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コリント第一の概略

    • E. 仲間のクリスチャンを気遣い,信仰を妨げないように配慮する(8:1–11:1)

      • 1. 偶像に捧げられた食物について(8:1-13)

        • 愛は知識より優れている(8:1-3)

        • 偶像に捧げられた食物を食べることで人に過ちを犯させてしまわないようにする(8:4-13)

      • 2. 使徒としてのパウロの模範(9:1-27)

        • 奉仕者が生活に必要な物を受ける権利(9:1-18)

        • あらゆる人に対してあらゆるものになる(9:19-23)

        • 命を目指す競走では自制が必要(9:24-27)

      • 3. 過去のイスラエルの悪い例から学ぶ(10:1-22)

        • 荒野でのイスラエル人(10:1-5)

        • 貪欲,偶像崇拝,不道徳などの悪い事柄を避けるようにとの警告(10:6-11)

        • 耐えられないほど誘惑を受けることはない(10:12,13)

        • 「偶像崇拝から逃げ去ってください」。邪悪な天使の食卓を避ける(10:14-22)

      • 4. 他の人に配慮してクリスチャンの自由を行使する(10:23–11:1)

        • 「全てのことが許されていますが,全てのことが励みになるわけではありません」(10:23,24)

        • 他の人の良心に配慮する(10:25-30)

        • 全てのことを神の栄光のためにする。パウロとキリストに倣う(10:31–11:1)

    • F. 会衆で秩序正しく崇拝を行うための指示(11:2–14:40)

      • クリスチャンの頭の権威への敬意。頭の覆いの原則(11:2-16)

      • 主の晩餐に敬意を示す(11:17-34)

      • 神からの贈り物(12:1-11)

      • 1つの体,多くの器官(12:12-31前半)

      • 愛は何よりも勝った道(12:31後半–13:13)

      • 聖なる力によって預言する人と,さまざまな言語を話す人(14:1-25)

      • クリスチャンの集会で秩序を保つ(14:26-40)

コリント第一 11:1

欄外参照

  • +フィリ 3:17; テサ二 3:9

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    2010/12/15,12ページ

  • 出版物索引

    塔10 12/15 12;

    塔83 4/15 12; 塔77 599; 塔76 206; 塔74 374; 塔73 184,291; 塔66 337; 塔64 342; 塔63 596,623; 目62 10/8 3; 塔61 343,565; 塔60 383

コリント第一 11:2

  • 伝えたこと: または,「伝えた伝統」。「伝統」と訳されるギリシャ語パラドシスは,人から人へと伝えられてきた情報,指示,慣行などを指す。この語はギリシャ語聖書の中で,有益な伝統,つまり真の崇拝の一部である適切で受け入れられる伝統を指すことがある。(テサ二 2:15; 3:6)例えば,使徒パウロが主の晩餐の祝いに関して受けた情報は,クリスチャンのふさわしい伝統としてクリスチャン会衆に伝えることができるものだった。(コ一 11:23)同じギリシャ語は,誤った伝統や,見方や守り方のせいで有害で好ましくないものになっている伝統を指すことも多い。(マタ 15:2,3。マル 7:3,5,13。コロ 2:8)

欄外参照

  • +コ一 4:17; テサ二 2:15; 3:6

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    1995/12/1,3-4ページ

    1988/12/1,6ページ

  • 出版物索引

    塔95 12/1 3-4; 塔88 12/1 7;

    塔63 677-678

コリント第一 11:3

欄外参照

  • +ロマ 14:9; エフ 4:15; コロ 2:10
  • +エフ 5:23, 33; ペ一 3:1, 2
  • +コ一 15:27, 28

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    「ものみの塔」(研究用)

    2021/2,2-3ページ

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2015/11/15,22-23ページ

    2010/5/15,8-16ページ

    2009/5/15,20ページ

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    2007/1/15,6ページ

    1999/8/1,19-20ページ

    1998/9/1,15ページ

    1995/6/1,27ページ

    1994/7/1,21ページ

    「目ざめよ!」

    2004/7/8,26-27ページ

    1996/12/8,15ページ

    「神を崇拝する」153-154ページ

    「幸せな家庭」31-32ページ

    「知識」134-136ページ

    「永遠に生きる」240ページ

    「論じる」165ページ

    「真の平和と安全」136-138ページ

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    洞-1 63,570-572; 塔研21.02 2-3; 塔15 11/15 22-23; 塔10 5/15 8-16; 塔09 5/15 20; 塔07 1/15 6; 塔07 2/15 13-17; 目04 7/8 26-27; 拝 154; 塔99 8/1 19-20; 塔98 9/1 15; 庭 31-32; 目96 12/8 15; 塔95 6/1 27; 知 134-136; 塔94 7/1 21; 楽 240; 論 165; 平 136-138;

    塔80 8/15 6; 家 42; 塔77 345,742; 目77 11/22 29; 良 163; 塔75 626,656; 塔73 187,383; 平73 136; 目73 6/8 29; 塔72 458,463; 目72 5/22 7; 目67 11/22 27; 目65 2/8 28,31; 塔64 393,401,424; 正 47; 目64 2/8 9; 塔63 301,343; 目63 6/22 6; 塔62 683-684; 目61 7/22 9; 遠 146; 塔55 249

コリント第一 11:4

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    「洞察」

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    洞-1 570;

    塔77 344-346,479; 塔72 670; 塔64 401; 塔61 207

コリント第一 11:5

  • を覆わない: または,「にベールをしない」。ユダヤ人社会や古代ギリシャ・ローマ世界の一部で,多くの人は,女性が人前で髪を覆うつまりベールをすることを慎みの表れと考えた。パウロがこの章で言っていることからすると,1世紀のクリスチャン女性も頭を覆った。異教の女性の呪術師や祭司たちなど一部の女性は,超自然的な力を受けていると主張して,頭を覆う布を外し,乱れた髪を垂らしたようだ。クリスチャン会衆でそのように振る舞うなら,頭の権威と服従に関してエホバが決めたことへの敬意を欠くことになった。パウロがコリントのクリスチャンにこの点に関する助言を与えたのは,そのためかもしれない。(コ一 11:3-10)コ一 11:10,15の注釈を参照。

    頭をそられた女性: ここでパウロが言っていることからすると,女性が頭をそったり髪を短くしたりすることは,恥ずべきことと見なされていた。頭をそるのが一般的だったのは,奴隷や,もしかすると姦淫が明らかになった女性の場合だけだったからかもしれない。さらにヘブライ語聖書には,「美しい髪形」から悲しみの印である「そった頭」に変わった女性たちが出てくる。(イザ 3:24)詳細ははっきりしていないが,頭の覆いを着けずにクリスチャン会衆で祈ったり預言したりする女性の恥ずかしさは,上で述べたような女性が感じる恥ずかしさと同じようなものであるとパウロは述べている。そのような不名誉な行いは,髪の毛をすっかりそり落としたのと同じほどひどいもので,頭の権威に関する神の原則への敬意を欠くものになる。(コ一 11:3-10)コ一 11:15の注釈を参照。

メディア

  • 頭の覆い

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  • +ヨエ 2:28; 使徒 21:8, 9

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    「神の愛」209-210ページ

    「ものみの塔」

    2009/11/15,12-13ページ

    2002/7/15,26-27ページ

    「論じる」127-128ページ

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    洞-1 571,631; 洞-2 499; 塔09 11/15 12-13; 愛 209-210; 塔02 7/15 26-27; 論 127-128;

    崇 122; 塔77 344-347,479; 塔73 447; 塔72 670; 自 254; 塔64 401; 塔62 63; 遠 155-156

コリント第一 11:6

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    「洞察」

    「洞察」

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    洞-1 64,631,1266; 洞-2 499;

    塔77 344-346; 塔72 670; 塔64 401; 遠 155-156

コリント第一 11:7

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  • +創 1:27

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    「論じる」127ページ

  • 出版物索引

    洞-1 570; 洞-2 618; 論 127;

    最 81; 目78 7/8 18; 塔77 345; 塔72 669; 目72 4/22 20; 塔66 207; 塔64 401

コリント第一 11:8

欄外参照

  • +創 2:22, 23; テモ一 2:13

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    「洞察」

    「論じる」127ページ

  • 出版物索引

    洞-1 570; 論 127;

    塔64 402; 目63 3/8 27

コリント第一 11:9

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  • +創 2:18

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    「洞察」

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    洞-1 570;

    目64 2/8 9; 目63 3/8 27; 塔62 684

コリント第一 11:10

  • 権威のしるし: パウロはこの章で,頭の権威についての指示を与えている。(コ一 11:3)ここで,クリスチャンの女性が会衆で祈ったり預言したりする時に身に着けるべき頭の覆いについて論じている。それは「権威のしるし」で,女性が会衆の任命された男性に神が与えた率先する役割を認めていることを天使たちにも見える仕方で示すもの。女性が特定の状況で頭の覆いを身に着けることは,会衆の「権威」に進んで従っていることを表す。(コ一 11:4-6)コ一 11:5,15の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ一 4:9

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    「神の愛」211-212ページ

    「ものみの塔」

    2009/5/15,24ページ

    2002/7/15,27ページ

    「論じる」127ページ

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    洞-1 63-64,570-571; 塔09 5/15 24; 愛 211-212; 塔02 7/15 27; 論 127;

    塔77 345; 塔72 671; 自 246-247; 塔64 402; 塔62 271; 塔61 442; 遠 156

コリント第一 11:11

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    塔64 403

コリント第一 11:12

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  • +創 2:21, 22
  • +コ一 8:6

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  • 出版物索引

    目72 8/8 10; 塔66 201; 塔64 403; 目63 3/8 27

コリント第一 11:13

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    洞-1 570;

    崇 122; 塔64 402

コリント第一 11:14

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    「洞察」

    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-1 64,570,1266-1267;

    目79 7/22 28; 塔77 346; 若 54; 塔73 91,368; 目72 7/22 15; 塔64 402; 塔61 533

コリント第一 11:15

  • 覆いの代わりに与えられている: 「覆い」と訳されるギリシャ語(ペリボライオン)は,ギリシャ語聖書でここだけに出ている。頭と肩を覆う布など,身にまとう物を意味する。ユダヤ人とギリシャ人の間では,髪の長さで性別を簡単に見分けることができた。奴隷の女性や,もしかすると姦淫が明らかになった一部の女性は,頭をそられるか髪を短く切られた。(コ一 11:5の注釈を参照。)女性の長い髪は,頭の権威に従うことを自然と思い起こさせるものだった。(コ一 11:3)女性は会衆で祈ったり預言したりする時,「権威のしるし」として頭を覆うものを着けることにより,天使やほかの人たちの前で頭の権威に関する原則を認めていることを示した。(コ一 11:3-16)コ一 11:10の注釈を参照。

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    「洞察」

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    洞-1 64,570; 洞-2 664;

    若 54; 塔73 91,368; 目72 7/22 15; 塔64 402; 塔62 271; 目61 10/22 21; 遠 158

コリント第一 11:16

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-1 570;

    塔72 649; 塔64 403

コリント第一 11:18

  • 分裂: コ一 1:10の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ一 1:10; 3:3

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    塔80 9/1 31; 自 124

コリント第一 11:19

  • 皆さんの間に分派: 前の節に書かれているように,パウロはコリント会衆に「分裂」があることを聞いていた。そうした派閥の存在によって,誰が神から良いと認められているかが明らかになる,とパウロは述べた。分派を避け,愛と一致のためにできることを謙遜に行うなら,忠実な人として際立ち,純粋な動機を持つ本当のクリスチャンであることを示すことになった。このように分派や分裂によって,神から良いと認められている人を見分けることができた。「分派」という語については,使徒 24:5の注釈を参照。

欄外参照

  • +使徒 20:29, 30; コ一 1:12; テモ一 4:1; ペ二 2:1
  • +申 13:3; ヨ一 2:19

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-2 472;

    塔83 12/15 15; 塔80 9/1 31; 自 124

コリント第一 11:20

  • 主の晩餐: または,「主の夕食」。ギリシャ語聖書に1度だけ出ているこの表現は,主イエス・キリストが死ぬ前,ニサン14日に制定した式を指す。キリストの体と血を象徴する無酵母パンとぶどう酒から成る食事のこと。この晩餐の1回目とその前後の出来事は,目撃者であり参加者でもあったマタイとヨハネが記している。(マタ 26:17-30。ヨハ 13:1-38)マルコとルカはその場にいなかったが,細かな点を補足した。(マル 14:17-26。ルカ 22:7-39)パウロはコリント会衆に指示を与えた時,その晩餐について理解を深める情報を伝えた。(コ一 10:16-22; 11:20-34)ルカとパウロによれば,イエスは弟子たちに,「このことを行っていき,私のことを思い起こしなさい」と言った。(ルカ 22:19。コ一 11:24,25)「私の記念としてこのように行いなさい」としている翻訳もある。それで,この式を記念式と呼ぶのも適切。主の晩餐の目的はイエスの死を記念することで,聖書がクリスチャンに行うよう命じている行事はこれだけ。

欄外参照

  • +ルカ 22:19, 20

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン28

  • 出版物索引

    暮 レッスン28;

    自 123

コリント第一 11:21

  • 酔っている人もいれば,一方で空腹の人もいる: パウロは,コリントのクリスチャンがこの聖なる式を品位ある仕方で一致して祝っておらず,夕食を持参してその集まりの前や最中に食べている人がいたので,戒めを与えている。中には,ぶどう酒を飲み過ぎて酔っている人がいた。夕食がなくて空腹な人もいて,夕食がたくさんある人の前で恥ずかしい思いをした。このようなクリスチャンたちは,うとうとするか気が散っていて,主の晩餐に参加したり感謝したりできる状態ではなかった。

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    1990/2/15,19ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1153; 洞-2 1074; 塔90 2/15 19;

    自 123

コリント第一 11:22

索引

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-2 174;

    自 123; 塔61 555; 塔57 292

コリント第一 11:23

  • 主から受けた: パウロは,西暦33年のニサン14日に主の晩餐が制定された時,イエスや11人の使徒たちと一緒にいたわけではないので,パウロが書いた情報は聖なる力による啓示か直接言われるという仕方で「主から受けた」と思われる。ここで神の名前を使っている翻訳も幾つかあるが,ギリシャ語キュリオス(「主」)はこの文脈で主イエス・キリストを指していると思われる。

欄外参照

  • +マタ 26:20; ルカ 22:14

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    「ものみの塔」

    2004/3/15,4ページ

    2003/2/15,12-13ページ

    1993/3/15,4-5ページ

    1990/2/15,15-17ページ

  • 出版物索引

    塔04 3/15 4; 塔03 2/15 12-13; 塔93 3/15 4-5; 塔90 2/15 15-17;

    塔75 170; 塔74 166; 塔64 166,586; 塔63 677-678; 塔62 205; 目62 3/8 26

コリント第一 11:24

  • 表しています: マタ 26:26の注釈を参照。

脚注

  • *

    または,「記念し」。

欄外参照

  • +マタ 26:26; マル 14:22; ロマ 7:4; コ一 10:17
  • +ルカ 22:19

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    「ものみの塔」

    2013/12/15,24-25ページ

    2004/3/15,4ページ

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    1993/3/15,5-6ページ

    1990/2/15,15-17ページ

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    塔13 12/15 24-25; 塔04 3/15 4; 塔94 3/15 3-4; 塔93 3/15 5-6; 塔90 2/15 15-17;

    塔85 2/15 12; 塔80 3/1 26; 塔75 170; 塔74 166; 宣 74/3 7; 教 169; 塔66 191; 塔64 166; 心 156; 塔62 205; 塔59 339; 塔58 103,105; 塔56 47

コリント第一 11:25

脚注

  • *

    または,「記念し」。

欄外参照

  • +マタ 26:27; マル 14:23; コ一 10:16
  • +出 24:8; ルカ 22:20; ヘブ 9:13, 14; ペ一 1:18, 19
  • +エレ 31:31; ヘブ 8:8; 9:15
  • +出 12:14

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    2013/12/15,25ページ

    2003/1/1,31ページ

    1994/3/15,3-4ページ

    1993/3/15,6ページ

    1990/2/15,15-16,17-18ページ

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    洞-1 1151; 塔13 12/15 25; 塔03 1/1 31; 塔94 3/15 3-4; 塔93 3/15 6; 偉 114章; 塔90 2/15 15-18;

    塔75 170; 塔74 166; 塔72 169; 教 169; 自 134; 塔66 294; 塔64 166-167,351; 心 156; 塔62 205; 塔59 339

コリント第一 11:26

  • たびに: パウロはこの文脈で,記念式がどれほどの頻度で行われるかではなく,どのように行われるべきかを論じていた。ギリシャ語で(25節でもこの節でも),「(する)時はいつも」,「(する)たびに」という意味のホサキスという語を使った。それでパウロは,天に行くよう選ばれたクリスチャンに,「皆さんは[これを行う]たびに」,主の死を広く知らせ……続けると言っていた。主が来るまで,つまりその人たちを天に迎え,国々に刑を執行するためにイエスが来るまでそうする。その時,主の晩餐はもう行われなくなる。マタ 24:30の注釈を参照。

欄外参照

  • +ヘブ 9:15

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    「洞察」

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    2008/7/15,27ページ

    2004/3/15,6-7ページ

    2003/4/1,6ページ

    2003/2/15,13-14ページ

    2003/1/1,31ページ

    1993/3/15,4-5ページ

    1990/2/15,13-14ページ

  • 出版物索引

    洞-1 852,1151; 塔研18.01 16; 塔10 3/15 27; 塔08 7/15 27; 塔04 3/15 6-7; 塔03 1/1 31; 塔03 2/15 13-14; 塔03 4/1 6; 塔93 3/15 4-5; 塔90 2/15 13-14;

    塔85 2/15 16; 塔78 3/1 19; 塔74 166; 自 134,137; 心 156; 塔62 205; 塔59 339; 塔56 55; 塔52 60

コリント第一 11:27

脚注

  • *

    または,「状態」。

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    「ものみの塔」(研究用)

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    「洞察」

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    「ものみの塔」

    2015/1/15,15-16ページ

    2003/2/15,17-19ページ

    1996/4/1,6-8ページ

  • 出版物索引

    洞-1 990,1152; 塔研20.01 27-28; 塔研16.01 23; 塔15 1/15 15-16; 塔03 2/15 17-19; 塔96 4/1 6-8;

    塔85 2/15 12; 崇 114-115; 塔70 511; 自 124-125; 塔62 205; 塔56 56; 塔54 119

コリント第一 11:28

欄外参照

  • +コ二 13:5

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    「ものみの塔」

    2015/1/15,15-16ページ

    1991/3/15,21-22ページ

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    塔15 1/15 15; 塔91 3/15 21-22;

    塔85 2/15 20-21; 自 124; 塔62 393

コリント第一 11:29

  • 自分への有罪判決を食べて飲むことになります: 主の晩餐は共食で,古代イスラエルの共食の捧げ物と似ている。崇拝者は犠牲を捧げてから,それを一緒に食べることができた。(用語集の「共食の捧げ物」参照。)しかしモーセの律法は,汚れた状態にある人がそのような聖なる食事を食べることを禁じていた。食べるなら「民の中から除かれ」た。(レビ 7:20,21)同じように,聖なる力によって選ばれた人は主の晩餐の間,同じ信仰を持つ仲間と共にいて,イエスの体と血を表すパンとぶどう酒を食べて飲む。こうした事柄を取りまとめた方エホバとも共にいる。この食事は聖なるものなので,パウロは主の晩餐の前に自分をよく調べるようクリスチャンに忠告した。(コ一 11:27-29)汚れたこと,聖書に合わないこと,偽善的なことをしているのに食べて飲む人は,贖いへの敬意を欠いているので,「自分への有罪判決」を食べて飲むことになる。(ヘブ 10:28-31と比較。)

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    「ものみの塔」

    1990/2/15,19-20ページ

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    塔90 2/15 19-20;

    自 124; 心 157; 塔61 255; 塔59 339; 塔56 56; 塔54 119; 塔52 58

コリント第一 11:30

  • 死の眠りに就いています: 直訳,「眠りに就いています」。この文脈では,神との関係を失っているという意味だと思われる。

欄外参照

  • +テサ一 5:6

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    「ものみの塔」

    2015/1/15,15-16ページ

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    塔15 1/15 15-16;

    塔54 119; 塔52 51-52

コリント第一 11:31

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    「ものみの塔」

    1990/2/15,15,19-20ページ

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    塔90 2/15 15,19-20;

    自 124

コリント第一 11:32

  • それはエホバからの矯正であり: パウロはコリントのクリスチャンに,主の晩餐での不敬な振る舞いのために受けた矯正を受け入れるよう勧めている。(コ一 11:27,29)コリントの人たちは矯正を受け入れて当てはめるなら,神から遠く離れていて神に従わない世の人々と共に断罪されずに済んだ。聖書に書かれているように,エホバはご自分に仕える人たちに愛の気持ちから必要な矯正を与える方。(申 11:2。格 3:11,12。エレ 7:28。ヘブ 12:5,6)

    エホバからの矯正: ここのパウロの言葉は,「わが子よ,エホバの矯正を拒否してはならない。……エホバは愛する人を戒めるからである」という格 3:11,12の言葉を基にしているのかもしれない。格 3:11の元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が,「矯正」に当たる名詞と共に出ている。ヘブ 12:5,6では,パウロは格言の書のこれらの節から引用しているので,「新世界訳」の本文でエホバという名前が使われている。(付録C1参照。)ここコ一 11:32でも似た言い回しが使われていて,こことヘブ 12:5,6で使われている「矯正」と「矯正する」に当たるギリシャ語は,セプトゥアギンタ訳の格 3:11,12で使われている語と同じ。それで,コ一 11:32の本文で神の名前が使われている。付録C3の序文とコ一 11:32を参照。

欄外参照

  • +ヘブ 12:5
  • +ペ二 2:20; 3:7

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    1990/2/15,15ページ

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    洞-1 941,1004; 塔90 2/15 15;

    自 124; 塔63 523

コリント第一 11:33

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    「洞察」

    「洞察」

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    洞-1 1153; 洞-2 174

コリント第一 11:34

欄外参照

  • +コ一 11:29

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    「洞察」

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    洞-2 174;

    自 124; 目62 7/22 26

訳の一覧

訳の一覧を見るには,節番号をクリックしてください。

全般

コリ一 11:1フィリ 3:17; テサ二 3:9
コリ一 11:2コ一 4:17; テサ二 2:15; 3:6
コリ一 11:3ロマ 14:9; エフ 4:15; コロ 2:10
コリ一 11:3エフ 5:23, 33; ペ一 3:1, 2
コリ一 11:3コ一 15:27, 28
コリ一 11:5ヨエ 2:28; 使徒 21:8, 9
コリ一 11:7創 1:27
コリ一 11:8創 2:22, 23; テモ一 2:13
コリ一 11:9創 2:18
コリ一 11:10コ一 4:9
コリ一 11:12創 2:21, 22
コリ一 11:12コ一 8:6
コリ一 11:18コ一 1:10; 3:3
コリ一 11:19使徒 20:29, 30; コ一 1:12; テモ一 4:1; ペ二 2:1
コリ一 11:19申 13:3; ヨ一 2:19
コリ一 11:20ルカ 22:19, 20
コリ一 11:23マタ 26:20; ルカ 22:14
コリ一 11:24マタ 26:26; マル 14:22; ロマ 7:4; コ一 10:17
コリ一 11:24ルカ 22:19
コリ一 11:25マタ 26:27; マル 14:23; コ一 10:16
コリ一 11:25出 24:8; ルカ 22:20; ヘブ 9:13, 14; ペ一 1:18, 19
コリ一 11:25エレ 31:31; ヘブ 8:8; 9:15
コリ一 11:25出 12:14
コリ一 11:26ヘブ 9:15
コリ一 11:28コ二 13:5
コリ一 11:30テサ一 5:6
コリ一 11:32ヘブ 12:5
コリ一 11:32ペ二 2:20; 3:7
コリ一 11:34コ一 11:29
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
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新世界訳聖書 (スタディー版)
コリント第一 11:1-34

コリント​の​クリスチャン​へ​の​第​一​の​手紙

11 キリストに倣っている私に倣ってください+。

2 皆さんはとても立派です。あらゆる面で私のことを覚えていて,私が伝えたことをしっかり守っているからです+。 3 しかし,次のことを知ってほしいと思います。全ての男性の頭はキリストであり+,女性の頭は男性であり+,キリストの頭は神です+。 4 男性が祈ったり預言したりする時に頭を覆うなら,自分の頭を辱めることになります。 5 一方,女性が祈ったり預言したりする+時に頭を覆わないなら,自分の頭を辱めることになります。頭をそられた女性同然だからです。 6 女性は覆いを着けないなら,髪を切るべきなのです。しかし,女性にとって髪を切ったりそったりするのは恥なのですから,覆いを着けるべきです。

7 男性は頭を覆うべきではありません。男性は神に似た者として造られたのであり+,神の栄光だからです。一方,女性は男性の栄光です。 8 男性が女性から造られたのではなく,女性が男性から造られたからです+。 9 また,男性が女性のために創造されたのではなく,女性が男性のために創造されたのです+。 10 ですから女性は,天使たちのためにも+,頭に権威のしるしを着けるべきです。

11 さらに,主の下では,女性を男性と切り離すことはできず,男性を女性と切り離すこともできません。 12 女性が男性から造られたように+,男性は女性から生まれるからです。もちろん,全てのものは神によって造られました+。 13 皆さん自身で判断してください。女性が頭を覆わないで神に祈るのは適切なことでしょうか。 14 私たちの自然な感覚によれば,男性にとって髪を長くするのは恥ではないでしょうか。 15 一方,女性にとって髪を長くするのは栄光ではないでしょうか。女性の髪は覆いの代わりに与えられているのです。 16 たとえ何かほかの習慣を支持する人がいても,これ以外の習慣は,私たちにも,神のどの会衆にもありません。

17 こうした指示を与えるに当たり,私は皆さんを褒めることはしません。集まることが,皆さんにとってためになるどころか害になっているからです。 18 まず,会衆として集まる時,皆さんの間に分裂があると聞いています+。私はある程度その話を信じています。 19 やがて皆さんの間に分派も生じる+に違いありません。その結果,誰が神から良いと認められているかも明らかになるでしょう+。

20 皆さんは1つの場所に集まってはいても,主の晩餐+を食べるためにそうしているとは言えません。 21 自分の食事を先に済ませていて,主の晩餐の時には酔っている人もいれば,一方で空腹の人もいるからです。 22 皆さんには食べたり飲んだりするための家がないのですか。それとも,神の会衆を軽視し,食べる物がない人たちに恥ずかしい思いをさせたいのですか。私は皆さんに何と言えばよいでしょうか。褒めるべきでしょうか。このことについては褒めません。

23 私は,主から受けたことを皆さんに伝えました。主イエスは,裏切られようとしていた夜+,パンを取り, 24 感謝の祈りをしてからそれを割り,こう言いました。「これはあなたたちのための私の体を表しています+。このことを行っていき,私のことを思い起こし*なさい+」。 25 食事が済んでから,杯+についても同じようにして,こう言いました。「この杯は私の血による+新しい契約+を表しています。それを飲むたびに,このことを行い,私のことを思い起こし*なさい+」。 26 皆さんは,このパンを食べ,この杯から飲むたびに,主の死+を広く知らせるのであり,主が来るまでそれを続けるのです。

27 ですから,不適切な態度*でそのパンを食べたり主の杯から飲んだりする人は,主の体と血に関して有罪になります。 28 まず自分をよく調べて確かめ+,その上でパンを食べ,杯から飲むべきです。 29 主の体についてよく分かっていないのに食べて飲む人は,自分への有罪判決を食べて飲むことになります。 30 そのため,皆さんの中には弱っている人や病気の人が多く,かなりの人が死の眠りに就いています+。 31 しかし私たちは,自分のことがよく分かっているなら,有罪とされることはないでしょう。 32 とはいえ,有罪とされる場合,それはエホバからの矯正であり+,私たちが世の人々と共に断罪されないようにするためなのです+。 33 それで,私の兄弟たち,主の晩餐を食べるために集まる時には,互いのことを待ちましょう。 34 空腹の人がいるなら,その人は家で食事をしてください。集まった時に有罪とされることにならないためです+。ほかの事柄は,私がそちらに行った時に扱います。

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