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  • ある若者は尋ねた,なぜクリスチャンの集会に出席するのですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 3/15 166–167ページ

ある若者は尋ねた,なぜクリスチャンの集会に出席するのですか

「教えて戴きたいことがあります」。これは米国ジョージア州に住む16歳の一少女から寄せられた手紙の書き出しです。

その少女の母親は,土地のエホバの証人の王国会館で開かれる集会に定期的に出席しており,娘が共に出席するよう望んでいました。しかし,この少女は“強制”されるのを好みませんでした。彼女はこう書いています。「入りたい宗教があれば,もうそれぐらいは自分で決められます」。それでこう尋ねています。『なぜこうした集会に出席しなければならないのですか』,と。

同じような状態に置かれているかどうかにかかわりなく,『なぜ王国会館での集会に出席するのですか』という問いについて,あなたはどう考えますか。

独立したいという欲求

ジョージア州のこの十代の少女は,「わたしは母親のスカートのすそにすがり付く年ではないと思います」と言いました。しかし,果たしてそうでしょうか。

十代の若者は,大人になったようなつもりでいるかもしれません。運転の免許など特定の法律上の権利や特権が与えられる場合さえあります。しかし,成人としての法律上の権利がすべて与えられるのは米国の大抵の地方では21歳になってからです。これはなぜでしょうか。幾世代にもわたる大勢の若者たちの体験は,彼ら自身と社会の永続する福祉のために,大抵の場合,成人するまでの間,親の導きを受けるのが最善であることを示してきました。では,まだ未成年であるなら,これまでに大勢の若者の体験から明らかにされた事柄を銘記するのは,思慮分別のあることではありませんか。そして,とりわけ国の法律が,子供を導く権利と責任を親に与えている場合には,親の経験と助言からさらに益が得られるのではありませんか。

また,親が家庭で子供に注意を払わず,したい放題にさせておくなら,方々でどんなことが起きるかお分かりになりますか。親の怠慢が問題になれば,法的処置が取られ,子供が施設に入れられることもあります。

しかし,前述のジョージア州の少女が,『母親のスカートのすそにすがり付く』ことについて述べていたことに気付きましたか。それは,十代の若者が共通して抱く,独立することへのあこがれを表わしているのではありませんか。そのような感情はある程度理解できます。なぜなら成長するにつれて基本的には,自立することが求められるからです。これは大人になるための一段階ではありませんか。しかし,こう自問してみてください。『果たして完全に独立している人がいるだろうか』。例えば,わたしたちは呼吸する空気に依存しています。空気はだれが作りましたか。食物を栽培するのに必要な太陽や雨と同様,それはエホバが備えたものです。(使徒 14:16,17)もし独立したいという欲求の余り,神から与えられる空気や日光,食物を受け入れないとしたら,それは正気のさたと言えるでしょうか。自分には食物は決して必要ない,と思い込んでいる友人がいるなら,生命を維持するために十分食べるよう強く勧めて親切を示しませんか。

この点をさらに拡大して適用してみましょう。命を支える手段となるものを創造された方は,どのようにしたらわたしたちが最大の幸福を見いだせるかに関する助言をも提供しておられるのです。しかも,わたしたちは皆,幸福でありたいと望んでいるのではありませんか。例えば創造者は,泥酔や淫行や同性愛から永続する幸福は得られない,とはっきり述べておられます。(箴 23:29,30。コリント第一 6:9)あなた自身も今までに観察したことから,この助言が分別のあるものであることをすでに悟っておられるでしょう。しかし創造者の分別のある助言はそこで終わっているのではありません。そのみ言葉の中には,生活に関して,「良いものの進路全体」に及ぶ最も優れた助言が書かれているのです。(箴 2:9,新)ところがこれに気付いていない人々は,真の幸福をもたらす知恵と知識を求めて,何年も大学で勉強したり,世界を旅行したりします。では,もし親が注意深い研究に基づいて,そうした人々が追い求める知恵と知識は王国会館で得られる,と自信をもって言うなら,若い人が聖書をよく調べるのは賢明なことではありませんか。

なぜ親は子供が出席することを望むか

ところで,あなたが幸福になりたいという自然の欲求を持つ若者であるなら,ご両親もあなたのために同じことを望んでおられるとは思いませんか。あなたが病気になったとき,お母さんが何日間,夜も眠らず看護してくれたか思い出すとよいでしょう。(テサロニケ第一 2:7)お父さんは家族に衣食を備えるために,何年もの間,一生懸命働いてこられたのではありませんか。そのような愛情に対して,あなたはきっと感謝の気持ちを抱いておられるでしょう。では,もし親が週に何回か,クリスチャンの集会へ一緒に行くよう勧めるなら,それも親の愛ある関心の表われではありませんか。親は長年,人生や人生の意義を考えてきており,神とそのみ言葉の重要性を認めているのです。それで,敬神の知恵を受け入れてそれに従うことから得られる永続的な益に子供にもあずからせようと努力する親に,協力するのは当然なことではありませんか。

また若い人たちは,この事柄に関する親の一貫性についても考慮すべきです。聖書によると,神は若者に対し,両親に従順であり,父と母の戒めを守るよう命じておられます。(エフェソス 6:1。箴 6:20-22)ですから親は,王国会館での集会に行って来るよう,子供に言い付けることもできるのです。あなたのご両親はそうなさいますか。子供には教会の日曜学校に行かせ,親は家でぶらぶらしている,といった家庭が少なくないことをあなたは知っているかもしれません。では,あなたの場合もそうですか。お父さんかお母さんが,あるいは両親とも行なっていないことをするようあなたは言い付けられていますか。そのようなことはないでしょう。時には疲れていたり忙しかったりしても,親は王国会館での集会がどれほど有益かを知っているので,集会に出席するよう自らを訓練しているのです。それで親は,自ら行なっていない事柄を行なうよう要求しているのではなく,むしろ,親と一緒に益を受けることを子供に勧めているのです。

王国会館では,人をだましたり“利用”したりすることのない人々との交わりを楽しむことができます。むしろ会衆の人々は,あなたが出席することを喜ぶでしょう。そこにいる間,多くの教授が世界で最も偉大な書物と認めている聖書について学ぶことができます。あなたは自分の感情や考えをはっきり表現したり,自分の意見を人に分からせたりすることに関心がありますか。王国会館で行なわれる神権学校に出席する若い男女は,この面で際立った助けを受けます。そして,神に仕える人々に対する楽園での永遠の命という聖書の約束に,やがて信仰を持つようになるなら,あなたは集会に出席することから永遠に益を得られるのです。

ですから,王国会館での集会に出席すべき確かな理由は数多くあります。このことを認識し,それに基づいて行動するなら,家庭内の平和に寄与し,また自分自身,満足を見いだすことができます。

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