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    目ざめよ! 1993 | 10月8日
    • どうすれば子供を守れるか

      「だれにも言っちゃいけないよ。二人だけの秘密だからね」。

      「だれも信じてくれないよ」。

      「話すと,お父さんやお母さんに嫌われるよ。悪いのはおまえだということが分かるんだから」。

      「特別のお友達でいるのはもういやなの?」

      「わたしが牢屋に入ることになってもいいのかい?」

      「話したら,お父さんとお母さんを殺すからね」。

      子供を利用して倒錯した性欲を満たし,子供から安心感と潔白感を奪った後,虐待者は犠牲者にさらに別のもの,つまり沈黙を要求します。確実に沈黙させるため,彼らは,恥ずかしい思いをさせたり,秘密にさせたり,さらにはあからさまに脅したりします。こうして子供は,虐待に立ち向かう最大の武器,つまり人に話し,はっきり言葉に出して大人に保護を求めようとする意志を奪われてしまうのです。

      悲しいことに,大人の社会は意に反してしばしば児童虐待者に手を貸しています。どのようにですか。虐待という危険に目をつぶり,この危険を押し隠そうとする態度を助長し,よく耳にする作り話を信じることによってです。無知や誤った情報や沈黙によって保護されるのは犠牲者ではなく虐待者のほうです。

      例えば,カナダ・カトリック司教会議は最近,「世間が共謀して沈黙している」ため,カトリックの僧職者の間で何十年にもわたって甚だしい児童虐待が続いているという結論に達しました。近親相姦のまん延について報じたタイム誌も,人々が「共謀して沈黙している」ことが要因となって,家庭内の「悲劇は長引く一方である」と伝えています。

      しかしタイム誌は,この共謀関係はついに崩れようとしていると述べています。なぜでしょうか。一言で言えば,理由は教育にあります。アジアウィーク誌が述べているとおり,「児童虐待に対する一番の防護策は一般市民の意識を高めることであると専門家は口をそろえ」ます。親は子供を守るため,危険が現実に存在していることを理解していなければなりません。子供の代わりに虐待者を保護するような間違った考えを信じて,無知のままでいてはならないのです。―下の囲み記事をご覧ください。

      お子さんを教育しましょう

      賢いソロモン王は息子に,知識と知恵と思考力が「悪い道から,ゆがんだ事柄を話す者から」の身の守りになると話しました。(箴言 2:10-12)子供はまさにそれを必要としているのではないでしょうか。FBIのパンフレット「子供に対する性的いたずら ― その行動分析」には,「格好のえじき」という見出しの下に,「ほとんどの子供にとって,性はタブーである。特に親からは,正しい情報をほとんど何も教えられていない」と書かれています。お子さんを「格好のえじき」にしてはなりません。性について教育してください。a 例えば,思春期に体がどう変化するかを知らないまま,その時期を迎えさせてはなりません。知らなければ,混乱して恥ずかしい思いをし,その結果,えじきになりやすくなります。

      ある女性は子供の時に性的虐待を受け,何年も後に,二人の我が子も性的虐待を受けました。彼女をジャネットと呼ぶことにしましょう。ジャネットはこう述懐しています。「性を一度も話題にせずに育ちました。そのため,性にどぎまぎする大人になりました。性は恥ずかしいことでした。子供ができてからも同じでした。よその子供には話せても,我が子には話せないのです。あるべき姿ではないと思います。こうしたことについて話してやらないと子供は攻撃の的になりやすいからです」。

      虐待を防ぐ方法を早くから教えることができます。子供に体の各部の名前,例えば膣,乳房,肛門,陰茎などを教える時には,それらは良いものまた特別なものではあるけれども,プライベートなものだということを話してください。「ほかの人は,パパやママでも触ってはいけないんだよ。お医者さんでも,パパかママがそばにいる時や,『いいですよ』って言った時でないと触ってはいけないんだよ」。b できれば両親もしくは成人した保護者各人から許可を得るほうが望ましいと言えます。

      シェリル・クレーザーが「セーフ・チャイルド・ブック」で述べているように,子供はためらうことなく虐待者を無視し,悲鳴を上げ,逃げ出すべきなのに,虐待された子供の多くは,行儀の悪い子供と思われたくなかったと後で言います。ですから子供は,大人の中には悪い事をする人もいること,また悪い事をさせようとする人に従う義務は子供であっても全くないということを知っている必要があります。そのような場合,子供にははっきり断わる完全な権利があります。それは,汚れた食べ物を食べさせようとしたバビロニア人の大人たちに向かってダニエルと仲間たちがはっきり断わったのと同じです。―ダニエル 1:4,8; 3:16-18。

      多くの人が勧める教え方の一つに,「もしも……?」ゲームがあります。例えばこう尋ねます。「もしも先生からほかの子を殴るように言われたら,どうする?」「もしも(ママ,パパ,牧師さん,お巡りさん)が高いビルから飛び降りなさいと言ったら,どうする?」 子供の答えは見当違いだったり全く間違っていたりするかもしれませんが,強い口調で訂正してはなりません。このゲームでは,子供を驚かせたりおびえさせたりする必要はないのです。事実,専門家たちはこのゲームを,優しく,愛情深く,その上楽しく行なうことを勧めています。

      次に,不適切な,あるいは不快感を与える愛情表現を払いのけるよう子供に教えてください。例えばこう尋ねます。「もしもパパとママの友達からキスされそうになって,変だなと思ったら,どうする?」c たいてい,どうするつもりかを子供に実際に演じさせて,“つもりごっこ”のようにするのが最善です。

      同じようにして子供は,虐待者の他の手口に抵抗する方法も身に着けることができます。例えば,「もしもだれかに,『◯◯ちゃんのこと大好きだから,お友達になろうよ』って言われたらどうする?」と尋ねることができます。子供がそのような策略に抵抗する方法を学んだら,他の策略についても話し合います。このような具合にです。「だれかに,『わたしをがっかりさせたくないよね?』って言われたら,何て言う?」 言葉と,はっきり分かる確固とした身振りで断わる方法を子供に教えてください。虐待者はたいてい巧妙に近づき,子供がどう反応するかを試すということを覚えておきましょう。それで子供には,断固として抵抗し,「言いつけちゃうよ」と言うように教えなければなりません。

      訓練を中途半端なまま終わらせない

      そのような訓練を一回の話し合いで終わらせてはなりません。子供には何度も繰り返す必要があります。どれほど具体的に訓練するかを決めるのはあなたです。とはいえ,中途半端なまま終わらせてはなりません。

      例えば,ひそかな合意を得ようとする虐待者の試みを未然に確実に防いでください。親に隠し事をするよう大人が子供に求めるのは絶対に正しくないということを子供は知っているべきです。親に話すのはいつでも ― たとえ話さないと約束してしまった場合でも ― 正しいことだと言って安心させましょう。(民数記 30:12,16と比較してください。)ある虐待者は,子供が家庭内の何かの決まりを破ったことを知ると,子供を恐喝します。「そっちが言いつけないなら,こっちも言いつけない」というわけです。ですから子供は,そのような状況下でも話したためにしかられることは決してないということを知っているべきです。話したために厄介なことになったりはしないのです。

      脅しに負けないようにも訓練しなければなりません。子供の前で小さな動物を殺して見せて,おまえの親にも同じ事をしてやるぞと脅す虐待者がいます。弟や妹を虐待すると言って脅す虐待者もいます。ですから,どんなに怖い脅しを受けても必ず虐待者のことを話すよう子供に教えてください。

      この点で,教える際に聖書が役に立ちます。聖書はエホバの全能の力を生き生きと強調しているので,虐待者の脅しの効果を弱めることができます。エホバにはどんな脅しもものともせずにご自分の民を助ける能力があることを子供は知っているべきです。(ダニエル 3:8-30)エホバの愛する人々を悪い人たちが傷つけたとしても,エホバはいつでも,受けた傷をいやし,物事をより良い状態に戻すことがおできになります。(ヨブ 1,2章; 42:10-17。イザヤ 65:17)エホバはすべてを見ておられ,悪いことをする人たちのことも,それに抵抗しようと精一杯努力する善良な人々のこともご存じであると子供に確信させてください。―ヘブライ 4:13と比較してください。

      蛇のように用心深く

      力ずくで子供に性的いたずらをする小児性愛者はめったにいません。むしろたいていの場合,まず子供と友達になろうとします。ですから,「蛇のように用心深く」あるようにというイエスの助言が当てはまります。(マタイ 10:16)愛情深い親の注意深い監督は,子供を虐待から守る最良の手段の一つです。性的いたずらの犯人は,公共の場所に一人でいる子供を探し,まず声をかけて好奇心を抱かせることがあります。(「オートバイは好きかい?」「トラックの中の子犬を見に来ない?」)もちろん,いつも子供のそばにいられるわけではありませんし,子供には一人で行動する自由がある程度必要なことを保育の専門家も認めています。しかし,賢い親は早まって子供に自由を与えすぎないよう注意します。

      子供の身近な大人や年上の若者を必ず十分に知るようにし,留守中の子供の世話をだれに頼むかを決める際には普通以上の注意を払ってください。お子さんの気分を悪くしたり落ち着かなくさせたりするベビーシッターは要注意です。同じように,幼い子供に極端に興味を持ち,同年代の友達がいないような十代の若者にも気をつけましょう。保育所や学校は徹底的に調べるようにします。構内全体を見て回り,職員に質問をします。また,職員と子供とがどんなやりとりをしているかじっくりと観察します。子供の様子を見に突然立ち寄ってもよいかどうか尋ねてください。もし許可されなければ,他の施設を探しましょう。―「目ざめよ!」誌,1987年12月8日号,3-11ページをご覧ください。

      しかし残念ながら,現実には,どんなに立派な親でも子供の身に起きることをすべて管理できるわけではありません。―伝道の書 9:11。

      もし両親が協力すれば,管理できることが一つあります。それは家庭環境です。ほとんどの児童虐待は家庭で起きているので,次の記事では家庭に焦点を合わせます。

      a 「目ざめよ!」誌,1992年2月22日号,3-11ページと1992年7月8日号,30ページをご覧ください。

      b もちろん子供が非常に幼いころは,親がお風呂に入れたり着替えさせたりしなければならず,そのような時には親が性器を洗ってやります。とはいえ,早いうちに子供に体の洗い方を教えましょう。保育の専門家の中には,可能なら3歳までに自分で性器を洗えるようにさせることを勧める人もいます。

      c キスや抱擁といった愛情の表現を求める人すべてにそうするよう子供に強制していると,この訓練が意味をなさなくなると注意する専門家もいます。そのため,したくないことを要求された時には,丁寧に断わるか,何かほかの方法を取るよう子供に教えている親もいます。

      助けを求めて叫んだ少年

      「エホバへの叫び,少年を性的いたずらから守る」という見出しが1993年5月5日付の米国の新聞「アリゾナ・リパブリック」に掲載されました。この事件で性的いたずらの容疑をかけられている男は銃を突きつけて13歳の少年を誘拐し,自分のアパートに連れ込みました。若者が「エホバ,助けて!」と叫ぶと,男は狼狽して少年を解放しました。その後,男は警察に逮捕されました。

      そのような状況下でエホバのみ名を呼び求めることがふさわしいのは確かですが,現在の危機的な「終わりの日」に神の僕が被害者にならずにすむわけではありません。(テモテ第二 3:1-5,13)ですからクリスチャンの親は,見た目がどんなに立派でも,見知らぬ人には必ず注意を払うよう子供を訓練しなければなりません。

  • 家庭での予防
    目ざめよ! 1993 | 10月8日
    • 家庭での予防

      彼が虐待を始めたとき,モニークは9歳でした。最初はモニークが服を脱ぐところをのぞいていましたが,やがて夜,彼女の部屋に入っては性器に触れるようになりました。抵抗されると,ひどく腹を立てました。ある時など,金づちで殴りかかり,階段から突き落としたこともあります。「だれも信じてくれませんでした」とモニークは言います。母親でさえ信じてくれませんでした。虐待していたのは,モニークの継父だったのです。

      子供にとって最も危険なのは,トレンチコートに身を包んだ見知らぬ人でも,茂みに潜む内向的な人でもありません。むしろ,最も危険な人物は家族の中にいます。性的虐待の大多数は家庭内で発生しているのです。では,家庭での虐待を防ぐにはどうすればよいでしょうか。

      歴史家サンダー・J・ブライナー博士は自著「無実な者たちの虐殺」の中で,エジプト,中国,ギリシャ,ローマ,イスラエルという五つの古代社会に児童虐待が存在していたことを示す証拠を調べました。そして,イスラエルにも確かに虐待は存在していたものの,他の四つの文化圏に比べればまれであったと博士は結論しています。なぜでしょうか。近隣諸国とは異なり,イスラエル国民は女性と子供に敬意を持つよう教えられていたのです。この進んだ見方は聖書のおかげでした。家庭生活に神の律法を当てはめる限り,イスラエル人は児童虐待を防ぐことができました。今日の家族には,清く実際的なこの規準がこれまでになく必要です。

      道徳律

      聖書の律法はあなたの家族に影響を及ぼしていますか。例えば,レビ記 18章6節は,「あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも,自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない。わたしはエホバである」と述べています。同様に,今日のクリスチャン会衆ではあらゆる形態の性的虐待に対する強力な律法が施行されています。子供を性的に虐待する人は,排斥,つまり会衆からの追放を覚悟しなければなりません。a ―コリント第一 6:9,10。

      どの家族もそのような律法を共に復習し,頭に入れておくべきです。申命記 6章6節と7節はこう勧めています。「そして,わたしが今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない。あなたはそれを自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」。こうした律法を教え込むには,子供に時たま話して聞かせるだけでは不十分です。定期的に,意思を通わせながら話し合う必要があります。父親も母親も,近親相姦に関する神の律法と,愛情深くもそうした律法が設けられている理由を時おり再確認すべきです。

      性的な事柄には,近親者を含め,だれも決して越えてはならない境界線があるということを子供に教えるため,ダビデの子供,タマルとアムノンの話などを取り上げることもできるでしょう。―創世記 9:20-29。サムエル第二 13:10-16。

      実生活の取り決めの中でさえ,こうした原則に対する敬意を示すことができます。東洋のある国では,経済上の必要性がないにもかかわらず子供たちが親と一緒に寝ている家庭で近親相姦が生じることが多いという調査結果が出ています。同様に,やむをえない事情がないにもかかわらず,異性の兄弟同士が大きくなってからも同じベッドや部屋で寝るのは,普通は賢明なことではありません。狭苦しい住宅環境はどうにもならないとしても,親は家族が各々どこで寝るかを決める際に十分に分別を働かせるべきです。

      聖書の律法は酩酊を禁じ,それが倒錯行為につながりかねないことを示唆しています。(箴言 23:29-33)ある調査によると,近親相姦の犠牲者の約60%から70%は,虐待を始めた時に親が酒を飲んでいたと回答しています。

      愛情深い家族の頭

      研究者たちは,夫が暴君となっている家庭のほうが虐待が生じやすいことに気づきます。女性は男性の欲求を満たすためだけの存在であるという広く浸透している見方を,聖書は誤りとしています。中には,キリスト教の精神に反するこの見方を盾に,妻から得られないものを娘から得ようとすることを正当化する男性もいます。そうした場合,女性はこの種の圧迫によって感情のバランスを失いかねません。我が子を守るという強い自然な衝動さえ失ってしまう女性も少なくありません。(伝道の書 7:7と比較してください。)他方,ある調査では,仕事中毒の父親がほとんど家にいない場合,母親と息子の間の性的虐待という傷が悪化することもあります。

      あなたの家庭はいかがですか。夫であるあなたは,頭の役割を真剣に果たしていますか。それとも,頭の役割を放棄して妻に任せていますか。(コリント第一 11:3)愛と敬意を示しながら妻に接していますか。(エフェソス 5:25。ペテロ第一 3:7)妻の意見を考慮に入れていますか。(創世記 21:12。箴言 31:26,28)お子さんについてはどうでしょうか。お子さんを貴重な存在と考えていますか。(詩編 127:3)それとも,ただのお荷物,いつでも思いどおりに扱えるものとみなしていますか。(コリント第二 12:14と比較してください。)家庭内の役割について,聖書に一致していない歪んだ見方を取り除きましょう。そうすれば,あなたの家庭は虐待に対する抵抗力を強めることができます。

      感情面で安心できる場所

      ある若い女性 ― ここではサンディーと呼ぶことにします ― はこう言います。「うちの家庭はいつ虐待が起きてもおかしくない状態でした。よそとの付き合いがなく,家族もばらばらでした」。孤立,柔軟性のなさ,異常なまでの秘密主義といった,聖書に合わない不健全な態度は虐待が起きる家庭の特徴です。(サムエル第二 12:12; 箴言 18:1; フィリピ 4:5と比較してください。)子供が感情面で安心できるような雰囲気の家庭にしてください。子供にとって家庭とは,元気づけられると感じる場所,自由に心を開いて率直に話せると感じる場所でなければなりません。

      また子供は体で示される愛情表現,つまり抱き締めたり,優しくなでたり,手をつないだり,一緒に遊んだりしてもらうことを大いに必要としています。性的虐待の危険性を気にするあまり,そうした愛情表現を控えることがないようにしましょう。率直で温かい愛情と褒め言葉によって,大事にされていることを教えてあげましょう。サンディーはこう回顧しています。「人を褒めるのは間違ったことで,そんなことをすると相手は思い上がってしまうというのが母の持論でした」。サンディーは少なくとも10年間,だれにも話せないまま性的虐待を受けました。自分が人から愛されており,価値ある人間であることを確信していない子供は,虐待者の褒め言葉や“愛情”,また,もう愛してやらないという脅しにだまされやすいのです。

      40年間に数百人もの少年に性的虐待を加えていた小児性愛者は,彼のような友達を感情面で求めている少年が“絶好”の獲物だったことを認めました。お子さんがそのような欲求を抱かないようにしてください。

      虐待の循環を断つ

      厳しい試練のもとでヨブは,「わたしの魂は自分の命に対して確かに嫌悪を感ずる。わたしは自分についての気遣いを漏らそう。わたしは自分の魂の苦しみのうちにあって語ろう!」と言いました。(ヨブ 10:1)同じように,多くの親は自分自身を救うことによって子供を救えることに気づきました。「ハーバード・メンタルヘルス・レター」は最近,「男性が苦悩を口にすることに対する強力な社会的拘束力が原因となって,虐待の循環が果てしなく続くようだ」と述べました。性的虐待を受けた苦悩を口に出せない男性は,自分自身が虐待者になりやすいようです。「セーフ・チャイルド・ブック」によると,子供に性的いたずらをする人のほとんどは,子供の時に性的虐待を受けたにもかかわらず,立ち直るための援助を与えられなかった人です。そうした人はほかの子供を虐待することによって自分の苦悩と怒りを表現するのです。b ―ヨブ 7:11; 32:20もご覧ください。

      母親が過去の虐待に対処する方法を身に着けていない場合にも,子供にとって危険が増すと言えます。例えば研究者たちは,少女時代に性的に虐待された女性は児童虐待者と結婚することが多いと報告しています。さらに,女性が過去の虐待に対処する方法を身に着けていないなら,当然のことながら虐待について自分の子供と話し合いにくいと感じるでしょう。虐待が起きても,それを識別し,きっぱりとした行動を取る能力に欠けているかもしれません。そうなると,母親がぐずぐずしているために,子供はとんでもない代償を払わされます。

      こうして,虐待は親から子へと伝わってゆく場合があるのです。もちろん,自らの辛い過去を話し合わないことにしても,しっかり生活に立ち向かえるように見える人も少なくありません。それは立派なことです。しかし,もっと根深い苦悩を抱えている人も大勢います。そのような人の場合,子供時代の深い傷をいやすには,他の人と力を合わせなければなりません。資格ある専門家の援助を求めることも必要かもしれません。目標は,いつまでも自分を憐れむことではありません。家族に影響を及ぼしている児童虐待という,この病的で有害な循環を断つことです。―「目ざめよ!」誌,1991年10月8日号,3ページから11ページをご覧ください。

      虐待はなくなる

      これまでに述べた点は,適切に当てはめるなら,あなたの家庭で児童虐待が生じる可能性を小さくするのに大いに役立ちます。それでも,虐待者がひそかに行動し,信頼に付け込み,何も知らない子供にずる賢い策略を用いるということを忘れてはなりません。ですから,この卑劣な犯罪をまんまとやり遂げているかに見える者がいるのももっともなことです。

      それでも,神がそのような者たちの行ないを見ておられるので安心してください。(ヨブ 34:22)彼らが悔い改めて変化しない限り,神は彼らの卑劣な行為をお忘れにはなりません。神はご予定の時に彼らの悪事を暴露されます。(マタイ 10:26と比較してください。)そして公正を要求されます。エホバ神は,そうした不誠実な者たちがすべて「地から引き抜かれ」,神と仲間の人間を愛する柔和で穏やかな人だけが地上にとどまるのを許される時が来ると約束しておられます。(箴言 2:22。詩編 37:10,11,29。ペテロ第二 2:9-12)イエス・キリストの贖いの犠牲のおかげで,わたしたちにはそうした新しい世というすばらしい希望があります。(テモテ第一 2:6)その時が来て初めて,虐待は根絶されるのです。

      それまでの間,子供を守るためにできる限りのことをしなければなりません。子供たちはかけがえのない存在です。親はたいてい,幼い我が子を守るためなら,我が身の危険も顧みないものです。(ヨハネ 15:13と比較してください。)子供たちを守らなければ,恐ろしい結果になりかねません。しかし,もし守るなら,子供たちに,罪悪感や災難とは無縁の子供時代というすばらしい贈り物をすることになります。子供たちは,次の詩を書いた詩編作者と同じように感じるでしょう。「わたしはエホバに申し上げよう,『あなたはわたしの避難所,わたしのとりで,わたしの依り頼むわたしの神です』と」― 詩編 91:2。

      a 自分の性欲を満たすために子供を用いるなら,それは子供に対する性的虐待になります。多くの場合,それには聖書で言う淫行すなわちポルネイアが関係しています。ポルネイアには,性器を愛撫すること,性交,オーラルセックスや肛門性交などが含まれる場合があります。乳房を愛撫する,あからさまに不道徳な誘いをする,子供にポルノを見せる,のぞき見をする,露出狂的行為をするなどの誤った行為は,聖書が非としている「みだらな行ない」になることがあります。―ガラテア 5:19-21。「ものみの塔」誌,1983年6月15日号,30ページの脚注をご覧ください。

      b 子供に性的いたずらをする人のほとんどが子供の時に虐待を受けているとはいえ,虐待が原因で子供が虐待者になるわけではありません。子供に性的いたずらをするようになるのは,虐待を受けた子供の3分の1もいません。

      何年にもわたって近親相姦の犠牲となったある人はこう言いました。「虐待は子供を打ちのめします。子供の信頼と,潔白だと感じる権利を奪い取ります。だからこそ子供を守らなければならないのです。私は今になって,人生をやり直さなければなりません。他の子供たちを同じ目に遭わせるわけにはゆきません」。

      確かに,そのとおりです。

      子供の言うことに耳を傾けてください

      最近,カナダのブリティッシュコロンビア州で児童虐待者30人の経歴調査が行なわれ,ぞっとするような結果が出ました。この30人は合計2,099人の子供を虐待しており,少なくとも半数は,教師,僧職者,管理者,保育関連職員など,人に信頼される立場にいました。このうちの一人,50歳になる歯科医は,26年間に500人近くの子供を虐待していました。

      しかし,トロントのグローブ・アンド・メール紙は,「全事件の80%で,地域社会の一部(加害者の友人や同僚,被害者の家族,他の子供たち,一部の被害者たちなど)が虐待を否定したり過小評価したりしていた」と伝えています。「虐待が続いているのは人々が否定したり信じなかったりするからである,ということをその報告は示唆している」のもうなずけます。

      被害者の中には,虐待者のことを他の人に言いつけた子供もいます。しかしグローブ・アンド・メール紙は,「被害を受けた子供の親は子供の言うことを信じようとしなかった」とその報告を引用しています。同様に,ドイツのある政府職員は,性的虐待の被害者である子供は,7回も話さなければ大人に信じてもらえないという報告を引き合いに出しました。

      「今すぐ助けを求めなさい」

      「子供と性的な関係を持っている男性は,『あの娘も好きでやっている』,『その男の子のほうが望んでいた』,『この娘にセックスを教えてやっているんだ』と自分に言い聞かせているかもしれませんが,それは自分を欺いているにすぎません。男らしい男は,子供と性的な関係を持ったりしません。その子供のためを本当に思う気持ちが少しでもあるなら,やめなさい。今すぐ助けを求めなさい」 ―「沈黙を暴くことによって」という本に引用された公共宣伝の案。

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