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    目ざめよ! 1975 | 5月22日
    • 女が修道院を去り,多くの修道女はカトリック教階制度に対して公然と異議を唱えている。一例として,医師でもある,ローマの一修道女は,「個人の場合についてはピル[経口避妊薬]の使用を認める」と述べた。

      “還流”は解決策か

      ◆ 最近四倍に上げた石油価格によって産油諸国が蓄積した余剰資金をどのように活用できるかについて多くのことが語られてきた。石油輸入国が膨大な石油代価によって経済破綻をきたすのを防ぐためにこの“オイルダラー”を利用できると唱える人は多い,産油国は投資や貸付けによって余剰資金を輸入国の経済に“還流”すべきであると彼らは言う。これは現実的な話だろうか。ビジネス・ウイーク誌の論説欄は,これを否定している。同誌は,その考えは「自己欺まんを行なわさせるにすぎない」とし,こう続けている。「還流は,[産油諸国に対して]ただ増大する一方の借金を作り上げる。それはどんなに想像力をたくましくしても返済不能の額になる」。

      『混乱させてはいけない』

      ◆ 最近,ある信心深い人が,根本主義者の新聞「主の剣」に手紙を書き,「改宗者を得にゆく」時,聖書を携えて行くべきかどうかを尋ねた。「これまでに,聖書を教える良い教会二つに所属してきた」と言うその人は,説教者の一人が,他の人を訪ねる時,聖書はポケットに入れておくように忠告したことを述べた。なぜ?「エホバの証人……と混同されないようにするためである」。

      それは合法的か

      ◆ 同性愛者同士の“結婚”は真の結婚と言えるであろうか。最近カナダのマニトバ州の地方人口統計記録官が,ユニテリアン教会で挙式して祝福された同性愛者同士の“婚姻”届けを拒んだところ,それら二人の男子は問題を法廷に持ち込んだ。どんな判決が下されたであろうか。ウィニペグの州裁判所の主席判事アラン・フィリップは,「執り行なわれたその儀式が……結婚式でなかったことは……自ら明らかであり,それは無効である」と裁定した。聖書の見解も同じである。

      血友病の危険な治療法

      ◆ 血液から取ったある種の凝血“因子”は,今や血友病,つまり出血が止まらなくなる疾患の治療に広く使われている。ところが,その治療を受けた患者は別の致命的な危険に直面している。スイスの医学週刊誌シュバイツァー・メド・ボッシェンシュリフトは,調査の対象となった113人の血友病患者の40%は肝炎にかかっていたことを報じ,「それらの患者はすべて,血液そのものか血漿,あるいは[凝血因子]を含む血液誘導剤を投与されていた」と,その報告は述べている。もちろん,『血を避ける』ようにとの聖書の命令に留意する真のクリスチャンは,潜在的危険を伴うこの治療法を利用したりはしない。―使徒 15:20,28,29。

      これが差別待遇の撤廃と言えるか

      ◆ 一部には,アメリカの学校における差別待遇撤廃を図る努力が成功したとしている人もいるが,しかし差別待遇の撤廃は本当に達成されたであろうか。USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこう述べている。「多くの場所では低学年の学生の間には人種的障壁はほとんど存在しないが,子どもたちが思春期に達するにつれて明確かつ強固に存在するようになり,またそのまま大学でもずっと続く傾向がある……この自己差別は普通上品で気持ちのよいものであるが,多くの学校ではそのために食堂のテーブルや競技会の応援席を離したり,放課後になると学生は異人種間で実質的に交際をしなくなったりするのである」。

  • 聖書の第61番めの本 ― ペテロの第二の手紙
    目ざめよ! 1975 | 5月22日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第61番めの本 ― ペテロの第二の手紙

      筆者: ペテロ

      書かれた場所: バビロン(?)

      書き終えられた時期: 西暦64年ごろ

      含まれている時代: 確定できない

      1 ペテロが筆者であることをどんな事実が証明していますか。

      二番めの手紙を書いた時,ペテロは自分の死期の近いことを悟っていました。彼は,仲間のクリスチャンたちに,正確な知識の大切さを銘記させることを強く願っていました。それは,その奉仕の務めにおいて確固とした態度を保つように彼らを助けるためでした。ペテロの名を付せられた第二の手紙の筆者が使徒ペテロであることを疑う理由が存在するでしょうか。この手紙そのものが,筆者がだれであるかに関する疑いをすべて取り除いています。筆者は,自分が「イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロ」であることを述べています。(1:1)筆者はまた,これが「二度めの手紙」であることを述べています。(3:1)また,自分がイエス・キリストの変ぼうの目撃者であることを述べ,目撃者らしい感情を込めてそれを記述しています。ペテロはヤコブやヨハネと共にその変ぼうを目撃する特権に恵まれた人でした。(1:16-21)また筆者は,イエスが自分の死について予告したことを述べています。―ペテロ第二 1:14。ヨハネ 21:18,19。

      2 ペテロ第二の書の正典性を示すどんな事実がありますか。

      2 しかし,二つの手紙の文体の相違を指摘して,第二の手紙はペテロの作ではないとする人々がいます。しかし,それは真の問題とはならないはずです。それぞれの手紙の主題と目的は異なっているからです。また,ペテロは第一の手紙を「忠実な兄弟であるシルワノを通し(て)」書きましたが,シルワノが文章の構成という点である程度の自由を与えられていたとすれば,それは二つの手紙の文体の相違を説明するものとなるでしょう。シルワノは第二の手紙の記述には参与しなかったとみなされるからです。(ペテロ第一 5:12)「教父たちによる証言が乏しい」という理由でこの書の正典性を疑問視する人々もいます。しかし,「クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期目録集」からもわかるとおり,ペテロ第二の書は,第三カルタゴ会議以前の11人の権威者たちによって,聖書目録の一部とみなされていました。a

      3 この手紙はいつどこで書かれたものと思われますか。それはだれにあてられましたか。

      3 ペテロの第二の手紙が書かれたのはいつですか。それは西暦64年ごろ,最初の手紙のすぐ後に,バビロンかその近くで書かれたと考えられます。しかし,特に書かれた場所については直接的な証拠がありません。この手紙が書かれた時,パウロの手紙の大部分は諸会衆で読まれており,ペテロにも知られていました。ペテロはそれらを神の霊感によるものとみなし,それを「聖書の残りの部分」と比較しています。ペテロの第二の手紙は,「わたしたちと同じ特権としての信仰を得ている人びと」にあてられており,その中には,最初の手紙をあてられた人々や,ペテロがそれまでに伝道した人々が含まれていました。最初の手紙は多くの地域に配布されていましたが,この二番めの手紙も一般的な性格の手紙でした。―ペテロ第二 3:15,16; 1:1; 3:1。ペテロ第一 1:1。

      ペテロの第二の手紙の内容

      4 (イ)兄弟たちは正確な知識の点で実を結ぶ者となるためにどのように励み努めるべきですか。どんな約束を望み見て?(ロ)預言のことばはどのようにしていっそう確かなものになりましたか。なぜこれに注意を向けるべきですか。

      4 天の王国への召しを確実にする(1:1-21)ペテロは「信仰を得ている人びと」に対する愛の関心をすぐに示します。彼は,「神およびわたしたちの主イエスについての正確な知識によって」その人々に対する過分のご親切と平和が増し加えられることを願います。神は,「貴く,しかもきわめて壮大な約束」を彼らに惜しみなく与えてくださいました。それによって彼らは神の性質にあずかる者となれます。それゆえ,真剣な努力によって,信仰に,徳と知識と自制と忍耐と敬神の専念と兄弟の愛情と愛を加えるべきです。もしこうした資質が満ちあふれるなら,正確な知識に関して無活動になったり,実を結ばなくなったりすることはありません。兄弟たちは,自分の召しと選びまた主の永遠の王国に入る見込みを確実にするために,力を尽くして励むべきです。ペテロがこうした事を彼らに思い出させるのは,『自分の幕屋を脱ぎ捨てることがまもない』のを知るからです。また,これは,ペテロが去った後,彼らがこれらのことを話し合えるようにするためでもあります。ペテロは聖なる山におけるキリストの壮厳な姿の目撃者でした。その時,「『これはわたしの子,わたしの愛する者,わたし自らこの者を是認した』ということばが壮厳な栄光によって彼にもたらされた」のです。こうして,預言のことばはいっそう確かなもの,いよいよ注意を向けるべきものとなりました。それは人間の意志によってもたらされたものではなく,「人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだから」です。―1:1,2,4,14,17,21。

      5 ペテロは偽教師についてどんな警告を与えていますか。そうした人々に対する神の裁きの確かさについてどんな強力な例を用いていますか。

      5 偽教師に関する強い警告(2:1-22)偽預言者や偽教師が破壊的な分派を持ち込み,不品行を推し進め,真理の道にそしりをもたらすでしょう。しかし,彼らの滅びはまどろんでいるのではありません。神は罪を犯したみ使いたちを処罰することを差し控えませんでした。また,ノアの日に大洪水をもたらし,ソドムとゴモラを灰にすることをも差し控えませんでした。エホバは義の宣明者ノアと義人ロトを救い出しましたが,同じように「エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すか,一方,不義の人びと……を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられる」のです。これらは,向こう見ずで,片意地で,理性のない動物のようであり,無知で,あしざまな言い方を好み,欺きの教えを喜びとし,姦淫にふけり,貪欲で,バラムのように悪行の報いを愛する人々だからです。彼らは自由を約束しながら自らは腐敗の奴隷です。そうした人々にとっては,義の道を知らなかったほうがよかったでしょう。「犬は自分の吐いたものに戻り,豚は洗われてもまたどろの中で転げ回る」ということばが彼らの場合そのとおりになっているからです。―2:9,22。

      6 (イ)ペテロがこの手紙を書くのはなぜですか。神の約束についてペテロはなんと述べていますか。(ロ)あざける者たちとは対照的に,クリスチャンは目ざめた者であることをどのように示すべきですか。

      6 エホバの日をしっかり思いに留める(3:1-18)ペテロは読む人の明せきな思考力を呼び起こして,以前に語られた事柄を思い出させるためにこの手紙を書いています。終わりの時代にはあざける者たちがやって来て,「この約束された彼の臨在はどうなっているのか」と言うでしょう。そうした人々は次のことを見過ごしています。つまり,神は古代の世を水によって滅ぼされましたが,「その同じみことばによって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており」,不敬虔な人びとの滅びの日まで留め置かれています。エホバにとって千年は一日のようであり,「エホバはご自分の約束に関し(て)……遅いのでは(なく)」,だれの滅びをも望まないゆえにしんぼうしておられるのです。したがって,クリスチャンは自分の行状に注意し,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかり思いに留めつつ,敬神の専念を実践してゆくべきです。その日,天は火で溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。しかし,神の約束によって「新しい天と新しい地」が到来します。―3:4,7,9,13。

      7 こうした点をあらかじめ知るクリスチャンはどのように励み努めるべきですか。

      7 したがって,「最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう」力を尽くして励むべきです。主のしんぼうを救いとみなすべきです。愛するパウロもそう書き送っているはずです。こうしたことをあらかじめ知った今,自分自身の確固たる態度から離れ落ちることのないよう警戒していなければなりません。ペテロは結びにこう述べます。「そうです,むしろ,わたしたちの主また救い主なるイエス・キリストの過分のご親切と知識において成長しなさい。彼に,今もまたとこしえの日に至るまでも栄光がありますように」― 3:14,18。

      なぜ有益か

      8 (イ)ペテロはヘブライ語聖書とギリシャ語聖書が共に霊感によるものであることをどのように証言していますか。(ロ)正確な知識をしっかり守ることによってわたしたちもどのように益を受けられますか。

      8 正確な知識はなんと重要なのでしょう。ペテロ自身,自分がヘブライ語聖書から得た正確な知識を自分の論議の中に織り込んでいます。そして彼は,ヘブライ語聖書が聖霊の霊感によるものであることを証言しています。「預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったもの(である)」と述べているからです。また彼は,パウロの知恵が「与えられた」ものであることを指摘しています。(ペテロ第二 1:21; 3:15)霊感による聖書の全体についてその内容を考え,正確な知識をしっかり守るなら,わたしたちも大いに益を受けられます。それによって,「すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」と語るペテロが述べた人々のような自己満足的な態度に陥ることはありません。(ペテロ第二 3:4)また,ペテロがその手紙の第二章で描写するような偽教師のわなに陥ることもありません。わたしたちはペテロや他の聖書記述者たちの与える諭しについて常に考え,こうして「真理に堅く据えられ」,辛抱強く,また確固とした態度で,「わたしたちの主また救い主なるイエス・キリストの過分のご親切と知識において成長し」てゆくべきです。―ペテロ第二 1:12; 3:18。

      9 どんな点で真剣な努力をすることが励まされていますか。なぜ?

      9 「神およびわたしたちの主イエスについての正確な知識」の点で成長するための助けとして,ペテロは,1章5-7節に挙げられるようなクリスチャンの資質を築き上げるための真剣な努力を勧め,ついで8節でこう付け加えています。「これらのものがあなたがたのうちに在って満ちあふれるなら,それはあなたがたが,わたしたちの主イエス・キリストについての正確な知識に関して無活動になったり,実を結ばなくなったりするのを阻んでくれるのです」。確かにこれは,この危機の時代に住む神の奉仕者たちを活動に鼓舞するすばらしい励ましです。

      10 (イ)ペテロはどんな約束を強調していますか。それに伴ってどんな事を勧めていますか。(ロ)王国の預言に関してどんな保証を与えていますか。

      10 エホバ神の「貴く,しかもきわめて壮大な約束」に確実にあずかる者となるため力を尽くして励むことはなんと大切なのでしょう。それゆえペテロは,油そそがれたクリスチャンが王国の目標にしっかり目を留めることを勧めてこう述べます。「兄弟たち,自分の召しと選びを自ら確実にするため,いよいよ力をつくして励みなさい。これらのことを行なってゆくなら,あなたがたは決して失敗することはないからです。事実,そうすることによって,わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る機会が,あなたがたに豊かに与えられるのです」。ついでペテロはイエスの王国の栄光の荘厳さに注意を促しています。変ぼうの幻によってペテロはその目撃証人となったのであり,彼はこう付け加えます。「したがって,わたしたちにとって預言のことばはいっそう確かなものになりました」。確かに,エホバの荘厳な王国に関するすべての預言は必ず成就します。それゆえ,わたしたちは,ペテロがイザヤの預言から引用した次の言葉を自分も確信をもって語ることができます。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。―ペテロ第二 1:4,10,11,19; 3:13。イザヤ 65:17,18。

      [脚注]

      a 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』(英文)302ページの表をご覧ください。

  • 特異な設計
    目ざめよ! 1975 | 5月22日
    • 特異な設計

      ◆ 恐ろしい毒を持つうみへびは,さめに襲われる危険もなければ,“潜函病”にかかることもない。最近,ある海洋生物学者は潜水服にうみへびに見られるような縞をペンキで描き,それを着て潜水し,次いで水中では黒のレインコートを身にまとった。ニュージーランドのオークランド・スター紙によると,「さめがそのかっこうな“獲物”に近づいた時,生物学者がコートを脱いだところ」,さめは「向きを変えて退散した」とのことである。深海に潜るたいていの生物は,海面に上がる際,血液中に溶けた窒素が気ほう化するために,苦しい“潜函病”を経験する。ところが,最近,オーストラリアの博物学者は,うみへびの心臓にある穴には潜水時に血液が肺を迂回するようにさせる働きがあり,その上うみへびの皮膚が気体を非常によく通すものであることを発見した。この二つの作用が相まって,血液中の窒素の形成を緩慢にし,上昇時にはそれを素早く消散させるのである。

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