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永遠の謎?ものみの塔(一般用)2017 | No. 4
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ほとんどすべての宗教の信者は,霊魂不滅を信じている。
特集記事 | 生と死 聖書の答え
永遠の謎?
生と死に関しては,様々な見方があります。人は死後もどこかで生き続けると思っている人もいれば,生まれ変わると考えている人もいます。また,死ですべてが終わると考える人もいます。
何を信じるかは,生い立ちや文化的背景によります。死ぬとどうなるかについての意見は実に様々です。この謎に対する本当の答えは,誰からまたどこから得られるのでしょうか。
幾世紀にもわたって,宗教家たちは霊魂不滅を教えてきました。キリスト教,ヒンズー教,ユダヤ教,イスラム教など,ほとんどすべての宗教の信者は,霊魂不滅を信じています。肉体が死んだ後も魂は残り,霊の世界で生き続けるというのです。一方,仏教徒は,何度も生まれ変わることによって,人に内在する力つまり精神的なエネルギーが涅槃と呼ばれる至福の状態に達する,と考えています。
そうした教えのせいで,世界中の大半の人は,死んでも魂は別の世界で生き続ける,と信じるようになりました。ですから,多くの人にとって,死は生命のサイクルの重要なステップであり,神様のご意志であるように思えてしまいます。では,聖書はこの問題について何と述べているのでしょうか。続く記事をご覧ください。その答えに驚くかもしれません。
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生と死について聖書は何と言っているかものみの塔(一般用)2017 | No. 4
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特集記事 | 生と死 聖書の答え
生と死について聖書は何と言っているか
聖書の創世記の天地創造に関する記述によると,最初の人間アダムは神様からこう言われました。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。(創世記 2:16,17)この言葉がはっきりと示しているとおり,アダムは,神様の命令に従っていれば,死ぬこともなくエデンの園で生き続けていたはずです。
しかし,アダムは神に従って永遠に生きる道ではなく,神の命令を無視する道を選び,妻エバがくれた禁じられた実を食べてしまいました。(創世記 3:1-6)その結果は,今日のわたしたちにも付きまとっています。使徒パウロはこう説明しています。「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」。(ローマ 5:12)この「一人の人」は,もちろんアダムです。では,罪とは何ですか。また罪を通して死が入ったとはどういうことでしょうか。
罪とは,アダムのしたこと,つまり故意に神様の命令に従わないことです。(ヨハネ第一 3:4)そして,神様がアダムに言っておられたように,罪に対する罰は死です。アダムとその子孫は,神様の命令に従っている限り,罪のない状態でいられ,死なずにすみました。人間が創造されたのは,死ぬためではなく生きるため,それも永遠に生きるためでした。
聖書にあるように,死は確かに「すべての人に広が」りました。では,魂と呼ばれるものは死後も生き続けるのでしょうか。多くの人は,そうだと答えることでしょう。霊魂は不滅だと言うのです。とはいえ,もしそうであれば,神様がアダムにうそをついたことになります。どうしてでしょうか。魂が死後もどこかで生き続けるとすれば,死は罪に対する罰とはならないからです。聖書は,「神[は]偽ること[が]できない」と述べています。(ヘブライ 6:18)ですから,エバに,「あなた方は決して死ぬようなことはありません」とうそをついたのは,サタンだったのです。(創世記 3:4)
では,もし霊魂不滅の教えがうそだとすれば,人は死ぬと一体どうなるのでしょうか。
聖書は真実を明らかにする
創造に関する創世記の記述にはこうあります。「エホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった」。「生きた魂」という表現は,ヘブライ語のネフェシュaを訳したものです。この語は,文字通りには「呼吸する生き物」を意味します。(創世記 2:7,脚注)
ですから,聖書が明らかにしているように,人は「呼吸する生き物」そのものなのです。不滅の魂を持つ者として創造されたわけではありません。いくら調べても,聖書中に「不滅の魂」という表現を見つけることができないのは,そのためです。
では,聖書と違い,多くの宗教が霊魂不滅を教えているのはなぜでしょうか。その答えを知るには,古代エジプトの時代にまでさかのぼる必要があります。
異教の教えが広まる
西暦前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスは,「人類で最初に霊魂の不滅を擁護した」のはエジプト人だったと述べています。他に古代バビロニア人も,霊魂は不滅だと考えるようになりました。アレクサンドロス大王が西暦前332年に中東を征服した時までに,その教えはギリシャの哲学者たちによって広められており,まもなくギリシャ帝国中に普及しました。
聖書中に「不滅の魂」という表現を見つけることはできない
西暦1世紀には,ユダヤ教の二大教派であるエッセネ派とパリサイ派が,肉体が死んでも魂は生き残る,と教えていました。「ユダヤ百科事典」(英語)はこう述べています。「魂の不滅に関する信条は,ギリシャ思想との接触からユダヤ人にもたらされた。それは主に,……プラトンの哲学を通してであった」。同様に,1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスもその教えを,聖書ではなく「ギリシャの子らの信条」によるもの,つまり神話や伝説を集めたものとみなしていました。
ギリシャ文化の影響が広まるにつれて,自称クリスチャンもこの異教の教えを取り入れました。歴史家ヨナ・レンダリングは,「我々の魂がかつては良い所にいたが,今は堕落した世界で生きているとするプラトンの仮説は,プラトン哲学とキリスト教が結合するのを容易にした」と述べています。こうして,霊魂不滅という異教の教えは“キリスト教”教会に吸収され,その教えの基礎の一部になったのです。
「真理はあなた方を自由にする」
1世紀に,使徒パウロはこう警告しました。「霊感のことばは,後の時代にある人たちが信仰から離れ去り,人を惑わす霊感のことばや悪霊の教えに注意を寄せるようになることを明確に述べています」。(テモテ第一 4:1)この言葉は確かに真実です。霊魂不滅の教えは,「悪霊の教え」の1つにすぎません。聖書の裏付けがなく,古代の異教や哲学に起源を発しています。
幸いなことに,イエスはこう述べています。「[あなた方は]真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。(ヨハネ 8:32)聖書の真理に関する正確な知識を得ることにより,世界の大半の宗教が広めている,神を辱める教えや慣行から自由にされます。さらに,神の言葉の真理は,死に関係したしきたりや迷信による束縛からわたしたちを自由にします。(「死んだ人はどこにいるか」という囲みをご覧ください。)
人間は,地上でわずか70年か80年生きた後,天国や霊の世界で永遠に生き続けるよう創造されたわけではありません。神の本来の目的は,人間が神の従順な子どもとしてこの地上で永遠に生きることでした。この壮大な目的は,人類に対する神の愛の表明であり,その達成を妨げるものはありません。(マラキ 3:6)詩編作者は神の導きで次のような保証の言葉を述べています。「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」。(詩編 37:29)
a 聖書翻訳の中でも,「ジェームズ王欽定訳」(英語)やカトリックの「ドゥエ訳」(英語)などはネフェシュを「生ける魂」と訳していますが,多くの現代訳は「生きた者」(口語訳,日本聖書協会),「生きる者」(新共同訳,共同訳聖書実行委員会)などと訳しています。
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