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忠実な組織と共に歩むものみの塔 1963 | 7月15日
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です。「他の羊」の大いなる群衆がおりの中にはいってくるのを見るのは,なんとうれしいことでしょう(ヨハネ 10:16)1939年,英国諸島には,7000人のエホバの証者がいただけでした。しかしいまでは5万人近くのエホバの証者がいます。増加の一途をたどるこれらの証者の要求にこたえるには,設備の拡大が必要でした。私たちの天の御父は,ロンドン北郊の快適な場所に,ベテルと工場を設けて,その要求を満たしてくださいました。そのうえにこの場所で,会衆の監督を訓練するための御国宣教学校が開かれ,私たちの喜びはいっそう大きなものになりました。この学校が開かれたために,多くのふるい友だちや新しい友だちと楽しい交わりをもつことができ,心から感謝しています。
1961年の後半には,ブルックリンのベテルで1週間をすごす特権を得ました。愛する兄弟たちから手あついもてなしを受けて,まったく心あたたまる思いでした。また協会が毎年ピッツバーグで開く総会にも出席することができました。ピッツバーグは,この終りの時におけるエホバのわざが開始された所です。この集会にかんしては,「年鑑」で何年も読んできました。が,こんどは実際に出席できたわけです。兄弟たちがものみの塔協会の理事に選出されるのをこの目で見たときは,エホバの偉大な御目的を身近に感じました。エホバが,使徒の時代におけると同じく,一つの組織を立てられているのは全く真実です。ピッツバーグにいるあいだ,ラッセル兄弟が「ものみの塔」を創刊した場所を訪れて過去をしのびました。
多くのことがまだあまり明確に知られていなかった1914年以前から今日まで,つまり,いくぶんか疑問のあった時代から,真理が真昼の太陽のように輝く今日に至るまで,エホバの御目的にかんする知識のうちに生きてこられたことを深く感謝しています。私にとって最も重要なことがあるとすれば,それはエホバの見える組織にかたくついて離れないということです。私は若い時の経験によって,人間の知恵に頼ることがいかに不健全であるかを学びました。そのことをいったん理解してからは,この忠実な組織から決して離れまい,という決意をしました。それ以外にどのようにして人はエホバの恵みと祝福が得られるでしょうか。
ことしはすでに1963年です。いつも忙しく活動しているので,時は実に早くすぎ去ります。「あなたの若い日に,あなたの造り主を覚えよ」という良い助言に従うことができたのを,ほんとうに感謝しています。(伝道 12:1)私の生涯は,私にとってきわめて楽しいものでした。ですから,詩篇記者ダビデと共に,「測りなわは,わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た」といえます。(詩 16:6)エホバの忠実な組織と共に歩むとき,将来いつまでもそうであることを信じて疑いません。
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エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告ものみの塔 1963 | 7月15日
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エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告
(1963年のエホバの証者の年鑑より)
アルバニア
アルバニアの兄弟たちと連絡をとるのは非常にむずかしい仕事です。しかし彼らが野外奉仕活動に関する通知を送るのに成功したことを,ここに報告するのを喜びとします。兄弟たちは毎月,奉仕に,集会に,忙しくすごしてきました。そしてきわめてむずかしい状況の下にありながら,最善をつくして,勇敢に,共産主義の国に御国の良いたよりを宣べ伝えています。事情が許すので,ひとりの兄弟が巡回のしもべとして,4つのグループに奉仕しています。ある忠実な年老いた兄弟が死んだ時,その葬式を機会にすばらしい証言が行なわれました。昨年中兄弟が逮捕された様子はみられません。
ブルガリア
ブルガリアも鉄のカーテンの背後の国です。共産主義者は,親しみやすくてよく人をもてなすこの国の住民のうちのごく小数にすぎませんが,それでも国全体は共産主義者のきびしい支配
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