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  • 「聖なる力によって送り出されて」
    神の王国について徹底的に教える
    • ピシデアのアンティオキアで,怒った人たちから町の外に追い出されたバルナバ

      セクション4 • 使徒 13:1–14:28

      「聖なる力によって送り出されて」

      使徒 13:4

      このセクションでは,使徒パウロの1度目の宣教旅行の様子を見ていきます。パウロは,行く先々で迫害に遭いますが,聖なる力に助けられながら伝道を続け,新しい会衆をつくっていきます。その記録について学ぶと,宣教をもっと頑張ろうという気持ちになります。

      1945年のカナダで,怒った群衆に詰め寄られるエホバの証人たち
  • 「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」
    神の王国について徹底的に教える
    • 11章

      「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」

      良い知らせを聞こうとしない人たちにパウロはどう対応したか

      使徒 13:1-52

      1,2. バルナバとサウロの任務は,どんな意味で新しかったといえますか。使徒 1章8節の言葉とどう関係していましたか。

      アンティオキアの会衆は喜びに湧いています。会衆の預言者や教える人たちの中から,バルナバとサウロが聖なる力によって選ばれ,良い知らせを遠くに伝えることになりました。a (使徒 13:1,2)以前にも宣教者として遣わされた人たちがいましたが,派遣先はキリスト教がすでに広まっていた地域でした。(使徒 8:14; 11:22)今回バルナバとサウロは,付き添いのヨハネ・マルコと一緒に,良い知らせがほとんど伝わっていない地方に遣わされます。

      2 14年ほど前,イエスは弟子たちにこう言いました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)バルナバとサウロが宣教者として任命されたことにより,ますますこの言葉の通りになっていくのが期待されます。b

      「ある活動を行わせるために……選びました」(使徒 13:1-12)

      3. 1世紀の旅にはどんな苦労がありましたか。

      3 今は自動車や飛行機などのおかげで,1,2時間でかなりの距離を移動できます。でも,1世紀はそうではありませんでした。当時,陸路の旅は主に徒歩で,たいていは,起伏の多い土地を越えていきました。1日歩いても,進める距離は30㌔ほどで,体力を相当消耗しました。c バルナバとサウロは新しい任務をとても楽しみにしていたと思われますが,大変な旅になることを覚悟していたはずです。(マタ 16:24)

      陸路の旅

      1世紀当時,陸路の旅は船旅よりも時間がかかって,かなりの体力を要し,おそらく費用もかかりました。しかし,徒歩でしか行けない場所も多くありました。

      徒歩の場合,1日に進めるのは30㌔ほどでした。雨や強い日差し,暑さや寒さに耐えなければならず,盗賊に襲われる危険もありました。使徒パウロは,「何度も旅をし,川での危険,強盗の危険」に遭ったことを書いています。(コリ二 11:26)

      ローマ帝国には舗装道路が張り巡らされており,主要な街道沿いには,1日で歩ける距離ごとに宿屋がありました。そうした宿屋と宿屋の間には,基本的な物品が手に入る休憩所がありました。当時の著述家によれば,宿屋や休憩所は汚くて人で混み合い,じめじめしていてノミだらけでした。不快な場所で,ならず者のたまり場になっていました。宿屋の主人が旅人の物を盗んだり,売春をあっせんしたりすることも少なくありませんでした。

      クリスチャンは,そのような場所をできるだけ避けたに違いありません。とはいえ,親族や友人のいない地方を旅するときは,選択の余地がなかったでしょう。

      4. (ア)バルナバとサウロが選ばれたことには,何が関わっていましたか。ほかの兄弟たちは,その任命をどう受け止めましたか。(イ)会衆で誰かが責任を担うことになったとき,どのようにサポートできますか。

      4 神が聖なる力によって,バルナバとサウロを「ある活動を行わせるために……選び」なさいと指示したのはどうしてでしょうか。(使徒 13:2)詳しいことは書かれていません。でも,2人が選ばれたことに聖なる力が関わっていたのは確かです。アンティオキアの預言者や教える人たちは反対せず,この任命を心から支持しました。兄弟たちはねたむことなく,「断食をして祈ってから,2人に手を置き,送り出し」ました。(使徒 13:3)兄弟たちがそうしてくれたので,バルナバとサウロは温かい気持ちになったことでしょう。私たちもアンティオキアの兄弟たちのようでありたいと思います。会衆の長老に任命されるなど,誰かが責任を担うことになったとき,ねたむのではなく,「よく働いているその人たちに愛と深い思いやりを示し」ましょう。(テサ一 5:13)

      5. バルナバとサウロはキプロス島でどのように伝道しましたか。

      5 バルナバとサウロはアンティオキアから近くの港セレウキアまで歩いて行き,そこからキプロス島まで200㌔ほど船で旅をします。d キプロス島生まれのバルナバは,故郷の人たちに良い知らせをぜひ伝えたいと思っているはずです。キプロス島の東岸の町サラミスに着くと,2人はすぐに「ユダヤ人の会堂で神の言葉を広め始め」ます。e (使徒 13:5)2人はキプロス島の西岸まで旅をしながら,おそらく主な町で伝道したことでしょう。通ったルートによっては,160㌔も歩いた可能性があります。

      ユダヤ人の会堂

      「会堂」と訳される原語には,「集めること」という意味があります。この語はユダヤ人の集会や会衆を指し,やがて,集会が開かれる場所や建物を意味するようになりました。

      会堂が設けられるようになったのは,ユダヤ人の70年間のバビロン捕囚の期間中か,そのすぐ後だと考えられています。会堂は,教育,崇拝,聖書の朗読,講話のための場所でした。1世紀のパレスチナでは,町ごとに会堂がありました。大きな町には2つ以上あり,エルサレムにはたくさんありました。

      バビロン捕囚の後,全てのユダヤ人がパレスチナに戻ったわけではありません。仕事のために異国に移り住む人も多くいました。紀元前5世紀には,ペルシャ帝国の127の管轄地域全体にユダヤ人コミュニティーがありました。(エス 1:1; 3:8)時たつうちに,地中海周辺の町々にもユダヤ人地区ができました。各地に散っていたユダヤ人は,ディアスポラつまり離散している人たちとして知られるようになり,定住した先で会堂を設けました。

      会堂では,安息日ごとに律法が朗読され,説明されました。朗読は1段高くなった演壇から行われ,その周りの3方向に座席がありました。神を畏れるユダヤ人男性は誰でも,朗読,説教,講話に参加できました。

      6,7. (ア)セルギオ・パウロはどんな人でしたか。セルギオ・パウロが信仰を持つのを,バルイエスが邪魔したのはどうしてですか。(イ)バルイエスに妨害されたサウロはどうしましたか。

      6 1世紀のキプロス島は,間違った崇拝にすっかり染まっていました。バルナバとサウロが着いた西岸の町パフォスもそうでした。2人はそこで「呪術師で偽預言者」のバルイエスに会います。バルイエスは,「執政官代理で知的な人セルギオ・パウロと一緒に」いました。f 1世紀当時,教養のあるローマ人は(セルギオ・パウロのような「知的な人」も),重要な決定をするときに呪術師や占星術師に相談することがよくありました。それでもセルギオ・パウロは,神の王国の良い知らせに興味を引かれ,「神の言葉を聞きたが」りました。バルイエスはそのことが面白くありません。バルイエスには,エルマ(「呪術師」という意味)という別名もありました。(使徒 13:6-8)

      7 バルイエスは,神の王国の良い知らせを聞こうとせず,妨害します。セルギオ・パウロの顧問という地位を守るため,「執政官代理が信仰を持つのを邪魔しようとし」ます。(使徒 13:8)サウロは黙っていません。呪術師のせいで誠実な人の関心が失われるのは許せません。どうするでしょうか。こう書かれています。「パウロとも呼ばれるサウロは聖なる力に満たされ,エルマをじっと見て,こう言った。『ああ,あらゆる詐欺と罪悪に満ちた者,悪魔の子,あらゆる正しいことの敵よ,エホバの正しい道をゆがめるのをやめないのですか。さあ,エホバの手があなたの上にあります。あなたは目が見えなくなり,しばらく日の光を見ません』。たちまちエルマは濃い霧と闇で目が見えなくなり,手を引いてくれる人を探し回った」。g セルギオ・パウロはどうしたでしょうか。「起きたことを見た執政官代理は,エホバの教えにすっかり驚いて信者となった」とあります。(使徒 13:9-12)

      兄弟が裁判官の前で聖書を開き,信じていることを語っている。

      パウロのように,反対に遭っても信じていることを勇敢に語る。

      8. パウロの勇敢さにどう倣えますか。

      8 パウロはバルイエスを恐れたりしませんでした。私たちも同じです。誰かが誠実な人の関心を台無しにしようとしても,おじけづいたりしません。もちろん,「塩で味付けされた快い言葉を語るように心掛け」ます。(コロ 4:6)でも,ただ対立を避けようとして,関心のある人を助けずに終わってしまう,ということがないようにしましょう。また,間違っているものは間違っていると恐れずに言えるようでありたいと思います。バルイエスのように「エホバの正しい道をゆがめ」ている宗教があるからです。(使徒 13:10)パウロのように真実を勇敢に語り,学ぶ意欲のある人を助けましょう。パウロの時のような奇跡は起こらないとはいえ,良い人がクリスチャンになれるよう,エホバは聖なる力で必ず助けてくれます。(ヨハ 6:44)

      「励ましの言葉」(使徒 13:13-43)

      9. 会衆で責任を担う兄弟たちは,パウロとバルナバにどのように倣えますか。

      9 パフォスを出る頃,ちょっとした変化があったようです。次は,小アジアの沿岸部にあるペルガに向かって,250㌔ほど船で旅をします。使徒 13章13節には,「パウロの一行は……船に乗っ[た]」とあり,この頃パウロが中心的な存在になったことがうかがえます。それでも,バルナバが張り合おうとしたという記録はありません。2人は一緒に協力しながら,奉仕を続けました。会衆で責任を担う兄弟たちにとって,とても良い手本です。ライバル心を持たず,「あなたたちは皆,兄弟……です」というイエスの言葉を忘れないようにしましょう。「高慢になる人は低く評価され,謙遜になる人は高く評価され」ます。(マタ 23:8,12)

      10. ペルガからピシデアのアンティオキアへの旅は,どんな旅でしたか。

      10 ペルガに着いた時,ヨハネ・マルコはパウロとバルナバから離れてエルサレムに帰りました。どうして突然帰ったかは書かれていません。パウロとバルナバは旅を続け,ペルガからピシデアのアンティオキア(ガラテア州の町)に向かいます。楽な旅ではありませんでした。ピシデアのアンティオキアは海抜1100㍍ほどの所にあるからです。道中の険しい山道は,盗賊が出ることでも知られていました。しかもこの時,パウロは健康の問題を抱えていたようです。h

      11,12. ピシデアのアンティオキアの会堂で,パウロはどのように聞き手の興味を引こうとしましたか。

      11 ピシデアのアンティオキアで,パウロとバルナバは安息日に会堂に入ります。こう書かれています。「律法と預言者の言葉が朗読された後,会堂の役員たちからこう頼まれた。『兄弟たち,皆に何か励ましの言葉があれば,話してください』」。(使徒 13:15)パウロは立ち上がって話します。

      12 パウロは,「皆さん,イスラエルの方も神を畏れるほかの方も」と言って話し始めます。(使徒 13:16)話を聞いていたのはユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちでした。彼らは,イエスには神から与えられた大切な役目があることをまだ知りません。パウロはどのように教えるでしょうか。まず,ユダヤ国民の歴史を簡単に振り返りました。エホバが「エジプトで外国人として生活する民を強大にし……そこから連れ出し」たこと,その後の40年間「荒野でその民のことを辛抱し」たことを話します。また,イスラエル人が約束の地を征服し,エホバから「その土地を……授け」られたことも話しました。(使徒 13:17-19)パウロは,つい先ほど安息日の習慣で朗読された聖句に触れていたのかもしれない,と言われています。もしそうだとすれば,パウロはこの時も,「あらゆる人に対してあらゆるものにな」ろうとしていたことになります。(コリ一 9:22)

      13. 伝道する時,パウロにどのように倣えますか。

      13 私たちも伝道する時,興味を持ってもらえるような話をしたいと思います。相手に宗教心があるか,どういう考えを持っているかを知るようにし,ぴったりの話題を選びましょう。なるほどと思ってもらえるような聖書のフレーズに触れることもできます。聖書を開いて見せ,読んでもらうことが良い場合もあります。何が相手の心に響くかをいつも考えましょう。

      14. (ア)パウロは,イエスについての良い知らせをどのように伝えましたか。どんなことを警告しましたか。(イ)聞いていた人たちはどうしましたか。

      14 パウロは次に,イスラエルの王の家系から「救い主イエス」が生まれた経緯を話し,イエスが登場する前に,バプテスマを施す人ヨハネが活躍したことに触れます。さらに,イエスが処刑され,復活したことも説明します。(使徒 13:20-37)そしてこう言います。「ですから……このことを知ってください。この方の死による罪の許しが皆さんに広められており,……信じる人は皆,この方によって無罪とされるのです」。それからこう警告します。「預言書で述べられている次のことが皆さんに起きないように注意してください。『あざける者たち,見て,驚き,滅びてしまいなさい。私はあなたたちの時代に1つのことをする。そのことを誰かが詳しく話したとしても,あなたたちは決して信じない』」。聞いていた人たちはどうしたでしょうか。うれしいことに,「人々は,こうしたことを次の安息日にもぜひ話してほしいと頼んだ」とあります。しかも,会堂の集会が終わると,「多くのユダヤ人や神を崇拝する改宗者がパウロとバルナバに付いて」いきました。(使徒 13:38-43)

      「私たちは異国の人々の方に向かいます」(使徒 13:44-52)

      15. 次の安息日にどんなことがありましたか。

      15 次の安息日,「町のほとんどの人」がパウロの話を聞きにやって来ます。ユダヤ人はそれが気に入らず,「パウロが語ることを冒瀆して反論するように」なります。パウロとバルナバは彼らに堂々とこう言います。「神の言葉はまずあなた方に語られることが必要でした。あなた方がそれを退けて,永遠の命に値しない者であることを示すのですから,私たちは異国の人々の方に向かいます。エホバは次のような言葉で私たちに命令しています。『私はあなたを国々の光に任命した。あなたは地の果てにまで救いをもたらすのである』」。(使徒 13:44-47。イザ 49:6)

      ピシデアのアンティオキアで,怒った人たちから町の外に追い出されたパウロとバルナバ

      「ユダヤ人たちは……パウロとバルナバに対して迫害を起こし[た]。弟子たちはその後も喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」。使徒 13:50-52

      16. ユダヤ人たちは,パウロとバルナバの話を聞いてどうしましたか。それに対して,2人はどうしましたか。

      16 2人の話を聞いた異国人たちは喜び,「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人は皆,信者とな」りました。(使徒 13:48)エホバの言葉はその地方一帯に広まります。一方,ユダヤ人たちはかたくなです。パウロとバルナバが言ったように,神の言葉はまず彼らに語られたのに,彼らはメシアを拒絶しました。それで,神から処罰されても仕方ありません。ユダヤ人たちは2人の話の後,「著名な女性たちや町の主立った人たちをあおり,パウロとバルナバに対して迫害を起こし,境界の外に追い出し」ます。2人はどうするでしょうか。「その人たちに対して足の土を振り払い,イコニオムに行」きます。ピシデアのアンティオキアでのキリスト教の進展はもう見込めないのでしょうか。そんなことはありません。残された弟子たちは「その後も喜びにあふれ,聖なる力に満たされて」いました。(使徒 13:50-52)

      17-19. パウロとバルナバからどんなことを学べますか。どうすれば喜びながら伝道を続けられますか。

      17 パウロとバルナバの対応から大切なことを学べます。たとえ権力者たちが伝道をやめさせようとしても,私たちはやめません。アンティオキアの人たちからの反対に遭った時,パウロとバルナバは「足の土を振り払い」ました。いら立ってそうしたわけではありません。これは,自分に責任がないことを示す動作でした。2人は,自分の力ではどうにもできないことがあるのを認めていました。その人が良い知らせを聞くかどうかは,その人にしか決められません。でも,私たちにも決められることがあります。伝道を続けるかどうかです。それは私たちが自分で決められます。2人はイコニオムに行って伝道を続けることに決めました。

      18 アンティオキアに残された弟子たちはどうだったでしょうか。反対の中,活動を続けなければいけませんでした。でも喜んでいられました。相手が聞いてくれるかどうかだけに注目していたわけではないからです。イエスが言ったように,「神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」(ルカ 11:28)アンティオキアの人たちは,神から言われた通りに働けていることをうれしく思っていました。それで,喜んでいられました。

      19 私たちの責任はあくまで良い知らせを伝えることです。パウロとバルナバに倣って,そのことを忘れないようにしましょう。良い知らせを聞こうとするかどうかは,相手が決めることです。聞いてくれる人が少ないと思えるときは,1世紀の兄弟たちのことを思い出しましょう。良い知らせの素晴らしさを忘れず,聖なる力に導かれるようにすれば,反対に遭っても喜んでいられます。(ガラ 5:18,22)

      バルナバ 「慰めの子」

      初期のエルサレム会衆の主立った人の中に,レビ族でキプロス島生まれのヨセフがいました。ヨセフは使徒たちからバルナバとも呼ばれていました。バルナバは「慰めの子」という意味で,彼の人柄をよく表す名前でした。(使徒 4:36)バルナバは,仲間の信者が困っていることに気付くと,すぐに助けました。

      バルナバがお金の入った袋2つを差し出し,寄付している。

      33年のペンテコステの日に,3000人がバプテスマを受けました。その多くはおそらく,祭りのために遠くからエルサレムに来ていた人たちで,予定より長く滞在することになりました。会衆には,大勢の人を世話するための資金が必要でした。そこでバルナバは土地を売り,得たお金を使徒たちの所に持っていって寄付しました。(使徒 4:32-37)

      バルナバはクリスチャンの立派な監督で,進んで人を助けました。タルソスのサウロがクリスチャンになって間もない頃,弟子たちはみんなサウロを怖がっていましたが,バルナバが仲を取り持ってあげました。(使徒 9:26,27)異国人のクリスチャンとの関係について,ペテロと一緒にパウロからはっきり助言された時,素直に受け入れました。(ガラ 2:9,11-14)このように,バルナバは「慰めの子」という名前の通り,優しい人でした。

      a 「バルナバ 『慰めの子』」という囲みを参照。

      b この時点で各地に会衆があり,エルサレムから遠く550㌔ほど北に位置するシリアのアンティオキアにもありました。

      c 「陸路の旅」という囲みを参照。

      d 1世紀当時,追い風であれば船は1日に160㌔ほど進めました。気象条件が悪いと,もっと時間がかかりました。

      e 「ユダヤ人の会堂」という囲みを参照。

      f キプロス島はローマ元老院の統治下にありました。島の行政のトップは,執政官代理の位にある属州総督でした。

      g これ以降,サウロではなくパウロという名前が使われています。彼はここでローマ名を使ってセルギオ・パウロに敬意を表した,と言う人もいます。しかし,キプロス島を去った後もパウロという名前を使っているので,「異国の人々への使徒」として以後ローマ名を使うことにしたとも考えられます。また,ヘブライ語名サウロをギリシャ語式に発音すると,悪い意味があるギリシャ語によく似てしまうので,パウロという名前を使った,ということかもしれません。(ロマ 11:13)

      h パウロは,数年後に書いた「ガラテアのクリスチャンへの手紙」の中で,「私が皆さんに良い知らせを伝えるきっかけになったのは,私の病気でした」と言っています。(ガラ 4:13)

  • 「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」
    神の王国について徹底的に教える
  • 「エホバの権威の下に大胆に語った」
    神の王国について徹底的に教える
    • 12章

      「エホバの権威の下に大胆に語った」

      パウロとバルナバはいつも謙虚で,反対に遭ってもめげずに語り続けた

      使徒 14:1-28

      1,2. ルステラでパウロとバルナバにどんなことがありましたか。

      ルステラの町は大騒ぎです。生まれつき足が不自由だった男性が,喜びながら跳びはねています。2人の見知らぬ人が癒やしてくれたのです。見ていた人たちは驚いて息をのみ,この2人は神に違いないと思います。ゼウスの祭司が2人のために花輪を持ってきます。そして,犠牲として捧げるために雄牛も数頭連れてきます。雄牛は鼻を鳴らし,大きな鳴き声を上げています。パウロとバルナバは声を張り上げ,その崇拝行為をやめさせようとします。服を引き裂いて群衆の中に入っていき,崇拝しないでほしいと言います。興奮していた民衆はやっと引き下がり,静かになります。

      2 ところが,思わぬ展開になります。ピシデアのアンティオキアやイコニオムから過激なユダヤ人たちがやって来て,パウロたちのことを悪く言い,ルステラの人たちにうそを吹き込みます。一時はパウロたちに敬服していた民衆は,態度を一変させ,パウロを取り囲んで石打ちにし始めます。怒りが収まるまで石を投げ付け,パウロは意識を失います。人々は,傷だらけになったパウロを町の外に引きずり出し,死んだと思って置き去りにします。

      3. この章ではどんなことを考えますか。

      3 どうしてこんなにショッキングな出来事が起きたのでしょうか。伝道する私たちは,この出来事からどんなことを学べるでしょうか。バルナバとパウロはめげずに宣教を続け,「エホバの権威の下に大胆に語」りました。2人の手本に長老たちはどのように倣えるでしょうか。(使徒 14:3)

      「非常に大勢の人が信じるようになった」(使徒 14:1-7)

      4,5. パウロとバルナバがイコニオムに行ったのはどうしてですか。そこでどんなことがありましたか。

      4 少し前,パウロとバルナバはピシデアのアンティオキアでユダヤ人からの反対に遭い,町から追い出されました。それでも2人は弱気にならず,「足の土を振り払」ってアンティオキアから出ていきます。(使徒 13:50-52。マタ 10:14)彼らをどうするかは神にお任せし,事を荒立てずに町を去ります。(使徒 18:5,6; 20:26)2人はその後も喜びを失うことなく宣教旅行を続け,南東に150㌔ほど歩いて,タウロス山脈とスルタン山脈の間の肥沃な高原までやって来ました。

      5 パウロとバルナバはまずイコニオムに行きます。そこはギリシャ文化が色濃く残っている町で,ローマの属州ガラテアの主要な町の1つでした。a ユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちが多く住んでいました。2人はいつも通り,会堂に入って伝道を始めます。(使徒 13:5,14)「パウロとバルナバが……立派に話をすると,ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信じるようになった」と書かれています。(使徒 14:1)

      イコニオム フリギアの町

      イコニオムは,よく潤った肥沃な高原に位置していました。ローマ,ギリシャ,ローマの属州アジアをシリア地方と結ぶ交易ルートの交差点になっていました。

      イコニオムの宗教は,フリギアの豊饒多産の女神キュベレの崇拝で,ヘレニズム時代にギリシャ人の崇拝から影響を受けたものでした。この町は,紀元前65年にローマの勢力下に入り,西暦1世紀には交易と農業の中心地として栄えていました。ユダヤ人がかなり多く住んでいましたが,ヘレニズム的な文化も残っていたようです。「使徒の活動」は,この町にいたユダヤ人と「ギリシャ人」の両方に言及しています。(使徒 14:1)

      イコニオムは,ガラテア州のルカオニア地方とフリギア地方の境界に位置していました。キケロやストラボンなどの古代の著述家たちは,イコニオムをルカオニアの町と呼んでいて,イコニオムは地理的にもルカオニア地方に属します。ところが,「使徒の活動」はイコニオムを,「ルカオニア語」が話されていたルカオニアの町とは区別しています。(使徒 14:1-6,11)このため批評家は,「使徒の活動」の記録は不正確だと主張していました。しかし,1910年に考古学者たちがイコニオムで幾つかの碑文を発見し,パウロとバルナバが訪れてから2世紀の間,その町でフリギア語が使われていたことが明らかになりました。イコニオムがルカオニアの町と区別されていたのは正確だったことが分かります。

      6. パウロとバルナバが上手に教えられたのはどうしてですか。2人にどのように倣えますか。

      6 パウロとバルナバはどうしてそんなに上手に教えられたのでしょうか。パウロは聖書の知識が豊富でした。イエスが約束のメシアであると確信してもらえるよう,歴史や預言,モーセの律法を見事に引き合いに出しながら論じました。(使徒 13:15-31; 26:22,23)バルナバは相手の気持ちに寄り添う人でした。(使徒 4:36,37; 9:27; 11:23,24)2人とも,自分に頼るのではなく,「エホバの権威の下に」語りました。伝道で2人にどのように倣えるでしょうか。聖書のことをよく知り,相手の心に響く聖句を選びましょう。どうすれば心からの思いやりが伝わるかを考えましょう。自分の考えを話すのではなく,エホバの言葉を使って教えましょう。

      7. (ア)良い知らせによってどんなことが生じるかもしれませんか。(イ)家族から冷たくされるとしたら,どうするとよいですか。

      7 でも,イコニオムの人みんながパウロとバルナバの話を聞いて喜んだわけではありません。「信じないユダヤ人たちは異国の人々をあおり立て,兄弟たちに対して悪感情を抱かせた」と書かれています。2人は,しばらくとどまって良い知らせの素晴らしさを伝えた方がよいと考え,「かなりの時をそこで過ごして……大胆に語」ります。その結果,「町の人々はユダヤ人の側と使徒の側とに分かれ」ました。(使徒 14:2-4)現代でも,同じようなことがよくあります。良い知らせによって固い絆が生まれることもあれば,分裂が生じることもあります。(マタ 10:34-36)聖書を学んでいることで,家族から冷たくされるかもしれません。でも単に,根拠のないうわさや批判を耳にして反対している場合もよくあります。いつも親切にし,誠実であり続ければ,やがて分かってくれる時が来るかもしれません。(ペテ一 2:12; 3:1,2)

      8. パウロとバルナバがイコニオムを去ったのはどうしてですか。2人からどんなことを学べますか。

      8 しばらくして,イコニオムのある人たちは怒って,パウロとバルナバを石打ちにしようとたくらみます。そのことを知った2人は,別の町に行って伝道することにしました。(使徒 14:5-7)現代の私たちも,同じように賢い判断をします。私たちのことを悪く言う人がいても,勇気を出して語り続けます。(フィリ 1:7。ペテ一 3:13-15)でも,暴力を振るわれそうになったら,自分や仲間の命を危険にさらすような無謀なことはしません。(格 22:3)

      「生きている神を崇拝する」(使徒 14:8-19)

      9,10. ルステラはどこにありましたか。住民はどんな人たちでしたか。

      9 パウロとバルナバは,ローマの植民市ルステラに向かいます。イコニオムの南西30㌔ほどの所にあった町です。ルステラは,ピシデアのアンティオキアと関係が深かったものの,アンティオキアのようなユダヤ人コミュニティーはありませんでした。住民はギリシャ語も話したようですが,母語はルカオニア語でした。会堂がなかったためと思われますが,パウロとバルナバは公共の場所で伝道し始めます。以前ペテロがエルサレムで,生まれつき足が不自由な人を癒やしたことがありましたが,今回はパウロがルステラで,生まれつき足が悪い人を癒やします。(使徒 14:8-10)ペテロの時は,奇跡を見た大勢の人がクリスチャンになりましたが,パウロの時の反応は全く異なります。(使徒 3:1-10)

      10 冒頭で見たように,ルステラの人たちは,足が不自由だった人が跳びはねているのを見て,パウロとバルナバを崇拝し始めます。バルナバのことを最高神ゼウス,パウロのことをヘルメス(ゼウスの子で神々の代弁者)と見なしました。(「ルステラとそこでのゼウスとヘルメスの崇拝」という囲みを参照。)2人は,自分たちの力は真の神エホバから来ているのであって,異教の神々とは全く関係がないことを民衆に分かってもらおうとします。(使徒 14:11-14)

      ルステラとそこでのゼウスとヘルメスの崇拝

      ルステラはルカオニア地方の町で,主要な街道から外れた谷あいに位置していました。カエサル・アウグストゥスがこの町をローマの植民市に指定し,ユリア・フェリクス・ジェミナ・ルステラと名付けました。そこには,ガラテア州を山岳民族から守るための守備隊が置かれました。ローマの従来の都市機構が導入され,役人たちの称号はラテン語でした。とはいえ,土着の文化もたくさん残っていました。ローマ的な町というよりルカオニアらしさを残す町で,「使徒の活動」に出てくるルステラの人たちは,ルカオニア語を話しました。

      古代ルステラ付近で考古学者が発見した物の中に,「ゼウスの祭司」に言及した碑文やヘルメス神の像があります。ゼウスとヘルメスに献じられた祭壇も見つかっています。

      ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年-紀元17年)が記した伝説から,「使徒の活動」の記録の背景をさらに知ることができます。オウィディウスによると,ローマの神ユピテルとメルクリウス(ギリシャの神ゼウスとヘルメスに当たる)が人間に姿を変えてフリギアの丘陵地帯を訪れました。宿を求めて1000軒の家を訪ねましたが,ことごとく断られました。ようやくフィレモンとバウキスという老夫婦が質素な家に迎え入れてくれました。それでゼウスとヘルメスは,その家を大理石と金の神殿に変え,老夫婦を祭司と女祭司にし,泊めてくれなかった人たちの家を破壊しました。「ギリシャ・ローマ時代を背景とする使徒行伝」(英語)にはこう書かれています。「パウロとバルナバが足のなえた人を癒やした時に,それを見たルステラの人々がこうした伝説を思い出したとすれば,犠牲を捧げて2人を歓迎しようとしたのもうなずける」。

      パウロとバルナバがルステラの人たちに,称賛しないでほしいと言っている。民衆は音楽を奏で,捧げ物を準備し,ひれ伏している。

      「こうした無駄なことをやめて,生きている神を崇拝[してください]。神は天と地と海とその中の全ての物を造りました」。使徒 14:15

      11-13. (ア)パウロとバルナバはルステラの人たちにどんなことを話しましたか。(イ)2人がした話からまず何を学べますか。

      11 ルステラの人たちはとても興奮して大騒ぎになっていますが,パウロとバルナバは何とかして心に訴え掛けようとします。2人は異教の人たちに上手に語り掛けました。こう記録されています。「皆さん,なぜこんなことをするのですか。私たちも,皆さんと同じ弱さを持つ人間です。そして,皆さんに良い知らせを伝えているのは,皆さんがこうした無駄なことをやめて,生きている神を崇拝するためです。神は天と地と海とその中の全ての物を造りました。昔,神は全ての国の人々がそれぞれの道を進むままにしました。それでも,善いことを行って,ご自分のことを明らかにしていました。天からの雨と実りの季節を与え,食物を豊かに供給して人々の心を喜びで満たしたのです」。(使徒 14:15-17)

      12 2人がした話からいろいろなことを学べます。1つ目に何を学べるでしょうか。2人は自分たちが相手よりも上だとは全く思っていませんでした。自分を大きく見せようとはしませんでした。みんなと同じく弱い人間であることを謙虚に認めました。もちろん,2人は聖なる力を受けていましたし,正しい教えを知っていました。キリストと一緒に王になる見込みもありました。それでも,ルステラの人たちもキリストの後に従えば,同じ良いものを受けられる,ということを分かっていました。

      13 私たちはどうでしょうか。伝道するとき,相手と自分は同じ立場だと本当に思っているでしょうか。聖書から正しいことを教えるとき,パウロとバルナバのように自分が称賛を受けないようにしているでしょうか。チャールズ・テイズ・ラッセルは良い手本です。兄弟は教えるのが上手な人で,19世紀後半から20世紀前半にかけて熱心に良い知らせを広めました。こう書いています。「私たちは……自分自身や自分たちの著作に対する賛辞や崇敬を求めてはおらず,師あるいはラビと呼ばれることを望んでいない」。まさにパウロとバルナバと同じ姿勢です。私たちが伝道するのは自分が称賛を受けるためではありません。「生きている神」について知ってもらうためです。

      14-16. パウロとバルナバがルステラの人たちにした話から学べる2つ目と3つ目のことは何ですか。

      14 2つ目に,相手に合わせたアプローチの大切さを学べます。イコニオムのユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちとは違い,ルステラの人たちは聖書についてほとんど知りませんでした。神とイスラエル国民の歴史についても知りませんでした。一方,ルステラは温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ,農業が盛んでした。収穫の時期などに,神が造った物の素晴らしさを体験することができました。パウロとバルナバは,相手にとってなじみ深いものを題材にして,説明しました。(ロマ 1:19,20)

      15 私たちも相手に合わせたアプローチをしましょう。農家の人は種をまくとき,畑の状態によって土壌の整え方を変えます。軟らかい土の畑はさほど耕さなくても種をまけますが,土が硬ければまず丁寧に耕します。伝道もそれに似ています。まくのはいつも同じ種,神の王国の良い知らせです。でも,パウロとバルナバに倣って,相手の文化や生い立ち,信じていることを知るようにします。そして,それに合わせたアプローチをして,良い知らせを伝えます。(ルカ 8:11,15)

      16 3つ目に,この出来事から何が学べるでしょうか。たとえベストを尽くしたとしても,まいた種が取り去られてしまったり,岩地に落ちたりすることもあります。(マタ 13:18-21)そうなっても,がっかりし過ぎないようにしましょう。パウロはしばらく後にこう書いています。「私たち一人一人[私たちが伝道した相手も含まれる]は,神に責任を問われることになるのです」。(ロマ 14:12)

      「彼らをエホバに委ねた」(使徒 14:20-28)

      17. デルベの後,パウロとバルナバはどこに行きましたか。どうしてですか。

      17 石打ちにされたパウロは,ルステラの町の外に引きずり出され,置き去りにされました。弟子たちが周りを囲んで見ているとパウロは起き上がり,町の中で一夜を過ごすことにします。次の日,パウロとバルナバはデルベに向けて100㌔ほどの旅に出ます。体を痛めつけられたばかりのパウロにとって,この旅はつらく苦しいものだったに違いありません。しかし,パウロもバルナバも頑張り抜き,デルベに着いてから,「かなり大勢の人々」を「弟子となるよう手助けし」ます。その後,どうしたでしょうか。本拠地のシリアのアンティオキアに真っすぐ帰るのではなく,遠回りをして「ルステラ,イコニオム,[ピシデアの]アンティオキアに戻り」ました。「弟子たちを力づけ,信仰を保つよう励ま」すためです。(使徒 14:20-22)私たちにとって素晴らしい手本です。楽をしたいという気持ちよりも,会衆のことを思う気持ちの方が強かったのです。現代の旅行する監督や宣教者たちも同じようにしています。

      18. 長老はどのようにして任命されますか。

      18 パウロとバルナバは,弟子たちに温かい言葉を掛けたり,一緒に働いたりしただけでなく,「会衆ごとに長老たちを任命」することもしました。2人は宣教者として「聖なる力によって送り出されて」いたものの,祈って断食をしてから,「彼ら[長老たち]をエホバに委ね」ました。(使徒 13:1-4; 14:23)現代でも,同じようにして長老たちが任命されます。長老団は誰かを推薦する時,まず祈ってから,その兄弟が聖書に書かれている資格にかなっているかを検討します。(テモ一 3:1-10,12,13。テト 1:5-9。ヤコ 3:17,18。ペテ一 5:2,3)クリスチャンとして何年奉仕しているかが重要なわけではありません。その兄弟がどれほど聖なる力に導かれた生活を送っているかが大切です。それは兄弟の話すことやすること,周りの人からの評判に表れます。聖書に書かれている監督の条件にかなっていれば,「神の羊の群れ」の牧者になる資格があります。(ガラ 5:22,23)こういう任命をする責任は,巡回監督が担っています。(テモ一 5:22と比較。)

      19. 長老は,神に何と言えるようでなければいけませんか。パウロとバルナバにどのように倣えますか。

      19 長老たちには,会衆の人たちを世話する責任があります。きちんと責任を果たしています,と神に言えるようでなければいけません。(ヘブ 13:17)パウロとバルナバのように,先頭に立って伝道します。兄弟姉妹に温かい言葉を掛けて,元気づけます。楽をしたい気持ちになるときも,会衆のことを思って一生懸命に働きます。(フィリ 2:3,4)

      20. 1世紀の兄弟たちの奉仕について知ると,どんな気持ちになりますか。

      20 やがてパウロとバルナバは,本拠地のシリアのアンティオキアに帰り着きます。そして会衆のみんなに,「神が自分たちを通して行った多くのこと,また,神が信仰への扉を異国の人々に対して開いたことを話し」ました。(使徒 14:27)1世紀の兄弟たちの頑張りが報われたことを知ると,私たちも「エホバの権威の下に大胆に語っ[て]」いこうという気持ちになります。

      a 「イコニオム フリギアの町」という囲みを参照。

  • 「エホバの権威の下に大胆に語った」
    神の王国について徹底的に教える
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