ぎ越しの祝いも取り決めました。(王二 23:4-25)エレミヤはどれほどうれしく思ったことでしょう。とはいえ,民に歩みを改めさせるのは容易ではありません。マナセとアモンが俗悪な偶像崇拝を持ち込んでいたため,人々の霊性は低下していました。ヨシヤは改革を推し進めますが,神はエレミヤに,ユダの神々の数はその都市の数と同じほど多いという点を指摘させます。ユダの人々は不忠実な妻のようでした。エホバを捨てて異国の神々に身を売っていたのです。エレミヤはこう告げます。「あなた方は恥ずべきもののために,エルサレムの街路と同じほど多くの祭壇を置いた。バアルに犠牲の煙を立ち上らせるための祭壇である」。―エレミヤ 11:1-3,13を読む。

      9 ヨシヤの治世の末期に,どんな国際的な事件が生じましたか。

      9 このような音信をエレミヤが伝えたにもかかわらず,ユダの人々は歩みを改めませんでした。周辺諸国民も相変わらず覇権をめぐって争い合っていました。西暦前632年,バビロニアとメディアの連合軍はアッシリアの首都ニネベを征服しました。3年後,エジプトのファラオ・ネコは,窮地に立つアッシリア人を助けるため北に進軍します。ヨシヤは,聖書に記されていない何らかの理由でエジプト軍をメギドで撃退しようとし,致命傷を負います。(代二 35:20-24)この悲しい出来事は,ユダにどんな政治的また宗教的な変化をもたらすでしょうか。エレミヤはどんな新たな試練に直面しますか。

      宗教事情の変化

      10 (イ)ヨシヤの死後の時代は現代とどのように似ていましたか。(ロ)エレミヤの行動を調べると,どんな益が得られますか。

      10 ヨシヤの死を知って,エレミヤはどれほど悲しんだことでしょう。悲嘆の気持ちをこめて,王の死を悼む歌を詠唱しました。(代二 35:25)不安な時代が続いており,不穏な国際情勢がユダにとって重圧となっています。エジプト,アッシリア,バビロンという対立する強国がユダの支配を狙っています。ヨシヤの死により,ユダ国内の宗教事情も変化しました。エレミヤの活動におおむね好意的だった政権が終わり,敵対的な政権が始まったのです。現代の兄弟姉妹の多くも同様の変化を経験しています。比較的自由に崇拝を行なえていた国で迫害や禁令が生じることがあります。だれしもそうした変化を経験する可能性があるのではないでしょうか。そのような時にわたしたちはどんな影響を受けますか。どうすれば忠誠を保てるでしょうか。こうした点を考えつつ,エレミヤが乗り越えた試練に注目すると,励みが得られます。

      ヨシヤ ― ユダの最後の良い王

      20ページの図版

      父アモンの死に伴い,ヨシヤは8歳でユダの王になりました。15歳の時に神を求めはじめ,『その父祖ダビデのすべての道に歩む』ようになります。19歳の時,偽りの崇拝の場所を取り除いてユダとイスラエルを清めることと,偶像を粉砕することに着手します。そして25歳の時,エホバの神殿の修理を始めます。―王二 21:19–22:2。代二 34:2-8。

      神殿の修復中に,モーセの記した原書と思われる律法の書が見つかり,ヨシヤの前で朗読されます。ヨシヤはへりくだって衣を裂き,泣きます。そして,祭司,レビ人,すべての臣民,小さい者や大きい者がその書の朗読を聞けるようにします。ヨシヤは契約を結び,『エホバに従って行き,心をつくし,魂をつくして,そのおきてを守ることを誓った』と記されています。その後,偽りの崇拝を一掃するためのさらに大規模な運動に取りかかります。また,サムエルの時代以来なかったほど大々的な過ぎ越しを,エホバに対して執り行ないました。―代二 34:14–35:19。

      11 ヨシヤの死後,ユダでどんなことが生じましたか。

      11 ユダの住民はエルサレムでヨシヤの子エホアハズを即位させます。しかし,シャルムとも呼ばれるエホアハズの統治は3か月しか続きません。バビロニアとの戦いを終えて北方から戻って来たファラオ・ネコが,この新しい王を退位させ,エジプトに連れて行ったのです。エホアハズは『もはや帰って来ることはない』と,エレミヤは言います。(エレ 22:10-12。代二 36:1-4)ネコは,エホアハズの代わりにヨシヤの別の息子エホヤキムを王位に就けます。エホヤキムは父親の良い手本に倣いません。父親の始めた改革を続けるどころか,偶像礼拝を行ないます。―列王第二 23:36,37を読む。

      12,13 (イ)エホヤキムの治世の初め,宗教事情はどうなっていましたか。(ロ)ユダの宗教指導者たちはエレミヤをどう扱いましたか。

      12 エホヤキムの治世の初め,エホバはエレミヤに,神殿に行ってユダの人々の邪悪さを厳しく糾弾するようにとお命じになります。人々はエホバの神殿を,自分たちを保護してくれるお守りのようにみなしていました。しかし彼らが,『盗みを働き,殺人を犯し,姦淫を行ない,偽って誓い,バアルに犠牲の煙を立ち上らせ,ほかの神々に従って歩む』といったことをやめないなら,エホバは神殿をお見捨てになります。神殿で崇拝を行なっている偽善者たちもお見捨てになります。大祭司エリの時代にシロの幕屋をお捨てになったのと同じです。ユダの地は「ただの荒れ廃れた所となる」でしょう。(エレ 7:1-15,34; 26:1-6)a そのような音信を伝えるのにエレミヤがどれほど勇気を必要としたか,考えてみてください。おそらく,影響力のある著名な人々の前で伝えたことでしょう。現代の兄弟姉妹も,街路証言をしたり裕福な人や高位の人に話しかけたりするには勇気が必要だと感じることがあります。そのような時,次の点を確信できます。エレミヤの場合と同様,神は必ずわたしたちを支えてくださいます。―ヘブ 10:39; 13:6。

      22ページの図版

      13 ユダの宗教事情と政治情勢は先ほど見たとおりです。宗教指導者たちはエレミヤの言葉にどう反応するでしょうか。エレミヤ自身がこう述べています。「祭司と預言者とすべての民は[わたし]を捕らえて言った。『あなたは必ず死ぬ』」。彼らは激怒し,「この人は死の裁きに当たります」と言います。(エレミヤ 26:8-11を読む。)とはいえ,敵対者たちの思いどおりにはいきません。エホバがこの預言者と共にいて救い出してくださいます。エレミヤも,敵対者たちの数や恐ろしげな様子にひるんだりはしません。あなたもきっとそうでしょう。

      マナセ,アモン,ヨシヤの治世中の状況は,どのように異なっていましたか。エレミヤが難しい割り当てに取り組んだことから,あなたは何を学べますか。

      『あなたは言葉を,全部書き記さなければならない』

      14,15 (イ)エホヤキムの治世の第4年,エレミヤと書記官バルクはどんな仕事に取りかかりましたか。(ロ)エホヤキムはどんな人でしたか。(25ページの囲みを参照。)

      14 エホヤキムの治世の第4年,エホバはエレミヤに,ご自分がヨシヤの日以来エレミヤに語った言葉を全部書き記すようにとお命じになります。そこでエレミヤは,それまでの23年間に神が語られたことすべてを書記官バルクに口述して,筆記させます。エレミヤの裁きの音信には,王と王国が20ほど関係していました。エレミヤは,その巻き物をエホバの家で読み上げるようバルクに命じます。何のためでしょうか。エホバはこう言われました。「もしかすると,ユダの家の者たちは,わたしが彼らに行なおうと考えているすべての災いを聴いて,各々その悪い道から立ち返り,わたしが彼らのとがと罪を実際に許すことがあるかもしれない」。―エレ 25:1-3; 36:1-3。

      15 廷臣がその巻き物をエホヤキム王の前で読むと,王はそれを切り裂いて燃やしてしまいます。それから,エレミヤとバルクを連れて来るようにと命じます。「しかし,エホバは彼らを隠しておかれ」ました。(エレミヤ 36:21-26を読む。)エホヤキムの極めて悪い態度のゆえに,エホバはエレミヤを通して,この王が「雄のろばが埋められるように埋められる」ことを宣告されます。王は「引きずり回され,エルサレムの門外に投げ捨てられる」でしょう。(エレ 22:13-19)あなたは,この描写的な預言をエレミヤの誇張に過ぎないとして退けてよいと思いますか。

      16 エレミヤはどんな明るい音信をふれ告げましたか。

      16 エレミヤは,そのような裁きの音信を伝えなければなりませんでしたが,破滅だけを預言したわけではありません。希望の音信も告げました。エホバは,イスラエルの残りの者を敵から救い出して故国に戻し,そこに安らかに住まわせてくださいます。「新しい」契約つまり「定めなく存続する契約」をご自分の民と結び,ご自分の律法を彼らの心の中に書き記されます。彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出されません。さらに,ダビデの子孫の一人が『この地に公正と義を行ない』ます。(エレ 31:7-9; 32:37-41; 33:15)こうした預言は,何十年も何百年も後に成就することになっていました。わたしたちの生活に影響を及ぼす成就もあり,永遠にわたる輝かしい将来を指し示しています。しかしエレミヤの時代,ユダの敵たちは依然として,覇権をめぐって画策していました。―エレミヤ 31:31,33,34; ヘブライ 8:7-9; 10:14-18を読む。

      バビロンの興隆

      17,18 エホヤキムの統治の末期とゼデキヤの統治中には,国家間のどんな出来事がありましたか。

      17 西暦前625年,エルサレムの北600㌔ほどの所にあるユーフラテス川近くのカルケミシュで,バビロニアとエジプトが決戦を行ないます。ネブカドネザル王はファラオ・ネコの軍を撃破し,その地域におけるエジプトの影響力を断ち切ります。(エレ 46:2)ネブカドネザルはユダを支配しはじめ,エホヤキムはその僕にならざるを得ません。しかしエホヤキムは,3年間の従属の後,反逆します。(王二 24:1,2)それに対してネブカドネザルは,西暦前618年にユダに進軍し,エルサレムを包囲します。神の預言者エレミヤにとってもどれほど厳しい時期だったか,想像してみてください。この攻囲期間中にエホヤキムは死んだようです。b 息子エホヤキンは,ユダの王位に就いてからわずか3か月後にバビロニア軍に降伏します。ネブカドネザルはエルサレムの富を奪い去り,エホヤキンを流刑に処します。エホヤキンの家族とユダの高貴な者たちの家族,ユダの力のある者たち,職人たちも流刑にされます。その中に,ダニエル,ハナニヤ,ミシャエル,アザリヤも含まれていました。―王二 24:10-16。ダニ 1:1-7。

      18 ネブカドネザルは,ヨシヤの別の息子ゼデキヤをユダの王にします。ゼデキヤは,ダビデの家系の地上での最後の王となります。彼の統治は,エルサレムとその神殿が滅ぼされた西暦前607年に終わりました。(王二 24:17)ゼデキヤが統治した11年間,ユダでは社会的また政治的な極度の緊張状態が続きました。確かにエレミヤは,預言者としての任務を与えてくださった方を全く信頼する必要がありました。

      エホヤキム ― エホバの預言者を殺した王

      25ページの図版

      エホヤキムは25歳の時にユダの王位に就き,約11年間治めました。歴代第二 36章5-8節はエホヤキムの行動を要約して,彼は単に悪いことではなく「忌むべきこと」を行なった,と述べています。エホヤキムはエレミヤの警告を無視して,不正,強要,殺人にまみれた支配を行ないました。預言者ウリヤがエレミヤと同様の音信を語ると,エホヤキムはウリヤを殺させました。この王は,エルサレムがバビロニア軍に攻囲されている間に死んだようです。―エレ 22:17-19; 26:20-23。

      19 ユダの人々はエレミヤの音信にどう反応しましたか。そのことにわたしたちが関心を抱くのはなぜですか。

      19 あなたがエレミヤの立場だったら,どうでしょうか。エレミヤは,ヨシヤの時代以来,政治の変動と神の民の霊的退廃を目にしてきました。そして,事態がいっそう悪化することを知っていました。エレミヤの郷里の人々はエレミヤにこう言いました。「あなたはエホバの名によって預言してはならない。あなたがわたしたちの手にかかって死なないためだ」。(エレ 11:21)エレミヤの預言が成就した時でさえ,ユダの人々は,「あなたがエホバの名によってわたしたちに語った言葉に関しては,わたしたちはあなたの言うことを聴きません」と言いました。(エレ 44:16)しかし,人々の命が危険にさらされていました。今日でも同じです。あなたがふれ告げている音信は,エレミヤの場合と同様,エホバからのものです。ですから,エルサレム陥落までの期間中にエホバがどのようにエレミヤを保護されたかを調べると,宣教奉仕に対する熱意が強まります。

      エホヤキムの治世中にエレミヤが取った態度から何を学べますか。エレミヤは,現代にもかかわるどんな際立った預言を告げ知らせましたか。

      王朝の終焉

      20 エレミヤにとって,ゼデキヤの治世中が特に難しい時期だったのはなぜですか。(29ページの囲みを参照。)

      20 エレミヤが預言者として奉仕した期間の中で最も厳しかった時期は,おそらくゼデキヤの治世中でしょう。ゼデキヤはそれ以前の多くの王と同様,「エホバの目に悪いことを行ない続け」ました。(エレ 52:1,2)ゼデキヤはバビロニアの従属者でした。ネブカドネザルはゼデキヤに,バビロンの王への服従をエホバの名にかけて誓わせます。ところが,後にゼデキヤは反逆します。エレミヤの敵たちは,その反逆を支持するようエレミヤに強い圧力をかけました。―代二 36:13。エゼ 17:12,13。

      21-23 (イ)ゼデキヤの治世中のユダでは,どんな二派が対立していましたか。(ロ)エレミヤはその姿勢ゆえにどんな仕打ちを受けましたか。そのことにあなたが関心を持つのはなぜですか。

      21 ゼデキヤの治世の初期のことと思われますが,使者たちがエルサレムに到着します。エドム,モアブ,アンモン,ティルス,シドンの王たちからの使者です。ネブカドネザルに対抗する連合にゼデキヤを加わらせるためでしょう。しかしエレミヤは,バビロンに服従するようにとゼデキヤに強く勧めます。また使者たちにくびき棒を贈り,その国々もバビロニア人に仕えるべきである,ということを示します。(エレ 27:1-3,14)c そのような姿勢は,世間受けするものではありませんでした。そのうえハナニヤが,受けの良くない音信を伝えるエレミヤの務めをいっそう難しくしました。偽預言者であるハナニヤは,バビロンのくびきは砕かれる,と神の名によって公然と断言します。しかし,エレミヤを通して語られたエホバの言葉は,詐称者ハナニヤが1年以内に死ぬ,というものでした。その言葉どおりになります。―エレ 28:1-3,16,17。

      22 ユダは,対立する二派に分かれます。バビロンへの服従に賛成する人々と反逆を唱える人々です。西暦前609年,ゼデキヤは反逆し,エジプトに軍事援助を求めます。エレミヤは,反逆支持派の熱狂的な国家主義と闘わなければなりませんでした。(エレ 52:3。エゼ 17:15)ネブカドネザルとその軍隊は反乱を鎮圧するためにユダに戻って来て,ユダのすべての都市を征服し,エルサレムを再び攻囲します。この危機的な時期にエレミヤはゼデキヤと民に,エルサレムはバビロニア軍によって陥落する,という音信を伝えます。エルサレムにとどまる人々は死ぬことになりますが,カルデア人のもとに出て行く人々は生き残るでしょう。―エレミヤ 21:8-10; 52:4を読む。

      23 ユダの君たちは,エレミヤがバビロニア人の側に付いたと主張します。そうではないとエレミヤが言うと,ユダの君たちはエレミヤを打って留置場に入れます。(エレ 37:13-15)それでもエレミヤはエホバからの音信を和らげようとはしません。それで君たちは,エレミヤを死に処すようにとゼデキヤを説き伏せます。そして,エレミヤを空の水溜めに入れ,深い泥の中で死なせようとします。しかし,王の家で仕えるエチオピア人エベド・メレクがエレミヤを救出します。(エレ 38:4-13)現代のエホバの民も,良心ゆえに政治的な争いにかかわろうとしないため,危険にさらされることがあります。エレミヤの経験から,試練に立ち向かって乗り越えるための力が得られるでしょう。

      ゼデキヤ ― 地上におけるユダの最後の王

      29ページの図版

      ゼデキヤは意気地のない優柔不断な支配者で,君たちの言いなりになり,自らの恐怖心に流されました。バビロニア軍による最後のエルサレム攻囲の間,ゼデキヤは神の導きをエレミヤに求めます。しかし,降伏するようにと言われたのに,その導きに従いません。エレミヤの音信が気に入らず,エレミヤを拘禁します。(エレ 21:1-9; 32:1-5)とはいえその後も,ユダの君たちを怒らせないようにひそかに,エレミヤに相談しました。君たちがエレミヤを殺そうとすると,弱々しく同意し,こう言いました。「彼はあなた方の手の中にある。王があなた方を制し得る事は何もないからである」。エレミヤが死の危険から救い出された後,王は再びエレミヤに相談します。そして,神に従うと人々からひどい扱いを受けるのではないかと恐れている,と認めました。―エレ 37:15-17; 38:4,5,14-19,24-26。

      それでも,ゼデキヤは『エレミヤのゆえにへりくだるということをせず,うなじをこわくし,心を固くし続けて,エホバに立ち返ろうとしません』でした。―代二 36:12,13。エゼ 21:25。

      24 西暦前607年にどんな出来事があったか,説明してください。

      24 西暦前607年,バビロニア軍はついに城壁を突破し,エルサレムは陥落します。ネブカドネザルの軍隊はエホバの神殿を焼き,市の城壁を破壊し,ユダの高貴な者たちを打ち殺します。ゼデキヤは逃亡を試みますが,捕らえられてネブカドネザルの前に引き出されます。ゼデキヤの息子たちは父親の目の前で打ち殺され,その後,ネブカドネザルはゼデキヤを盲目にし,かせを掛けてバビロンへ連れて行かせます。(エレ 39:1-7)こうして,ユダとエルサレムに関するエレミヤの言葉は成就しました。しかし,この預言者は喜ぶどころか,同胞の災いを嘆き悲しみます。「哀歌」にはエレミヤの心情がつづられており,その書を読むと心を打たれます。

      ユダの残りの者の中で活動する

      25,26 (イ)エルサレムの陥落後,どんな出来事がありましたか。(ロ)エルサレムの滅びの後,ユダの人々はエレミヤの音信にどう反応しましたか。

      25 こうした激動の時期に,エレミヤの身には何が生じたでしょうか。エルサレムの君たちはエレミヤを拘禁していましたが,征服者であるバビロニア人はエレミヤを親切に扱い,自由にします。その後エレミヤは,捕囚として連れて行かれるユダの人々と共にいましたが,解放されます。エレミヤには,なすべき神への奉仕がまだありました。生き残った人々の中で行なうべき仕事があったのです。ネブカドネザルはゲダリヤを征服地の総督に任じ,バビロンの王である自分に仕えるならユダの残っている人々は平和に過ごせると約束します。ところが,不満を抱く一部の人々がゲダリヤを暗殺します。(エレ 39:13,14; 40:1-7; 41:2)エレミヤはユダの残りの者たちに,その地に住みつづけなさい,バビロンの王を恐れてはならない,と勧めます。しかし,ユダの指導者たちはエレミヤをうそつき呼ばわりし,エレミヤとバルクを無理やり連れてエジプトに逃げます。エレミヤは,ネブカドネザルがエジプトも征服してユダの難民たちに災いをもたらすであろう,と預言します。―エレ 42:9-11; 43:1-11; 44:11-13。

      26 この時も,ユダの人々は神の真の預言者の言うことを聴こうとしません。なぜでしょうか。こう考えたのです。「『天の女王』に犠牲の煙を立ち上らせ,これに飲み物の捧げ物を注ぎ出すことをやめたときから,わたしたちはすべてのものに不足し,剣と飢きんとによって終わりを迎えた」。(エレ 44:16,18)霊的になんと嘆かわしい状態でしょう。とはいえ,たいへん励みになる点もあります。不完全な人間が不忠実な人々の間でエホバへの忠実を保つことは可能なのです。

      27 預言者エレミヤの晩年について,どんなことが分かっていますか。

      27 エレミヤが記録した最後の出来事は,西暦前580年,ネブカドネザルの後継者エビル・メロダクがエホヤキンを獄から解放したことです。(エレ 52:31-34)そのころ,エレミヤは90歳ぐらいだったに違いありません。エレミヤの生涯の終わりに関する確かな情報はありませんが,エジプトで晩年を過ごし,忠実を保って亡くなったようです。それまでの約67年間,エホバへの特別な奉仕を行ないました。真の崇拝が推し進められた時期だけでなく,背教的な崇拝が広まっていた時期にも多年にわたり奉仕しました。神を恐れる人々は耳を傾けましたが,大多数の人はエレミヤの音信を退け,あからさまな敵意を表わすことさえありました。エレミヤの奉仕は失敗だったのでしょうか。そのようなことはありません。当初からエホバはこう告げておられました。『彼らは必ずあなたと戦うことになるが,あなたに打ち勝つことはない。「わたしがあなたと共にいるからである」』。(エレ 1:19)今日のエホバの証人の任務は,エレミヤの任務と似ています。ですから,わたしたちも同じような反応に直面するでしょう。(マタイ 10:16-22を読む。)では,エレミヤからどんな教訓を学べるでしょうか。宣教奉仕にどのように取り組むべきですか。こうした点を考えてみましょう。

      エレミヤの音信を退けたゼデキヤと民はどうなりましたか。あなたはエレミヤについてどう思いますか。

      a エレミヤ 7章1-15節と26章1-6節の記述は類似しているので,同じ出来事について述べていると考えられています。

      b ダニエル 1章1,2節によると,エホヤキムはその第3年 ― おそらく従属者としての第3年 ― にネブカドネザルの手に渡されました。これは,攻囲期間中にエホヤキムが死んだことを意味しているのかもしれません。その後,攻囲は成功を収めました。ヨセフスは,ネブカドネザルがエホヤキムを殺し,死体を埋葬せずにエルサレムの城壁の外に投げ捨てさせた,と述べています。しかし,聖書にはその点を裏付ける記述はありません。―エレ 22:18,19; 36:30。

      c エレミヤ 27章1節はエホヤキムに言及していますが,これは書写上の誤りかもしれません。3節と12節はゼデキヤに言及しているからです。

  • 「あなたは彼らにこの言葉を言わなければならない」
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第3章

      「あなたは彼らにこの言葉を言わなければならない」

      1 (イ)イエスとエレミヤはどんな点で似ていましたか。(ロ)わたしたちが宣教奉仕においてエレミヤに倣うべきなのはなぜですか。

      イエス・キリストは,良いたよりを宣べ伝える点でわたしたちの最大の模範です。興味深いことに,1世紀の人たちはイエスを見て預言者エレミヤを思い出すことがありました。(マタ 16:13,14)イエスと同様にエレミヤも,宣べ伝えるようにと神から命じられていました。例えば,ある時こう告げられました。「あなたは彼らにこの言葉を言わなければならない。『イスラエルの神エホバはこのように言われた』」。(エレ 13:12,13。ヨハ 12:49)そして,宣教奉仕において,イエスと似た特質を発揮しました。

      2 エレミヤの時代のユダの人々と同様,今日の人々にはどんな必要がありますか。

      2 とはいえ,現代のエホバの証人の中にはこう考える人がいるかもしれません。『わたしたちの宣べ伝える業はエレミヤの業とは異なっている。彼は神の代弁者として,神に献身した国民に対して語った。でも,わたしたちが伝道で会う人々の大半はエホバを知らない』。確かにそうです。しかしエレミヤの時代も,ユダの人々の大半は「知恵のない」者となり,まことの神から離れていました。(エレミヤ 5:20-22を読む。)エホバに受け入れられる崇拝を行なうために変化する必要があったのです。同様に今日の人々も,クリスチャンと称しているかどうかを問わず,エホバを恐れて真の崇拝を実践するようになる必要があります。では,わたしたちがエレミヤに倣ってどのようにまことの神に仕え,どのように人々を援助できるか,考えてみましょう。

      33ページの図版

      『エホバはわたしの口に触れた』

      3 奉仕を始めるエレミヤに対して,神はどんな意味深いことを行なわれましたか。エレミヤはどう感じましたか。

      3 すでに見たとおり,エレミヤは預言者としての奉仕を始めるにあたり,こう告げられました。「あなたはわたしが遣わすすべての者たちのところへ行かなければならない。わたしがあなたに命ずることをみな話すべきである。彼らの顔のために恐れてはならない。『わたしはあなたと共にいて,あなたを救い出す』からである,とエホバはお告げになる」。(エレ 1:7,8)それから神は,思いがけないことを行なわれました。エレミヤはこう述べています。「エホバはみ手を突き出して,それをわたしの口に触れさせた。それから,エホバはわたしに言われた,『さあ,わたしはわたしの言葉をあなたの口に入れた。見よ,わたしは今日,あなたを……任命した』」。(エレ 1:9,10)その時以降,エレミヤは全能の神の代弁者としての自覚を持つようになりました。a エホバからの全面的な支えを得て,神聖な奉仕に対するエレミヤの熱意は高まりました。―イザ 6:5-8。

      34ページの図版
      34ページの図版
      34ページの図版

      4 宣べ伝える点で際立った熱意を示している人の例を挙げてください。

      4 今日エホバは,ご自分の僕の体にお触れになることはありません。しかし,ご自分の霊を用いて,良いたよりを宣べ伝える強い意欲をお与えになります。僕たちの多くは燃えるような熱意を抱いています。スペインのマルハの例を考えてみましょう。彼女は40年以上にわたり,両手両足が麻痺しています。家から家に伝道するのは難しいので,別のいろいろな方法で活発に宣教奉仕を行なっています。例えば,手紙を書きます。マルハの述べることを娘が書くのです。マルハと“秘書”は,ある月に特別な努力を払い,パンフレットを同封した手紙を150通以上も送りました。二人の働きにより,近くの村のほとんどの家に良いたよりが伝わりました。マルハは娘に,「この手紙を受け取った人が正しい心の持ち主だったら,きっとエホバがわたしたちに聖書研究を与えてくださるわ」と言いました。同じ会衆の長老はこう述べています。「マルハは,何を重視すべきかを教えてくれます。このような姉妹を与えてくださったことをエホバに感謝しています」。

      5 (イ)エレミヤは,無関心に面してもどのように熱意を保ちましたか。(ロ)あなたはどうすれば,良いたよりを宣べ伝えようという熱意を保つことができますか。

      5 エレミヤの時代,エルサレムの住民の大半は神の真理を『喜び』としませんでした。多くの人が音信に無関心だったので,エレミヤは宣べ伝えることをやめてしまったでしょうか。その逆です。こう述べています。「わたしはエホバの激しい怒りでいっぱいになりました。わたしは抑えるのにうみ疲れました」。(エレ 6:10,11)どうすれば,わたしたちもそのような熱意を保てるでしょうか。一つの方法は,まことの神を代表するという比類のない特権について黙想することです。この世の著名な人たちはまことの神の名をそしり,宗教指導者たちはエレミヤの時代の祭司たちのように人々を欺いています。(エレミヤ 2:8,26,27を読む。)それとは対照的に,わたしたちが伝えている神の王国の良いたよりには,人類に対する神の好意が表われています。(哀 3:31,32)このような真理についてじっくり考えると,良いたよりを伝えて羊のような人を助けようという熱意を保つことができます。

      6 エレミヤはどんな大変な障害に面しましたか。

      6 もちろん,クリスチャンの宣教奉仕で熱意を保つのは必ずしも容易ではありません。エホバに仕えていたエレミヤも,偽預言者たちなど,大きな障害に直面しました。その一例が,エレミヤ 28章に記されています。大半の人が音信に全く注意を払わず,エレミヤは孤立感を味わうことがありました。(エレ 6:16,17; 15:17)さらに,命を狙う敵たちに対処しなければならない時もありました。―エレ 26:11。

      良いたよりを宣べ伝える際に障害を克服できるようエホバが助けてくださる,と確信できるのはなぜですか。

      『エホバよ,あなたはわたしをだましました』

      7,8 どんな有益な仕方で神はエレミヤを「だまし」ましたか。

      7 ある時期,エレミヤは毎日あざけりや侮辱を受けたので,自分の気持ちを神に吐露しました。エレミヤ 20章7,8節は,この忠実な預言者をエホバが「だました」と述べています。どのような意味で「だました」のでしょうか。―読む。

      8 エホバは,陰険でずる賢い企みによってエレミヤを欺いたわけではありません。積極的かつ有益な仕方で「だました」のです。エレミヤは,反対があまりにも大きいので自分はもはや神からの割り当てを果たせない,と感じました。しかし実際には,果たせました。全能者の支えと助けがあったからです。エホバは力においてエレミヤを圧倒し,ご自分がエレミヤとその人間的傾向よりはるかに強いことを実証されたのです。この神の人が『もう限界だ,続けられない』と思った時,エホバは説得力を行使され,エレミヤはいわばだまされました。神は,ご自分にエレミヤの弱さをしのぐ強さがあることを示されました。エレミヤは,無関心や拒否反応や暴力に面しても宣べ伝え続けることができました。

      9 エレミヤ 20章11節の言葉から勇気が得られるのはなぜですか。

      9 エホバは,エレミヤのすぐそばで「力ある恐るべき者」のようになり,支えてくださいました。(エレ 20:11)同様にエホバはあなたも強め,あなたが大きな問題に遭っても真の崇拝に対する熱意を保って歩んでゆけるよう助けてくださいます。他の翻訳にあるとおり,あなたの横に立つ「力強い兵士」となってくださるのです。―「現代英語訳」。

      10 あなたは,反対に遭ったときに何をしようと決意していますか。

      10 使徒パウロは,反対に遭っているクリスチャンたちを励ました際,その点を強調しました。こう書いています。「キリストについての良いたよりにふさわしく行動しなさい。わたしが……このことを聞けるようにするためです。すなわち,あなた方が一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し,いかなる点でも,あなた方の敵対者たちのゆえに恐れ驚いたりはしていないということです」。(フィリ 1:27,28)あなたもエレミヤや1世紀のクリスチャンのように,奉仕の務めを果たす際に全能の神に頼ることができますし,そうすべきです。嘲笑されたり攻撃されたりしたときには,エホバがそばにいて力を注ぎ込んでくださることを思い出しましょう。エホバはエレミヤに,そして多くの兄弟たちに,力を与えてこられました。あなたにもそうしてくださいます。助けを求めて神に祈願しましょう。祈りにこたえてくださることを信頼しましょう。あなたも,『だまされた』と感じるかもしれません。恐れることなく大胆に障害に立ち向かえるよう,神が力を与えてくださるからです。自分にはとうていできないと思っていたようなことを行なえるのです。―使徒 4:29-31を読む。

      11,12 (イ)宣教奉仕でもっと多くの人に会えるよう,どんな調整ができるかもしれませんか。(ロ)39ページの写真にあるように,場所によっては何ができるかもしれませんか。

      11 エレミヤの奉仕について読むと,良いたよりをいっそう効果的に伝えるのに役立つ様々な点を学べます。エレミヤは,エホバの預言者として20年余り奉仕した後,こう言うことができました。「わたしはあなた方に語りつづけ,早く起きては語ったのであるが,あなた方は聴かなかった」。(エレ 25:3)彼は遅くまで寝ていたりはせず,朝早くに活動を始めました。この手本から学べる点をどのように活用できるでしょうか。多くの会衆では,奉仕者たちが朝早く起きてバス停や駅で人々に話しかけます。田舎の区域では,農家の人など早い時間帯に働いている人を早朝に訪問しています。あなたは,エレミヤの忠実な奉仕から学べるこの教訓をどのように自分に適用できますか。例えば,野外奉仕のための集まりに遅刻しないよう,早めに起きるのはいかがですか。

      12 午後や夕方に行なう家から家の奉仕も,多くの場所で素晴らしい結果を生んでいます。夜の時間に伝道する奉仕者もいます。ガソリンスタンド,レストラン,24時間営業の店などで働いている人を訪問するのです。あなたも予定を調整して,人々に会える確率の高い時間帯に伝道することができますか。

      あなたが,音信をふれ告げるときにエホバの後ろ盾を確信しているのはなぜですか。

      13,14 (イ)再訪問に関して,エレミヤはどんな手本を残していますか。(ロ)再訪問の点で信頼できる人であることの大切さは,どんな例から分かりますか。

      13 エホバはエレミヤに,神殿の門やエルサレムの門に立って預言的な音信を告げ知らせるようにとお命じになったことがあります。(エレ 7:2; 17:19,20)門で語ることによって,大勢の人にエホバの言葉を伝えることができました。エルサレムの著名な人や商人や実業家など,多くの人が幾度も同じ門を通りました。それで,その人たちが前回聞いた事柄を理解できるよう,エレミヤは繰り返し語りかけたかもしれません。関心を示した人を再び訪問する点で,この記述から何を学べるでしょうか。

      14 エレミヤは,神の預言者としての自分の務めに人々の命がかかっていることを自覚していました。ある時エレミヤは,人々に語るという神からの指示を自分では果たせなかったので,代理として友人のバルクを遣わしました。(エレミヤ 36:5-8を読む。)この点でどのようにエレミヤに倣えるでしょうか。「再びお訪ねします」と家の人に言ったなら,そのとおりにしますか。再訪問や家庭聖書研究の約束を自分では果たせないとき,だれかに代わりに行ってもらいますか。『あなた方の“はい”という言葉は,はいを意味するようにしなさい』とイエスは言われました。(マタ 5:37)約束を守ることは肝要です。わたしたちは真実と秩序の神を代表しているからです。―コリ一 14:33,40。

      39ページの図版

      多くの人に証言できるよう,自分の予定や伝道方法を調整していますか

      15,16 (イ)多くの人がエレミヤの手本に倣い,どのように宣教奉仕を拡大していますか。(ロ)40ページの写真に示されているチリでの経験から何を学べますか。

      15 エレミヤは,バビロンにいるユダの人々を励ますため,回復についてのエホバの「良い言葉」を記した手紙を送りました。(エレ 29:1-4,10)今日でも,エホバが間もなく行なわれる事柄についての「良い言葉」が手紙や電話で効果的に伝えられています。あなたもそうした方法を用いて,遠方に住む親族や会うのが難しい人たちを援助できるでしょうか。

      16 今日の王国伝道者たちは,奉仕の務めを十分に果たしたエレミヤの手本に倣うことにより,しばしば良い結果を得ています。チリのある姉妹は,地下鉄の駅から出てくる女性に話しかけました。その女性は聖書の音信を聞いて大喜びし,自宅で聖書の話し合いをすることに同意しました。しかし姉妹は,その人の住所を書き留めませんでした。その後,真理に対するその人の関心を高めることの重要性に気づき,エホバに助けを祈り求めました。翌日,同じ時間に駅に行ってみたところ,その女性に会えました。今度は,きちんと住所を書き留めたので,後に自宅を訪問して聖書について説明できました。間もなくサタンの世に神の裁きが臨みますが,悔い改めて良いたよりに信仰を置く人々には希望があります。(哀歌 3:31-33を読む。)ですから,自分の区域で良心的に奉仕しましょう。

      40ページの図版

      関心を示した人すべてを援助しようと努めていますか

      「彼らは聴いて,各々……立ち返るかもしれない」

      17 あなたは,自分の区域でどのようにエレミヤの態度に倣えますか。

      17 エホバは,人々が命を失うことを望んでおられませんでした。エルサレムの滅びの10年ほど前に,エレミヤを通して,バビロンに流刑にされる人々のための希望を略述なさいます。こう書かれています。「わたしは良い仕方で彼らに目を留め,必ず彼らをこの地に帰すであろう。そして,わたしは彼らを築き上げ,打ち壊しはしない。わたしは彼らを植え,根こぎにはしない」。そのような人たちにエレミヤは,「あなたの将来には希望がある」と言うことができました。(エレ 24:6; 26:3; 31:17)エレミヤは,人々について神と同じ見方をしていました。真の気遣いを抱いて奉仕の務めを果たし,次のようなエホバの言葉を伝えました。「どうか,各々その悪い道から立ち返り,あなた方の行ないを良くするように」。(エレ 35:15)あなたは,どんな方法で区域の人々に深い個人的な関心を示せると思いますか。

      18,19 (イ)良いたよりを宣べ伝えるとき,どんな見方をしてはなりませんか。(ロ)エレミヤに倣い,どんな態度を持つべきですか。

      18 人々に対するエレミヤの強い愛は決して冷めませんでした。エルサレムが滅びた後も,人々への同情心は薄れません。(哀歌 2:11を読む。)災いを被った責任はユダの人々自身にありましたが,エレミヤは『だから言ったでしょう』と述べたりはしません。人々が経験している事柄を深く悲しんだのです。わたしたちも,義務感だけで,おざなりな奉仕を行なうべきではありません。証言しようとする努力に,素晴らしい神への愛だけでなく,神の像に造られている人々への愛も表われているべきです。

      42ページの図版

      あなたは,人々の幸福を願っていることが相手に伝わるようにしていますか

      19 まことの神のために証言する特権や立場は,この世で得られるどんな特権や立場よりもはるかに優れています。エレミヤもそう感じていました。こう書いています。「あなたの言葉が見いだされたので,わたしはそれを食べはじめました。わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,わたしはあなたのみ名をもってとなえられたからです」。(エレ 15:16)わたしたちが良いたよりを宣べ伝えるとき,いっそう多くの人が,命の源である方を知って愛するようになるでしょう。エレミヤに倣って熱意と愛を抱いて奉仕することにより,わたしたちは人々を助けることに貢献できるのです。

      エレミヤの手本を念頭に置き,あなたは今後どんな方法でエホバの「良い言葉」を伝えたいと思いますか。

      a この場合のように,エホバから遣わされたみ使いが姿を現わして,エホバが語っておられるかのように語る,ということが幾度もありました。―裁 13:15,22。ガラ 3:19。

  • 不実な心に気をつける
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第4章

      不実な心に気をつける

      1,2 自分の心の本当の状態を知るのが難しいのはなぜですか。

      こんな場面を思い浮かべてみてください。朝早く,ベッドの中で,刺すような胸の痛みを感じます。息切れもします。もしかして心臓発作でしょうか。『そんなはずはない』と片付けてしまうわけにはいきません。素早い対応が必要です。救急車を呼び,医師に助けを求めます。医師は注意深く調べます。心電図を取るかもしれません。迅速な診断と処置が生死を分ける場合もあるのです。

      2 わたしたちの心についてはどうでしょうか。心の本当の状態を知るのは,必ずしも容易ではありません。なぜでしょうか。聖書はこう述べています。「心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる。だれがこれを知りえようか」。(エレ 17:9)心はわたしたちを欺くことがあります。他の人から見れば危険な兆候が現われているのに,霊的な問題などないと本人に思い込ませてしまいます。なぜ欺かれてしまうのでしょうか。わたしたちの罪深い傾向が判断を曇らせ,サタンとこの事物の体制が実際の状態を見えにくくするからです。心を調べることに関して,エレミヤと当時のユダの人々の例から教訓を学べます。

      3 多くの人にとって,何が神となっていますか。

      3 ユダの人々の大多数は,心に霊的な欠陥があることを示していました。唯一まことの神を捨ててカナン人の神々に頼りながら,良心のとがめを全く感じていませんでした。そのような者たちに向かって,エホバはこう言われます。「あなたが自分のために造ったその神々はどこにいるのか。もし彼らがあなたの災いの時にあなたを救うことができるのなら,彼らが立ち上がればよい。……あなたの神々はあなたの都市の数のようになったからである」。(エレ 2:28)わたしたちは,自分が偶像の神々の崇拝者であるなどとは思いません。とはいえ,ある辞書は「神」を,「至上の価値を有する人もしくは物」と定義しています。この世の多くの人は生活の中で,仕事,健康,家族,ペットなどを第一にしています。スポーツ,有名人,テクノロジー,旅行,伝統などを至上の価値を有するものと見ている人もいます。創造者との関係を犠牲にしてまでも,そうしたものを追い求めています。エレミヤの時代のユダの人々のように,真のクリスチャンも影響を受けることがあるでしょうか。

      不実な心に欺かれる

      4 『エホバの言葉はどこにあるのか。それを来させてもらいたい』と述べた人たちは,誠実な気持ちでそう言っていましたか。

      4 心は必死になるというエレミヤの言葉の文脈を見ると,興味深いことが分かります。エレミヤは,人々が「エホバの言葉はどこにあるのか。どうか,それを来させてもらいたい」と言っているのを知っていました。(エレ 17:15)人々は誠実な気持ちでそう言っていたのでしょうか。その章の冒頭にはこうあります。「ユダの罪は鉄の尖筆で書き記されている。それは,金剛石のとがりで彼らの心の書き板……に刻み込まれている」。根本的な問題は,それらユダの人々が『地の人に依り頼み,肉を自分の腕とし,心をエホバからそらして』いることでした。それとは対照的に,少数の人たちは神に依り頼み,導きと祝福を神に求めていました。―エレ 17:1,5,7。

      5 エレミヤの同国人たちは,エホバの指示に対してどんな態度を取っていましたか。

      5 大多数の人の心がどんなものかは,神が語られた事柄に対する反応に表われていました。(エレミヤ 17:21,22を読む。)例えば,安息日は,通常の仕事を休んで霊的な活動に参加する機会とすべきでした。エレミヤの同国人たちは,安息日に商売や用事を行なってはなりませんでした。しかし,彼らの態度に心の状態が表われていました。「彼らは聴きもせず,耳を傾けもしなかった。うなじを固くして,聞こうともせず,懲らしめを受けようともしなかった」と書かれています。神の律法を知ってはいましたが,独自の見方を持ち,自分の望む事柄を安息日に行なっていたのです。―エレ 17:23。イザ 58:13。

      6,7 (イ)今日のクリスチャンは,忠実な奴隷級の助言にもかかわらず,賢明でないどんな考え方をするおそれがありますか。(ロ)その結果,集会の出席の点でどうなるかもしれませんか。

      6 今日のわたしたちは,安息日の律法の下にはいません。しかし,ユダの人々がどう反応し,どんな心の状態を示したかを考えると,警告を学べます。(コロ 2:16)わたしたちは,神のご意志を行なうために利己的な活動や世俗的な活動を脇に置いています。自分に都合の良い仕方で神を喜ばせようとするのがいかに愚かなことであるかを,理解しています。さらに,神のご意志を行なうことに専念してさわやかさや安らぎを得ている大勢の人を知っています。では,どのようにして惑わされるのでしょうか。

      7 クリスチャンは,自分はエレミヤの時代の多くの人のように自らの心に欺かれたりはしない,という考え違いをするおそれがあります。例えば,こう考えるとしましょう。『家族を養うために仕事を続けなければならない』。そう思うのはもっともなことです。では,一歩進んでこう考えるならどうでしょうか。『そこそこの仕事を確保するには,もっと教育を受ける必要がある』。これも筋が通っているように思えて,ついには次のように結論するかもしれません。『時代は変わった。今の時代を生き抜くには,仕事を失わないように大学教育が必要だ』。こうして,付加的な教育に関する忠実で思慮深い奴隷級の賢明で平衡の取れた忠告を軽視し始め,集会を休むようになるのです。この分野で世の考え方や見方に徐々に形作られてしまった人たちがいます。(エフェ 2:2,3)だからこそ,聖書はこう警告しています。「周囲の世そのものの型に押し込まれてはなりません」。―ロマ 12:2,フィリップス訳(英語)。a

      46ページの図版

      自分の心に欺かれて集会を休むことがありますか

      8 (イ)クリスチャンはどんなことを誇れますか。(ロ)神と神が行なわれた事柄に関する事実を知っているだけでは十分でない,と言えるのはなぜですか。

      8 1世紀のクリスチャンの中には,富んだ人や,世で幾らか知られた人もいました。現代のクリスチャンの中にもそういう人がいます。そのような人は,自分の成し遂げた事柄をどうみなすべきでしょうか。わたしたちは,そのような人をどう見るべきですか。エホバはエレミヤを通して答えを与えておられます。(エレミヤ 9:23,24を読む。)その人は,自分の成し遂げた事柄を自慢するのではなく,宇宙の主権者を知っていることこそ価値があるということを認めるべきです。(コリ一 1:31)では,洞察力とエホバについての知識とを持っているとは,どういう意味でしょうか。エレミヤの時代の人々は,神の名を知っていました。自分たちの先祖を救うために神が紅海で何を行なわれたか,また,約束の地に入る際や,裁き人の時代,忠実な王たちの治世中に神が何を行なわれたかもよく知っていました。それでも,エホバを本当に知ってはおらず,エホバへの真の信仰を働かせてもいませんでした。それなのに,「わたしに罪はなかった。神の怒りは確かにわたしから去った」と言っていたのです。―エレ 2:35。

      自分の心が不実であるのを認めることが重要なのはなぜですか。どうすれば,自分の心を調べることができ,心を調べる方がわたしたちをどう見ておられるかを知ることができますか。

      エホバはどのようにしてわたしたちを形作られるか

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      エホバに形作っていただくようにしていますか

      9 心を変化させることは可能である,と言えるのはなぜですか。どうすれば変化させることができますか。

      9 エレミヤが神の音信を伝えたユダの人々は,心を変化させる必要がありました。そのような変化は可能でした。流刑から帰って来る人たちについて,神はこう言われたからです。「わたしは彼らにわたしを知る心,わたしがエホバであることを知る心を与える。彼らは必ずわたしの民となり,わたしは彼らの神となるであろう。彼らは……わたしのもとに帰るからである」。(エレ 24:7)今日でも,そのような変化は可能です。さらに,わたしたちの大半は霊的な心の状態を改善できます。そのためには三つのことが不可欠です。神の言葉を個人で真剣に研究すること,自分の生活に神がどのように働きかけてくださっているかを洞察すること,神について学んだ事柄を適用することです。わたしたちは,エレミヤの時代の人々とは違い,心を調べる方エホバに自分の心を検分していただきたいと願っています。それで,聖書の光に照らして,またエホバがわたしたちのために何をしてくださったかに注目することによって,自分の心を調べます。(詩 17:3)そうすることは本当に大切です。

      10,11 (イ)エレミヤが陶器師を見に行ったのはなぜですか。(ロ)エホバが人をどう形作るかは,何によって決まりますか。

      10 サタンはすべての人を一つの型に押し込もうとしますが,神は個々の人の違いを考慮に入れて人を形作られます。その点は,エレミヤの見た光景に示されています。ある日,神はエレミヤに,陶器師の家へ行くようにとお命じになります。陶器師はろくろで仕事をしており,作っている器が損なわれると,その湿った粘土を別の器に形作っていきました。(エレミヤ 18:1-4を読む。)エレミヤはなぜこれを見るよう指示されたのでしょうか。わたしたちは何を学べますか。

      11 エホバは,自分には人々や国民を望むものに形作る権限がある,ということをエレミヤとイスラエルに示そうと思っておられました。神はどのように粘土を扱われるでしょうか。人間の陶器師とは違い,エホバは失敗することがありません。自らの作ったものを気まぐれに壊したりもされません。形作られることに対して人がどう反応するかによって,その人に何を行なうかをお決めになります。―エレミヤ 18:6-10を読む。

      12 (イ)エホバがエホヤキムを形作ろうとされたとき,エホヤキムはどう反応しましたか。(ロ)エホヤキムに関する記述から,あなたはどんな教訓を学びますか。

      12 エホバは,どのようにして個々の人を形作られるのでしょうか。今日では特に,聖書をお用いになります。人は神の言葉を読んで反応することにより,自分がどんな者かを明らかにするので,神はその人を形作ることができます。では,エレミヤの時代の人々が日常生活の面でどのように形作られたかを見るため,エホヤキム王の例に注目しましょう。律法は『雇われた労働者からだまし取ってはならない』と命じていましたが,王はまさにそれを行ない,「広々とした家」を建てるための安上がりな方法として仲間のイスラエル人を働かせ,搾取していました。(申 24:14。エレ 22:13,14,17)神は,預言者たちを通して伝えたみ言葉によってエホヤキムを形作ろうとされました。しかし王は,自分の不実な心の傾向に流されました。いわば「わたしは従いません」と述べ,若い時からの道を歩み続けたのです。それで神はこう言われました。「彼は雄のろばが埋められるように埋められる。引きずり回され,……投げ捨てられる」。(エレ 22:19,21)わたしたちの場合も,『自分はこのままでいいんだ』と反応するのは実に愚かなことです。神は今日,エレミヤのような預言者を遣わしてはおられませんが,導きを与えてくださっています。聖書の原則を理解して適用できるよう,忠実で思慮深い奴隷級がわたしたちを助けています。そうした原則は日常生活の様々な面に関係しており,それには,服装と身なり,結婚式などの社交的な集まりでの音楽とダンスも含まれます。わたしたちは,神の言葉によって形作られるようにするでしょうか。

      13,14 (イ)エルサレムの奴隷所有者たちが,ヘブライ人の奴隷を自由にすることに同意したのはなぜですか。(ロ)それら所有者たちの心の本当の状態は,どのように明らかになりましたか。

      13 別の例も考えてみましょう。ゼデキヤはバビロニア人により,属国の王としてユダの王位に就けられました。しかし,エレミヤを通して与えられた神からの忠告に背き,反逆します。(エレ 27:8,12)そのため,エルサレムはバビロニア軍に攻囲されます。王と君たちは,神の恵みを得るために律法に従って何かを行なわなければならない,と考えます。ゼデキヤは,ヘブライ人の奴隷を隷属期間の7年目に解放すべきだということを知っていたので,そのような奴隷たちを自由にする契約を結びます。(出 21:2。エレ 34:14)エルサレムが敵に囲まれた途端,人々は奴隷を自由の身にしたほうがよいと考えるようになったのです。―エレミヤ 34:8-10を読む。

      14 その後,エジプトの軍勢がエルサレムを助けに来たため,バビロニア軍は攻囲を解きます。(エレ 37:5)奴隷を自由にした人々はどうしたでしょうか。解放した人たちを無理やり連れ戻し,また奴隷にしてしまいます。(エレ 34:11)このようにユダの人々は,危険が迫ると,表面的に神の法令を守りました。あたかもそれで以前の行ないの埋め合わせができるかのように,そうしたのです。しかし,危険が去ると,元の生き方に戻りました。律法の精神を受け入れているかのように振る舞った時もありましたが,後の行動を見れば明らかなとおり,心の中では,神の言葉の指示に従おうとは思っていませんでした。神の言葉によって形作られようとは思っていなかったのです。

      陶器師に関するエレミヤの記述から,あなたはどんな実際的な教訓を引き出せますか。今日,エホバはどのようにしてわたしたちを形作ってくださいますか。

      進んでエホバに形作っていただく

      15 あなたはどの程度エホバに形作っていただきたいと思いますか。例を挙げて説明してください。

      15 わたしたちは,エホバの世界的な会衆の助けによって,特定の事柄に関する聖書の原則を学んでいます。例えば,仲間の兄弟の言動にいらだつ場合にどうしたらよいかを教えられています。(エフェ 4:32)そうした聖書の諭しは正しくて賢明である,と認めています。とはいえ,自分がどんな粘土であることを明らかにするでしょうか。エホバによって形作られるとき,素直にこたえ応じるでしょうか。心が柔らかいなら,改善を図るでしょう。そして偉大な陶器師は,ご自分の用途にいっそうふさわしい器に形作ってくださいます。(ローマ 9:20,21; テモテ第二 2:20,21を読む。)エホヤキムのような,またゼデキヤの時代の奴隷所有者たちのような心の態度を示すのではなく,誉れある目的のために進んでエホバに形作っていただくようにしましょう。

      16 エレミヤはどんな重要な真理を理解していましたか。

      16 エレミヤも神に形作っていただきました。この預言者はどんな態度を示したでしょうか。彼の態度は,次の言葉に表われています。「自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。そして,「エホバよ,わたしを正してください」と嘆願しています。(エレ 10:23,24)若い皆さん,あなたはエレミヤに倣いますか。これから多くの決定を下していかなければならないでしょう。『自分で自分の歩みを導こう』とする若者もいます。あなたは,決定を下す際に神に頼りますか。エレミヤのように,人間は自分の歩みを導けないということを謙遜に認めますか。忘れないでください。神の導きを求めるなら,神はあなたを形作ってくださいます。

      17-19 (イ)エレミヤがユーフラテス川への長い旅をしたのはなぜですか。(ロ)エレミヤはどのように従順を試みられましたか。(ハ)帯に関するエレミヤの行動により,どんなことが成し遂げられましたか。

      17 エレミヤは,割り当てを果たすために神の導きに従う必要がありました。あなたがエレミヤだったなら,そうした指示すべてに応じたでしょうか。ある時エホバはエレミヤに,亜麻布の帯を手に入れて身に着けるようにとお命じになりました。次いで,ユーフラテス川まで旅をするよう命令なさいます。地図を見ると分かるとおり,500㌔ほどの旅です。そこに着いたなら,帯を大岩の裂け目に隠し,再び長い旅をしてエルサレムに戻ります。その後,神はエレミヤにその帯を取って来させます。(エレミヤ 13:1-9を読む。)エレミヤは合計2,000㌔もの旅をしなければならなかったでしょう。聖書批評家たちは,エレミヤが何か月も歩いてそれほど遠くまで行ったとはとても信じられない,と言います。b (エズ 7:9)しかし,神はそうお命じになり,エレミヤはそのとおりにしました。

      18 この預言者が苦労してユダの山地を越え,ユーフラテス川を目指すところを思い描いてみてください。ルートによっては,砂漠地帯を通ったかもしれません。亜麻布の帯を隠すだけのためにそうしたのです。彼が長期間いないことで,近所の人たちは好奇心をかき立てられたことでしょう。帰って来たエレミヤは,亜麻布の帯を締めていません。その後,神は,もう一度長い旅をして帯を取って来るようにと言われます。帯はもう腐っていて,『何の役にも立たない』でしょう。こういう場合,『もうごめんだ。そんなことをしても何にもならない』と考えてもおかしくありません。しかし,エレミヤは神によって形作られていたので,そのような反応はしませんでした。不平を言わず,まさに指示どおりにしました。

      53ページの図版

      理由が十分に理解できない場合でも,エホバの指示に従うべきなのはなぜですか

      19 エレミヤが二度目の旅をした後に初めて,神は理由を説明なさいました。彼の行動により,次のような強烈な音信を伝えるための舞台が整ったのです。「わたしの言葉に従おうとせず,その心の強情さのままに歩み,ほかの神々に従って歩み,これに仕えて身をかがめようとしているこの悪い民もまた,何の役にも立たないこの帯のようになる」。(エレ 13:10)エホバは実に印象的な方法で民を教えられました。エレミヤは,無駄と思える点でも心からエホバに従うことによって,民の心を動かそうとする神の努力に貢献できたのです。―エレ 13:11。

      20 あなたが神に従うと,人々が当惑することがあるのはなぜですか。それでも,どんなことを確信できますか。

      20 今日のクリスチャンが神からの教育の一環として何百キロも歩くよう指示されることはありません。とはいえ,近所の人や知人はクリスチャンとしてのあなたの歩みを見て,当惑したり批判したりするかもしれません。服装や身なり,教育や仕事の選択,飲酒についての見方などの点で,そういう反応をすることがあります。あなたはエレミヤのように,神の指導に従おうと決意しておられますか。神に心を形作っていただくようにするなら,あなたの行なう選択は立派な証言につながるかもしれません。いずれにせよ,み言葉に収められているエホバの導きに従い,忠実な奴隷級を通して与えられる指導にこたえ応じるなら,永続的な益が得られます。あなたも,不実な心に惑わされるのではなく,エレミヤのようになることができます。進んで神に形作っていただくようにしましょう。神にずっと用いられる誉れある器へと形作っていただくのです。

      サタンからの圧力,自分の不完全な心からの圧力,この世からの圧力に立ち向かうことが肝要なのはなぜですか。

      a 「新英語訳」(NET Bible,2005年版)はこう訳しています。「この現在の世に順応させられてはなりません」。脚注にはこうあります。「現在の世への『順応』が受動的概念として取り上げられていることは注目に値する。それが幾らか無意識のうちに生じることを示唆しているのかもしれない。同時に,……順応しつつあることを多少意識している場合がある……のかもしれない。おそらく,その両方の組み合わせなのであろう」。

      b エレミヤが行ったのはユーフラテス川ではなく,近くの場所だった,と考える人もいます。なぜでしょうか。「そうした批評がなされるのは,エルサレムからユーフラテス川までの二度の旅がこの預言者にとってあまりに過酷と思えるからにほかならない」と,ある学者は述べています。

  • あなたはだれを友にしますか
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第5章

      あなたはだれを友にしますか

      1,2 (イ)交友に関して,クリスチャンはどんな試みに遭いますか。(ロ)エレミヤがだれを友にしたかに,わたしたちが関心を持つのはなぜですか。

      同僚や近所の人やクラスメートからクリスマスパーティーに誘われたら,どうしますか。雇い主から,うそをついてくれとか違法なことをしてくれと頼まれたら,どうでしょうか。行政当局から,中立に反する活動を要求されたら,どうですか。断わればあざけりやひどい仕打ちを受けるとしても,そうしたことは一切しないように,と良心の声は言うでしょう。

      2 これから見ていきますが,エレミヤもしばしば同様の試みに遭いました。エレミヤが奉仕期間中に接した人々のことを考えると,多くを学べます。中には,任務を果たすエレミヤの意欲をくじこうとする人もいました。エレミヤは,そのような人と頻繁に接触しなければなりませんでしたが,友とはしませんでした。一方,エレミヤが友として選んだ人たちもいます。エレミヤを支え,忠実であろうとする決意を強めてくれた人たちです。交友に関するエレミヤの決定から教訓が得られます。

      あなたはどんな人を親しい友にしますか

      3 ゼデキヤはエレミヤが何と言ってくれることを期待していましたか。エレミヤはどう応じましたか。

      3 エルサレムの滅びの前,ゼデキヤ王は何度もエレミヤに相談しました。自国の将来について,安心できるような答えを聞きたいと願っていたからです。神の介入によってユダが敵の手から救出される,という答えを期待していたのです。ゼデキヤはエレミヤに使者を送り,こう嘆願します。「どうか,わたしたちのためにエホバに伺ってもらいたい。バビロンの王ネブカドレザルがわたしたちに戦いをしかけているからである。恐らく,エホバはわたしたちにそのすべてのくすしい業にしたがって行なってくださるであろう。そうすれば,[ネブカドレザル]はわたしたちから退くであろう」。(エレ 21:2)王は,バビロンに降伏するようにという神の指示に従うことを望みませんでした。ある学者はゼデキヤを,「安心感を得たくて医師の所に繰り返し行くものの,処方された薬をのみたがらない患者」になぞらえています。エレミヤはどうしましたか。ゼデキヤの望むようなことを言えば,王の好意を得られたでしょう。しかしエレミヤは,音信を曲げて楽に生きようとはしませんでした。なぜでしょうか。エホバから,エルサレムが陥落することをふれ告げるようにと命じられていたからです。―エレミヤ 32:1-5を読む。

      54,55ページの図版

      エレミヤとエベド・メレクは本当に実在の人物なのでしょうか。この二人はエレミヤ 38章に登場します。近年,古代の“ダビデの都市”において,その章の記述を裏付ける二つの物が発見されました。

      考古学者エイラト・マザールの報告によると,2005年にエルサレム滅亡(西暦前607年)の時代の地層を発掘調査していた時,印章の押された小さな粘土塊が見つかりました。その粘土塊には,古代ヘブライ語で「エフーカル ベーン シェレムヤーフー」,つまり「シェレムヤの子ユカル」という名が記されていました。

      後に,そこから数メートルしか離れていない同様の地層で,別の粘土塊が発見されました。それには,「ゲダルヤーフー ベーン パシュフル」,つまり「パシュフルの子ゲダリヤ」という名がありました。

      ここでエレミヤ 38章1節をご覧ください。そこには,エレミヤを死に処するようゼデキヤ王に迫った君たち二人の名が記されています。その計略を阻止したのがエベド・メレクでした。エレミヤ 38章に名前が出てくる人たちは,確かに実在の人物なのです。

      4 職場などでだれを親しい友にするかに関して,どんな決定を下さなければなりませんか。

      4 幾つかの点で,あなたはエレミヤと似た状況にあります。近所の人や,同僚,クラスメートなどとの接触があり,そのような人はある意味であなたの仲間です。とはいえ,その人が神の指示を聞いたり従ったりすることに関心を持たないことが分かった場合,それでも一歩進んで親しい友になろうとするでしょうか。エレミヤは,ゼデキヤとの接触を完全に避けることはできませんでした。ゼデキヤは,神の助言に従おうとしなかったとはいえ,依然として王だったからです。それでもエレミヤは,ゼデキヤの間違った考えに迎合したり,機嫌を取ったりはしませんでした。王の望みに応じれば多くの贈り物や特典が与えられたでしょう。しかし,ゼデキヤと親しくなるようにとの圧力や誘惑に屈しませんでした。なぜですか。エホバから指示された姿勢を崩すつもりは全くなかったからです。エレミヤの手本について考えると,自己吟味をするよう促されます。神に忠節であるよう励ましてくれる人を友にしているでしょうか。もちろん,職場や学校や近所の人など,神に仕えていない人との接触を一切避けることは不可能です。(コリ一 5:9,10)しかし,そのような人を友にするなら,神との友情が危うくなるのです。

      57ページの図版

      信じようとしない人を友にしますか

      5,6 ある人たちは,エレミヤを沈黙させようとしてどんなことをしましたか。

      5 エレミヤの意気をくじこうとしたのはゼデキヤだけではありません。祭司パシュフルはエレミヤを「打ち」ました。39回のむち打ちを加えたのかもしれません。(エレ 20:2。申 25:3)ユダの君たちもエレミヤを打ち,その後,「足かせの家」に拘禁しました。そこは地下牢のような場所で,環境があまりに劣悪だったため,幾日もたつうちにエレミヤは,自分はここで死ぬのではないかと恐れるようになりました。(エレミヤ 37:3,15,16を読む。)後に,エレミヤはしばらく自由になりますが,今度は他の君たちが,エレミヤを死に処するようゼデキヤに求めます。エレミヤがユダの軍隊の士気を弱めている,と考えたのです。そして,この預言者を泥深い水溜めに投げ込み,死なせようとします。(エレ 38:1-4)すでに見たように,エレミヤはこの恐ろしい死の危険から救い出されました。とはいえ,神の預言者エレミヤの語る事柄の意味を十分に理解できたはずの人たちが,信じようとせず,エレミヤに反対したのです。

      6 エレミヤの敵は,ユダの高官たちだけではありませんでした。ある時エレミヤは,いわば隣人である郷里アナトテの人々から,預言をやめなければ殺すと脅されました。(エレ 11:21)人々はエレミヤの語った事柄が気に入らなかったのです。しかしエレミヤは,郷里の人々ではなくエホバを友としました。言葉で脅す以上のことをする人たちもいました。エレミヤがユダの人々の前でくびき棒を使い,自分たちの首をバビロンの王のくびきの下に置いて生きつづけるようにと勧めると,ハナニヤはエレミヤの首から木製のくびき棒を外して砕きます。この偽預言者は,エホバが「バビロンの王のくびきを砕く」と語られた,と言います。しかし,まさにその年にハナニヤは死んだので,どちらが信頼に値する預言者であるかが明らかになりました。(エレ 28:1-11,17)エレミヤの警告どおりにエルサレムが滅びた後,ヨハナンと他の軍勢の長たちは,ユダの地にとどまるようにとの神の命令に従おうとせず,エレミヤにこう言います。「あなたは偽りを語っているのです。わたしたちの神エホバは,あなたを遣わして,『エジプトに入って行って,そこで……とどまってはならない』と言わせたりはしませんでした」。そしてエホバに逆らい,エレミヤとバルクをエジプトに連れて行くことまでしました。―エレ 42:1–43:7。

      58ページの図版

      エレミヤはどんな人たちに対処しなければなりませんでしたか。あなたはエレミヤの手本から何を学べますか。

      7 エホバへの忠実さはどのように試みられることがありますか。

      7 長年エレミヤは,信じようとしない人や反対する人に囲まれて生活しました。エレミヤの生き方について考えてみてください。彼は,神や神の言葉を軽視する人たちに迎合することもできました。そのような人が周囲にたくさんいたからです。あなたの場合はどうですか。エレミヤの周囲にいた人々と同じような人たちに接してきたのではないでしょうか。あなたと神に激しく反対する人もいれば,感じの良い人もいるでしょう。そのような人を友にしますか。神の預言を真剣に受け止めない人と親しくするのは賢明なことでしょうか。もしエレミヤが今の時代に生きていたなら,神の言葉の真理に反する生き方をする人や,人間に依り頼む人を友にすると思いますか。(代二 19:2)神ではなく人に依り頼むことの結末を,神はエレミヤにはっきりと教えておられます。(エレミヤ 17:5,6を読む。)あなたはどう思いますか。

      63ページの図版

      8 あなたの地域で,クリスチャンはどんな問題に直面することがありますか。

      8 仕事での成功や出世のために取引先の人を接待する必要がある,と考えるクリスチャンもいます。しかし,そのようにするなら,汚れた交友に,また下品な会話や飲み過ぎなどの危険にさらされるのではないでしょうか。それで多くのクリスチャンは,この世での利益や昇進の見込みが失われるとしても,悪い交わりを避けています。また,顧客にうそをつくことを何とも思わない雇い主や同僚がいても,真のクリスチャンはそのような人の考え方に流されたりはしません。こうした決定を下すのは必ずしも容易ではありません。ですから,エレミヤのような手本は大きな励ましとなります。エレミヤは,正しい良心を保てる道を,さらに重要なこととして,神との良い関係を保てる道を歩み続けました。

      9 みんなに受け入れられたいと思うことには,どんな危険がありますか。

      9 エレミヤはその立場や強い信念ゆえに,ユダの人々のあざけりの的となりました。(エレ 18:18)それでも,「みんなの道」を歩む周囲の人々とは異なる者として目立つことをいといませんでした。(エレ 8:5,6)独りぼっちになって『ただ独りで座る』ことさえ,いといませんでした。悪影響を及ぼす人々と親しくするよりは独りでいたほうがよい,と考えたのです。(エレミヤ 9:4,5; 15:17を読む。)あなたはどうですか。エレミヤの時代のように今日でも,みんなと同じ道は,神に対して不忠実な道です。昔も今もエホバの僕は,だれを友にするかに関して注意深くなければなりません。とはいえ,エレミヤには友人がいなかったわけではありません。守り,支えてくれる人たちがいました。どんな人たちでしょうか。その人たちのことを考えると,大きな励みが得られます。

      エレミヤはどんな人を友にしたか

      10,11 (イ)エレミヤはどんな規準で友を選びましたか。(ロ)エレミヤの友にはどんな人がいましたか。その人たちについてどのような点を考えますか。

      10 エレミヤはどんな人を親しい友にしたでしょうか。エレミヤはエホバからの指示に従って,邪悪な者たちを繰り返し糾弾しました。欺まん的で不正を働く,暴力的で冷淡で不道徳な者たち,清い崇拝を捨てて偶像礼拝に走るという霊的売春を行なっていた者たちです。エレミヤはユダの人々に,「どうか,各々自分の悪い道から立ち返り,あなた方の道とその行ないを良いものとするように」と勧めました。(エレ 18:11)エルサレムが滅びた後も,神の「愛ある親切の行為」,「憐れみ」,「忠実さ」をほめたたえました。(哀 3:22-24)エレミヤは,エホバに忠実に仕える人だけを友にしたいと思っていたのです。―エレミヤ 17:7を読む。

      11 エレミヤが友や親しい仲間とした人々について,幾らかのことが分かっています。エベド・メレク,バルク,セラヤ,そしてシャファンの息子たちなど,幾人もの人がエレミヤに味方しました。どのような人たちだったのでしょうか。エレミヤとどんな交友がありましたか。どのような意味で良い友だったのでしょうか。エレミヤが忠誠を保つのをどのように助けましたか。わたしたちの状況と比べながら,考えてみましょう。

      12 (イ)58ページに描かれているエレミヤとバルクには,どんな共通点がありましたか。(ロ)セラヤとはどんな人でしたか。彼についてどんなことが分かっていますか。

      12 エレミヤの最も親しい友はネリヤの子バルクだった,と言えるでしょう。エレミヤはバルクを信頼して,責任をゆだねました。エレミヤが口述するエホバからの宣告を巻き物に書き記す責任と,その巻き物を人々の前で,次いでユダの君たちに対して読み上げる責任です。(エレ 36:4-8,14,15)エレミヤと同じくバルクも,神の予告なさった事柄は生じるという固い信仰を抱いていました。ユダ末期の動乱の18年間,二人は似たような経験をしました。共通の霊的割り当てを果たすために,多くの時間,共に働きました。二人とも困難に遭い,敵から身を隠す必要がありました。そしてエホバから個人的な励ましを受けました。バルクはユダの著名な書記の家族の一員だったようで,聖書では「書記官」と呼ばれています。彼の兄弟のセラヤは,国の要職にある役人でした。バルクと同様,後にエレミヤに協力し,エホバの預言的な布告を伝えました。(エレ 36:32; 51:59-64)エレミヤは,困難な時期にこれらネリヤの二人の息子が進んで共に働いてくれたので,力づけられ,励まされたに違いありません。あなたも,共に忠実にエホバに仕える人たちから,力と励ましを得ることができます。

      エレミヤがだれを友にしたかを考えると,何を学べますか。

      13 63ページに描かれているとおり,エベド・メレクは,エレミヤの良い友であることをどのように示しましたか。

      13 エベド・メレクも,エレミヤの味方として際立っています。激怒した君たちがエレミヤを死なせようとして空の水溜めに投げ込んだ時,外国人であるエチオピア人エベド・メレクは,エレミヤを守るために果敢に行動しました。彼は宦官,つまり王の家の役人でした。“ベニヤミンの門”に座っていたゼデキヤに人前で近づき,勇敢にも,泥深い水溜めからエレミヤを救出する許可を求めました。救出のために30人の男たちを連れて行ったことからすると,エレミヤの敵たちによる実力阻止を予期していたようです。(エレ 38:7-13)エベド・メレクとエレミヤとの間にどれほどの交友があったかは分かりませんが,二人は良い友だったに違いありません。どちらもエホバを友としていたからです。エベド・メレクは,エレミヤがエホバの預言者であることを知っていました。君たちの行ないを「悪」と呼び,地位を失う危険があったにもかかわらず正しいことを行ないました。確かに,エベド・メレクは良い人でした。だからこそ,エホバはエベド・メレクにこう保証なさいました。「わたしは[エルサレムの災いの]日,あなたを救い出す……。あなたがわたしに依り頼んだからである」。(エレミヤ 39:15-18を読む。)なんと素晴らしい褒め言葉でしょう。あなたも,このような人を友にしたいと思いませんか。

      14 シャファンの家族について,また彼らとエレミヤの関係について,どんなことが分かっていますか。

      14 エレミヤの友の中には,シャファンの息子3人と孫1人もいました。彼らは高位の一族で,シャファンはかつて書記官としてヨシヤ王に仕えていました。エレミヤが初めて敵たちに命を狙われた時のことについて,『シャファンの子アヒカムの手がエレミヤと共にあった。彼を民の手に渡すことのないためであった』と記されています。(エレ 26:24)アヒカムには,ゲマルヤという兄弟がいました。バルクが神の裁きの宣告を人々の前で読み上げた時,ゲマルヤの息子ミカヤはそれを聞き,父親と他の君たちに知らせました。彼らはエホヤキムの反応を案じて,エレミヤとバルクに身を隠すよう勧めます。王は神からの音信を退けますが,その時,巻き物を焼かないようにと嘆願した人たちの中にゲマルヤもいました。(エレ 36:9-25)エレミヤはシャファンの別の息子エラサに,バビロンで流刑になっているユダの人々への預言的な手紙を託しました。(エレ 29:1-3)このように,シャファンの息子3人と孫1人は神の預言者エレミヤを支えました。そのような人たちがいてくれることを,エレミヤは本当にありがたく思ったに違いありません。食べ物の好みが似ているとか,共通の娯楽や趣味があるとかいった理由で友だったのではありません。彼らの友情にはもっと重要な基盤がありました。

      友を賢明に選ぶ

      15 友を選ぶ点で,エレミヤはどんな良い手本を残していますか。

      15 エレミヤが周囲の人々にどう接したかを見ると,教訓が得られます。良い人も悪い人もいました。王,君たち,偽預言者たち,軍勢の長たちは,音信を曲げるようエレミヤに圧力をかけました。しかし,エレミヤは妥協しませんでした。その姿勢ゆえにそれらの人たちから疎まれましたが,彼らの友になろうとはしませんでした。エレミヤにとって,最良の友はいつもエホバ神でした。神に忠実であるために憎まれるのであれば,それを甘受するつもりでした。(哀歌 3:52-59を読む。)とはいえ,すでに見たとおり,エホバに仕えようと決意していたのはエレミヤだけではありません。

      16,17 (イ)エホバの僕は,良い友からどんな助けを得ることができますか。(ロ)どの国に住んでいるとしても,良い友をどこで見いだせますか。

      16 エベド・メレクが良い友だったのは,エホバへの信仰と信頼を抱いていたからです。彼には,エレミヤの命を救うために断固たる行動を取る勇気がありました。バルクは,進んでエレミヤと共に多くの時間を過ごし,エホバからの音信を伝えるのを助けました。今日のクリスチャン会衆内の良い友も非常に貴重な存在です。20歳の正規開拓者キャメロンは,開拓者のカーラという姉妹から受けた良い感化に感謝しています。「エホバをいつも第一にして生活するよう,カーラは手本と言葉で励ましてくれました」とキャメロンは言います。二人の住まいは離れていましたが,カーラは定期的に電話や手紙でキャメロンの様子を確かめ,互いに励まし合いました。キャメロンはこう語ります。「カーラはわたしの家族のことをよく知っていました。わたしの姉がどうしているか,姉が反抗して真理から離れてしまったためにわたしがどれほど辛い思いをしているか,分かってくれていました。ずっと力になってくれました。今のわたしがあるのは,カーラの良い影響や助けのおかげです。かけがえのない友です」。

      64ページの図版

      17 あなたもクリスチャン会衆内で,年齢を問わず,良い友を見いだせます。あなたと同じ信仰,価値観,エホバへの愛,希望を抱く兄弟姉妹です。似たような試練に直面している人もいるでしょう。そのような人たちと,クリスチャン宣教において肩を並べて働くことができます。困難を経験している時には励ましてもらえますし,あなたもそうできます。エホバへの奉仕を順調に行なっている時には一緒に喜べます。しかも,このような友情は永遠に続きます。―箴 17:17; 18:24; 27:9。

      18 友の選択に関してエレミヤから何を学べますか。

      18 友の選択に関してエレミヤから学べる教訓は明らかです。議論の余地のない次の真理を心に留めてください。聖書の教えに反する考え方をする人を友にしながら,自分の信条に背かずにいることなどできません。この点を踏まえて行動することは,エレミヤの時代と同様,今日でも重要です。エレミヤは,任務を忠実に果たしてエホバからの祝福を受けるために,当時の大半の人々と異なっていることをいといませんでした。あなたもそうではありませんか。エレミヤは,自分と同じ信仰を持つ人,任務を果たす際に支えてくれる人を友としました。今日の忠実なクリスチャン各人は,友を賢明に選んだエレミヤから確かに教訓を学べます。―箴 13:20; 22:17。

      だれを友とするかしないかを決める際,どのようにエレミヤの手本に倣えますか。

  • 「どうか,エホバの声に従ってください」
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第6章

      「どうか,エホバの声に従ってください」

      1,2 「みんなの道」に従う人の多くは,どんな態度を示しますか。わたしたちがそうすべきでないのはなぜですか。

      現代社会では,従順は好まれません。多くの人は決定を下す際に,『正しいことを行なう』といった一般的な指針にさえ従いません。『自分がしたいことをしよう』,『罰を受けないようにうまくやろう』と考えているようです。車のドライバーは信号を無視し,投資家は金融関係の法令を破り,政府高官は自分が制定に携わった法律を犯します。間違った有害な道であっても「みんなの道」を突っ走るという態度は,エレミヤの時代にも広く見られました。―エレ 8:6。

      2 全能の神の恵みを受けたいと願う人は,「みんなの道」に従うわけにはいきません。注目すべきことにエレミヤは,「エホバの声に従わなかった」人々と,神に従おうとする人々との違いを示しています。(エレ 3:25; 7:28; 26:13; 38:20; 43:4,7)わたしたちは,この点で自分はどうかと考えるべきです。なぜでしょうか。サタンがいっそう悪らつな仕方で真の崇拝者たちの忠誠に攻撃を仕掛けているからです。サタンは蛇のように,獲物を待ち伏せして不意に致命的な一撃を加えます。しかし,エホバの声に従おうと心に決めているなら,サタンの毒牙から身を守ることができます。では,どうすれば,エホバに従う決意を強めることができるでしょうか。エレミヤの記した書が役に立ちます。

      わたしたちが従うべき方

      3 エホバに従うべきなのはなぜですか。

      3 エホバに固く従うべきなのはなぜでしょうか。一つの理由がエレミヤの言葉に示されています。彼は神を,「その力によって地を造った方,その知恵によって産出的な地を堅く立てた方」と呼んでいます。(エレ 10:12)エホバは宇宙の主権者です。わたしたちは,他のどんな支配者よりも神を恐れるべきです。エホバは,ご自分の命令に従うことを求める絶対的な権利を有しておられます。神の命令は賢明であり,わたしたちに永続的な最善の益をもたらします。―エレ 10:6,7。

      69ページの図版

      エホバからの「生ける水」を飲むと,従順であるよう強められる

      4,5 (イ)干ばつの時期に,ユダの人々はどんな真理を学びましたか。(ロ)ユダの住民は,エホバが与えてくださる「生ける水」をどのようにして無駄にしましたか。(ハ)わたしたちはどうすれば,神からの「生ける水」を飲むことができますか。

      4 エホバは,宇宙の支配者であるだけでなく,わたしたちの命を支える方でもあられます。この点は,エレミヤの時代のユダの人々に印象深い仕方で示されました。エジプトの地はナイル川の水に大いに依存していましたが,約束の地はそうではありませんでした。神の民は季節的な雨にかなり依存しており,雨水を地下の水溜めに蓄えました。(申 11:13-17)産物を出せるよう地に雨を降らせることができるのは,エホバだけでした。エホバは,必要な雨をとどめることもできました。ですから,エレミヤの時代の不従順なユダの人々は厳しい干ばつを幾度も経験し,畑やぶどう園は干からび,井戸や水溜めは干上がってしまいました。―エレ 3:3; 5:24; 12:4; 14:1-4,22; 23:10。

      5 ユダの人々は文字どおりの水を大切にしましたが,エホバが惜しみなく与えてくださる「生ける水」は退けました。故意に神の律法に背き,周辺諸国との同盟に頼ったのです。水が乏しい時に,ひびの入った水溜めに水を注ぎ入れても,水を蓄えることはできません。ユダの人々はそれと似た空しさを味わいました。(エレミヤ 2:13; 17:13を読む。)わたしたちは,そのような歩みをして大きな災いを身に招くことは避けたいと思います。エホバは,霊感によるみ言葉に基づく導きを豊かに与えてくださっています。その「生ける水」から益を得るには,それを定期的に研究し,それに沿って生きるよう努力しなければなりません。

      6 (イ)エホバに従う点で,ゼデキヤ王はどんな態度を示しましたか。(ロ)ゼデキヤは愚かだった,と言えるのはなぜですか。

      6 ユダに対する神の清算の日が近づくにつれ,従順はますます重要になりました。ユダの人々は各自,エホバの恵みと保護を望むなら,悔い改めて神に従う必要がありました。ゼデキヤ王もそうする必要がありました。彼は,正しいことを行なう点で確固としていませんでした。エレミヤを殺したいと臣下が言ったとき,ゼデキヤにはそれを拒む強い意志がありませんでした。前の章で見たとおり,エレミヤはエベド・メレクの助けによって生き延びました。その後ゼデキヤに,「どうか,エホバの声に従ってください」と勧めます。(エレミヤ 38:4-6,20を読む。)ゼデキヤは,自分自身の益のために,神に従う決意を固める必要があったのです。彼はそうするでしょうか。

      神に従うようにとエレミヤが幾度もユダの人々に勧めたことは,なぜ適切でしたか。

      今エホバに従うことが必要

      7 あなたの従順が試されるどんな状況がありますか。

      7 エレミヤの時代と同様,今日でも従順は重要です。エホバに従おうというあなたの決意はどれほど強固でしょうか。うっかりインターネットのポルノサイトを開いてしまった場合,それを見つづけますか。それとも,誘惑に負けずに,その画面を消すでしょうか。職場や学校で,信者でない人からデートに誘われたらどうしますか。断わるだけの強さがあるでしょうか。背教者の文書やサイトを見てみたくなりますか。それとも,退けるでしょうか。このような場合,エレミヤ 38章20節の言葉を心に留めましょう。

      8,9 (イ)長老たちから援助を差し伸べられるとき,耳を傾けるべきなのはなぜですか。(ロ)長老たちから同じ助言を繰り返し受けるとき,それをどう見るべきですか。

      8 エホバはご自分の民に何度もエレミヤを遣わし,次のように勧告させました。「どうか,各々自分の悪い道から立ち返り,あなた方の道とその行ないを良いものとするように」。(エレ 7:3; 18:11; 25:5。エレミヤ 35:15を読む。)今日のクリスチャンの長老たちも,霊的に危険な状態にある仲間の信者を助けるために最善を尽くします。ですから,愚かな歩みや間違った歩みを避けるよう長老から助言を受けたなら,耳を傾けましょう。長老たちはエレミヤと同じ願いでそうしているのです。

      9 長老たちは,以前に助言した時と同じ聖書の原則を引き合いに出すかもしれません。忘れてはならない点として,繰り返し助言を与えるのは容易なことではありません。しかも,助けの必要な人がエレミヤの時代のユダの多くの人に似た態度を示す場合,いっそう難しくなります。繰り返し援助しようとする長老たちの努力を,エホバの愛の表われと見るようにしましょう。さらに,人々が良い反応を示したならエレミヤは警告を繰り返す必要はなかった,という点も覚えておきましょう。助言をすぐに適用するなら,繰り返し助言されることはないのです。

      70ページの図版

      長老たちから援助を差し伸べられたなら,耳を傾けましょう

      エホバの許し ― 惜しみなく,しかし無条件にではない

      10 エホバが無条件で罪を許されるわけではないのはなぜですか。

      10 どれほど努力しても,この事物の体制でエホバに完全に従うことはできません。ですからわたしたちは,エホバが失敗を快く許してくださることに感謝しています。とはいえ,エホバは無条件で罪を許されるわけではありません。なぜでしょうか。エホバにとって罪は嫌悪すべきものだからです。(イザ 59:2)それゆえ,わたしたちが許しに値するかどうかを確かめようとされます。

      11 罪を隠しおおせないのはなぜですか。

      11 すでに見たとおり,エレミヤの時代,ユダの多くの人は習慣的に神に背いて,神の辛抱と憐れみに付け込んでいました。今日の神の僕の中にも,そのような傾向を示す人がいます。エホバの諭しを無視し,罪を習わしにするようになるのです。姦淫となる結婚をする人などの場合には,それが他の人の目にも明らかになるでしょう。とはいえ,罪が人目に触れない場合でも,エホバに背く人は危険な道を歩んでいます。裏表のある生き方をしている人は『だれにも知られはしない』と考えるかもしれませんが,実際には神が思いと心の中を見ておられます。神は,人がひそかに行なうこともご覧になれます。(エレミヤ 32:19を読む。)では,だれかが神に背いたなら,何がなされるべきでしょうか。

      12 長老たちは,会衆を守るために何をしなければならない場合がありますか。

      12 エホバはエレミヤを通して何度も助けを差し伸べましたが,ユダの多くの人はそれをはねつけました。今日でも,重大な罪を犯した人が悔い改めず,長老たちの助けを拒むことがあります。そのような場合,長老たちは聖書の指示に従って,会衆を守るために悪行者を排斥しなければなりません。(コリ一 5:11-13。73ページの「律法なしで生きる」という囲みを参照。)これは,その人にはもはや希望がなく,エホバの恵みのもとに決して帰れない,ということでしょうか。そうではありません。イスラエル人は長年にわたって反逆的な態度を示していましたが,神はこう言われました。「背信の子らよ,帰れ。わたしはあなた方の背信の状態をいやすであろう」。(エレ 3:22)a エホバは,ご自分のもとに帰って来るようにと悪行者たちを招いておられます。実のところ,そうするよう命じておられるのです。

      律法なしで生きる

      エルサレムの滅びの後,ユダの人々はどんな生活をしていたのでしょうか。エレミヤの記した哀歌 2章9節から,幾らかの点が分かります。エルサレムを守っていた城壁は破壊されていました。門も壊されていたようです。しかし,もっと悪いことに,『律法がない』状態が見られました。これは,生存者たちが手に負えない暴徒と化していた,ということでしょうか。そうではなく,ユダの人々がかつて享受していた霊的な安全と慰めが失われたことを指しているようです。かつては,忠実な祭司や預言者たちが神の律法を教えていました。しかし今や,人々が注目する偽預言者たちは,エホバからの本物の「幻」つまり指示を伝えていませんでした。彼らが「幻で見た」事柄は価値のないものでした。―哀 2:14。

      クリスチャン会衆から排斥された人は,自分も同様の状況にあると感じるかもしれません。かつて享受していた霊的兄弟姉妹との温かい交友や,長老たちからの愛ある世話は,もうありません。肝要な霊的教えも,もはや受けることができません。エホバからの『律法のない』この世にあって,深い喪失感を味わっていることでしょう。しかし,エホバのみ前での是認された立場を取り戻して,豊かな祝福を再び享受することは可能です。(コリ二 2:6-10)とはいえ,エホバに従って,律法のない状態に陥らないようにするほうが,はるかに良いのではないでしょうか。

      過ちを犯したときに神の許しを求めるのが賢明な道なのはなぜですか。

      エホバに従う ― エホバのもとに帰ることにより

      13 エホバのもとに帰るには,何を自覚する必要がありますか。

      13 エレミヤが示しているとおり,神のもとに帰るには,『自分は何をしたのか』と考える必要があります。そして,聖書の規準に照らして事実を正直に受け入れるべきです。エレミヤの時代,悔い改めていないユダの人々はそのような自己吟味を避け,自分の罪の重さを認めようとしませんでした。それでエホバは,その人々を許されませんでした。許すことができなかったのです。(エレミヤ 8:6を読む。)その人々とは対照的に,罪を悔い改めた人は,エホバに背くことによって神のみ名とクリスチャン会衆に非難をもたらしてしまったということを自覚します。真に悔い改め,罪のない人たちに害を及ぼしたことも深く悲しみます。自分の悪行の影響すべてを認めて初めてエホバに許しを求めることができる,ということを自覚します。とはいえ,神の恵みのもとに帰るためには,それ以上のことが必要です。

      14 人はどのようにして『エホバのもとに帰り』ますか。(「悔い改めとは何か」という囲みも含める。)

      14 真に悔い改めた人は,自分の動機,欲求,習慣を探り出します。(哀歌 3:40,41を読む。)そして,自分の弱さが表われている分野を調べます。例えば,異性との交友,飲酒や喫煙,インターネットの使用,商取引といった分野です。家を清潔に保とうとする主婦が目につきにくい台所の隅も磨くように,悔い改めた人は,自分の考えや独りきりの時の行動も清くしようと一生懸命に努めるはずです。神のご要求を果たし,神の規準に従うことによって,『エホバのもとに帰る』必要があるのです。エレミヤの時代のユダには,「偽って」エホバのもとに帰る人たちがいました。悔恨の情を抱いているふりをしながら,心と生き方は少しも変えていませんでした。(エレ 3:10)他方,真剣に許しを求める人は,エホバや会衆を欺こうとはしません。単に面子<メンツ>を保つことを望んだり,真理にいる親族や知人との付き合いの回復を望んだりするのではなく,犯した悪を完全に捨て去って,神の許しと恵みを受けられるようになることを望むのです。

      悔い改めとは何か

      悔い改めと関連した聖書中のヘブライ語とギリシャ語の言葉は,人の態度と関係があります。その人は,自分が歩んでいた,あるいは歩もうとしていた悪い道に関して思いを変化させるのです。それらの言葉は,そのような人が抱く後悔の念や,慰めによる安らぎの気持ちも表わしています。(サム二 13:39。ヨブ 42:6)聖書が明らかにしているとおり,真の悔い改めには,心からの強い感情に動かされた行動が伴います。罪を悔い改めたと言う人すべてにエホバが期待しておられるのは,このような悔い改めです。―エレ 31:18,19。

      15 真に悔い改めた人は,どんな祈りを神にささげますか。

      15 祈りは,悔い改めの肝要な要素です。古代には,祈る際に天に向けて手を上げることがよくありました。今日,真に悔い改めた人は,祈る際,エレミヤが述べているように『神に向かって,たなごころと共に,自分の心をももたげ』ます。(哀 3:41,42)後悔の念に動かされて,許しを求める懇願に調和した行動を取ります。その人の祈りは,誠実なもの,まさに心からのものです。

      75ページの図版

      『あの時,耳を傾けていればよかった』

      16 神のもとに帰るべきなのはなぜですか。

      16 自分の誤ちを真に認めた人は,誇りの気持ちを克服しなければならないかもしれません。しかし大切な点として,エホバは,罪を犯した人がご自分のもとに戻って来ることを望んでおられます。人の心に純粋な悔恨の念が見られるなら,神の心が反応します。神の優しい感情は『騒ぎ立ち』ます。流刑から帰還したイスラエル人を許されたのと同様,罪を悔い改めた人すべてを許したいと願っておられるからです。(エレ 31:20)神はご自分に従う人に平安と希望を差し伸べてくださっています。このことを考えると前向きな見方ができるのではないでしょうか。(エレ 29:11-14)献身した神の僕たちの間に再び身を置けるのです。

      従うことは保護となる

      17,18 (イ)レカブ人とはどんな人たちですか。(ロ)77ページに描かれているように,彼らはどんなことで知られていますか。

      17 エホバに固く従うなら,安全な道を歩めます。エレミヤの時代のレカブ人の例から,その点を学べます。それより2世紀以上前,彼らの父祖であるケニ人エホナダブは忠節にエヒウを支持しました。そして,自分の子孫に幾つかの禁止命令を与えました。その一つは,ぶどう酒を飲むことを禁じる命令でした。エホナダブの死後かなりたっても,レカブ人は彼の命令に従っていました。エレミヤはレカブ人を神殿の食堂に連れて行って彼らの前にぶどう酒を置き,飲むように勧めて彼らを試します。彼らは,「わたしたちはぶどう酒は飲みません」と答えます。―エレ 35:1-10。

      18 レカブ人にとって,はるか昔に死んだ先祖の命令に従うのは重要なことでした。ですから真の崇拝者は,生ける神の命令になおのこと熱心に従うべきです。エホバは,従おうというレカブ人の決意に注目なさいました。ユダの人々の不従順さとはまさに対照的だったのです。神はレカブ人に,迫り来る災いからの保護を約束なさいました。これを現代に適用すると,エホバに固く従う人たちは大患難の際に必ず保護される,と言えるのではないでしょうか。―エレミヤ 35:19を読む。

      77ページの図版

      重大な罪を悔い改めることが従順の重要な一面であるのはなぜですか。悔い改めが必要になるような事態を避けるのに,従順はどのように助けになりますか。

      エホバに従う人は孤独ではない

      19 神に従うなら,どんな保護を与えていただけますか。

      19 神がご自分の民を保護して世話なさるのは,昔だけのことではありません。現在でもエホバは,従順な人々を霊的な危険から保護しておられます。古代の都市を保護していた高い城壁のように,神の律法は,それを研究して常に適用する人たちを保護します。あなたは,道徳面での神の規定という保護壁の内側にとどまりますか。そうすれば必ず物事が良く運びます。(エレ 7:23)多くの経験がそれを実証しています。―「エホバに従うなら保護される」という囲みを参照。

      20,21 (イ)エホバに仕える人はどんなことを確信できますか。(ロ)エホヤキム王は,エレミヤを通して与えられた神からの音信にどう反応しましたか。

      20 家族から反対を受けることもあれば,職場や学校で,あるいは当局者から反対を受けることもあります。そのような場合,神に仕えるのはかなり難しくなります。とはいえ,どれほど困難な状況にあってもエホバに固く従うなら支えていただける,と確信できます。忘れないでください。神はエレミヤに,あなたは厳しい反対を受けることになるが,わたしがあなたを支えると約束し,実際にそうなさいました。(エレミヤ 1:17-19を読む。)例えばエホヤキム王の時代に,神からの支えが明らかになりました。

      21 神の代弁者に反対したイスラエルの支配者は何人もいますが,エホヤキムは特に激しい怒りを抱いて反対しました。そのことは,エレミヤの時代のエホバの預言者ウリヤの事例から分かります。邪悪な王エホヤキムは,国境を越えてまでウリヤを追跡させました。そして,預言者ウリヤが連れ戻されると,彼を殺させました。(エレ 26:20-23)エホヤキムの治世の第4年,エホバはエレミヤに,その時までにご自分が語った言葉をすべて書き記して神殿で読み上げるように,とお命じになりました。エホヤキムはエレミヤの巻き物を手に入れ,廷臣に朗読させます。朗読の途中で王は,一部の君たちが止めたにもかかわらず,巻き物を引き裂いて次々に火に投げ込みました。それから,エレミヤとバルクを捕縛するために人を遣わします。どうなりましたか。「エホバは彼らを隠しておかれた」と記されています。(エレ 36:1-6。エレミヤ 36:21-26を読む。)エホバは,これら二人の忠実な人たちがエホヤキムから危害を受けないようにされたのです。

      エホバに従うなら保護される

      スペインの若い証人は,エホバに従うことの大きな益を経験しました。こう書いています。「学校で,同じクラスの女の子からデートに誘われました。とてもかわいい子でしたが,エホバを愛していない子とのデートは危険だと分かっていました。

      「そのころ,同級生たちから,学年末のパーティーに来るよう圧力をかけられました。行かない理由を聖書から説明すると,ばかにされました。のけ者になったように感じました。会衆の長老に相談したら,『兄弟の決定や道徳規準を尊重してくれない子と本当の友達になれると思う?』と尋ねられました。その言葉のおかげで力がわいてきて,同級生の圧力に耐えることができました。

      「そうして本当に良かったと思います。そのパーティーで,一人の女の子がレイプされました。そしてその晩,同級生3人が車の事故で重傷を負いました。運転していた子がお酒を飲んでいたのです。僕もパーティーに行っていたら,その車に乗っていたかもしれません。エホバに感謝しています。圧力に負けずにエホバに従えるよう強めてくださったからです」。

      22,23 中央アジアの姉妹の経験から,神の支えについてどんなことが分かりますか。

      22 今日でもエホバは,ふさわしいとお考えになる場合には,ご自分の僕たちを危険から守られます。そして多くの場合,神に従って良いたよりを宣べ伝え続けるのに必要な勇気と知恵を与えてくださいます。4人の子どものいるひとり親の女性の例を考えましょう。ここではギュリスタンと呼ぶことにします。彼女はエホバに支えられてきました。王国伝道の活動に当局者が反対している中央アジアの広大な地域で,ある時期,エホバの証人は彼女一人だけでした。一番近い会衆も400㌔以上かなたなので,円熟したクリスチャンとはめったに交われません。しかし,反対や様々な問題に負けず,家から家に伝道して,関心のある人を大勢見いだしています。最近の報告によれば,20人もの人との聖書研究を司会し,増え続けるエホバの羊の群れを世話しています。

      23 神は,エレミヤやギュリスタンのような証人たちを助けてこられたように,あなたや他の従順な僕たちも進んで助けてくださいます。自分の支配者として人間より神に従おう,と決意しましょう。そうすれば,反対や障害に面しても,区域の人々の前で唯一まことの神を公に賛美し続けることができます。―エレ 15:20,21。

      24 従順であるなら,現在もどんな益を得ることができますか。

      24 創造者から独立して生きるなら,本当の喜びや満足は得られません。(エレ 10:23)従順に関してエレミヤが記した事柄を考察した今,あなたはどんな分野で自分の歩みをいっそうエホバに導いていただきたいと思いますか。神の命令は,素晴らしい幸福と成功に至る生き方をするための唯一の導きです。「わたしの声に従え」とエホバは促しておられます。そうすれば『物事は良く運ぶ』のです。―エレ 7:23。

      あなたは神との関係において,エレミヤ書に収められている従順に関する教訓をどのように適用できますか。

      a ここでエホバは,北のイスラエル王国に語りかけておられます。エレミヤがこの音信を伝えた時,その十部族王国の民はすでに100年ほど流刑の生活を送っていました。エレミヤは,その民がいまだに悔い改めていないことを知っていました。(王二 17:16-18,24,34,35)とはいえ個々の人は,神の恵みのもとに帰ることができ,流刑から帰還することさえ可能でした。

  • 『わたしは疲れた魂を十分に潤す』
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第7章

      『わたしは疲れた魂を十分に潤す』

      1 あなたは,新しい世でのどんな祝福を特に楽しみにしていますか。

      「新しい世」。この言葉を聞くと,予告されている目に見える祝福が思い浮かびます。完全な体,豊富で健康に良い食物,おとなしい動物たち,安心して暮らせる住まいといった祝福です。そうした期待の根拠となる聖句も思い出せるでしょう。とはいえ,霊的な健康や感情面での健康という祝福を忘れてはなりません。それがなければ,他のどんな喜びもやがて失われてしまうからです。

      2,3 エレミヤの書を読むと,どんな特別な祝福への期待が高まりますか。

      2 神は,エレミヤを通してバビロンからのユダヤ人の帰還を予告した際,帰還する人々がどのように感じるかについて,こう言われました。「あなたはなおも自分のタンバリンで身を飾り,笑っている者たちの踊りの中へ実際に出て行くであろう」。(エレミヤ 30:18,19; 31:4,12-14を読む。)そして,わたしたちの心に訴える事柄を述べておられます。「わたしは疲れた魂を十分に潤し,弱り果てたすべての魂を満たす」。「新英語訳」は,この神の約束を次のように訳しています。「わたしは,うみ疲れた者たちの必要を十分に満たし,弱り衰えた者たちの魂を十分にさわやかにする」。―エレ 31:25。

      3 なんと素晴らしい見込みでしょう。エホバは,疲れて落胆した人を十分に潤し,満足させてくださるのです。神は約束を果たされます。エレミヤの書を読むと,わたしたちも満たされるという確信を抱けます。それだけではありません。どうすれば今でも励ましを受けて楽観的な見方ができるかが分かります。さらに,魂の疲れた人を励ます実際的な方法も学べます。その人が自分の魂を満足させるのを助ける方法です。

      4 わたしたちがエレミヤの気持ちを理解できるのはなぜですか。

      4 エレミヤは,この約束から慰めを得ました。わたしたちも慰めを得られます。なぜでしょうか。この本の第1章で考えた点を思い出してください。エレミヤは,エリヤと同じく,「わたしたちと同様の感情を持つ人」でした。(ヤコ 5:17)では,どんな理由でエレミヤが落胆し意気消沈したか,調べてみましょう。その際,自分も同じような状況に置かれたらどう感じるだろう,どんな場合に落胆するだろうか,と考えてみてください。―ロマ 15:4。

      5 エレミヤの落胆にはどんな理由があったと思われますか。

      5 エレミヤの落胆の理由の一つは,故郷の町にあったと思われます。エレミヤが育ったアナトテはレビ人の都市で,エルサレムの北東数キロの所にありました。アナトテにはこの預言者の知人が,そしておそらく親族もいたことでしょう。預言者は自分の故郷では尊ばれない,とイエスは述べましたが,エレミヤの場合がそうでした。(ヨハ 4:44)アナトテの人々は,エレミヤに対して無関心だったり不敬だったりしただけではありません。ある時エホバは,「アナトテの人々」が「[エレミヤ]の魂を求めて」いる,と言われました。人々は敵意をあらわにして,「あなたはエホバの名によって預言してはならない。あなたがわたしたちの手にかかって死なないためだ」と述べました。味方してくれるはずの隣人や,もしかすると親族からも,そのようなひどい脅しを受けたのです。―エレ 1:1; 11:21。

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      6 職場の人などから反対を受けるとき,「アナトテの者たち」に関するエレミヤの経験はどのように助けとなりますか。

      6 あなたも,隣人やクラスメートや職場の人から,あるいは家族から圧力を受けるとき,エホバがどのようにエレミヤを扱われたかを考えると慰めが得られるでしょう。神は,預言者エレミヤに反対するアナトテの人々に『自分の注意を向ける』,と言われました。(エレミヤ 11:22,23を読む。)この保証の言葉は,エレミヤがそのような反対ゆえの落胆を克服する助けになったに違いありません。神は注意を向けられ,その結果,後に確かに「アナトテの者たちの上に災い」が下りました。あなたも,エホバが事態を見守り,注意を向けておられることを確信してください。(詩 11:4; 66:7)あなたが聖書の教えに従うことを「ずっと続け」,正しいことを行なっていくなら,それがきっかけとなって,反対していた人たちも災いを免れるようになるかもしれません。―テモ一 4:16。

      神がご自分の民の気持ちに関心を抱いておられることは,エレミヤ書のどんな記述から分かりますか。そのことはエレミヤにとってどのように力となったと思いますか。

      落胆の原因となる行為

      7,8 エレミヤはどんなひどい仕打ちを受けましたか。そのためにどう感じましたか。

      7 エレミヤは,故郷の人々からの言葉による脅しを受けただけではありません。ある時,エルサレムの著名な人である祭司パシュフルが,神からの預言を聞いて,『預言者エレミヤを打ち,足かせ台につなぎ』ました。a (エレ 20:1,2)「打つ」というのは,顔を平手で打つよりはるかにひどい行ないだったようです。パシュフルはエレミヤに最大40回のむち打ちを加えた,と考える人もいます。(申 25:3)痛みに耐えるエレミヤを人々はあざけり,ののしり,つばを吐きかけたかもしれません。でも,それだけではありませんでした。パシュフルはエレミヤを夜通し「足かせ台」につないでおきました。ここで用いられているヘブライ語の表現は,体がねじ曲げられたことを示唆しています。ですからエレミヤは,おそらく木製の枠に体を固定され,一晩じゅう激しい痛みに耐えたのです。

      8 こうした仕打ちを受けて,エレミヤはどう感じたでしょうか。神に向かって,「わたしは一日じゅう笑い物となりました」と述べています。(エレ 20:3-7)神の名によって語ることをやめようとさえ思いましたが,そうすることはできませんでした。むしろ,伝えるように神からゆだねられた音信が「[エレミヤ]の骨の中に閉じ込められた燃える火のように」なったので,エホバの言葉を語らずにはいられなかったのです。―エレミヤ 20:8,9を読む。

      84,85ページの図版

      9 エレミヤの経験を熟考すると力が得られるのはなぜですか。

      9 わたしたちは,親族や近所・職場・学校の人などから悪意に満ちたあざけりを受けるとき,この記述から力が得られます。そのような反対によって少し落胆するとしても,驚かなくてよいのです。真の崇拝を固守するゆえに,身体的な虐待を受けて落胆することもあるでしょう。不完全な人間であるエレミヤは,そうしたことから影響を受けました。わたしたちも彼と同じく,人間としての感情を持っているのではないでしょうか。とはいえ,エレミヤが神の助けによって喜びと確信を取り戻した,ということを忘れてはなりません。落胆がいつまでも続くことはありませんでした。わたしたちも,落胆を長引かせないようにすることができます。―コリ二 4:16-18。

      10 エレミヤの感情について,聖書からどんなことが分かりますか。

      10 エレミヤの感情は大きく浮き沈みすることがありました。あなたも,そのような経験があるのではないでしょうか。楽観的で積極的な気持ちでいたのに,急に落ち込んで憂うつになってしまう,という経験です。明るい気持ちが,エレミヤ 20章12,13節に記されています。(読む。)パシュフルから虐待を受けた後,エレミヤは「悪を行なう者たちの手から」救い出された「貧しい者」のようであることを歓びました。あなたも,気分が高揚して,エホバに向かって歌いたくなることがあるでしょう。何らかの事態から救い出された後や,生活やクリスチャンの奉仕でうれしいことがあった時などです。そのような気持ちはなんと素晴らしいのでしょう。―使徒 16:25,26。

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      反対やあざけりはわたしたちの感情にどんな影響を及ぼすだろうか

      11 感情の浮き沈みがあるなら,エレミヤに関するどんなことを思い出せますか。

      11 とはいえ,わたしたちは不完全なので,感情の浮き沈みがあります。エレミヤもそうでした。「エホバに向かって歌え!」と言った後,深い絶望感に襲われました。涙を流したかもしれません。(エレミヤ 20:14-16を読む。)意気消沈して,自分は生まれてこなかったほうがよかった,とまで考えました。憂うつな気分になり,わたしの誕生を知らせた人はソドムやゴモラと同じほど嘆かわしい存在である,と言いました。しかし,大切な点があります。エレミヤはいつまでも絶望していたでしょうか。落胆の気持ちに押しつぶされ,あきらめてしまいましたか。いいえ,むしろ落胆の気持ちを克服するよう努力したに違いありません。そして,実際に克服しました。続く部分の記述を見てみましょう。君である,もう一人のパシュフルがゼデキヤ王から遣わされてエレミヤに近づき,エルサレムを攻囲しているバビロニア人について尋ねます。エレミヤは力を奮い起こし,エホバの裁きと事態の結末について大胆に語ります。(エレ 21:1-7)エレミヤは預言者として活発に奉仕し続けたのです。

      12,13 感情の大きな浮き沈みに対処するために何ができますか。

      12 今日の神の僕たちの中にも,感情の浮き沈みを経験する人がいます。ホルモンの急激な変化や生化学的バランスの乱れといった身体的な原因があるなら,医師から,感情の大きな揺れを抑える方法を教えてもらえるかもしれません。(ルカ 5:31)とはいえ,ほとんどの人にとって,時に浮き浮きした気分になったり憂うつになったりするのは,極端なことでも異常なことでもありません。消極的な気持ちのかなりの部分は不完全な人間の生活では避けがたい,と言えるでしょう。疲労のため,あるいは愛する人を亡くしたために,消極的になることがあります。そのような場合,エレミヤも感情の浮き沈みに対処して神の恵みのうちにとどまった,ということを思い出してください。対処するには,日常の活動を調整してもっと休息を取ることが必要かもしれません。愛する人を亡くしたのであれば,慰めを得るための時間を確保することも必要でしょう。とはいえ,クリスチャンの集会に出席すること,そして他の神権的な活動に定期的に参加することは,絶対に必要です。それが,平衡を保ちつつ喜びを抱いて神に仕えるための鍵だからです。―マタ 5:3。ロマ 12:10-12。

      13 気落ちすることが稀だとしても,よくあるとしても,エレミヤの経験が参考になるでしょう。すでに見たとおり,エレミヤはすっかり打ちひしがれてしまったことがあります。それでも,落胆したからといって,自分が愛し忠実に仕えている神から離れてしまうことはありませんでした。善を行なったのに反対者から悪を返された時には,エホバに目を向け,エホバに依り頼みました。(エレ 18:19,20,23)あなたも,エレミヤに倣うことを決意してください。―哀 3:55-57。

      落胆したり憂うつな気分になったりしたとき,エレミヤ書に記されている事柄をどのように適用できますか。

      あなたは疲れた魂をさわやかにしますか

      14 エレミヤは,おもにどのようにして励ましを受けましたか。

      14 エレミヤがどのように励まされたか,また「疲れた魂」である人々をどのように励ましたか,という点に注目するのはよいことです。(エレ 31:25)エレミヤは,おもにエホバから励ましを受けました。エホバが次のように言ってくださるなら,どれほど元気づけられるか,考えてみてください。「わたしは,見よ,今日あなたを……防備の施された都市……とした。そして彼らは必ずあなたと戦うことになるが,あなたに打ち勝つことはない。『わたしがあなたと共にいて,あなたを救い出すからである』と,エホバはお告げになる」。(エレ 1:18,19)エレミヤがエホバを,「わたしの力,わたしのとりで,苦難の日のわたしの逃れ場」と呼んだのも,もっともなことです。―エレ 16:19。

      15,16 エホバがエレミヤを励ました方法から,他の人を励ます点でどんなヒントが得られますか。

      15 エホバがエレミヤに『わたしがあなたと共にいる』と言われたことは注目に値します。ここに,励ましの必要な人のためにできる事柄に関するヒントがあります。クリスチャンの兄弟姉妹あるいは親族に励ましが必要だと気づくことと,その必要に効果的に応じることは,別問題です。多くの場合,最も効果的なのは,神がエレミヤに対してなさったとおりにすること,つまり苦しんでいる人のそばにいてあげることです。そして,ふさわしい時に,励ましの言葉をかけます。とはいえ,浴びせかけるように話してはなりません。安心させたり元気づけたりするためによく選んだ少しの言葉を述べるほうがよいでしょう。雄弁である必要はありません。関心と気遣いとクリスチャンの愛情が表われた簡単な言葉を用いましょう。そのような言葉には大きな力があります。―箴言 25:11を読む。

      16 エレミヤは,「エホバよ,わたしを思い出して,わたしに注意を向けてください」と願い求めました。どうなったでしょうか。「あなたの言葉が見いだされたので,わたしはそれを食べはじめました。わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります」と述べています。(エレ 15:15,16)あなたが励ましたいと思う人も,優しく注意を向けてもらうことを必要としているかもしれません。もちろん,あなたの言葉はエホバの言葉ほどのものではないでしょう。しかし,神の言葉を織り込んで話すことができます。心から誠実に,聖書に基づいて語るなら,落胆した人の心を本当に歓ばせることができるでしょう。―エレミヤ 17:7,8を読む。

      17 ゼデキヤとヨハナンに対するエレミヤの接し方から,どんな重要な教訓を引き出せますか。

      17 注目できる点として,エレミヤは神から励ましを受けるだけでなく,他の人を励ますこともしました。どのようにでしょうか。ある時,ゼデキヤ王はエレミヤに,バビロニア人と手を組んだユダの人々を自分は恐れている,と言いました。エレミヤは王に励ましの言葉を語り,エホバに従って良い結果を得るよう促しました。(エレ 38:19,20)その後,エルサレムが陥落し,ごく少数の人だけがユダの地に残されると,軍の長ヨハナンは,その人々をエジプトに連れて行くことを考えます。しかし,まずエレミヤに相談します。エレミヤはヨハナンの話に耳を傾けてから,エホバに祈ります。そして後日,励みとなるエホバからの答えを伝えます。その地に残るようにとの神の指示に従うなら物事はうまくいく,という答えです。(エレ 42:1-12)どちらの場合も,エレミヤは耳を傾けました。何かを述べる前に,よく聞いたのです。他の人を励ますためには,耳を傾けることがどうしても必要です。苦しんでいる人が心の内を話せるようにしましょう。不安や恐れに耳を傾けます。ふさわしいなら,励ましの言葉をかけましょう。励ましの必要な人に語る事柄を神から啓示されることはないでしょうが,神の言葉 聖書に収められている積極的な考え,将来に目を向けさせる考えを述べることができます。―エレ 31:7-14。

      91ページの図版

      18,19 レカブ人とエベド・メレクに関する記述には,人を励ます点でのどんな型が示されていますか。

      18 ゼデキヤもヨハナンも,励みとなるエレミヤの忠告を受け入れませんでした。同様に今日,あなたの励ましにこたえ応じないように思える人もいるでしょう。しかし,落胆してはなりません。エレミヤの励ましにこたえ応じる人がいたように,あなたの励ましにも多くの人がこたえ応じるでしょう。レカブ人のことを考えてみましょう。ケニ人の一族で,長年にわたってユダの人々と交流のあった人たちです。先祖のエホナダブの命令により,外人居留者である彼らはぶどう酒を飲むことを禁じられていました。バビロニア軍による攻撃中,エレミヤはレカブ人を神殿の食堂に連れて行きます。そして,神の指示に基づき,彼らの前にぶどう酒を置きます。不従順なイスラエルとは対照的に,レカブ人は,先祖に対する敬意ゆえに従順にもぶどう酒を飲もうとしません。(エレ 35:3-10)エレミヤはレカブ人に,エホバからの褒め言葉と,彼らの将来に関する約束を伝えました。(エレミヤ 35:14,17-19を読む。)あなたも人を励ます際,この型に倣うことができます。可能な場合には心から褒めるのです。

      19 エレミヤは,エチオピア人エベド・メレクに対してもそうしました。エベド・メレクは,ゼデキヤ王の宮廷で仕える役人だったようです。ユダの君たちは不当にもエレミヤを泥深い水溜めに投げ込んで放置し,死なせようとしました。エベド・メレクはゼデキヤ王に訴え出て,エレミヤを救う許しを得ます。この異国人は,暴力的な妨害を受けるおそれがあったにもかかわらず,そうしたのです。(エレ 38:7-13)彼はそのためにユダの君たちから疎んじられ,自分の将来に不安を感じたことでしょう。エレミヤは黙してはいません。エベド・メレクを力づけたいと思います。口を開き,エベド・メレクを神が祝福してくださるという励ましの言葉を伝えました。―エレ 39:15-18。

      20 あなたは様々な年齢の兄弟たちのために何をしたいと思いますか。

      20 このように,エレミヤ書には優れた手本が収められています。わたしたち各人はそれに倣うことによって,使徒パウロがテサロニケの兄弟たちに勧めた次のような事柄を行なえます。「互いに慰め,互いに築き上げることを……続けてゆきなさい。わたしたちの主イエス・キリストの過分のご親切があなた方と共にありますように」。―テサ一 5:11,28。

      疲れた魂を励ますときに,エレミヤ書から学んだどんな点を適用しようと思いますか。

      a ゼデキヤの治世中,エレミヤを殺すよう王に求めた君たちの一人も,パシュフルという名でした。―エレ 38:1-5。

  • あなたはエレミヤのように「生きつづけ」ますか
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第8章

      あなたはエレミヤのように「生きつづけ」ますか

      1,2 個人と家族の両方に注意を向けるのがもっともなのはなぜですか。

      ヨシュアは,だれに仕えるかを選ぶようにとイスラエル人に勧めた後,こう言いました。「わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます」。(ヨシュ 24:15)ヨシュアは神に忠節であろうと決意しており,自分の家族も忠節を保つと確信していました。それよりずっと後の時代,エルサレムの滅びが近づいていた時,エレミヤはゼデキヤ王に,バビロニア人に降伏すれば「あなたも,あなたの家の者も,必ず生きつづけるであろう」と告げました。(エレ 38:17)ゼデキヤ王は選択を誤り,その結果,自分も妻たちや子たちも悲惨な経験をしました。目の前で息子たちを殺され,自分は盲目にされ,捕虜としてバビロンに連れて行かれました。―エレ 38:18-23; 39:6,7。

      2 上記の斜体部分のどちらにおいても,当事者は一人ですが,家族にも言及されています。それはもっともなことです。大人は各自,神に対して責任を負っているとはいえ,イスラエル人の大半は家族の一員だったからです。クリスチャンにとっても家族は重要です。そのことは,結婚や子育てや家族内での配慮について,聖書や集会を通して学ぶ事柄から分かります。―コリ一 7:36-39。テモ一 5:8。

      異例の命令

      3,4 エレミヤの状況はどのような点で大半の人と異なっていましたか。そのことは,エレミヤにとってどのように益となりましたか。

      3 エレミヤは,当時の『生きつづけた』人たちの一人であり,エルサレムの滅びを生き残りました。とはいえ,彼の状況は大半の人とは異なっていました。(エレ 21:9; 40:1-4)結婚することや子どもを持つことなど,当時のユダの人々の生活において一般的だった事柄を,神から禁じられていたのです。―エレミヤ 16:1-4を読む。

      4 当時の文化において,結婚して子どもを持つのは普通のことでした。ユダの男性の大半はそのようにして,先祖伝来の土地を部族や家族の中に維持しました。a (申 7:14)エレミヤは,なぜそうしてはならなかったのでしょうか。前途に控えている事柄のゆえに,神は,悲しんだり歓んだりする普通の集いに加わらないよう命じておられました。エレミヤは,死を悼む人たちを慰めたり葬式後の食事を共にしたりすることも,結婚式の浮かれ騒ぎに加わることも禁じられていました。そのような宴や歓びは,やがてなくなってしまうのです。(エレ 7:33; 16:5-9)エレミヤの生き方は,彼の音信の信頼性を高めるもの,来たるべき裁きの重大性を強調するものとなりました。そしてついに,その災いが実際に臨みます。人肉を食らうまでになり果てた人々の気持ちや,愛する人の遺体が腐っていくのを見た人々の気持ちを想像できますか。(エレミヤ 14:16を読む。哀 2:20)ですから,結婚していないエレミヤは哀れではありませんでした。18か月の攻囲とそれに伴う大虐殺によって多くの家族がぬぐい去られますが,エレミヤは配偶者や子どもを亡くす悲しみを味わわずにすむのです。

      5 エレミヤ 16章5-9節の指示から,クリスチャンは何を学べますか。

      5 では,エレミヤ 16章5-9節はわたしたちにも当てはまるのでしょうか。いいえ,クリスチャンは,「どんな患難にある人たちをも慰め」,『歓ぶ人たちと共に歓ぶ』ようにと促されています。(コリ二 1:4。ロマ 12:15)イエスは結婚式に出席して,その場の歓びを増し加えたことがあります。とはいえ,現在の邪悪な事物の体制の前途には,容易ならぬ事態が待ち受けています。クリスチャンも困難や窮乏を経験するかもしれません。1世紀にユダヤから逃げたクリスチャンは忍耐して忠実を保つのに必要な事柄を行ないましたが,イエスは,そのような事柄を行なう心構えを持つことの大切さを強調しました。ですから,独身を保つか,結婚するか,子どもを持つかといった点を真剣に考えてみるべきです。―マタイ 24:17,18を読む。

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      6 エレミヤへの神の指示について熟考することは,だれにとって益となりますか。

      6 結婚したり子どもを持ったりしないようにと神がエレミヤにお命じになったことから,どんな教訓が得られるでしょうか。今日,忠節なクリスチャンの中には,結婚していない人や子どものいない人がいます。そのような人たちはエレミヤの例から何を学べますか。結婚している人や子どものいる人も,この点に注意を向けるべきなのはなぜでしょうか。

      7 エレミヤは子どもを持ってはならなかった,という点を考慮するのは今なぜ大切ですか。

      7 まず,エレミヤは子どもを持ってはならなかった,という点を考えましょう。イエスは,子どもを持つことを追随者たちに禁じてはいません。とはいえ注目すべきことに,エルサレムに患難が臨む時に妊娠している女性や乳飲み子のいる人は「災い」である,と述べました。西暦66年から70年にかけてのその時期は,そうした人たちにとって極めて困難な時となったでしょう。(マタ 24:19)今日,もっと大きな患難が臨もうとしています。ですからクリスチャンの夫婦は,子どもを持つことにするかどうかを真剣に考えなければなりません。この危機の時代はますます対処しにくくなっている,とあなたも思われるでしょう。現在の体制の終わりを切り抜けて「生きつづける」ように子どもを育てるのは非常に難しい,と多くの夫婦は認めています。子どもを持つかどうかはそれぞれの夫婦が決めるべき事柄ですが,エレミヤの例は参考になります。では,結婚もしないようにという神の命令についてはどうですか。

      エレミヤはどんな異例の命令を与えられましたか。その命令に沿って,どんなことを考えてみるべきですか。

      独身を保ったエレミヤから学ぶ

      8 神を喜ばせるために結婚が不可欠でないのはなぜですか。

      8 神は,結婚しないようにとエレミヤにお命じになりましたが,ご自分の僕すべてが従うべき規範をお定めになったわけではありません。結婚は良いものです。エホバは,地上に多くの人を住まわせるための手段として,また大きな満足と喜びの源として,結婚を創始されました。(箴 5:18)それでも,すべての人が結婚したわけではありません。エレミヤが預言していた時代,神の民と交友を持つ宦官もいたようです。b さらに,配偶者を亡くした人たちもいたはずです。ですから,真の崇拝者たちの中で,配偶者がいないのはエレミヤだけではありませんでした。もちろん,エレミヤは理由があって結婚しませんでした。今日のクリスチャンの中にもそういう人たちがいます。

      9 霊感のもとに与えられた結婚に関するどんな助言を真剣に考慮すべきですか。

      9 多くのクリスチャンは結婚しますが,皆がそうするわけではありません。イエスも結婚しませんでした。またイエスは,弟子たちの中には思いと心で独身を「受け入れる」という賜物を持つ人もいるであろう,と述べました。そして,受け入れることのできる人はそうするように,と勧めました。(マタイ 19:11,12を読む。)ですから,神への奉仕をいっそう多く行なうために独身を保とうとする人を,からかうのではなく,褒めるのはよいことです。何らかの事情で,今のところ独身でいるクリスチャンもいます。例えば,ふさわしいクリスチャンの結婚相手がいないのかもしれません。そして褒めるべきことに,「主にある者とだけ」結婚するという神の規準に従おうと決意しています。(コリ一 7:39)配偶者を亡くしたために独身になった人もいます。c 忘れないでください。神は(そしてイエスも)そのような独身の人たちを顧みてくださっています。―エレ 22:3。コリント第一 7:8,9を読む。

      10,11 (イ)エレミヤが喜びのうちに独身を保つうえで,何が助けとなりましたか。(ロ)独身の人も報いの多い生活を送れるということを裏付ける,どんな現代の経験がありますか。

      10 ですから,エレミヤは独身を保つうえで神に支えていただくことができました。どのようにでしょうか。エレミヤはエホバの言葉から喜びを得ました。それが力と安心感の源となり,何十年もの間,神からゆだねられた奉仕の務めに専念しました。さらに,独身でいることをあざけるような人たちとの付き合いを注意深く避け,そのような人たちと共にいるよりは『ただ独りで座ろう』としました。―エレミヤ 15:17を読む。

      11 多くの独身のクリスチャンが,男性も女性も,若い人も年長の人も,エレミヤの良い手本に倣っています。多くの人の経験が示すとおり,神への奉仕に打ち込んで有意義な霊的活動に十分携わることは大きな助けになります。例えば,中国語会衆で奉仕している姉妹は,次のように語っています。「開拓奉仕をしていると目標のはっきり定まった生き方ができます。独身ですが,忙しく活動的な日々を送っているので,寂しさを感じることはありません。一日の終わりにはいつも,満ち足りた気持ちになります。自分の宣教奉仕が実際に人々の助けになっている,ということが分かるからです。そういうことが,大きな喜びとなっています」。38歳の開拓者はこう述べています。「幸福の秘訣は,自分がどんな状況にあるとしても,その状況の良い面を楽しむようにすることだと思います」。南ヨーロッパの独身のクリスチャンも,率直にこう言います。「人生が自分の考えていたとおりになっていないとしても,わたしは幸福ですし,今後も幸福でいられると思います」。

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      12,13 (イ)独身と結婚について,どんな現実的な見方ができますか。(ロ)パウロの生き方と助言は,独身に関して何を明らかにしていますか。

      12 エレミヤも,人生が自分の考えていたとおりになっていない,と思ったかもしれません。それでも,結婚している人や子どものいる人の多くもそうである,ということをわきまえていたでしょう。スペインに住む開拓者もそのことに気づいています。「わたしは,幸せな夫婦もいれば幸せではない夫婦もいることを知っています。そうした現実から,自分の幸福は将来結婚するかどうかにかかっているのではない,ということがよく分かります」。エレミヤの経験は,独身者も報いの多い充実した幸福な生活を送れることを証明しています。とはいえ,彼の経験は一例にすぎません。使徒パウロの例もこの点を実証しています。パウロはこう書いています。「結婚していない人たちとやもめたちに言いますが,わたしと同じように,そのままでいるのはよいことです」。(コリ一 7:8)パウロは妻を亡くしていたのかもしれません。いずれにせよ,宣教者奉仕で大きな働きをした時,彼は独身でした。(コリ一 9:5)独身であることはパウロにとって利点だった,と言えるのではないでしょうか。独身であったゆえに「気を散らすことなく絶えず主に仕え」,多くの良い事柄を成し遂げることができたのです。―コリ一 7:35。

      「ひとりでいる時間は,わたしにとって,たいへん貴重です。祈りによってエホバと語り合うことができます。気を散らされることなく黙想と個人研究を楽しむことができます。……独身はわたしの喜びに少なからぬ貢献をしています」。―バベット

      13 パウロは霊感のもとに,「[結婚]する人たちは自分の肉身に患難を招くでしょう」とも述べています。そして,神に導かれて次の重要な真理を記しています。「心の中でしっかりと定めており,……童貞性を守ろうと自らの心の中で決めているのであれば,その人はりっぱに行動していることになります。したがって,結婚して自分の童貞性を離れる人もりっぱに行動していますが,結婚しないで,それを離れない人は,さらにりっぱに行動していることになります」。(コリ一 7:28,37,38)エレミヤはこの言葉を読んではいません。しかし,何十年にもわたる彼の歩みは,神に仕える充実した生活を送るうえで独身は必ずしも妨げにはならない,ということを証明しています。実のところ独身は,真の崇拝を中心にした非常に有意義な生活を送るのに大いに役立ちます。結婚していたゼデキヤ王はエレミヤの忠告に留意しなかったので「生きつづけ」ませんでしたが,独身のエレミヤは正しい歩みをして「生きつづけ」ました。

      長年にわたって独身を保ったエレミヤの例から,何を学べますか。

      さわやかにし,さわやかにされる

      14 アクラの家族とパウロの友情関係からどんなことが言えますか。

      14 前述のとおり,エレミヤの時代の大半の男女は結婚し,家族を持っていました。パウロの時代もそうでした。家族のいるクリスチャンのほとんどは,パウロのような外国での宣教奉仕はできませんでしたが,地元で行なえることがたくさんありました。例えば,独身の兄弟姉妹を力づけることができました。パウロがコリントに着いた時,アクラとプリスキラは彼を自分たちの家に迎え入れ,同じ世俗の仕事を一緒に行ないました。それだけではありません。この家族との交友はパウロをさわやかにしたに違いありません。一緒に食事を楽しむなど,温かな交わりの機会があったことでしょう。エレミヤもそういう機会に恵まれたでしょうか。エレミヤは,独身の立場を生かして神に仕えていましたが,隠遁生活を送っていたわけではありません。バルクやエベド・メレクなど神の熱心な僕たちの家族と温かな交友を楽しんだことでしょう。―ロマ 16:3。使徒 18:1-3を読む。

      15 クリスチャン家族はどうすれば,独身のクリスチャンにとって大きな助けになれますか。

      15 今日の独身のクリスチャンも,アクラの家族がパウロに差し伸べたような温かい交友の機会を楽しめます。家族を持つ人であれば,独身の人たちと交友の機会を持つようにしているだろうか,と考えてみることができます。ある姉妹は正直な気持ちをこう述べています。「わたしは世を後にしました。世に戻りたいとは思いません。でも,他の人たちからの気遣いや愛を必要としています。わたしたち独身のクリスチャンのためにさらに霊的食物と励ましをお与えください,とエホバに祈っています。わたしたちは支えを必要としています。皆が結婚を切望しているわけではありませんが,孤独を感じることはあります。もちろん,いつでもエホバに頼れます。でも,人とのふれ合いが必要な時に霊的な家族と話ができるとよいと思います」。大勢の独身の兄弟姉妹は,会衆内で実際にそのようなふれ合いを楽しんでいます。そして,年齢の垣根を越えてたくさんの友人を作っています。人に関心を持ち,年配の人や身近なクリスチャン家族の若者など,様々な年代の人との友情を楽しんでいるのです。

      100ページの図版

      16 あなたは,会衆内の独身のクリスチャンをさわやかにするために,どんな簡単なことを行なえますか。

      16 前もって少し考えるなら,晩の家族の崇拝など,家族の活動に独身の人を誘って,さわやかさを与えることができます。家族の食事に呼ぶことは,おいしい料理よりはるかに大きな価値があります。さらに,こちらから声をかけて,宣教奉仕を一緒に行なう約束をするのはいかがですか。家族で王国会館のメンテナンス作業に参加する際に誘ったり,一緒に買い物に行ったりすることができるでしょうか。大会や休暇で旅行に出かける際に,配偶者を亡くした兄弟姉妹や独身の開拓者を誘う家族もいます。そのような交友の機会は,双方にさわやかさをもたらしています。

      17-19 (イ)年老いた親や病弱な親の世話を取り決めるうえで,思いやりのある平衡の取れた態度が必要なのはなぜですか。(ロ)母親の世話のためにイエスが行なったことから,どんな実際的な教訓を引き出せますか。

      17 独身の兄弟姉妹に関連して考慮すべき別の分野は,年老いた親の世話です。イエスの時代,著名なユダヤ人の中には,巧妙な仕方で親の世話を免れようとする人たちがいました。自らに課した宗教上の責務は,親の世話という神から与えられた責務より重要だ,と唱えていたのです。(マル 7:9-13)クリスチャンの家族はそうであってはなりません。―テモ一 5:3-8。

      18 では,年老いた親にクリスチャンの子どもが何人かいる場合はどうですか。独身の子どもがいるなら,その人がおもに世話をするべきなのでしょうか。日本のある姉妹は次のように書いています。「結婚を望んでいても,親の世話という責任を負っていると,なかなか結婚できません。親の世話に伴うストレスや独身ゆえの心痛をエホバは理解してくださる,と確信しています」。この人には結婚している兄弟や姉妹がいて,この人に相談せずに親の世話を任せてしまっているのかもしれません。そのような場合,エレミヤも兄弟たちから不公平な扱いを受けた,という点に注目できます。―エレミヤ 12:6を読む。

      19 エホバは,独身の人のことを理解しておられ,つらい状況にある人を思いやってくださいます。(詩 103:11-14)年老いた親や病弱な親は,独身の子どもだけの親ではありません。子ども全員の親なのです。子どもの中には,結婚して家族を持っている人もいるでしょう。しかし,そのために親への自然の愛情に基づく絆がなくなるわけでも,必要な時に世話をするというクリスチャンの責務から解放されるわけでもありません。イエスは杭の上で死を目前にしていた時も,その責務を意識して,母親が世話を受けられるようにしました。(ヨハ 19:25-27)聖書には,高齢の親や病弱な親の世話の分担に関する細かな規則はありません。また,独身の子どもが親の世話の面で自動的により大きな責任を負う,ということを示唆する記述もありません。このデリケートな問題で詳細な点を決めるには,関係者全員が道理をわきまえて気遣いを示し合う必要があります。そして,母親の世話に関するイエスの手本を心に留めることができます。

      20 会衆内の独身の人たちとの交友について,あなたはどう感じていますか。

      20 エレミヤは神の霊感のもとに,こう予告しています。「彼らはもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,『エホバを知れ!』とは言わない。彼らは……皆わたしを知るからである」。(エレ 31:34)広い意味で,わたしたちはすでにクリスチャン会衆内でこのような素晴らしい交友を楽しんでいます。それには独身の兄弟姉妹との交友も含まれます。わたしたちは皆,そうした交友を通して相互にさわやかさを得たいと思っていますし,彼らに「生きつづけ」てほしいと願っています。

      独身の兄弟姉妹をさわやかにするために,また彼らからさわやかさを得るために,今後どんなことをしたいと思いますか。

      a ヘブライ語聖書中には,“未婚男子”に相当する語はありません。

      b イザヤは預言の中で,当時の文字どおりの宦官に語りかけています。彼らはイスラエル人の崇拝に,限られた範囲で参加できました。宦官たちは従順であるなら「息子や娘たちに勝ったもの」を受け,神の家で「定めのない時に至る名」を与えられる,とイザヤは予告しました。―イザ 56:4,5。

      c 配偶者(おそらく未信者)が別居や法的な離婚を選んだために,一人で生活している人もいます。

  • 「自分のために大いなることを求め」てはならない
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第9章

      「自分のために大いなることを求め」てはならない

      1,2 (イ)エホヤキムの第4年,バルクはどんな問題を抱えていましたか。(ロ)エホバはどのようにバルクを助けられましたか。

      エレミヤの忠実な筆記者であるバルクは,疲れ果てていました。邪悪な王エホヤキムの治世の第4年,つまり西暦前625年ごろのことです。エレミヤはバルクに,エルサレムとユダに関してエホバがエレミヤを通して語られた言葉すべてを巻き物に書き記すように,と命じました。それまでの23年にわたるエレミヤの奉仕期間中に語られた言葉です。(エレ 25:1-3; 36:1,2)バルクは,すぐに巻き物の内容をユダの人々に読んで聞かせたわけではありません。翌年,そうすることになります。(エレ 36:9,10)バルクには何か悩みがあったのでしょうか。

      2 彼はこううめきます。『今や,わたしは災いだ! エホバがわたしの痛みに悲嘆を加えられたからだ。わたしは自分の溜め息によって疲れ果てた』。あなたも,『疲れ果てた』と口に出して,あるいは心の中で言ったことがありませんか。バルクの場合がそのどちらだったにせよ,エホバは聴いておられました。人間の心を調べる方は,バルクの苦悩の原因をご存じでした。それで,エレミヤを通してバルクを優しく矯正なさいました。(エレミヤ 45:1-5を読む。)バルクがそれほどまでに疲れを感じていたのはなぜでしょうか。受けた割り当てのためですか。割り当てを果たす際の状況ゆえでしょうか。原因は,彼の心にありました。バルクは「大いなることを求め」ていたのです。「大いなること」とは何だったのでしょうか。助言と指示を受け入れるなら何を与えると,エホバは保証なさいましたか。バルクの経験から,わたしたちは何を学べますか。

      「大いなること」とは何だったか

      3 バルクの霊的な問題の根底には何がありましたか。

      3 バルクは,「大いなること」が何であるか分かっていたに違いありません。『神の目が人の道の上にあり,そのすべての歩みを見られる』ことを知っていました。(ヨブ 34:21)バルクがエレミヤの預言的な言葉を筆記している時に,自分には「休み場」がないと感じた原因は,割り当てそのものではありませんでした。大いなることに思えるものに対する彼自身の見方が,つまり心の中にあるものが原因でした。自分のために「大いなること」を求めるということに没頭していたゆえに,より重要な事柄,すなわち神のご意志を行なうことに関係した事柄を見失っていたのです。(フィリ 1:10)「新世界訳」は動詞の意味合いを出し,「求めつづけている」と訳しています。ですから,これは単に頭を一瞬よぎった考えではありません。やめるようにとエホバから警告されるまでずっと,バルクは「大いなること」を求めていました。エレミヤの忠実な秘書として共に神のご意志を行ないながらも,自分のために「大いなること」を切望していたのです。

      4,5 バルクの「大いなること」は名声や名誉に関するものだったかもしれない,と言えるのはなぜですか。エホバの警告が適切だったのはなぜですか。

      4 バルクが望んでいたのは,名声や名誉に関連したものだったのかもしれません。バルクはエレミヤの筆記者として奉仕しましたが,エレミヤ個人の秘書にすぎなかったわけではないようです。エレミヤ 36章32節では「書記官」と呼ばれています。考古学上の証拠によると,バルクは宮廷の高位の役人だったと思われます。同じ肩書きが「書記官のエリシャマ」についても用いられており,エリシャマはユダの君たちの一人として挙げられています。エリシャマの同僚であったバルクも,「王の家」の「書記官の食堂」を使うことができたでしょう。(エレ 36:11,12,14)ですからバルクは,王室に仕える学識ある役人だったに違いありません。彼の兄弟セラヤは,ゼデキヤ王のもとで補給係の長を務めており,重要な任務を帯びて王に伴いバビロンに行きました。(エレミヤ 51:59を読む。)補給係の長として旅行中の王の食事や宿舎を手配したでしょうから,高い地位にあったと言えます。

      5 高い立場にある人がユダへの糾弾の音信を次々に書き記すことに疲れ果てたとしても,意外ではありません。バルクは,神の預言者を支持するゆえに,地位や職が危うくなったかもしれません。とはいえ,エレミヤ 45章4節にあるように,エホバがご自分の築き上げたものを自ら打ち壊されるなら,どうなるでしょうか。バルクが考えていた「大いなること」が宮廷におけるいっそうの誉れであったにせよ,物質的な繁栄であったにせよ,結局むなしいものとなるでしょう。滅びに定められた当時のユダの体制における安定した地位をバルクが求めていたのであれば,神がそれを止めようとなさったのも当然です。

      6,7 バルクの「大いなること」が所有物に関係したものであったなら,それに似たどんな例がありますか。

      6 他方,バルクの「大いなること」は物質的な繁栄に関係したものだったのかもしれません。ユダの周辺諸国は所有物と富に大いに頼っていました。モアブは自らの「造ったものや財宝」に信頼を置いており,アンモンも同様でした。さらにバビロンも,エレミヤを通してエホバから,「財宝に富む」者と呼ばれていました。(エレ 48:1,7; 49:1,4; 51:1,13)とはいえ,それらの国々を神は断罪しておられました。

      7 それで,バルクが財産や富を求めていたのであれば,エホバがそれについて警告なさったのももっともなことです。神がユダの人々に「向かって手を伸ばす」時,彼らの家と畑は敵たちに渡されることになります。(エレ 6:12; 20:5)あなたが当時エルサレムで生活していたとしたら,どうでしょうか。同国人の大半は ― 君や祭司たち,そして王も ― 攻めてくるバビロニア軍と戦うべきだと考えています。しかしあなたは,「バビロンの王に仕えて,生きつづけよ」というエレミヤの音信を聞いています。(エレ 27:12,17)エルサレム市内で非常に多くの物を所有しているなら,神からのその指示に従うのが難しいのではないでしょうか。そうした所有物への未練があるなら,エレミヤの警告に留意できますか。それとも,大多数の人の歩みに倣ってしまいますか。実のところ,ユダとエルサレムの高価な品々は,神殿にあった物も含め,すべて略奪されてバビロンに持ち去られてしまいました。ですから,物質的な利得のために腐心しても全く無駄になってしまうのです。(エレ 27:21,22)このことから教訓を学べるでしょうか。

      エホバは,「大いなること」を求めるバルクをどのように優しく矯正なさいましたか。神からの矯正を受け入れることが賢明なのはなぜだと思いますか。

      「あなたにあなたの魂を分捕り物として与えよう」

      8,9 バルクが自分の魂を分捕り物として受けたことは注目に値する,と言えるのはなぜですか。

      8 では,バルクは神の諭しに従うなら,何を受けることになっていましたか。自分の魂です。それがあなたの「分捕り物」になる,と保証されていました。(エレミヤ 45:5を読む。)生き残った人は比較的少数でした。カルデア人に下る,つまり降伏するように,という神からの指示に従った人たちです。(エレ 21:9; 38:2)従順の報いはそれだけだったのか,と思えるかもしれません。

      9 バビロニア軍に攻囲されたエルサレムの状況を想像してみてください。市内では徐々に攻囲の影響が色濃くなっていきます。これとは対照的に,ソドムはいわば一瞬で覆されました。ソドムの滅びのほうが耐えやすかったとも言えるでしょう。(哀 4:6)バルクは,エルサレムの住民が剣と飢きんと疫病によって死ぬという預言を記録しました。その成就を彼は目撃したに違いありません。エルサレムの食糧は底を突きます。市内では,本来なら「同情心の豊かな」母親が我が子を煮て食べる,という衝撃的な光景が見られたほどです。(哀 2:20; 4:10。エレ 19:9)しかし,バルクは生き残りました。そのような騒乱のさなかで,自分の命はまさに分捕り物,戦闘後に勝者が得る報いのようなものでした。バルクは,「大いなること」を求めないようにとの神の忠告を受け入れ,それに従ったに違いありません。そして,生き残ったという事実から明らかなように,エホバの恵みを得ました。―エレ 43:5-7。

      107ページの図版

      あなたは「大いなること」を求めますか

      10,11 バルクに関する記述は,現代に,またあなた個人に,どのように当てはまりますか。

      10 バルクは勤勉に神のご意志を行なっていましたが,しばらくの間,「大いなること」への欲求に悩まされました。しかし,その危険についてエホバから警告を受け,霊的な災難と身体的な死から救われました。バルクのようにわたしたちも,エホバに活発に仕えている時でさえ,心の奥底にある欲求によって誘惑されたり押し流されたりする可能性があるのではないでしょうか。

      11 バルクにとって,名を揚げることが誘惑となったのかもしれません。彼は,『「書記官」としての仕事を失わずにいられるだろうか。もしかすると,もっと高い立場に就けるだろうか』と考えたかもしれません。わたしたちはどうですか。こう自問してみましょう。『わたしは,今あるいは近い将来に世俗の仕事で成功したい,という“野心”をひそかに抱いているだろうか』。若いクリスチャンであるなら,『わたしは,高い教育を受けて名誉や経済的安定を得るという見込みに誘われ,自分のために「大いなること」を求めるだろうか』と考えてみましょう。

      12 ある兄弟はどのようにして,エホバのために大いなることを求めましたか。その決定について,あなたはどう思いますか。

      12 世界本部で奉仕している一人の兄弟は,15歳の時,奨学金を受けて大学に行く機会を差し伸べられました。しかし,それを断わって開拓奉仕の道を選んだので,先生たちは戸惑いました。とはいえ,学習意欲を失ったわけではありません。宣教者として赴いた遠い島で,1万人ほどの人が話す言語を学びました。その言語の辞書がなかったので,自分で単語集を作りました。やがて,その言語を習得し,クリスチャンの出版物を翻訳する割り当てを受けました。後に,兄弟の単語集を基にして,この言語で初の辞書が作られました。兄弟は地域大会で大勢の聴衆を前にして,こう語りました。「もし大学教育を受けることにしていたなら,学問上のどんな業績も自分の栄光になったでしょう。しかし,わたしには世俗の資格は何もありません。ですから,わたしが成し遂げたことで,わたしが誉れを受けるべきではありません。すべての誉れはエホバに帰せられるべきです」。(箴 25:27)この兄弟が15歳の時に下した決定について,あなたはどう思いますか。兄弟は長年,神の民の中で多くの特権を楽しんできました。あなたは,自分の才能をどのように用いたいと思いますか。自分の栄光を求めるのではなく,エホバを賛美するために才能を用いようと決意していますか。

      13 親である人がバルクの直面した問題を熟考すべきなのはなぜですか。

      13 さらに別の危険もあります。自分の愛する人や自分の影響力の及ぶ人のために,あるいはそのような人を通して,「大いなること」を求める,という危険です。この世では親が,子どもには自分より良い暮らしをさせたい,自分たちが自慢できるような人になってもらいたいと願って,様々な手段を講じることがあります。「子どもにはわたしのような苦労はさせたくない」とか,「楽な暮らしができるように大学に行かせたい」とか言います。クリスチャンである親も,同じような気持ちになる可能性があります。『わたしは自分のために大いなることを求めていない』と考えるかもしれませんが,実際には,息子や娘を通して,いわば彼らを身代わりとして,大いなることを求めているのではないでしょうか。バルクは,自分の立場や職によって栄誉を求めたい,という気持ちになっていたのかもしれません。同様に親は内心,子どもの成功を通してそのようなものを求めているかもしれません。しかし,バルクの場合のように,「心を調べる方」はそれをご存じなのではないでしょうか。(箴 17:3)ダビデがしたとおり,内奥の考えを調べてくださいと神にお願いすべきではありませんか。(詩編 26:2; エレミヤ 17:9,10を読む。)エホバは,バルクに関するこうした考察など,様々な方法を用いて,「大いなること」を求める危険に目を向けさせてくださるでしょう。

      バルクはどのようにして「大いなること」を求めていたかもしれませんか。そのことから,あなたは何を学べますか。

      「貴重なもの」というわな

      14,15 わたしたちの場合,どのように富が「大いなること」となるかもしれませんか。

      14 バルクにとっての「大いなること」が物質的な富であったと仮定して,考えてみましょう。すでに見たとおりバルクは,ユダにある所有物や財産に強い愛着を抱いていたなら,カルデア人に降伏するようにとの神からの命令に従うのが難しかったでしょう。富んだ人は自分の「貴重なもの」に頼りがちです。しかし聖書は,そうしたものがもたらす保護は「その人の想像の中」のものである,と断言しています。(箴 18:11)エホバの僕が皆,み言葉に記されている物質的なものに対する平衡の取れた見方を忘れないようにするのはよいことです。(箴言 11:4を読む。)とはいえ,『世から得られるものを少しくらい楽しんでもいいのではないか』と考える人もいます。

      15 所有物に愛着を抱くクリスチャンは,過ぎ去りつつある事物の体制に属するものを慕い求めるようになるおそれがあります。エレミヤとバルクは,最終的に,そうはなりませんでした。ずっと後にイエスは,「人の子が表わし示されようとしている」時代の人々に警告を与え,「ロトの妻のことを思い出しなさい」と言いました。この言葉を,『エレミヤとバルクのことを思い出しなさい』と言い換えることもできます。(ルカ 17:30-33)物質的なものに強い愛着を抱くなら,イエスの言葉どおりにするのは難しくなるでしょう。忘れないでください。バルクは神の警告を心に留め,その結果,生き延びたのです。

      16 神の僕たちが物質的なものをふさわしい位置に保った,どんな例がありますか。

      16 共産主義政権下でのルーマニアの兄弟たちのことを考えてみましょう。当局の捜査官たちは,エホバの証人の家を捜索する際,個人の持ち物,とりわけ売れそうなものを没収しました。(哀 5:2)多くの兄弟姉妹は,所有物を失うことをいといませんでした。持ち物や財産を残して強制移住させられることもありましたが,エホバへの忠誠を保ちました。あなたの場合,そのような試みに遭ったなら,物質的なものへの愛着が神への忠節の妨げとなるでしょうか。―テモ二 3:11。

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      17 エレミヤとバルクは同時代のある人たちからどのように力づけられたと考えられますか。

      17 エレミヤとバルクが同時代のある人たちから支えを得た,という点にも注目できます。ゼパニヤはヨシヤの治世中に預言し,そのころエレミヤも預言者として奉仕していました。エレミヤは,ゼパニヤ 1章18節に記されている言葉を聞いたなら,どう考えたでしょうか。(読む。)霊感によるその意味深い言葉についてバルクと語り合ったのではないでしょうか。その時代には,エゼキエルもいました。彼は西暦前617年に,捕らわれ人としてバビロンに連れて行かれました。エゼキエルの活動と音信には,故国にいるユダの人々に直接関係するものも含まれていました。ですから,エレミヤはエゼキエルの語ったことや行なったことを知ったでしょうし,その逆もあったと思われます。エレミヤは,エゼキエル 7章19節に記されている言葉も聞いたでしょう。(読む。)そのような霊感による言葉からエレミヤとバルクは益を得ました。わたしたちもそうです。エホバの日に,人々は救いを求めて自分たちの神々に頼るでしょう。しかし,神々も富も彼らを救うものとはなりません。―エレ 2:28。

      あなたは『自分の魂を分捕り物として』受けますか

      18 わたしたちは,だれの「魂」を分捕り物として受けることを期待できますか。どうすればそれを受けることができますか。

      18 エホバが分捕り物として約束してくださっているのは,わたしたちの「魂」です。この点を忘れてはなりません。「大患難」において野獣の政治的な角が宗教に敵対する時,神の僕たちの一部は迫害によって命を落とすかもしれませんが,それら忠実な人たちは敗北したわけではありません。彼らの「魂」は確かに保証されているので,彼らは新しい世で生き返り,「真の命」を享受します。(啓 7:14,15。テモ一 6:19)とはいえ,忠実さを実証する神の僕たちの大半は,大患難を通過します。神が諸国民に災いを下される時に「エホバに打ち殺される者」の中に忠実な者は一人も含まれていない,ということを確信できます。―エレ 25:32,33。

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      本当に貴重なものを選びましょう(46ページと比較)

      19 エレミヤとバルクの例を考察して,自分のために「大いなること」を求めないという決意がどのように強まりましたか。

      19 分捕り物として自分の魂だけを得て生き残るということを考えると,厳粛な気持ちになるかもしれません。しかし,気落ちする必要は全くありません。思い出してください。エルサレムの人々が飢え死にしていく中で,エホバはエレミヤを生き延びさせました。どのようにでしょうか。ゼデキヤ王がエレミヤを“監視の中庭”に拘禁し,「すべてのパンが都市から尽きてしまうまで,パン焼き人の通りから丸いパン一つが日ごとに」彼に与えられるようにしました。(エレ 37:21)そのようにしてエレミヤは生き残ったのです。エホバは,ご自分の民の命を支えるために,何であれご自分の望む手段をお用いになることができます。そして,必ず民を支えられます。彼らには永遠の命の見込みが保証されているからです。バルクは,「大いなることを求め」ないことによってエルサレムの滅びを生き残りました。わたしたちも,ハルマゲドンを生き残り,分捕り物である自分の「魂」を用いてとこしえにエホバを賛美できるのです。

      今日,「大いなること」を求めるのではなく自分の「魂」を分捕り物として受けようとするのが分別のある歩みである,と言えるのはなぜですか。

  • あなたは日々,「エホバはどこにおられるのか」と考えていますか
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第10章

      あなたは日々,「エホバはどこにおられるのか」と考えていますか

      1,2 (イ)エレミヤの時代のユダの人々は,霊的にどんな状態にありましたか。(ロ)ユダの人々は,自らの状態を考えてどうすべきでしたか。

      エレミヤは涙を抑えることができません。ユダの人々の現状のゆえに,また彼らの将来について自分が伝えた神からの予告のゆえに,悲しんでいるのです。自分の頭が水の源のようであったなら,目が泉のようであったならずっと泣き続けられるのに,と思うほどです。ユダはまさに嘆かわしい状態にあります。(エレ 9:1-3。エレミヤ 8:20,21を読む。)人々は神の律法を退けつづけ,神の声に従いません。そのため,災いが臨もうとしています。―エレ 6:19; 9:13。

      2 ユダの人々は,“万事順調”という宗教指導者たちの言葉を聞きたがり,自分たちの行ないをエホバがどう見ておられるかに真の関心を抱いていません。(エレ 5:31; 6:14)彼らは,重大な症状を無視して気休めばかり言う医師を好む患者に似ています。あなたは,もし重病であるなら,手後れになる前に治療を受けられるよう,正確な診断を望むのではありませんか。エレミヤの時代のユダの人々は,自分たちの霊的な状態に関して率直な評価を求めるべきでした。「エホバはどこにおられるのか」と尋ねるべきだったのです。―エレ 2:6,8。

      3 (イ)ユダの人々にとって,「エホバはどこにおられるのか」と尋ねるとは,どうすることでしたか。(ロ)ユダの人々がエホバを求める一つの方法は何でしたか。

      3 ユダの人々にとって,「エホバはどこにおられるのか」と尋ねるとは,大小を問わず決定を下す時に神の導きを求める,ということでした。当時のユダの人々はそうしませんでした。しかし,エルサレムの荒廃とバビロンからの帰還の後に,ユダの人々は『エホバを求め』,『エホバを尋ね求める』ことになります。その結果,神を見いだし,神の道を知ることができるようになります。(エレミヤ 29:13,14を読む。)では,どのようにしてエホバを求めるのでしょうか。一つの方法は,誠実な祈りのうちに神に近づいて指示を願い求めることです。ダビデ王はそのような態度を取り,こう祈りました。「エホバよ,あなたの道をわたしに知らせてください。あなたの道筋をわたしに教えてください」。(詩 25:4)祈りを聞かれる方は,ゼデキヤ王の治世の第10年に,エレミヤを通して次のような招きを差し伸べられました。「わたしに呼び求めよ。そうすれば,わたしはあなたに答え,あなたの知らなかった大いなる,人知の及ばないことを進んで告げるであろう」。(エレ 33:3)ゼデキヤと背信の民が神に呼び求めるなら,神は「人知の及ばないこと」を,つまりエルサレムの荒廃と70年後の復興に関する事柄を啓示してくださるでしょう。

      4,5 神の民は,他のどんな方法でもエホバを求めることができたはずですか。

      4 ユダの人々にとって,エホバを求めるもう一つの方法は,歴史を調べて,神がご自分の民をどう扱われたかを考察することでした。そのようにして,何が神の是認を得たか,何が神の憤りを招いたかを考えることができたはずです。彼らには,モーセの書や霊感による歴史記録が,またイスラエルとユダの王たちの年代記がありました。エレミヤの時代のユダの人々は,それらの書物の内容を黙想し,神の真の預言者たちの言葉に耳を傾けたなら,「エホバはどこにおられるのか」という問いに対する答えを知ることができたでしょう。

      5 ユダの人々がエホバを求めるための三つ目の方法は,自分や他の人の経験から学ぶことでした。とはいえ,すべてのことを試行錯誤によって学ぶ必要はありません。自分たちが過去に行なった事柄と,エホバがそれをどう見ておられるかを考察して,益を得ることができたはずです。じっくり考えたなら,自分たちの行ないを神がどう見ておられるかを理解できたでしょう。―箴 17:10。

      116ページの図版

      6 ヨブの例から,どんな励みが得られますか。

      6 では,これを現代に適用してみましょう。あなたは,決定を下したり歩む道を選んだりする時,いつも「エホバはどこにおられるのか」と考えていますか。もしかすると,自分はこの点で十分にできていない,と感じるかもしれません。そうだとしても,がっかりしないでください。忠実な族長ヨブも,この点で苦闘しました。圧力を受けた時,自分のことしか見えなくなってしまったのです。それでエリフは,多くの人に共通する傾向をこう指摘しました。「だれも言わなかった,『わたしの偉大な造り主なる神はどこにおられるのか……』と」。(ヨブ 35:10)そして,「神のくすしいみ業にあなたが注意深いことを示せ」とヨブを励まします。(ヨブ 37:14)ヨブは,周囲の創造物のうちに,また人間との接し方のうちに見られるエホバの力ある業について,じっくり考える必要がありました。彼は,自分自身の経験を通して,エホバの道を理解するようになりました。厳しい試練に耐え,エホバの物事の扱い方を体験した後,こう述べています。「私は語りましたが,理解していませんでした。私の知らない,私にとって余りにもくすしいことを。私はあなたのことをうわさで聞いていましたが,今は,私のこの目があなたを確かに見ております」。―ヨブ 42:3,5。

      7 116ページの挿絵にも示されているとおり,次にどんなことを検討しますか。

      7 エレミヤ自身は,エホバを求め続け,見いだすことができました。同国人とは異なり,何十年にもわたる忠実な奉仕の期間中,常に「エホバはどこにおられるのか」と考えました。この章の続きの部分では,祈り・研究・個人的な経験を通してどのようにエホバを求め,見いだせるかを,エレミヤの例から調べます。―代一 28:9。

      「エホバはどこにおられるのか」と尋ねるとは,どういうことですか。エレミヤの時代のユダの人々は,どのような方法でそう尋ねることができたはずですか。

      エレミヤは祈りによってエホバに頼った

      8 エレミヤはどんな状況の下で,祈りによって神に近づきましたか。

      8 エレミヤは,ユダ国民に対する神の代弁者として奉仕した間ずっと,心からの祈りを通してエホバを求めました。受けの良くない音信をふれ告げる時も,もう続けられないと感じる時も,物事の生じている理由が分からない時も,神に支えを求めたのです。神はそれにこたえ応じ,どう歩んでいくべきかを指示なさいました。幾つかの例を考えてみましょう。

      9 (イ)エレミヤ 15章15,16節で,エレミヤはどのように自分の気持ちを言い表わしていますか。エホバはどのように応じてくださいましたか。(ロ)あなたは,祈りによって自分の気持ちを言い表わすことはなぜ大切だと思いますか。

      9 ある時エレミヤは,ふれ告げるべき糾弾の音信を与えられ,みんながわたしの上に災いを呼び求めていると感じました。それで,わたしを思い出してくださいと神に願い求めました。エレミヤ 15章15,16節に記録されている祈りの中で,神が応じてくださった時に自分がどう感じたかを述べています。その祈りに注目してください。(読む。)ここでエレミヤは,自らの苦悩を言い表わしています。しかし,神の言葉を見いだしてそれをいわば口に入れた時,喜びにあふれるようになりました。エホバは,神のみ名を負って神の音信をふれ告げるという特権を正しく認識できるよう,エレミヤを助けてくださったのです。エレミヤは,この件に関してエホバがどこにおられるかがはっきり分かるようになりました。このことから,わたしたちはどんな教訓を得られるでしょうか。

      10 エレミヤが,もうエホバのみ名によっては話すまいと言った時,神はどう応じられましたか。

      10 別の時エレミヤは,イメルの子である祭司パシュフルに打たれた後,もうエホバのみ名によっては話すまいと言いました。神は,祈りのこもったエレミヤの言葉にどう応じられましたか。(エレミヤ 20:8,9を読む。)聖書は,神が天からエレミヤに話しかけた,とは述べていません。しかしエレミヤは,神の言葉が骨の中に閉じ込められた燃える火のようになり,宣べ伝えずにはいられなくなりました。自分の気持ちを正直に神に言い表わし,神のご意志について知っている事柄に動かされるようにすることにより,神が望んでおられる事柄を行ない続ける意欲を抱いたのです。

      11,12 エレミヤは,邪悪な者たちが成功を収めているように見えることに関する疑問の答えをどのように得ましたか。

      11 エレミヤは,邪悪な者たちが成功を収めているのを見て疑問を抱き,悩みました。(エレミヤ 12:1,3を読む。)エホバの義には少しの疑念も抱いていませんでしたが,自分の「申し立て」に対する答えを求めました。この率直さから分かるとおり,エレミヤと神の間には強い絆がありました。子どもと優しい父親の間にあるような絆です。エレミヤは,ユダの多くの人々が邪悪な者でありながらも繁栄している理由を理解できなかっただけでした。満足できる答えが与えられたでしょうか。エホバは,邪悪な者たちを根こぎにする,と断言なさいました。(エレ 12:14)エレミヤは,祈りによって神に尋ねた事柄に関する事態の展開を見て,神の公正に対する確信を深めたに違いありません。そして,ますます祈りによって神に頼り,父なる神に自分の気持ちを言い表わすようになったでしょう。

      12 ゼデキヤの治世の終わりごろ,エルサレムがバビロニア軍に攻囲されていた時,エレミヤはエホバについてこう言いました。「あなたの目は人々の子らのすべての道に向かって開かれています。各々にその道と,その行ないの実とにしたがって与えるためです」。(エレ 32:19)エレミヤは,エホバが確かに公正の神であることを理解できました。神は各々の人の行ないに注目し,ご自分の僕たちの真剣な祈りを聞いておられるのです。そして僕たちは,神が「各々にその道と,その行ないの実とにしたがって」お与えになることを示すいっそう多くの証拠を見ることになります。

      13 神のご意志が成し遂げられることをあなたが確信しているのはなぜですか。

      13 あなたは,神の公正について,またご意志を果たしていく方法に関する神の知恵について,自分はいささかの疑いも抱いていない,と感じておられるでしょう。そうではあっても,エレミヤの経験を熟考し,自分が心の中で感じている事柄を祈りによって申し上げるなら,益が得られます。そのようにして自分の気持ちを言い表わすと,エホバへの確信,つまり神のご意志が必ず果たされるという確信が強まります。物事の進展の理由がよく理解できないときや,神のご意志が果たされるのが遅いように思えるときにも,神が事態を完全に掌握しておられるという確信を祈りの中で言い表わすことができます。神のご意志は,神が最善とお考えになる方法とペースで遂行されていきます。その点に疑問の余地はありません。わたしたちはこれからも,「エホバはどこにおられるのか」と尋ねます。つまり,神のご意志を理解しよう,ご意志が成し遂げられていくことの証拠を見ようと,祈りのうちに努めるのです。―ヨブ 36:5-7,26。

      祈りによってエホバを求めたエレミヤの経験から,あなたはどんなことを確信できますか。

      エレミヤは知識で心を養った

      14 エレミヤが神の民の歴史を調査した,と言えるのはなぜですか。

      14 エレミヤは,「エホバはどこにおられるのか」と考えるうえで『エホバについての知識』が必要であることをよく知っていました。(エレ 9:24)列王記第一および第二として知られる書を編纂した時に,神の民の歴史を研究したに違いありません。エレミヤは,「ソロモンの事績の書」,「イスラエルの王たちの時代の事績の書」,「ユダの王たちの時代の事績の書」に言及しています。(王一 11:41; 14:19; 15:7)そのような書を通して,エホバが様々な状況にどう対処なさったかを理解しました。何がエホバに喜ばれるか,人々の決定をエホバがどのようにご覧になるかを知ることができました。また,そのころ入手可能だった霊感による書,例えばモーセ,ヨシュア,サムエル,ダビデ,ソロモンなどの書も参照できました。エレミヤは,同時代の預言者たちだけでなく前の時代の預言者たちについても知っていたはずです。そうした個人研究からエレミヤはどんな益を得たでしょうか。

      15 エレミヤはエリヤの預言を調査することからどんな益を得たと思われますか。

      15 エレミヤは,サマリアの王アハブの邪悪な妻イゼベルに関する事柄を記録しました。その記録には,エズレルの小地所で犬がイゼベルを食らい尽くすであろう,というエリヤの宣告も含まれていました。(王一 21:23)それから18年ほど後,エレミヤが記録したその宣告のとおり,イゼベルは窓から投げ落とされて,エヒウの馬に踏みつけられ,犬に食われました。(王二 9:31-37)エレミヤは,エリヤの預言とその成就を詳細に調査した結果,神の言葉に対する信仰が深まったに違いありません。彼が預言者として粘り強く奉仕できたのは,過去にエホバが行なわれた事柄を研究して信仰を築き上げていたからです。

      16,17 エレミヤが当時の邪悪な王たちに粘り強く警告できたのはなぜだと思いますか。

      16 別の例も考えてみましょう。エレミヤが,迫害に遭っても,エホヤキムやゼデキヤといった邪悪な王たちに警告し続けることができたのは,なぜでしょうか。おもに,エホバが彼をユダの王たちに対して「防備の施された都市,鉄の柱,銅の城壁」とされたからです。(エレ 1:18,19)とはいえ,エレミヤが過去のユダとイスラエルの王たちの治世を詳しく調査していた,という事実も見逃せません。エレミヤは,マナセが「エホバの家の二つの中庭に天の全軍のために祭壇を築いた」ことや,息子を犠牲として火で焼いたこと,罪のない者の血をおびただしく流したことを,記録していました。(王二 21:1-7,16。エレミヤ 15:4を読む。)さらに,マナセがへりくだってエホバに祈り続けた時に「神は彼の願いを聞き入れ」て王位に復帰させられた,ということも知っていたに違いありません。―歴代第二 33:12,13を読む。

      17 エホバがマナセに憐れみを示されたことは,エレミヤの書には記されていません。とはいえエレミヤは,マナセが死んでからわずか15年ほど後に,預言者としての奉仕を始めました。ですから,マナセが過去の悪を悔い改めた時にどうなったかを聞いていたに違いありません。マナセの恐るべき振る舞いとその結末について調査したので,エホバの憐れみと愛ある親切を求めるようゼデキヤなどの王たちに勧めることの価値を理解していたはずです。偶像礼拝と流血で悪名高い王でさえ,悔い改めて許しを得ることができました。もしあなたがエレミヤの立場だったなら,マナセに生じた事柄から励みを得て,他の悪い王たちの治世中も粘り強く奉仕したでしょうか。

      経験から学ぶ

      18 エレミヤはウリヤの例から何を学んだと考えられますか。どうしてそう言えますか。

      18 エレミヤは,預言者としての奉仕期間中に,同時代の人々が様々な状況下でどのように行動するかを見て,そこから教訓を学びました。例えば,預言者ウリヤがいます。彼はエホヤキムの治世中にエルサレムとユダに対して預言しました。しかし,エホヤキム王を恐れてエジプトに逃げます。王は人を遣わしてウリヤをエジプトから連れ戻し,彼を殺しました。(エレ 26:20-23)エレミヤは,ウリヤの経験から教訓を学んだでしょうか。迫り来る滅びに関してユダの人々に警告し続け,神殿の境内でもそうしたことからすると,教訓を学んでいたに違いありません。エレミヤは勇気を保ちました。そして,エホバは彼を見捨てたりはされませんでした。シャファンの子アヒカムが勇敢なエレミヤの命を守ったのは,そうするよう神がアヒカムを動かされたからに違いありません。―エレ 26:24。

      19 エホバがご自分の民に預言者たちを遣わし続けられたことから,エレミヤは何を知ることができましたか。

      19 エレミヤは,エホバに用いられて神の民に警告を与える,という自分自身の経験からも学びました。エホヤキム王の第4年,エホバは,ヨシヤの時代からその時までにご自分が語ったすべての言葉を書き記すようにと,エレミヤにお命じになります。なぜそう指示なさったのでしょうか。悪を行なうことから離れて許しを得るよう,人々を励ますためです。(エレミヤ 36:1-3を読む。)エレミヤは,早く起きて神からの警告の音信を告げ,忌むべき習わしをやめるよう民に懇願することまでしました。(エレ 44:4)エレミヤは自分自身の経験から,神がご自分の民への同情のゆえに預言者たちを遣わしてこられたことを理解していたに違いありません。そして,それを理解していたゆえに,彼自身のうちにも同情の気持ちが生まれたのではないでしょうか。(代二 36:15)だからこそエレミヤは,エルサレムの滅びを生き残った時にこう言いました。「わたしたちが終わりに至らなかったのは,エホバの愛ある親切の行為です。その憐れみは決して終わりに至ることがないからです。それは朝ごとに新しくなります」。―哀 3:22,23。

      123ページの図版

      エレミヤは,過去に神がなさった事柄を調査し,自分や他の人の経験について黙想することから,どんな影響を受けたに違いありませんか。わたしたちはそのことから何を学べますか。

      あなたは日々,「エホバはどこにおられるのか」と考えますか

      20 エホバを求める点で,あなたはどのようにエレミヤに倣えますか。

      20 あなたは日々,決定を下す際に,神のご意志が何かを知ろうとし,「エホバはどこにおられるのか」と考えるようにしていますか。(エレ 2:6-8)エレミヤは当時のユダの人々とは異なり,進むべき方向を見極めるためにいつも全能者に助けを求めました。わたしたち各人にとって,日々,決定を下す際に,エレミヤに倣ってエホバの見方を知ろうとするのは,知恵の道です。

      21 とげとげしい態度の人に会った場合など,宣教奉仕においてどんな祈りが助けになりますか。

      21 これは,人生の転機となるような大きな決定に限ったことではありません。例えば,予定していた日に野外宣教に出かけるかどうか,という決定について考えてみましょう。朝,目を覚ますと,空は曇っており,奉仕日和ではないように思えます。その日に家から家の奉仕を行なう区域は,何度も奉仕されている場所です。その区域の人から慇懃無礼な,あるいはあからさまに失礼な言い方で断わられたことがあります。あなたはまず祈りのうちに,「エホバはどこにおられるのか」と考えますか。そうするなら,伝える音信の麗しさに思いを向け,その音信を告げ知らせることが神のご意志であるとの認識を深めることができるでしょう。そして,エレミヤの場合のように,エホバの言葉が喜びと歓喜の源となるのを感じるでしょう。(エレ 15:16,20)その後,奉仕中に,とげとげしい,あるいは脅すような態度の人に出会ったなら,再び神への祈りによって自分の気持ちを言い表わすことができます。あなたはそうしますか。神は聖霊を与えて,ふさわしい対応ができるようにしてくださいます。消極的な感情は,神の音信を語ろうという意欲によって吹き消されることでしょう。―ルカ 12:11,12。

      22 どんな場合に祈りは阻まれますか。

      22 祈りは阻まれることがある,という点も心に留めておきましょう。(哀歌 3:44を読む。)エホバは,反逆的なユダの人々の祈りに耳を傾けられませんでした。彼らがエホバから「耳を背け」,あくまでも不法を行ない続けたからです。(箴 28:9)エレミヤはこのことから明確な教訓を得たはずです。わたしたちも教訓を得ることができます。人が祈りと調和した行動を取らないなら,神はがっかりされ,祈りを聞かれなくなることがある,という教訓です。そのような事態は何としても避けたいと思います。

      23,24 (イ)エホバのご意志を見いだしたいなら,何が欠かせませんか。(ロ)どうすれば個人研究からいっそう多くの益を得ることができますか。

      23 エホバの指示を求めて誠実に祈ることに加えて,個人研究を続けることも必要です。個人研究は,エホバのご意志を見いだすための肝要な方法です。この点で,わたしたちはエレミヤより有利です。聖書全巻があるからです。霊感による歴史記録を編纂するために綿密な調査を行なったエレミヤのように,あなたも神の言葉の中を行き巡り,「エホバはどこにおられるのか」と考えつつ神の導きを求めることができます。神のご意志を知ろうと努力することによってエホバに依り頼む人は,「必ず,水のほとりに植えられて水路のほとりに根を送り出す木のようになる」でしょう。―エレミヤ 17:5-8を読む。

      125ページの図版

      24 聖書を読んで黙想する際,様々な状況であなたが何をすることをエホバが望んでおられるかを見極めるようにしましょう。覚えておいて生活に適用したいと思う原則を探すことができます。神の言葉に収められた歴史記録,神の命令や原則,知恵の言葉などを読むときには,その聖句が自分の日々の決定にどのように影響するかを考察しましょう。あなたが「エホバはどこにおられるのか」と考えるなら,神はそれにこたえて,極度の苦境にも対処する方法を,書き記されたみ言葉を通して明らかにしてくださるでしょう。『あなたの知らなかった,人知の及ばないこと』を,聖書の光が理解させてくれるのです。―エレ 33:3。

      25,26 経験を考察することが有益なのはなぜですか。

      25 さらに,自分や他の人の経験を考察することもできます。例えば,少数ながらウリヤのように,エホバに頼るのをやめる人たちがいます。(テモ二 4:10)彼らの歩みから学んで,同じような悲惨な結末を避けることができます。あなたに対して示されたエホバの愛ある親切を幾度も思い返しましょう。エレミヤも,神の憐れみと同情に感謝していました。どれほど絶望的な状況にあるとしても,至高者が気遣ってくださっていないなどと考えてはなりません。神は,エレミヤを気遣われたのと同じく,あなたのことも気遣っておられます。

      26 エホバが今日の人々をどのように扱っておられるかを黙想すると,様々な方法で日ごとに導きを与えてくださっていることが分かります。亜樹という日本の若い姉妹は,自分はクリスチャンとしてふさわしくないと感じていました。それである日,巡回監督の妻と一緒に野外奉仕をしていた時,自分の気持ちをこう打ち明けました。「今にもエホバの口から吐き出されそうです。エホバの口にしがみついて,もう少し時間をくださいと言っているような状態なんです」。巡回監督の妻は亜樹の目を見つめて,こう言いました。「わたしは,あなたをなまぬるいクリスチャンだと思ったことは一度もないわ」。あとで亜樹は,その励ましの言葉をじっくり考えました。そして,エホバからなまぬるいと見られていると感じる必要は全くない,ということに気づきました。そして,エホバにこう祈りました。「どこへでも,わたしをお遣わしください。何でもあなたの望まれることを行ないます」。そのころ,外国に行く機会がありました。そこには小さな日本語の群れがあり,日本語を話せる奉仕者を必要としていました。亜樹はその国で生まれたので,そこへ移動して援助しやすい立場にありました。とはいえ,住む場所があるでしょうか。ちょうど,ある姉妹の娘が引っ越したばかりで,空いた部屋を提供してもらえました。「まるで,ジグソーパズルのピースがはまっていくみたいでした。エホバがわたしのために道を開いてくださったんです」と亜樹は述べています。

      27 「エホバはどこにおられるのか」と考えるときに意欲が生まれるのはなぜですか。

      27 多くの兄弟姉妹が,神の導きを個人的に感じた経験を語ることができます。聖書を読んでいる時や個人研究をしている時に感じたのかもしれません。あなたも,そのような経験をしたことがあるでしょう。そうした経験は,あなたとエホバとの絆を強め,いっそう頻繁かつ熱烈に祈りによって神に近づくようあなたを動かします。日々,「エホバはどこにおられるのか」と考え続けるなら,神はご自分の道を示してくださいます。そのことを確信してください。―イザ 30:21。

      あなたにとって,「エホバはどこにおられるのか」と尋ねるとは,どうすることですか。どんな方法で神の導きを尋ね求めることができますか。

  • 「わたしの心に合った牧者たち」
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第11章

      「わたしの心に合った牧者たち」

      1,2 (イ)羊の群れが保護されていないと,どんなことが起きかねませんか。(ロ)聖書時代の羊飼いは,どんな仕事をしましたか。

      博保が幼いころ,母親が雄と雌の羊を買いました。博保がその2頭の世話をし,雌羊は毎年子どもを2匹産みました。羊は増え,博保が12歳の時には12頭か13頭になりました。「ある朝早く,まだ寝ている時に,羊の鳴き声が聞こえました。でも,すぐには様子を見に行きませんでした。しばらくして行ってみると,野犬の群れが逃げて行くところで,子羊たちが腹を裂かれて倒れていました。わたしは必死で母羊を捜しました。母羊は血の海の中で虫の息になっており,生き残ったのは雄羊だけでした。わたしは打ちのめされました。声が聞こえた時すぐに見に行くべきでした。羊たちは野犬に対して無防備だったのです」。

      2 聖書時代の人にとって,羊飼いの仕事はなじみ深いものでした。羊飼いは群れを牧草地に導き,羊が十分に草を食べられるようにしました。捕食動物から保護し,群れから迷い出た羊を捜しました。(サム一 17:34-36)群れが安心して休めるようにし,出産の手助けと生まれた子羊の世話もしました。エレミヤなど多くの聖書筆者は,支配者や霊的な監督など,人々の世話をする責任をゆだねられた人を羊飼いになぞらえました。

      3 エレミヤは何に関して,「牧者」,「羊飼い」,「牧する」といった語を用いましたか。

      3 クリスチャン会衆の中には,長老が兄弟たちを訪問して助けたり励ましたりする時だけ長老を牧者として見る人もいるでしょう。しかし,「牧者」,「羊飼い」,「牧する」といった語をエレミヤがどのように用いているかを調べると,ユダの監督者たちと民の関係のあらゆる面にそれらの語を当てはめていることが分かります。神はしばしば,ユダの君や預言者や祭司たちを悪い牧者として断罪されました。彼らが一般の人々の最善の益を求めていなかったからです。(エレ 2:8)彼らは自分の益だけを追い求めて,「羊」を虐待し,誤導し,ないがしろにしていました。神の民は霊的に顧みられず,極めて悲惨な状態にありました。エホバはそれら偽りの牧者たちに対して「災い」を宣告されました。そしてご自分の民には,思いやりがあって注意深い牧者たち,群れを本当に保護する牧者たちを与える,と約束なさいました。―エレミヤ 3:15; 23:1-4を読む。

      4 今日,だれが神の羊の群れを世話していますか。どんな精神を抱いて世話していますか。

      4 神の約束はおもに,エホバの羊の主要な牧者であるイエスに成就し,イエスはクリスチャン会衆の頭となりました。イエスは自らを「りっぱな羊飼い」と呼んでいます。自分の導く者たちに真の同情を示す羊飼いです。(ヨハ 10:11-15)今日エホバは,ご自分の地上の群れを世話するために従属の牧者たちを用いておられます。忠実で思慮深い奴隷級の油そそがれた兄弟たちと,「大群衆」に属する良心的な長老たちです。(啓 7:9)これらの牧者たちは,イエスのような自己犠牲の精神を表わそうと努めます。また,キリストに倣って会衆を養い大切にしたいと願っています。兄弟たちをないがしろにしたり威張ったりする牧者,兄弟たちに対して厳しい態度や尊大な態度を取る牧者は災いです。(マタ 20:25-27。ペテ一 5:2,3)では,エホバは今日のクリスチャンの牧者たちに何を求めておられるでしょうか。長老たちが責任を果たす際に持つべきふさわしい態度と動機について,エレミヤの書から何が学べますか。助けを与え,保護となる世話を与える者,会衆内外で教える者,裁きを行なう者としての長老の役割を考えてみましょう。

      保護となる世話を与える

      5-7 (イ)エホバはご自分の羊がどのように世話されることを望んでおられますか。なぜですか。(ロ)長老たちは,群れから迷い出た人を含めて兄弟たちに,どのように真の愛を示せますか。

      5 使徒ペテロは,エホバを「[わたしたち]の魂の牧者また監督」と呼びました。(ペテ一 2:25)神はご自分の「羊」に対してどんな態度を取っておられるでしょうか。エレミヤの時代に目を向けると,答えが得られます。エホバは,群れを散らして顧みない悪い牧者たちを非とした後,ご自分の羊を「集め」て牧草地に連れ戻すと言われました。そして,彼らの上に良い牧者たちを任命する,と約束なさいました。その牧者たちは『彼らを実際に牧し』,強欲な敵たちから神の民が確実に保護されるようにします。(エレ 23:3,4)エホバの羊はエホバにとって貴重だったのです。今日でも貴重です。神は,彼らの永遠の幸福のために大きな代価を支払われました。―ペテ一 1:18,19。

      6 文字どおりの羊飼いと同様,クリスチャンの監督たちは会衆を世話する点で怠慢であってはなりません。あなたは長老ですか。そうであれば,兄弟たちが苦しんでいるどんな徴候も見逃すまいとしていますか。すぐに助けを差し伸べますか。賢王ソロモンはこう書いています。「あなたは自分の羊の群れの様子をはっきり知っておくべきである。あなたの家畜の群れに心を留めよ」。(箴 27:23)この聖句は文字どおりの羊飼いにとって勤勉さが重要であることを述べていますが,原則として,霊的な牧者が会衆内で行なう世話にも当てはまるでしょう。長老であれば,他の人の上に立ちたくなる気持ちと意識的に闘っていますか。「神の相続財産である人々に対して威張る」ことにペテロが言及しているという事実からすると,長老がそのようにする可能性が確かにあります。エレミヤ 33章12節で描写されている事柄を成し遂げるために,あなたには何ができますか。(読む。)ひとり親,やもめ,ステップファミリー,高齢の人,若者などは,特に注意と助けを必要としているかもしれません。

      130ページの図版

      7 羊飼いが文字どおりの羊に対して行なうのと同じように,会衆の牧者も時として,何らかの理由で群れから迷い出た人を捜し出して助ける必要があります。そうするには,自己犠牲と謙遜さが求められます。牧者は,監督するようにゆだねられた人たちの必要を顧みるため,辛抱強く時間を費やします。会衆の長老たちは,次のように率直に自問できます。『わたしは,とがめたり批判したりするのではなく,励ましたり築き上げたりしようと,どれほど努力しているだろうか。この面で進歩しようと誠実に願っているだろうか』。物事を神の観点から見ることができるよう助けるには,繰り返し働きかける必要があるかもしれません。兄弟や姉妹が聖書からの助言(単なる個人的な意見ではない)を受け入れようとしないなら,至高の牧者また監督であられるエホバのことを思い出してください。エホバは,強情な民に辛抱強く「語りつづけ」,助けをお与えになりました。(エレ 25:3-6)今日の神の民の中で悪を習わしにする人は少数です。しかし,助言が必要である場合,長老はエホバの方法で助言を与えなければなりません。

      8 霊的な牧者は,エレミヤの手本にどのように倣えますか。

      8 ユダの人々がエホバのもとに帰る望みがまだあった時,エレミヤは同胞である彼らのために祈りました。神に向かってこう述べています。「わたしがあなたのみ前に立って,彼らについてさえ良いことを語り,彼らからあなたの激しい怒りを引き戻そうとしていることを覚えてください」。(エレ 18:20)この言葉から分かるとおり,エレミヤは兄弟たちのことを悪く考えるのではなく,良い点を探していました。今日のクリスチャンの監督たちも,だれかが悔い改めずにかたくなに悪を行なっているという明らかな証拠がない限り,エレミヤの態度に倣うべきです。積極的な方法として,兄弟姉妹の行なっている良い事柄を褒め,その人のために,その人と一緒に祈ることができます。―マタ 25:21。

      神はエレミヤを通して,霊的な牧者たちに関するどんな約束をなさいましたか。クリスチャンの監督はどのようにして,保護となる世話を与えることができますか。

      「彼らは……必ずあなた方を養うであろう」

      9,10 良い牧者(会衆の長老)であるには教え手でなければならない,と言えるのはなぜですか。

      9 エレミヤ 3章15節の言葉と調和して,クリスチャンの牧者たちは『知識と洞察力とをもって人々を養い』ます。教え手として仕えるのです。(テモ一 3:2; 5:17)エホバはご自分の民に,良い牧者たちがそのようにすると約束なさいました。また,預言者エレミヤからの矯正となる教えを受け入れるようにと,ユダの人々を励まされました。(エレミヤ 6:8を読む。)羊は,健康であるために,栄養を取る必要があります。同様に神の民も,霊的健康を保つために,聖書に基づいて養われ,指示を受ける必要があります。

      10 教える面で,長老たちには二つの役割があります。会衆の成員となっている人々を助ける役割と,まだ真のクリスチャンになっていない人々を助ける役割です。後者の役割に関しては,次の点を思い出してください。クリスチャン会衆が存在している主要な理由の一つは,神の王国の良いたよりを宣べ伝えることです。ですから,長老たちは熱心な福音宣明者でなければなりません。(エレ 1:7-10)そのようにして,神に対する責任を果たすとともに,兄弟姉妹の良い手本となります。定期的に様々な兄弟姉妹と一緒に伝道すると,教える能力を向上させるよう援助でき,自分自身の能力も向上します。あなたが長老であれば,その点に気づいておられるでしょう。福音宣明の業に熱心に率先するなら,肝要な励ましを与えて,会衆全体の進歩に貢献できます。

      11,12 長老は,良い牧者でありたいと願うなら,何に注意を向けなければなりませんか。

      11 長老たちが会衆に与えるものは,聖書に基づいていなければなりません。そうすれば,健全な霊的食物を与えることができます。ですから,会衆の牧者たちは,効果的な教え手であるために神の言葉を熱心に研究する必要があります。この点を,エレミヤが民の指導者たちに関して述べた事柄と比較してみてください。彼らが効果的な教え手でなかった理由をエレミヤはこう指摘しています。「羊飼いたちは道理に反する振る舞いをして,エホバを求めることさえしなかった……。それゆえに彼らは洞察力をもって行動せず,彼らが放牧する動物はみな散らされた」。(エレ 10:21)教え手であるべき人々が聖書の原則に従わず,神を尋ね求めていなかったのです。そのため彼らは,真の知恵をもって行動することができませんでした。エレミヤは,いわゆる預言者たちをいっそう厳しく糾弾しました。―エレミヤ 14:14,15を読む。

      12 それら偽りの牧者たちとは異なり,クリスチャンの監督たちはイエスの手本を研究して,それに倣います。そうすることにより,知恵のある牧者として仕えることができます。とはいえ,時間と注意を要する様々な事柄があるので,そのような研究を定期的に行なうのは容易でないかもしれません。長老である方ならよくご存じのとおり,知識と洞察力を反映した有益で真実なことを教えるには,神の言葉と忠実で思慮深い奴隷級からの指示に基づいて教えることがどうしても必要です。もし個人研究が以前よりおろそかになっていることに気づいたなら,エレミヤの時代の偽りの牧者のようになってしまわないために,何ができるでしょうか。

      135ページの図版

      13 エレミヤの教え方はどんな点で優れていましたか。今日のクリスチャンの牧者たちは,エレミヤから何を学べますか。

      13 エレミヤが非常に効果的に教えることができたのは,一つには,例えを用いたからです。もちろん,エレミヤはエホバから指示を受けていました。エレミヤが土器を地面にたたきつけて,同じようにエルサレムとその民は打ち砕かれる,とふれ告げるのを目にした人は,その光景を決して忘れなかったでしょう。(エレ 19:1,10,11)またエレミヤは,木のくびきを作って身に着け,ユダの人々がバビロンへの服従という厳しい束縛に苦しめられることを示しました。(エレ 27,28章)あなたの会衆の長老たちは,要点を例証するためにそのような劇的なことを行なうよう神から指示されてはいません。とはいえ,長老たちが適切な例えや経験を織り交ぜて教えてくれることに,あなたは感謝しておられるでしょう。よく考え抜かれた適切な絵画的表現や例は,印象的であり,心を動かします。

      14 (イ)エレミヤが『ギレアデのバルサム』に言及したのはなぜですか。(ロ)クリスチャンの長老たちは,兄弟たちの霊的な健康のために何ができますか。

      14 クリスチャンの牧者たちが教えを与えてくれることに,わたしたちは深く感謝しています。エレミヤは,当時のユダの人々が霊的ないやしを必要としていることを見て取り,こう言いました。「ギレアデにバルサムはないのか。また,そこにはいやす者がいないのか」。(エレ 8:22)ギレアデはイスラエルのヨルダン川東側の地域であり,そこには文字どおりのバルサムがありました。この植物性の芳香油は薬効で知られ,痛みを和らげたり傷を治したりするのによく使われていました。しかし,当時,霊的ないやしは全くありませんでした。なぜでしょうか。エレミヤはこう述べています。「預言者たちは実際に偽りのうちに預言し,祭司たちは自分の力にしたがって従えてゆく。そしてわたしの民はその状態を愛したのだ」。(エレ 5:31)今日ではどうですか。確かに「ギレアデにバルサム」があります。あなたも,自分の会衆にバルサムがあると思われませんか。群れを気遣うクリスチャンの牧者たちは,痛みを和らげるバルサムにも似た慰めを与えます。愛をもって兄弟たちを聖書の原則に注目させ,築き上げ,彼らのために一緒に祈ることにより,慰めを与えるのです。―ヤコ 5:14,15。

      あなたは会衆の長老たちの教え方のどんな面に特に感謝していますか。長老たちの教え方が効果的なのはなぜですか。

      「エホバはこのように言われた」

      15,16 文字どおりの羊の群れも霊的な羊の群れも,注意を向けてもらう必要があるのはなぜですか。

      15 羊飼いは,健康な子羊が生まれると,長時間の重労働が報われたと感じて大喜びします。それでも,子羊が元気に育つには注意が欠かせない,ということを知っています。子羊がきちんと栄養を取れるようにしてやらなければなりません。品種によっては,羊には生まれつき長い尾があり,泥や土の上を引きずることがあります。羊飼いは羊が清潔で健康でいることを願っているので,尾を短く切るかもしれません。とはいえ,不必要な痛みを与えないよう上手に行ないます。霊的な牧者たちも,羊である会衆の成員に愛のこもった注意を向けます。(ヨハ 21:16,17)そして長老たちは,関心を持つ人が進歩して真のクリスチャンになるのを見ると,大きな喜びを味わいます。クリスチャンの監督たちは,すべての羊が ― 若い羊も年長の羊も ― 健康できちんと養われるようにしたいと願っているので,怠ることなく注意を向け,必要な時には援助を与えます。それには,『エホバが言われた』事柄つまり聖書の教えている事柄を思い起こさせることも含まれます。―エレ 2:2,5; 7:5-7; 10:2。テト 1:9。

      16 エレミヤには,神の音信を告げ知らせるため,大胆さが求められました。会衆の長老たちもそうです。兄弟たちを保護するためにはっきり語らなければならないときは,特にそうです。例えば,“生まれたばかりの子羊”や年長の「羊」がサタンの世の泥に汚されるのを防ぐため,援助を与える必要がある,ということに気づくかもしれません。危険な状態にある羊が助言を求めようとしない場合もあります。そうだとしても,良心的な牧者は,群れの成員が問題に足を踏み入れるのを黙って見過ごすことなどできません。また,そのような状況を軽く見ることもありません。明らかに問題があり,仲間の僕がエホバとの平和を失いかねないのに,何も問題がないかのような態度を取ったりはしないのです。―エレ 8:11。

      17 牧者は,どんなときに,どのように,個々の羊に特別な注意を向けなければなりませんか。

      17 不用心な羊が群れからさまよい出そうになるなら,機敏な牧者はすぐに安全な所に連れ戻そうとします。(エレミヤ 50:6,7を読む。)クリスチャンの監督も,危険な状況にさまよい込みそうな人たちを,毅然と,しかも愛をこめて諭さなければならないことがあります。例えば婚約中のカップルが,感情の高まりそうな場所で,付き添いもなく二人きりで過ごしているかもしれません。それに気づいた長老は,そうした危うい状況を避けるよう,親切に思いやり深く二人を援助するでしょう。責めるような言い方を注意深く避けつつも,エホバの憎まれる行ないに至るおそれがあることをはっきりと指摘します。エレミヤと同様,忠実な長老たちは神が非とされることを非とします。そしてその際,エホバに倣います。エホバは厳しい言い方をせず,ご自分の預言者を通して次のように民に訴えかけておられます。「わたしの憎んだこの忌むべきことを,どうかしないように」。(エレ 5:7; 25:4,5; 35:15; 44:4)あなたは,愛ある牧者たちが群れを気遣っていることを心から感謝しておられますか。

      18 霊的な牧者たちの努力は,励みとなるどんな結果を生みますか。

      18 エレミヤが助言を与えた人すべてが耳を傾けたわけではありません。しかし,耳を傾ける人もいました。例えば,エレミヤの友であり秘書であるバルクが強い助言を必要としていたとき,エレミヤは差し控えることなく助言しました。(エレ 45:5)その結果,どうなったでしょうか。バルクは神の恵みを得て,エルサレムの滅びを生き残りました。今日の会衆の長老たちも,仲間の信者たちを援助して良い結果を見るとき,命を救う「説き勧めることと教えること」に引き続き『もっぱら励もう』という決意が強まります。―テモ一 4:13,16。

      「適度に」懲らしめる

      138ページの図版

      19,20 悪行者を扱う点で,長老たちにはどんな責任がありますか。

      19 今日の監督たちには,霊的な面で裁きを行なうという役割もあります。稀なこととはいえ,長老たちは,故意に罪を犯した人を扱わなければなりません。悔い改めに導きたいと願ってそうします。エホバは悪行者たちに,悪の道から離れるようにと,親切に,しかし率直に語りかけておられます。(エレ 4:14)とはいえ,会衆の成員が罪深い歩みをやめようとしないなら,監督たちは,腐敗的な影響力から群れを保護するために行動する必要があります。聖書の指示に従って,その悪行者を追放しなければならない場合もあります。そのような状況で長老たちが神の公正を固守することを,エホバは期待しておられます。この点で,良い王ヨシヤは手本となっています。「彼は苦しむ者や貧しい者の申し立てを弁護し」ました。公正を愛する神に倣っていたのです。それゆえエホバは,ヨシヤの行動について,「それが,わたしを知ることではなかったか」と言われました。ヨシヤは公正と義を行なったので,『彼にとって物事は順調に運び』ました。会衆の長老たちがヨシヤの手本に倣おうとするとき,あなたもいっそう安心感を抱けるのではありませんか。―エレ 22:11,15,16。

      20 エホバは悪行者を「適度に」懲らしめられます。(エレ 46:28)それゆえ長老たちは,状況や示される態度に応じて,助言したり,説き勧めたり,戒めたりしなければなりません。悔い改めない悪行者を排斥しなければならない場合もあります。そのような場合,長老たちは,罪深い歩みを続けている追放された人のために公に祈ることはしません。そうするのは不適切なことだからです。a (エレ 7:9,16)とはいえ,神の恵みのもとに帰るための方法を排斥された人に知らせることによって,神に倣います。(エレミヤ 33:6-8を読む。)排斥には痛みが伴うでしょうが,神の規準は公正で義にかなっていて,すべての人にとって最善の益となる,ということをわたしたちは確信できます。―哀 1:18。

      21 神の羊の群れはどのような状態であるべきですか。あなたはどのようにそれに貢献できますか。

      21 会衆の牧者たちが霊感による神の規準を見極めて適用するとき,群れはよく養われ,健康を保ち,しっかり保護されます。(詩 23:1-6)エレミヤは,態度と動機について,ふさわしいものとふさわしくないものの両方を述べており,その情報は,神の羊を世話するという重い責任を果たすクリスチャンの監督たちにとって有益です。わたしたち各人は,こう自問できます。『わたしはこれからも,「知識と洞察力とをもって」群れを「実際に牧する」牧者たちを支持することによって,民を教え,導き,保護するエホバの取り決めへの感謝を示していくだろうか』。―エレ 3:15; 23:4。

      どんな場合に,監督たちは大胆に行動しなければなりませんか。エホバは,裁きを行なう長老たちに何を期待しておられますか。

      a 「ものみの塔」2001年12月1日号30-31ページを参照。

  • 「それが,わたしを知ることではなかったか」
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第12章

      「それが,わたしを知ることではなかったか」

      1,2 家を建てようとしたエホヤキムは愚かだった,と言えるのはなぜですか。

      エホヤキム王は大きな家を建てようとしています。少なくとも2階建てで,広々とした部屋が幾つもあります。大きな窓には日差しがあふれ,新鮮な空気が絶えず流れ込むので,王と家族は快適に過ごせます。壁には,良い香りのするレバノン杉の鏡板が張られます。内装は,輸入した朱の塗料を使って,他国の有力者たちもうらやむような深みのある赤に仕上げる予定です。―エレ 22:13,14。

      2 巨額の工事費が必要です。当時,国の防衛のため,またエジプトから貢ぎを要求されていたため,ユダの国庫はほとんど底を突いていたようです。(王二 23:33-35)エホヤキムは,新たな王宮の建設費を賄う方法を思いつきます。建設労働者の賃金を支払わないことにするのです。エホヤキムは労働者たちを奴隷のように酷使し,君主への奉公としてただ働きさせます。

      3 エホヤキムと父親はどのように対照的でしたか。そのような違いがあったのはなぜですか。

      3 神はエレミヤを通して,エホヤキムの利己的な態度を厳しくとがめます。a そして,父ヨシヤ王が労働者階級の人や貧しい人に並々ならぬ親切と寛大さを示したことを,エホヤキムに思い出させます。ヨシヤは,そうした人々を法廷で弁護することさえしました。エホバは,弱い立場の人へのヨシヤの思いやりにエホヤキムの注意を向け,こう言われます。「それが,わたしを知ることではなかったか」。―エレミヤ 22:15,16を読む。

      4 エホバを知ることがあなたにとって重要なのはなぜですか。

      4 サタンの世が悪化の一途をたどる今日,わたしたちは,神を親しく知る人にエホバが与えてくださる助けと保護を必要としています。ですから,神にいっそう近づくべきです。また,良いたよりの伝道で成功を収めるために,神の優れた特質を反映することも必要です。では,どうすればクリスチャンはヨシヤ王のようにエホバを知ることができるでしょうか。

      神を知るとは

      5,6 (イ)良い父親は子どもにどんな影響を与えますか。(ロ)わたしたちはエホヤキムとは異なり,エホバの道を知ることについてどんな態度を取りますか。

      5 良い父親が子どもの生き方にどのような影響を与えるか,考えてみましょう。子どもは,恵まれない人々に父親が親切に物を与えているのを見ると,自分も物惜しみしないようにしたいと思うでしょう。父親が母親に愛と敬意をもって接しているのを見るなら,異性に思いやりを示すようになるでしょう。父親が金銭面で正直な人として知られていることを聞くと,自分も正直な人になろうとするはずです。このように,父親の行動や特質を知った子どもは,自分も父親と同じような仕方で他の人に接したいという気持ちを抱いて成長していくに違いありません。

      6 クリスチャンについても同じことが言えます。ヨシヤのようにエホバを知っているクリスチャンは,エホバを単に宇宙主権者として認めるだけではありません。聖書を読んで,神が他の者をどのように扱われるかを知ると,天の父に倣いたいという気持ちになります。エホバへの愛が深まり,日ごとに,エホバが好まれるものを好み,嫌われるものを嫌うようになっていきます。それとは対照的に,神の律法と諭しを無視して神の影響を退ける人は,まことの神を知るようになりません。エレミヤを通して与えられたエホバの言葉を火に投げ入れたエホヤキムのようです。―エレミヤ 36:21-24を読む。

      143ページの図版

      ヨシヤとエホヤキムは,神の言葉に対して異なった反応を示した

      7 ヨシヤ王のようにエホバを知ることをあなたが願うのはなぜですか。

      7 神聖な奉仕における成功と新しい世における命の見込みは,エホバを真に知ることにかかっています。(エレ 9:24)では,エレミヤの書が明らかにしている神の特質を幾つか調べてみましょう。そのようにして神のご性格を考察する際,どうすれば自分はヨシヤ王のように神を知って神に倣えるだろうかと考えてみてください。

      ヨシヤ王はエホバを親しく知っていた,と言えるのはなぜですか。あなたの場合,ヨシヤのようにエホバを知ることには何が関係していますか。

      「その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶ」

      8 愛ある親切とは何ですか。

      8 神のご性格の一面である愛ある親切,つまり忠節な愛は,多くの言語において簡潔に定義するのが難しい特質です。ある聖書辞典は,この特質を指すヘブライ語が強さと不動さと愛の相互作用を表わすことを述べ,こう続けています。「この語の説明にあたって,三つのうちのどれが欠落しても,この語の豊かな意味合いの一部が必ず失われてしまう」。ですから,愛ある親切を示す人は,単なる良い人ではありません。他の人を深く気遣って,その人が自分の必要 ― 特に霊的な必要 ― を満たすのを最善を尽くして助けようとします。そのように利他的に行動するのは,おもに,全能の神を喜ばせたいと願っているからです。

      9 エホバがイスラエルを扱われた仕方から,何が分かりますか。

      9 「愛ある親切」という聖書の表現の本質を把握する最善の方法は,神が真の崇拝者たちを長年どのように扱われたかを研究することです。エホバは,イスラエル人を荒野で40年のあいだ保護し,養われました。約束の地では,彼らを敵の手から救出して真の崇拝に引き戻すため,裁き人たちを起こされました。エホバは,そのようにして幾世紀ものあいだ良い時も悪い時もイスラエル人を見捨てなかったので,彼らにこう言うことができました。「わたしは定めのない時に至る愛をもってあなたを愛した。それゆえに,わたしは愛ある親切をもってあなたを引き寄せたのである」。―エレ 31:3。b

      10 バビロンにいたユダの人々の例が示すとおり,エホバは祈りに耳を傾けることによって,愛ある親切をどのように示されますか。

      10 現代でも神は,ご自分の崇拝者たちに直接に益となる仕方で,愛ある親切を示しておられます。祈りについて考えてみましょう。エホバは,誠実な祈りすべてを聴いておられますが,ご自分の献身した僕たちが祈るときには特別な注意を払われます。同じ問題についてわたしたちが何年も祈り続けているとしても,神は辛抱を失ったり,祈りを聞くのにうんざりしたりはされません。昔エホバはエレミヤを通して,バビロンで捕囚となっているユダの人々に音信を送られました。その人々は神殿から800㌔もかなたにおり,ユダにいる家族や友人からも遠く離れていました。しかし,神殿から遠く離れてはいても,恵みを求めたり賛美したりする彼らの祈りはエホバに届いていました。あなた自身の誠実な祈りを念頭に置きつつ,ユダの人々がエレミヤ 29章10-12節にあるような神の言葉を聞いた時にどれほど慰められたかを考えてみてください。―読む。

      144ページの図版

      11,12 (イ)エホバは,エルサレムの人々に何を差し伸べられましたか。(ロ)必要な懲らしめを受けた人は,どんな援助を得ることができますか。

      11 エホバの愛ある親切は積極的な見方にもはっきりと表われています。エルサレムの住民は,同市の陥落を目前にしてなお反逆 ― 実質的には神への反逆 ― を続けていました。彼らにはどんな将来があったでしょうか。おそらく,飢きんあるいはバビロンの剣による死でしょう。命を長らえたとしても,異国の地へ流刑にされて長い年月を過ごし,そこで死ぬことになるでしょう。しかしエホバは,悔い改めて生き方を変える人々に,積極的な「良い言葉」を差し伸べられました。彼らに「注意を向ける」と約束なさったのです。彼らを遠いバビロンから「この場所に」,故国に「連れ戻して」くださいます。(エレ 27:22)その結果,彼らはこう叫ぶことになります。「万軍のエホバをたたえよ。エホバは善良な方だからである。その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである!」―エレ 33:10,11。

      12 エホバは愛ある親切に満ちる方なので,人間の観点からは絶望的に見える状況にいる人にとって励ましの源となってくださいます。今日,かつてはクリスチャン会衆の一員であったものの,必要かつ適切な懲らしめを受けた人たちがいます。その人たちは,罪の意識に圧倒され,神の民と再び交わるのを躊躇しているかもしれません。エホバに許していただいて神のもとに戻れるのだろうか,と思っているかもしれません。全能の神は,そのような人たちのためにも「良い言葉」を述べておられます。その人たちは,考えと行ないにおいて必要な変化を遂げるために,親切な援助を受けることができます。そして,前の節で考えた点が,原則として,その人たちにも当てはまります。エホバはその人たちを,ご自分の幸福な民の中での『場所に戻して』くださるのです。―エレ 31:18-20。

      13 エホバがエレミヤを支えられたことが,あなたにとって励みとなるのはなぜですか。

      13 愛ある親切の神エホバは,忠実な僕たちを忠節に支えてくださいます。サタンの世の終わりの日である今,わたしたちは,神の王国を第一に求める人すべてをエホバが支え保護してくださることに信頼を置けます。エルサレムの終わりの日にエレミヤが食物の点でも保護の点でもエホバに頼った,ということを忘れてはなりません。神は確かにエレミヤの信頼にこたえられました。(エレ 15:15。哀歌 3:55-57を読む。)あなたも,何らかの大きな圧力を受けているなら,忠節な行ないをエホバが覚えてくださっていることを確信してください。愛ある親切に満ちる神は,あなたが「終わりに至る」ことのないようあなたを支えたいと願っておられます。―哀 3:22。

      エホバの愛ある親切の特にどんな面に,あなたは魅力を感じますか。なぜですか。

      『エホバは公正をもって生きておられる!』

      14 あなたは最近,どんな不公正を見聞きしましたか。

      14 無実の罪で何年も刑務所で過ごす人がいます。死刑を宣告され,処刑された後に,無実であることが判明したケースもあります。国によっては,家族が食べていくために親がやむなく子どもを奴隷として売ることがあります。そうした不公正について聞くと,あなたはどう感じますか。エホバはどう感じておられると思いますか。聖書が明らかにしているとおり,神は苦しみの原因すべてを取り除きたいと考えておられます。それができるのは神だけです。ですから,不幸にも自分の責任でない事柄で苦しんでいる人は,希望を抱けます。公正の神エホバは,そのような人を苦難から救い出すための措置を講じておられます。―エレ 23:5,6。

      146ページの図版

      15,16 (イ)エレミヤは,エホバに関するどんな事実を強調しましたか。(ロ)あなたが神の法や約束を信頼できるのはなぜですか。

      15 エレミヤの時代,一部の人は,公正という神の優れた特質を意識していました。それでエレミヤは,イスラエルが罪を悔い改め,いわば「エホバは真実と公正と義とをもって生きておられる!」と言うことによって心の変化を証明する可能性がある,と述べました。(エレ 4:1,2)この言葉のとおり,エホバが意図しておられる事柄に不公正は全くありません。とはいえ,エホバが公正を愛される方であることを示す証拠はほかにもあります。

      16 神は語ったことを必ず実行されます。偽善的ではありません。多くの人は約束を破りますが,エホバはそうではありません。わたしたちの益となっている自然法則も神が制定されたものであり,変わることはありません。(エレ 31:35,36)わたしたちは神の約束や司法上の決定に信頼を置くことができます。それらは常に善いものだからです。―哀歌 3:37,38を読む。

      17 (イ)裁きを行なうとき,エホバは何をなさいますか。(ロ)会衆内の問題を扱う長老たちを信頼できるのはなぜですか。(「エホバの代理として裁く人々」という囲みを参照。)

      17 エホバは,裁きを行なうとき,物事の表面だけを見て十分とは思われません。すべての事実を把握するため,背後にあるものをご覧になります。人々の動機も分析なさいます。医師は,特殊な機器や技術を用い,鼓動している心臓を見て情報を得ることができます。血液を濾過している腎臓を調べることもできます。エホバにはそれ以上のことが可能です。心を調べて動機を分析し,内奥の感情の表われる腎を探ることができます。そのようにして,人が特定の行動を取った動機や,その行動について本人がどう感じているかを確かめることができるのです。しかも全能者は,綿密な調査によって明らかになった大量の詳細な情報に圧倒されることはありません。人間の裁判官の中で最も洞察力に富む人よりも優れた方である神は,そうした情報すべてを平衡の取れた正しい仕方で用いて,わたしたちを裁かれます。―エレミヤ 12:1前半; 20:12を読む。

      エホバの代理として裁く人々

      エホバは,書き記されたみ言葉とクリスチャン会衆を通して長老たちを訓練し,ご自分の裁きの方法を教えておられます。そして彼らに,ご自分の代理として会衆内の問題を扱う権威を与えておられます。長老たちは不完全であり,エホバのように心を読むことはできません。しかし,全能の神の手本に倣って仲間の崇拝者たちに接したいと願っています。神の導きを祈り求め,関係する聖書の原則を適用しようと努めて,エホバのように『義をもって裁こう』とします。(エレ 11:20)ですから,長老たちを信頼できる十分の理由があります。「彼らは言い開きをする者として,あなた方の魂を見守っているのです」。―ヘブ 13:17。

      18,19 公正という神の特質について知ると,どうするよう動かされますか。

      18 ですから,たとえ過去の失敗のゆえに良心の呵責を覚えるときでも,エホバに依り頼むことができます。忘れないでください。エホバは,罰する理由を執拗に探す検察官のような方ではありません。助けたいと願う,同情心あふれる裁き主です。自分の過去の歩みや他の人との問題のために気持ちが騒ぐのであれば,「論争」つまり感情面の葛藤を取り上げてくださるようエホバにお願いしましょう。そうするなら,それ以上思い悩まずにすみます。c 神の助けにより,自分が神聖な奉仕を続けていることを神は高く評価してくださっている,と感じることができるでしょう。―哀歌 3:58,59を読む。

      19 当然ながら,完全な公正の神は,神の是認を求める人自身も公正を行なうことを願っておられます。(エレ 7:5-7; 22:3)わたしたちが偏見を抱かずに良いたよりを宣べ伝えることは,神の公正を表わす重要な方法です。良心的に再訪問を行なったり聖書研究を司会したりするとき,神の優れた公正の規準を実に有益な仕方で反映していることになります。どうしてそう言えますか。神が望んでおられるのは,あらゆる人が神について学んで救いを得ることだからです。(哀 3:25,26)神と共に働く者となり,命を救う業において神の公正を反映するのは,なんと大きな特権でしょう!

      あなたは,エホバの公正からどのように慰めを得ていますか。神の公正に倣うことにより,どのように他の人を慰めることができますか。

      「わたしは定めのない時に至るまで憤慨しつづけることはない」

      20 (イ)エレミヤは,神が人々をどのように扱われることを強調していますか。(ロ)『悔やむ』こととエホバの許しにはどんな関係がありますか。(「エホバはどんな意味で『悔やまれる』か」という囲みを参照。)

      20 多くの人は,エレミヤ書と哀歌を,悪を糾弾するだけの書とみなします。しかし,それらの人が見落としている点として,この二つの書には,エホバがご自分の民に許しを差し伸べる心温まる言葉が記されています。神はユダの人々にこう語りかけておられます。「どうか,各々自分の悪い道から立ち返り,あなた方の道とその行ないを良いものとするように」。別の時には,エレミヤがこう説き勧めています。「あなた方の道と行ないを良くし,あなた方の神エホバの声に従いなさい。そうすれば,エホバはあなた方に対して語った災いを悔やまれるでしょう」。(エレ 18:11; 26:13)エホバは今日でも,心からの悔恨の念を抱いて悪い行ないをやめる人すべてを許してくださいます。

      21 エホバは,人を許すとき,何をしたいと望まれますか。

      21 とはいえエホバは,許しについて語るだけではありません。語ったとおりに行動なさいます。エレミヤを通してこう説き勧めておられます。「背信のイスラエルよ,帰れ……。わたしはあなた方に怒って顔を向けることはない。……わたしは定めのない時に至るまで憤慨しつづけることはない」。(エレ 3:12)神は,ご自分の民の中のだれかを許した場合,その人に対していつまでも怒りや苦々しい気持ちを抱いたりはされません。悪がなされたのは事実ですが,エホバは損なわれた関係を修復したいと望まれます。人が罪を犯した場合でも,真に悔い改めて神の許しを求めるなら,エホバはその人を恵みと祝福へと『連れ戻して』くださいます。(エレ 15:19)この保証の言葉は,まことの神から疎遠になっている人にとって,神のもとに帰る励みになるでしょう。あなたも,エホバの許しについて考えると,神に引き付けられるのではありませんか。―哀歌 5:21を読む。

      エホバはどんな意味で『悔やまれる』か

      神の許しの偉大さは,罪を習わしにしていた人が心を変化させた時の対応によく表われています。神は,その人が生き方を改めてご自分に従うのを見ると,『悔やまれ』ます。(エレ 18:8; 26:3)どのようにでしょうか。

      神は完全であり,判断を誤ることは決してありません。ですから,判断を大きく誤った人間がするように悔いる,ということはありません。エホバは,相手の心が変化すると扱い方を調整するという意味で,悔やまれるのです。

      これは,冷ややかに判決を取り消す,ということではありません。悔い改めた人に対するエホバの感情が変化するのです。学者たちによると,先ほど引用した聖句で「悔やむ」と訳されているヘブライ語動詞はそもそも,ため息をつくかのようにして「深く息をする」という考えを表わしているようです。ですから,エホバは人の心に真の悔恨の念があるのを見るとき,あたかも,ほっとため息をつくかのように深く息をなさる,と言えるでしょう。神は,悔い改めた人に対して,ご自分の是認を受けている人に対するような愛ある関心を向けられます。罪を犯した人は依然として何らかの結果を身に受けなければならないかもしれませんが,神はその人の心の変化を喜んでおられます。その人に臨んで当然だった「災い」つまりご自分の懲らしめを和らげてくださいます。(エレ 26:13)人間の裁判官は真の悔い改めをこのように認めようとはしないかもしれません。しかしエホバは,そうすることを喜びとされるのです。―エレ 9:24。

      152ページの図版

      22,23 あなたは許しに関してエホバに倣うとき,何を目指しますか。

      22 あなたは,だれかの無思慮な言葉や行動によって感情を害されたとき,エホバに倣いますか。神は古代のユダの人々に関して,ご自分が許す人々を『浄める』と言われました。(エレミヤ 33:8を読む。)悔い改めた人のとがをもはや思い出さず,その人に神への奉仕における新たな出発をさせる,という意味で浄めることができるのです。もとより,神の許しを得たからといって,受け継いだ不完全さから浄められて罪のない完全な状態になるわけではありません。とはいえ,人を浄めることに関する神の言葉から,わたしたちは教訓を学べます。わたしたちの感情を害するような他の人のとがをもはや思い出さないよう努力できるのです。比喩的に言って,自分の心にあるその人に対する見方を浄める,ということです。どのようにしてそうできるでしょうか。

      23 家宝になるような立派な壺をもらったとしましょう。それに汚れや染みがついたなら,すぐに捨ててしまいますか。そうはしないでしょう。きっと注意深く汚れを取り除き,染みも消そうとするでしょう。その壺が日の光を浴びて美しく輝くのを見たいと願うからです。それと同じように,あなたを傷つけた兄弟や姉妹に対する恨みやいらいらを消し去ろうと一生懸命に努力できます。傷つく原因となった言動にこだわる傾向と闘いましょう。そうした言動を忘れることができれば,自分が許した人に関する心の中のイメージや記憶を浄めたことになります。その人に対する消極的な考えが心からぬぐい去られるなら,永久に失われてしまったかに思えた親しい友情関係も取り戻しやすくなるでしょう。

      24,25 ヨシヤ王のようにエホバを知るなら,どんな益を得ることができますか。

      24 わたしたちは,神を知れば知るほど,エホバの特質や物事の扱い方を理解できるようになります。ここまでで,その幾つかの例を見てきました。エホバを親しく知ることから得られる益を考えると,受け入れられる仕方で神を崇拝したいという強い願いが生まれます。ヨシヤ王のように親しくエホバを知るなら,幸福に満ちた生活を送ることができます。幸福も神の特性の一面だからです。

      25 エホバをもっとよく知ると,他の人との関係も豊かになります。エホバのように愛ある親切や公正を示そう,人を許そうと努めるとき,クリスチャン会衆内での友情関係は深まり,いっそう貴重なものとなります。さらに,再訪問を行なったり進歩的な聖書研究を司会したりする面で,より有能な教え手となれます。関心を持つ人たちは,わたしたちのクリスチャンとしての生き方を見て,それをいっそう心地よいものと感じるでしょう。このようにしてわたしたちは,その人たちが受け入れられる仕方でエホバを崇拝して「良い道」を歩んでいくよう,より効果的に援助できるのです。―エレ 6:16。

      哀歌 5章21節から,どんなメッセージが読み取れますか。

      a エホヤキムの悲惨な結末については,本書の第4章12節を参照。

      b 「新英訳聖書」はエホバの言葉をこう訳しています。「わたしは昔からあなたを深く愛してきた。今も,あなたに対する気遣いは変わらない」。

      c 兄弟か姉妹が神の律法に明らかに違反する行ないをしているなら,会衆の長老たちに知らせるべきです。そうすることにより,長老たちはその件を扱い,聖書的な援助を与えることができます。―ヤコ 5:13-15。

  • 「エホバはご自分の思っていたことを行なわれた」
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第13章

      「エホバはご自分の思っていたことを行なわれた」

      1 エルサレムが完全に滅びた時,エレミヤはエホバの預言について何と述べましたか。

      エルサレムは廃墟と化しました。攻め込んできたバビロニア軍があちこちで火をつけ,その煙が今も立ち上っています。エレミヤの耳には,殺される人々の悲鳴がまだ残っています。何が生じるかを,エレミヤはあらかじめ告げられていました。そして,まさに神が語られたとおりのことが起きました。「エホバはご自分の思っていたことを行なわれた」とエレミヤはつぶやきます。エルサレムの陥落,なんと悲惨な出来事でしょう。―哀歌 2:17を読む。

      2 エレミヤは,幾世紀も前に語られたどんな預言の成就を目撃しましたか。

      2 エレミヤは,神の民に伝えられた多くの預言の成就を目撃しました。ずっと昔の預言も成就したのです。幾世紀も前,モーセはイスラエルに,神への従順が「祝福」を,不従順が「呪い」を招くと告げました。エホバは,民にとって最善のことを,つまり祝福を望んでおられました。しかし,不従順は身の毛のよだつような呪いをもたらします。エホバを無視して逆らう者は『息子の肉や娘の肉を食べる』とモーセは警告し,後にエレミヤもそう述べました。(申 30:19,20。エレ 19:9。レビ 26:29)『そんなおぞましいことが本当に生じるのだろうか』と思う人がいたかもしれませんが,バビロニア軍に攻囲されて食糧が手に入らなくなった時,実際にそれが生じました。エレミヤはこう報告しています。「同情心の豊かな女たちのその手が,自分自身の子供たちを煮たのである。それらはわたしの民の娘の崩壊のとき,人に対する慰めのパンのようなものとなった」。(哀 4:10)実に悲惨な光景です。

      3 神がご自分の民に預言者たちを遣わされたことには,どんな目的がありましたか。

      3 とはいえ,エホバがエレミヤのような預言者たちを任命なさった目的は,差し迫った滅びを告げ知らせることだけではありませんでした。神は,ご自分の民が忠実な歩みに立ち返ることを望んでおられました。罪人たちが悔い改めることを望んでおられたのです。その点をエズラはこう述べています。「彼らの父祖たちの神エホバはその使者たちによって彼らに伝えさせ続け,何度も遣わされた。その民とご自分の住まいとに同情を覚えられたからである」。―代二 36:15。エレミヤ 26:3,12,13を読む。

      154ページの図版

      4 エレミヤは,自分が伝える音信についてどう感じましたか。

      4 エホバのようにエレミヤも,民に同情を覚えていました。それは,エルサレムの陥落の前に彼が述べた言葉から分かります。エレミヤは,迫り来る災厄にひどく心をかき乱されていました。その大惨事は,民がエレミヤの音信に耳を傾けて従いさえすれば回避できるのです。神からの音信を伝えた時のエレミヤの気持ちを想像してみてください。こう言いました。「ああ,わたしのはらわた,わたしのはらわたよ! わたしは心臓の壁の中で激しい痛みを覚える。わたしの心臓はわたしの内にあって騒ぎ立っている。わたしは黙っていることができない。わたしの魂が聞いたのは角笛の音,戦いの警報だからである」。(エレ 4:19)エレミヤは,近づく災いについて口をつぐんでいることなどできなかったのです。

      エレミヤが強い確信を持てたのはなぜか

      5 エレミヤが自分の伝えた音信に確信を抱いていたのはなぜですか。

      5 エレミヤが,自分の預言した事柄は起きる,と確信できたのはなぜでしょうか。(エレ 1:17; 7:30; 9:22)彼は信仰の人であり,聖書を研究して,エホバが真の預言の神であることを知っていました。エホバには人間の観点からすると生じ得ないと思える事柄も正確に予告する能力がある,ということを歴史は明らかにしていました。例えば,エジプトでの束縛からのイスラエルの解放がそうです。エレミヤは,出エジプト記の記述と目撃者ヨシュアの言葉をよく知っていました。ヨシュアは仲間のイスラエル人にこう言いました。「あなた方は心をつくし魂をつくして知っているはずです。すなわち,あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉は,その一言といえ果たされなかったものはありません。それはあなた方にとってすべてそのとおりになりました。その一言といえ果たされなかったものはありません」。―ヨシュ 23:14。

      6,7 (イ)エレミヤの宣明した預言に関心を持つことが大切なのはなぜですか。(ロ)あなたが自分の宣べ伝える音信に確信を抱くのに何が役立ちますか。

      6 わたしたちにとって,エレミヤの語った預言に注意を向け続けることは大切です。なぜでしょうか。第一に,エホバの言葉に対するエレミヤの確信にはしっかりした根拠があったからです。第二に,エレミヤを通して神が宣告なさった事柄の中には,いま成就しているものや,これから成就するものがあるからです。第三に,エレミヤは神の名によって極めて多くの事柄を,しかも力強く告げ知らせたという点で,神の僕たちの中で際立っているからです。「エレミヤは一群の預言者の中でも,巨人のようにそびえている」と,ある学者は述べています。エレミヤは神がご自分の民を扱う際にお用いになった傑出した預言者とみなされていたので,イエスが語るのを聞いたある人々はイエスのことをエレミヤだと考えたほどです。―マタ 16:13,14。

      7 エレミヤと同じく,わたしたちも,重要な聖書預言が成就している時代に生きています。そして,エレミヤと同じく,神の約束の真実さに対する確信を保つ必要があります。(ペテ二 3:9-14)どうすれば保てるでしょうか。神の預言の言葉は絶対に確かであるという信頼を増し加えていくことによって,そうできます。そのために,この章では,エレミヤが伝えた預言を取り上げます。その幾つかの成就をエレミヤは目撃しました。また,後の時代に成就したものや,今そして将来わたしたちに影響を及ぼすものもあります。そうした預言について調べることにより,エホバの預言の言葉への信頼を深め,『エホバはご自分の思っていることを行なわれる』という確信をいっそう強めるようにしてください。―哀 2:17。

      神が預言者たちを任命なさったのはなぜですか。あなたが,差し迫った滅びに関する預言に信頼を置いているのはなぜですか。

      エレミヤが語り,成就を目撃した預言

      8,9 聖書はどんな点で際立った本ですか。

      8 経済学者,政治家,心霊術者,気象予報士など,将来を予測しようとする人は少なくありません。しかしながら,数日か数週間先に起きる簡単なことでさえ正確に予測するのは難しい,と言わざるを得ません。とはいえ,正確な預言は聖書の顕著な特徴の一つとなっています。(イザ 41:26; 42:9)エレミヤの預言は,近い将来に関するものであれ,遠い将来に関するものであれ,すべて確実に成就します。その多くは,個人や国家に関するものです。ではまず,エレミヤの生涯中に成就した預言を考えてみましょう。

      9 今日,1年か2年後の世界情勢を予測できる人はいません。例えば国際情勢の専門家も,国家間の力関係の変化を正確に予告することはできません。しかし,エレミヤは神の霊感を受けて,バビロンの勢力拡大を予告しました。エレミヤの言葉によると,バビロンは「黄金の杯」であり,エホバはそれを用いてご自分の憤りをユダと近隣の多くの都市や民に対して注ぎ出し,彼らを隷属状態に陥らせます。(エレ 51:7)まさにそのとおりのことが起きるのを,エレミヤおよび同時代の人たちは目撃しました。―エレミヤ 25:15-29; 27:3-6; 46:13と比較。

      10 ユダの4人の王に関して,エホバは何を予告されましたか。

      10 エホバはエレミヤを用いて,ユダの4人の王の結末もお告げになりました。ヨシヤ王の子シャルムつまりエホアハズに関しては,流刑にされて二度とユダには帰って来ないことを予告なさいました。(エレ 22:11,12)そして,予告どおりになりました。(王二 23:31-34)神は,エホアハズの後継者エホヤキムが「雄のろばが埋められるように埋められる」とも言われました。(エレ 22:18,19; 36:30)聖書は,エホヤキムがどのような死に方をして遺体がどう扱われたかは述べていませんが,攻囲中に彼の子エホヤキンが後を継いだことは示しています。エレミヤは,エホヤキン(コニヤまたエコニヤとも呼ばれる)がバビロンへ流刑になり,そこで死ぬ,と予言しました。(エレ 22:24-27; 24:1)これも,そのとおりになりました。最後の王ゼデキヤはどうでしょうか。エレミヤは,ゼデキヤが敵の手に渡され,敵は全く同情を示さない,と予告しました。(エレ 21:1-10)どうなりましたか。敵はゼデキヤを捕らえ,その目の前で年若い息子たちを殺してから彼を盲目にしてバビロンに連れて行き,ゼデキヤはそこで死にました。(エレ 52:8-11)このように,すべての預言が成就しました。

      11 ハナニヤとはどんな人物ですか。彼について,エホバは何を予告なさいましたか。

      11 エレミヤ 28章によると,ゼデキヤの治世中に偽預言者ハナニヤは,エルサレムに対するバビロンの支配についてエレミヤが伝えたエホバの宣告に反駁しました。ハナニヤは神の言葉を無視し,ネブカドネザルがユダと他の国々に課した隷属というくびき棒は砕かれる,と唱えます。エレミヤはエホバから指示を受けてハナニヤの偽りを暴き,多くの国の民がバビロニア人に仕えなければならなくなると再び述べ,あなたは今年のうちに死ぬとハナニヤに告げました。これもそのとおりになりました。―エレミヤ 28:10-17を読む。

      12 エレミヤの伝えた主要な預言的音信に,当時の大半の人はどう反応しましたか。

      12 とはいえ,神がエレミヤにお与えになった最も重要な預言的音信は,エルサレムの陥落に関するものでした。エレミヤは,ユダの人々が偶像礼拝や不公正や暴虐を悔い改めない限りエルサレムは覆される,と繰り返し警告しました。(エレ 4:1; 16:18; 19:3-5,15)当時の多くの人は,エホバがそのようなことをなさるはずがない,と考えていました。エルサレムには神の神殿がありました。その聖なる場所が滅ぼされるのを神が許されるわけがない,そんなことは決して起きない,と考えていたのです。しかしエホバは,偽りを語ったりはされません。ご自分の思っていたことを行なわれました。―エレ 52:12-14。

      160ページの図版

      レカブ人,エベド・メレク,バルクの手本を用いて,お子さんの信仰を築いてください

      13 (イ)今の時代はエレミヤの時代とどのように似ていますか。(ロ)エレミヤの時代の個々の人に対する神の約束に,あなたが関心を持つのはなぜですか。

      13 今日の神の民は,エレミヤの時代にエホバに忠節だった人たちと同じような状況にあります。わたしたちは,神の警告に留意しようとしない人すべてにエホバが間もなく災いをもたらされる,ということを知っています。同時に,神の預言的な約束に力づけられています。エレミヤの時代にユダで清い崇拝を固守していた人たちもそうでした。レカブ人はエホバにも父祖の命令にも忠実であったため,神は彼らがエルサレムの陥落を生き残ると言われました。そして,彼らは生き残りました。後に,ネヘミヤが総督だった時代にエルサレムの修復を援助した者として「レカブの子マルキヤ」の名が挙げられていることは,その証拠と言えるかもしれません。(ネヘ 3:14。エレ 35:18,19)エホバはエベド・メレクにも,生き残ることを保証なさいました。彼が神に依り頼み,エレミヤを支えたからです。(エレ 38:11-13; 39:15-18)同様に,エレミヤの友バルクにも,「あなたの魂を分捕り物として」与えると約束なさいました。(エレ 45:1,5)こうした預言の成就について考えると,あなたはどんな結論に至りますか。忠実であるならエホバからどのように扱っていただけると思いますか。―ペテロ第二 2:9を読む。

      神の預言が確かであることは,エベド・メレク,バルク,レカブ人にどんな影響を与えましたか。そうした預言について,あなたはどう感じますか。

      後の時代に成就した預言

      14 バビロンに関する神の預言が注目に値するのはなぜですか。

      14 神は,ネブカドネザルがユダだけでなくエジプトも征服することを予告なさいました。(エレ 25:17-19)そのようなことはとても起きそうになかったに違いありません。エジプトは非常に強大で,ユダを支配してさえいたからです。(王二 23:29-35)エルサレム陥落の後,ユダの残りの者たちは,エジプトで安全に暮らすことを願って故国を離れることを企てます。そうしてはならないとエホバから警告され,ユダにとどまるなら祝福を与えると言われていたにもかかわらず,そうしたのです。もしエジプトに逃げるなら,彼らが恐れている剣がそこで彼らに追いつくことになっていました。(エレ 42:10-16; 44:30)バビロンのエジプト侵攻をエレミヤが目撃したかどうかは,エレミヤの書には記されていません。しかし,西暦前6世紀前半にバビロニア軍がエジプトを征服した時,エジプトに逃げていたイスラエル人にエホバの預言が成就した,ということは確かです。―エレ 43:8-13。

      15,16 神の民の解放に関する神の言葉は,どのように実現しましたか。

      15 エレミヤは,エジプトを征服したバビロンの終焉についても預言しました。バビロンが突然に倒れることを,それより1世紀ほど前に正確に予告しています。バビロンを保護している水が『干上がり』,バビロンの力ある者たちは戦わない,と予告したのです。(エレ 50:38; 51:30)これらの預言は詳細な点まで成就しました。メディア人とペルシャ人がユーフラテス川の流れを変え,川床を歩いてバビロンに入り,不意打ちをかけたのです。さらに,バビロンが人の住まない荒れ地になるという宣言も驚くべきものです。(エレ 50:39; 51:26)かつて強大だったバビロンが今なお荒廃したままであることは,神の預言の正確さを実証しています。

      16 エホバはエレミヤを通して,ユダの人々がバビロニア人に70年間仕えることをお告げになりました。70年の後,神は民を故国に戻されます。(エレミヤ 25:8-11; 29:10を読む。)ダニエルはこの預言に全き確信を抱いていたので,それに基づいて,「エルサレムの荒廃」がいつ終わるかを計算しました。(ダニ 9:2)エズラによれば,「エレミヤの口から出たエホバの言葉が成し遂げられるため,エホバはペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせられ」ました。バビロンを征服したキュロスを動かして,ユダの人々を故国に帰還させたのです。(エズ 1:1-4)帰還した人々は,故国で平和に歓喜し,清い崇拝を復興しました。エレミヤが予告したとおりです。―エレ 30:8-10; 31:3,11,12; 32:37。

      17 ラマで『泣く』ことに関するエレミヤの言葉には,どんな二つの成就があったと考えられますか。

      17 エレミヤは,ずっと後の時代に成就する預言も記録しました。例えば,こう述べています。「エホバはこのように言われた。『ラマで声が聞こえる。嘆きと悲痛な泣き声が。ラケルはその子らのことで泣いている。彼女はその子らについて慰められることを拒んだ。彼らはもういないからである』」。(エレ 31:15)西暦前607年にエルサレムが荒廃した後,捕虜となったユダの人々は,エルサレムの北8㌔ほどの所にあるラマという都市に集められたようです。ラマで処刑された人もいたでしょう。そのために,いわば「子ら」を失ったラケルが泣き,それが最初の成就となったのかもしれません。とはいえ,それより600年以上後に,ヘロデ王はベツレヘムにいる幼児を虐殺しました。福音書筆者マタイは,その大虐殺に対する悲痛な反応をエレミヤが予告していた,と説明しています。―マタ 2:16-18。

      163ページの図版

      今日,エドム人はどこにいるか

      18 エドムに関する神の預言はどのように成就しましたか。

      18 別の預言も,西暦1世紀に成就しました。神はエレミヤを通して,エドムが他の国々とともにバビロンによって侵略される,と予告なさいました。(エレ 25:15-17,21; 27:1-7)しかし,神の言葉はそれ以上のことも述べています。エドムはソドムとゴモラのようになります。もはや人が住まなくなり,消滅するのです。(エレ 49:7-10,17,18)まさにそのとおりになりました。今日,エドムやエドム人という名はどこに記されているでしょうか。現代の地図ですか。いいえ,古代や聖書時代に関する本や歴史地図です。フラビウス・ヨセフスによれば,西暦前2世紀にエドム人はユダヤ教を受け入れるよう強制されました。その後,西暦70年のエルサレムの滅びに伴い,一つの民族としてのエドム人は消滅してしまいました。

      19 エレミヤ書は,預言を成就させる神の能力について何を明らかにしていますか。

      19 エレミヤ書には,個人や国家に関する預言が実にたくさん収められています。そうした預言の大部分はすでに成就しました。この事実を考えただけでも,エレミヤ書は注意深く研究する価値があると言えます。偉大な神エホバがご自分の思っていたことを行なわれ,今後もそうなさる,ということを裏書きしているからです。(イザヤ 46:9-11を読む。)このことは,聖書が予告している事柄に対するあなたの確信を強めるでしょう。エレミヤが記録した預言の一部は,成就するとき,あなたとあなたの将来に直接影響を及ぼすのです。この章の残りの部分で,そのような預言の幾つかを調べます。

      エレミヤの死後に成就したどんな預言がありますか。それらの預言があなたにとって重要なのはなぜですか。

      あなたに影響を及ぼす預言

      20-22 エレミヤ書の幾つかの預言も含め,聖書の預言には成就が二つ以上あるものがある,と言えるのはなぜですか。例を挙げてください。

      20 聖書の預言には,成就が二つ以上あるものがあります。例えば,イエスがご自分の「臨在と事物の体制の終結」のしるしについて弟子たちから尋ねられた時に答えた事柄がそうです。(マタ 24:3)その預言はまず西暦66年から70年にかけて成就しましたが,明らかに幾つかの点で,この邪悪な体制全体に臨む「大患難」の時に成就します。その大患難は,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような」患難となります。(マタ 24:21)エレミヤの記録した預言の中にも,成就が複数あるものがあります。幾つかの預言は西暦前607年に最初に成就し,二度目の成就はずっと後の時代に生じることになっていました。『子らのことで泣くラケル』に関して先ほど見たとおりです。(エレ 31:15)実のところ,エレミヤが予告した事柄の幾つかは現代に関するものであり,その成就はあなた個人にも影響を及ぼします。

      21 そのことは「啓示」の書から分かります。使徒ヨハネは霊感のもとに,西暦前539年のバビロンの終焉に関するエレミヤの預言に言及しました。「啓示」の書には,その出来事と,後の時代に生じるいっそう大規模な事柄との類似点が示されています。現代に成就を見たエレミヤの預言の一つは,大帝国が倒れること,つまり偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」が倒れることに関するものです。(啓 14:8; 17:1,2,5。エレ 50:2; 51:8)神の民は,そのバビロンと運命を共にしたくないなら,『彼女から出なければ』なりません。(啓 18:2,4。エレ 51:6)その都市には,彼女の民つまり信奉者という水がありますが,その水は『干上がって』しまいます。―エレ 51:36。啓 16:12。

      22 神は,ご自分の民を虐待してきた偽りの宗教に対して復しゅうを遂げると約束しておられ,その約束は今後果たされます。エホバは『すべて彼女のした通りに返報』されます。(エレ 50:29; 51:9。啓 18:6)そして,偽りの宗教の比喩的な地は必ず,荒れ果てた所となります。―エレ 50:39,40。

      23 エレミヤの予告したどんな霊的復興が20世紀に生じましたか。

      23 お気づきのとおり,エレミヤの述べた預言には明るい面もあります。例えば,エレミヤは現代の地上における真の崇拝の復興を予告しています。ユダの人々が古代の都市バビロンから解放されたのと同様,天に王国が設立された後,現代の神の民は大いなるバビロンから解放されました。霊的な意味で,エホバはご自分の民を清い崇拝へと回復させ,彼らは感謝と歓びに満ちています。神の民は,神を崇拝して霊的に豊かに養われるよう他の人たちを助けており,エホバはその努力を祝福してこられました。(エレミヤ 30:18,19を読む。)そして,あなたも実感しておられるように,エホバは今日,ご自分の民に牧者たちを与えるという約束を確かに果たしてこられました。群れを真に世話して保護する霊的に円熟した男子を与えてこられたのです。―エレ 3:15; 23:3,4。

      24 今後,エレミヤの述べたどんな強烈な言葉が成就しますか。

      24 エレミヤが古代の神の民に語った言葉には,忠実な人々への良い事柄に関する約束と,エホバとの関係を保たない人々への滅びに関する警告の両方が含まれていました。今日においても同様です。わたしたちは,次の言葉に込められている緊急な警告を見逃すことはできません。「エホバに打ち殺される者は,その日,地の一方の果てから地の他方の果てにまで及ぶであろう。彼らは嘆き悲しまれず,集められず,葬られもしない。彼らは地の表の肥やしのようになる」。―エレ 25:33。

      25 今日の神の民にはどんな責任がありますか。

      25 エレミヤのように,わたしたちは危機的な時代に生きています。エレミヤの時代と同様,エホバからの音信に対する反応は生死を分けます。今日の神の民は預言者ではありません。わたしたちは霊感を受けてはいないので,聖書に収められた絶対確実なエホバの真理の言葉に何かを付け加えることはできません。それでも,事物の体制の終わりまでずっと王国の良いたよりを宣べ伝える,という任務を与えられています。(マタ 28:19,20)起きようとしている事柄を人々に知らせないことによって『エホバの言葉を盗み取ったり』はしたくありません。(エレミヤ 23:30を読む。)わたしたちは,神の言葉の持つ強さや影響力を取り去ったりはするまい,と決意しています。神がエレミヤを通して語られた預言の多くは,すでに成就しました。ですから,まだ成就していない預言も絶対に確かです。わたしたちは,神が「ご自分の思っていたこと」や「昔の時代から命じたこと」を間違いなく行なわれる,ということを人々に告げなければなりません。―哀 2:17。

      166ページの図版

      起きようとしている事柄を知らせないことによって『エホバの言葉を盗み取って』はならない

      26 次に,どんな預言について考えますか。

      26 預言者エレミヤの活動や音信を考察するうえで,エホバがご自分の民と「新しい契約」を結んでその律法を彼らの心の中に書き記される,という壮大な約束に注意を向けることは欠かせません。(エレ 31:31-33)この預言とその成就は,あなたと直接関係があります。次の章でその点を取り上げます。

      エレミヤ書のどんな預言が現代に成就していますか。まだ成就していない預言について,あなたはどう思いますか。

  • あなたも新しい契約から益を得られます
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第14章

      あなたも新しい契約から益を得られます

      1 エレミヤは,どんな二つの面のある任務を遂行しましたか。

      エホバがエレミヤにお与えになった任務には,二つの面がありました。一つは,「根こぎにし,引き倒し,滅ぼし,打ち壊す」ことであり,もう一つは「建てて,植える」ことでした。エレミヤは,高慢なユダの人々の邪悪さを暴き,彼らとバビロンに対する神の裁きを宣告することにより,一つ目の務めを果たしました。とはいえ,エレミヤの預言には将来の希望も含まれており,彼は,神がご自分の意図するものを建てたり植えたりされる,ということを予告しました。例えば,ユダの人々が故国に帰還させられるという点です。そうした点を知らせることにより,二つ目の務めを遂行しました。―エレ 1:10; 30:17,18。

      2 エホバがご自分の民に裁きを執行されたのはなぜですか。どの程度そうされましたか。

      2 エレミヤは帰還についてふれ告げましたが,これは,神がご自分の民を甘やかしたり公正の規準を曲げたりするつもりだった,ということではありません。むしろ神は,強情なユダの人々に裁きを執行しようとしておられました。(エレミヤ 16:17,18を読む。)エレミヤの時代,エルサレムには「公正を行なう」人や「忠実を求める」人はほとんどおらず,エホバの辛抱は限界に達していました。「わたしは悔やむことに飽きた」とエホバは言われます。(エレ 5:1; 15:6,7)それらユダの人々は,『その父祖たち,すなわちエホバの言葉に従おうとしなかった最初の者たちのとがに戻って』いました。そればかりか,偽りの神々との姦淫によって,エホバを怒らせました。(エレ 11:10; 34:18)エホバは,民を「適度に」矯正し,打ち懲らされます。その結果,一部の人は過ちに気づいてエホバのもとに帰るでしょう。―エレ 30:11; 46:28。

      3 新しい契約に関する預言を調べるべきなのはなぜですか。

      3 神はエレミヤを通して,もっと広範かつ長期的な益をもたらすもの,すなわち新しい契約について予告されました。エレミヤの預言の書を調べる際,この新しい契約という明るい面に注目するのはふさわしいことです。この契約は,モーセを仲介者としてエジプト脱出後のイスラエルと結ばれた契約に取って代わります。(エレミヤ 31:31,32を読む。)イエス・キリストは主の晩さんを制定した時,この新しい契約について語られました。ですから,わたしたちはこの契約に深い関心を抱きます。(ルカ 22:20)使徒パウロは,ヘブライ人への手紙の中でこの契約に言及し,エレミヤの預言を引用して新しい契約の重要性を強調しました。(ヘブ 8:7-9)では,厳密に言って,新しい契約とは何ですか。なぜ必要になりましたか。だれが関係していますか。わたしたち各人にとってどのように益となりますか。考えてみましょう。

      新しい契約が設けられたのはなぜか

      4 律法契約はどんなことを成し遂げましたか。

      4 新しい契約を理解するためには,まず,以前の契約である律法契約の目的を把握する必要があります。律法契約は,約束の胤を待つ国民のために,幾つもの価値ある事柄を成し遂げることになっていました。その胤は,多くの人に祝福をもたらす経路になります。(創 22:17,18)イスラエル人は律法契約を受け入れた時,神の「特別な所有物」となりました。その契約の下では,レビ族の一部が国民のための祭司を務めます。エホバは,シナイ山でその国家的な契約をイスラエルと結んだ際,「祭司の王国,聖なる国民」について語られましたが,それがいつ,どのようにして生まれるかは明示なさいませんでした。(出 19:5-8)それが生まれるまでの間,この契約は,イスラエル人が律法の全条項を守ることはできないという点をはっきり示し,彼らの罪を明らかにしました。それで,律法下のイスラエル人は,自分たちの罪を覆うために定期的に犠牲をささげなければなりませんでした。もっと優れたもの,繰り返しささげなくてよい完全な犠牲が必要でした。罪の永続的な許しを得ることがどうしても必要だったのです。―ガラ 3:19-22。

      5 エホバが新しい契約について予告なさったのはなぜですか。

      5 こうした点を考えると,律法契約がまだ有効であった時に神がエレミヤに別の契約すなわち新しい契約について預言させた理由が分かります。エホバは愛と親切の気持ちから,一つの国民だけでなく,もっと多くの人々に恒久的な助けを差し伸べたいと思われました。この将来の契約に入る人々について,エレミヤを通してこう述べておられます。「わたしは彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出さない」。(エレ 31:34)これはエレミヤの時代になされた約束ですが,全人類のための素晴らしい見込みを提示しています。どのような見込みでしょうか。

      6,7 (イ)自分の罪深さについて,どのように感じる人がいますか。(ロ)新しい契約について調べると励みが得られるのはなぜですか。

      6 わたしたちは依然として不完全であり,その現実をしばしば思い知らされます。例えば,深刻な個人的問題と闘っていた一人の兄弟はこう述べています。「またその行為をしてしまうと,すごくいやな気持ちになりました。自分のしたことの償いなどできないと思い,祈ることも難しく感じました。祈り始めるときはいつも,『エホバ,この祈りを聞いていただけるかどうか分かりませんが……』と言いました」。悪い行ないに逆戻りした人や罪を犯した人は,祈りが「雲塊」に阻まれて神に届かないように感じるかもしれません。(哀 3:44)何年も前の悪行の記憶に悩まされている人もいます。模範的なクリスチャンであっても,後悔するようなことを言ってしまうことがあります。―ヤコ 3:5-10。

      7 自分は大丈夫,ふさわしくない行ないをすることなどあり得ない,と言い切れる人はいません。(コリ一 10:12)使徒パウロも,自分が過ちを犯すことを認めています。(ローマ 7:21-25を読む。)それゆえに,新しい契約が思い浮かびます。神の約束によると,新しい契約の主要な一面は,神が罪をもはや思い出されないということです。まさに比類のない益です。このことを予告したエレミヤは,深く感動したに違いありません。わたしたちも,新しい契約について詳しく学び,この契約からどのように益を得られるかを知ると,感動を覚えます。

      神が新しい契約を結ばれたのはなぜですか。

      新しい契約とは何か

      8,9 エホバは,罪の許しを可能にするために,どんな犠牲を払われましたか。

      8 エホバを知れば知るほど,エホバが不完全な人間に対していかに親切で憐れみ深いかがよく分かります。(詩 103:13,14)エレミヤは新しい契約について予告した際,エホバが「彼らのとがを許し」,罪をもはや思い出されない,という点を強調しました。(エレ 31:34)神はどのようにしてその許しを成し遂げられるのだろう,とエレミヤは思ったかもしれません。神が新しい契約に言及されたので,エレミヤは,神と人との間に合意つまり約定が設けられるということは理解できたでしょう。エホバはその契約によって,許しを含め,霊感のもとにエレミヤに略述させた事柄を成し遂げられるのです。メシアが何を行なうかなど,詳細な点は,神の目的のいっそうの啓示を待たなければなりませんでした。

      9 あなたは,子どもを懲らしめずに甘やかしている親を見たことがあるでしょう。エホバは決してそのような方ではありません。その点は,新しい契約が有効にされた方法から分かります。神は単に罪を帳消しにするのではなく,罪を許すための法的な基盤を据えることによって,ご自分の公正の規準をきちんと満たされました。自ら多大の犠牲を払ってそうされたのです。そのことは,新しい契約についてパウロが論じた時に述べた事柄を読むと理解できます。(ヘブライ 9:15,22,28を読む。)パウロは『贖いによる釈放』に言及し,「血が注ぎ出されなければ,許しはなされない」と述べています。新しい契約の場合,血と言っても,律法下でささげられたような雄牛ややぎの血のことではありません。新しい契約は,イエスの血によって発効しました。エホバはこの完全な犠牲に基づいて,永久に『とがと罪を許す』ことができます。(使徒 2:38; 3:19)では,だれがこの新しい契約に入り,そのような許しを得るのでしょうか。ユダヤ国民ではありません。イエスによれば,神は,律法下で動物の犠牲をささげていたユダヤ人を退け,別の国民に注意を向けられます。(マタ 21:43。使徒 3:13-15)その国民とは,聖霊で油そそがれたクリスチャンから成る「神のイスラエル」である,ということが明らかになりました。基本的に言って,律法契約が神と生来のイスラエルとの間の契約であったのに対し,新しい契約は,イエスを仲介者としてエホバ神と霊的イスラエルとの間で結ばれる契約です。―ガラ 6:16。ロマ 9:6。

      172ページの図版

      10 (イ)ダビデの「新芽」とはだれですか。(ロ)人はどのように「新芽」から益を得ることができますか。

      10 エレミヤは,来たるべき方メシアをダビデの「新芽」と描写しています。この描写は適切です。エレミヤの預言者としての奉仕期間中に,ダビデの王統という木は切り倒されました。しかし,切り株は死んでおらず,やがてダビデ王の家系にイエスが誕生しました。イエスは,「エホバはわたしたちの義」という名でも呼ばれます。この名は,義という特質に対する神の深い関心を際立たせています。(エレミヤ 23:5,6を読む。)エホバは,独り子が地上で苦しみを経験して死ぬのを許されました。そうすることにより,公正に則して,ダビデの「新芽」の贖いの犠牲の価値を許しの基盤としてお用いになることができました。(エレ 33:15)こうして,『命のために義と』宣せられて聖霊で油そそがれる道が一部の人たちに開かれました。彼らは新しい契約の当事者になるのです。義に対する神の関心は,別の点にも示されています。後ほど考えますが,この契約に直接関与していない人々も契約から益を得ることができ,実際に益を得ています。―ロマ 5:18。

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      「キリストの律法」は,進んでエホバに仕えるよう人を動かす

      11 (イ)新しい契約の律法は何に書き記されますか。(ロ)「ほかの羊」が新しい契約の律法に関心を持つのはなぜですか。

      11 新しい契約には,特徴となる面がほかにも幾つかあります。この契約とモーセの律法契約との大きな違いの一つは,何に書き記されるかということです。(エレミヤ 31:33を読む。)律法契約の十のおきては石の書き板に記され,その書き板はやがてなくなってしまいました。一方,エレミヤの預言によれば,新しい契約の律法は人の心に書き記され,その律法は存続します。新しい契約の当事者である油そそがれたクリスチャンは,この律法を大切にします。では,新しい契約に直接関与していない「ほかの羊」,つまり地上で永遠に生きる希望を持つ人々はどうでしょうか。(ヨハ 10:16)その人々も神の律法を喜びとします。彼らはある意味で,イスラエルの外人居留者に似ています。外人居留者は,モーセの律法を受け入れ,それから益を得ました。―レビ 24:22。民 15:15。

      12,13 (イ)新しい契約の律法とは何ですか。(ロ)「キリストの律法」の下に入る人が,神に仕えることを強制されていると感じないのはなぜですか。

      12 『油そそがれたクリスチャンの心に書き込まれる律法とは何ですか』と尋ねられたなら,あなたはどう答えますか。この律法は「キリストの律法」とも呼ばれており,新しい契約に入っている霊的イスラエル人にまず与えられました。(ガラ 6:2。ロマ 2:28,29)「キリストの律法」は,愛という一語に要約できます。(マタ 22:36-39)油そそがれた者たちはどのようにしてこの律法を心に書き記されるのでしょうか。主要な方法は,神の言葉を研究することと,祈りでエホバに近づくことです。ですから,真の崇拝のそれらの面は,真のクリスチャンすべてが定期的に行なうべき事柄です。新しい契約に入っていない人も,その契約から益を得たいと願うなら,そうすべきです。

      13 「キリストの律法」は,「自由に属する完全な律法」あるいは「自由の民の律法」とも呼ばれます。(ヤコ 1:25; 2:12)生まれた時からモーセの律法の下にある人は大勢いましたが,生まれた時から新しい契約に入っている人やキリストの律法の下にある人は一人もいません。キリストの律法に従うようになる人は,神に仕えることを強制されたりはしません。むしろ,神の律法が心に書き記されること,またエレミヤの予告した契約の永続的な益が今日でも得られることを知って,うれしく思います。

      神は新しい契約を通して,どのように許しを可能にされましたか。どうすれば,心に書き記される律法を学ぶことができますか。

      新しい契約から益を得る人々

      14 だれが新しい契約から益を得ますか。

      14 14万4,000人が新しい契約に入るということを学んで,その人たちだけが契約から益を得る,と思った人もいるかもしれません。毎年のキリストの死の記念式において油そそがれた者たちだけが「契約の血」を表わすぶどう酒などの表象物にあずかるので,そう考えたのかもしれません。(マル 14:24)しかし,思い出してください。新しい契約に入っている人々はイエスと共にアブラハムの「胤」となるのであり,その胤によってすべての国民が祝福されます。(ガラ 3:8,9,29。創 12:3)エホバは,アブラハムの「胤」によって全人類を祝福するという約束を,新しい契約を通して果たされるのです。

      15 油そそがれた者たちはどんな役割を担うことが予告されていますか。

      15 アブラハムの胤の主要な部分であるイエス・キリストは,大祭司として奉仕します。イエスは,とがと罪の許しを可能にする完全な犠牲を備えました。(ヘブライ 2:17,18を読む。)とはいえ,ずっと昔に神は,「祭司の王国,聖なる国民」について語っておられました。(出 19:6)生来のイスラエルにおいて,祭司は一つの部族から,王は別の部族から取られました。では,王である祭司たちから成るこの約束された国民は,どのようにして生まれるのでしょうか。使徒ペテロは最初の手紙を,霊による聖化を受けた人たちに書き送りました。(ペテ一 1:1,2)ペテロは彼らを,「王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民」と呼んでいます。(ペテ一 2:9)ですから,新しい契約に入っている油そそがれたクリスチャンは,従属の祭司として奉仕するのです。これはわたしたちにとって何を意味するでしょうか。わたしたちは,今なお「王として支配」する罪の影響下で,日々苦闘しています。従属の祭司として奉仕する人々も,同様の経験をしました。(ロマ 5:21)失敗して罪悪感と闘う時の気持ちを知っています。それで,キリストと共に,罪深い傾向に打ち勝とうとするわたしたちを思いやることができます。

      16 「大群衆」は,啓示 7章9,14節からどんな励みを得られますか。

      16 啓示 7章9,14節には,「白くて長い衣」を着た「大群衆」が描かれています。その衣は,神のみ前での清い立場を表わしています。この大群衆は,「大患難」を生き残る見込みを持つ者として,いま集められています。ですから,彼らはある意味で,すでに神のみ前での義なる立場を得ています。エホバの友として義と宣せられているのです。(ロマ 4:2,3。ヤコ 2:23)なんという祝福でしょう。あなたも,大群衆の一員であるなら,神から見て清い状態を保とうと努力するときに神が快く助けてくださることを確信できます。

      17 どのような意味で,エホバは罪をもはや『思い出され』ませんか。

      17 神の恵みを受ける人たちの罪はどうなるでしょうか。前述のとおり,エホバはエレミヤを通して,「わたしは彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出さない」と言われました。(エレ 31:34)油そそがれた者たちに関して,神はイエスの犠牲に基づいてそうされます。大群衆の罪も,同じ「契約の血」に基づいて許すことができます。神が罪をもはや「思い出さない」というエレミヤの言葉は,記憶を失って罪を思い起こせない,という意味ではありません。ひとたび必要な懲らしめを与え,罪を悔い改めた人を許したなら,その過去の罪をご自分の後ろに投げ捨てる,ということです。ダビデ王がバテ・シバとウリヤに関して犯した罪を考えてみてください。ダビデは懲らしめを受け,自分の罪の結果に苦しめられました。(サム二 11:4,15,27; 12:9-14。イザ 38:17)とはいえ,神はその罪に関してダビデをいつまでもとがめたりはされませんでした。(歴代第二 7:17,18を読む。)新しい契約に示されているとおり,エホバはイエスの犠牲に基づいてひとたび罪を許したなら,その罪をもはや思い出されないのです。―エゼ 18:21,22。

      18,19 新しい契約には,許しに関するどんな教訓が含まれていますか。

      18 このように,新しい契約は,罪深い人間(この契約に入っている油そそがれた者たちと,地的な希望を抱く人々の両方)に対するエホバの接し方の素晴らしい一面を際立たせています。エホバは,ひとたび罪を扱われたなら,その罪を再び持ち出したりはされないのです。わたしたち各人は,新しい契約に関する神の約束から教訓を得られます。こう自問してみましょう。『わたしは,他の人のとがを許すと言ったなら,それを蒸し返さないことによって,エホバに倣おうとしているだろうか』。(マタ 6:14,15)これは,小さな過ちだけでなく,クリスチャンである配偶者の姦淫の罪のような重大な過ちにも当てはまります。悔い改めた配偶者を許すことに同意したなら,「罪をもはや思い出さない」ようにすべきではないでしょうか。もちろん,とがを忘れ去るのはたやすいことではないでしょうが,この分野でもエホバに倣えるのです。a

      19 新しい契約から学べるこの教訓は,排斥されていたものの悔い改めて復帰した人に関しても適用できます。あなたはその人のせいで,損失を被ったり評判を傷つけられたりしたかもしれません。その人は今では再び会衆に受け入れられています。エレミヤ 31章34節の言葉は,わたしたち各人の考え方や態度にどんな影響を及ぼすでしょうか。その人を許し,過去の過ちについてあれこれ言わないようにしますか。(コリ二 2:6-8)確かにこれは,新しい契約に感謝している人すべてが実生活で適用しようと努めるべき事柄です。

      あなたは,新しい契約に例示されている許しに関する教訓をどのように適用できますか。

      新しい契約がもたらす現在と将来の祝福

      20 あなたの態度は,エレミヤの時代の多くの人の態度とどのように異なっていますか。

      20 エレミヤの時代,ユダの多くの人は,「エホバは善いことをしてくれないが,悪いことをもたらすわけでもない」と言っているのも同然でした。(ゼパ 1:12)彼らは,エホバとはだれか,どのような方かを,幾らか知っていました。それでも,エホバは行動されないし,我々が何らかの規準に沿って生活することを期待なさりもしない,と考えていました。しかしあなたは,神の目を免れるものは何もない,ということを知っています。神に対する恭しい恐れの気持ちを抱いており,悪いことはしたくないと強く願っています。(エレ 16:17)それと同時に,エホバが情け深い父であることも知っています。エホバはわたしたちの善い行ないに,他の人が気づいていてもいなくても,目を留めてくださいます。―代二 16:9。

      179ページの図版

      神に忠実に仕えてきた人々は,将来,祝福を受ける

      21,22 あなたがもはや「エホバを知れ」と言われる必要がないのはなぜですか。

      21 新しい契約の重要な一面は,次の言葉に示されています。「わたしは彼らの内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わたしは彼らの神と……なるであろう。そして,彼らはもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,『エホバを知れ!』とは言わない。彼らは……皆わたしを知るからである」。(エレ 31:33,34)今日,地上にいる油そそがれた者たちは,神の律法が自らの内にあることを示してきました。神の律法に収められた真理を愛しており,人間の教えに頼ったりはしません。そして,大群衆に属する人々に聖書の知識を喜んで分け与えています。その結果,それら地的な希望を持つ人々も,エホバを知り,愛するようになっています。進んで神の指示に服し,神の約束に信頼を置いています。あなたもそうでしょう。エホバを親しく知っており,エホバとの個人的な関係を有しています。なんと素晴らしい益を得ているのでしょう。

      22 あなたは,どのようにしてエホバとの関係を強めてきましたか。エホバが祈りに答えてくださった,と感じたことがきっとあるでしょう。そのような経験を通して,エホバがどんな神であるかをいっそうよく知ることができました。逆境に対処するのに役立つ聖句を思い出せた時,エホバの助けを実感したかもしれません。そうした経験を大切にしてください。み言葉を学び続けると,エホバについての知識が増し加わっていきます。継続的な益があるのです。

      23 エホバを知ると,不必要な苦悩からどのように解放されますか。

      23 新しい契約に関連していま経験できる祝福はほかにもあります。エホバがこの契約に沿って許してくださる方であることを知るなら,罪悪感に悩まされることから解放されます。例えば,神の規準を知る前に妊娠中絶をしたことのある人は,発育中の人間の命を故意に終わらせたゆえに,罪の意識や悲しみを感じているかもしれません。また,戦争で人の命を奪ったために,そのような感情を抱いている人もいます。しかし,イエスの贖いの犠牲 ― 新しい契約の基盤 ― は,真に悔い改めている人に許しをもたらします。ですから,次の点を確信できます。エホバは,ひとたび罪を許してくださったなら,その件を解決済みと見ておられます。エホバが寛大に許してくださった罪について思い悩む必要はありません。

      24 エレミヤ 31章20節の記述からどんな励みが得られますか。

      24 エレミヤ 31章20節には,神の許しを生き生きと描写する言葉があります。(読む。)エレミヤの時代より幾十年も前に,エホバは北のイスラエル十部族王国(主要な部族エフライムによって表わされている)を偶像礼拝のゆえに処罰なさり,人々は流刑にされました。それでも,神はその国の人々に深い愛着を抱いておられ,彼らに優しい愛情を示されました。「優しい扱いを受けた子供」として,なおも,いとおしんでおられたのです。彼らのことを考えると,はらわたが『騒ぎ立つ』,つまり内奥の感情が揺り動かされました。新しい契約に関する文脈に含まれるこの記述から,過去の悪行を悔い改めた人々に対してエホバがいかに寛容であるかが分かります。

      25 新しい契約に関して,エホバに感謝できるのはなぜですか。

      25 新しい契約を用いて罪を許すというエホバの約束は,キリストの千年統治の終わりに,完璧に果たされます。その時までに,イエス・キリストは14万4,000人の従属の祭司たちと共に,忠節な人々を完全な状態へと回復させていることでしょう。最後の試みの後,人類はエホバの宇宙的な家族の正式な成員となります。(ローマ 8:19-22を読む。)何千年もの間,すべての人は罪という重荷を負って,うめいてきました。しかし,エホバの創造物である人間は,「神の子供の栄光ある自由」,罪と死からの自由を持つようになります。ですから,あなたも新しい契約という愛ある取り決めを通して豊かな益を得ることができます。ダビデの「新芽」を通して,今そして永遠に益を受け,「この地」で「義」を楽しむことができるのです。―エレ 33:15。

      今そして将来,あなたは新しい契約からどのように益を得ることができますか。

      a 神が快く許されることは,ゴメルに対するホセアの態度によって例示されています。「エホバの日を思いに留めて生きる」128-130ページにある,ホセア 2章14-16節についての注解を参照。

  • 「わたしは黙っていることができない」
    わたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
    • 第15章

      「わたしは黙っていることができない」

      1 エレミヤなど,エホバの預言者たちが黙っていなかったのはなぜですか。

      「エホバの言葉を聞け」。西暦前647年以降,この言葉がエルサレムの通りや広場に響き渡りました。神の預言者は声を弱めません。40年後にエルサレムが滅ぼされた後も,その勧告を繰り返しました。(エレ 2:4; 42:15)全能の神は預言者たちを遣わして,ユダの人々がご自分の忠告を聞いて悔い改めることができるようにされました。すでに見たとおり,エレミヤは,そうした神の代弁者たちの中で際立った人物でした。神はエレミヤに任務を与えた時,こう言われました。「あなたは立ち上がって,わたしがあなたに命ずることをみな彼らに話さなければならない。……恐怖の念を抱くな」。(エレ 1:17)それは生易しい任務ではありませんでした。エレミヤは身体的にも感情的にも苦痛を味わいました。それでも,何としても割り当てを果たさなければならないという気持ちに駆られました。こう述べています。「わたしの心臓はわたしの内にあって騒ぎ立っている。わたしは黙っていることができない」。―エレ 4:19。

      2,3 (イ)イエスの弟子たちはどのようにエレミヤに倣いましたか。(ロ)わたしたちがエレミヤの手本に倣うのはなぜですか。

      2 預言者としての割り当てを果たしたエレミヤの態度は,後代のエホバの僕たちにとって手本となりました。(ヤコ 5:10)西暦33年のペンテコステの少し後,ユダヤ人の当局者たちは使徒のペテロとヨハネを捕らえ,伝道をやめるよう命じます。それに対して二人は,「自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」と答えます。(使徒 4:19,20)支配者たちは,次はただではおかないと脅してから,ペテロとヨハネを釈放します。二人はどうしましたか。それら忠実な人たちは決して伝道をやめませんでした。

      3 使徒 4章20節のペテロとヨハネの言葉には,エレミヤと同じ熱意が表われているのではないでしょうか。そしてあなたも,この重大な終わりの日にエホバ神に仕える者として,『黙っていることなどできない』と思っておられるのではありませんか。では,どうすればエレミヤのように,周囲の状況が悪化しても良いたよりを宣べ伝え続けるための強さを保てるでしょうか。考えてみましょう。

      人々が無関心でも,宣べ伝え続ける

      4 古代エルサレムの多くの人はどんな態度を取りましたか。

      4 神はみ子の支配の下での素晴らしい将来を約束しておられます。それは人々にとって最も良いたよりである,とあなたも確信しておられるに違いありません。しかし,今日の多くの人は,昔のユダの一部の人々と同じような態度を取ります。彼らはエレミヤにこう言いました。「あなたがエホバの名によってわたしたちに語った言葉に関しては,わたしたちはあなたの言うことを聴きません」。(エレ 29:19; 44:16)エレミヤは幾度もそのような反応に遭いました。今日のエホバの僕たちもそうです。多くの人は,「関心がありません」と言います。無関心な態度が広く見られるために,王国伝道者の熱意がそがれることもあり得ます。あなたの区域でもそうした反応が見られますか。そのために会衆の一部の人たちが,またあなた自身も,熱意がそがれているなら,どうしたらよいでしょうか。

      5 (イ)人々が無関心でも,エレミヤはどうしましたか。(ロ)良いたよりに無関心な人々は極めて危険な状況にある,と言えるのはなぜですか。

      5 ユダの大半の人が無関心な反応を示した時,エレミヤはどう考えたでしょうか。エレミヤの奉仕期間の初めごろ,エホバはご自分の裁きを予示するものをエレミヤにお見せになりました。(エレミヤ 4:23-26を読む。)ですからこの預言者は,自分の語る言葉に大勢の人の命がかかっていることを知っていました。人々はその言葉を聞き,それに基づいて行動しなければなりませんでした。今日の人々も同様の状況にあります。あなたの区域の人たちもそうです。現在の邪悪な世に神の裁きが臨む「その日」について,イエスはこう述べました。『それは,全地の表に住むすべての者に臨みます。それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい』。(ルカ 21:34-36)イエスのこの言葉から分かるとおり,良いたよりを退ける人々は極めて危険な状況にあります。

      無関心な人が関心を持つ

      ニュージーランドのある家の人は,自分はエホバの証人の話に耳を傾けたことがない,と言いました。でも,今では関心があります。なぜでしょうか。この女性はその週,エホバの証人の葬式に出席しました。夫が,亡くなった姉妹の夫の同僚だったからです。妻を亡くして悲しむ男性に大勢の出席者が近づいて慰めの言葉をかけるのを目にしました。復活の希望に関する聖書に基づく明快な説明にも納得がいった,とのことです。

      この女性は,末期患者の世話をするホスピスの看護師たちを教えていますが,その葬式の後,エホバの証人の葬式に出席するよう生徒たちに勧めました。死者の本当の状態と将来の素晴らしい希望をエホバの証人は説明している,と生徒たちに話したそうです。どちらの点も看護師が患者を励ますのに役立つと思う,と訪問した奉仕者たちに語りました。

      このようにエホバは,今までずっと無関心だった人にも『エホバを知る心』をお与えになることができます。(エレ 24:7)あなたの区域の無関心な人たちも,こたえ応じるかもしれません。

      184ページの図版

      6 音信にほとんど関心を示さない人たちにも宣べ伝え続けるべきなのはなぜですか。

      6 しかし,無関心さを振り捨て,わたしたちの伝えるエホバの言葉に耳を傾けてこたえ応じる人々は,計り知れない益を受けます。滅びを生き残って新しい世に入るための道を神は開いてくださっています。ある面で,エレミヤの宣教奉仕の場合もそうでした。ユダの住民には生き残る機会が開かれていました。(エレミヤ 26:2,3を読む。)エレミヤは彼らを助けるため,『聴いて立ち返る』ように,まことの神の言葉に注意を払うようにと,幾十年も勧め続けました。この預言者の証言によってどれほどの数の人が悔い改めて生き方を変えたか,わたしたちには分かりませんが,悔い改めた人がいたことは確かです。今日でも,大勢の人がこたえ応じています。わたしたちが良いたよりを宣べ伝え続けるとき,以前は良い反応を示さなかった人たちも心を和らげることが少なくありません。(184ページの「無関心な人が関心を持つ」という囲みを参照。)このことも,命を救う良いたよりの宣教奉仕を活発に行ない続ける理由となるのではありませんか。

      人々が無関心でも良いたよりを宣べ伝えよう,とあなたが決意しているのはなぜですか。

      反対者の加える害は一時的

      7 敵対者たちはどのようにして預言者エレミヤの活動を阻止しようとしましたか。

      7 エレミヤの宣教奉仕で注目に値するのは,反対者たちが幾度もエレミヤの命を狙い,活動を阻止しようとしたことです。偽預言者たちは,エレミヤの言葉に公然と反駁しました。(エレ 14:13-16)エレミヤがエルサレムの通りを歩くと,人々はののしり,嘲笑しました。(エレ 15:10)エレミヤの評判を落とそうと画策する敵対者もいました。(エレ 18:18)エレミヤの宣べ伝える神の真理から心の正直な人たちを引き離すために,執拗にささやいて悪いうわさを広める者たちもいました。(哀 3:61,62)エレミヤはやめてしまいましたか。いいえ,宣べ伝え続けました。なぜそうできたのでしょうか。

      8 反対者による妨害が強まった時,エレミヤはどうしましたか。

      8 そうした反対と闘うためのエレミヤの主要な武器は,エホバへの信頼でした。エレミヤが宣教奉仕を始めるにあたり,神はエレミヤを支えて保護すると約束なさいました。(エレミヤ 1:18,19を読む。)エレミヤはその約束に信仰を置き,エホバは信頼にこたえてくださいました。反対者たちが圧力をかけ,より強硬な手段に訴えた時,エレミヤはいっそう大胆に,勇敢に,忍耐強くなりました。それらの特質がどのように役立ったか,見てみましょう。

      9,10 エレミヤのどんな経験から,大胆であるよう励まされますか。

      9 ある時,反抗的な祭司と預言者たちは,エレミヤをユダの君たちの前に引き出し,死に処そうとしました。エレミヤは脅しに恐れをなして活動をやめてしまったでしょうか。いいえ,それら背教者たちの告発の誤りを見事に指摘し,死を免れました。―エレミヤ 26:11-16を読む。ルカ 21:12-15。

      10 別の時には,神殿の役人パシュフルがエレミヤの強力な音信を聴いて,彼を足かせ台につなぎました。パシュフルは,エレミヤもこれに懲りておとなしくなるだろう,と思ったに違いありません。それで翌日,エレミヤを足かせ台から解きます。エレミヤは,残酷な扱いを受けてかなりの痛みを感じていたはずですが,パシュフルに面と向かって,彼に対するエホバの裁きを宣告します。虐待されても沈黙しなかったのです。(エレ 20:1-6)なぜでしょうか。エレミヤ自身がこう語っています。「エホバはわたしと共にいてくださり,力ある恐るべき者のようになってくださいました。それゆえ,わたしを迫害している者たちもつまずき,打ち勝つことはありません」。(エレ 20:11)荒々しい反対者たちを前にしても,エレミヤはひるみませんでした。エホバに対して,揺らぐことのない信頼を抱いていました。あなたもそうできます。

      11,12 (イ)ハナニヤから反対された時,エレミヤは良い判断力をどのように働かせましたか。(ロ)『苦境のもとでも自分を制する』ことには,どんな益がありますか。

      11 とはいえエレミヤは,狂信者ではありませんでした。反対に直面した時,良い判断力を働かせました。引き時をわきまえていたのです。一例として,偽預言者ハナニヤから反対を受けた時のことを考えてみましょう。ハナニヤがエホバの預言の言葉に公然と反駁した時,エレミヤはハナニヤの間違いを指摘し,真の預言者が何によって見分けられるかを述べます。エレミヤは,バビロンのくびきを予示する木製のくびきを着けていましたが,ハナニヤは怒り立ってそれを砕きました。次に何をしでかすか知れません。エレミヤはどうしたでしょうか。「預言者エレミヤは去って行った」と記されています。その場を立ち去ったのです。そして後に,エホバから指示を受けてハナニヤの所に戻り,神がもたらそうとしておられる事柄を告げました。ユダの人々にはバビロンの王への捕らわれが,ハナニヤには死がもたらされます。―エレ 28:1-17。

      12 霊感によるこの記述から分かるように,伝道の際,大胆であるだけでなく健全な判断力を働かせることは大切です。家の人が聖書に基づく話し合いを拒んで怒り出し,暴力を振るおうとさえするような場合,礼儀正しくそこを去って,別の家に行くことができます。王国の良いたよりに関して激しい議論を戦わせる必要はありません。『苦境のもとでも自分を制する』なら,もっと良い時に家の人を助けるための道を開いておくことができます。―テモテ第二 2:23-25を読む。箴 17:14。

      187ページの図版

      良いたよりを宣べ伝える時にエホバへの信頼がとても重要なのはなぜですか。大胆さと良い判断力の平衡を保つべきなのはなぜですか。

      「恐れてはならない」

      13 エホバがエレミヤに「恐れてはならない」と言われたのはなぜですか。その点に注目すべきなのはなぜですか。

      13 西暦前607年のエルサレム滅亡の前のぞっとするような状況は,真の崇拝者たちにも影響を及ぼしました。それゆえ神はエレミヤに,「恐れてはならない」と言われました。(エレ 1:8。哀 3:57)エホバはエレミヤを通して民にも,同じ励ましの言葉をお告げになりました。(エレミヤ 46:27を読む。)このことから何を学べるでしょうか。危険な終わりの時である今,わたしたちも恐怖を感じることがあります。そのような場合,「恐れてはならない」というエホバの言葉に耳を傾けますか。この本ではすでに,エルサレム滅亡前の恐怖に満ちた時期に神がどのようにエレミヤを支えられたかを考えました。では,当時の出来事を手短に振り返り,教訓を学び取りましょう。

      14,15 (イ)エレミヤはどんな危険な状況に置かれましたか。(ロ)エホバは,エレミヤを保護するという約束をどのように果たされましたか。

      14 バビロニア軍がエルサレムに対する攻囲を強めると,市内には飢えが広がり,多くの人は食べ物がなくなります。(エレ 37:21)エレミヤの場合,飢えだけではありません。ある場所に入れられ,そこで死にそうになります。ユダの君たちが軟弱なゼデキヤ王に圧力をかけて言いなりにし,エレミヤを深い水溜めに投げ込んだのです。そこには水はなく,大量の泥がありました。エレミヤは泥の中に沈みはじめ,助かる見込みなどないように思えました。あなたもそのような状況に置かれたなら,恐れを感じるのではないでしょうか。―エレ 38:4-6。

      15 エレミヤもわたしたちと同じ生身の人間でしたが,決して見捨てないというエホバの言葉に信頼を置いていました。(エレミヤ 15:20,21を読む。)エホバは信頼にこたえてくださったでしょうか。確かに,こたえてくださいました。君たちによる妨害を覚悟のうえでエレミヤを救出するよう,エベド・メレクを動かしてくださったのです。エベド・メレクは王の許しを得てエレミヤを水溜めから引き上げ,深い泥の中での死から救いました。―エレ 38:7-13。

      16 エホバは忠節な人たちをどんな危険から救出なさいましたか。

      16 エレミヤは,泥の中から脱出した後も,危険にさらされていました。エベド・メレクはエレミヤのために,王にこう訴えていました。「あの方は飢きんのために自分のいる所で死ぬでしょう。都の中にもうパンはないからです」。(エレ 38:9)エルサレムでは食糧が非常に乏しくなっていたので,人肉を食べる人さえいました。しかし,エホバはこの点でも事態に介入し,ご自分の預言者を救われます。そしてエレミヤは,保護を保証するエホバの言葉をエベド・メレクに伝えます。(エレ 39:16-18)エレミヤは,「わたしはあなたと共にいて,あなたを救い出す」という神の約束を忘れていませんでした。(エレ 1:8)全能の神がこの忠節な二人を守っておられたので,人間の敵たちも飢えも,彼らの命を奪うことはできませんでした。滅びに定められた都市の中で二人は死を免れました。エホバは保護を約束し,その約束を果たされたのです。―エレ 40:1-4。

      17 ご自分の僕たちを保護するというエホバの約束に信仰を置くべきなのはなぜですか。

      17 事物の体制の終結に関するイエスの預言の成就は,着実に最高潮へと向かっています。近い将来について,こう予告されています。「太陽と月と星にしるしがあり,地上では,……逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。同時に人々は,人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います」。(ルカ 21:25,26)どんなしるしがあるのか,そのために多くの人がどんな恐怖を覚えるのかはまだ分かりません。しかし,何が起きるにせよ,エホバがご自分の民を救う能力と強い願いを持っておられることを決して疑ってはなりません。一方,エホバの恵みを得ていない人々は,全く異なる結末を迎えます。(エレミヤ 8:20; 14:9を読む。)神の僕たちが,じめじめした暗い水溜めの底のような絶望的に思える状況に陥ったとしても,神は救出することがおできになります。エベド・メレクに語られた次の言葉は,現代の神の民にも当てはまります。「『わたしは必ずあなたを逃れさせ,あなたが剣によって倒れることはない……。あなたは自分の魂を必ず分捕り物として持つことになる。あなたがわたしに依り頼んだからである』と,エホバはお告げになる」。―エレ 39:18。

      190ページの図版

      あなたのために書き記された言葉

      18 (イ)どんな命令がエレミヤの人生を変えましたか。(ロ)エレミヤ 1章7節の神の命令は,あなたにとってどんな意味がありますか。

      18 「あなたはわたしが遣わすすべての者たちのところへ行かなければならない。わたしがあなたに命ずることをみな話すべきである」。(エレ 1:7)この命令を神から受けた時,エレミヤの人生は一変しました。それ以降,彼が何よりも気にかけたのは,「エホバの言葉」を告げ知らせることでした。この「エホバの言葉」という表現は,エレミヤ書全体に何度も出てきます。その書の最後の章でエレミヤは,エルサレム陥落と最後の王ゼデキヤの流刑について述べています。自分の業の完了が明らかになる時までずっと,エホバに従うようにとユダの人々に説き勧め続けたのです。

      19,20 (イ)エレミヤの奉仕があなたにとって手本となるのはなぜですか。(ロ)宣べ伝える業と,喜びや満足を味わうことには,どんな関係がありますか。(ハ)エレミヤ書と哀歌を調べて,あなたはどう感じていますか。

      19 エレミヤの割り当てと,今日のエホバの証人の公の宣教奉仕には,多くの類似点があります。エレミヤと同様,あなたも裁きの時にまことの神に仕えています。時間や体力を要する責務はほかにもありますが,良いたよりを宣べ伝える業は,間違いなく,現在の事物の体制で行なえる最も意義ある務めです。この業を行なうことにより,神の偉大なみ名を高め,宇宙主権者の絶対的な権利と権威を受け入れていることを示せるのです。(哀歌 5:19を読む。)さらに,まことの神と命を得るための神のご要求とを知るよう人々を助けることにより,際立った隣人愛を実証できます。―エレ 25:3-6。

      20 エレミヤは,エホバから与えられた業について,こう言いました。「わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,わたしはあなたのみ名をもってとなえられたからです」。(エレ 15:16)心に促されてまことの神のために語る人は皆,そのような歓びと満足を味わえます。それゆえ,エレミヤのように,確信を抱いてエホバからの音信を宣明し続けましょう。

      勇気を持つ点で,エレミヤとエベド・メレクの手本からどんな励みが得られますか。宣べ伝える際にエレミヤのどんな特質に倣いたいと思いますか。

日本語出版物(1954-2026)
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