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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2013
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エホバは日ごとにわたしのために荷を負ってくださる

マリーサ・ドゥ・ラーン

わたしは健康が優れず,他の人から見れば耐え難いような状況にありますが,これまでずっと天の父からの愛情深い支えを経験してきました。そしてこの20年余り,開拓者としてエホバにお仕えする特別な喜びも味わってきました。

わたしは1956年に脊椎披裂で生まれました。脊椎の神経管が完全に閉鎖しなかったため神経に障害が生じ,歩くのが困難になっただけでなく,健康上の大きな問題を抱えるようになりました。

わたしが生まれる前,両親はエホバの証人の宣教者と聖書を学ぶようになりました。わたしが子どものころに住んでいたナミビアのウサコスという町には,孤立した伝道者が数人しかいなかったので,会衆の集会のプログラムは家族で学びました。7歳の時,尿の排出を可能にするために人工膀胱の手術を受け,14歳の時にはてんかんを患うようになりました。一番近い高校に進みましたが,それでも自宅から遠かったため,また親に付き添ってもらう必要があったため,卒業できませんでした。

それでも,霊的に強くなりたいと思いました。当時,クリスチャンの出版物の多くが母語のアフリカーンス語で手に入らなかったので,英語を学んで出版物を研究しました。王国伝道者になってバプテスマを受けたのは,19歳の時です。その後の4年間は,身体面でも感情面でも多くの問題に直面しました。そのうえ,生まれ育った町は横のつながりが強く,人への恐れを抱いていたわたしは,宣教に熱心になれませんでした。

20代の初めに,家族でナミビアから南アフリカへ引っ越し,そこで初めて会衆と交わりました。その喜びは言葉では言い表わせません。でも,また手術を受ける必要が生じました。今度は,人工肛門の手術です。

その後,開拓奉仕に関する巡回監督の話を聞き,とても感動しました。健康状態は決して理想的とは言えませんでしたが,それまで多くの困難を乗り越えるようエホバが支えてくださったことを確信していたわたしは,正規開拓奉仕の申込書を提出しました。ところが,健康上の問題ゆえに長老たちの推薦は得られませんでした。

わたしは,どこまで頑張れるかやってみようと思いました。それで,母や他の人たちの助けを得て,6か月間,開拓者並みの時間を入れることができました。その結果,開拓奉仕に対する決意のほどや,健康上の問題もどうにかなるということを理解してもらえました。再び申込書を提出したところ,今度は承認され,1988年9月1日付で正規開拓者になりました。

開拓者として,わたしはいつもエホバの支えを経験しています。自分の状況にではなく,新しい人に真理を教えることに注意を集中することによって,保護され,霊的にも成長できました。幾人かの人を献身とバプテスマまで援助することができ,大きな喜びを味わっています。

体調は安定していませんが,エホバは「日ごとにわたし……のために荷を負ってくださ(います)」。(詩 68:19)エホバは,人生を耐えられるよう助けてくださるだけではありません。生きる喜びも与えてくださっているのです。

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