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  • あなたは「魂を生きながらえさせる信仰」を持っていますか
    ものみの塔 1970 | 9月1日
    • 16,17 (イ)信仰によって,モーセはどんな決定を下しましたか。(ロ)彼はどんな報いを望み見ましたか。

      16 紀元前1513年,エジプトの束縛からイスラエルを解放するに際し,エホバが用いられたのはモーセです。(出エジプト 3:1-10; 12:37,38)信仰をもって行動した,モーセの両親は,生後3か月の間,モーセを隠しておきましたが,ついにあしの箱舟にいれて,ナイル川に流しました。それをパロの娘が見つけだし,彼を「己が子として育て」ました。そのため,「彼は,エジプト人のすべての学術を教へられ」,また,『言と業とに能力ある』人となりました。(出エジプト 2:1-10。使行 7:21,22。ヘブル 11:23)しかし,エジプトの教育を受け,王室における物質主義的な環境で育ったにもかかわらず,モーセは,エジプトの多くの偽りの神々を崇拝する者とはなりませんでした。それどころではありません。「信仰によりてモーセは人と成りしときパロの女の子と称へらるるを否み,罪のはかなき歓楽を受けんよりは,むしろ神の民〔イスラエル人〕とともに苦まんことを善し」としました。なぜですか。『キリスト〔神の油そそがれた者であることの特権〕によるそしりを,エジプトのたからにまさる大なる富と思った』からです。(ヘブル 11:24-26),王室の一員として,モーセはエジプトで名声を求めることができたかもしれません。しかし,モーセがそうしていたなら,エジプトの多数のパロと同様に忘れ去られていたことでしょう。彼らの悪評をとどめている,おもなものといえば,その飾り立てた墓ぐらいで,考古学者たちのすきによって地の塵の中から掘り出され,単なる好奇心の対象になっているにすぎません。モーセは彼らと異なり,神から輝かしい特権を与えられた,信仰の人として記憶されています。

      17 モーセは信仰を働かせ,「報いを望んで」いました。その報いとは,復活を通して与えられる,神の新秩序における地上での,人間としてのとこしえの命です。(ヘブル 11:26)信仰をもって,モーセはエジプトを去り,後日,再びエジプトに帰って,そこで最初の過ぎ越しを仲間のイスラエル人と祝いました。そしてそのあと,彼らとともにエジプトを進み出ました。「信仰によりてイスラエル人は紅海をかわける地のごとく渡りしが,エジプト人はしかせんと試みておぼれ死にたり」。モーセの死後,信仰を持っていたゆえに,イスラエル人はカナンにおりて,エリコの征服を初め,勝利に勝利を重ねました。エリコでは,遊女ラハブが,イスラエルの斥候を友好的に受け入れたため救われました。(ヘブル 11:27-31)エホバおよび解放をもたらされるエホバの力に対して,あなたは永続的な信仰を持っておられますか。

      信仰の他の模範

      18 エホバは,ギデオンとバラクが,その信仰のゆえに何を行なえるようにされましたか。

      18 信仰の模範となる人々をほかにも取り上げるなら,いくら時間があっても足りないであろう,とパウロは述べています。(ヘブル 11:32)たとえば,エホバから力を与えられたギデオンは,わずか300人の一隊を率いて,暴虐なミデアン人を敗走させ,その軍勢を打ち滅ぼしました。(士師記 7章)女預言者デボラによって励まされたバラクもいます。はるかに優秀な,シセラの軍隊に,信仰をもって相対したバラクを,エホバは勝利に導かれました。その勝利は,デボラとバラクの感動的な歌の中でたたえられています。―士師記 4,5章。

      19 サムソンの,信仰に基づく最後の行ないはなんでしたか。

      19 さらに,ペリシテ人の強敵であったサムソンがいます。最後には捕えられて盲人にされましたが,自分の死に臨んで,多くのペリシテ人を滅ぼしました。彼らが偽りの神ダゴンに犠牲をささげるために集合していた建物の柱石を倒したのです。しかし,サムソンはけっしておじけづいた,病的な自殺者ではありませんでした。彼は自分を完全な失敗者とみなし,そのみじめな生がいを終わらせようと願って,絶望のあまり,その建物を倒壊させたのではありません。エホバとその民に対する敵である,そこに集合していたペリシテ人に復しゅうするための十分の力をエホバに請うには,信仰が必要でした。―士師 16:18-30。

      20,21 (イ)エフタと彼の娘はどのように信仰を表わしましたか。(ロ)キリスト以前の,他の信仰の模範をあげなさい。

      20 エホバの力によって,暴虐なアンモン人に打ち勝ったエフタも非常な信仰を表わしました。自分の娘を,生がい処女としてエホバの奉仕にささげ,神になした誓いを果たしたのはその例です。(士師 11:29-40)あなたの信仰は,キリスト以前の人々,バラク,デボラ,サムソンその他のエホバの証人と同じように強いものですか。そして,エフタや彼の娘と同様,神に仕える誓いを,忠実に果たしていますか。―詩 50:14。伝道 5:4,5。

      21 エホバに信仰を置いたダビデは,ペリシテ人の巨人ゴリアテに打ち勝ち,やがて勇敢な王となってエホバの民の益を擁護して戦いました。その信仰のゆえに,彼は神の心にかなう者でした。(サムエル前 17:4,45-51。使行 13:22)サムエルは子どもの時からエホバに仕え,神に対する信仰をけっして捨てませんでした。(サムエル前 1:19-28; 7:15-17)もちろん,エホバに非常な信仰を表わした預言者はほかにもいます。信仰に基づく,さまざまな行ないに触れたパウロは,次のような人々について語っています。「彼らは信仰によりて国々を服へ,義をおこなひ,約束のものを得,ししの口をふさぎ,火の勢力を消し,剣の刃をのがれ,弱よりして強くされ,戦争に勇ましくなり,異国人の軍勢を退かせたり」― ヘブル 11:33,34。

      22 (イ)キリスト以前の,エホバの証人のある者は,「まさった復活を」得ようと努めましたが,それはどのように「まさった復活」と言えますか。(ロ)彼らが,油そそがれたクリスチャンをほかにしては「全うされない」のはなぜですか。

      22 忠実なエリヤとエリシヤはエホバから力を与えられ,ふたりの婦人のむすこたちを死からよみがえらせました。(列王上 17:17-24。列王下 4:17-37)パウロは,死んだ子どもを復活により生きかえらせてもらった婦人について述べた後,こう付け加えました。「ある人はさらに勝りたる復活を得んために,免さるることを願はずして極刑を甘んじたり」。(ヘブル 11:35)その復活は,エリヤとエリシヤを通して神がもたらされたものより,「まさりたる復活」であるという意味です。なぜですか。なぜなら,その当時,よみがえらされた人々は,もう一度死なねばならなかったからです。ところが,キリスト以前の忠実なエホバの証人は,神の約束された新秩序における地上に復活し,再び死ぬ必要はありません。パウロがそのあとに示しているように,それらの証人は,「信仰によりてあかしせられたれども,約束のものを得ざりき。これ神は我ら〔油そそがれた,キリストの追随者〕のために勝りたるものを備へ給ひし故に,彼らも我らとともならざれば,全うせらるる事」がないからです。(ヘブル 11:39,40)14万4,000人を数える,油そそがれたクリスチャンの復活は,天における霊の命への復活ですが,その復活は,天の御国の建てられたあと,西暦1918年に始まりました。(黙示 12:1-5; 14:1,4; 20:4-6。コリント前 15:50-55)それらのクリスチャンは,キリスト以前の忠実なエホバの証人が地上に復活する前に,天にいりて「全うされ」ます。

      23 パウロのあげている,信仰の他の模範にはどんなものがありますか。

      23 それらの証人が残した,信仰の他の模範を思い出させながら,パウロは次のように書きました。「その他の者は嘲笑とむちと,またなはめと牢獄との試練を受け,ある者は石にて撃たれ,試みられ,のこぎりにてひかれ〔確実ではないが,ユダヤ人の言い伝えによると,イザヤは,マナセ王の命で,そのような死にあった〕,剣にて殺され,羊,山羊の皮をまとひて経あるき,乏しくなり,悩まされ,苦しめられ,……荒野と山と洞と地の穴とにさまよへり」。彼らの信仰の多くの行為を熟考する人は,パウロの次のことばに同意されるにちがいありません。「世は彼らにふさわしくなかった」― ヘブル 11:36-38。

      24,25 (イ)初期クリスチャンは信仰を表わしましたか。(ロ)それと比較しうるような,エホバへの信仰は今でも存在していますか。

      24 わたしたちを『雲のごとく囲む』,キリスト以前の,数多くのエホバの証人の忠実性を深く考えると,わたしたちの信仰は強められます。(ヘブル 12:1)クリスチャン・ギリシア語聖書に示されているように,初期クリスチャンも同様な信仰を表わしました。初期クリスチャンに関しても,次のように述べられています。「彼らはときには拷問にかけられ,あるいは民衆を喜ばせるために,闘技場内で,飢えた野獣の前に投げ出された。しかし,迫害は彼らの信仰を強め,彼らの側に多くの改宗者をもたらす結果となったにすぎない」― ユージン・A・コリガン,マックスウェル・F・リットウイン著「古い世界から新しい世界へ」,1932年,90,91ページ。

      25 しかし,エホバ神に対するそうした信仰は今なお存在しています。エホバの証人は同様な信仰を大胆に表わしています。(マタイ 10:28)ラーベンスブルクのナチス強制収容所に留置された,女のエホバの証人に関して,フランスのシャルル・ドゴールのめいにあたるジュネビエーブ・ドゴールはこう述べています。「すべてのかたがほんとうに非常な勇気を示され,その態度に,ついには親衛隊員までが敬意を示すありさまでした。信仰を捨てさえすれば,直ちに自由の身になれたのですが,そうするどころか,皆さんは抵抗をやめず,本や小冊子を収容所内に持ち込むのに成功さえしました。そうした文書のために何人かが絞首刑になりました」。ユージン・コーガンは自著「地獄の理論と実践」の中で,「エホバの証人の挑戦に親衛隊が対処し得ないという印象はぬぐうべくもなかった」と書いています。(43ページ)さらに,プリンストン大学のエベンスタイン教授は次のように述べています。「エホバの証人が強制収容所で受けた苦しみは,ユダヤ人,平和論者,共産主義者が経験したものよりさらにひどかった。小さい教派とはいえ,各会員は,たとえ崩壊しえても,けっして占拠されることのない要塞のようであった」― ザ・ナチ・ステート。

      26 クリスチャンの信仰はどんな結果をもたらしますか。

      26 あなたがエホバに対して同様な信仰を持ち,それを保ち続けるなら,永遠の命がもたらされるのです。使徒パウロは,クリスチャンが,「信仰の極,すなはちたましひの救を」受けることについてしるしました。(ペテロ前 1:9)しかし,「持続する,健全な信仰を持つにはどうしたらよいのだろうか」と尋ねるかたがおられるかもしれません。確信を持ってください。エホバの助けを得て,多くのことが行なえるからです。

  • 「とこしえの命に導く真理」の本を用いて
    ものみの塔 1970 | 9月1日
    • 「とこしえの命に導く真理」の本を用いて

      ● 「とこしえの命に導く真理」と題する本は,広く一般の人々に受け入れられています。アメリカの11歳のある姉妹が,この本について学友に話したところ,最初,クラスの友だちふたりが,「真理」の本を求めました。ところが,その本を見た他の友だちも求めたので,担任の先生に配布した1冊を含め,結局,全部で37冊の本を配布しました。その姉妹は,「わたしは今,クラスの友だちを忙しく再訪問しています。また,担任の先生は今,第3章を読んでいるところです」と書き寄せました。

      ― エホバの証人の1970年度年鑑より

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