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目ざめよ! 1971
目71 11/22 21–23ページ

「弟子とし…彼らにバプテスマを施す」

このほど,東京後楽園競輪場で開かれた「神のお名前」地域大会の特筆すべき点は,8月6日金曜日の朝の浸礼式でした。競輪場の芝生のふちに設けられた2個のプールは美しいバプテスマ風景をつくりだし,近くでは大会オーケストラがふさわしい音楽を演奏して,その場のふん囲気を盛り上げました。わずか1時間半のうちに,エホバに新しく献身した879名の人々が,聖書の方法に従い,全身を水中に没してバプテスマを受けました。こうして彼らは,聖書を信ずる真のクリスチャンとして,神の意志を行なう道にしっかりと立ったのです。

日本における最も大規模なこのバプテスマを見るのは,たしかに大きな喜びでした。その朝,全部で9,589名の人がバプテスマの話を聞き,そのうち何千人もの人々が会場に残って,スタンド内のよく見える場所からバプテスマを見守りました。受浸者の中には強健な人もいれば,助け手を必要とするからだの弱い人もいました。一番年の古い人は79歳の兄弟と80歳の姉妹でしたが,二人とも心は「若く」,晩年になって真の神を見いだしたことを喜んでいます。また9歳の少年もいました。この少年は3歳のときから両親に真理を教えられてきました。過去1年間証言活動に携わってきた彼は,現在二つの家庭聖書研究を司会しています。ひとつは学校の友だちとの研究,もうひとつは別の聖書研究生のむすこさんとの研究です。

受浸者の多くが経てきた経験には心が動かされます。4年ほどまえのこと,宝塚で,けいれん患者の若い婦人が聖書の勉強をはじめました。そのひとはやがて新しい秩序のすばらしい希望を認めるようになりました。からだが完全にまひしているひとなので,母親が聖書の勉強を手伝わねばなりませんでした。その娘さんは今年の1月,バプテスマによってエホバへの献身を表わしました。5月には母親が聖書の勉強をはじめ,後楽園でこの金曜日にバプテスマを受けました。ふたりとも大会に出席できたことをたいへん喜んでいました。兄弟たちの愛の援助によって69歳のこの母親と,車いすに乗った娘さんの出席は可能になったのです。

人々は遠方の地からこの大会に来ていました。一番遠くから来て,バプテスマを受け,新しい兄弟のひとりとなった人は,奄美大島で最初に生み出された兄弟でした。この兄弟は,1970年9月に勉強をはじめ,1971年4月に伝道を開始し,ついで1971年の8月にバプテスマを受けました。最初のころは,会社や労働組合での職務上の地位などの問題がありましたが,良いたよりの奉仕者としての資格を得るために,まもなくその地位を退きました。夫人もよく進歩しており,次の巡回大会でバプテスマを受けることを計画しています。

879名の中には,熊本から来た新しい姉妹もいました。彼女は悪霊崇拝とその力から解放されたことをたいへん喜んでいました。この姉妹は聖書の真理に接するまえ,ご主人に死なれ,そのあと再婚していました。彼女が先夫の墓をおがまなかったので,先夫の兄弟たちは,死んだ男の霊が二番目の夫を殺すだろうと言っておどしていました。彼らは易や心霊術によってそのようにおどしていました。ところが,彼らの予告どおり,二番目の夫は突然病気になり,先夫の命日に死にました。このことがあってから彼女は恐怖にとらわれ,ノイローゼになりました。その後,1970年の3月,ひとりの王国伝道者が彼女の戸口に訪れ,死者は完全に無意識であること,先夫の兄弟たちのおどしや予告は悪霊崇拝と関係があることなどを聖書から説明しました。「とこしえの命に導く真理」と題する本を用いて聖書の研究がはじまりました。彼女の苦悩は真理の治ゆ力により,しだいに和らいでいきました。彼女は最初から会衆のすべての集会に出席し,11月には熱心な王国伝道者になりました。そしてこの大会で,母親と娘さんが両方とも,バプテスマによってエホバへの献身を象徴しました。

この大会の1年半ほどまえ,ある男の人は「神が偽ることのできない事柄」および「神の自由の子となってうける永遠の生命」と題する本を,戸別伝道をしていた奉仕者から求めました。それからその奉仕者とは何の交渉もありませんでしたが,その人は2冊の本をくりかえし読んで他の宗教と比較し,それらの本に真理が含まれていることを確信しました。彼はそのことをほかの人たちにも話し,ある友だちにその2冊の本をあげました。自分用の本がもう2冊必要になったので,協会の東京支部の住所を調べ,自分で支部まで本を求めに行きました。彼は支部でさらに証言を受け,自分の家が,住んでいる土地の会衆の集会所のすぐ近くにあることを知ってびっくりしました。ひとりで勉強して,すでに多くのことを知ったこの羊のような人がやってきたときの会衆の喜びを想像してごらんなさい。家庭聖書研究はことしの2月に始まりました。その人はすぐに全部の集会に出席し,4月には伝道をはじめ,後楽園大会でバプテスマを受けました。また彼は大会の簡易食堂で自発奉仕をしましたが,そのとき,18年まえいっしょに働いたことのある人に会いました。その人は今正規開拓奉仕者です。彼女の夫は,この新しい兄弟と麻雀をした仲でした。彼はその旧友と再会して,麻雀ではなく,真理を知った喜びを話すのを楽しみにしています。

バプテスマ希望者の中には,東京,お茶の水にある順天堂病院で働いていた看護婦さんがいました。彼女は次の婦長になるべく勉強中であり,外国へ行って勉強する機会もありましたが,真理を学んでからそうしたことをすべて断念しました。彼女は比較的小さな病院に移りました。すべての集会に出席でき,また,休日がきまっていて戸別伝道に参加できたからです。彼女は婦長や他の看護婦にもよく証言しました。そのために婦長は,彼女のバプテスマを見に後楽園にきました。

1969年のはじめ,京都に住むある少年は,「終わりはまだ先のことですか」という「目ざめよ!」誌の特別号を読みました。その時は信じられませんでした。しかし高校にはいってからつらい経験をした結果,彼はまた「目ざめよ!」誌のその記事をさがし出し,もう一度読みかえしました。それが真理であることに気づいた彼は,ものみの塔協会に手紙を書いて,「目ざめよ!」誌を1年予約しました。そうしているうちに彼は,1970年8月6日から9日にわたって行なわれる姫路地域大会の発表を読みました。彼は学校の友だちをさそって大会に出席しました。すべてが理解できたわけではありませんが,深い感銘を受けました。それから数週間後,王国伝道者が戸別伝道でその少年の母親に会いました。うちのむすこはこの雑誌を読んでいます。大会にも行きました。とてもいい大会だったのでしょうね,帰ってきてから別人のようになりましたから,とその母親はいいました。伝道者はその家をふたたび訪問して少年に会い,たいへん進歩的な聖書研究がはじまりました。姫路大会から約1年後の1971年8月6日,少年は後楽園でバプテスマを受けました。

10年間バプテスト教会員だったある若い婦人は,自分の教会に対して疑問を深めていました。彼女は教会員のあいだの不和や不満,牧師を追い出そうとする人たち,そしてとうとう300人の教会員が教会を去ったのを見ました。彼女は時々,エホバの証人が家を訪れるさい,真理を聞いていました。それでこんどは,そういう訪問者のひとりと勉強をはじめました。そしてそれがほんとうに真理であることにすぐ気づき,教会に行くのをやめました。血にかんする神の律法について学んだとき,病院の手術室の中で看護婦として良心的に仕事をつづけることができないのを感じました。やめないでくれという病院のたっての願いでしたが,血を扱わずにすむところに職を得るため,彼女はそこをやめました。彼女は病院のすべての人によい証言をしました。他の看護婦のうち少なくともひとりが勉強しています。彼女は後楽園大会でバプテスマを受け,いまは開拓奉仕者になることをめざしています。

ある男の人は,社員1,600名のかまぼこ・はんぺん製造会社に21年間勤務していました。その会社の社長は,たいへん信心深い人でしたから,各職場には神棚が飾られ,20箇所におよぶ社員寮にはそれぞれ仏壇がまつられていました。そして毎月,東京の一番大きな寺のひとつである本願寺の住職が招かれて,精神講和が行なわれました。こうした宗教行事は,20年間勤めていたこの人の担当でした。しかしその夫人と娘さんはエホバの証人になり,まもなくその人をいくつかの集会に誘うようになりました。彼は,それらの集会に,けんそんさや愛のこもった励ましがあるのに深く感動し,考え方を変えました。そして1970年の10月から聖書の勉強をはじめ,エホバの証人と定期的に交わりはじめました。1971年の2月には偽りの宗教に染まった職をひき,収入は3分の1に減りましたが新しい職につきました。今やその人は良いたよりを伝道する資格を得ました。そして,それを喜びをもって行なってきました。10か月にわたるエホバの組織との楽しい交わりののち,後楽園でバプテスマを受けました。

良いたよりの伝道がいっそう自由に行なえるように職を変えた人はほかにもたくさんいます。妻といっしょにバプテスマを受けた受浸者のひとりは,町田市に住むタクシーの運転手でした。彼は仕事を調整し,特別の取り決めによって,月水土だけ働き,ほかの日は奉仕や会衆の集会のために当てました。しかしバプテスマを受けた後は,エホバに奉仕するためにさらに多くの自由を得るには,もう一度職を変えねばならないと考えています。彼はとぎやをしようかと考えています。この仕事は自分の好きなときにできるし,多くの人に証言することもできるからです。

イエスが地上におられたとき,「大なる群集は喜びてイエスに聴き」イエスの弟子になりました。(マルコ 12:3)今日でも同じです。あらゆる身分の人々が聖書の貴重な真理を学んでいます。熱心な勉強によって信仰を築いたのち,彼らはエホバ神に献身し,その献身を水のバプテスマによって象徴します。もし,1971年8月6日,後楽園競輪場でバプテスマを受けた879名全員の体験を集めることができれば,その記録は何巻もの本になり,たいへん感動的な物語になることでしょう。しかしわたしたちは,前記のわずかな例からも,救いをエホバ神とそのみ子キリスト・イエスに帰して,今全世界から出てきている『大いなる群集』の献身,喜び,そして目的をある程度理解することができます。―黙示 7:9,10。

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