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偉大な教え手から学ぶ
学ぶ 24章 127–131ページ

24章

決してどろぼうしてはいけません

だれかに何かをぬすまれたことがありますか。― そのとき,どんな気持ちがしましたか。― だれがぬすんだとしても,その人はどろぼうです。どろぼうのことを好きな人はいません。では,どうしてどろぼうする人がいるのでしょう。どろぼうになるよう生まれついているのでしょうか。―

人間が生まれた時から罪を持っているということは,学んだばかりですね。だから,人間はみな不完全です。しかし,どろぼうになるよう生まれついている人は一人もいません。良い家庭で育った人がどろぼうすることもあります。親や兄弟たちはまじめでも,お金が欲しくなったり,いろいろなものを買いたくなったりして,どろぼうすることがあるのです。

最初のどろぼうはだれだと思いますか。― 一緒に考えてみましょう。偉大な教え手は天にいた時,その者を知っていました。そのどろぼうはみ使いでした。でも,神がお造りになったみ使いたちはみな完全だったのに,どうしてそのみ使いはどろぼうになったのでしょうか。― この本の8章で学んだように,自分のものではないものを欲しがったのです。何を欲しがったか覚えていますか。―

神が最初の男女を創造したあと,そのみ使いは二人から崇拝してもらいたいと思うようになりました。二人から崇拝してもらう権利があったわけではありません。二人の崇拝は神にささげられるべきものだったのです。ところが,そのみ使いは二人の崇拝をぬすんでしまいました! アダムとエバの崇拝を自分のほうに向けさせることにより,どろぼうになってしまいました。そのみ使いは悪魔サタンになりました。

人はどうしてどろぼうするのでしょうか。― 自分のものでないものを欲しがる気持ち,つまり欲望があるからです。この気持ちは,とても強くなることがあります。良い人でもその気持ちに負けて,悪いことをしてしまうほどです。ある人たちは,どろぼうを働いても悪かったと思わず,良いことを再び行なうようになるわけでもありません。イエスの使徒の一人がそうでした。ユダ・イスカリオテという名前の人です。

ユダは,ぬすみが悪いことを知っていました。幼い時から神の律法を教えられていたからです。昔,神が天から話すことまでして,『ぬすんではならない』と民にお命じになったことを知っていました。(出エジプト記 20:15)ユダは大人になって偉大な教え手に出会い,その弟子になりました。後には,イエスに選ばれて12使徒の一人にもなりました。

イエスと使徒たちは一緒に旅をし,一緒に食事をしました。みんなのお金はぜんぶ一つの箱に入れてありました。イエスはその箱をユダに預けました。もちろん,箱の中のお金はユダのものではありません。しかしユダは,しばらくして何をしたと思いますか。―

ユダがイエスから預かった箱のお金をぬすんでいる

ユダがぬすみを働いたのはなぜですか

必要もないのに箱からお金を持ち出すようになったのです。人が見ていない時に,ちょくちょくお金を取りました。お金をもっと得る方法はないかといろいろ考えるようにもなりました。いつもお金のことばかり考えるようになりました。偉大な教え手が殺されるほんの数日前,ユダがこのまちがった欲望のためにどんなことをしたか,調べてみましょう。

イエスの友人ラザロの姉妹のマリアは,上等な油を手に取り,イエスの足に注ぎました。ところがユダは不平をもらしました。なぜだと思いますか。― ユダは,その油を売って,得たお金を貧しい人々にあげたほうがよかった,と言いました。でも,ほんとうは,箱の中のお金をふやし,ぬすみたいと思っていたのです。―ヨハネ 12:1-6。

イエスはユダに,マリアはとても親切にしてくれたのだから困らせてはいけない,と言いました。ユダはそう言われて,いやな気持ちになりました。そこで,イエスの敵であった祭司長たちのところへ行きました。祭司長たちはイエスをとらえたいと思っていましたが,人目につかない夜にそうしたいと思っていました。

ユダは祭司たちにこう言いました。『もしお金をくれるなら,どうすればイエスがつかまるかを教えましょう。いくらくれますか』。

祭司長たちは,『銀30枚をやろう』と答えました。―マタイ 26:14-16。

ユダはお金をもらいました。お金をもらうというのはちょうど,偉大な教え手を祭司長たちに売るようなものです。そんな悪いことをする人がいるなんて,考えられますか。― でも,人がどろぼうになってお金をぬすむと,そういうことが起こるのです。その人は人々よりも,また神よりもお金を愛しているのです。

あなたはたぶん,『エホバ神以上に何かを愛することは絶対にない』と言うでしょう。そのような気持ちでいるのはりっぱなことです。イエスがユダを使徒に選んだ時,ユダもきっとそういう気持ちだったことでしょう。どろぼうになったほかの人たちも,そうだったかもしれません。何人かの例を取り上げてみましょう。

アカンが衣と金の棒を持っている。ダビデがバテ・シバを見ている

アカンとダビデは,どんな悪いことを考えていますか

一人は,偉大な教え手が生まれるずっと前に生きていた神のしもべで,アカンという人です。アカンは美しい衣と金の棒と何枚かの銀を見ました。それらの品はアカンのものではありませんでした。聖書によると,神の民の敵から取った品だったのでエホバのものでした。しかし,アカンはとても欲しくなってぬすみました。―ヨシュア 6:19; 7:11,20-22。

別の例もあります。ずっと昔,エホバはダビデを選んでイスラエルの民を治める王にしました。ある日,ダビデはバテ・シバという美しい女の人をながめはじめました。バテ・シバを見つづけ,一緒に住めるよう家に連れて来ることを考えつづけました。でも,バテ・シバはウリヤの妻でした。ダビデはどうするべきでしたか。―

バテ・シバを自分のものにしようと考えるのをやめるべきでした。しかしダビデはそうしないで,バテ・シバを家に連れて来ました。それから,ウリヤを殺させました。ダビデがそのような悪いことをしたのはなぜでしょうか。― ほかの人の妻を自分のものにしたいと思いつづけたからです。―サムエル第二 11:2-27。

アブサロムが男の人を抱き寄せている

アブサロムはどうしてどろぼうだったと言えますか

ダビデが後悔したので,エホバはダビデの命を取りませんでした。しかし,それからというもの,ダビデはたくさん問題をかかえるようになりました。息子のアブサロムはダビデの王位を欲しがりました。それで,人々がダビデに会いにやって来ると,いつも,その人たちをだいて口づけしました。『アブサロムはイスラエルの人々の心をぬすんでいた』と聖書は述べています。アブサロムは人々を説得し,ダビデの代わりにアブサロムを王にしたいという気持ちにさせました。―サムエル第二 15:1-12。

アカンやダビデやアブサロムのように,何かをとても欲しくなったことがありますか。― それが人のものであるなら,許可を得ないで持っていくのはぬすみです。最初にどろぼうになったサタンが何を望んだか覚えていますか。― 人々が神ではなくて自分を崇拝してくれることを望みました。ですから,サタンは,アダムとエバを従わせた時,ぬすみを働いていたのです。

ある物をだれに使わせるかを決める権利は,その物の持ち主にあります。例えば,よその子の家に行って遊ぶことがありますね。その家の物を自分の家に持って来るのはよいことですか。― その家のお父さんかお母さんから,持って行ってもよいと言われていないなら,持って帰ってはいけません。家の人に断わらずに持って帰ったら,ぬすみになります。

あなたもぬすみをしたくなることがあるかもしれません。なぜでしょうか。― 自分のものでないものが欲しくなるからです。取るところを人は見ていなくても,だれが見ていますか。― エホバ神ですね。また,神はぬすみをにくまれるということも覚えておく必要があります。ですから,神と隣人を愛することは,決してどろぼうしないために役立つのです。

聖書は,ぬすみが悪いということをはっきり述べています。次の聖句を読んでください。マルコ 10:17-19。ローマ 13:9。エフェソス 4:28。

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