憐れみ
憐れみを掛けるとはどういうこと?
聖書中の例
詩 51:1,2 ダビデはエホバに,憐れみを掛けてほしい,罪を許して清い心を与えてほしいと願った。
ルカ 10:29-37 イエスは憐れみについて教えるために,ユダヤ人を思いやり深く助けたサマリア人の話をした。
憐れみを掛けてもらわなくてよいという人などいないのはどうして?
エホバが憐れみ深い神であるとどうして分かる?
出 34:6,ネヘ 9:17,詩 103:8,コリ二 1:3
聖書中の例
ヨブ 42:1,2,6-10,ヤコ 5:11 エホバはヨブに憐れみ深く接し,ヨブも憐れみ深くあるよう教えた。
ルカ 15:11-32 イエスはエホバの憐れみについて教えるために,1人の父親が,悔い改めて戻ってきた息子にどう接したかを話した。
エホバが私たちに憐れみを掛けるのはどうして?
イエスが命を犠牲にしたことと私たちの罪が許されることには,どんな関係がある? 私たちは何をする必要がある?
憐れみを受けられるよう祈り,エホバの憐れみにいつも感謝する必要があるのはどうして?
聖書中の例
詩 51:1-4 ダビデは罪を犯したことを深く後悔し,エホバが憐れみを掛けてくださるよう謙遜な心で祈った。
ルカ 18:9-14 イエスは例え話をして,エホバは,犯した間違いを謙遜に認める人に憐れみを掛けることを教えた。
重大な罪を犯した人も憐れみを受けられるのはどうして?
聖書中の例
代二 33:9-13,15 マナセはとても邪悪な王だったが,悔い改めて,エホバが憐れみを掛けてくださるよう祈った。王位に復帰した後,本当に心を入れ替えていたことを行動で示した。
ヨナ 3:4-10 ニネベの人たちは暴力と流血にまみれていたが,生き方を改めたので,神の憐れみを受けた。
エホバの憐れみを受けるには,罪を告白し,生き方を変える必要があるのはどうして?
エホバの憐れみを受けたからといって,罰を受けないで済んだり,自分がしたことの結果から逃れたりできるわけではない。
私たちも憐れみ深い人になることが大切なのはどうして?
人に憐れみを掛けないなら,エホバとの絆はどうなってしまう?
格 21:13を参照
聖書中の例
マタ 18:23-35 イエスは例え話をして,憐れみ深くない人はエホバから憐れみを掛けてもらえないと教えた。
ルカ 10:29-37 イエスの例え話によれば,エホバとイエスは憐れみ深くない人のことを喜ばず,憐れみ深く行動したサマリア人のような人のことを喜ぶ。