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急速に拡大しつつある羊の群れにおける「霊の一致」ものみの塔 1984 | 5月1日
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ようにされました。どのようにそのことが行なわれましたか。
7 神殿の再建の折,エホバはご自分の民が反対に直面しても一致して前進することをどのように可能にされましたか。
7 バビロンの流刑から戻ったあと,エホバの神殿の再建が反対によって妨害された時に,エホバは預言者たち,つまり目に見える代弁者を起こしてご自分の民を強化され,その預言者たちにご自分の時宜にかなった音信を伝えさせました。さらに,エホバご自身の霊は,山のような障害を克服し,ご自分の僕たちが一つの一致した組織として機能することを可能にしました。―ハガイ 1:1-8。ゼカリヤ 4:1-14。
8 エホバはどのような方法で,1世紀の兄弟たちを強化されましたか。
8 西暦1世紀に真の崇拝者たちが敵の非難を受けた時,エホバは指示と励ましを与える手紙を使徒たちに書かせました。これらの手紙の中で,反対の主要な扇動者は悪魔サタンであることが明確にされました。悪魔サタンのねらいは,暴力的な迫害により,あるいは偽兄弟たちの影響力を用いて会衆の一致を乱すことにより,良いたよりを宣べ伝える業を抑えることです。このようにしてすべての人々は,関係する問題を明確に理解するよう助けられました。(エフェソス 6:10-13。コリント第二 11:12-15。ペテロ第一 5:5-8)彼らは,『一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し,いかなる点でも,あなた方の敵対者たちのゆえに恐れ驚いたりはしない』ようにという愛のこもった励ましを受けました。―フィリピ 1:27,28。
9 (イ)現代において,エホバはどのようにそのような助けを備えてこられましたか。(ロ)この点に関する実例を挙げてください。
9 現代においてもエホバはご自分の僕たちのために必要な助けを備えてこられました。「忠実で思慮深い奴隷」,つまり,イエスを任命された頭とする,今日地上にいる残りの者たちを通してそうしてこられました。そしてこの助けはちょうどふさわしい時に与えられます。(マタイ 24:45-47)例えば,1925年に「奴隷」級は,「ものみの塔」誌を通して,神の王国が1914年以来天で機能してきたこと,また実際にはエホバの組織とサタンの組織という二つの組織しかないことを理解するよう読者を助けました。1929年には,人間の律法よりも優れたものとして神の律法に常に従うというクリスチャンとしての責務が非常に強調されました。組織上の調整が漸進的に行なわれ,1938年には会衆内の監督たちの任命がすべて,会衆による投票の代わりに,神権的に行なわれるようになりました。このすべてはエホバの僕たちを一致させ,強化しました。そして,非常に時宜にかなったものとなりました。
10 (イ)その助けは,どのように非常に時宜にかなったものとなりましたか。(ロ)迫害が進展していた時,エホバはさらにどのような助けを彼らに与えられましたか。
10 1930年代,および第二次世界大戦のさなかにエホバの証人は多くの国で厳しい迫害に遭いました。幾千人もの人々が裁判にかけられました。幾十もの国々で彼らの業は政府の禁令を受けました。全体主義者の強制収容所で幾年も拘留された人々が大勢います。この迫害が頭をもたげ始めたその時,エホバはご自分の僕たちをさらに強化されました。1931年の「ものみの塔」誌の研究記事の中では,王妃エステルの時代のユダヤ人がどのように自分たちの命を守るために戦ったか,またどのように敵に対し攻勢に出たかが論じられ,これが霊的な戦いにおいて今日どのように適用されるかが考慮されました。1934年の「厳しい試練」と題する記事は,火の燃える炉の中に投げ込まれた三人のヘブライ人の記述を用いて,エホバに全幅の信頼を抱いて固く立つ決意をエホバの証人たちに吹き込みました。(ダニエル 3:17,18,28)エホバはなお,なされるべき大いなる業を持っておられ,その業がサタンの反対によって妨害されることは許されませんでした。
生き残る見込みを持つ「大群衆」を集める
11 (イ)より一層広範にわたるどんな伝道の業のために,エホバはご自分の僕たちを備えさせましたか。(ロ)神が事を運ばれた準備計画における幾つかの段階を簡単に説明してください。
11 王国相続者の「小さな群れ」を集める業の完了する時が近づき,エホバは,より一層大いなる業,つまり「大患難」を生き残って回復された楽園の地で生きる「大群衆」を教育するという業に注意を向けさせました。それで1918年にものみの塔協会の会長は,カリフォルニア州のロサンゼルスで,「世界は終わった,現存する万民は決して死することなし」という主題の話を行ないました。後にこの主題はさらに幾百人もの講演者によって繰り返されたものです。それから1923年に,「ものみの塔」誌は,ヨハネ 10章16節の「ほかの羊」が,羊とやぎに関するイエスのたとえ話の中の「羊」と同一であること,その羊がすでに姿を現わし始めていることを指摘しました。1931年には,これらの人々が,生き残るための印を額に付けられた人としてエゼキエル 9章1節から11節に予影されていたことが示されました。1932年になると,この同じ級が,全き専心をエホバにささげるべきことの重要性を認識していたヨナダブによって予表されていたことが明らかになりました。神が事を運ばれたこの準備計画は,1935年にその最高潮に達し,ワシントン特別区の大会では,啓示 7章9節から17節の「大いなる群衆」,つまり「大群衆」が地的な級であることも示され,聴衆の中の幾百人という人々が,自分たちはそのグループに属する者であるとみなしました。エホバの霊の指示のもとで,このグループを集める業は急速に前進し始めました。
12 (イ)地的な希望を持つ人々が集められ,天的な希望を持つ人々との交わりに入れられても,不一致が生じなかったのはなぜですか。(ロ)彼らの一致した努力はエホバの祝福を受けて今日に至るまでどのような結果を生み出してきましたか。
12 地的な級の人々がこのように集められて,天的な希望を持つ人々と交わるようになったために,会衆内に不一致が生じたでしょうか。決してそのようなことはありませんでした。イエスが予告された通り,彼らは彼らの「一人の羊飼い」としてのイエスと「一つの群れ」になりました。(ヨハネ 10:16)彼らは,自分たちがいずれかの希望を抱けるということはエホバの過分のご親切を示す証拠であること,自分たちすべてにはエホバのみ名と王国に対する証人になるという特権と責任があること,忠実さに関するクリスチャンとしての同じ規準は自分たちすべてに当てはまることを理解しています。彼らは本当に一致した民です。人の住む全地で王国の証しを行なうことに一緒に専念し,その結果大規模な取り入れの業が行なわれたのです。第一次世界大戦後,公にエホバの王国を告げ知らせる業にあずかっていた人々はわずか数千人でした。10万人以上の人々が世界中でこの業に参加するようになったのは1941年になってからです。今日では王国の音信を公にふれ告げる者として一つに結ばれている人々は合計265万2,323人になります。エホバが預言者イザヤを通して予告された通りのことが生じているのです。「小さな者が千となり,小なる者が強大な国民となる。わたし自ら,エホバが,その時に速やかにそれを行なう」― イザヤ 60:22。
必要な施設を備えるための一致した努力
13 この増加は,ものみの塔協会の印刷の業務にどのような影響を及ぼしてきましたか。その必要はどのようにまかなわれてきましたか。
13 エホバの証人の数がこのように大幅に増加したため,施設を拡大することが必要になりました。1920年代には,証人たちが用いる聖書文書の印刷はほとんどニューヨーク市のブルックリンで行なわれていました。今日そのような印刷は,他の30の国々においても行なわれています。自発的な寄付によって必要な資金が備えられ,ある所で不足が生じても,それは他の所からの寛大な援助によって相殺されてきました。―コリント第二 8:14と比較してください。
14 1935年以来,必要とされる新しい王国会館はどのように備えられてきましたか。
14 「大群衆」が正しく地上の級であることが明らかにされたその同じ年に,当時のものみの塔協会の会長であったJ・F・ラザフォードは,ハワイのエホバの証人の集会場に王国会館という名を付けました。その時からこの名は,エホバの証人の集会の場所を指すものとして証人たちによって用いられています。1940年から現在に至るまで,会衆の数は5,118から4万6,000を優に上回る数にまで増加してきました。全世界的な増加に対処するため,幾千もの新しい王国会館やより大きな大会ホールが建設されてきました。そのためには,資金面でも,建設の業そのものにおいても,一致した努力が求められました。エホバの一致した民は,心からの支持を与えてきました。
15 わたしたちが,集会のためのふさわしい施設を持つことが重要なのはなぜですか。
15 今日,エホバの証人の王国会館に集まる人々の数は,以前にも増して多くなり,急激に増加しています。エホバの道筋を歩めるようにエホバの道についての教えを受けたいと本当に願う人々をわたしたちは歓迎します。(イザヤ 2:2,3。ヘブライ 10:23-25)それに,エホバによるこの備えに対して認識を示す人々を世話するためのふさわしい施設が確実にあるようにもしたいと思います。どのようにこれを行なえるでしょうか。
16 (イ)会衆が拡大しているために新しい王国会館が必要とされる場合,わたしたち自身がその新しい会館を使うか否かにかかわらず,関係する仕事や経費についてどのように考えるべきでしょうか。(ロ)土地代が非常に高価な地域でかなりの増加が見られる場合,新しい王国会館はどのように備えられるかもしれませんか。
16 わたしたちは,各地の多くの会衆で集会を持ちますが,ただ「一つの群れ」,一つの一致した民です。清い崇拝の拡大に対する関心と兄弟たちに対する愛に動かされて,わたしたちは,どこで必要が生じようと,わたしたちにできるどんなことであっても援助したいという気持ちになります。ある王国会館を用いている会衆の数が増えているために,新しい王国会館を建てることが必要でしょうか。古い建物を使い続ける人々が,移転しなければならない会衆の会館の建設のためにできる限りの助けを差し伸べるのは非常に立派なことです。ある地域では,必要な場合にはいつでも,兄弟たちが他の王国会館の建設の助けを買って出ています。注意深い計画と一致した努力とにより,多くの新しい立派な王国会館が二日以内に建設されてきました。しかし,ある国では,都市部の土地代が急騰しているため,個々の会衆で必要な施設のための資金を調達することはできません。しかし,一つの会衆だけでは達成できないことも,一致した努力によって達成することができます。援助を差し伸べる機会が知らされた時に,わたしたちはどのようにこたえ応ずるでしょうか。
17 この必要をまかなうため,どんな聖書的な原則は適切だと言えますか。
17 イスラエル人は,エホバの神聖な幕屋を建造するために寄付する機会が与えられた時,心から進んで行なう気持ちに促されて,十分すぎるほどの物を備えました。(出エジプト記 35:5-9; 36:5-7)真の崇拝を支持するための巨額の寄付だけが貴重なのではありません。イエスは,資力に乏しい一人のやもめのごくわずかな寄付によって示された寛大さをほめられました。(ルカ 21:1-4)仲間の神の僕たちを物質面で援助する備えに関して,使徒パウロはこう書きました。「進んでする気持ちがまずあるなら,持っていないところに応じてではなく,持っているところに応じて特に受け入れられるのです。……均等を図ることによって,あなた方の当面の余分が彼らの欠乏を埋め合わせ……るためなのです。『多くある者にも多過ぎることなく,少ししかない者にも少な過ぎることはなかった』と書かれているとおりです」。(コリント第二 8:12-15)この原則を指針として新しい王国会館を備えたり王国会館を増築したりすることに協力するのは良いことです。どこでその王国会館が必要になろうと,わたしたちがその王国会館の区域に住んでいようといまいと,良いことなのです。
18 (イ)最近の地域大会で発表された一致の宣言は,何を動機とするものでしたか。(ロ)その宣言の中の最初の要点にはどのような意味がありますか。(ハ)第2の要点についてはどうですか。(ニ)第3の要点についてはどうですか。(ホ)その宣言は,どのような祈りでふさわしく結ばれていましたか。
18 「霊の一致」はエホバの組織を特色づけるものであり,わたしたち一人一人には,それを熱心に表明する特権が与えられています。最近世界中で開かれた大会において,わたしたちはこの点に関する時宜にかなった宣言を行ないました。それは23ページに再録されています。その宣言を今振り返り,この機会に来たるべき日々にそれを個人的に適用できる方法を再び考慮するようにお勧めします。
あなたの答えはどのようなものですか
□ エホバはどのようにご自分の僕たちの一致を守られますか
□ エホバは,王国級を収穫する業が完了するようどのように物事を指示されましたか
□ 第二次世界大戦の前,およびその大戦中に生じた厳しい迫害に対し,エホバの証人はどのように強化されましたか
□ 神は,1935年に始まった取り入れの業のため,どのような方法でご自分の証人たちを備えさせましたか
□ 緊急に必要とされる王国会館を備えるに当たって,どのようにわたしたちは貢献できますか
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あなたは黙想しますか,それとも空想にふけるだけですかものみの塔 1984 | 5月1日
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あなたは黙想しますか,それとも空想にふけるだけですか
夕方になってネゲブの焼けつくような暑さも涼しくなったとき,イサクという名の若者は自分の天幕を出,「静かに思い巡らすため」野を散歩していました。イサクが何を考えていたのか聖書は述べていません。しかし,むなしいロマンチックな空想でなかったことは確かです。イサクは近く結婚することになっていましたが,それは新たに重い責任が生まれることを意味しました。この結婚によって生まれる子供は,約束の「胤」,すなわちメシアに至る家系を継ぐのです。ですから,イサクがさまざまな事柄を頭の中で整理する時間が必要だったのは当然のことと言えます。しかし,らくだの一隊がやって来るのを目にして黙想を中断したとき,イサクの胸はどんなに高鳴ったことでしょう! たくさんのらくだの中の1頭に乗っていたのは,自分の花嫁リベカだったからです。―創世記 24:62-67; 22:17,18。
この物語の印象的な部分は,すべてのクリスチャンが習慣にしていなければならない事柄の一つ,すなわち黙想です。「黙想する(meditate)」という語が聖書に数回しか出てこないのは事実です。しかし神の言葉は,物事をそのように深く思い巡らすことの必要をたびたび強調しています。「これらのことをよく考えなさい[「黙想しなさい」,欽定訳]。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」と,使徒パウロは勧めました。―テモテ第一 4:15。
思いを「脱線」させないようにする
有益であることはよく分かっていても,ほとんどの人にとって黙想するのは難しいことです。大抵の人はただ空想にふけるほうを ― 下流に漂って行くボートのように,何を考えるでもなくただぼんやりと思いを漂わせているほうを ― 好むかもしれません。もし休んでいる時にそうするのであれば,気分をくつろがせるのにたいへんよいでしょう。しかし,クリスチャンの集会の時や,勉強している時に,あるいは仕事時間中にそうするなら,空想にふけることは車のエンジンのアイドリングと同じになります。燃料を浪費するだけでどこへも行けません。
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