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目ざめよ! 1970
目70 7/22 15–16ページ

司祭に結婚の自由を認めるべきか

司祭に結婚の自由を認めるべきか,これはカトリック僧職者層を二分する別の問題です。

司祭は教会法で結婚を禁じられており,独身を保たねばならず,童貞の誓約を解消する特免を受けずに結婚すれば,破門されます。

しかし近年,多くの司祭が改革を要求してきました。結婚して,なおかつ司祭職に留まる権利を求めたのです。1966年,ナショナル・カトリック・リポーター誌の行なった調査によれば,質問を受けた司祭の62%が司祭に結婚の自由を認めるべきであると答えました。

ところが1967年,教皇パウロ6世は回勅「司祭の童貞制」を出し,この問題に関する教会の“強硬な方針”を再確認し,問題の公の論議を禁じました。教皇は言明しました。「教会は何世紀もの間,司祭の童貞制を輝かしい珠玉のように守ってきたのであり,童貞制はその価値を相変らず保持している」。

しかし司祭たちはこのために問題を公に論ずることを差し控えるどころか,世界中で反対の動きを増大させています。

たとえば1969年初頭,メルボルン・ヘラルド紙はパリからの次のような報告を掲げました。「本日,フランスのカトリック司祭425人の一団が同教会の権威を非とし,結婚の権利を要求した」。そののち昨年,イタリアの司祭を対象にした調査によれば,その大多数が司祭の結婚に賛成でした。

アメリカ,ピッツバーグのローマ・カトリック枢機卿ジョン・ライトは,カトリック司祭の減少の主因は,教会が童貞制を堅持していることにあると述べました。この見解を裏書きするかのように,ニューヨーク・タイムズ紙は,童貞の誓約の免除申請者数が,「イタリア,チューリンのラ・スタンパ紙がきょう発表したバチカン機密情報によれば,1963年当時の10倍余に達した」と報じました。そうした申請をせずに,あっさり辞職した司祭もいます。

また,司祭を志す若い人々も影響を受けています。カトリックの著述家ダニエル・カラハンは語ります。

「こうした新情勢の一つは,司祭志望者数の最近の急激な減少である。……こうした減少の原因を童貞制の問題にのみ帰することはできないにしても,この問題は,聖職志望を断わる若者が一様に指摘する一つの理由である。

「世界のある場所ではすでに深刻な事態が生じている。第二バチカン公会議の際,ブラジルの司教ピーター・クープは次のように述べた。『独身の司祭および結婚した司祭の双方をふやすか,それともラテン・アメリカのカトリック教会の崩壊を待つか,そのどちらかをわれわれは直ちに選ばねばならない』」。

童貞制を創始したのはだれか

童貞制はイエス・キリストもしくはその使徒たちが創始したものに違いないと考えている人がいます。それらの人は前教皇ヨハネス23世の次の声明を読んで驚かされます。

「聖職者の童貞制は教義でもなければ,聖書が課しているものでもない。改正はなおさら容易である。私がペンを取って布告に署名すれば,翌日には,結婚したい司祭はそうすることができよう。しかし署名するわけにはゆかない」。

それはどうしてですか。幾つかの理由の一つは,童貞制が教会の根深い伝統となっていることです。高位僧職者の結婚を最初に禁じたのは,4世紀にスペインのエルビラで開かれた公会議でした。その後,幾世紀もの間,このことを強化する布告が何度か出され,やがて16世紀のプロテスタントによる宗教改革時代にトレント会議で童貞制が制定され,以来今日までほとんど当時のままで存続してきました。

ですから,童貞制は伝統を通して取り入れられたのです。以前,高位僧職者だったカトリック神学者チャールズ・ディビスは言いました。

「この禁制はもともとキリスト教のものではなく,宗教の歴史上きわめて古い禁制の一つであり,キリスト教へのその導入は,キリスト教の全般的異教化の一部であった。……

「中世において童貞制がいっそう強化されたのは,教会の資産が世俗社会の管理下にはいらないようにするためであった」。

イエスもその使徒たちも,童貞制に従うよう神のしもべたちに要求したことは決してありません。神に仕えるいっそうの自由が独身者にあることは指摘しましたが,童貞制は規定しませんでした。―マタイ 19:11,12。コリント前 7:32-38。

神ご自身のみことば聖書は,カトリック・バルバロ訳によればこう述べています。「監督は咎のない人で,一人きりの婦人の夫であり……自分の家をよくおさめ,謹厳に子どもを従わせる人でなければならない」。また,「執事は一人きりの婦人の夫であり,子どもと家とをよくおさめる人でなければならない」としています。(テモテ前 3:2-4,12)したがって司祭の童貞主義は神が創始されたものではありません。そのみことばに明示されているとおり,神の奉仕者は自由に結婚できるからです。

では,神の御心に反するこうした考えはどこから始まったのでしょうか。神ご自身のみことばは答えています。「しかし〔聖〕霊は,のちの時にある人々が信仰を遠ざかり,まどわしの霊と悪魔の教えとにつくであろうと,明らかにおおせられている。かれらは偽善のいつわり者にまどわされ,良心を焼鉄でやかれたもので,婚姻を禁じ(る)」― テモテ前 4:1-3,バルバロ訳。

それで,この問題に関しカトリック教会に重大な混乱があるのも不思議ではありません。そして,ドイツの神学者ハンス・クンクの次のことばにもあるとおり,そうした混乱は今後も続きそうです。「童貞制が,もともとそうであったように,再び個人的な選択の問題となるまでは,カトリック教会に平和は訪れないであろう」。

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