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    聖書は実際に何を教えていますか
    • 第15章

      神に是認される崇拝

      • どんな宗教でも神に喜ばれますか。

      • どのような方法で真の宗教を見分けることができますか。

      • 今日,地上で神の真の崇拝者となっているのはだれですか。

      1 神を正しい方法で崇拝するなら,どのような益が得られますか。

      エホバ神はわたしたちを心から気遣ってくださり,愛に基づくご自分の導きを通して人が益を得ることを望んでおられます。エホバを正しい方法で崇拝するなら,わたしたちは幸福になり,生活上の多くの問題を避けることができます。神の祝福と助けを得ることもできます。(イザヤ 48:17)ところが,神に関する真理を教えていると唱える宗教は幾百もあります。しかも,神はどんな方か,わたしたちに何を求めておられるかという点に関しては,教える内容がずいぶん異なっています。

      2 どうすれば,エホバを崇拝する正しい方法が分かるでしょうか。その点を理解するのに,どんな例えが役立ちますか。

      2 では,どうすればエホバを崇拝する正しい方法が分かるでしょうか。数多い宗教の教えすべてを研究し,比較する必要はありません。真の崇拝について聖書が実際に教えている事柄を学ぶだけでよいのです。例えで考えてみましょう。多くの国には偽札の問題があります。もし,そうした偽札を見分ける仕事が与えられたとしたら,どんな方法を取りますか。偽札すべてを記憶しますか。そうはしないはずです。本物の紙幣を研究するほうが早道でしょう。本物の紙幣の特徴をよく知れば,偽札は区別できるでしょう。同様に,真の宗教を見分ける方法を学べば,偽りの宗教を識別できます。

      3 イエスの言葉によると,神の是認を得るためには,何をしなければなりませんか。

      3 エホバに是認される方法でエホバを崇拝するのは大切なことです。どんな宗教でも神に喜ばれると考える人は少なくありませんが,聖書はそのようには教えていません。クリスチャンであるととなえるとしても,それだけでは十分ではありません。イエスはこう言われました。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです」。ですから,神の是認を得るには,神が求めておられることを学び,それを行なわなければなりません。イエスは神のご意志を行なわない人たちを「不法を働く者たち」と呼んでおられます。(マタイ 7:21-23)偽札と同じく,偽りの宗教には何の価値もありません。それどころか,実際には非常に有害です。

      4 二つの道に関するイエスの言葉にはどんな意味がありますか。二つの道はそれぞれ何に至りますか。

      4 エホバは地上のすべての人に,永遠の命を得る機会を差し伸べておられます。しかし,楽園でとこしえの命を得るには,正しい方法で神を崇拝し,今,神に受け入れられる仕方で生活しなければなりません。残念ながら,多くの人はそうしようとしません。ですからイエスはこう述べました。「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです」。(マタイ 7:13,14)真の宗教は永遠の命に至る道です。偽りの宗教は滅びに至る道です。エホバは人間がだれも滅ぼされることを望んでおられません。そのため,どこにいる人々にも,ご自分について学ぶ機会を差し伸べておられます。(ペテロ第二 3:9)ですから,神をどのように崇拝するかということは,生死を分ける問題なのです。

      真の宗教を見分ける方法

      5 どうしたら,真の宗教を実践している人々を識別できますか。

      5 『命への道』はどうすれば見つかるでしょうか。真の宗教はそれを実践する人々の生活にはっきりした形で表われる,とイエスは述べました。そして,『あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。良い木はみなりっぱな実を生み出します』と言われました。(マタイ 7:16,17)言い換えれば,真の宗教を実践する人たちは,信条と行ないによってはっきり識別できるのです。人間は完全ではなく間違いをしますが,真の崇拝者たちはグループとして神のご意志を行なおうと努力します。では,真の宗教を実践する人々を見分けるのに役立つ六つの特徴を調べてみましょう。

      6,7 神の僕たちは,聖書をどのようなものと見ますか。この点について,イエスはどんな手本を残しましたか。

      6 神の僕たちは教える際,聖書を土台とする。聖書そのものがこう述べています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。(テモテ第二 3:16,17)使徒パウロは仲間のクリスチャンにこう書きました。「わたしたちから聞いて神の言葉を受けた時,あなた方はそれを,人間の言葉としてではなく,事実どおり神の言葉として受け入れ(ました)」。(テサロニケ第一 2:13)そのようなわけで,真の宗教の信条と実践する事柄は,人間的な見方や伝統を土台とするものではありません。霊感のもとに記された神の言葉 聖書から出ているのです。

      7 イエス・キリストは,神の言葉を教えの土台とすることにより,正しい手本を示しました。「あなたのみ言葉は真理です」と,天の父への祈りの中で述べておられます。(ヨハネ 17:17)イエスは神の言葉を信じていました。また,イエスの教えたことはすべて聖書と一致していました。「と書いてあります」という言い方を何度もしています。(マタイ 4:4,7,10)そのようにして聖句を引用されたのです。同様に,今日の神の民も,自分独自の考えを教えることはありません。聖書が神の言葉であることを信じ,しっかり聖書を土台として教えます。

      8 エホバを崇拝することには何が含まれますか。

      8 真の宗教を実践する人々は,エホバだけを崇拝し,そのみ名を知らせる。イエスはきっぱりと,こう述べました。「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」。(マタイ 4:10)ですから,神の僕たちは,ただエホバだけを崇拝します。この崇拝には,まことの神は何というお名前か,その神はどんな方かを人々に知らせることが含まれています。詩編 83編18節は,「その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者……です」と述べています。神を知るよう人々を助ける点でイエスは模範を残されました。祈りの中で,「わたしは,あなたが世から与えてくださった人々にみ名を明らかにしました」と述べておられるとおりです。(ヨハネ 17:6)同様に,今日の真の崇拝者たちも,神のみ名,目的,特質について人々に教えます。

      9,10 真のクリスチャンはどのようにして互いに愛を示し合いますか。

      9 神の民はお互いに,純粋な無私の愛を示す。イエスはこう言われました。「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:35)初期クリスチャンはお互いにそのような愛を抱いていました。神が教えておられる愛は,人種や社会や国家の壁を克服し,真の兄弟関係という,決して断ち切れないきずなで人々を結び付けます。(コロサイ 3:14)偽りの宗教の信者は,そのような愛にあふれた兄弟関係のうちにありません。どうしてそう言えるのでしょうか。国籍や民族の違いを理由に殺し合うからです。真のクリスチャンは,兄弟関係にあるクリスチャンであれ,ほかのだれであれ,武器を取って殺すことはありません。聖書はこう述べています。「神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち,すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もそうです。互いに愛し合う(べきです)。カインのようであってはなりません。彼は邪悪な者から出て,自分の兄弟を打ち殺しました」。―ヨハネ第一 3:10-12; 4:20,21。

      10 もちろん,純粋な愛を持つということは,人を殺さないというだけのことではありません。真のクリスチャンは自分の時間やエネルギー,資力,能力などを互いに助け合い励まし合うために,私心なく用います。(ヘブライ 10:24,25)苦しい時にも助け合い,誠実な態度で人と接します。それだけでなく,『すべての人に対して良いことを行なうように』という聖書の助言を生活に当てはめます。―ガラテア 6:10。

      11 神による救いの手だてとしてイエス・キリストを受け入れるのは,なぜ重要なことですか。

      11 真のクリスチャンは神による救いの手だてとしてイエス・キリストを受け入れる。聖書はこう述べています。「ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」。(使徒 4:12)この本の5章で学んだように,イエスはご自分の命を従順な人間のための贖いとして与えてくださいました。(マタイ 20:28)それだけでなくイエスは,地球全体を支配する天の王国の王として,神から任命された方です。さらに神は,永遠の命を望む人たちに対して,イエスに従い,その教えを当てはめるように求めておられます。ですから聖書はこう述べています。「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に従わない者は命を見(ない)」。―ヨハネ 3:36。

      12 世のものではないことには,何が含まれますか。

      12 真の崇拝者たちは世のものではない。イエスはローマの支配者ピラトの前で裁判に臨んだ時,「わたしの王国はこの世のものではありません」と語りました。(ヨハネ 18:36)イエスの真の弟子たちは,どの国に住んでいるとしても,天の王国に属する民であり,この世の政治問題については厳正中立の立場を保ちます。この世の争いに参加することはありません。しかしエホバの崇拝者は,他の人が政党に加入したり,政治的なポストに立候補したり,投票したりする時,それに干渉することはありません。政治については中立ですが,法律はきちんと守ります。なぜでしょうか。神の言葉が,「上位の権威」である政府に『服する』ことを命じているからです。(ローマ 13:1)神の求めておられることと,政治組織の求めていることが矛盾するときは,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」と述べた使徒たちの手本に倣います。―使徒 5:29。マルコ 12:17。

      13 イエスの真の弟子たちは神の王国をどう見ますか。そのため,どんな行動を取りますか。

      13 イエスの真の弟子たちは,神の王国が人類の唯一の希望であることを宣べ伝える。イエスはこう予告されました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)イエス・キリストの真の弟子たちは,人間の問題を解決するために人間の支配者に頼ることを勧めるのではなく,天の神の王国が人類の唯一の希望であることをふれ告げます。(詩編 146:3)イエスは,「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と祈ることを教えましたが,これはその完全な政府を求める祈りなのです。(マタイ 6:10)神の言葉は,この天の王国が「[いま存在する]これらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続(く)」ということを予告しています。―ダニエル 2:44。

      14 真の崇拝の条件にかなっているのは,どの宗教グループだと思いますか。

      14 これまで考えてきたことに基づいて,こう自問してみましょう。『聖書をすべての教えの土台とし,エホバのみ名を知らせているのは,どの宗教グループだろうか。神が教えておられる愛を実践し,イエスに対する信仰を働かせ,世のものではなく,神の王国が人類にとって唯一の真の希望であることをふれ告げているのは,どのグループだろうか。地上の宗教グループの中で,これらの条件すべてにかなっているのはどれだろうか』。事実からすれば,それがエホバの証人であることは明らかです。―イザヤ 43:10-12。

      あなたはどうされますか

      15 神は,ご自分の存在を信じることに加えて,どんなことも求めておられますか。

      15 神を信じるだけでは神に喜ばれません。そもそも聖書には,悪霊たちでさえ神の存在を信じていると書かれています。(ヤコブ 2:19)しかし明らかに,悪霊たちは神のご意志を行なっておらず,神の是認を得ていません。神に是認されるためには,神の存在を信じるだけではなく,神のご意志を行なわなければなりません。偽りの宗教とのつながりを絶ち,真の崇拝を受け入れなければなりません。

      16 偽りの宗教に加わることについては,どうすべきですか。

      16 使徒パウロは,わたしたちが偽りの崇拝に加わってはならないことを示して,こう書きました。「『彼らの中から出て,離れよ』と,エホバは言われる。『そして汚れた物に触れるのをやめよ』。『そうすればわたしはあなた方を迎えよう』」。(コリント第二 6:17。イザヤ 52:11)ですから真のクリスチャンは,偽りの崇拝と関連のあるものすべてを避けます。

      17,18 「大いなるバビロン」とは何ですか。『彼女から出る』ことが急を要するのはなぜですか。

      17 聖書は,様々な偽りの宗教はどれも「大いなるバビロン」の一部であると述べています。a (啓示 17:5)この名は,ノアの時代の大洪水の後に偽りの宗教が始まった場所,つまり古代都市バビロンを思い起こさせます。今も偽りの宗教に共通して見られる多くの教えや習慣は,昔のバビロンから出ています。例えば,バビロニア人は三位一体,つまり三つ組の神々を崇拝していました。今日でも,多くの宗教では三位一体が教理の中心をなしています。しかし,聖書ははっきりと,エホバこそ唯一まことの神であられ,イエス・キリストはエホバのみ子であると教えています。(ヨハネ 17:3)バビロニア人は人間が不滅の魂を持ち,体が死んだ後も魂が生き残り,責め苦を受ける場所で苦しむ,とも信じていました。今日でもほとんどの宗教が,霊魂は不滅であって地獄の火で苦しめられるという信条を教えています。

      18 古代バビロニア人の崇拝は全地に広まっているので,現代の大いなるバビロンを偽りの宗教の世界帝国と判断するのは適切なことです。神は,偽りの宗教のこの帝国が突如として終わりを迎えることも予告しておられます。(啓示 18:8)大いなるバビロンのどんな部分からも離れることがなぜ肝要なのか,お分かりでしょうか。エホバ神はまだ時間があるうちに,あなたが速やかに『彼女から出る』ことを望んでおられます。―啓示 18:4。

      一人の男性が,様々な国の幸せそうなエホバの証人たちから歓迎されている

      あなたがエホバの民と一緒にエホバに仕えるなら,何かを失うとしても,それよりずっと多くのものを得ることになる

      19 エホバに仕えることにより,どんなものが得られますか。

      19 あなたが偽りの宗教に関係した活動をしないことに決めると,ある人たちは,あなたと付き合うのをやめるかもしれません。しかし,エホバの民と一緒にエホバに仕えるなら,何かを失うとしても,それよりずっと多くのものを得ることになります。イエスに従うためほかのものを後にした初期の弟子たちのように,あなたも大勢の霊的な兄弟姉妹を持つようになります。あなたに純粋な愛を示す何百万人もの真のクリスチャンから成る世界的な大家族の一員となるのです。しかも,「来たらんとする事物の体制で」永遠の命を得るというすばらしい希望も抱けます。(マルコ 10:28-30)時がたてば,あなたの信仰のゆえにあなたから離れた人たちも聖書の教えを調べ,エホバの崇拝者になるかもしれません。

      20 真の宗教を実践する人々には,どんな将来がありますか。

      20 聖書は,神が間もなくこの邪悪な事物の体制を終わらせ,それに換えて神の王国の支配する義の新しい世をもたらされる,と教えています。(ペテロ第二 3:9,13)何とすばらしい世界になるのでしょう。しかもその義の新しい体制では,一つの宗教,一つの真の崇拝しかありません。今すぐ,真の崇拝者との交わりに入るため必要な事柄を行なうのは,賢明なことではないでしょうか。

      まことの神を崇拝する人々は

      様々な人種,年齢,状況の人たちが真の崇拝の道を歩んでいる
      • 教える際,聖書を土台とする

      • エホバだけを崇拝し,そのみ名を知らせる

      • お互いに,純粋な無私の愛を示す

      • 神による救いの手だてとしてイエス・キリストを受け入れる

      • 世のものではない

      • 神の王国が人間の唯一の希望であることを宣べ伝える

      a 大いなるバビロンが偽りの宗教の世界帝国を表わすと言える理由について詳しくは,付録の「『大いなるバビロン』とは何かを明らかにする」をご覧ください。

  • 神に是認される崇拝
    聖書は実際に何を教えていますか
  • 真の崇拝の側に立つ
    聖書は実際に何を教えていますか
    • 第16章

      真の崇拝の側に立つ

      • 像を使うことについて聖書は何を教えていますか。

      • クリスチャンは宗教的な祝祭日をどうみなしますか。

      • 自分の信じていることを,人の気分を害さずに,どのように説明できますか。

      1,2 偽りの宗教を去った後,どんなことを自問しなければなりませんか。そうするのはなぜ大切だと思いますか。

      仮に,近隣一帯が毒物に汚染されていることが分かったとしましょう。だれかが有毒な廃棄物をその地域にこっそり捨てていたのです。命が危険にさらされています。あなたならどうされますか。可能であればきっと遠くに引っ越すでしょう。しかし,引っ越したあとでさえ,『自分も毒物に冒されているのだろうか』という深刻な疑問は消えないでしょう。

      2 偽りの宗教に関しても,これと似た状況が生じます。聖書は,偽りの崇拝が汚れた教えや習慣に汚染されていると教えています。(コリント第二 6:17)ですから,偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」から出るのは重要なことです。(啓示 18:2,4)もうすでにそこから出ておられますか。そうであれば,それは立派なことです。しかし偽りの宗教から離れる,あるいは脱退する以上のことが必要です。その後,『自分には偽りの宗教の名残が何か残っていないだろうか』と自問しなければなりません。実際の例を幾つか考えてみましょう。

      像と先祖崇拝

      3 (イ)聖書は像を使うことについて何と述べていますか。ある人々が神の見方を受け入れにくく感じることには,どんな理由があるかもしれませんか。(ロ)偽りの崇拝と関連のある物を持っているなら,それをどうすべきですか。

      3 長いあいだ自分の家に像や社のようなものを置いてきた人がいます。あなたもそうでしょうか。もしそうなら,そのような目に見えるものを使わず神に祈るのは妙だとか,正しくないと感じるかもしれません。その種のものに愛着を感じる場合もあるでしょう。しかし,神への崇拝がどのように行なわれるべきかは,神ご自身が示しておられます。また聖書は,わたしたちが像を使うことを神は望まない,と教えています。(出エジプト記 20:4,5。詩編 115:4-8。イザヤ 42:8。ヨハネ第一 5:21)ですから,偽りの崇拝と関係のある品物を持っているなら,それを処分することにより,真の崇拝の側に立つことができます。エホバに倣って,そのような物はぜひとも「忌むべきもの」とみなすようにしましょう。―申命記 27:15。

      4 (イ)先祖崇拝がむなしいものであることは,どんな点から分かりますか。(ロ)エホバがご自分の民に対して,どんな心霊術にも加わることを禁じたのは,なぜですか。

      4 先祖崇拝も多くの偽りの宗教に共通して見られます。ある人たちは,聖書の真理を学ぶ前,死者は目に見えない領域にいて意識を持ち,生きている人たちに良くも悪くも影響を及ぼすことができる,と信じていました。あなたも,死んだ先祖をなだめるためにいろいろ気を配ってこられたかもしれません。しかしこの本の6章で学んだように,死者が意識を持ってどこかに存在するということはありません。ですから,死者と連絡を取ろうとするのは無駄なことです。亡くなった家族や友人などから発せられるかに思えるメッセージは,実際にはどれも悪霊たちから出ているのです。ですからエホバはイスラエル人に対して,死者と話そうとすることだけでなく,それ以外のどんな心霊術にも加わることを禁じました。―申命記 18:10-12。

      世界各地の偶像崇拝や先祖崇拝の例

      5 以前の自分の宗教に像の使用や先祖崇拝の習慣が含まれていたら,どうすることができますか。

      5 以前あなたが行なっていた崇拝に,像の使用や先祖崇拝の習慣が含まれていたなら,どうすればよいでしょうか。神がこれらの事をどうご覧になるかを示す聖書の言葉を読み,熟考してください。真の崇拝の側に立ちたいという願いについて日々エホバに祈り,エホバと同じ考え方ができるように助けを求めるのです。―イザヤ 55:9。

      クリスマス ― 初期クリスチャンは祝わなかった

      6,7 (イ)クリスマスは何を記念するものとされていますか。イエスの1世紀の弟子たちはクリスマスを祝いましたか。(ロ)イエスの初期の弟子たちの時代,誕生日の祝いは何と関係がありましたか。

      6 一般的な祝祭日に関連した崇拝は,偽りの宗教に汚染されている可能性があります。クリスマスを例に取ってみましょう。クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念するものとされ,キリスト教ととなえる宗派の大部分が祝っています。しかし,イエスの1世紀の弟子たちがクリスマスを守り行なった証拠は全くありません。「深遠な事柄の神聖な起源」(英語)と題する本はこう述べています。「キリストが誕生してから2世紀の間は,だれもキリストが生まれた正確な日付を知らず,気に留める者もほとんどいなかった」。

      7 イエスの弟子たちは,イエスが誕生した正確な日付を知っていたとしても,その日を祝うことはなかったでしょう。なぜでしょうか。「ワールドブック百科事典」(英語)が述べているように,初期クリスチャンは,「いかなる人の誕生日を祝うことも異教に由来する習慣とみなし(た)」からです。聖書に記されている誕生日の祝いは,エホバを崇拝していなかった支配者二人に関するものだけです。(創世記 40:20。マルコ 6:21)誕生日の祝いは,異教の神々をたたえるために行なわれることもありました。例えば,ローマ人は5月24日を女神ディアナの誕生日として祝いました。翌日には太陽の神アポロの誕生を祝っています。ですから,誕生日の祝いはキリスト教ではなく異教と関係があったのです。

      8 誕生日の祝いと迷信の関係を説明してください。

      8 1世紀のクリスチャンがイエスの誕生日を祝わなかったと考えられる理由はほかにもあります。弟子たちは,誕生日を祝うことが迷信と結びついていたことを知っていたようです。例えば,古代のギリシャ人とローマ人の中には,人間が誕生する時には必ずひとりの霊がそれを見守り,その後も生涯にわたってその人を守る,と信じる人が大勢いました。「この霊は,その人と同じ誕生日を持つ神と神秘的な結び付きを持つとされていた」と,「誕生日に関する伝承」(英語)という本は述べています。エホバは,イエスと迷信とを結び付けるような祝いを決して喜ばれないでしょう。(イザヤ 65:11,12)では,どのような事情があって,多くの人がクリスマスを祝うようになったのでしょうか。

      クリスマスの起源

      9 12月25日がイエスの誕生を祝う日とみなされるようになったことには,どんな背景がありますか。

      9 イエスの誕生を12月25日に記念するようになったのは,イエスが地上におられた時から何百年かたった後のことです。しかしその日はイエスの誕生した日付ではありません。イエスは10月に生まれたと思われるからです。a では,どうして12月25日が選ばれたのでしょうか。後の時代になってクリスチャンととなえたある人たちは,「その日を,“征服されざる太陽の誕生日”を祝うローマの異教の祭りと同じ日にすることを願った」ようです。(「新ブリタニカ百科事典」[英語])太陽が最も弱くなるように見える冬の時期に,異教徒たちは熱と光を供給してくれるこの天体を遠い旅路から引き戻す儀式を行ないました。12月25日は太陽が戻り始める日とみなされていました。宗教指導者たちは異教徒を改宗させようとしてこの祝祭を取り入れ,それを“キリスト教のもの”らしく見せようとしたのです。b

      10 過去の時代,ある人たちがクリスマスを祝わなかったのはなぜですか。

      10 クリスマスの起こりが異教にあることはかなり以前から認められていました。クリスマスは聖書に由来するものではなかったので,17世紀にイングランドで,またアメリカ植民地の幾つかで禁止されました。クリスマスの日に仕事に行かず家にいただけでも罰金が科されました。しかし,時たつうちに古い風習がまた始まり,それに新しい要素も付け加えられました。クリスマスはまたもや大々的な祝祭となり,それが今も多くの国で行なわれているのです。とはいえ,クリスマスは偽りの宗教と関係があるので,神に喜ばれたいと思う人たちはそれを祝いません。そして,異教の崇拝を起源とする他のどんな祝祭日も祝いません。c

      起源はそれほど大きな問題なのですか

      11 ある人々が祝祭日を祝うのはなぜですか。しかし,わたしたちは何を第一の関心事とすべきですか。

      11 ある人々は,クリスマスなどの祝祭日の起源が異教にあることは認めますが,それを祝うことは間違いではないと考えます。そもそもほとんどの人は,祝祭日を祝うとき,偽りの崇拝については考えません。そのような日は家族団らんの時ともなるからです。あなたも同じお考えですか。もしそうでしたら,真の崇拝の側に立つのが難しく思えるのは,偽りの宗教を愛しているからではなく,家族を愛しておられるからでしょう。家族を創始された方エホバは,あなたがご親族と良い関係でいることを願っておられます。それは確かなことです。(エフェソス 3:14,15)しかし,そのようなきずなは,神が認めておられる方法に従ってはじめて強めることができるものです。使徒パウロは,わたしたちが何を第一の関心事とすべきかについてこう書きました。「何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめなさい」。―エフェソス 5:10。

      排水路に落ちている汚いキャンデー

      道端の排水路にキャンデーが落ちていたら,それを拾って口に入れますか

      12 汚れた起源から出ている風習や祝いを避けるべき理由を例えで説明してください。

      12 多分あなたは,祝祭日の起源と,それが今どのように祝われているかはほとんど関係がない,とお考えかもしれません。起源はそれほど大きな問題なのでしょうか。確かに問題です。例えで考えてみましょう。道端の排水路にキャンデーが一つ落ちていました。あなたはそれを拾って口に入れるでしょうか。もちろんそんなことはしません。そのキャンデーは汚れているからです。祝祭日もそのキャンデーのように,甘く快いものに思えるとしても,汚れた場所から拾われてきたものです。真の崇拝の側に立つためには,預言者イザヤと同じ見方を持つ必要があります。イザヤは真の崇拝者たちに,「汚れたものには何にも触れるな」と告げました。―イザヤ 52:11。

      他の人と接するときの識別力

      13 祝祭日の行事に参加しないと,どんな難しい状況が生じるかもしれませんか。

      13 祝祭日の行事に参加しないと,難しい状況が生じることもあるでしょう。例えば同僚たちは,なぜ職場で,祝祭日のある種の行事に参加しないのかと疑問に思うかもしれません。もしあなたに,クリスマス・プレゼントが差し出されたらどうですか。受け取るのは間違ったことでしょうか。配偶者があなたと同じ信仰を持っていない場合はどうでしょうか。どうすれば子どもたちが,祝祭日を祝わないので良いものを得られないでいる,と感じないようにできるでしょうか。

      14,15 祝祭日のあいさつをしてくる人や,あなたへのプレゼントを考えている人がいたら,どのように対応できますか。

      14 ここに挙げた状況の一つ一つにどう対応するかをわきまえるには,的確な判断力が必要です。何気なく祝祭日のあいさつをしてくる人がいたら,ただその好意に感謝できるでしょう。しかし,その相手の人がいつも会う人,あるいは一緒に働いている人ならどうでしょうか。その場合は,もう少し言葉を加えることもできるでしょう。どんな場合でも気配りは欠かせません。聖書には次のようなアドバイスがあります。「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」。(コロサイ 4:6)他の人に対して敬意を欠くことのないよう注意しましょう。むしろ,気を配りつつ自分の立場を説明してください。プレゼントをすることや集まりに反対なのではなく,別の時に加わらせてほしい,とはっきり説明しましょう。

      15 あなたへのプレゼントを考えている人がいたらどうでしょうか。答えは状況によってかなり異なります。プレゼントをする側の人は,「あなたがこの祝祭日を祝わないのは知っています。でも,これを受け取ってほしいのです」と言うかもしれません。あなたは,その状況で受け取るのは祝祭日の祝いに加わることにはならない,と判断するかもしれません。もちろん,プレゼントをする側があなたの信じている事柄をよく知らないなら,自分はその祝祭日を祝うつもりはないと述べることができます。そう伝えておけば,プレゼントは受け取るがこの日に自分からはプレゼントしない理由も説明しやすくなります。一方,プレゼントをする側に明確な意図があり,あなたは信仰を貫かないとか,物質的な利得のために妥協する,ということを示させようとしているなら,受け取らないほうが賢明でしょう。

      家族の成員についてはどうか

      16 祝祭日に関連した事柄を扱う際,どのように気を配ることができますか。

      16 家族の成員があなたと同じ信仰を持っていない場合はどうでしょうか。やはり,気を配ってください。親族が守っている風習や祝いすべてを問題にする必要はありません。むしろ,親族にも自分なりの価値観を持つ権利があることを認めてください。それはあなたが,自分の権利を親族に尊重してほしいと思うのと同じです。(マタイ 7:12)その祝祭の参加者となるような行動はすべて避けるのがよいでしょう。それでも,祝いの行為そのものではない事柄については,道理にかなった態度を保ちましょう。どんな場合でも,正しい良心が保てるように行動する必要があるのは言うまでもありません。―テモテ第一 1:18,19。

      17 子どもたちが,他の人は祝祭日を祝っているのに自分は良いものを得られないでいる,と感じることがないように,どうすることができますか。

      17 子どもたちが,聖書の教えにそわない祝祭日を祝わないので良いものを得られないでいる,と感じることがないようにするには,どうすればよいでしょうか。一年を通じて他の時期にどんなことをするかが大切です。子どもたちにプレゼントする時を決めておく親もいます。また,子どものために時間を設け,愛情と関心を向けることにも,子どもへのプレゼントとしてすばらしい価値があります。

      真の崇拝を実践する

      良いたよりを宣べ伝えたり,クリスチャンの集会に出席したり,ピクニックでプレゼントを交換したりしている家族

      真の崇拝を実践するなら,本当に幸福になれる

      18 クリスチャンの集会に出席することは,真の崇拝の側に立つ上で,どのように助けになりますか。

      18 神に喜ばれるためには,偽りの崇拝を退け,真の崇拝の側に立たなければなりません。それには何が含まれるでしょうか。聖書はこう述べています。「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い,ある人々が習慣にしているように,集まり合うことをやめたりせず,むしろ互いに励まし合い,その日が近づくのを見てますますそうしようではありませんか」。(ヘブライ 10:24,25)クリスチャンの集会は,神に是認される仕方で崇拝するための喜びに満ちた機会です。(詩編 22:22; 122:1)そのような集会には,忠実なクリスチャン同士が「相互に励まし合う」機会があります。―ローマ 1:12。

      19 聖書から学んだ事柄を他の人に話すのは,なぜ重要なことですか。

      19 また,真の崇拝の側に立つために,エホバの証人と聖書を研究して学んだ事柄を他の人に話すことができます。今の世界で生じている邪悪な事柄についてまさに「嘆息し,うめいている」人は少なくありません。(エゼキエル 9:4)あなたもそのような人をご存じではないでしょうか。では,聖書に基づく将来の希望について話してみてはいかがですか。真のクリスチャンと交わり,聖書から学んだすばらしい真理について他の人に話してゆくうちに,偽りの崇拝に関係した風習への愛着が心に残っていたとしても,それが少しずつなくなってゆくのを感じるでしょう。真の崇拝の側に立つなら非常に幸福になり,多くの祝福を受けることができます。そのことを確信なさってください。―マラキ 3:10。

      a 付録の「イエスが誕生したのは12月か」をご覧ください。

      b 12月25日が選ばれたことには,サトゥルナリア祭も一役買っていました。ローマの農耕の神をたたえるこの祝祭は12月17日から24日にかけて行なわれ,その期間には宴会や浮かれ騒ぎがあり,贈り物をする習慣もありました。

      c 真のクリスチャンが一般的な他の祝祭日をどう見ていたかについては,付録の「祝祭日を祝うのは正しいことか」をご覧ください。

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