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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 1/1 18–22ページ

「神の主権」大会は,王国の支配が現実のものであることを示す

全人類を一致させ,すべての人に益をもたらすような政府が,かつて存在したためしはありません。このことは,わたしたちの時代においていよいよ明らかです。諸政府は,幾度も自国の諸問題を解決することに失敗し,その結果として覆されてきました。近年になって,こうした事態は増々ひんぱんに起きています。

こうして人間の支配は明らかに失敗してはいても,神の支配は失敗してはいません。神の目的は,人々が不満を持つ今日の政府すべてを地から除き去り,その代わりに,キリストの下にあるご自分の天の王国を設立することです。(ダニエル 2:44。マタイ 6:9,10)人類のためのそのただ一つの政府の支配の下で,すべての人は,愛と平和と安全という,断つことのできないきずなで結ばれます。そして神のこの目的は,今まさに,破り難い力をもって着々と進行しているのです。

では,神の天的政府の存在がわたしたちの時代において現実のものであることを示す,どんな証拠がありますか。その証拠の一つは,すでに二百万人以上の人々が自ら進んで,支配を開始しているその王国の臣民となっている点です。それらの人々は,自分たちの命に対する神の主権つまり支配権を認めています。そして,その天的政府の律法と原則に従い,それによってその益を刈り取っています。こうして,自分たちの上に一つの政府を頂き,神の主権に服する一致した民が,世界的な規模ですでに存在しているのです。

これらの人々が神の主権に服していること,そして王国の支配が現実のものであることは,彼らの生活態度にはっきりと表わされています。その一例は,そうした人々が年ごとの大きな大会の際に示す信仰と振舞いです。昨年,全世界で幾百幾十万人ものエホバの証人が「神の主権」地域大会に集まりました。米国だけでもそうした大会が98の都市で開催され,百万人近くの人が出席しました。

これらの大会では,神の主権に服することが人の生活にどれほど有益な影響を及ぼすかについて明白な証拠が見られました。それは,神の新秩序が古いものに取って代わる以前の今でさえ,王国の支配があらゆる国籍や文化的背景を持つ人々を一致させるという,神の言葉の約束に実証を与えるものとなります。―イザヤ 2:2-4。

エホバの王国の下で人々を一致させる重要な要素となるのは,それらの人々がいつも同一の教えや助言を受けることです。この点は大会の際にはっきりと見られました。講演や聖書劇そして実演を含むそのプログラムは,世界中どこでも同じものだったからです。ですから,全世界の神のしもべたちは,聖書から全く同一の教えを受けたことになります。それは一致のための大きな力です。

強調された大会の主題

大会の初日には,「神をわたしたちの命の主権者とする」と題する話の中で大会の主題が強調されました。講演者は,わたしたちがだれに仕えるかを決めなければならないという点を示しました。そして,勝利を得るのはエホバの主権であるゆえに,その選択は生死にかかわる問題と言えます。他のすべての支配権は,神の前にひざをかがめねばなりません。それを拒むならその存在を断たれることになります。

エホバの主権というこの主題は大会の間終始強調され,「神の主権の下に置かれる,一つの世界,一つの政府」と題する,最終日の公開講演の中でも目立ちました。講演者は,国家主義が人類を常に分裂させてきたこと,またそれを克服し得た人間の政府はかつてないという点に注目させました。ゆえに,人類家族に災いが臨もうとしているのです。

人類家族を一致させようとする政治的な企てすべてには何が欠けているのでしょうか。それは,「多くの国民が崇拝していると唱える方」,つまり,エホバ神との「無私の協力」であるという点に講演者は,注目させました。その協力なしに,一つの政府の下での一つの世界を実現することは不可能です。しかし,神と協力する政治国家は一つもありませんから,今日の競合する国家グループが一つの政府の下に一つの世界を実現することは不可能です。講演者は,これら相争う政治諸国家を神が黙認する時代が終わろうとしていることを強調しました。間もなくそのすべては,主権者なる主エホバの前にひざをかがめなければなりません。

現在のこの邪悪な体制の終わりを目撃し,新秩序に生き残るという見込みは,この苦難に満ちた世にあって確かに信仰をささえる希望となります。大会の三日めに英語とスペイン語で発表された「世の苦難からの人間の救いは近い!」と題する384ページの新しい本に盛り込まれた情報は,その希望を強めるものでした。この本は,イザヤによる預言の書,イエス・キリストの預言やたとえ話,そして間近い将来に待ち受けている出来事の意味などについて,新たな洞察を与えるものです。そして,神のしもべたちが現在享受しているすばらしい霊的パラダイスに対する認識を深めさせ,神の新秩序への救出が近づいていることに対する確信を強めさせるものです。

神のご意志を行なうことを強調した聖書劇

時の緊急性にいつも目覚めていて神のご意志を熱心に行なうことの必要性も,大会の間終始強調されました。来たるべき「大患難」の正確な日付を知らないとしても,やはりそのようにすべきです。成就した預言の証拠は,それが間近いことを示しているからです。この点に関して,米国ロサンゼルス大会の一出席者は次のように述べています。「正確な日付を定めることができないという事は,『「冷静さを保ちなさい」。そして,より偉大なノアと共に築き続けなさい』と題する劇の中で検討されました」。その出席者はさらにこう述べました。「この劇は,ノアの日に事態を緊急なものと考えず,洪水によって滅ぼされた人々の誤りを示しています。事態を緊急なものと考えなかったために箱船の中に入るのを拒んだ人々のようになりたいとは決して思いません」。―ペテロ第一 5:8。

別の劇は,「不つりあいにも不信者とくびきを共にしてはなりません」と題するものでした。(コリント第二 6:14)それは,不つりあいにも異教の崇拝者イゼベルとの結婚のくびきを共にしたために,古代イスラエルのアハブ王に臨んだ災いを,生き生きと描く劇でした。妻イゼベルの人を堕落させる影響に屈することによって,アハブは神への信仰の面で妥協しました。イスラエルを汚したその影響やエホバの忠実なしもべたちに対する残酷な処置などのゆえに,イゼベルもその命を失いました。ですから,今日,献身によって神と結ばれていない人とくびきを共にするクリスチャンは,自分の命を危険にさらすことになります。次の原則は真実です。「悪い交わりは有益な習慣をそこなう」― コリント第一 15:33。

「こうして神のことばがあしざまに言われることのないようにするためです」と題する劇の中では,クリスチャン婦人に対する優れた助言が与えられました。(テトス 2:5)この劇は,わたしたちの全生活がクリスチャンの特質を表わすべきものであることを,際立った仕方で示しました。会衆内の人々だけでなく,未信者の配偶者や隣人に対しても愛を示さねばなりません。外部の人々は大抵,宣べ伝えられる事柄だけでなく,宣べ伝えているのがどんな人であるかによってもクリスチャンの信仰を判断します。この劇は,今だにこの世的な傾向を表わす新しい信者が扱いにくいと感じている様々な問題にどう対処できるかを,クリスチャンの婦人たちに示すものでした。円熟したクリスチャンの婦人は,必ずしもそうした問題を会衆の長老にゆだねなくても,こうした新しい人々に非常に有益な援助を与え得るという点も指摘されました。

大会の最終日に上演された,「清く正しい行状 ― 子どもの人生に必要なもの」と題する非常に感動的な劇は,預言者サムエルの幼年時代の物語を演じたものでした。サムエルの両親は,サムエルの幼い時分からその心の中に神の律法と原則を教え込んだので,年若いサムエルは,シロにある神殿で仕えていた時,堕落させる影響に打ち勝つことができました。この劇は,親が効果的な教え方によって,自分の子供の心の中に,エホバに関する真理を鳴り響かせねばならないことを強調しました。

大会のプログラムに対する感謝を言い表わす言葉が少なからず聞かれました。ある大会で一人の出席者はこう述べました。「上手に演じられた劇,そして講演や実演などのすべては,豊かな霊の食物となりました。大会は,主権者であるエホバに対するわたしたちの認識を深めさせ,また,そうした認識を持つよう他の人を助ける必要性をも示すものでした」。

良い業によって服従を示す

現在神の主権の下に結ばれている人々は,そのことを自分たちの信仰と良い業によって示し,仲間のエホバの証人と共に,一致のうちに崇拝と活動を続けます。エホバの証人ではない人で,こうした調和に注目した人は少なくありません。例えば,ロサンゼルス大会の出席者たちを運んだバスの運転手はこう述べました。「あなたがたの大会はすばらしい仕方で運営されている。あなたがたが組織を運営するような仕方で,政府を運営することができたらどんなにかよいだろう。わたしが非常に大きな感銘を受けたのは,あなたがたの振舞いだ」。

イリノイ州シセロで,初めて大会に出席した一人の人は,こう述べました。「わたしは,このような光景をいまだ見たことがありません。同じ所に集まっている,あらゆる国の人々の間で,これほどの愛が示されるのを見たのは初めてです」。ニューヨーク州シラキューズ大会で新たにバプテスマを受けた一人の人は,以前ローマ・カトリック教徒で,オートバイの暴走族でしたが,その人はこう述べています。「わたしは兄弟愛を求めていましたが,これまでそれを見いだせませんでした。しかしわたしは,その兄弟愛とあらゆる人種や背景の人々の間の愛を,エホバの組織の中に見いだしました」。こうした一致は,ヨハネ 13章35節のイエスの言葉が真実であることを示しています。「あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」。

神のみ言葉はまた,真のクリスチャンは「秩序」を保ち,「秩序正しく」振舞う,と述べています。(コロサイ 2:5。テモテ第一 3:2)この点に注目した観察者たちも少なくありません。英国シェフィールド大会で,一運輸当局者はこう述べました。「わたしは,毎週末にフットボールの観客を運び,年に一度だけエホバの証人に来てもらうよりは,むしろその逆であることを望む」。なぜでしょうか。その人は,理由をこう説明しています。「エホバの証人は,とても行儀がよく,列を作って辛抱強く待ってくれる」。

オハイオ州クリーブランドで開かれた大会には,5万7,027人が出席しました。後日,クリーブランド・プレス紙は,「歓迎 ― エホバの証人」と題する記事の中でこう論評しました。「当市でこれほど秩序正しい大会が開かれたことはない。エホバの証人は世の終わりが差し迫っていると信じているが,まだ時間のあるうちにクリーブランド市が大会開催地に選ばれたことをうれしく思う」。市当局者も非常な感銘を受け,市長は大会あての手紙の中で次のように書いたほどです。「あなたがたはりっぱな賓客でしたが,当市も客を迎えるりっぱな主人であったことをわたしたちは願っております。あなたがたの大会は非常に秩序正しく,出席者各人は当地に滞在中その振舞いによって,自分と自分の宗教に大きな誉れをもたらしました」。市当局者は非常に協力的で,それまで市営スタジアムの真上を飛んでいた飛行機のコースを変更して,騒音が出席者の妨げにならないようにすることにさえ同意しました。

クリーブランド・スタジアムに派遣された一警察官はこう述べました。「ここで開かれる集まりすべてが,エホバの証人の大会のようであったらと思う。規則に従わないというような問題は一度もなかった。だれもが述べた感想は,すべてが非常に清潔で,エホバの証人たちが我々に対してとても親切で礼儀正しかったということだ。交通整理のさいに停止するよう告げると,証人たちはそれに従った。エホバの証人は,本当に扱いやすい,模範的なグループだ」。また,モンタナ州ボーズマン大会では,あるモーテルの支配人がこう述べました。「すべての人がエホバの証人のようであれば,警察官は必要でなくなる」。そうなれば軍隊も要らなくなるでしょう。

ゆえに,神の王国の支配下で,「国は国にむかってつるぎをあげず,再び戦いのことを学ばない」と預言した聖書は,その証拠が現代,つまり「末の日」に,神のしもべたちによって示されるとも述べているのです。今日,エホバのクリスチャン証人は,その平和な態度や法と秩序に対する敬意のゆえに,あらゆる国々でよく知られています。―ミカ 4:1-4,口。

「家族的な行事」

神のみ言葉は,クリスチャンの親たちに,『子どもをエホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい』と教えています。(エフェソス 6:4)大会を観察した人々は,エホバの証人の崇拝が「家族的な行事」であることにも注目しました。

スポーカン・デーリー・クロニクル紙は,「家族的行事 ― エホバの証人の大会」と題する記事の中で,同市の競技場で開かれた大会について次のように述べています。「これは確かに家族的な行事である。腕に抱かれた幼児や乳母車に乗せられた幼児から,車イスの年寄りまで,あらゆる年齢層の人がいた」。同記事はさらにこう述べました。「どこに目を向けても,家族単位のグループが見られた」。家庭の崩壊がますます進み,親が神とその目的について子供に教えることがほとんどないような,世の一般的な傾向とは何と対照的なのでしょう。

これらの家族の成員は,何もしないでただ話を聞いているだけではありません。ペンシルバニア州アレンタウン大会で,ある監督はこう述べました。「大勢の若い人々が,前日行なわれた古物がらくた市の後に残されたごみやくず物を片付けるのを手伝いました。どこに目をやっても,老若を問わず,忙しそうにごみを拾って掃除をしている人たちが見られました」。フロリダ州レークランド市民センターの営業部長は,そうした家族的な協力を見て,こう述べました。「すべての子供がエホバの証人の子供たちのようによく訓練されていたらと思う。わたしはエホバの証人の子供たちが,モップやほうきを持って働いているのを見た」。

エホバの律法に服するようになるため,年若い人々に与えられる訓練は実を結んでいます。ニューヨーク市シラキューズで,大会会場から道路を隔てて向かい側に事務所を持つ一弁護士は,そうした秩序正しい家族のグループを見ていかに驚いたかを,講堂の支配人に告げました。次の日,その支配人はエホバの証人にこう語りました。「どのようにして,子供たちをこれほど静かにさせておけるのですか。ご覧なさい,注意を払っていない人は一人もいません」。その日,同支配人は,食べ物を買うために大会の喫茶部門に行きました。そうしている間に,知らないで自分のポケットから10㌣(約30円)硬貨を落とし,そのまま事務所に戻りました。10㌣硬貨が落ちるのを見たエホバの証人の小さな男の子は,それを拾って支配人の後を事務所の中までついて行き,その硬貨を返しました。驚くと共に喜んだ支配人はこう述べました。「この子は当然のことをしただけなのだが,今時そうする子供はどれほどいるだろうか」。答えはこうです。主権者であるエホバに服するよう親に訓練された子供たちはそうします。なぜなら,神のみ言葉は,『すべてのことにおいて正直に行動する』よう諭しているからです。―ヘブライ 13:18。

産出的な働き人たち

聖書はクリスチャンにこう告げています。「働こうとしない者は食べてはならない」。(テサロニケ第二 3:10)また「りっぱな業に熱心な民」を神は持たれるとも述べています。(テトス 2:14)王国の関心事のために一生懸命に働くというこの特質も,クリスチャンの大会の際に表わされました。

カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアでの出来事はその一例です。大会の前の晩,使用される予定の施設の一箇所でラクロスの試合が,そして別の箇所では参加者500人に上るビンゴのゲームがありました。これらの催しが終わった後,グランドはゴミで汚れていました。午後10時30分,催しに参加した人たちがまだ会場から出切らないうちに,約500人のエホバの証人が,前もって割り当てられた仕事を極めて整然と果たすため場内に入りました。これらすべての働き人が,非常に手早く,グランドを大会にふさわしい清潔な会場に変えるのを見て,職員たちは大いに驚きました。そのうちの一人は,「自分の目を疑いたくなるほど驚くべきことだ」と述べました。四時間たたないうちに,あたり一帯はきれいに洗われ,カーペットを敷きつめた広々した演壇が設置され,音響設備も取り付けられ,冷蔵庫やテーブルそして炊事用具などは所定の位置に配置され,数時間後に控えた大会の始まりを待つだけになりました。

アーカンソー州リトルロック大会で,競技場の一職員はこう語りました。「このスタジアムを見渡して,エホバの証人が働いているのを見ると,みつばちの巣を思い出す」。また,オレゴン州コーバリスのジル・コロシアムの警備課長は,エホバの証人が大会のための施設を設置するのを見てから,こう断言しました。「わたしが今まで見てきたどんなものも,これにはかなわない。こんなに早く建物が建つのを見たことはない。だれもが,自分のすべきことをよく知っている」。テネシー州メンフィスのテレビ局の一編集者は,同地で開かれた大会を観察してこう述べました。「あなたがたには他の人々にない何かがある。それは,あなたがたが一緒に働くさいの協力的な態度である。エホバの証人のような人々を今だかつて見たことがない」。また,フロリダ州レークランド市民センターの一職員は次のように述べました。「わたしだったら,専門の労働者よりもエホバの証人たちに仕事をしてもらう。エホバの証人は二十分間で,専門家が四時間かけて行なう以上のことを成し遂げてしまう」。

この熱心な働きの中には,大会会場を,大会の期間中,およびその前後に,無償で掃除することも含まれています。このことも他の人々を驚かせました。メンフィス・コロシアムの職員の一人はこう述べました。「かねてから,あなたがたは清潔な人々であると聞いていましたので,この目でそれを見たいと思っていました。そして,確かにその通りであることが分かりました。この場所が使用されている時,大抵はひどく散らかっています。実を言えば,コロシアムがこれほどきれいになったのを見たのは初めてです」。南カロライナ州コロンビアの競技場の一職員はこう語りました。「わたしがエホバの証人に来てもらいたいと思うのは,あなたがたが来る時よりも帰る時のほうが,確かに建物がきれいになっているからだ」。

清潔さを保つのは明らかに,快適さ,健康,美観などのためですが,もう一つ別の理由もあります。なぜエホバの証人は,そうした労を惜しまないのかと尋ねた一新聞編集者は,これからの四日間,その場所は大きな王国会館のようになるので,王国会館と同じように清潔でなければならないと告げられました。その人と話したエホバの証人は,次のようにも述べました。「わたしたちは,ここにエホバの聖霊を求めても恥ずかしくないよう,競技場をきれいにしておきたいのです」。

こうしてエホバの証人は,神の天の王国という一つの政府の下に置かれる一つの世界は,神の民の間ですでに現実のものとなっていることを,自分たちの信仰と調和した行ないによって示しました。一人の観察者はこう述べました。「エホバの主権について語るだけでなく,それに従って生活する民は,エホバの証人をおいてほかにいません」。それゆえ講演者は,大会の最終日に次のように述べることができました。「したがって,神の義の事物の新秩序が始まるその時には,患難を生き残った人たちがどんな部族・民族・人種・国家に属するかにはかかわりなく,地上の一つの世界は一つの政府の下に置かれます」。

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